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邪馬台国畿内説 Part528 YouTube動画>1本 ->画像>62枚


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1◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:17:29.64
 邪馬台国論の鉄板、畿内説のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、古墳時代が開始していた。(◆10,FAQ10,43)
・古墳出現期段階で、近畿中央部を中心に列島規模の政治連合が形成され始めていた。(◆2,4〜6)
・北部九州博多湾岸地域は、既にこの政治連合の傘下にあった。(◆7)
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内である。

 邪馬台国論争ももう畿内で決着なのでロマンはありませんが
 勝者の貫録を見せつつ、更なる真実を探求しましょう。

前スレ
http://2chb.net/r/history/1573017335/

◆0【 要 旨 】  ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
 纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本の広域に影響力を持った宗教的指導者が君臨しており、それは各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性であったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内に中国文化が急速に浸透する時期である。

 これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できる。

 2世紀の地球規模的寒冷化は、農業生産力を強化する社会的需要から指導的地位を占める析出集団の成長を強烈に促進し、弥生的青銅器祭祀を終息せしめ、高塚化した墳丘墓を現出させる。
 換言すれば、弥生墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。

 倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間は概ね庄内併行期に相当する。畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入していく時期であり、ことに那珂比恵地域への人口流入が急拡大する。
 博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易をする段階に入る。
 絶域であった日本列島が中華社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた地域こそが当時の倭国の中枢である。

 倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
 それは桜井市纒向以外にありえない。

2◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:18:45.00
◆1(女王所都)
 奈良県桜井市に所在する纒向遺跡が2世紀末に人為的・計画的に建設された前代未聞の巨大祭祀空間であり、また北部九州を含む列島各地の文化を受容し融合し、そして全国に発信する中枢的な場であったことは、夙に知られている。(◆2,FAQ38参照)

 現・纒向駅近くに東西軸上に複数棟連続して計画的に建築された大型建物群(4棟まで発見済み)は、3世紀前半のものと公式発表されている。
 居館域は桜井線西側のみでも東西150m、南北100m前後の規模を持ち、大小それぞれ構造・機能を異にする複数の建物が方形の柵列に囲繞されており、重要な古道として知られる上つ道に接面している。
これに比肩するものは、弥生時代に存在しないのは勿論のこと、飛鳥時代まで見当たらない。
大型建物の傍(大型祭祀土壙SK-3001)で宗教的行事が行われた痕跡も発見された。

 この建物群は、位置関係から言って三輪山及び箸中山古墳と緊密な関係が推察される。
建物廃絶の時期と箸中山古墳建設開始の時期が近いこと(FAQ10参照)を勘案すると、三輪山と関係の深い宗教的指導者がここに君臨し、死後に箸中山古墳に葬られたと考えるのは合理的である。
この大型建物群と箸中山古墳そして上つ道の位置関係は、トポロジー的に咸陽と驪山陵を想起させる。

 箸中山古墳は、日本列島広域各地の葬制を総花的に集約した定型化古墳の嚆矢であり、初期ヤマト政権の初代王墓と考えられるが、被葬者が女性であるという伝承にも信憑性(◆3参照)がある。
 乃ち、その葬制の総花的性格から初期ヤマト政権の初代王は各地の首長に「共立」され求心的に集約された権力基盤を持つ者であり、かつ女性と考えられる。その死亡時期は3世紀中葉(FAQ30参照)である。

 この地に、青銅鏡や武具、新たな土木技術や萌芽的馬匹文化(FAQ21参照)、列島に存在しなかった植物の花粉等(金原2015)など、中国文化が急速に浸透する時期は、列島が魏晋と通交した時期と重なる。
ほぼ同時代史料である魏書東夷伝倭人条(魏志倭人伝)の記事と上記の考古的諸事実を突合すると、箸中山古墳の被葬者は曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、◆2〜8に詳述するとおり、ここ纒向が女王の所都である。

3◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:19:32.11
◆2(箸中山古墳に見る共立の構造と政治的ネットワークの形成)
 前掲の大型建物が廃絶時に解体され柱まで抜き取って撤去されていることは、後世の遷宮との関連も考えられるが、歴代の宮のあり方に照らせば、建物の主の死去に伴う廃絶と考えることに合理性があるといえる。したがって、この建物の主人の活動時期は卑弥呼と重なる。
 また、箸中山古墳はこの建物の真南2里(魏尺)に立地し、且つ上つ道(推定)で結ばれるなど緊密な関係を有しており、この建物の主が被葬者であると合理的に推認できる。

 血統による相続原理が未確立な社会において、葬礼の執り行われる首長墓や殯屋は次代首長継承権の公認・公示される儀式の場(FAQ26参照)である。その場で顕示されている各地の葬制は、いわば王権の中における各地首長の影響力のバロメータである。
 つまり、纒向に誕生した定型化前方後円墳のあり方は、共立された王をめぐる権力構造の表象たるモニュメントに他ならない。そして箸中山古墳以降、古墳の築造企画共有が、初期国家の骨格を形成する。

 纒向の時代、上つ道に沿って系統的に展開する大王墓級古墳を時系列的に見ても、箸中山を嚆矢として西殿塚、行灯山、渋谷向山と明確な連続性が認められ、一連の政権が列島規模で存在したことが判る。
これらの大王墓級古墳とそれぞれ築造企画を共有し、単純な整数比で縮小された首長級古墳が、全国に展開(澤田1999)しているからである。
 築造企画の共有は、地縁的集団首長間の相対の結縁における相互承認関係を基調とした、擬制的親子或いは兄弟的政治力学関係を示していると考えられ、これが重層的に各地を網羅している状況が観察できる。

 この個々の紐帯の集積が、律令的全国支配が企図される以前の、さらには各地首長の自立性が希薄化して国造化する以前の、倭国の政治的骨格である。
ここでいう重層的とは、例えば大王級古墳の4/9の築造企画を持つ古墳においては、大王と2/3の力関係を誓約した大首長があり、更にその大首長と2/3の力関係を誓約した首長があるような関係を意味する。
乃ち、大王が4/9首長に対して直接指導力を発揮するのでなく、2/3大首長を通じて影響力を行使するような形態の国家権力構造である。

 その始発点が、a.元来は無形である地域的政治集団間の政治力学関係が具現化・表象化し固定化される時期、乃ち機構的には未組織で初代国王の個人的カリスマに依存したプレ国家段階(庄内期)から、b.或る種の政治的機関により運営される初期国家段階(古墳時代)へと移行する画期、乃ち布留0期にあるとみることが出来よう。
aaaa

4日本@名無史さん2019/11/07(木) 21:19:53.39
ついに「南水行十日陸行一月」の謎が解けたyo!
魏志倭人伝の核心は「計其道里 當在会稽東冶之東(その道里を計るに、まさに会稽東冶の東にあるべし)」の一文。

1.西晋初代・武帝司馬炎は、祖父・司馬懿仲達(秀吉)を後見人に指名してくれた大恩人・曹叡(信長)の、(実は呉より北にいた)卑弥呼を特別待遇してしまった判断ミスを正当化し、呉を滅ぼす先鞭を付けた賢帝に仕立てる必要があった。
→曹魏の帝都・洛陽から見て東南にある孫呉との戦いにおいて、その背後に倭国「女王之所都」があれば、最高の牽制となる。
→孫権の帝都・建業とほぼ同緯度の会稽郡「東治(シ・さんずい)」ではなく、そこから更に約580km南で、帯方郡から12,000里の「東冶(ン・にすい)」の東にあると思わせたい。
2.しかし本当の位置も残さなければならない。
3.ところで倭国の気候&風俗(服装、産物、動物、武器)は、南越(ベトナム)国境にある海南島の大陸側、儋耳朱崖に似ている。

そこで陳寿が行った忖度が、女王国(九州)島が、狗邪韓国(伽耶)の南から儋耳朱崖(ベトナム国境)まで届く、中国大陸をすっぽり包み込む「南北に」長大な2つの列島であるように思わせるテクニック。
まず、正解の【奴国@】と、「當在会稽【東冶】之東」となる幻の【奴国A】を設定。
「奴国」を2回使って「女王之所都」が「奴国だよ、奴国だよ」と正解の【奴国@】を暗示(ダチョウ倶楽部「押すなよ、押すなよ」→2回目の念押しがポイント)。
次に、投馬国(宮崎)から南水行十日にある奄美大島を海南島までグィ〜ンと引き伸ばして、女王国島のパラレルワールド「邪馬台国島」を、そこに東治⇔東冶間の「陸行一月」を転用して幻の【奴国A】を創り、「東冶(ン・にすい)」の東に「女王之所都」を合わせた。
同時に倭国に行ったことがある中国知識人には「陸行一日(奴国)」の間違いとすぐに気が付くようにもした(「日」の両端の棒を下に延ばし日+Л→「月」)。
卑弥呼は、漢委奴国王以来の奴国王・帥升「其國本亦以男子為王 住七八十年」の男系女子(孫娘)で、先祖である歴代倭王(死者=鬼)の神託を聞くイタコとして(鬼道政治)、北部九州30カ国から共立された巫女(斎王)。
邪馬台国七万戸=奴国二万戸(福岡平野)+(南の狗奴国に狙われた)後背地・筑紫平野五万戸。

5◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:20:12.59
◆3(文献に見える箸中山古墳の特異性)
 その行灯山、渋谷向山がともに帝王陵として伝承され、それらと規模的に同等である箸中山もまた「箸陵」の名が伝えられているにも拘わらず、帝王の姨の墓に過ぎないと紀で位置付けられている。
 このことは、築造工事の大規模さや神と人の協業による築造という逸話が紹介されていること、就中それが紀の収録する唯一の陵墓築造記事であることも併せて鑑みれば、紀編纂時の、行灯山及び渋谷向山の規模を認識している読者視点に於いて、明らかに不自然である。
 箸中山、行灯山及び渋谷向山は、例え位置関係及び築造年代の連続性を等閑看過しようと、その圧倒的質量において、同等格の主権者が連続的に存在したと人々に印象付けずにはおかない。
 換言すれば、眼前の事実として当該陵墓を実見している読者にとって紀編纂時点で箸中山古墳の被葬者に崇神や景行と並ぶ男性帝王が被葬者として伝承されていたならば、現行のように改変を行うことは困難であろうということ。
そして被葬者についての伝承が存しない場合も現行のように新規創作することが難しいであろう、ということである

 また、所謂三輪山伝説の類型要素について記との相違点から考証すると、後世に陶邑から入って当地の勢力者となったと考えられる三輪氏の始祖譚など3世紀の史実とは無関係な要素が一連の地名起源譚等とともに接合されていることには疑いない。
三輪山伝説類型の神婚説話や天岩戸神話など、付加された疑いの濃厚な類型的部分を除去すると、改変以前に存したと思われる伝承の残存部分が浮かび上がって来よう。

 乃ち、手白髪陵に治定された西殿塚などより明確な形で、被葬者が男性の帝王でないことを示す伝承が紀編纂時においても無視しえなかった情報として存在したと考えることが出来よう。
 女性被葬者のものと治定されている他の巨大古墳には、仲津姫(応神后、景行曾孫)や手白髪(継体后、雄略・市辺孫)など先代との血統的継続性に疑義のある大王に正統性を付与している配偶者のものなどが目立つ。
或いは、五社神(神功)など本人が大王相当とされる者のものもある。これらの性格と比較しても、やはり箸中山の位置付けは異例である。

 紀のしるす壬申乱の倭京での逆転戦捷に関連して、磐余彦天皇陵と箸陵の二つが登場することも加味しつつ、敢えて踏み込んで言えば、箸中山が考古学的知見から推察されるとおりの始祖王墓的な存在であること、
かつ巫女王墓であるということを、当時の民衆が知悉しており、紀編纂当時の政治がそれを改竄し切れなかったという推測すら成り立つ余地があろう。

6◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:20:46.16
◆4(纒向の地政的意味と倭国の形成)
 纒向は二上山と三輪山で奈良盆地を南北に二分する横断線の東端近くに占地する。この地は大阪湾から大和川を遡上した瀬戸内航路の終点にして、初瀬街道経由で伊勢雲出川河口付近から東海航路に向かう起点である。
 同時に上つ道に面し、北陸・山陰にも抜ける交通の要衝である。乃ち、三輪山をランドマークとする辻に関塞の神を祀る地であり、古くより大市が立つ。

 威信材の流れや墓制の消長から、弥生時代の北部九州では対外交渉力で突出した小国の興亡があったことが判明しており、そのうちには中国製威信財を独占的に入手し配布することで「倭国」的な政治的纏まりを現出せしめるやに見えた者もあった。
 しかしながら、国家形成と呼べる水準に至らぬまま衰退し、最終的には2世紀末の大乱期、中国製威信財入手ルートの途絶を以て、この列島における旧世界の秩序は崩壊した。
 代って、気候条件悪化に起因する社会不安の沈静化と政治的求心力の喪失による紛争の回避を目途として、この地纒向に新たな秩序の中枢が構築され、本格的な国家形成が緒に就く。

 共立とは、各地の葬制を総花的に集約した定型化前方後円墳に表象されることになる政治的関係における求心的集約の状態を、当時の中国の語彙で表現したものに他ならぬと思われる。
おそらくは当初に調停の庭であったそれが、完鏡等の威信財供与と祭祀の規格化に表象される首長間のリンケージの核となっていくのである。
 それは首長と首長個々の相対の結縁が重層化した形態をとり、次代の前方後円墳築造企画共有に繋がっていく祖形となる。

 定型化前方後円墳における葬制の「総花」性要素の中で、突出しているのは吉備地方であり、北枕原則が貫徹している畿内―吉備は葬制から見た政治状況中の枢軸といえる。
 もとより畿内第V様式圏の文化的斉一性は、交流圏・通婚圏として纏まりが存在したことを示す
此の環大阪湾文化圏と吉備を核とする瀬戸内圏との合作は、日本列島中西部を縦貫する流通大動脈を形成し、現実的に倭国乱の帰趨を決したとも言えよう。
 後段で触れる所の寒冷化による海水準低下で、多くの砂丘上の港湾集落が廃絶し潟港が埋没して機能低下を来たした日本海航路に対して、瀬戸内航路の価値は大いに上昇していた。纒向に誕生した政権の特徴である求心性も、この流通支配の趨勢を踏まえたものであろう。
 この意味で、倭人伝に登場する倭の国が東夷伝中で珍しく流通や通信に言及していることは、注目に値する。

 初期ヤマト政権の性格を、アンフィクチュオニーと通商連合の両面から理解することは、有益である。

7◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:21:20.39
◆5(倭国の形成と気候変動)
 1に、南播磨を主力とする畿内系住民が北部九州に移住し交流しているとみられる状況
 2に、河内と吉備の交流の深さ
 この2点を併せ鑑みれば、東海地方(中勢)にも影響力を持つ宗教的指導者を、纒向の地に地域間紛争回避の機構として擁立した勢力の中核をなすのは、汎列島的交易網の再構築と拡大を目途とする、瀬戸内の海上交通を支配する首長たちの利益共同体であろう。
 共立によって地縁的紐帯の域を超えた広域のプレ国家が誕生した。その成熟段階であろう3世紀前半末には、四等官を有する統治機構や市場の統制、通信網の整備などが観察されている。
 これが更に個人的カリスマの死去を契機として、布留0期に、機関化した政治システムのフェイズへと進むのである。

 2世紀は、炭素年代の較正曲線などからも太陽活動の不活発な状況が見て取れるとおり、寒冷化が進んだ時期であることが知られている。
 この寒冷化は、世界的な環境収容量力の低下となって、漢帝国の弱体化を決定づける農村の疲弊(逃散を含む)や北方民族の南下を引き起こしており、世紀末葉の中国は天下大乱の時期となった
倭国乱もこの時期である。
 寒冷化による海退は、砂丘の発達を再開させ、温暖期に安定していた砂丘上に展開していたいくつもの海浜集落を廃絶に追い込み、潟港の機能低下と相俟って国内流通網の再編(※日本海航路の衰退と瀬戸内航路の隆盛を含む)を促した。
 弥生社会を終焉に向けて転身を強いていた気候変動の総決算である。

※寒冷な海退期には無遺物砂層が、温暖な海進期には遺物を伴うクロスナ層が交互に形成されており、遺跡の消長が判明する。(甲元2008)
 クロスナ層の時期は弥生前期〜中期・弥生終末〜古墳前期・古墳後期〜奈良時代であり、その合間に空白期間である無遺物砂層の時期がある。
島根県小浦遺跡、山口県豊浦郡中の浜遺跡、土井ヶ浜遺跡、吉母遺跡
福岡県新町遺跡、同藤崎遺跡、西新町遺跡、御床松原遺跡
長崎県五島の宇久松原遺跡、福江市大浜遺跡
鹿児島県宇宿港遺跡、種子島鳥ノ峯遺跡
等で整合性が確認された。
これらの時期は、ユーラシア大陸の寒冷化と一致する。

8◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:21:56.04
◆6(自然環境と下部構造からみた国家形成期社会の動態)
 これより先、寒冷化に対応する生産力確保という社会的必要性が、開墾や治水・灌漑の分野で大規模開発行為を行うに足る労働力を大量に徴発できるような強権的な地縁型首長を誕生させつつあった。
 これは、墳丘墓の急速な巨大化・高塚化から窺知できる。換言すれば、高塚化の加速した地域には急速な脱弥生の社会構造変動が起こっている。
 先駆的な具体例としては、寒冷期に向かう不安定な気候が卓越する時期、吉備中南部で体系的な用水施設を備えた大規模な水田開発が、高塚化された大規模で入念な埋葬に見る威信や地位を付託された特定の人々の析出と共時的に生起(松木2014)している。

 析出された特定者への威信付託の象徴として、モニュメントである墳丘墓に付帯するものとして、本源的に個人が身体に装着する物品に由来する威信財には親和性がある反面、個人所有に馴染まない楽器型青銅製祭器は前途を分かつたものと推察される。
 後期に入って既に退潮となっていた大型の武器型及び楽器型青銅器祭祀は、より広範な地域統合を象徴する社会的ニーズの高まりから、その役割をより可視性の高い高塚墳丘墓によって代襲され、その社会的使命が終焉に向かう。

 やがて地域間統合の阻害要因となりうる祭器の性格の差異を捨象する必要から、武器型の持つ金属光沢属性を鏡面に、楽器型の鋳造文様の造形的属性を鏡背に統合して引き継がれ、古墳祭祀の付帯要素に落着(吉田2014)した。
 分節化した統合性の象徴として、小型で可搬性のある銅鏃のみが儀器化して古墳時代に引き継がれる。
(本項 続く)

9◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:22:30.38
(承前)
◆6−2
 方形周溝墓は主に親族集団墓として近畿・東海を中心に分布し、円形周溝墓は析出層の墓制として岡山に分布したが、その境界である南播磨で両者が共存した。
この延長上に、円形墳丘墓は弥生後期に摂津・播磨から阿讃播・摂河泉・丹波南部・大和山城、近江へと展開し、後期後葉には周溝陸橋部から変化した突出部付き円形墳丘墓として環大阪湾地域及び大和盆地にほぼ同時展開し、これが大和で巨大化の加速する前方後円形墳丘墓に繋がる。
 二つの文化の共存した播磨で前方後円型墳丘墓と方形周溝墓の間の階層性が発生し、これが前方後円型墳丘墓巨大化の要因となって拡散した可能性がある。
辺縁部で派生した葬制の変化が、畿内社会内部にも進行していた階層化を承ける形で中心部へとフィードバックされたのである。

 この墓制の成立過程には、庄内式土器が制作技法、焼成方法ともに在地以外からの影響を受け技法の一部を取り入れて新たな型式を創出していること(長友2006)とも共通した特質がある。

 高塚化の進行から窺知される社会構造変化は各地域で概そ銅鐸祭祀の終焉と期を一にしていることが知られているが、こと畿内とくに大和に関しては例外的に、銅鐸祭祀の縮小と高塚の発生(モニュメント社会の到来)に大きな時間差がある。
むしろ高塚化に代えて第V様式が広範囲に斉一性を発揮しているように見えるのが畿内の特異性であり、世俗権力的な核の見出しにくい弥生後期畿内社会の特質の解明が待たれる。

 巨視的観点からは、弥生石棒文化圏から銅鐸分布圏そして畿内第V様式と、令制畿内の前身が連綿として環大阪湾域を核とした東瀬戸内囲繞エリアを形成している。

 ここで夙に指摘される畿内弥生社会の均質性の中から急激に巨大前方後円墳にみる権力集中が湧起したことは、近代のポピュリズムにも通じるものがある。権力の一局集中と公共性、一者が突出・隔絶することと他者が均質であることは、対立的に見えてその実良く整合が取れるのである。
 一方、九州で高塚化が起こらなかったのは、その先進性が災いして中間階層が富裕で有力な社会構造であった為に、突出した権力の発生に対して掣肘が大きく働き停滞的であった所以であると考えられる。

 この寒冷化が過ぎると、次の古墳寒冷期が開始するまでの間、砂丘上には再びクロスナ層の形成が始まり、集落も再生する。宗教的権威が政治力を行使できた背景には、このような一時的温暖化による社会不安の沈静化という現実があり、気候変動が祭祀者の存在感を強調する意味で予定調和的に働いた可能性がある。
 このクロスナ層中の遺物に共伴するのが庄内併行期の土器である。

10◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:23:05.30
◆7(北部九州における人の移動と政治的動向)
 3世紀初頭から約半世紀の時間幅が庄内併行期と呼ばれ、卑弥呼の活動期間が稍前倒し的にこれと概ね重なる。
 北部九州で出土する楽浪土器は庄内併行期をピークに激減、土師器 IIB(布留0新相〜布留I古相)期には確認例がない(久住2007)ことが知られている。
これは停滞期(高久楽浪IV期)を脱した楽浪が再興期(同楽浪V期)に活発な対外活動を展開したのち急速に衰退する、という趨勢がリアルタイムに反映している。(FA43参照)
 つまり旧二郡域との交渉はIIA期(布留0古相併行)の中でほぼ終了していたものとみられ、ピークとなる庄内期の中に魏と定期的交渉を持った西暦240〜248年が位置すると考えられる。

 庄内併行期は、先行する弥生V期に引き続き畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入している時期であり、ことにその最終時期である布留0期に級数的に進展する。この流入は人的移動を伴うものと考えられており、博多湾岸に広がり、河川に沿って内陸に浸透する。

 上位の墳墓に畿内系土器が供献される事例が増え、3世紀前半のうちに博多那ノ津地域の政治中枢が弥生時代以来の春日地域から畿内系色濃厚な比恵・那珂地域へ移ることからも、その浸透状況の性格が覗われる。
 逆に、最後まで在地系の独自性を維持するのが糸島地域で、その畿内系土器の受容に極めて消極的な姿勢は、ヤマト王権への接近傾向が顕著な博多とは対蹠的と言える。
 外港である今津湾、加布里湾双方に畿内系の往来が見られるにも拘らず中心部が在来系一色で、極めて僅かの供献土器が祭祀遺構とされる一角で発見されるのみ、という状況は、あたかも包囲的閉塞の中で辛うじて政治的独立を保証されているようにさえ映る。

 1つに、前方後円墳の浸透状況(外港:泊地区に久住IIB期、中心街:塚廻に同IIC期)がその後の伊都国の終焉過程を表象していること
 2つに、強権的色彩を帯びた一大率が人口の少ない伊都国に治を置いて検察業務を執行していると記す史料
 これらを突合すると、対外交易の主導権を喪失した後の伊都国の姿が窺知できよう。

 北部九州の土器編年で言えば卑弥呼の人生の大半を占める時期の相当する久住IA・IB期、博多は対外交易について最大級の中心地である。そのころ、博多は畿内人の流入を含む深い人的交流があり、生活様式から祖先祭祀の形態まで、その影響を受けている。

 その影響を受けた在来系と影響を与えた外来系が共存・集住している集団と、外来系に対して閉鎖的な在地集団の間に、前者を上位とする集団間の階層差も指摘(溝口1988)されている。
 糸島三雲番上地区に一定数の楽浪人居住が確実視されていることも鑑みれば、倭が中国と国交を再開した3世紀中葉において、中国は必ず博多の情報を入手していると見做してよい。
従って、中国魏王朝は畿内にあった倭人社会最大の政権を知っていると考えるべきである。土師器IB期が魏王朝と国交のあった時期に相当することは諸説の一致するところである。

 この時期に、奴国の中枢域に比定される那珂比恵地域の土器相が畿内ヤマトの「飛び地」的展開に向かっている現実は、邪馬台国九州説にとって絶望的である。

11◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:23:45.08
◆8(結語)
 日本列島の対外交渉は、古くは勒島貿易、ついで原ノ辻貿易、そして博多湾貿易と移行する。
 原ノ辻貿易の直接主体が壱岐のオウであり、そこに最も影響力を持っていたのが前原三雲の王であることが有名である。
 原ノ辻が活気を失い博多湾が対外交渉の主役に躍り出るのが、庄内併行期である。

 その転換の最終段階には、大和や播磨から移住してきた人々やその二世世代が圧倒的シェアを占める港湾都市で西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易を展開する時代となる
 前原三雲の王は静かに表舞台から退場していく。

 博多湾貿易の時代全体を通じて、那珂川地域ー足守川流域ー纒向は国内流通の大動脈を支えるトロイカとして機能し、その消長も時期的に一致する。
これが倭人伝記載の三大国(奴・投馬・邪馬台)アライアンスであり、博多湾貿易を基軸とする倭国の政体であり、金海貿易へ移行するまで存続したと考えられる。

 遡って、第二次高地性集落は弥生後期になると低丘陵上で一部の一般生活集落が防衛的要素を帯びた形態をとる。
 この現象は、寒冷化現象に起因すると思われる社会変動の存在や、同じく寒冷化に起因する中国の政情不安による威信財輸入途絶という政治的要素を綜合的に判断すると、文献資料上にある「倭国乱」にほかならない。
 この時期に高地性集落が中九州から東海、北陸にまで展開するという事実は、「倭国乱」が日本列島中西部を広範に巻き込んだ社会現象であることを物語る。

 土器拡散にみる遠隔地交流の活性化と併せ見れば、2世紀末〜3世紀の状況証拠は、すべて初期ヤマト政権と新生倭国の誕生を指し示しているのである。
副葬習慣をほとんど受容しない地域であった畿内(佐原1970)の豹変的社会構造変化は、全国区的政権誕生に向かう胎動にほかならない。
 そして絶域であった日本列島が中華社会と二国間の国交を再開したとき、この外的刺激で最も変化の生じた地域こそが当時の倭国の中枢である。

 倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
以上の根拠により、それは桜井市纒向以外にありえない。

12◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:24:20.01
◆9 参考 (URL)
●ネット上でも見られる、畿内説を取る代表的な学者のひとり
 寺澤薫が一般向きに書いた論説
纒向学研究 第1号(PDF)http://www.makimukugaku.jp/pdf/kiyou-1.pdf
纒向学研究 第4号(PDF)http://www.makimukugaku.jp/pdf/kiyou-4.pdf

◆ 参考(市販書籍)
●文献ベースの入門的論説
西本昌弘「邪馬台国位置論争の学史的総括」日本書紀研究17所収
仁藤 敦史「倭国の成立と東アジア」岩波講座日本歴史1所収
●コンパクトで包括的な概説書
洋泉社編集部編「古代史研究の最前線 邪馬台国」
●東アジアの考古学へと視野を広げた解説書
東潮「邪馬台国の考古学」


◆10 実年代目安の参考
(現時点で高等学校日本史教科書などに採用されている年代観と概ね同等の、最も広く通用しているもの)

○弥生時代後期
  1世紀第1・2四半期〜2世紀第3四半期中頃
○庄内式期(庄内0〜3)
  2世紀第3四半期中頃〜3世紀中頃 
○古墳時代前期前半(布留0〜1)
  3世紀中頃〜4世紀第1四半期
○古墳時代前期後半(布留2〜3中・新段階)
  4世紀第2四半期前半〜4世紀第3四半期
○古墳時代中期前半(布留3の一部、TG232〜TK216)
  4世紀第4四半期〜5世紀中頃
   (古代学研究会 森岡、三好、田中2016による)

※箸中山古墳は布留0古相に該当(寺澤2002)
※本文◆7の「3世紀初頭から約半世紀の時間幅が庄内併行期」は
 庄内0を庄内式直前として弥生後期に分類する考え方で、実年代観は同一である。
 同様に、布留0を庄内に分類する考え方も実年代観に違いがない。
 庄内併行期を弥生時代と呼ぶか古墳時代と呼ぶかが実年代観の相違でないことと同じ。
※北部九州編年(久住)との並行関係(久住2002,2006,2010)
 IA期ー 大和庄内0〜1 ー 河内庄内I〜II
 IB期ー 大和庄内2〜3 ー 河内庄内II 〜III  ●纒向矢塚、矢藤治山、ホケノ山                  
  IIA期ー 布留0古相 ー 河内庄内III    ●箸墓、権現山51号
  IIB期ー 布留0新相〜布留1古 ー河内庄内IV〜V  ●西殿、黒塚、桜井茶臼山、
                           浦間茶臼山、西求女塚
  IIC期ー 布留1中相〜布留1新 ー河内庄内IV〜布留I●椿井大塚山、神原神社、
                           メスリ山、行灯山、祇園山

13◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:24:56.17
◆11
◆FAQ 1
Q:倭人伝には九州のことばかり書いてあるではないか!

A:九州は倭国の一部なので問題ない。
 郡使は伊都国で常に駐するので、九州のことがよく観察されているのは当然のこと。
 逆に、伊都国の属する博多湾岸地域に見られない風俗や産物(灼骨卜占や丹井)が記されている事実は、倭国の地域的広がりを推定するうえで重要な情報であり、就中、倭国の都が博多湾岸地域には無いことを物語る。
壹岐一国では観察されたが首都で観察しても見出せなかった風俗を、倭国全般の風俗と記録することは、合理的行動でないからである。
 畿内は朱の生産地を擁しており、これは3世紀の九州に見られないものである。水銀朱精練遺構は三重の丹生の天白遺跡や森添遺跡、宇陀の丹生河上が縄文、唐古鍵・清水風が弥生中期で宮古北が布留0と、古くから利用されている鉱床所在地近辺に点在する。
 水銀朱採掘遺跡そのものは未発見であるが、丹後赤坂今井墳丘墓(弥生終末)出土の水銀朱が明らかに丹生鉱山産朱の特徴を示し(南ら2008)、ホケノ山の水銀朱はMn,Feの含有量に於て大和水銀鉱山と同じ特異性(南ら2001)を示す。
桜井茶臼山(3世紀第3四半期末〜第4四半期)出土の水銀朱が大和産であることは水銀、硫黄及び鉛同位体比分析によって判明済み(南ら2013) である。これらの状況から、3世紀の宇陀や丹生に丹山が有ったことは確実視される。

 北部九州の古墳出現期には、津古生掛古墳など畿内と関連の深い一部の限られた墳墓より畿内産の水銀朱が発見され(河野ら2013)ている。被葬者でなく埋葬施設に施朱するのは九州では殆ど見られない儀礼(志賀・谷口2012)であり、東方からの影響と考えられる。
 また、纒向遺跡から出土した卜骨も倭人伝の記事と合致する。(FAQ51参照)
 倭人伝に糸魚川産の硬玉ヒスイが登場していることにも疑義の余地はなく、当時の中国人が認識する倭国の範囲は日本列島規模である。

◆FAQ 2
Q:水行とは河川を行くことだ!
  魏使は九州を出ていないではないか!

A:海を行くときも「水行」と記載された実例があるので不成立。
「水行」と書かれているが川であるか海であるか判明しないケースを、川と判断する理由は無い。逆に、明確に河川を移動しているケースで陳寿が「水行」という語彙を使った例は無い。
(例)「泝流」が6回
   「泝(+固有名詞川名)が7回
 倭人の地が大陸ならぬ大海中の島嶼上に所在することは予め明示されている。
 倭人伝における「水行」の初出が「循海岸」と副詞的に形容されている以上、以降の日本国内の河川上移動には明らかに過大な10日や20日に及ぶ「水行」を「循海岸水行」の省略形であると見做すことには合理性がある。
 以上の根拠を以て、倭人伝における「水行」は全て「循海岸水行」と推認する。

14◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:25:30.54
◆FAQ 3−1
Q:行程論から言って、畿内説は無理ではないのか!

A:倭人伝の記す行程を記載通りに辿れば、沖縄本島付近の南海上(◆FAQ40参照)となる。史料にいかなる解釈を施して上記以外の比定地を求めても、それはテキストの改竄もしくは粉飾に他ならない。
 「當在」という語法からは、筆者が道里から倭人の国を会稽東冶(現・福州市近郊)程に南方であると具体的に推計し、倭人の南方的風俗との整合性確認を意図したことが明らかである。(関連:◆FAQ 40)
故に、「自郡至女王國」の「萬二千餘里」は倭人の国が会稽東冶ほどに南方であると言う筆者の認識を端的に示している。

 以上から、倭人伝の里数及び「南」という方位倶に致命的な誤りを含むこと、並びに筆者が1里=1,800尺を用いていること、の二点に疑問の余地がない。(註※)
実際の倭人の国々の存する倭地は会稽山陰はおろか魏都許昌に遠からず、宛城ほども南方でなく、纒向に至っては洛陽とほぼ同じ北緯である。
 三海峡渡海は概ねの定点を得ることが可能なので、測距に錯誤があることが明らか(◆FAQ19参照)である。加えて、九州本島最南端は会稽山陰より猶ほ北方である。
また、現実の1/5ほどの架空の1里を想定するならば、楽浪を「雒陽東北五千里」とする地理感に照らすと倭地は洛陽の猶ほ北であり、倭人伝記事と全く整合しない。

 筆者の認識した万二千余里の数字、及び「南至邪馬壹國」の方位「南」。この双方に錯誤を認めない限り、「當在會稽東治(当作「冶」)之東」と記述されることは有り得ない。また、机上の計算であるから、東冶の「東」の方位に誤差はあり得ない。
加えて、道里を記述した本人が推計した位置が会稽山陰以南であることは、一部現代人の想定する異常に短小な里単位の不存在を立証するものである。

 実際の地理上3海峡の間隔が等距離でないことはもとより、倭人伝所載のとおりの行程を辿ったのでは、伊都国であることが確実視される糸島三雲にも、奴国たるべき博多・比恵那珂エリアにも到達できないことは自明である。
 このように、行程記事は方位・距離ともに著しい誤情報を含み実用に耐えないので、所在地比定には採用しない。検証にのみ用いる(関連:◆FAQ8,17,18,19,20,58も参照)
(本項 続く)

15◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:26:00.95
(承前)
◆FAQ3−2
※検証 古代中国の地理感覚(続漢書地理志注記による)
 遼東郡:雒陽東北三千六百里 楽浪郡:雒陽東北五千里
 予章郡:雒陽南二千七百里  南海郡:雒陽南七千一百里
 蒼梧郡:雒陽南六千四百一十里(刺史治廣信は「漢官」に拠れば去雒陽九千里)
 交趾郡:雒陽南萬一千里
 (雒の用字より漢代原史料に基づくものと推定)

 倭人伝云う所の12,000余里うち韓が方可4,000里であるから、南方向成分は9,000里程度となろう。楽浪が東北5,000里より南方向成分を概略3,000里程度と見積もると、
楽浪から、山陰よりも稍や南に所在する予章まで南北で6,000里以下、広東まで10,000里程度とイメージできる。ヴェトナム北部ハノイ付近は洛陽の南11,000里と認識されており、倭人の地域はこれほど南ではない。
 以上、上記約9,000里は帯方〜現・福州市間の南北距離として矛盾がない。
筆者が倭人の風俗を会稽ならびに朱崖と比較していることとも整合する。

 また、12,000余里うち南方向成分が9,000里程度となると方位は著しく南南東に偏し、倭人伝冒頭に掲げる「帯方東南」との齟齬が大である。このことも「南水行」の方位に錯誤を認むべき根拠となろう。

16◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:26:32.58
◆FAQ 4
Q:纒向遺跡は、七万戸だという邪馬台国には小さすぎる!

A:誰も、纒向遺跡=邪馬台国だなどと、主張はしていない。
 纒向遺跡は、巫女王の居た王都であり、国ではない。
 また、「邪馬台国は大和国」と言う表現を用いる諸説も、多くは邪馬臺の語源(音写元)についての言及であって、領域としての令制大和国という定義を主張していない。

 畿内説においては、邪馬臺を大和朝廷の王畿とした内藤湖南の見解(内藤1910)以来大きなブレは無いものの、令制国の疆埸と3世紀とでは時間差による異同が無視できない。
よって、邪馬台国の厳密な範囲については材料不足であるものの、令制五畿の概念に代えて、考古学的観点から概ね2世紀末葉時点の近畿第V様式分布域を想定する。
 また、邪馬台国と女王国を=でなく⊂で考えた場合、纒向遺跡に搬入量の多い中勢雲出川流域等をはじめとする畿内周縁部もまた、女王国に含まれる可能性を考慮する必要もある。
 中勢地域が纏向と結びつく原因としては、東海航路の地政的意義に加え、この地域が宇田と並び古くから知られる水銀鉱床に富むことも認識する必要がある。

◆FAQ 5
Q:方位を間違っていたなら海峡を渡れず遭難する!

A:1719年に朝鮮通信使の一行として来日した申維翰は、対馬で南下しているのに東へ向かっていると誤認した。さらに対馬は東西に長い島(東西約三百里,南北はその1/3)と著書『海游録』に記す。(「東西可三百里、南北三之一分」)
 佐須浦(現・対馬市上県町佐須奈)は対馬の北西端、府中(現・厳原)はそこから東(実際は南)二百六十里と書く。
(「自此西距釜山四百八十里、東至島主府中二百六十里」)

 小船越では、実際昇る朝日を見ているのに、依然東に進んでいると考えており、彼の地理勘はちょうど90度狂っている。
 対馬から見て釜山を西、大阪京都を北、長崎を東と認識している。
 ところが、対馬からの京都大阪の方位について大きく錯誤しているにも拘わらず、江戸は京都の東千三百里と正しく把握している。

 むろん遭難などせず、ちゃんと日韓を往復している。
 このように、使者が方位を誤認していても安全に往還可能であることの証明が存在するとともに、誤情報の竄入によって全体の整合性は易々と喪失することが明らかである。


◆FAQ 6
Q:畿内説では、卑弥呼は記紀の誰なんだ?

A:記紀の王統譜をそのまま史実と見做さないため、卑弥呼を記紀の誰かにそのまま当て嵌めない。近年の歴史学のあり方に沿った考え方と認識している。

17◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:27:10.18
◆FAQ 7
Q:纒向から九州の土器が出ないではないか!
  纒向は九州邪馬台国と交流のない別の国だろう?

A:そのような事実はなく、当然交流があった。
 畿内第V様式、庄内式、布留式みな時系列に沿って北部九州から出る(本文◆7参照)し、纒向においても筑紫で製作された庄内甕(久住2006)が出る。畿内と北部九州を結ぶ海路の重要拠点からも畿内系・吉備系の土器が発見される。(◆FAQ31参照)
 このことは、往来していたのが畿内系・瀬戸内系の人間だったことを示し、畿内と北部九州の片務的関係を示唆する。かつ畿内系が社会的に上位である。(◆7参照)


◆FAQ 8
Q:「女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種」
  と倭人伝にある。畿内説は南を東に読み替えるから、これは北だな?

A:読み替えない。
 行程論とは別の方法で纒向を倭国の都と特定した結果「南至邪馬壹國」の南は「東」の誤りと判明した。つまり、行程論で邪馬台国の位置を比定しようとする九州説の多くとは論理の向きが逆の方法論である。
 これは他の箇所をも読み替えるという主張ではない。
 古くは伊豆七島神津島産の黒曜石が三重県まで流通している。考古的遺物の分布からも、古来百船の渡会たる伊勢より三遠駿さらに南関東に至る海上交通路の存在が明らかであり「女王國東渡海千餘里」の情報源として注目される。


◆FAQ 9
Q:狗奴国はどこだ?
  女王を共立したのが西日本を覆うような広域だとしたら
  女王に属さず逆に脅かす程の勢力、狗奴国とは何者か?

A:S字甕第1次拡散域ならびに多孔銅鏃分布域が中部から北陸、関東に及ぶ広域に存在した。有力な候補である。庄内〜布留0期には関東北西部に展開しており、狗奴国の語源を毛野に求める見解も根強い。
 これを踏まえ、纏向の政治集団が中勢・渥美半島経由で東海航路に進出するのに対し、東山道を掌握して東方進出する政治集団との間に生じた角逐を反映した文字情報とみる見解にも説得力がある。
 中九州を中心とした免田式分布域も面積的には狭いが、倭国の対外交渉を阻害する可能性という側面での危険性を考慮すれば対抗勢力として評価できる。
 倭女王卑弥呼は二郡の対韓戦役に協力した形跡がなく、その言い訳に狗奴国の脅威が過度に強調された可能性もある。
 いづれにせよ領邦国家が成立している史的発展段階にはなく、当時の「国」は複数の政治的地域集団が点と線で結ばれ彊埸が不分明であったと考えられることは念頭におく必要がある。
 王名の卑弥弓呼を称号と理解する限りでは倭国と同一文化圏に属するものと解せるので、卑弥呼の共立に対して不服な分派という解釈もあり得よう。

18◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:27:45.81
◆FAQ 10
Q:箸墓は宮内庁管理の陵墓で発掘できない筈だ!
  年代が判るという考古学者はおかしいではないか!

A:箸墓(箸中山古墳)墳頂で採取された土器相は宮内庁書陵部から報告書が出ており、その成果が弥生後期後葉から連続する時間軸上での指標となっている。
 陵墓指定から外れた墳丘裾、渡り堤、周濠は発掘され、県の機関から正式の報告書が出ている。

 封土を築いた土取り穴底で発見された土器等が工事開始直後周濠最底部に埋没した土器であって完成直後の時点を示すと判断され、布留0古相の範囲内で築造され完成したと判定されている。
 しかしながら封土以前には地山切り出し工事があるため、着工がさらに若干遡る可能性も否定できない。


◆FAQ 11
Q:倭人伝の国は律令下の郡ほどの規模だろう!
  それらの国が30国程度なら、筑前・筑後・肥前三国程度の規模にならないか?

A:倭人伝の記述からは、5千戸未満の小国と、万単位の大国に二極分化している状況が見て取れる。
・前者が、自然国境等に阻まれて規模的に弥生拠点集落の域を脱していない「クニ」
・後者が、河川流域や平野等の単位の大きな纏まりへと進化した、新しい時代の「国」
とみられる。
 後者に属する奴国の位置は、博多湾岸地域最大である福岡平野に求めることが妥当である。彊埸には筑前型庄内甕の波及範囲を想定することが出来よう。
 使訳通じる30国のうち両者の構成比は不明だが、すべてを郡単位と見做すのは不合理である。

19◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:28:20.31
◆FAQ 12
Q:倭人伝には「兵用矛」と明記されている!
  畿内説は倭人伝と合わないのではないか?

A:矛という考古学用語は古代中国人の認識とは異なる。よって判断材料とならない。
 福岡県においても、3世紀前半と確認できる鉄矛はひとつも出土しておらず、条件は同じである。
 弥生時代に導入された銅矛は、儀器化する一方で実用武器として一部が鉄器化したが、殆ど普及しないまま弥生中期で概ね消滅した 。
 以降、古墳時代に入って、騎兵の突撃を迎え撃つための三角錘型の穂先を持つ突刺武器=矛が盛行するまでほぼ途絶した理由は、
実用武器として堅牢性の要求水準が袋状鉄斧等より高く、鋳造品である銅矛と同等の袋穂構造を鉄の鍛造品で作ることが経済合理性の上で鉄槍に劣後したためと考えられる。

 当時の槍は中世以降のものと容貌を著しく異にしていて、剣状の穂先を4つの杷木で挟んで糸で巻き黒漆で塗りかためて固定しており、使用法も形状も矛の後継品であったと思われる 。

 3世紀に属する鉄鉾の発見例では西求女塚があり、鉄槍や絹織物等の遺物と共に発掘された。

 倭人伝に描写された3世紀前半は矛の副葬が盛行した嶺南地方と対蹠的に、本邦で信頼に足る鉄矛の出土例が見られない時期であり、当時の倭人社会で使用されている長柄武器は、現代語で言う槍である。
 倭人伝にいう実用武器の「矛」の実体は、倭人伝原資料の報告者が目撃したところの倭人の武具、乃ち今日の考古学者が槍と呼ぶ遺物である可能性が最右翼といえるだろう。
 当時の中国で「槍」という文字は長柄武器を指すものではないので、現代人の言う3世紀当時の槍を実見した中国人がこれを表記した可能性のある語彙が他に見当たらず、自分たちの社会で最も類似した道具の名前で呼んだとして何ら不思議は無いからである。

 なお、「日本考古学の習慣で柄に茎を入れるものをヤリ、袋部に柄を差し込むものをホコといっているが、これは現代考古学の便宜上の区別に過ぎない」(「弥生から古墳前期の戦いと武器」日本の古代6)ともいう。
記紀においてもヤリとホコの区別が無いことは、天日槍を知らぬ者を除き常識である。
 加えて
「『兵用矛楯木弓。竹箭或骨鏃。』とあるは、大要漢書地理志の儋耳朱崖の記事を襲用せり。此等は魏人の想像を雜へて古書の記せる所に附會せるより推すに、親見聞より出でしにあらざること明らかなり。」(内藤1910)
 の指摘は今日も有効である。

20◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:28:55.77
◆FAQ 13
Q:倭人の墓は「有棺無槨」と明記されている!
  古墳に槨のある畿内は倭人の国ではない!

A:槨という現代日本の考古学用語は、古代中国人の語彙である槨(本来の槨)とは異なる概念である。よって否定材料にならない。

呂覧に「題湊之室棺槨数襲、積石積炭以環其外」と見える如く、古代中国人の耳目には竪穴式石室の側壁或いは現代考古学に言う礫槨・木炭槨の類は室外を環る地中構造物と認識される。そして棺槨は室内に重ねられるのである。
石を槨の表、黄腸を裏とする鄭玄註は、題湊が木槨壁面に接合する時期を経た塼室墓時代の意識として整合性がある。

 現代語「槨」が古代中国のそれとかけ離れていることは粘土槨や礫槨など古代中国にない呼称を用いていることでも明白であり、考古学者の間でも批判的意見のあるところである。(斎藤忠ら)
 古墳の竪穴式石室もまた古代中国人の云う槨の概念とかけ離れた形状・構造であり、両漢魏晋人に槨と認識される可能性は無きに等しい。

 現代日本考古学上で木槨墓と呼ばれている埋葬用地下構築物は、弥生時代以降主に北部九州を中心に分布しており、時期的にみて韓地経由の楽浪木槨墓の文化的波及・間接的影響ではあるものの、ホケノ山例を含め原形とは似ても似つかぬ形状である。
就中、ホケノ山は床板が無く、石室構築のための仮設の板壁を石室完成後に撤去した木蓋石室墓とする復元案(真鍋2018)も有之、古代中国人が認識する木槨とは程遠い。
これを槨と称するならば、北部九州に多い箱式石棺も歴然と槨である。

 畿内で一般的な墓は木棺直葬の方形周溝墓で「有棺無槨」に適合している。


◆FAQ 14
Q:畿内の政権が、本国を遠く離れた九州伊都国に諸国が畏憚するような強制力を持つ機関を置くことは困難なのではないか?

A:北部九州最大勢力の奴国域内に畿内系住民が多数おり、奴国と畿内は密接な協調関係にあったと合理的に推定できる。この人的資源を背景として、伊都国の外港を管掌する位置にヤマト王権が強権的な監察者を置くことは十分に可能であったと思われる。

 伊都国の王都域とされる三雲遺跡から今津湾に注ぐ瑞梅寺川の河口付近には、博多在住の畿内系住民が往来したとみられる特殊な拠点がある。
 糸島は壱岐と強いパイプを有していたことから、弥生中・後期にあって対外貿易の利を独占的に享受していた経緯が、遺物から窺知される。北部九州にあっても威信財の配布に於いて明らかに格差のある扱いを受けてきた辺縁部の首長にとって、対外貿易当事者の利権独占を制約する強権的な監視者の存在は有益である。
 このような状況下で、畿出自の流官が北部九州において、諸国が畏憚するような強制力を持つ機関を主導することには、これといった困難が認められない。

21◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:29:37.78
◆FAQ 15
Q:鉄器の乏しい畿内の政権が覇権を握るのは無理だ!

A:倭人伝の描かれた卑弥呼の政権は覇権的でない。
 宗教的権威者を核に、各地の首長が自主的姿勢で政治力を求心的に集約(共立)したものであり、考古学が解明した3世紀の状況とよく整合する。

 一方、伐採用石斧の減少状況から鉄器の普及状態を推測すると、九州と畿内でも極端な格差が無い。準構造船(久宝寺南:庄内新)をはじめとする木製品の加工痕からみても、一定量の鉄器が普及していたと思われる。
 遺存例には大竹西遺跡の鉄剣(弥生後期初頭)や唐古鍵40次調査の板状鉄斧、痕跡では加美遺跡Y1号周溝墓の鉄斧による伐採痕や唐古鍵SD-C107鉄斧柄、纒向遺跡メクリ地区の大型鉄器を研磨したと推定されている大量の砥石(3世紀前半〜中頃)など。
 鍛冶を伴う遺構は纒向石塚の北東200m近辺出土の鞴羽口や鉄滓等(3世紀後半)、淀川・桂川圏で中臣遺跡(京都山科,弥生後〜古墳初)、西京極遺跡(京都市内,弥生後前)、和泉式部町遺跡(右京区,弥生後〜古墳初)、
南条遺跡(向日市,弥生後前)、小曽部芝谷遺跡(高槻,弥生後)、美濃山廃寺下層遺跡(八幡,弥生後後)、星ヶ丘遺跡(枚方,弥生後後)、鷹塚山遺跡(枚方,弥生後後)、木津川圏で田辺天神山遺跡(京田辺,弥生後〜古墳初)など。

 纒向での鉄利用状況については、大型建物D隣の大型祭祀土壙SK-3001より出土したヒノキ材(庄内3)の分析で、その加工痕及び周辺で植生上少ないヒノキの多用という状況から
「集落を包括した工人専業集団の発達がなされ、鉄器が一般使用または使用できる集落」(金原 2011)
 と結論されている。

 弥生終末期(庄内新相)の畿内中枢に於て遺物が直接土壌と接触しにくい墓制が普及し始めると同時に俄かに豊富な鉄器が登場するという状況を鑑みると、畿内の土壌の特性が鉄器の遺存状態に大きく影響していたことには疑問の余地が無い。


◆FAQ 16
Q:記紀には卑弥呼に当たる人物が登場しない!
  九州の邪馬台国と大和朝廷が無関係だからだろう!

A:3世紀の史実を、8世紀に書かれた記紀が逐一忠実に反映しているとは期待すべきでない。
ことに、記紀の成立した当時の国是は治天下天皇が外国に朝貢した歴史を容認しない。

22◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:30:15.49
◆FAQ 17
Q:三国志の東夷の部分は短里で書かれていたのだ!

A:同一書の中で説明もなく、同名の別単位系を混用するのは不合理である。
 また、倭人伝の里程を現実の地理と突合した有意な規則性は。未だ提示されてない。
 よって短里という単位系を帰納することは不可能であり、短里は存在しないと言える。
 このことは白鳥庫吉(1910)以来縷々指摘されているが、有効な反論がない。


◆FAQ 18
Q:3世紀の科学では、目視出来ない長距離の直線距離も天測によって求めることが出来た筈だ!

A:いかなる史料上にも、3世紀に其のような測定実施の記録がない。
 万が一にも其のような測定が有ったなら、倭人の国々が魏の許都から遠からぬ程度の南方に過ぎないことが明らかになるので、倭人伝の記事と齟齬する。
 したがって測定は存在しない。

 また、魏代の三角測量技術を示す当時の史料上では1里=1800尺であることが明瞭であり(『海島算経』劉徽,A.D.263)、多数出土している尺の現物と突合すれば、異常に短い架空の里単位系が実在しないこと、これ明らかである。
西漢代には淮南子(淮南王劉安B.C.179〜122)に「一里積萬八千寸」とあり、漢書食貨志の「六尺為歩」と整合する。
西漢末成立と考えられる周髀算經においても
 「即平地径二十一歩.周六十三歩.令其平矩以水正
  則位径一百二十一尺七寸五分.因而三之.為三百六十五尺四分尺之一」
とあり、1里=1800尺が維持されている。

23◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:30:59.35
◆FAQ 19
Q:釜山〜対馬あるいは対馬〜壱岐の距離は、信頼できる基準ではないか!
  これに基づいた里程論で、邪馬台国は九州島内に求められる!

A:1〜2例から単位系を帰納すること自体が手法として非科学的であるというより、帰納の方法論に反する。ましてや、海上の距離のような測定困難な値から、古代の単位系を逆算することはナンセンスである。

 新しいものでは、1853年の『大日本海岸全圖』にまで釜山〜豊浦(対馬北岸)は48里と書かれている 。江戸時代の48里は約189kmであり、海保水路部距離表に基づく釜山〜佐須奈間は34海里(=63km)である。
 江戸時代に1里が約1,300mという「短里」があったであろうか? 否、間違った距離情報があっただけである 。
 まったく信頼性のない情報を用いて得た邪馬台国の比定地は、当然ながら信憑性が無い。

 逆に、郡使の「常所駐」と記される伊都国から奴国の距離「百里」を、有効数字一桁(50〜150里)の範囲で三雲遺跡から日向峠越えで博多南遺跡に到着するまでの実距離20km超と突合すると、正常な中国の単位系(1里=1800魏尺)で十分に解釈可能である。
魏人或いは楽浪人の実見した可能性が最も高い地域で現実性ある数値が得られていることは、空想上の単位系を前提とした邪馬台国論の空虚さを物語っていよう。


◆FAQ 20
Q:倭人伝の里程はすべて概ね実距離の1/5〜1/6
  これで説明が付く!

A:そのような整合性は認められない。
 考古学的知見から、帯方郡治は鳳山郡智塔里の唐土城、狗邪韓は金官伽耶に比定される
 対馬国邑は不確定ながら、一支国邑は原ノ辻、末盧は唐津市中原付近、伊都は糸島三雲、奴は那ノ津に求めることが出来る。(不弥は説得力ある比定の材料を欠くため、候補として宗像から遠賀地域を示唆するに留む)

 信頼に足る実測に基づく限り倭人伝記載の里程には有意な規則性が認められず、倭人伝の里程には多数の間違いが含まれることになる 。
 郡から九州本島に至るまでの距離は、ちょうど1万里になるように机上で創作ないし強引に調整されたものであると考える方に妥当性があろう。

 九州説の重鎮たる白鳥倉吉が、現実の地理と照合して里数に有意な規則性が見出せないことを以て里程に基づいた邪馬台国位置論の抛擲を提言(白鳥1910)してより、既に100年が経過したが、有効な反論は提起されていない。

24◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:31:32.32
◆FAQ 21
Q:箸墓の周濠から馬具が出土している!
  箸墓の築造は5世紀に近いとみるべきだ!

A:箸墓(箸中山古墳)の周濠が機能停止して埋没する過程で堆積した腐食土層より、廃棄された木製輪鐙が布留1式土器とともに発見されている。つまり周濠が機能して流水が通じていた時期にシルト層が堆積した時間幅に続いて腐食土の堆積した時間幅がある。
 箸中山古墳の築造を布留0古相の3世紀第3四半期、布留1を西暦300年前後±20年程度とする実年代観と矛盾しない。
 このような摩擦的な遺物の存在は、魏晋朝と纒向の初期ヤマト政権の交流による断片的な馬匹文化の流入と途絶を示すものとして合理的に理解される。

 中国本土では前漢代雲南省「シ眞」(テン)国出土(李家山59号墓)青銅製容器蓋装飾の騎馬像に鋳出された脚親指に装着する革鐙が報告(菅谷1994)されている。
郡県内では湖南省西晋墓(長沙金盆嶺第21号)の陶俑に描かれた片鐙(永寧2,西暦302年埋葬)が紀年の明かな最古発見例であるが、これと同時期或いは遡るとされる類似の発見例が数あり、中国の複数の調査者が木芯包革式鐙の存在を3世紀中葉まで遡ると考えている。
現物は西晋末〜東晋初(四世紀第1四半期末から第2四半期頃)の河南省・遼寧省出土例まで降る。

 湖南省西晋墓陶俑図 邪馬台国畿内説 Part528 	YouTube動画>1本 ->画像>62枚

 三国志には魯粛が下馬する際に孫権が鞍を支えた記述があり、鞍に装着された昇降用片鐙に体重が懸って鞍が傾くの防いだ状況が窺われる。
 西暦302年時点で騎馬に従事しない陶工が正確に描写できる程度に鐙が一般的存在であったと見ることが出来ることからも、4世紀初頭に日本列島で上図タイプ1の国産模倣品現物が出ることに不合理はない。

25◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:32:06.36
◆FAQ 22
Q:歴博がAMS法による土器付着炭化物のC14を測定、箸墓の築造年代を西暦240〜260年と発表した! これは信用ならない!
  同じ層位から出土した桃核が100年約新しい年代を示しており、こちらが信用出来る!
A:箸墓(箸中山古墳)で発掘された桃核のひとつが1σ西暦380〜550年という数値を示しているが、2σは西暦245〜620年である。
 もう一個が1σ西暦110〜245年であり、土器付着炭化物の数値群と整合性がある。
 つまり、桃核の測定値が系統的に新しい年代を示すとかいうのではない。

 考古学的常識を大きく逸脱した一個の異常値を盲信するのは非科学的である。
 炭化物の多孔性が持つ吸着力はコンタミネーションのリスクを伴うことも含め、統計的に信頼に足る量の測定例集積を待つべきである。

 逆に、矢塚古墳庄内3層位出土の桃核2つ(NRSK–C11及び12)並びに土器付着炭化物1つ(NRSK–6)は、揃って3世紀第2四半期前半をピークとする値を綺麗に示す。
邪馬台国畿内説 Part528 	YouTube動画>1本 ->画像>62枚
 これを、桃核なら信じられるという主張に則って庄内3の定点として信用した場合、後続する布留0古相を3世紀中葉とする歴博見解を強く裏付ける好材料となるであろう。
大型祭祀土壙SK-3001出土桃核他遺存体の測定結果もこれを強く裏付ける結果が出ている。(中村2018、近藤2018) 一部に土器付着炭化物の測定値が系統的に古い数値を示すという意見があるが、
そこで提示されている稲作到達以前の北海道の測定例は海産物由来のリザーバー効果で説明できる。一年草である米穀の吹き零れを測定した歴博例と同一視することはできない。

26◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:32:40.43
◆FAQ 23−1
Q:卑弥呼の冢は円墳なのだから箸墓ではありえない!

A:「径」は円形以外のものにも用いられる表現である(ex.典韋の斧の刃:魏書18)ので、円墳と特定する根拠はない。
(河南省南陽市出土『武器庫図』より斧 魏晋代) 邪馬台国畿内説 Part528 	YouTube動画>1本 ->画像>62枚
 また、築造過程で箸中山古墳は円丘と基壇部のみの前方部から成っていた時期がある。
 基壇部は水平方向から見ると隆起していない。
 よって、基壇部の築造企画が当初より前方後円型である事実は、方丘後付説を否定できる材料ではない。

箸中山古墳は以下の過程で築造されたと推定される。
1)地山周囲を馬蹄形に掘り込み基壇部と周堤、渡り堤等を削り出しで整形構築
2)基壇後円部上に円形に堤状の土塁構築 
3)その内側を埋めて円丘の段築を一段完成、2)から繰り返し円丘を完成させる。
※ この時点で、基壇前方部から円丘頂上に向けてスロープがある。
4)主体部を構築しスロープより棺を搬入し、墳丘上で葬送儀礼を行う。
5)前方部基壇上に盛土と方丘を構築して完成
以上の段階1〜4で方丘が存在していない。

 1)は基壇部や周濠の渡り堤が一体に地山から削り出されていることから
 2)3)は椿井大塚山の事例(中島;山城町教委1999)から
 スロープについてはアジア航測によるレーザー計測で「隆起斜道※」の存在が確認された。棺を搬入したスロープそのもの、乃至は墓壙に直結する作業用墓道を被覆して上陵儀典に墳頂に赴くため造成された通路である。
 隆起斜道は、箸中山古墳では第4段テラスに接合して実用性が認められるのに対し、時代が降るとともに形骸化している。
※隆起斜道 邪馬台国畿内説 Part528 	YouTube動画>1本 ->画像>62枚

 前方後円墳の発生過程を考慮すれば、円型周溝墓の周溝を全周させず陸橋部を切り欠き残したのが前方後円型墳丘墓の祖形であり、前方部は墳丘に至る通路に由来する祭壇部である。
前方部突端を殊更に高峻化することには、墓道を閉塞して結界を形成することで墳冢を完成させる象徴的意味を見出すことが出来よう。

 方丘築造が後出であるという判断は以下に拠る。
(本項 続く)

27◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:33:22.27
(承前)
◆FAQ 23−2

◯ 箸中山古墳の後円部と段築が接合しない(森岡2013立入)こと
◯ 箸中山古墳の円丘から降りてくるスロープ(隆起斜道)が墳丘くびれ部から前方部寄りの位置で、前方部盛土に遮られる形で消失し、墳裾に達しないこと
※ 初期古墳の墓壙構築は地鎮を含む数次の儀式を伴い入念に行われるのが通例で、更に棺の安置から埋葬は次期時期首長の即位儀礼そのものと直結すると考えられる。(西谷1964,春成1976)所用日数・参加人員共に少なくない。

◯ 同じ畿内中枢部の前期古墳である黒塚や椿井大塚山で、前方部と後円部で造成に用いた土質の相違が確認されており、一体施工でないこと
◯ 萱生の中山大塚では前方部と後円部で葺石の工法が異なり、且つくびれ部で後円部葺石が前方部盛土の下まで施工されており、築造に相応の時間差が想定されていること
◯ 工程上で後円部墳丘が先行する発掘調査確認事例が多数あること
 ・ 森将軍塚   :科野ー川西 I 期(矢島1985,86)
 ・ 前橋王山古墳 :上毛
 ・ 持塚二号墳  :上総
 ・ 高千穂七号墳 :上総
 ・ 山伏作一号墳 :上総
 ・ 長沖八号墳  :武蔵
 ・ 温井一五号墳 :能登
 ・ 見手山一号墳 :但馬
 ・ 西穂波16号墳 :東伯 
 ・ 上種西一四号墳:東伯 帆立貝式
 ・ 高鼻二号墳  :伯耆
 ・ 日拝塚古墳  :筑前
 ・ 神松寺御陵古墳:筑前(以上 植野1984)

◯ 河内大塚など築造中に中断放棄されたと考えられる古墳で前方部盛土欠如があること
◯ 箸中山古墳円丘上に吉備足守川流域の胎土で製作された特殊器台が、方丘上に在地産の二重口縁壺がそれぞれ配置され(書陵部2018)、墓上祭祀の実施時期乃至実施主体に相違がある可能性が高いこと等


◆FAQ 24
Q:黥面文身は九州の習俗で畿内には無いだろう!

A:黥面文身を九州説の根拠とすることは不可能である。
 黥面土器の分布から見て、弥生時代終末から庄内併行期にこの習俗が特に盛行したのは岡山県及び愛知県(設楽1989)であり、九州ではない。
 両地域と深い交流のあった纒向に黥面の人々がいたことは確実であろう。
 古墳時代の畿内にも、この習俗が濃厚に存在したことは埴輪から明らかである、

 このように、倭人伝の黥面文身記事は九州説にとって不利な記述である。

28◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:33:56.65
◆FAQ 25
Q:九州にあった倭国は大和の日本に取って代わられた! 旧唐書に明らかではないか!

A:7世紀或いはそれ以前の史実解明を、日本列島と国交のない10世紀の後晋で書かれた後代史料の新出情報のみに依拠するのは、学問的でない。

 旧唐書では倭・日本別国説と倭→日本改名説が両論併記され、中国側の認識の混乱を示す。以下の各項等により、別国説は、壬申乱に由来する訛伝等とみて毫も問題ない。
・唐代成立が明らかな史料が、みな倭=日本と認識している事実
・唐会要(倭=日本と認識)にて旧唐書における錯誤の発生過程が時系列的に把握可能
・突厥伝で同一国異政権を「別種」と表記している事例が確認可能
 
 後晋は僅か10年しか存続しなかった短命国家で、政変の頻発する中、旧唐書は編集責任者が転々とする過酷な環境のもとに編纂され、国家滅亡の直前に漸く完成をみた。
 このためか、倭と日本が同一国でありながら伝が重複する不体裁を呈すのみならず、他にも同一人物の伝が幾つも重複するなど、他の史書に例を見ない杜撰が発生している。


◆FAQ 26
Q:古墳時代にあっても前方後円墳の企画が一律に展開しているわけではない!
  ヤマトに統一政権があったなど幻想ではないのか!

A:日本列島における国家形成は弥生終末から急速に進展し、庄内期のうちにヤマトの王権を頂点とする萌芽期国家の紐帯が醸成されたとみられる。しかし、領邦国家の誕生は未だ遥か先である。
 統一政権という語彙に、律令時代をも凌駕する近代的な地域的政治集団をイメージするのは、明らかに間違いである。

 遠隔地同士の盟主的首長が、擬制的兄弟或いは親子的結縁で主に通商ルートに沿ってネットワークを構築し、網の目が列島の過半を覆った時点でも、それら点と線の合間には各個の盟主的首長には各地各個の敵対者もいるであろうし、中立的に距離を保つ者もいるのは当然である。

 さらには、このネットワークの構成要素たる個別的関係が、世代を超えない当代首長単独相対の不安定な関係であったと考えられる。
なぜなら、被葬者の遺伝的形質から推定される当時の親族構造から言って、血縁的相続関係が各地首長権の安定的継承を保証し得ていないからである。
 ゆえにこそ、首長権の継承を決定づける古墳の墳頂祭祀において、そのステージの造作や儀式の所作で、首長権の継承を保証する従属者の奉事根元声明(誄)とともに、上位者や盟友に関する外交関係の継続も宣言されたのであったと考えられる。
 古墳の定型化はこういった政治的諸関係の公示を含む組織化・規格化にほかなるまい。

29◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:34:31.13
◆FAQ 27
Q:ヤマトという地名が、奈良県に古くからあった固有のものという確証などあるまい!

A:ヤマト、カハチ、ヤマシロ、アフミなど、これら地理的特性を説明している地名は、古来のオリジナルと考えて支障えない。
 ことにヤマトとカハチは対概念であり、確実にセットでオリジナルの古地名と考えるべきである。


◆FAQ 28
Q:九州には平原1号墓や祇園山古墳などに殉葬の例があるが、畿内の古墳には無い!
  卑弥呼の墓があるのは九州だ!

A:平原1号墓、祇園山古墳ともに公式調査報告書は殉葬墓の存在を認めていない。
 また、殉葬の奴婢たちが卑弥呼冢域に埋葬されているとする文献的根拠は無い。

 参考事例であるが、始皇帝陵の陪葬坑はその多数が冢どころか陵園外にある。
 日本の古墳においても墓域の認識は要検討であり、ましてや垂仁紀のように殉死者の遺体が遺棄されるのであれば痕跡も発見困難である。

 墳丘本体での殉葬痕の有無を卑弥呼冢の判定基準にする考えには、合理性が無い。


◆FAQ 29
Q:魏への献上品に絹製品があるだろう! 弥生絹があるのは九州のみ!

A:献上品に含まれている高密度絹織物「縑」は弥生絹ではない。
 高密度絹織物は弥生時代の九州には存在せず、奈良県下池山古墳(布留1式古段階:3世紀末)が初出で、景初の遣使が献上した班布がこれと推定(布目1999)されている。
 九州の弥生絹は織り密度の低い粗製品で、弥生中期の発見例が多いが、弥生後期には衰退する。弥生末期はわずかな発見例のみで、品質的にも低く、織り密度も低下している。
 一方で、古墳時代の絹生産は伝統的な撚り糸を用いながらも、弥生九州と比較にならない高密度の織布を行っている点で、技術的系譜が不連続である。
 九州と畿内の絹生産は中国製青銅鏡の様相と酷似した推移を示していると言えよう。

「縑」に特徴的な、経糸と緯糸に併糸を加える技術で織られた大麻製織布が弥生中期の唐古鍵で発見されており、弥生時代における布の織り密度としては記録的に高い値を示す。(21・23次概報)
 正始四年に倭の献上した絳青縑は赤色部分をベニバナで染色された「縑」であり、当時の纒向遺跡でベニバナの栽培乃至染色作業があった状況(金原2013,2015)と一致する。
茜染を意味する「蒨絳」の語彙が別途使用され、単独の「絳」deep redはベニバナ染と解される。

 以上から、3世紀前半以前の畿内で絹織物製造の画期的技術変革があったと思われる。
 九州説にとって不利な条件と言える。

30◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:35:06.14
◆FAQ 30
Q:卑弥呼が死んだのは3世紀中葉と言っても3世紀前半のうちだ!
  箸墓の築造と時間差があるだろう!

A:正始8年は帯方の新太守が赴任した年であり、卑弥呼はその着任を知って郡に状況報告の遣使をしたと考えるのが妥当である。よって正始8(西暦247)年は卑弥呼没年ではなく、生存の最終確認年である。
 隔年の職貢が途絶したこの時から「及文帝作相、又数至」(晋書東夷倭人)とある景元4(263)年までを動乱期として捉えると、卑弥呼の没年は3世紀第3四半期の前半頃で、造墓開始がこれに続くものとみることができる。
「卑弥呼以死大作冢」とあるので、卑弥呼の死と「大作冢」の間には因果関係が認められ、寿陵ではないと判断できることと、卑弥呼の死の先立って張政の渡倭と檄告喩という政治的状況が開始している時系列を勘案した結果である。
 以上から、大作冢の時期と箸中山古墳の築造とされる布留0古相の時期とには整合性がある。

 なお、「以死」を「已死」と通用させてその死期を繰り上げて考える見解もあるが、通常の「因」の意味に解することに比べ特殊な解釈であり説得力を欠く。
 また、「已」と解しても会話文の発話時点を遡るだけなので、地の文である本例では意味がないため、倭人伝の当該記事の記述順序を時系列順でないように入れ替えて読む根拠としては脆弱と言える。
 このことは目前の用例からも明らかで、「已葬、舉家詣水中澡浴、以如練沐」の「已」が直前行の「始死停喪十餘日、當時不食肉、喪主哭泣、他人就歌舞飮酒」と時系列を入れ替えないことは誰もが知るところである。
 解釈上も、繰り上げて卑弥呼の死を正始年中とすると、併せて壹與の初遣使も遡ることになり、不合理である。
「田豐以諫見誅」(魏志荀掾j、「騭以疾免」(歩騭裴註所引呉書)、「彪以疾罷」(後漢書楊彪)などの用例に従い、「(主格)以(原因)→(結果)」の時系列で読むのが順当である。

 なお、倭人伝自体に正始8年以降の年号記載がないが明らかにそれ以降の記事が載っていることを勘案すると、張政派遣に関する一連の記事は嘉平限断論に基づいて書かれた改元以降の事柄である可能性が高い。

31◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:35:36.36
◆FAQ 31
Q:投馬国はどこに比定するのか?

A:畿内説の場合、投馬国を吉備玉島や備後鞆あるいは出雲に当てる説が従来から知られている。
 考古学的に見て3世紀には瀬戸内航路が基幹交通路であったと見る立場、及び初期ヤマト政権の形成と勢力拡大に吉備が大きく関わっていたと見る立場からは、
これを早鞆瀬戸や鞆の浦など鞆(船舶の部位名称)を含む地名や玉島・玉野など音韻的に近似する地名が多く分布するところの、瀬戸内航路に深く関連する地域的政治集団の連合体とみる見解が、整合性の上で有力視されよう。
 もとより、交易ルートを分有する首長は利害を共有し易く、強固なギルド的連合を組成するインセンティブが存在する。
 氏族名の上では上道氏・下道氏の祖に御友別の名が見られることも興味深い。

 弥生終末から古墳前期の基幹交通路には、吉備形甕の分布形態から、博多湾沿岸→周防灘→松山平野・今治平野→備後東南部→吉備→播磨・摂津沿岸→大阪湾→河内湖→大和川→大和というルートが推定(次山2009)されている。
   邪馬台国畿内説 Part528 	YouTube動画>1本 ->画像>62枚
 また河内産庄内甕の伝播経路を、(播磨〜摂津〜河内)間を陸路として外を同上に見る見解(米田1997)も上記を裏付ける。
 これら瀬戸内ルート説は、海水準低下に起因する日本海航路の機能低下を鑑みると妥当性が高い。

 優れて規格性・斉一性に富んだ吉備形甕の分布域は、博多湾域への大量搬入を別とすると、東においては揖保川流域で畿内第第V様式圏と重なり、西には芸予・防長の文化圏と予州で重なる。
伊予以西から博多湾までは吉備形甕、庄内甕及び布留甕みな大きな集中がなく沿岸部に点在しており、吉備・伊予を核として各地沿岸部の小首長が協調的に交易ルートを維持し博多湾に到達していた状況が窺知される。
 吉備は葬儀用器台文化の中心であり、瀬戸内・畿内は勿論のこと西出雲や但丹狭にまで影響を及ぼしている。
 弥生後期から古墳前期における吉備中南部の人口動態(松木2014)と、足守川流域における墳丘墓の卓越性から見て、中瀬戸内における港津性を有する主要河川ごとの首長の連合体の中核はこの地域を想定するのが妥当と思われる。

 畿内色に染まって以降の那珂川地域と、足守川流域、ならびに纒向という3エリアの消長が時期的に一致していることは注目に値しよう。
 これを倭人伝記載の三大国(奴・投馬・邪馬台)のアライアンスとして理解し、博多湾貿易を基軸とした政体が金海貿易への移行とともに解体するものと概念把握するのである。

32◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:36:52.10
◆FAQ 32
Q:畿内説はなぜ記紀を重要視しないのか?

A:いかなる史料も史料批判が欠かせない。
 3世紀の史実解明にとって、原史料すら成立が6世紀を遡る見込みの乏しい史料を使用することは、考証に要する労力負担が過大な割に成果の期待値が低い。

 これが部分的利用に留まる所以である。


◆FAQ 33
Q:「女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種」
  と倭人伝にある!
  海を渡るとは陸続きでない場所に行くことだ! 女王国は本州にある畿内ではない!

A:陸続きの場所へも渡海する。伊勢から遠駿相総等への東海航路と見做して問題ない。

 「夏六月,以遼東東沓県吏民渡海居斉郡界」(三国志三少帝)遼東熊岳付近→山東半島

33◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:37:36.01
 「東渡海至於新羅、西北渡遼水至于営州、南渡海至于百済」(旧唐高麗)北朝鮮→韓国


◆FAQ 34
Q:平原王墓の豪華な副葬品を見よ!
  伊都国は隆盛のさなかである!

A:平原1号方形周溝墓の築造時期は弥生後半〜弥生終末とされるが、より詳細には、埋没の開始した周溝下層出土の土器相から、弥生終末(西新式直前)と位置付けられる。(柳田2000)
 原の辻貿易が終焉にさしかかり糸島が対外貿易のアドバンテージを喪失することとなる時期に当たる。
 副葬品は中国製青銅鏡を含まない鏡群中心で構成され、使用された金属素材は、鉛同位体比分析に基づけば一世紀ほども前に入手された輸入青銅器のスクラップであった可能性が高い。

 当時は楽浪IV期(停滞期)にあたり漢鏡6期の完鏡舶載品が払底していた時期で、舶載鏡の多くが鏡片として研磨や穿孔を施して利用されていた。
 国産の小型仿製鏡は漢鏡6期の破片を原料として利用することも叶わず、それ以前に舶載された所謂前漢鏡タイプ(馬淵W領域)製品のスクラップを原材料としたと考えられるが、平原出土鏡の約半数がそれらと同じ素材で作鏡されている。
それらは漢鏡4期の舶載鏡素材に近い特徴を示している。
 残り半数には上記領域をはみ出した素材(同WH領域)が用いられており、原料不足を異種青銅器スクラップないし異質の備蓄で補填した可能性がある。これらには山東省出土の戦国期遺物に近い特徴が認められる。
 大量鋳造の中途で異種の金属素材が追加投入されるような状況は、荒神谷の銅剣で観察されている。(馬淵ら1991)

 後漢鏡に用いられる金属素材は、漢鏡5期の早いうちに所謂前漢鏡タイプ(馬淵W領域)から後漢鏡タイプ(同E領域)に移行している。
 平原1号出土の大型乃至中型仿製鏡群は、漢鏡4期及び5期の模倣作であり、かつ後漢鏡タイプの金属素材を使用せず、かつまた北部九州で拡散することがない。
 いづれも古墳時代の仿製鏡や復古鏡とは断絶がある。

 後続する2号以下にはめぼしい副葬品は発見されておらず、規模的にも退潮が明らかである。
 このように、「絶域」時代で、大陸系文物の入手経路と、倭国の代表たることの背景としての漢朝の威光が共々喪なわれ、また博多湾貿易への移行によって経済的基盤も喪失している状態である。

 以上より、平原1号は、伊都国当事者にとって自分たちの凋落が決定的という認識のもと、大規模とは言えない墳丘墓の被葬者のために年来の保有資産を思い切り投入した墓所、という様相を呈していると見ることができるであろう。

34◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:38:56.50
 「東渡海至於新羅、西北渡遼水至于営州、南渡海至于百済」(旧唐高麗)北朝鮮→韓国


◆FAQ 34
Q:平原王墓の豪華な副葬品を見よ!
  伊都国は隆盛のさなかである!

A:平原1号方形周溝墓の築造時期は弥生後半〜弥生終末とされるが、より詳細には、埋没の開始した周溝下層出土の土器相から、弥生終末(西新式直前)と位置付けられる。(柳田2000)
 原の辻貿易が終焉にさしかかり糸島が対外貿易のアドバンテージを喪失することとなる時期に当たる。
 副葬品は中国製青銅鏡を含まない鏡群中心で構成され、使用された金属素材は、鉛同位体比分析に基づけば一世紀ほども前に入手された輸入青銅器のスクラップであった可能性が高い。

 当時は楽浪IV期(停滞期)にあたり漢鏡6期の完鏡舶載品が払底していた時期で、舶載鏡の多くが鏡片として研磨や穿孔を施して利用されていた。
 国産の小型仿製鏡は漢鏡6期の破片を原料として利用することも叶わず、それ以前に舶載された所謂前漢鏡タイプ(馬淵W領域)製品のスクラップを原材料としたと考えられるが、平原出土鏡の約半数がそれらと同じ素材で作鏡されている。
それらは漢鏡4期の舶載鏡素材に近い特徴を示している。
 残り半数には上記領域をはみ出した素材(同WH領域)が用いられており、原料不足を異種青銅器スクラップないし異質の備蓄で補填した可能性がある。これらには山東省出土の戦国期遺物に近い特徴が認められる。
 大量鋳造の中途で異種の金属素材が追加投入されるような状況は、荒神谷の銅剣で観察されている。(馬淵ら1991)

 後漢鏡に用いられる金属素材は、漢鏡5期の早いうちに所謂前漢鏡タイプ(馬淵W領域)から後漢鏡タイプ(同E領域)に移行している。
 平原1号出土の大型乃至中型仿製鏡群は、漢鏡4期及び5期の模倣作であり、かつ後漢鏡タイプの金属素材を使用せず、かつまた北部九州で拡散することがない。
 いづれも古墳時代の仿製鏡や復古鏡とは断絶がある。

 後続する2号以下にはめぼしい副葬品は発見されておらず、規模的にも退潮が明らかである。
 このように、「絶域」時代で、大陸系文物の入手経路と、倭国の代表たることの背景としての漢朝の威光が共々喪なわれ、また博多湾貿易への移行によって経済的基盤も喪失している状態である。

 以上より、平原1号は、伊都国当事者にとって自分たちの凋落が決定的という認識のもと、大規模とは言えない墳丘墓の被葬者のために年来の保有資産を思い切り投入した墓所、という様相を呈していると見ることができるであろう。

35◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:39:45.82
◆FAQ 36
Q:弥生中〜後期に隆盛を誇った伊都国は、終末期にもヤマト政権発足に関して強いイニシアチヴを発揮している筈だ!

A:伊都国は、3世紀前半から半ばにかけ北部九州で畿内系土器が拡散する状況下において、極めて閉鎖的であったことが明白であり、伊都国側が政治的に有利な立場は観察され難い。
 博多方面で外来系に対して閉鎖的な在地集団が集団間の階層差において劣後する状況も鑑みる必要があろう。(◆7参照)

 文化面においても、打ち割りタイプの銅鏡祭祀は従前より既に列島各地に波及していることから、その淵源が北部九州であっても畿内に対して影響力を有したとは評価できない。
 また、畿内で主流となる護符的用途の完鏡祭祀(囲繞型をとる非破砕祭祀)は畿内で完成したもので、伊都国の影響ではない。
 吉備ー畿内で支配的な器台祭祀が九州に見られないこと、精製三器種による祭祀は畿内から九州に入ったこと等を見ても、宗教面で伊都国がヤマト政権に先駆的であるとは見られない。

 なにより、漢鏡6期流入段階では既に糸島地域(伊都国)は漢鏡流通の核としての機能を停止しており(辻田2007、上野2014など)、仿製鏡の製作者としてもこれを流通に供して威信財供給者として影響力を行使することがない。
 那珂川流域(奴国)が規模を縮小しながらも小型仿製鏡の生産と供給を維持しているのと対照的である。

 伊都国の文化的先進性は、古墳文化に消化吸収された源流の一つという以上の評価は難しいであろう。


◆FAQ 37
Q:特定の戦役が考古学的に存在確認されることなど滅多にない
  纒向が九州勢力に征服されたことを考古学的に否定など出来ない筈だ!

A:纒向遺跡は、土器相・葬制共に畿内と複数辺縁地域との相互作用によって累進的に発展してきた遺跡である。
 外部の特定地域からの支配的影響力は認められない。
 これが総花的・キマイラ的と言われる所以である。

 ことに高塚化の希薄であった北部九州については、根本的に社会構造が違っていたと見られ、畿内側が一貫して北部九州の政治的様相に影響を与える側である。
 古墳時代のモニュメント型社会の根幹を形作る突出部付円丘の墳型もまた2世紀末から畿内に胚胎していた因子の史的展開経路上にあり、箸中山から西殿、行灯山、渋谷向山と大王級古墳が連続する。
 ヤマト王権が2世紀末の形成期から4世紀中葉まで、外部から侵略等を受けることなくこの地に連続的に存在していたことに、疑問の余地はない。

36◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:40:46.22
◆FAQ 38
Q:纒向遺跡は一般人の住む竪穴式住居がなく、首都たり得ないのではないか!
  仕えているはずの多数の侍女や警護の兵士はどこに住むのだ!

A:一般人の居住空間が宮城を囲繞する中国式の城市は持統朝を待たねばならない。
 意図的企画により建設された纒向遺跡は、首長居住域も集住環境の埒内にある弥生時代の大集落とは一線を画しており、内郭が独立し宮殿及び禁苑域が発生した萌芽的政治首都と評価できる。
 金文の「宮」が並行する複数建物と囲繞する方形牆垣からなる朝政空間を象形していることからも、庭院と回廊性の屋外空間を伴うこの大型建物群は宮殿の要件を具備しているといえよう。(FAQ79参照)

 古来中国の宮都造営は河川の利用と改変を伴うのが常で、多くの場合に漕渠が開鑿される。
 この点も、矢板で護岸工事を施した長大な大溝の掘削で開始した纒向遺跡との類似性が認められる。

「自為王以来少有見者、以婢千人自侍、唯有男子一人給飮食伝辞出入。」
 とあるとおり、卑弥呼に近侍するもの寡少で、その居処が一般人の居住区とは隔絶していた状況が窺知される。
 纒向遺跡の示す非農村・非居住空間性、祭祀空間性といった性格と合致していると言えよう。
 霊的威力者と信じられている者が一般人と雑居しないことは民俗的に肯われるが、弥生末に拠点集落が解体して内郭が首長居館を為す方形区画として独立化している傾向とも平仄が合う。

 大溝の建設や、封土の運搬量が五百〜千人日×十〜五年とも言われる箸中山古墳をはじめとする土木工事跡は、相当の人口が纒向で労働していた証左である。
農村型集落でないにも拘らず居館域下流の水路で多量のイネ科花粉が発見されていることで、稲籾や雑穀など穀類の集積的収蔵があったことが判明していることも、これを下支えする。
 にも拘らず大規模な倉庫群が未検出である(豊岡2018)ことは、初瀬川の水運も有之、相当の昼間人口の参集が可能な交通環境も鑑みれば、
弥生的大型集落が発展的に分散・解体したとされるこの時期、纒向遺跡の近傍に郊外的居住環境が展開し有効に機能していたことが確実である。
 侵入経路の限定される奈良盆地自体に防衛上の利点があり、かつ四通八達の交通要衝でもある。
 新生した倭国の首都と目するに相応しい遺跡といえよう。

37◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:41:47.58
◆FAQ 39
Q:魏志によれば卑弥呼の都があるのは邪馬壹國である!
  邪馬台国と呼び習わすのは畿内の大和と結びつけたい作為だろう?

A:倭人伝の記載する倭人固有語には日本語のもつ開音節言語の特徴がよく顕れており、閉音節であることを示す入声かつ二重母音となる「邪馬壹國」が、後世に発生した写本間の誤写であることは確実と言える。

 女王所都の用字については12世紀を境に「臺」から「壹」へと移行して截然としており、誤写の発生時期が概ね明らかである。


◆FAQ 40
Q:倭があるのは会稽「東治」の東である!
  九州でいいではないか!

A:孫策に敗れた会稽太守王朗が「東治」(拠 書陵部蔵 南宋刊「紹熙」本)へと敗走している。
  邪馬台国畿内説 Part528 	YouTube動画>1本 ->画像>62枚
行き先が東冶の候官(現 福州市冶山遺跡)であることは同行した虞翻ならびに追撃した賀斉の伝、並びに閩越の地と記す裴註所引献帝春秋にて明らかである。
 福州市の東は沖縄であり、倭人伝の里程記事で邪馬台国所在地論争をすることの無益さを示す
 ◆FAQ17で触れた短里なるものを想定し難い証左でもある。

 会稽東冶は、「会稽東冶五県」(呂岱伝)という用例からも判るとおり会稽郡東冶県の意味ではなく、同郡南部の通称的地域名(県名も当時既に冶県でない)である。
 沿革も「李宗諤圖經曰…元鼎中又立東部都尉、治冶。光武改回浦為章安、以冶立東候官。」(資治通鑑所引注)などと紛らわしく、諸本とも治と冶の混用が多い。
 東候官(故・冶県)は魏代・呉下は単に候官と称され、のちに会稽郡を分ち建安郡の属となった
 このため、陳寿が三国志を執筆したとされる太康年間に会稽郡東冶県が存在しないことを以て東治は会稽東冶と別であるとする少数意見は、不合理である。
そもそも会稽東冶が郡県名でないのみならず、儋耳朱崖など晋代にない歴史的地名が同じ倭人伝に用いられているからである。

 捜神記や大平広記に登場する「東治」も全て冶県を指す。現・福州が文献上も「東治」と記された唯一例であり、唯一の「東治」候補地である。

38◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:42:29.51
◆FAQ 41
Q:平原1号を見よ!
  九州には古くから三種の神器がある!
  大和朝廷は九州勢力の後裔なのは明らかだろう?

A:その主張は、出現期古墳が鏡・剣のみで玉を欠く事実によって否定されている。
 出現期古墳は、発生より2〜3世代は玉を副葬に用いない畿内の習俗を継続しており、文化的混淆が進むには未だ時間を要していた。玉を副葬する文化圏の出身者は頭初からは初期ヤマト政権の中枢に参与していないと判断できる。
 また、王権の象徴たるレガリアは、世界史的に見て被征服者から征服者に移転する傾向が強い。
 記紀においても、榊に伝宝である鏡・剣・玉を懸垂して征服者を迎える降伏儀礼が記されている。(景行紀、仲哀紀)

 畿内系土器は、葬送祭祀の供献土器として、古墳時代に系列的に展開する大王級古墳に採用されている。これらの受容に極めて消極的(FAQ36参照)であった三雲遺跡の支配者が、初期ヤマト政権と政治権力として連続しているという想定には、微塵も現実性がない。

 弥生後期以降盛行した小型仿製鏡は主に内行花文鏡と同じ連弧文鏡系列に属すが、弥生後期のうちに分布が畿内圏まで達しており、その供給地は那珂川流域に求められる。
 平原の八葉鏡は仿製鏡として独自の簡化と肥大化を遂げており、系統樹では古墳出土鏡の系譜に繋がらない枝葉に属する。同じく大宜子孫銘鏡(径27.1cm)も異形の内行花文鏡である。
 これに対し、古墳出土の国産大型内行花文鏡は細部の仕様に倭臭を加えつつも、基本の幾何的設計原理(※)を舶載内行花文鏡から踏襲しており、系譜的に平原と断絶している。平原出土鏡と古墳時代に盛行する内行花文系仿製鏡との間のヒアタスは大きいといえよう。
※内行花文鏡の幾何的設計原理
円を8分割し、円周に内接する正方形を得る。
この正方形に内接する円を、雲雷文帯と連弧文の基調線とする。
この基調線の1/2径の同心円を圏帯の基調線とし、その内側に柿蔕鈕座を配す。

 この、コンパスと定規だけで笵上に描画できる設計原理が、舶載の長宜子孫内行花文鏡から大型仿製内行花文鏡(柳本大塚、下池山など)に継承されており、平原鏡と異根である。これらが同笵鏡を持たないことも平原鏡と異質である。

39◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:43:09.47
◆FAQ 42
Q:初期の布留式があちこちで古式新羅伽耶土器と一緒に見つかっているではないか!
  新羅の建国の頃まで時代が下るのだから当然箸墓は4世紀の古墳だ!

A:古式新羅伽耶土器とは新羅や伽耶という国の土器ではなく、新羅と伽耶の地域性が発現する以前の時代の土器を指す用語(武末1985の定義による)なので、単純な誤解である。弁辰韓V期(後期瓦質土器)に後続する年代の様式とされており、箸中山古墳の年代とも矛盾しない。
 弁辰韓V期初期の良洞里162号墳では最終段階の弥生小型仿製鏡と漢鏡6期が共伴する。

 申敬は慕容鮮卑による扶余の崩壊に起因する事象として木槨墓 II類の成立を捉えて大成洞29号墳の実年代を求めたが(申1993)、文献解釈として説得力ある根拠とは評価できない。
しかし両耳付陶質短頸壺の成立を西晋陶磁器の影響下にあるものとした申編年には説得力があり、3世紀第4四半期に位置付ける結論には問題がない。
 定角式銅鏃の編年により椿井大塚山(布留1)がこの直後の年代に位置付けられる。

 申編年による大成洞29号墳の陶質土器金官伽耶I期は久住 IIB期に併行するが、申が同じI期に含めた良洞里235号墳は前段階である弁辰韓V期に編年されており(高久1999)不整合である。
 良洞里235号墳を木槨墓I類とみる金一圭は、嶺南の陶質土器編年をより詳細に10段階に細分して陶質土器の初源をもう一段階古く3世紀半ばから(金2011)とした。
これは忠清道系陶質土器を共伴する加美周溝墓の庄内 II〜III(久住IB〜 IIA)や、久宝寺の瓦質土器(弁辰韓V期)模倣品の年代と整合性がある。
 参考事例に西暦250年代とされる昌原三東洞2号石棺墓に副葬された硬質(陶質)土器短頸壺(釜山女子大学博1984)がある。

 嶺南の陶質土器が形態上西晋陶磁器の影響下にあるとする前提は、より二郡に近接する忠清道系の陶質土器の起源がもう一段階古いとする動向と整合性がある。
 このように日韓の交差編年は年々精緻化し、通説が強化されている。

40◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:43:55.99
◆FAQ 43
Q:平原が2世紀末だというのは何故だ? 箸墓は何故3世紀半ばなのだ?
  炭素や年輪は信用できないし鏡は伝世しているかも知れない!
  確かな根拠などないだろう!

A:楽浪・帯方郡塼室墓は分類・編年すると
 1B II型式→ 1BIII型式→ 1BIV型式と漸移的に変化している。
 また、1C型式が1BIII〜IV型式の時期に亘って並存していた。

その築造年代を端的に示す紀年銘塼が
・1B II型式新段階の貞梧洞31号墳から興平2年(195)銘
・1C型式の鳳凰里1号墳から正始9年(248)銘
・1BIII−1型式のセナル里古墳から嘉平四年(252)銘
・1BIV型式の楸陵里古墳から太康四年(283)銘である

以上から
 1B II型式新段階(2世紀末〜3世紀前葉:塼室墓最盛期、遼東系)
→1BIII型式(3世紀中葉:衰退期、非遼東系)
→1BIV型式(3世紀後葉以降:末期)
という実年代が得られており、このうち塼室墓1B II型式新段階が楽浪木槨墓V期と併行(高久2009)する。
凡そ公孫氏が郡県支配を再編し倭韓との接触を強化してから、倭人の魏への定期職貢が途絶するまでの楽浪郡再興期に当たる。

 楽浪木槨墓V期は下大隈式に後続する西新(I式)及び庄内と併行する(白井2001)
 また後期瓦質土器の登場は西新式と同時期である(李昌熙2008)
 よって西新式直前の平原1号墓が2世紀末に、布留0(大和庄内最新層)の箸中山古墳が3世紀中葉後半に相当する。

41◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:45:42.47
◆FAQ 44
Q:三角縁は存在しない年号が書かれている!
  国産に決まっている!

A:景初三年から正始元年の改元事情を鑑るに、景初四年は実在したと考えざるを得ない。
 史料上で抹殺された年号は珍しくない。
 このような当事者しか知りえない事実は、中国製の証拠として有力である。

 中国皇帝の即位は原則として踰年改元であり、即位後最初の正月に改元と共に慶賀の大会が催されるが、魏明帝は景初三年正月元日に死去したため、即位祝賀と忌日が重なる事となった。
 この問題の解決法として魏朝は、明帝の推進した三統暦思想を敢えて廃案にし、再び夏正月を採用し元日を一ヶ月のちに移動させた。(宋書志礼一)
 最終的に後十二月として閏月扱いとなるが、忌日と新年の大宴会作楽を分離させる為には景初四年正月の実在が必須である。

 この改暦議論は忌日直前の十二月に入って始めて議論が始まって急遽決定された事柄であるため、暦の運用に当たって混乱が生じるのは自然であり、幾つかの記事にその痕跡を留めている。
一例として「春二月乙丑、加侍中中書監劉放、侍中中書令孫資為左右光祿大夫。」の記事は、景初四年(正月壬午朔)でなければ干支が合わない。

 景初中の倭女王遣使から正始元年の冊封使派遣までの間、景初三→景初四→正始元各年銘の銅鏡が慌しく制作される状況の想定は現実的であり、
従来より考古学者が推定する所の、相互に連携した複数工房で同時進行し急いで集中的に制作されたという三角縁神獣鏡第1ロットの制作環境と合致する。

42◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:47:09.02
◆FAQ 45
Q:纒向遺跡に中国と通交した痕跡などあるのか?

A:◆1で略述したとおりである。
 ホケノ山古墳は、3世紀に製作された後漢鏡や魏鏡、素環頭大刀などの武具を副葬品に蔵する。
 箸中山古墳は、幾何的な巨大正円を築く土木技術が用いられた列島最初例であり外来の技術である。
 その周濠からは萌芽的馬匹文化の痕跡(FAQ21参照)が見出された。
 倭人が上献した班布や倭錦そして絳青縑(FAQ29参照)も重要である。
 ベニバナ及びバジルという、これまで列島に存在しなかった植物の花粉等(金原2015)は、朝鮮半島での発見例が無く、中国本土との直接交渉の結果であると見るのが最も妥当である。帰属時期は庄内3頃(纒向61次:李田地区溝1-A、橋本2008)とされる。
 同じく花粉の大量検出によって大型建物群の近傍に桃園があったことが確認され
(金原2011)、SK-3001出土の桃の大量供献事例と併せ、魏志上で張魯の教団と同じ「鬼道」という呼称を用いられている卑弥呼の宗教が初期道教の影響を受けた新宗教であるとする見解について裏付けが得られた。
 文字使用に関わる考古史料は未発見であるが、大福遺跡出土の用途不明管状遺物(3世紀前半)に筆軸の可能性が指摘されている事実の指摘に留め、今後に期待したい。

 また、纒向遺跡から遠からぬ萱生の下池山古墳(布留1式古段階:3世紀末)からは、中国にない超大型国産鏡を収納するための、国産ではあり得ない羅張りの夾紵製容器が出土しており、中国に特注したとしか考え難い状況が観察されている。(河上2008)
 その入手時期は二郡との通交が途絶する以前に求めざるを得ない。


◆FAQ 46
Q:洛陽晋墓から連弧文と蝙蝠座鈕の間に円形のある内行花文鏡が出土している!
  これが魏晋鏡だろう?

A:洛陽晋墓からは日光鏡や昭明鏡など前漢鏡も出ており、本鏡も伝世した後漢鏡と見てよい。
 2世紀の鏡である。

 内行花文鏡全般において、連弧文と蝙蝠座鈕の間にある圏帯は
  内側に櫛歯文を伴う圏帯→櫛歯文が省略され圏帯のみ→圏線に退化→すべて消失
 という順に簡化していき、漢鏡6期(2世紀)において圏帯、又は圏線のあるもの(VA)と既に消失したもの(VB)とが共存する。
 蝙蝠座鈕内行花文鏡の場合は、圏帯のあるものがI型、無いものが II型と呼称される。

 この前半タイプI型が共伴する遺物の紀年銘には
  A.D.94(洛陽近郊出土),105(長安出土),191(洛陽出土)
などがある。
 2世紀末時点で既に伝世鏡であろう。
 雲雷文のない四葉座内行花文鏡の成立する漢鏡6期の始期も、自ずと明確である。

43◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:47:49.02
◆FAQ 47
Q:魏志によれば「其國」には2世紀前半から男王が存在している!
  2世紀末から始まる纏向遺跡では無理ではないか?

A:素より、「其國」=纒向遺跡と考える者は畿内論者には事実上いない。

 魏志記す男王は、異説もあるが、後漢書謂う安帝永初元年請見せるところの「倭國王帥升等」とし、これを倭人の外交を事実上とり纏める立場にあった伊都国王に当てる見方が有力であろう。
 これに倭国王と称すべき実態が具わっていたか否かについては寧ろ否定的に捉える必要がある。
弱体化した後漢帝室には東夷王度海奉国珍を積極的に求める動機があり、帥升「等」という表現からは倭国王をその他と隔絶した者として扱っていない漢朝の姿勢が窺知できるからである。

 少なくともこの政治体制は、地域的統合の不首尾や甕棺分布域の縮小、漢鏡6期鏡の減少などから見て既に衰退期にあり、2世紀末には漢鏡を副葬する弥生首長墓の終焉とともに最終的な崩壊を迎えたものと推定される。(FAQ34,36参照)

 倭国乱を収束に導いた卑弥呼共立と新生倭国の国家形成はこれと無縁であり、女王の都する所が桜井市纒向であることを妨げない。


◆FAQ 48
Q:そもそも纒向遺跡とはどの範囲を指すのだ?
  考古学的に確認されているのか?

A:纒向遺跡は、考古学的な範囲確認調査により、旧烏田川河道から旧纒向川河道の間の扇状地に所在する複数の微高地上に展開する遺跡とされている。
遺跡建設の早い時期に大型の運河が開削され、また照葉樹系の花粉に代わり乾燥した人為地を好む草本の花粉が検出されるようになっており、計画的な開発行為が大規模に行われていた状況が窺知される。

 桜井市教育委員会は旧烏田川河道北岸にも同遺跡が広がる可能性を指摘し、天理市にまたがる考古学的想定に基づいた遺跡全体図をも公表している(桜井市同遺跡保存活用計画書2016)が、柳本町及び渋谷町側で連続する遺跡は現状では確認されていない。

 広大な遺跡であり、宮内庁を含めて地権者が膨大な数にのぼるため、調査には文化財保護法第四条3項はじめ種々の制約がある。
 このため調査が及んでいる範囲は現状は未だ全体中の僅かな部分に過ぎないが、我が国における王権誕生への道筋を辿れる遺跡群として極めて重要視されている。

44◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:49:03.98
◆FAQ 49
Q:光武が印綬を賜うた委奴国はイト国と読むべきではないのか?

A:古代音韻史が未発達であった時代の謬説であり、過去の遺物である。
 今日の定説では「奴」をdoと濁るのは隋唐長安音であり1世紀の発音としてあり得ない。上古音nagが順当であろう。
 また、范曄後漢書に先行する袁宏(東晋)後漢紀光武帝紀にも「倭奴国」として現れており、「委」が「倭」と同義であることに疑問の余地が無い。
 魯宣公倭が委とも表記されることからも通用が明らかである。
  「宣公 名倭。一名接。又作委。文公子。」(杜預左氏伝註)
 さらに「委」、「倭」の子音はwであり、伊都国はyであるので全く発音が異なる。

 固より光武時には已に「倭人」という民族名が知られており、此の文字を同じ倭人の国名表記に、民族名としての倭という語義を含意させずに固有名詞「倭奴」として用いることも、就中発音の異なる表音文字として使用することも、凡そ正常な用字とは考え難い。
 また、正式の国名が複合語であるケースも「(女偏に若)羌」「車師後部」など珍しくない。


◆FAQ 50
Q:纒向の大型建物群はそれほど画期的で空前絶後なものなのか?
  どこにでもありそうだ。

A:建物群が大小とも中心軸を共有する規格性を有することは画期的であるが、計画的配置という点では伊勢遺跡という先行例がある。
 画期的と言う意味では、建物及び囲繞柵列が作る空間が「庭院と回廊からなる朝庭」的空間を想起させる点は、接面する幹線道路の質と相俟って、柵列を伴う倉庫群と一線を画す。
 纒向全体の規模と計画性を鑑みれば、必然的に比較対象は飛鳥等の宮処となろう。
勿論、箸中山・渋谷向山・行灯山の規模を考えれば誉田山・大仙に対応する未発見の宮処がより上位であることは予察されるものの、現状では飛鳥時代の宮処以前に纒向の大型建物群に比肩するような知見はない。
 単に床面積のみ着目すれば時代的に後続する七尾の万行遺跡SB02(布留0併行)は大規模であるが、立地ならびに構造から見て用途が宮処ではないので、比較対象外である。

45◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:49:44.86
◆FAQ 51
Q:卜骨は九州にとって不利な条件ではないのだ!
  壱岐や有明海沿岸で発見事例があるではないか!

A:九州説が倭人伝に照らして不自然である、という結論しか出ない。
 灼骨卜占は倭人全般の習俗として記載され、考古学的知見と合致している。
 郡使往来常所駐と云われる伊都国でその習俗が見当たらないのであれば、より重要な倭人の拠点ーー例えば女王所都のようなーーで目撃されたと推察するのが自然であろう。
 壱岐で目撃され、奇異ゆえ印象的で記録に残ったとするならば、一支国の条に特記されるのが順当である。

 弥生時代の卜骨の発見例は20都府県50余遺跡に及ぶ。
 日本海ルートで能登・佐渡に、太平洋ルートで東海・南関東に波及し、弥生社会全般に広く流布した習俗と考えられるが、東山道・南海道及び九州本島で希薄である。
 卜占を系譜的に辿れば半島よりの伝播であるが、博多湾岸地域に遺存例が無い。
壱岐島から飛んで因幡の青谷上寺地と大和の唐古鍵の二遺跡に集中があることは、海上交通ルートの歴史を考察する上でも興味深く、この習俗と海上交通に従事する職能集団との関係が窺知される。
年代的に推移を見ると、弥生前・中期に壱岐ー山陰ー畿内と点在し、後期に瀬戸内ー畿内が浮上するからである。
 ことに、唐古鍵で弥生後期初頭に成立したと考えられる卜占の技術体系タイプが、後期末頃までに九州を含む全国に波及していることも、興味深い。

 五畿での出土例は以下の摂河和各遺跡
  新方・森之宮(摂津)
  雁屋・鬼虎川・亀井(河内)
  唐古鍵・纒向・四分・坪井大福(大和)
 ことに唐古鍵では弥生前期から後期まで連続して複数存在する。

46◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:55:07.12
◆FAQ 52
Q:纒向衰退後に邪馬台国はどうなったのだ?

A:双系制社会では平穏な地位継承でも盟主地盤が地理的に移動することが有り得るので、考古学的に見た中心地の域内移動は必ずしも政権交代とは断じられない。纒向の衰退は、◆8で述べた経済基盤の変化のほか、祭祀型盟主からの質的変化を含意している可能性がある。
 奈良盆地内でも有意な地域集団は、式のほか葛城と添がある。大王級古墳の消長から見て、纒向(式)につぐ次期宮都は添の平城宮下層が有力候補地となろう。南山城・近江との関係が興味深い。(参考:塚口2012)
 巨大集落遺構の確認されている葛城地域は対応する大王級古墳を欠いており、河泉との関係において更なる探求を要す。
甲冑保有形態から筑紫の老司・鋤崎両古墳が畿内の前期政権に近しい旧来の地方首長で、畿内の中期政権からは寧ろ牽制対象であったとする分析(藤田2015)には、式・添と河泉・葛城の間で盟主系譜の不連続が示唆されている。


◆FAQ 53
Q:一大率は女王の膝許で、その威光の元に権勢を揮ったのだろう?

A:諸国を畏憚せしむるような勢力者が特置され、その治所が伊都国に在ることは、博多湾岸が女王の都からは直接統治の容易でない遠隔地にあることを示す。当時は最も注意すべき検察対象に治所を定めたと理解するのが自然であろう。
此の「大率」の用字や発音が「襲津彦ー沙至比跪」や「筑紫率」と通底することは興味深い。

 刺史は中央が派遣して地方に駐在する勅任官であり、任地の州に治所を置き地方官人事を三公府を経ず皇帝に劾奏する刺挙の吏である。
定期上奏は東漢初に在地出身の上計掾史の職務(続漢書所引東観漢紀、続漢書百官志州郡)へと合理化(「州牧自ら還りて奏事するを断つ」光武帝紀)改革されている。
 秩禄の軽重や地方行政への関与度は年代により異なるが、監察官・軍監の職能と皇帝の使者としての性格は変わりない。
 この刺史に類比されることで、大率が遠隔地に赴任して来た流官であることは明瞭であろう。但し、此の様な地方転出者が容易に土着して在地首長化することは、後世の少弐氏など枚挙の例に事欠かない。

47◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 21:55:23.77
◆FAQ 52
Q:纒向衰退後に邪馬台国はどうなったのだ?

A:双系制社会では平穏な地位継承でも盟主地盤が地理的に移動することが有り得るので、考古学的に見た中心地の域内移動は必ずしも政権交代とは断じられない。纒向の衰退は、◆8で述べた経済基盤の変化のほか、祭祀型盟主からの質的変化を含意している可能性がある。
 奈良盆地内でも有意な地域集団は、式のほか葛城と添がある。大王級古墳の消長から見て、纒向(式)につぐ次期宮都は添の平城宮下層が有力候補地となろう。南山城・近江との関係が興味深い。(参考:塚口2012)
 巨大集落遺構の確認されている葛城地域は対応する大王級古墳を欠いており、河泉との関係において更なる探求を要す。
甲冑保有形態から筑紫の老司・鋤崎両古墳が畿内の前期政権に近しい旧来の地方首長で、畿内の中期政権からは寧ろ牽制対象であったとする分析(藤田2015)には、式・添と河泉・葛城の間で盟主系譜の不連続が示唆されている。


◆FAQ 53
Q:一大率は女王の膝許で、その威光の元に権勢を揮ったのだろう?

A:諸国を畏憚せしむるような勢力者が特置され、その治所が伊都国に在ることは、博多湾岸が女王の都からは直接統治の容易でない遠隔地にあることを示す。当時は最も注意すべき検察対象に治所を定めたと理解するのが自然であろう。
此の「大率」の用字や発音が「襲津彦ー沙至比跪」や「筑紫率」と通底することは興味深い。

 刺史は中央が派遣して地方に駐在する勅任官であり、任地の州に治所を置き地方官人事を三公府を経ず皇帝に劾奏する刺挙の吏である。
定期上奏は東漢初に在地出身の上計掾史の職務(続漢書所引東観漢紀、続漢書百官志州郡)へと合理化(「州牧自ら還りて奏事するを断つ」光武帝紀)改革されている。
 秩禄の軽重や地方行政への関与度は年代により異なるが、監察官・軍監の職能と皇帝の使者としての性格は変わりない。
 この刺史に類比されることで、大率が遠隔地に赴任して来た流官であることは明瞭であろう。但し、此の様な地方転出者が容易に土着して在地首長化することは、後世の少弐氏など枚挙の例に事欠かない。

48日本@名無史さん2019/11/07(木) 21:55:25.36
>>363
>なら、、なんで「倭国自悪其名不雅、改為日本」 って書いたの? <

その「倭國」っていうのは、
旧唐書や唐会要は、
「九州倭国」と「大和日本国」をはっきりと違う国であった、と書き分けて、
「倭國」とは、唐会要倭國伝に「正北抵新羅」と書き分けられているので、
北部九州であり、だから「「倭国自悪其名不雅、改為日本」」は、
九州倭国が先にずっと昔(西晋の惠帝に)「日本」という国名も名乗った、
という情報の記載なの。

49日本@名無史さん2019/11/07(木) 21:55:26.10
>>363
>なら、、なんで「倭国自悪其名不雅、改為日本」 って書いたの? <

その「倭國」っていうのは、
旧唐書や唐会要は、
「九州倭国」と「大和日本国」をはっきりと違う国であった、と書き分けて、
「倭國」とは、唐会要倭國伝に「正北抵新羅」と書き分けられているので、
北部九州であり、だから「「倭国自悪其名不雅、改為日本」」は、
九州倭国が先にずっと昔(西晋の惠帝に)「日本」という国名も名乗った、
という情報の記載なの。

50日本@名無史さん2019/11/07(木) 21:56:04.47
糞スレ

51日本@名無史さん2019/11/07(木) 21:57:30.80
はぁ〜♪

鉄もねえ、絹もねえ、銅矛鉄矛なんにもねぇ

鉄器とは何者だ? たまに出るのは桃の種

銅鐸はあるけれど、書かれた歴史書見たこたねぇ

楼閣ねぇ、田んぼもねぇ、万戸どころか住居がねぇ

オラこんな村いやだぁ〜、オラこんな村いやだぁ〜

九州へ出るだ〜

九州へ出たなら入墨ば入れて、邪馬台国の人になるだぁ〜

はっ♪

52日本@名無史さん2019/11/07(木) 21:58:11.86
>>368
そうね

「南→東」などの嘘付き騙しの大和説は、非常識であるより

反「人類の常識」なのかもね

人類の常識とかけ離れたこと言うことで 「自説だ」という快感を得てる

不健全この上なし

53日本@名無史さん2019/11/07(木) 21:59:05.00
>>377
まあ「南→東」などの嘘付き騙しの大和説は、
実は、正直者しかいない所で嘘つきまくれば何でも思うままだ、
という思考なのかも知れない
嘘をついてはいけない、という正常な常識に対するアンチテーゼがパワーを持つ、、
という考えかなあ

54日本@名無史さん2019/11/07(木) 22:01:19.28
>>379
赤子を火にくべて生贄にするとか非常識なことをするのは、
古代より悪魔とされてきた
そして「南→東」などのような嘘つき騙しの大和説も、
非常識

55日本@名無史さん2019/11/07(木) 22:01:21.98
>>379
赤子を火にくべて生贄にするとか非常識なことをするのは、
古代より悪魔とされてきた
そして「南→東」などのような嘘つき騙しの大和説も、
非常識

56日本@名無史さん2019/11/07(木) 22:01:22.81
>>379
赤子を火にくべて生贄にするとか非常識なことをするのは、
古代より悪魔とされてきた
そして「南→東」などのような嘘つき騙しの大和説も、
非常識

57日本@名無史さん2019/11/07(木) 22:04:36.22
>>382
>倭人伝に書いてあるのは「皆倭種」だ <

「女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種」だから、
女王國とは区別された国として「復有國、皆倭種」だ、という事であるから、
「女王國」とは違う国が「復有る」という意味であり、
だから「倭種」とは、種は女王國(≒倭国)と同じであって、違う国だ、という事であり、
「別種」と同じ意味だ。

58日本@名無史さん2019/11/07(木) 22:05:41.66
>>388
つまり、また「南→東」などの嘘付き騙しの大和説に、
証拠はないわけか
歴史やめろよ

59日本@名無史さん2019/11/07(木) 22:05:56.93
武士の情け、テンプレだけは書かせてやれ!

60日本@名無史さん2019/11/07(木) 22:06:35.36
>>391
反論が聞こえないの?

末羅から伊都は見えないし、
「東南」は末盧國からの出発時点での出発方向の記載だぞ。

女王國は、ほぼ九州島付近であり、陳寿の位置推定のように、
「会稽東治之東」は九州島付近でほぼピッタリであり、
沖縄や台湾や赤道付近にならんぞ。

61日本@名無史さん2019/11/07(木) 22:07:25.63
>>396
「南→東」などの嘘付き騙しの大和説の背後ってやっぱ、
神道や統一教会やオーム真理教や殺人暴力団キョクウや安部文科省かね
教祖の安部が、我は元は坂東秋田家の生まれ変わりダとか言ってた?から
隣人について偽証してはいけないとか、
実は国民には嘘ついていいとか、デタラメな事言ってた?とか

62日本@名無史さん2019/11/07(木) 22:08:23.94
>>401
あーあ、
「南→東」などのインチキ宗教に騙されて、
人に迷惑かけまくってる嘘つき騙しの大和説者、
そして、迷惑をかけた大和説学者は大変だな

63日本@名無史さん2019/11/07(木) 22:09:05.29
>>402
>鉄器は畿内の三世紀の古墳から山ほど出るよ
その当時の政治の中心が纒向だったのではないかという話<

纏向の鉄器沢山の最初のホケノは、3世紀末〜4世紀であり、
卑弥呼の時代ではない。

64日本@名無史さん2019/11/07(木) 22:09:51.36
>>405
>朝鮮部落民のお前がおかしいだろと思ってるだけで
日本の考古学者は思っていない<

日本の「南→東」などの嘘付き騙しの大和説の考古学者は、
当然、とてもまともな人間ではなく、
(こっそり教えますが)・・・・アホ詐欺師なんですよ。

65日本@名無史さん2019/11/07(木) 22:10:02.57
>>59
そのテンプレが元凶なんだろ。

66日本@名無史さん2019/11/07(木) 22:10:28.03
>>406
ホレ「南→東」などの嘘付き騙しの大和説は、
儒教だか統一教会に騙されて操られてるのがわかったら、
同胞に教えてやりな
書いてある事守らないなら裁きに会う、
と聖書に書かれてるしな

67日本@名無史さん2019/11/07(木) 22:11:01.37
桜井市に本部がある学会なんだろ。

68日本@名無史さん2019/11/07(木) 22:11:05.14
荒らさないでぇ〜!!!

69日本@名無史さん2019/11/07(木) 22:11:10.69
>>431
>魏が帯方郡を領有したのは238年。
卑弥呼の使節団が魏に朝貢するのは239年。<

卑弥呼の遣使は明帝の景初二年(238年)だから、この男(類スレ主?)は×ね。

70日本@名無史さん2019/11/07(木) 22:29:52.89
畿内説は破綻しました

71◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 22:47:23.77
◆FAQ 52
Q:纒向衰退後に邪馬台国はどうなったのだ?

A:双系制社会では平穏な地位継承でも盟主地盤が地理的に移動することが有り得るので、考古学的に見た中心地の域内移動は必ずしも政権交代とは断じられない。纒向の衰退は、◆8で述べた経済基盤の変化のほか、祭祀型盟主からの質的変化を含意している可能性がある。
 奈良盆地内でも有意な地域集団は、式のほか葛城と添がある。大王級古墳の消長から見て、纒向(式)につぐ次期宮都は添の平城宮下層が有力候補地となろう。南山城・近江との関係が興味深い。(参考:塚口2012)
 巨大集落遺構の確認されている葛城地域は対応する大王級古墳を欠いており、河泉との関係において更なる探求を要す。
甲冑保有形態から筑紫の老司・鋤崎両古墳が畿内の前期政権に近しい旧来の地方首長で、畿内の中期政権からは寧ろ牽制対象であったとする分析(藤田2015)には、式・添と河泉・葛城の間で盟主系譜の不連続が示唆されている。


◆FAQ 53
Q:一大率は女王の膝許で、その威光の元に権勢を揮ったのだろう?

A:諸国を畏憚せしむるような勢力者が特置され、その治所が伊都国に在ることは、博多湾岸が女王の都からは直接統治の容易でない遠隔地にあることを示す。当時は最も注意すべき検察対象に治所を定めたと理解するのが自然であろう。
此の「大率」の用字や発音が「襲津彦ー沙至比跪」や「筑紫率」と通底することは興味深い。

 刺史は中央が派遣して地方に駐在する勅任官であり、任地の州に治所を置き地方官人事を三公府を経ず皇帝に劾奏する刺挙の吏である。
定期上奏は東漢初に在地出身の上計掾史の職務(続漢書所引東観漢紀、続漢書百官志州郡)へと合理化(「州牧自ら還りて奏事するを断つ」光武帝紀)改革されている。
 秩禄の軽重や地方行政への関与度は年代により異なるが、監察官・軍監の職能と皇帝の使者としての性格は変わりない。
 この刺史に類比されることで、大率が遠隔地に赴任して来た流官であることは明瞭であろう。但し、此の様な地方転出者が容易に土着して在地首長化することは、後世の少弐氏など枚挙の例に事欠かない。

72◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 22:47:48.72
◆FAQ 54
Q:一大率は女王国以北に置かれているんだ!
  以北ってことは女王国も含むんだぞ!

A:実際の用例ではそうならない。
「從右北平以東至遼…為東部、從右北平以西至上谷為中部…從上谷以西至燉煌…為西部」
   (三国志所引魏書鮮卑)
「自單單大山領以西属楽浪、自領以東七県都尉主之」
   (三国志東夷伝濊)
「建安中、公孫康分屯有縣以南荒地爲帶方郡」
   (同韓伝) ※屯有県は楽浪に属す。


◆FAQ 55
Q:韓は倭と「接」している。地続きだ。
  狗邪韓国は倭人の国の一つだぞ!

A:「接壌」とあれば地続きであるが、「接」だけでは根拠にならない。
外接遼東、得戎馬之利(続漢書孔融)
    山東省の刺史が遼東と「接」
訶陵國、在南方海中洲上居、東與婆利、西與墮婆登、北與真臘接(旧唐書南蛮)
    海中の島国がカンボジアと「接」

 狗邪(伽耶)は金官国、安邪(安羅)は咸安郡と、3世紀に主要な遺跡のある半島南岸は弁辰の諸韓国で占められ、3世紀前半は弁辰韓V期の文化圏である。(高久1999,久住2006,朴2007)
倭人の国ではあり得ない。

73◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 22:48:14.72
◆FAQ 56
Q:「世有」は「代々」という意味ではない。「魏の治世に」という意味だ!

A:「世有」には「代々…」という意味と、「世間には…」「この広い世界に…」などと訳すべき用例がある。「魏の治世に」という意味はない。

「世間に…」in the world の用例
・「世有人愛假子如孤者乎?」(魏氏春秋秦朗)
・「世有仁人、吾未之見。」(先賢行状王烈)
・「世有思婦病母者、豈此謂乎!」遂不與假。吏父明日死,思無恨意。(魏略王思)
・「世有亂人而無亂法」若使法可專任、則唐虞可不須稷契之佐、
 殷周無貴伊呂之輔矣(杜畿子恕)
  ※範囲は全世界、時代は魏朝に限らず、いつの時代にも不易
  ※これらは不特定者someoneの存在を示唆する例である。

「代々…」の用例:
・魏因漢法、母后之號、皆如舊制、自夫人以下、世有¢ケ。
 太祖建國、始命王后、其下五等…(后妃傳第五)
  ※漢朝下の魏王の頃から魏朝まで代々変更を重ねている。
・世有名節、九世而生寧。(傅子管寧)
  ※田斉を去った管仲の子孫が、漢代に北海で家を再興してから9代目が管寧
・袁氏子孫世有名位、貴達至今。(裴註袁渙)
  ※袁渙の父は漢朝の司徒、渙は魏武に重んじられ、子孫も顕官に達し晋朝に至る。
・今汝先人世有冠冕(王昶)
  ※のち魏の司空となる王昶が子と甥に語る訓戒
   昶の伯父柔は漢護匈奴中郎将、父澤は代郡太守、兄で甥の父機は魏東郡太守
   当然ながら先人は王昶一人のことではなく、父祖代々を指す。
・臣没之後、而奮乎百世、雖世有知者、懷謙莫或奏正(翻別傳)
  ※百世に亘って代々を想定

74◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 22:48:37.89
◆FAQ 57
Q:弥生時代に前史を持たない纒向がなぜ宮都の地に選ばれるのか?
  必然性がない!

A:奈良盆地は古奈良湖の消失過程にあり、河道周辺の未乾燥地を稲作向きの農地へと、木製農具でさえ容易に開墾可能であった。
この特性により、奈良盆地は高い人口吸収力を有し、移民を誘致しやすく、首長権力の伸長(◆6参照)を可能とする立地条件を具備していた。
 法隆寺付近や島の山古墳の東西に弥生遺跡が分布していることで、当時既に古奈良湖の痕跡は極めて狭隘な残存部分しか存在していなかったことは明らかである-
邪馬台国畿内説 Part528 	YouTube動画>1本 ->画像>62枚 「大和弥生社会の展開とその特質」寺澤2016
( 奈良盆地の弥生時代の遺跡分布と基礎地域 『纏向学研究 4』 p6 図2)
-が、河合町の川合浜等の地名からも判明するとおり、奈良盆地各地を縦横に結ぶ大和川水系の水運は近世まで盛んであった。
居住に適した微高地を水稲耕作に適した低地が囲む単位集落が無数に発生し、それらが水運で結ばれることで、自然国境に局限されない国家形成を支えるインフラが予め準備されていたと言える。

 加えて、三輪山麓は交通の要衝(◆4参照)である。東海S字甕の拡散ルートである東山道に依存せずに交易ルートを東に伸ばすには、初瀬街道から中勢に抜けて海路を確保するのが要諦であった。
大和川水系に属し、且つ、上つ道で淀川水系を経て摂津山背・東国・北陸・但丹狭へ通じる交通網の多重結節点である当地には、塞の神が祀られる必然性がある。

 畿内及びその隣接地各地の首長が会盟し、調整の裁定を大巫女に仰ぐ場所としては、近隣首長の色が付いていない纒向の地が適切であろう。

75◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 22:49:24.66
◆FAQ 58
Q:行程論で検証すると、畿内説は無理ではないのか!

A:行程記事には、方位・距離ともに誤情報が含まれていることが明らかなので、所在地比定には採用しないが、検証には用いる(関連:◆FAQ3)

「自郡至女王國萬二千餘里」のうち、九州本島到着までに萬餘里相当を費消済みであるので、行程解釈で伝統的な連続説或いは放射説の孰れに依拠しても、残余は1,300〜2,000里となる。
これは魏尺24cm×1,800尺=1魏里432m換算で概ね562〜864kmに相当する。
 参考値として博多港より奈良県桜井市の三輪参道入口(大鳥居前)までフェリー航路と現代の道路上の通算距離を得ると、直行航路の場合概ね620km、寄港地11設定の場合概ね793kmとなり、妥当な範囲に収まり適合する。

「南至投馬國水行二十日」「南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日陸行一月」
 より、連続説に依拠し所用日程を通算した場合
「大宰府海路卅日」(延喜式卷第廿四主計寮上)と照合して水行日程が妥当である。
 備前が海路九日、備中海路十二日であり、内訳も整合する。

 また、推古紀所載裴世清の旅程より
「六月壬寅朔丙辰、客等泊于難波津。是日以餝船卅艘迎客等于江口安置新舘」
「秋八月辛丑朔癸卯、唐客入京。是日遺餝騎七十五疋而迎唐客於海石榴市衢」
 以上48日経過である。外交使節旅程の類例に照らし、陸行日程が妥当である。

 さらに、里程1,300〜2,000里を日程合計60日で除すると約22〜33里@日で「師行三十里」(漢書律歴下)、「師日行三十里」(同王吉伝)等と整合性がある。
 また、既知の日程から距離を逆算したと推定される類例がカローシュティ文書(楼蘭〜精絶)等に見出せる。上記通算日程60日に30里@日を乗じて1,800里が、25里@日の場合1,500里が得られる。

 以上、結論として検証に耐える。但し、この試算は邪馬台国の位置比定に使用しない。

76◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 22:49:45.95
◆FAQ 59
Q:「南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日陸行一月」
  の起点は帯方郡である! 畿内に到着し得ない!

A:不合理である。
「南至」が「倭人在帶方東南大海之中」と矛盾する。

また
1「南至投馬國水行二十日」
2「南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日陸行一月」
は構文が同じであり、「南至邪馬壹國」の起点を帯方郡とするなら「南至投馬國」の起点も帯方郡にせざるを得ないが、投馬国には水行のみで到着し得る。
よって韓地陸行説が蹉跌し、陸行日程が韓地で費消し得ないため帯方郡起点説は成立し得ない。


◆FAQ 60
Q:「南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日陸行一月」のような日数表記が
  「東行至不彌國百里」のような里程表記と混在するのはおかしいではないか!
  所用日数を別に記したのだ。日数の起点は帯方郡である!

A:混在は珍しくない。単に情報の精度差と解するのが妥当であろう。

(且末國)去長安六千八百二十里。…西北至都護治所二千二百五十八里、
     北接尉犂、南至小宛可三日行、…西通精絶二千里。
(精絶國)去長安八千八百二十里。…北至都護治所二千七百二十三里、
    南至戎盧國四日行、…西通「手偏に于」彌四百六十里。
(ケイ賓國)去長安萬二千二百里。不屬都護。
    …東北至都護治所六千八百四十里、東至烏「禾偏に宅の旁」國二千二百五十里、
    東北至難兜國九日行、西北與大月氏、西南與烏弋山離接。
(烏弋山離國)王去長安萬二千二百里。不屬都護。
    …東北至都護治所六十日行、東與ケイ賓、北與撲挑、
    西與犂「革偏に于」・條支接。
    行可百餘日、乃至條支。…自條支乘水西行、可百餘日、近日所入云。
(大月氏國)去長安萬一千六百里。不屬都護。
    …東至都護治所四千七百四十里、西至安息四十九日行、南與ケイ賓接。
(姑墨國)去長安八千一百五十里。
    …東至都護治所二千二十一里、南至于闐馬行十五日、北與烏孫接。
                (漢書西域)

77◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 22:50:03.56
◆FAQ 61
Q:「到其北岸狗邪韓國、七千餘里」
  これは実測したとしか考えられない!
  誤りというなら誤りが発生した理由を明らかにせよ!

A:未知の単位系が存在すると帰納的に証明されていない以上、魏尺実寸に照らして誤りとするほかない。錯誤発生の原因特定は再発防止以外の意義を認め難い。

 戦果報告は十倍にして公表する習慣があり「二郡遂滅韓」の戦果報告が誇張されていて不思議はない。 「破賊文書、舊以一為十」(国淵伝)
 或いは「方四◯◯里」が「四方◯◯里」と同義に使用されることがあり、混用による錯誤も有り得る。

 また、倭奴国王の朝貢が万里の遠国と顕彰された形跡が有之、これが規定値として固定され、渡海3回と按分された可能性を考慮する必要がある。FAQ58に述べた約2,000里と合算すると万二千里が得られる。
「建武之初…時遼東太守祭肜威讋北方聲行海表、於是濊貊・倭韓萬里朝獻」
              (後漢書東夷)
「如墨委面、在帶方東南萬里」(如淳)

 さらには、大同江河口の鎮南浦より仁川・木浦・麗水を経由して釜山に至る航路は1,296km(距離表S22)である。これを一里約400mで割り戻すと3,240里が得られる。
当時の船舶は航続距離が短かったため現代の航路より寄港地が多く迂回路分の距離縄伸びが大きいこと、江戸時代末まで対馬海峡が約3倍に誤認されていた歴史的事実等に照らせば、十分に許容範囲内の錯誤である。

 このように、倭人伝所載の非現実的な里程の発生には幾らでも原因の想定が可能である。公文書に現れる両漢魏晋の度量衡に照らして其れらが間違いであると判定する以上の詮索は不要であろう。

78◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 22:50:26.84
◆FAQ 62
Q:帯方郡や狗邪韓国をどこに比定しているのだ! 明確にせよ!

A:定説に従う。

 金石文等により、楽浪郡治が平壌市楽浪区土城里、黏(虫偏に單)県が温泉郡城(山偏に見)里土城。南浦市江西区台城里は県名未詳。
 帯方郡治が鳳山郡智塔里土城、郡の外港と考えられる列口県城が殷栗郡雲城里土城(南浦の対岸付近)、旧南部都尉治の昭明県城が信川郡北部面青山土城、長岑県城が信川郡信川邑、含資県城が安岳郡柳城里に比定される。

 二郡は孰れも大同江水系に展開し、遺跡分布より、帯方郡は支流の瑞興江・載寧江及び西江流域流域、北を慈悲山、南を滅悪山脈の長寿山まで沙里院・鳳山郡・銀波郡・麟山郡、西を載寧郡・新院郡・銀泉郡・安岳郡・信川郡・殷栗郡・三泉郡・松禾郡の区域。
近代的道路が整備されるまで滅悪山脈は迂回せねばならず、同山脈以南で墓制も異なる碧城郡・海州市は郡の域外であろう。

 以下、漢系遺物を多数出土する韓系遺跡が、伯済国とされるソウル風納洞・夢村から、月支国と目される天安清堂洞、そして泗川勒島、義昌茶戸里、馬山を経て金海まで海路で結ばれている。金海良洞里及び大成洞が弁辰狗邪(狗邪韓)国に相当する。

 楽浪と濃密な交渉実績のある交易拠点遺跡が沿岸部や島嶼部に点在することから、沿海航路が重要な通交ルートであったことが明らかである。
 

◆FAQ 63
Q:旧唐書に「倭国者古倭奴国也」とある! 倭国は九州にあった倭奴国の後身なのだ!

A:「古○○也」は政治的連続を表さない。
同じ旧唐書に「(獣偏に奇)氏 漢縣、古郇国也」等とあるのと同じである。
唐の河東道(獣偏に奇)氏県は、周代の姫姓侯国であった郇国が戦国時代に滅び、変転を経て漢代に郡県に編入された地であり、姫姓郇国からの政治史的・系譜論的な関連は無い。

◆FAQ 64
Q:平均身長約160cmの集団で測定した歩幅が約73cmという報告がある!
  径百余歩である卑弥呼冢は、100m超級の古墳ではあり得ない!

A:基礎知識の誤りである。
  現代日本人のいう一歩は、古代中国ではケイ(足偏に圭)と呼ばれ、一歩は一挙足2回を指す。上記の歩幅調査資料は考古資料の魏尺6尺(=一歩)と綺麗に一致しており、その百余歩は箸中山古墳など、大王級とされる初期古墳の後円部径に合致する

ケイ、一挙足也。倍ケイ謂之歩。(小爾雅)
人践三尺法天地人、再挙足歩備隂陽也。(白虎通)

79◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 22:50:48.85
◆FAQ 65−1
Q:平原1号墓出土の八葉鏡は周長が8咫に相当する!
  倭国の王権を象徴する歴史的遺物である!

A:史料的根拠、考古学的根拠ともに欠いた俗流説であろう。
考古的遺物による尺は
 殷商:約16cm
 西周:約20cm
 戦国〜王莽新:23.1cm (安定的)
 後漢初〜魏晋:24cm前後から微増傾向 (荀勗が再発見)
 南北朝〜隋唐:30cm弱
と変遷しており、異民族流入の顕著だった克殷と南北朝に変動の画期がある。克殷期は女性の社会的地位下落に特徴があり、衣工尺の社会的影響力後退も首肯できる。
 先秦〜両漢の中婦人は身長160cm未満、手長16cm台で殷商尺と概ね一致(岩田1995)する。後漢初時点で『説文』に周尺の8寸と表記される可能性があるのは、衣工尺として遺存した殷商尺と西周公定尺の関係であろう。
参考事例であるが、魯班尺と公定尺の関係も10:8に近い。
 後漢尺の8寸を1咫と換算する史料的根拠はなく、中婦人手長の実態(男性18cm台、女性16cm台:岩田前出)とも齟齬する。まさに現行の公定尺なのであるから、「戦国時代から使用されていたので周尺である」という弁明も不合理である。
「咫」が計測単位として使用された事例も欠いており、上古の換算率のみが伝承された事例と考えるのが妥当であろう。

 また、記紀に登場する「咫」は史料成立年代からみて後漢尺基準と見なす合理性がない。用字のみ共通な異根の単位系であろう。
記紀における八咫鏡は王権と関係ない使用事例も少なくなく、八咫であるから倭国の王権を象徴する歴史的遺物だ、とする根拠がない。
 ましてや、鏡の大きさを周長で表記した実例もなく、現代的文学ロマンの産物と言わざるを得ない。

《古代中国の男女身長及び手長:岩田前出)
――――――――――MAN------------FRAU------
4500-3200B.C._____166.8 18.1 155.5 16.7
3000-2000B.C._____165.3 18.0 154.2 16.6
2015-1900B.C._____168.8 18.3 157.3 16.9
A.D.1979-__________170.3 18.5 159.0

80◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 22:51:16.47
17.1
(本項 続く)








(承前)
◆FAQ 65−2
 『禮記』王制には
 「古者、以周八尺為歩、今以周尺六尺四寸為歩、
  古者百畝、當今東田百四十六畝三十歩、
  古者百里、當今百二十一里六十歩四尺二寸二分」

とあり、周尺のうちでも新古乃至大小の二種の存在が窺知される。

 ここで、百二十一里六十歩四尺二寸二分=218,164.22尺であるので
これを古者周尺の百里(2,400尺)で割り戻すと1.10009今周尺=1秦漢尺が得られ、「今以周尺六尺四寸為歩」が「六尺六寸」の誤りであることが判明する。
この錯誤の原因は篆文の「四」と「六」の字形が類似していることに求めるのが伝統的解釈(孔広森:清朝)であり、出典の淵源の古さを暗示している。

 この比率(今周尺=秦漢尺9寸)は、礼楽の主音「宮」の周波数に相当する黄鐘律管(長9寸)が秦漢度量衡の基礎――黄鐘律管が容積・重量の基準――になっていることとの符合を鑑みると、興味深い。
秦漢尺が長く安定的であった主因が、礼楽調律との関係で理解できるからである。さらに王莽以降秦漢尺が崩れ始めることとも整合性がある。


 秦漢尺より逆算した古者周尺、今周尺、秦漢尺の実寸は
  古者周尺 17.3cm
  今周尺  21.0cm
  秦漢尺  23.1cm
となり、殷商尺実寸との連続性が理解しやすい。

81◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 22:52:03.90
◆FAQ 66
Q:魏志に先行する史料である魏略においては、行程記事は伊都国で終わっている!
  本来は伊都国までの行程の記事であったのだ!

A:魏略は逸文ーーすなはち断片ーーとしてのみ存在しているため、「書かれていること」ではなく「書かれていないこと」を根拠にする利用法は原理的に不可である。

 当該箇所は張楚金(唐)の『翰苑』中「分*職命官 統女王而列部」に雍公叡の付した注である。(「*職」は「職」の異体字で、偏が「耳」でなく「身」)
 乃ち「皆統屬女王國」を説明するための引用であり、注者が行程記事として抜粋した文ではない。「其國王皆屬王女也」で引用が終わる所以である。
「伊都国まで」のみが抜き出して書かれている理由は以上のとおり。

 なお、『翰苑』は写本が粗悪で脱字・衍字、不適切な節略多く、注自体も意図的な改変や誤りが多々見られるのみならず、出典書名誤記すら有るため、安直な利用が憚られる史料である。


◆FAQ 67
Q:末盧国を呼子付近に想定すれば伊都国への方位は東南でよい!
  なぜなら、渡海に適した夏場の日の出は真東よりずっと北である!
  倭人伝にある方位に間違いはないのだ!

A:その程度の熟練度の人物が記載した記録であれば、方位や距離に信頼を置くことなどできないであろう。まして、壱岐から東松浦半島付近に渡航してきたであろう時間帯を鑑みれば、夏場に真西よりずっと北寄りの日の入りを見ている可能性の方が高い。
 東松浦半島突端付近からは糸島富士(可也山)が目視でき、伊都国の方位が東南でないことは十分に認識できる。
松浦川河口近辺並びに糸島三雲から可也山を目視しても、3世紀の科学技術水準による簡易的な三角測量を用いれば、伊都国中心部が東南方向に所在しないことを十分に覚知可能である。

 ・東松浦半島北端は北緯33.5度(基準点:呼子 尾ノ下鼻)
 ・伊都国は北緯33.5度(基準点:三雲 細石神社)
 ・奴国は仮に北緯33.5度(基準点:春日 岡本遺跡)
であり、すべて倭人伝の記載する方位と異なる。

 ちなみに非現実的想定ではあるが、若し『周髀算経』一寸千里法などが天測技術として実用化されておれば、上記3地点が東西に並ぶことが判明し、倭人伝に現れる方位誤認は発生しない。
また古代の海岸線に沿っての「東南陸行」は、巨大な松浦潟に遮られて困難である。
邪馬台国畿内説 Part528 	YouTube動画>1本 ->画像>62枚

 因みに、現代の東松浦半島は北松浦半島の北東にある。
 地名が実際の地勢と著しく異なる。

82日本@名無史さん2019/11/07(木) 22:52:30.64
続けなくていいよ。

83日本@名無史さん2019/11/07(木) 22:54:00.81
無駄な努力だな。
誰も顧みないテンプレを黙々と貼って、虚しくならないか?
それで他人から疎まれるのだから、割りに合わないだろ?

84◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 22:59:08.40
◆FAQ 68
Q:ホケノ山は布留式で、箆被のある銅鏃も出ているから、3世紀末か4世紀だろう!
  奈良県の三角縁はもっと新しい!

A:3世紀の古墳と考えられる桜井茶臼山古墳より正始元年銘鏡が発見されている。それより早く位置付けられる黒塚も布留0新相で、3世紀後半とされる。

 ホケノ山は墓室の木製天井板が腐朽して崩落していたため、墓上の追祭祀遺物と墓壙内遺物の判別に難があった。また小型丸底土器の評価にも争点があり、帰属年代について論争があった。
 しかし北周濠最深部にパックされた状態で発掘されたS字甕Aを以て完成時期を纏向3類中葉(庄内2)とする(豊岡2018)結論が最終的とみてよい。
墓上破砕祭祀に供された画文帯神獣鏡B(非完鏡)の年代観(菱雲文編年によりB.C.230〜250頃製造の魏鏡:上野2008)とも合致する。
布留0に先行する段階で三角縁を副葬しない情況は、他地域で三角縁の副葬が布留0併行に遡る情況と整合する。

 箆被をもつ銅鏃は古墳時代のものというイメージで語られることが多いが、実際は
但馬(駄坂舟隠9号墓)、丹後(内和田4号墓)・近江(桜内遺跡)、尾張(朝日遺跡)、三河(下懸遺跡)などの地域にて弥生後期〜終末の弥生墳丘墓などで発見例が続いており、ホケノ山の年代と整合性がある。


◆FAQ 69
Q:建安19年馬超が祁山を包囲したとき夏侯淵が「公在鄴、反覆四千里」と言っている!  
  このとき夏侯淵がいたのは洛陽か許昌であるから、短里が使われていたのだ!
  魏略曰「曹公置都護軍中尉、置護軍将軍。亦皆比二千石。旋軍並止罷」とあり
  護軍将軍である淵の任地は都である!

A:夏侯淵が長安に屯して西部戦線を支えた最高責任者であったことは常識に属する。
「都護軍」の「都」は「都督」と同じで、首都の意ではない。「旋軍並止罷」と文章が続いており、護軍将軍が都に置かれた官でないことは明らかである。
 上記の続漢志劉昭注は本文「…雑号将軍衆多、皆主征伐。事訖皆罷」に付されている。「事訖皆罷」=「旋軍並止罷」とあるとおり、護軍将軍は外征時特任の官であり、征戦より帰還すれば任が解かれる。
 淵が行護軍将軍に任ぜられたのは建安「十七年太祖乃還鄴、以淵行護軍将軍、督朱霊・路招等、屯長安、擊破南山賊劉雄、降其衆、圍遂・超余党梁興於鄠、拔之斬興」。
行護軍将軍として長安に駐屯し、以降一貫して関右から涼州にかけて連戦している。漢中侵攻時は行都護将軍、征西将軍を歴任し陽平で戦死した。

 長安より鄴まで往還四千里は、魏の正常な里(1,800尺)が用いられている。
 

85◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 22:59:26.47
◆FAQ 70
Q:王昶伝に正始中「今屯苑、去襄陽三百余里。諸軍散屯、船在宣池、有急不足赴。
  乃表徙治新野、習水軍于二州、廣農墾殖,倉穀盈積」とある!
  襄陽近辺の苑池に魏の船師が駐屯していたのである! この三百余里は短里である!

A:襄陽の劉表没後、荊州は三国に分割されたが、関羽が斃れて蜀漢は後退し、当時の襄陽は孫呉と対峙する魏の重要拠点であった。
征南将軍仮節都督荊・予諸軍事の王昶は、襄陽付近で漢水と合流する清水(白河)に臨む南陽郡新野県城に治所を移し、有事に備えた。
 魏太和元年(227)司馬宣王は宛に屯して督荊・予二州諸軍事を拝した。この時点で郡城は宛である。
裴註引郭沖『三事』にも「亮初屯陽平、宣帝尚為荊州都督、鎮宛城。至曹真死後、始與亮於關中相抗禦耳」とあり、王昶が上書して新野に徒する以前までは宛城が治であったことが明らかである。
 銭大ウ・魯弼らの考証を踏まえ、中華書局はじめ諸書で「今屯苑」は「今屯宛」と校勘されているのが現状である。

 襄樊(故・襄陽)より南陽(故・宛城)まで鉄道距離135km。魏の正常な里(1,800尺)が用いられていることは言を俟たない。


◆FAQ 71
Q:倭王武上表文には「渡平海北九十五国」、唐会要倭国条には「正北抵新羅」とあるではないか! 真北に朝鮮半島があるのは九州だ! 九州倭国なのだ!

A:日本列島のどこからでも、海北に渡るには対馬より北に向かい半島南部に達する。

 中国では魏志の昔から南宋代の地理書に至るまで、倭人の住む島々が、朝鮮半島から遥か南方の台湾付近まで伸びているとする誤った地理観が流布していた。
「古今華夷区域惣要図」 北宋末〜南宋初期(12世紀前半)
「東震旦地理図」 南宋(13世紀) 邪馬台国畿内説 Part528 	YouTube動画>1本 ->画像>62枚
 魏志倭人伝の行程描写が中途より方位を誤って、東へ行くべき路程を南と誤認して記述した結果であろう。

 当の唐会要倭国条が
大歴十二年(777)、遣大使朝楫寧(小野石根),副使総達(大神末足)来朝貢。
開成四年(838)正月、遣使薜原朝常嗣(藤原常嗣)等来朝貢。
 を記録していることからも、「正北抵新羅」が倭国の位置を九州と特定し得ないことは明らかである。

86◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 22:59:50.31
◆FAQ 72
Q:倭王武上表文には「東征毛人五十五国、西服衆夷六十六国」とある!
 「西服」の「服」は自動詞だから九州の民は昔から九州倭国の王の臣下なのだ!
  畿内は「東征」を受けた毛人だ!

A:「以力服人者、非心服也」(孟子)
  「服」は他動詞として使う。
  「西服衆夷」の動詞「服」が取っている目的語は「衆夷」で、他動詞である。

 「東征・・西服・・」は対句の好例で、畿内を中央とした治天下大王の小中華主義の萌芽であり、「日出処天子・・日没処天子・・」と致書した遣隋使や、中国を「諸蕃」に分類した姓氏録に繋がって行く政治思想の淵源である。
「東征毛人」の「毛人」は、「東界、北界有大山為限,山外即毛人之國」(旧唐書日本)の「毛人」にほかならず、「東征」したのは畿内に都する大王である。


◆FAQ 73
Q:安満宮山や太田南で発掘された青龍三年鏡の「龍」の字は犬龍だ!
  これは北魏の頃の書体であって、魏鏡などではない!

A:「犬」は釈読の誤りで「尤」である。
 「龍」字の旁を「尤」と省画することは漢代から行われている。
 『魯相韓勅造孔廟禮器碑』:漢韓勅碑陰(後漢永壽二年(156)七月銘)所載の「龔」が右旁を犬状(尤)/共に作る。碑別字:邪馬台国畿内説 Part528 	YouTube動画>1本 ->画像>62枚

 能筆家の筆書き原稿を職人が忠実に模刻する石碑とは異なり、職人がヘラで直接粘土に文字を書く青銅器銘文は字画が必然的に直線的であり、犬龍などと賤む現代人の偏見は失当である。


◆FAQ 74
Q:庄内式土器には庄内大和型甕と庄内河内型甕の別がある!
  大和と河内は交流のない別の国だったのだ! 畿内が邪馬台国ではありえない!

A:庄内甕は、畿内第V様式に外来の内面ケズリ技法と尖底形態を取り込んで成立した。地域性・画一性の高かった畿内第V様式圏が他地域との接触を通じて変容し始めた点が墓制の変化とも同期しており(参考:◆6−1)、古墳時代への政治・社会的な変革の指標である。

 大和東南部では播磨や河内の庄内甕が多く搬入され、その模倣またはそれらの地域の土器作り工人の定住が想定される。(米田1998) 纏向遺跡の特異性もこれあり、庄内大和型甕自体が纏向に動員された播磨の工人によって成立した可能性(米田1992)も否定できない。
 畿内第V様式圏内で密接な交流が行われていた証左である。

87◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 23:02:04.94
◆FAQ 75
Q:畿内説は邪馬台国を大和朝廷と同一視しているのだろう!
  畿内説は皇国史観の徒である!

A:そのような短絡を惹起しないよう、「ヤマト政権」「ヤマト王権」等の語彙が用いられている。記紀に登場する「大和朝廷」と区別するためである。

 遺伝的形質の分析から、ウヂの成立は5世紀後半を遡らない。(田中1995)
家父長制は律令期にも未定着とする見方が強い。王権についても、相続権に於て入婿と実子の区別がない時期を経て、父系の血統原理が確立するのは欽明後嗣からと考えられる。
 複数の権威ある家系を母系から統合して相続原理を確定した天国排開広庭を以て、大和朝廷の開始として大過ないであろう。


◆FAQ 76
Q:前方後円墳の分布では倭国の範囲など判らない!
  最北の前方後円墳は岩手の胆沢城の近くだが、多賀城碑を見よ!
  8世紀でも朝廷の勢力範囲は宮城県までだ!
  古墳時代の岩手県はまだ蝦夷の勢力範囲ではないか!

A:古今東西あらゆる政治的勢力の領域は、峻厳な自然国境がなければ必ず変動する。
こと前近代にあっては面的でなく、交通経路に沿って菌糸的に展開し、交錯が甚だしい。
本Qに見られるような直線的進歩史観で歴史が理解できないことは言うまでもない。

 古墳文化と前方後円墳の体制は前期古墳の段階で会津地域に達して安定的に定着し、更に山形県の最上川流域、宮城県北の鳴瀬川・江合川流域に展開する。
北上川流域にも古墳前期に水田耕作が波及し、胆沢扇状地を中心に古墳前期から中期にかけ古墳文化の集落が発展したが、周囲は宥和的な後縄文文化圏であり、孤立的状況を呈している。
更に胆沢地域には豪族居館が現れ、5世紀第3四半期には円筒埴輪・人物・動物・短甲・挂甲・家形埴輪を伴なう前方後円墳の角塚が築かれる。6世紀に入ると集落が確認されなくなるが、7世紀には激増する。

 弥生〜古墳文化の北上に対し、北海道・東北の続縄文文化は後期に当たる北大式の段階で南下し、古墳文化を押し戻す勢いが見られる。7世紀における胆沢地域の中興は斉明朝の活発な軍事行動との関係で捉えることが出来よう。
概観すれば陸前は続縄文文化と対峙する古墳文化圏の最前線であり、陸中南部の胆沢地域はヤマト政権と続縄文系住民の親和的な関係を前提とした飛び地と考えることが出来る。
律令期に近づき強権的な対応を強める大和朝廷と続縄文系住民の軋轢を背景に38年戦争に至る鎮守府と諸城柵の展開を考えれば、極北の前方後円墳が後に俘囚長の拠点となる地域に存在することは理解に難くない。

88◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 23:02:41.76
◆FAQ 77
Q:明治大学の佐々木憲一は論文「古墳出現前後における畿内型甕形土器の西方拡散に関する研究」に於て畿内系土器の拡散状況を分析し、福岡平野の在地社会が大和から独立して,自律的に機能していたと結論しているではないか!
 前方後円墳体制など、夢想だ!

A:前方後円墳体制を律令下の統一国家と同列視するような謬見は、実在する畿内説とは無縁のものである。

 萌芽期国家の未成熟な統治機構の下で、生活用土器の拡散を支えた集落同士のネットワークが前方後円墳や供献土器で象徴される首長間のネットワークとは別に存在したとする佐々木の見解は、何ら不自然でない。
 当テンプレートも「庄内期のうちにヤマトの王権を頂点とする萌芽期国家の紐帯が醸成された」と言う視点から「領邦国家の誕生は未だ遥か先」とする立場である。共通理解の範疇内であろう。

 奴国ー投馬国ー邪馬台国の関係を「那珂川地域ー足守川流域ー纒向は国内流通の大動脈を支えるトロイカ」として認識する。
前方後円墳のネットワークを「地縁的集団首長間の相対の結縁における相互承認関係を基調とした、擬制的親子或いは兄弟的政治力学関係」が「重層的に各地を網羅している状況」として把握する。
こういった本テンプレートのスタンスは、佐々木論文とさしたる乖離がない。

89◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 23:03:15.76
◆FAQ 78
Q:投馬国までは「水行二十日」だ!
  里数が書いてないではないか!
  つまり投馬国は「女王国以北」ではない!
  投馬国は南九州でよいのだ!

A:日数で表記された距離は「道里」に該当するので、投馬国は「戸数道里」の「略載」された「自女王国以北」に該当する。

 『九章算術』巻第六「均輸」に
 「欲以道里遠近・戸数多少、衰出之」とある。
本問には「甲県一万戸、行道八日」、術には「甲衰一百二十五」
とあるので、道里遠近と戸数多少から算出された「衰」は
 甲県で 10,000 ÷ 8=1,250 (約分して一百二十五:「列衰・・重畳則可約」)
であり、「行道八日」が「道里遠近」であることが明らかである。
乃ち均輸法における距離の日数表記を「道里」と称している。

 これを李淳風註して「臣淳風等謹按、
縣戸有多少之差、 行衟有遠近之異。 欲其均等、 故各令行[衟]日數 約戸爲衰。」
「道里遠近」が「行衟有遠近之異」に対応しており、「道里」が「行衟」と換言される。

 本書は前漢代から知られ且つ263年に劉徽が註しているもので、倭人伝述作当時の常識的用字法を表しており、唐初の李淳風に於ても変わっていない。

三国志裴註所引謝承『後漢書』臧洪父旻に
「・・・見太尉袁逢、逢問其西域諸国土地、風俗、人物、種数。
 旻具答言西域本三十六国、後分為五十五、稍散至百余国;
 其国大小、道里近遠、人数多少、風俗燥濕、山川草木、鳥獣、異物名種、
 不與中国同者、悉口陳其状、手画地形。
 逢奇其才,歎息言『雖班固作西域伝、何以加此?』」

とあり、三国志同時代史料においても「道里近遠」の語彙が具体的距離情報群の意に用いられている。
ここで比較対象として挙げられている漢書西域伝でも、各国までの実距離描写に里数に日数表記が混用されていることはFAQ60に述べたとおりである。

 もとより倭人伝は倭人の国々を
  1)自女王国以北、其戸数道里可得略載、
  2)其余国遠絶、不可得詳
と截然と二分類しており、「自女王国以北」と「其余」で悉皆である。
戸数・到達所用日数・官の情報が既知である投馬国を「遠絶ゆえに不可得詳」のグループに配することは極めて不合理であり、投馬国については戸数と道里が略載されている。

90◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 23:04:31.37
倭人伝に於て投馬国が「女王国以北」と認識されていること明瞭である。


◆FAQ 79
Q:纏向の大型建物?
  ただの倉庫だろう?

A:倉庫群は柱筋が通るなどの規則的な配置をとり、均質な建物が搬入・搬出路に直交して並ぶ特徴がある。
纏向の大型建物群は上つ道と平行に東西軸を揃えて形状・機能の異なる建物が複数並んでおり、倉庫群ではない。(FAQ38参照)

 建物Bは、西側に突出部を持つ凸型柵列の突出部(馬面状構造)に存すること、低層建築であれば屋根と壁面とが干渉することより、望楼状の高床式建築物と考えられる。
 建物Cは、棟持柱を有して弥生以来の倉庫形式をとり、宝物庫・神宝殿等の用途が想定される。これを唯一神明造の祖形(黒田2013)とする説がある。
 建物Dは、系譜上から住居形式と呼ばれ、束柱を有する高床式建物とされる。

 強い規格性を持って構築された建物群で、3世紀前半代に纏向遺跡の中心的な人物がいた居館域であったと考えてほぼ間違いない(166次)とされる。


◆FAQ 80
Q:隋書に「則魏志所謂邪馬臺者也」とあるが、魏志に邪馬臺とあったのではない!
 「謂」は世間でそう言われているという意味の動詞だ!
  魏志に邪馬臺と書かれていたのではない! 
  ただ当時の風説を書いたのだ!

A:初歩的な誤りである。
 子謂顏淵曰:用之則行、舍之則蔵。 ー孔子は顏淵に向かって言っている。
 子謂子賤:君子哉若人! ー孔子は子賤のことを語っている。
 動詞「謂」の直前に行為主体が置かれる。

 助詞「所」は後面の動詞と結合して名詞句を構成する。
 よって「魏志が記載している『邪馬臺』」を意味する。

91◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 23:04:53.00
◆FAQ 81
Q:三角縁神獣鏡は呉鏡の系譜に属する国産鏡だ!
  だから邪馬台国は畿内ではない!

A:神獣鏡は広漢西蜀で発生し、長江の南北に分化しつつ伝播した鏡種であって、その末流に位置付けられる三角縁神獣鏡は呉鏡の系譜に属さない。
 後漢末〜孫呉の会稽山陰で盛行したタイプの神獣鏡は、系譜的にも材質的にも三角縁神獣鏡とは異なる系統樹枝上にあることが明確となっており、呉から渡来した鏡師が三角縁を列島で生産したという説は既に終息した。
現在は三角縁を国産と断定し得る論拠が存在していない。

 三角縁神獣鏡が魏晋朝官製であれば邪馬台国九州説が終息するが、生産地の孰れかに関らず畿内説は成立するので、畿内説としては結論を急ぐ必要がない。
よって、専門的研究者が三角縁を徐州系鏡群、製作地を列島でなく対馬海峡以遠とみている傾向の強さのみ指摘するに留める。

 魏景元年間に認められる芝草文様の変容や3世紀後半に特徴的な仏像意匠の登場などといった要素が、三角縁神獣鏡における文様の史的変遷の中途に発生していることは
・三角縁神獣鏡が魏晋領内で継続的に生産されているー
・生産者が魏晋領内より継続的に移動して来ているー
という条件の孰れか一方を満たす必要があろう。

 三角縁神獣鏡の三角縁そのものが淮河流域から楽浪にかけて分布している斜縁神獣鏡からの派生であり、三角縁神獣鏡に分類される初期鏡群は実際には斜縁神獣鏡である。


◆FAQ 82
Q:古墳に副葬された三角縁神獣鏡は、棺外に置かれるなど、他鏡種に比べ低い扱いを受けているではないか!
  このような物は威信財ではないし下賜品でもあり得ない!

A:現実に、葬具も皇帝より下賜される品に含まれる。

 「東園温明」はその名称のとおり皇帝が臣下に下賜する為に制作される器物であり、大将軍霍光の薨去に当たり「黄腸題湊」等とともに下賜されたことで知られている。内側に鏡を貼り付けた箱状の器物で、遺体の頭部を覆い、暗闇を照らす辟邪の葬具である。

 三角縁神獣鏡の原位置に関しては、もと棺上に伏せて置かれており、割竹式木棺の蓋部が水平でないため木棺と左右の石室側壁の間隙に滑落したことが解明されている。(豊岡2018)
初期道教における九寸鏡の効能認識や凸面鏡の形状と併せ、三角縁神獣鏡は「東園温明」の役割を継承した葬具(近藤2004)と合理的に推認できる。
 黒塚では、全ての三角縁神獣鏡が絹製の袋に収められた状態で、棺外に、鏡面を内側にして遺体上半身をコ字型に囲繞している。墓壙内での位置は宝物としての扱いの軽重ではなく、その期待される機能に拠るものと考えるのが妥当である。

 このように三角縁神獣鏡は、中国皇帝が倭王に下賜し、倭王が連合参加の諸君公に再下賜する器物として、適切な性格を有している。

92◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 23:05:15.78
◆FAQ 83
Q:三角縁神獣鏡には「用青同、至海東」という銘文が見られるではないか!
  鏡職人が日本列島にきて鏡を製作したと来歴が書かれているのだ!

A:寧ろ大海の中に在る倭人に下賜するために特鋳したという説の根拠とされる。

●三角縁四神二獣鏡 京目17:大阪国分茶臼山
吾作明竟大好,浮由天下,[敖]四海,用青同,至海東。

●三角縁陳氏作銘帯神獣車馬鏡 京目15:滋賀大岩山古墳
鏡陳氏作甚大工,刑暮周[刻]用青同,君宜高官至海東,保子宜孫。(京大人文科学研釈読)
 大岩山鏡は先づ「鏡」が陳氏の傑作であることを述べる。
「刑暮周刻」は慣用句で「造作刑暮、周刻萬彊」などの用例でも分かるとおり刑暮(型模)を用いで青銅鏡が製作される描写であり「用青同」に続く。
「君d高官」「保子d孫」は鏡の効能を述べており、全て鏡の説明である。
「至海東」したのが鏡師陳氏でないことは明らかである。

 国分茶臼山鏡の「浮由天下敖四海」も慣用句で
「上有神仙人不知老,渴飲玉泉飢食棗,浮游天下敖四海」などと多用されている。
本鏡で「浮由天下敖四海」するのが神仙であることも明らかである。
続く「用青同,至海東」3・3が大岩山鏡の「刑暮周刻用青同,君d高官至海東」4・3・4・3の節略であることは理解に難くない。

 両鏡とも、(青銅鏡製作)→「至海東」の記述順である。
 鏡師が東渡し作鏡したという記述ではない。

93◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 23:06:43.24
◆FAQ 84
Q:卑弥呼の墓は「冢」と書かれているではないか!
  古墳とは違うのだ!

A:説文に冢を「高墳也」とあるとおり、高塚化(◆6及びFAQ 37参照)した以降の弥生墳丘墓、乃至初期古墳の描写として適切である。
本邦では少なからぬ古墳が「冢」の同字である「塚」で終わる歴史的呼称を有している。
中国では始皇帝驪山陵が冢の事例(『史記』並びに『漢書』所収高祖数項羽曰「罪三也。懷王約入秦無暴掠、羽焼秦宮室、掘始皇帝冢、私収其財物」、他に『水経注』等)である。
 但し高墳が常に「冢」と呼称されるものではなく、明帝紀裴註『魏書載戊子詔』では高祖長陵並びに光武原陵が「墳」と呼ばれている。これらは大型で方形の皇帝陵である。

 孝文帝霸陵が「因其山不起墳」(孝文帝紀)とあることからも、大小に拘らず人工のマウンドを築く墓は「墳」に該当することが判る。
諸葛亮の葬漢中定軍山遺命に「因山為墳、冢足容棺、斂以時服、不須器物」とあることを以て墳が大きく冢が小さいとする解釈が誤った巷説であることは言うまでもない。
因山して起墳せざれば「墳」に非ず。不起墳の指示は墳が大きいことを意味しない。
常識で高大な「冢」を敢えて小さく作れという修辞である。素より冢が小さいものであれば「足容棺」と遺命する必要はなく墳が大きく塚が小さい事例ではない。

 類語を重畳する並列型合意語を修辞的に対句へと分割する修辞も常識的なものである。「天長地久」は「天地長久」に等しく、天と地の相違を述べた文ではない。
「粉骨砕肌」「亡身糜躯」「投死為国以義滅身」も然りである。亮遺命が「墳」と「冢」の差異を表さぬことは言を俟たない。

 魏晋の度量衡に照らし、当時の日本列島で径百余歩の「冢」に該当するのは箸中山古墳が唯一である。


◆FAQ 85
Q:祇園山古墳は庄内期の古墳だ! 卑弥呼の墓の第一候補だ!

A:祇園山古墳は盗掘により伴出遺物皆無のため、墳丘裾の甕棺墓K1の年代で語られる。

 K1墓は、発掘調査当初の70年代には共伴する画文帯神獣鏡(破鏡)の年代観から西暦250年前後の指標KVf(橋口編年)と考えられた。石野が公衆向け著述等で卑弥呼冢候補の員数に入れたのも、このような年代観に基づくものと思われる。
 庄内併行期に於ける在来系の様式変化について研究が進むにつれ、柳田が凸帯から庄内併行期の特徴が既に喪なわれていることを指摘(柳田1982)した。
今世紀に入ると、久住が布留式確立以降も博多湾岸地域に残存する在地系甕棺との照合から、IIc期(布留1中・後段階併行)に編年した。(久住2006)
4世紀初頭と考えられる。

94◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 23:07:21.33
◆FAQ 86
Q:卑弥呼冢は「冢」とあるのだから高墳であるのだ!
  日本の古墳は平坦で、高くない!
  卑弥呼の冢は古墳ではないのだ!

A:秦始皇陵が冢であることはFAQ84に述べたとおりである。
  驪山陵墳丘の側面傾斜角は、急峻さに於いて日本の古墳と大差ない。
邪馬台国畿内説 Part528 	YouTube動画>1本 ->画像>62枚


◆FAQ 87
Q:魏皇帝の制詔に「鄭重賜汝好物也」とある!
  「好物」は「よきもの」と訓じるのが正
  特鋳説の根拠にはならない!

A:銅鏡百枚は宮中保管の在庫で賄うには過大な数量と思われ、市中から雑多な鏡鑑を購入するより形大の揃った品を急遽一括生産するほうが下賜品に相応しいと思われる。

 全唐文所収の王茂元「奏吐蕃族交馬事宜状」に吐蕃の馬匹下賜要望に対する諌奏が「昔魏酬倭国止于銅鏡鉗文。漢遺単于不過犀毗綺袷」と記録されている。
 この「犀毗」は漢書匈奴伝に記録ある下賜品「黄金犀毗」(師古注「胡帯之鈎也」)に相当し、匈奴が要求した下賜品(町田1970)である。
 このように、少なくとも唐代に於て魏帝の銅鏡下賜は倭人側の要望に応じたものと理解されていた。
 また、下池山の羅張り夾紵(FAQ45)も、倭人の特注に中華世界が応じた実例である。

95◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 23:07:55.78
 銅鏡百枚が倭人側の要望に応じて特鋳されたと考える根拠となろう。


◆FAQ 88
Q:箸墓を見て前方部の径だけを記録するのは不可解だ!

A:箸中山古墳が築造過程で円丘と基壇部のみの前方部から成っていた時期があることはFAQ 23に既述である。
 中国人が建設途上の箸中山古墳を遠景から目視した場合、完成した陸橋部平坦面上から目視した場合、共に主体部の存する墳丘本体は円形と認識されるであろう。径百余歩という規模認識に不自然さは無い。

 また、中国に於ても陵寝制度下では円形墳丘の一角に方形の寝殿が付随する。鳥瞰すれば前方後円形の土地利用状況であり、中国人が前方後円墳の円丘のみを墳冢と認識することに不自然な要素は取立てて存しない。

 江戸時代の絵画に現れた箸中山古墳は5段段築の円墳として描写されており、後円部の段築描写が正確であるにも拘らず前方部が無い。
 参考:大和名所図会(寛政三年)『長者屋敷』
 邪馬台国畿内説 Part528 	YouTube動画>1本 ->画像>62枚
また河村秀根は書紀集解に「道右有圓形之丘、相伝曰箸墓」と記す。

 このように、後円部のみが墳冢と認識されることを不自然とする根拠は希薄である。


◆FAQ 89
Q:「畿内」という呼称は大和朝廷の存在が前提だ!
   3世紀に大和朝廷が実在した、というんだな!

A:「王畿」という用語が示すとおり、「畿内」という呼称は諸侯支配域の中枢部に存する王権の直接的影響領域と理解できる。天皇制の存否とは無関係に定義できよう。
3世紀の前半から中葉にかけ、日本列島中の有為な範囲に全国的と呼べる王権が誕生したという認識に於て、その中枢領域を「畿内」と称して支障ない。
本テンプレートでは、FAQ4で「畿内」を「概ね2世紀末葉時点の近畿第V様式分布域」と定義した。

 下図に、弥生石棒文化圏と近畿式銅鐸の分布圏を示す。
・有柄磨製石剣分布域は、後の広形銅矛圏に直結している。
対して、今来の弥生文化と在来の縄文的精神文化が融合した弥生石棒文化圏は
・その中核を為す環大阪湾を中心とした近畿地域が近畿式銅鐸圏
・中西部瀬戸内が平形銅剣圏
・東辺が三遠式銅鐸圏
に分裂している。
 この近畿式銅鐸圏の更に中核が近畿第V様式分布域となる。

 夫々、伊都国の失速で分裂崩壊した旧倭国、邪馬台国、投馬国、狗奴国に想定される領域として有望である。
邪馬台国畿内説 Part528 	YouTube動画>1本 ->画像>62枚

96◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 23:08:29.26
◆FAQ 90
Q:倭人伝は短里で解釈するしかない!
  短里でかかれた報告を魏晋の中央が長里で解釈したため錯誤が生じたのだ!

A:中央政府が理解できない単位を用いて報告書を上げる朝臣はいない。
敢えて制式の度量衡を用いないのは帝力の否定であり、叛逆に類する行為であろう。
以下のとおり、魏の皇帝本人から陳寿同時代人まで皆な六尺一歩・三百歩一里の正常な単位を使用していることが明らかである。

「高祖・光武陵四面百歩、不得使民耕牧樵採」(魏書載明帝戊子詔)
「光武原陵 山方三百二十三步、高六丈六尺」(古今注具)
「在臨平亭之南,西望平陰,東南去雒陽十五里。
 明帝顕節陵,山方三百步、高八丈」(帝王世紀)
 ※「古今注具」晋崔豹撰 崔豹は晋恵帝時の太傅
 ※「帝王世紀」晋皇甫謐(215〜282)編(黄巾鎮圧で知られる皇甫嵩の曾孫)
「帝王世紀曰。(洛陽)城東西六里十一歩、南北九里一百歩」
「晋元康地道記曰。城内南北九里七十歩、東西六里十歩」(後漢書劉昭注)
 ※晋元康年間:291〜299
「洛陽十二門、南北九里」(太平寰宇記所引陸機『洛陽記』)
 ※陸機(261〜303)」呉陸遜孫、晋入朝289
(始皇帝冢)「墳高五十余丈、周迴五里余」(集解引皇覽)
「漢家之葬、方中百歩。已穿築為方城…及埋車馬虎豹禽獸」(皇覽)
 ※「皇覽」(魏文勅撰)

97◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 23:09:27.16
◆FAQ 91
Q:「南至邪馬壹國」の「水行十日、陸行一月」は起点が帯方郡なのだ!
   10日で九州北岸に来たのだ! あとは陸路なので九州内だ!

A:大同江河口に位置する鎮南浦より唐津まで、海保水路部距離表に基づけば1,561kmを数える。想定される当時の船速と日照時間を勘案すれば、物理的に不可能な日程である。

 実例に即して言えば、1719年に来日した朝鮮通信使一行は、申維翰の記録によれば、釜山出港より壱岐勝本着までだけでも60日以上を費やしている。釜山を立ち南風に阻まれ絶影島に停泊してから実に31日目の夜半に佐須奈に入港している。


◆FAQ 92
Q:『周髀算経』に一寸千里法が説明されている!
  周代に短里が実在したことは疑い得ない事実だ!

A:『周髀算経』の成立は後漢代初期まで遡らない。西晋代の偽作とする説にも一定の信憑性があり、短里実在説の根拠たり得ない。

 六尺表を用いない『淮南子】や成立年代不明の『周髀算経』を措くと、一寸千里法の初出は後漢末の鄭玄による『周礼』注であるが、数学的算出でも天文学的考察でもなく、古来知られている禹都陽城(地中)に於ける土圭長と王畿千里思想の融合に過ぎない。

『周髀算経』は漢書芸文志に記載なく、引用者も居らず、成立は後漢代初期まで遡らないとされる。一方で円周率に3を使う古拙さから後漢末までは下らないと考えられてきた。
しかし劉徽が263年時点で一寸千里に言及した際も「説曰」として鄭注等から引用するのみで『周髀算経』には触れていない。よって同書の成立年代は更に下る可能性がある。

 また『周髀算経』が記載する数値から計測地点の北緯を逆算すると、統一性がない。このことは同書が今日滅失した緯書など異なる出典から剽窃を繰り返したか、架空の測定数値を用いたかして成立していることを示す。
二十四節気の二至を除く景長、北極四游の南北、ならびに二十八宿周天歴度法については架空が確定している。
北極星の位置について計測地点が北緯37°以北にならざるを得ない異常値さを示している理由は、『尚書緯考靈曜』、『洛書甄曜度』などの緯書に現れた空想的宇宙観と整合性を取るための捏造数字であったためと推認できる。

 八尺表景長が陽城で夏至尺五寸であることは再三実測されており、夏至景長尺六寸は殷都朝歌付近であることも実測されている。
 よって周城景長尺六寸は、『淮南子』と整合を取って八尺:尺六寸=80寸:16寸=5:1という単純な整数比に引き寄せるための捏造であった可能性が高いといえよう。

98◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 23:10:02.06
◆FAQ 93
Q:畿内とは何だ!

A:令制五畿や四至畿内が歴史的実体を伴うことは言を俟たない。令制五畿を改めて定義する必要はないが、改新詔の史料性に疑義があろうとも四至畿内が実態性ある自然国境で関塞の地であることを以下に明示する。

 北の逢坂は南山城と近江を分かつ関塞であることが衆目に明らかである。
 西の櫛淵は一ノ谷付近に比定され、播摂の自然国境である。
 南の兄山は、紀の川ルートで葛城に入って来る者への防衛拠点である。
 東の横河は、木津川水系ルートと宇陀川水系ルート(初瀬街道)が合流する以東、雲出川ルートと櫛田川ルートが分岐する以西で、中勢との分水嶺の内側である。大海人の吉野脱出経路でも知られる。
 ただし本稿では畿内第V様式圏と吉備圏の境界を重視する立場から、FAQ4のとおり針間国/明石国間を西の疆埸と考える。


◆FAQ 94
Q:北部九州と畿内に政治的関係があったなど認められない!
  畿内式土器が出るのは単なる交易の結果だ!

A:那珂・比恵遺跡群は弥生中期以来古墳前期中頃まで大規模な集落として存続しており、晩くともIB期後期頃より倭人伝に登場する三大国の一角である奴国の政治的中枢部として機能していたと考えられている。(久住2000など)
ここに畿内との密接な政治的関係の痕跡が認められる。

 IB期に庄内系(庄内2〜3)が受容されて筑前型庄内甕が成立し、IIA期には在来系が激減。布留0式の影響下で北部九州型布留甕が成立したと考えられ(久住1999)、畿内系主体の遺跡となっている。
IB期新相には纏向石塚(纏向型)と箸中山古墳(定型)の中間的平面形状を呈する那珂八幡古墳が、九州最大の墳丘として、これまで在来系の地域に突然築造される。
邪馬台国畿内説 Part528 	YouTube動画>1本 ->画像>62枚
第二主体からは三角縁神獣鏡が出土する。

 畿内と蜜月の関係を築くことで北部九州最大勢力の地位を確固たるものにした奴国の政治的転換を表すものといえよう。

99◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 23:10:36.17
◆FAQ 95
Q:森井貞雄によれば西暦258の年輪年代が与えられた二口かみあれた遺跡が庄内3だ!
  布留0の箸墓が3世紀中頃である筈がない!

A:布留0の実年代を西暦260〜280頃とする寺澤の見解(橿考研2002)と齟齬がない。

ただし森井が二口かみあれたを庄内3併行と判断したという点について出典がない。
森井は青龍三年(西暦235)銘鏡を出土した大田南5号墳の「庄内3」あるいは「布留0」併行を弥生終末期の終わりの一つの定点(森井1999)としており、本Qは本人の著述と齟齬があって疑わしい。

科学年代西暦258をVI-3様式期(布留0古相)の年代観と対照する森岡(2014)。
上記年輪年代(光谷1995)が古墳時代初頭・布留0併行の暦年代を提出したとする河合(石川埋文2000)。
これらと突合すると、光谷の上記暦年代データは箸墓の築造年代を3世紀後半初とする見解と整合性がある。

◆FAQ 96
Q:「銅出徐州」というが銅山があるのは呉領だった徐州南部のみ!
  彭城銅山県は名ばかりの存在で漢書・後漢書に銅山のあった記録もない!

A:彭城銅山県(現・徐州市銅山区)は北宋の元豊年間に宝豊監が置かれ鋳銭が行われていた。宋銭「元豊通宝」の鉛同位体比は三角縁神獣鏡に酷似している。
のち廃坑となり地名のみが今に残る。
 これと別に、隣接する利国には鉄冶を主する監が置かれていた。

 呉の領有した徐州南部とはもと揚州の属であった広陵郡南端の極めて限られた地域のみで、徐州の殆どは魏領である。
漢書地理志広陵国・続漢書軍国志広陵郡とも鉄を産することを記すのみで銅山があった記録がないことは彭城と同じである。

100◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 23:11:16.75
◆FAQ 97
Q:纒向は蛙を食う貧困な寒村だ!

A:西漢は皇帝の宗廟に羊・兎・食用蛙を供えるのが常であった。
  東漢にあっても普通に食用であった。
  「羔、菟、鼃所以供祭也」霍光伝師古注
  「鄭司農注云蟈蝦蟇、玄謂蟈今御所食蛙也」周礼両鄭注
 纒向土壙祭祀において今人が高級食材とする鯛・鴨・桃などと並んで神饌とされることに不自然はない。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


以上テンプレ
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

注意*前スレが終了してから書き込んでください。

なお、書き込みは
 邪馬台国畿内説に関係が有って
 根拠のある内容をお願いします。
 畿内説以外の独自説を単独で開陳することはご遠慮ください。

 前スレ終了以前及び本スレ立て作業中の書き込みは
 荒らし行為と看做させて頂きます。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
【追加・変更】 ◆FAQ 12に加筆

101日本@名無史さん2019/11/07(木) 23:20:02.94
>>557
>また九州説が捏造しているな
ホントたちが悪い手合いだ<

また「南→東」などの嘘吐き騙しの大和説が、デマを捏造しているな。
ホント、たちの悪い手合いだ。


(臨時ニュース)今日また、PCに緊急事態が発生。
ウイルスに拠って、私の住所が5ch?や大和説者側に側、知られたらしい。

102日本@名無史さん2019/11/08(金) 00:14:36.46
そうか、ウィルスが脳に回ったのか

1031 ◆UiepmfCeDJqf 2019/11/08(金) 00:34:37.15
邪馬台国畿内説は破綻しました

104日本@名無史さん2019/11/08(金) 01:16:19.83
前の996
>倭在韓東南大海中(後漢書)
 俀國在百済新羅東南(隋書)
 倭は朝鮮半島の東南の大海の中

上の史書の前に書かれたのが、下の史書だ。

夫楽浪海中有倭人(漢書地理誌)
倭在帯方東南大海中(魏略)
倭人在帯方東南大海之中(魏志)

倭に対する朝鮮半島上の政治的主体が「楽浪→帯方→韓→百済新羅」と変わっているのが分かる。
帯方以下はすべて、楽浪に置き換えた朝鮮半島上の政治的主体ということである。
そして、「東南」の方位は魏略から現れ、その後は単に踏襲されているだけ。
後漢書の「韓」と隋書の「百済新羅」については楽浪や帯方のようなピンポイントの地理的地点ではなく、
それぞれに相当な東西幅があるものなので、楽浪や帯方のケースとはまったく異なる条件下にある政治的主体だといえる。
それにもかかわらず韓や百済新羅が楽浪、帯方と同じ文章上の位置にそのまま置かれているということは、
韓や百済新羅は「東南」の方位とは無関係に置かれている国名であることが分かる。
このように韓と百済新羅について考えてみると、その前の魏略や倭人伝が記す帯方も単に楽浪に置き換えたものであって、「東南」の方位自体とはそもそもが無関係であることが推測される。

このようにして、では、その「東南」の方位の起点はいったいどこであるのかという疑問が出てくるわけ。
朝鮮半島全体を意味しない韓や百済新羅のケースを考えると、「東南」の起点が朝鮮半島だという漠然とした指摘はなかなか受け入れがたいものとなってくる。
こうしたことをみると、倭が「東南」の方位あるとする資料は帯方や韓、百済新羅の郡名、国名とは別に独立してあった資料から取って挿入されたものではないかというのが妥当だと思われる。
で、その資料とは、魏が倭に送った事前折衝の使節団がまとめた報告書だと推定する結果になる。

105日本@名無史さん2019/11/08(金) 01:33:55.84
卑弥呼の使節団が魏に朝貢するのは239年としたが、
史書に書かれているように景初二年(238年)が正しいとする意見が出ている。

しかし、景初二年は、朝鮮半島や遼東ではまだ戦争が続いており、帰趨の定まらない中での朝貢は不自然だと思われる。
戦争が終結してから、倭に冊封締結のための事前折衝の使節団を送り、いつなんどきに魏の皇帝に誰それが朝貢し、貢物はこれこれ、皇帝からの下賜はこれこれなどの打ち合わせが行われるなど日数が必要。
アポなしで突然倭から朝貢団が帯方郡にやってきて、本国がその朝貢を受け入れてくれるかどうかすら分からないままに倭の使節団を洛陽へ送るなどということはあり得ない。
倭人伝の倭の朝貢の記述は、そのような突然の朝貢を演出したものであって、実際には入念な折衝が行われて計画通りに進められた朝貢だったと思われる。
そうした入念な事前折衝を取り仕切ったのが司馬氏だったということなのだろう。
なので、卑弥呼の使節団の朝貢は景初三年(239年)が正しいと思われる。

106日本@名無史さん2019/11/08(金) 01:34:20.16
理由もなく

107日本@名無史さん2019/11/08(金) 01:40:14.12
>>104

隋のときには裴世清が実際に倭国を訪れているから
倭国が百済新羅の東南にあることがわかっている

108日本@名無史さん2019/11/08(金) 03:23:11.32
>>106
「東南」の方位がいつ誰によって判定されたのか考えると、倭に渡った魏の使節団が判定したとするのが最も妥当だな。

109日本@名無史さん2019/11/08(金) 03:28:06.85
>>107
その300年前に「東南」の方位は分かっていたのだけどね。

110日本@名無史さん2019/11/08(金) 03:59:12.73
>>108
という理由がないな

一人で勝手に「俺様が一番おりこうさん」と言ってるのと同じ
論理がない
客観性もない
つまり知性がない

111日本@名無史さん2019/11/08(金) 06:15:06.47
>>604
>そう。
朝鮮人が縄文人=九州人の遺伝子をもっている。

>朝鮮半島に先に住み着いたのは縄文人(当時の九州人)たと言えるかもな。
済州島の縄文時代は縄文土器しか出土しないらしいし。
現在の朝鮮人はその頃はまだ定住を好まない遊牧民だったから遺跡は残ってないんだろう。<

ふーん。

112日本@名無史さん2019/11/08(金) 06:32:42.24
>>4の図解(模式図)だyo!【魏志倭人伝の倭国観】
   ┏━━┓帯方郡  ┏┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
←┐┃黄海┗狗邪韓国┛(伽耶)〜〜〜日本海〜〜
洛陽┃〜〜〜↓↓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━━━━━━━━━━━━━━━━
【魏】┃〜対馬▲↓南「水行10日」〜〜〜〜┃「女王国東渡海1,000里 複有国 皆倭種」 
 ↓ ┃「瀚海」↓↓玄界灘〜〜〜〜〜〜〜┗━━━━━━━━━━━┓
   ┃〜壱岐▲↓〜〜〜〜┌南「水行10日」┐関門海峡〜瀬戸内海▲┃
v✖s┃〜〜┏末盧━━━━↑━━━━━┓↓〜〜〜〜┏━━━┓〜┃ 
   ┃〜〜┃伊都国→不弥国▲▲▲▲▲┃↓〜〜〜〜┃侏儒国┃〜┗━━━┛
 ↑ ┃〜〜┃▲↘「陸行1日」(正)‗▲▲▲▲↓国東半島┗━━━┛「在其南 人長3〜4尺
【呉】┃〜〜┃♀奴国@【女王之所都】▲▲┃↓豊後水道〜〜〜〜〜去女王4,000里」
建業┃〜〜┃狗奴国▲▲▲▲▲▲投馬国←┘宮崎平野=南「水行20日」
   ┃〜〜┗━━女王国島━━┛↓〜〜〜〜〜〜〜〜
会稽┃〜東シナ海〜┌南「水行10日」〜〜〜〜〜〜〜〜
東治┃〜〜┌─┌←▲奄美大島┐↙陳寿の創作(女王国島のパラレルワールド)↓
 ↓ ┃〜〜│〜↓「陸行1月」_〜│←「自女王國以北其戸数道里可得略載」(北部九州30カ国)
   ┃〜〜│〜↓▲沖縄〜〜〜│〜〜↓「自郡至女王国 12,000里」
東冶┃〜〜│♀奴国A(幻)〜〜│←『【女王之所都】計其道里 當在会稽「東冶」之東』(魏<西晋のプロパガンダ)
   ┃〜〜│▲台湾〜〜〜〜〜│〜〜↑「此女王境界所尽 其南有狗奴國 不属女王」
香港┃〜〜└┐〜〜〜〜〜〜〜│←「其余旁国遠絶(幻)不可得詳」
┏▲海南島〜└邪馬台国島(幻)┘〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
┃↖儋耳朱崖〜〜南シナ海〜〜「所有無與儋耳朱崖同(服装・産物・動物・武器)倭地温暖冬夏食生菜」
┛←南越(ベトナム)〜〜〜〜〜↘▲裸国フィリピン〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜↘▲黒歯国インドネシア▲パプアニューギニア「複在其(奴国A)東南 船行1年」

113日本@名無史さん2019/11/08(金) 06:40:32.10
>>4
>>112
卑弥呼の魏帝への朝貢目的は、蜀の牽制として西のインド・クシャーナ朝「親魏大月氏王」同様、呉の牽制として東の「親魏倭王」号を取得し、帯方郡が管理している「伽耶の鉄」の倭国における輸入独占権の確保(郡宛て書簡封泥用の金印「親魏倭王」)。
つまり狗奴国戦争における後方支援(後に援軍)要請だったわけで、南の狗奴国の位置が決まれば、自動的に北の邪馬台国の位置も決まることになる。
長年続く邪馬台国所在地論争の核心は、実は狗奴国の位置であることに留意されたい。
そこで九州説、畿内説における狗奴国を検討すると、以下のようになる。

−女王国 東→渡「海A」千余里 複有「国皆倭種B」(〇九州説…A関門海峡・B本州、✖畿内説…A鈴鹿山脈・B北海道)
−其南↓有狗奴國 不属女王(〇九州説…熊本もしくは薩摩、✖畿内説…仲良し東海)

畿内説はいずれも当てはまらない上、「渡海複有国皆倭種(→東)」と「狗奴国(南⤴東)」が重複し、矛盾が生じる。
また、鉄製武器(軍事力)も文字・駅伝制(通信手段)もない3世紀の畿内にいて、遠隔の北部九州を安定支配するのは物理的に不可能。
魏志倭人伝を史料として採用する以上、九州説が正しいことになる。
では、狗奴国が熊本か鹿児島かだが、邪馬台国七万戸を統治する倭女王をして、魏帝に援軍要請させるほど窮地に陥れる国の軍事力を考えると、
その人口は邪馬台国と同等(七万戸)もしくはそれ以上の人口(八万戸)を想定。
面積から見て、川内平野でゎ「平野面積≒戸数」となる3世紀の開墾能力では無理があると思われ、狗奴国は菊地平野(狗古智比狗の本拠)+熊本平野+八代平野の3平野を合わせた超大国と考定して、
北の邪馬台国は、北岸の吉野ヶ里遺跡を始め、弥生拠点集落の宝庫「筑後(川)の賜物」筑紫平野、卑弥呼王宮はその最高所・甘木朝倉を、
卑弥呼の冢「大作冢径百余歩(尺)=0.25m×100歩=直径25m」は、3世紀中頃の築造で、筑紫平野を一望でき、同時期の殉葬者が少なくとも66人以上確認されている「有棺無槨」祇園山古墳を比定。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%87%E5%9C%92%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3

114日本@名無史さん2019/11/08(金) 06:51:34.74
>>662
>「東征毛人五十五国」は応神天皇の頃の話だろうな。
纏向の話は3世紀中頃以前。<

「東征毛人五十五國」は、
「国生み神話」から始まっているが、国生み神話時代には、「植民共存」程度であり、
「国」としての纏まりではなかったらしい。
その次が饒速日や五瀬命神武らの東征になり、一応「小部族の集落的国」を造ったらしい。
その次が、高地性集落時代であり、在地毛人や出雲系部族を征服支配して行き、
倭國亂や卑弥呼共立や狗奴國戦で九州が安定化した後の3世紀後半に、
九州倭国の正規軍が東征や渡平海北九十五國をして行った、という事になる。

115日本@名無史さん2019/11/08(金) 06:59:38.38
>>113すると、欽明(天皇家開祖)の父にして、古代史の謎である継体の正体(呉の南の「越」王の分家>狗奴国・卑弥弓呼末裔/鯨魚@八代淡海→近江琵琶湖)も判明!古代史は以下のように一挙に解明できるのである!

漢委奴国王=1世紀(弥生後期)
帥升=2世紀(倭国大乱)
卑弥呼=3世紀(弥生終末)邪馬台国(帯方郡張政の仲介で狗奴国を併合)…伊都国王神武「更立男王国中不服」を派遣し、紀伊半島西部水銀鉱床で栄えていた大和纏向を征服させ、奥津城(王家の谷)として隠蔽&独占。
崇神朝=4世紀(前期古墳)伊都国(台与死後「複立男王並受中国爵命」)…垂仁、伊勢神宮を創建し紀伊半島東部も聖域化。紀伊半島の水銀鉱床完全独占。
応神朝=5世紀(中期古墳)邪馬台国(仲哀を武内宿彌&神功が暗殺)…魏晋【宋/斉/梁】南朝へ朝貢再開。479年「武」上表「安東大将軍倭王」に任官(悲願達成)。
継体朝=6世紀(後期古墳)狗奴国(武烈死後、倭王磐井を暗殺「百済本紀531年、日本の天皇・皇太子・皇子共に薨去」、筑紫君と矮小)…阿蘇邪靡堆へ遷都。倭国独自(九州)年号創設。
日出処「天子」倭王阿毎多利思比孤、新羅の朝貢を契機に隋煬帝に対し対等外交宣言607年
欽明朝=7世紀(飛鳥時代)…仏教による墓制(国家祭祀)変更のため、欽明皇子、蘇我稲目と共に奥津城(王家の谷)に下向。大和分家として飛鳥疎開宮造営。
用明&厩戸…物部守屋を誅殺し前方後円墳廃止。大和分家を乗っ取ろうとした蘇我氏を九州本家の天智が誅殺し、近江大津京へ東遷(大化の改新)。
天武朝=8世紀(奈良時代)記紀編纂→唐外交の火種【九州年号&多利思比孤】を抹消すべく、崇神朝〜応神朝〜継体朝の歴代倭王権@九州本家の交代が、すべて大和分家で起こっていたように史実歪曲。
畿内を記紀の歴史テーマパーク化(九州の地名をそっくり移植。阿蘇外輪山→三輪山、八代淡海→近江琵琶湖など)
桓武朝=9世紀(平安時代)

まとめると、
九州本家…卑弥呼台与(邪馬台国)→崇神朝(伊都国)→応神朝(邪馬台国)→継体朝(狗奴国/阿毎多利思比孤)→天智東遷(難波宮大津宮)→桓武(平安京)
大和分家…神武朝(伊都国)東征→崇神朝奥津城造営(紀伊半島の水銀鉱床目的)↘欽明朝(推古摂政厩戸)→天武持統(飛鳥宮藤原京)→元明(平城京)

116日本@名無史さん2019/11/08(金) 07:04:12.51
>>666
>つまりは、加美遺跡に関しては根拠なしに鑓鉋集団が「いてもおかしくない」と主観で主張する訳だww
じゃあ、弥生時代の畿内では十分に鉄器が出ているし、それが一体の経済圏となっているのは
畿内第V様式土器の共通化で確認できるから、纏向大溝の矢板は鉄器の鑓鉋を用いて作った
⇒「纏向遺跡には十分量の鉄器があった」がファイナルアンサーだなww
あったけれども、出土はしていない、が結論になる訳だ <

ダメだな。
河内は、九州倭國の東征支配が早くから存在して、鉄器もある大都会?であったが、
大和は、その頃はまだ田舎であり、
大和に九州倭国の正規軍が到着したのは、那珂八幡の後の石塚頃になり、
鉄器が大量に齎されたのは、ホケノの将軍からだろう、という事になる。

117日本@名無史さん2019/11/08(金) 07:07:36.99
>>115
邪馬台国女王・台与の死後、倭王となった伊都国王・崇神「複立男王並受中国爵命」の玄孫(4世孫)・仲哀から王権を相続(奪還)した応神(胎中天皇)は、仲哀の実子ではなく、
筑紫女王・神功皇后(記紀が1世紀前の邪馬台国「卑弥呼」と混同させられる理由)と大臣・武内宿彌の子供説(リンク参照)がある(仲哀崩御の十月十日後に筑紫で出生)。
仲哀の息子(応神の異母兄)たち(籠坂かごさか&忍熊おしくま皇子)の反乱もこれが原因である。

ここに武内宿彌の正体も明らかになるのである!
崇神朝(伊都国)の@景行A成務B仲哀、応神朝(邪馬台国)C応神(息子)D仁徳(孫)の5人の大王に仕えた彼は、筑紫女王・卑弥呼の男弟の末裔なのである!
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%86%85%E5%AE%BF%E7%A6%B0

その応神朝@筑紫(邪馬台国の♂武内宿彌&♀神功皇后)を筑紫君磐井の乱で下剋上した狗奴国王・継体@阿蘇は、仁賢皇女・手白香姫を娶って欽明皇子を産ませることで、歴代倭王統の維持を図った(倭国大乱の再発予防)。

この欽明皇子が義理の父・蘇我稲目とともに、古代東アジア標準の中央集権強化手段=仏教への国家祭祀(墓制)変更のため、奥津城(王家の谷)大和に下向して大和分家(飛鳥)を築き(継体の大和入り20年に仮託)、
その次男・用明の代で、ついに強硬な廃仏派である大連・物部守屋を滅ぼして前方後円墳築造を廃止。その妹推古が仏教の国教化を成就。
しかし、全国の官寺建設で国家予算を恣にした蘇我蝦夷・入鹿父子が大和分家の皇族を次々に粛正し、乗っ取ろうとしたため、九州本家の天智@太宰府(瓦葺き)が飛鳥(板葺)宮に下向。三韓大使の目の前で誅殺(乙巳の変)。
その後、663年に白村江海戦での完敗により、唐・新羅の連合艦隊による倭王征伐がいよいよ現実味を帯びたため、継体→安閑・宣化→阿毎多利思比孤系統の九州本家・天智が、近江大津京に東遷。

ここに倭王権は史上初めて北部九州を出て、近江大津京→飛鳥浄御原宮→新益藤原京→平城京→平安京へと続く畿内中心の歴史が始まるのである!
欽明以前の「畿内」には、崇神朝・応神朝はもちろん、直前の継体朝ですら記紀伝承地に大王宮が一つも出土せず(明治以降設置の石碑のみ)、巨大王墓と倉庫しか出土しないのは、そのためである。

118日本@名無史さん2019/11/08(金) 07:08:47.34
>>667
>でたらめ乙
畿内第V様式土器の存在が、そういう戯言を蹴散らしてくれる <

第X様式も河内が中心であり、大都市?時代。

119日本@名無史さん2019/11/08(金) 07:13:04.29
>>117
ダイワとしか読めない大倭(大和)を「ヤマト」と読ませるのはなぜか?
邪馬台国があったからではなく、その逆で、国内外(唐)に対し、新益藤原京を新設した「畿内」に、筑紫邪馬台も阿蘇邪靡堆もあったと思わせたかったからなのである!

白村江海戦惨敗で東遷した九州本家の天智の後を継いだ、大和分家の天武が正史記紀を編纂させ(唐を刺激する、継体創始の倭国独自年号&日出処「天子」多利思比孤を抹消)、
それに合わせて九州の地名をそっくり移植し、畿内をその歴史テーマパーク化していったからで、そのテーマパークの名前が「大倭」(ヤマト)なのである!

7世紀唐までの中国歴代王朝には、倭国は九州島のみと認識されていたことが判る。
魏志倭人伝「女王国(九州)東渡海千里複有国皆倭種(本州)又有侏儒国在其南(四国)」
隋書倭国伝(冠位十二階の倭王・阿毎多利思比孤@阿蘇邪靡堆)、旧唐書(原文略)
日本の使者Aは「日本国(本州)は昔の倭国(九州)とは別の国だったが、日辺(→東)にあったので、日本と名付けた」
別の使者Bは「倭(九州)と言う名前が優雅でないから日本(本州)と改名した」と言い、
また別の使者Cは「日本(本州)は昔小国だったが、倭地(九州)を併せた」と言った。
来朝した使者ABCの態度が尊大で、真実を言っている様子がなかったので、中国は彼らを疑った。

事実は逆で、白村江海戦惨敗で九州本家が大和分家(近江大津京)に東遷後、実際はすべて北部九州で展開していた記紀の歴史テーマパークにするため、後漢書東夷伝の「大倭」@九州を借用し、
発音は北部九州時代の都であった筑紫邪馬台&阿蘇邪靡堆(ヤマト)としたということなのである!
ゆえに「魏志倭人伝」の年代記述に合わせて箸墓の築造年代を半世紀繰り下げて生まれた畿内説(他人の褌)、ならびに教科書に載っている古墳時代の「畿内」にあったとされる「ヤマト王権」(定説)は、
唐外交を最優先課題とせざるを得なかった天武・持統朝が国家事業として強行した、この複雑なからくりに惑わされて生まれた幻想で、
特に前者は、記紀(ヤマト王権)という虚構のゴール地点から、魏志倭人伝と考古学の年代繰り上げ操作という他人の褌で、どこまで史実(スタート地点)歪曲&洗脳を定着させられるのか?という、社会実験に過ぎないのである。

120日本@名無史さん2019/11/08(金) 07:30:19.10
>>114
>「東征毛人五十五國」は、
>「国生み神話」から始まっているが、

「国生み神話」って
「淡路洲」を「胞」として
「大日本(日本此云耶麻騰豐秋津洲」から
→「伊豫二名洲」
→「筑紫洲」→「億岐洲」&「佐度洲」→「越洲」→「大洲」
→「吉備子洲」
これが「大八洲國」で
その後「對馬嶋」「壹岐嶋」「處々小嶋」が登場

九州説完全否定だが

121日本@名無史さん2019/11/08(金) 07:37:52.88
>>119
まとめると、663年8月の白村江海戦で(互いに先陣を競って無秩序な突撃を繰り返す)倭国水軍を全滅させた大艦隊を擁し、ダウンロード&関連動画>>


その気になれば、完全に無防備〔もはや陸軍のみ→夥しい神籠石(高句麗)式&朝鮮(百済)式山城の築造ラッシュ〕となった倭国に来襲し、天智の首都・太宰府を殲滅できた超大国・唐(外交)への忖度で生まれた記紀が消そうとしたのは、

A.倭国史上初めて北部九州を出て、近江大津京に東遷した天智@太宰府以前の倭王権(崇神朝→応神朝→継体朝)がすべて北部九州(筑紫邪馬台→阿蘇邪靡堆→天智太宰府)にあったこと
→3王朝ともその奥津城(王家の谷)&新益藤原京を新設したばかりの「畿内」にあったことにした(記紀の歴史テーマパーク「大倭」→「大和」>聖徳太子「以和為貴」)。
B.さらに、磐井の乱で応神朝@筑紫を乗っ取った、継体朝@阿蘇がやらかしていた3つの不都合な史実なのである!

@(武寧王の百済を完全属国化した)継体が南北朝の中国二帝並立の隙に創始してしまった(時間の支配者=中国皇帝の冊封からの独立を意味する)倭国独自(九州)年号
→天智の【倭京】(太宰府)以前は全て抹消!(下記リンク参照)
A鉄の産出により高句麗&百済に形勢逆転した新羅からの朝貢で調子に乗り、南北朝を再び統一した隋の「天子」煬帝相手に日出処「天子」を名乗ってしまった阿毎多利思比孤(冠位十二階)
→同時期の大和分家・厩戸皇子と合成し、憲法十七条(以和為貴)「聖徳太子」を捏造&抹消!
B白村江海戦惨敗で唐新羅連合艦隊の倭王成敗(王族9親等全員処刑)に怯えた九州本家・天智@太宰府の、(裏口から船で高句麗に脱出できる)近江大津宮への遷都(臆病風→周辺国の笑い草)
→舒明♂皇極♀の長男=斉明皇太子として大和分家に接続&統合!(皇極斉明重祚&天智天武兄弟の秘密)

-継体朝@阿蘇による倭国独自(九州)年号一覧
継体・善記・正和・教知・僧聴・明要・貴楽・法清・兄弟・蔵和・師安・和僧・金光・賢称・鏡當・勝照・端政・告貴・願転・光元・定居・【倭京】・仁王・僧要・命長・常色・白雉・白鳳・朱雀・朱鳥・大化・大長
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/nengo/nengou.html
-熊本県玉名市和水町前原の石原家文書
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaiho122/kai12204.html

122日本@名無史さん2019/11/08(金) 07:41:40.08
古事記の国生みは
「淡道之穂之狭別島」
「伊予之二名島」
「隠伎之三子島」
「筑紫島」
「伊伎島」
「津島」
「佐度島」
「大倭豊秋津島」
以上が大八島国
これも九州説否定

123日本@名無史さん2019/11/08(金) 07:45:37.61
言うまでもないが
九州説は現代人の手による創作日本史物語だ
だって史料にぜんぜん基づいてないだろ?
歴史学と関係ないことが
このスレの九州説を見ててよくわかる

124日本@名無史さん2019/11/08(金) 07:49:25.11
>>122
今のところ特定されていないが、これらの島も倭国(阿波)周辺の島々なのだろう。   @阿波

125日本@名無史さん2019/11/08(金) 07:53:57.71
【倭国】

弥生時代前期末に玄界灘沿岸に倭国が成立して前漢と国交を持ち、後漢の頃には漢委奴国王印により倭国王に冊封された。後漢書では、倭国は朝鮮半島南岸の狗邪韓国から九州北岸の倭奴国までの、対馬海峡の海洋国家として書かれている。
対馬海峡における貿易の権益が、天津神すなわち海の神を中心とした倭国の形成の原動力であったと考えることができる。

記紀の国生み神話で、イザナギが矛を使って最初に得た領土である淤能碁呂島は、銅矛文化圏の中心である博多湾にある能古島のことであるという説がある。
それに続きイザナギとイザナミの生んだ国土のうち、天の冠詞がつく隠伎之三子島(天之忍許呂別)、伊伎島(天比登都柱)、津島(天之狭手依比売)、
女島(天一根、姫島)、知訶島(天之忍男、五島列島)、両児島(天両屋、男女群島)が天つ国(海の国)の本来の領域である。
これは倭は博多湾沿岸を都として対馬海峡に広がるという後漢書の記事とよく対応している。

連合国家である倭国の盟主は海神の故郷である筑紫であり、他に九州北部の倭国連合を構成する豊国、肥国がある。倭地とされた本州には出雲、越などがあった。
博多湾岸を起点として対馬海峡から朝鮮半島南岸へ、日本海から山陰や北陸に広がる国が古代の倭国の姿である。
その中で、大陸や半島との交易は一貫して筑紫が独占していた。

卑弥呼の時代には倭は九州内陸へ拡大していく。
九州で出土した副葬品の分布地図
邪馬台国畿内説 Part528 	YouTube動画>1本 ->画像>62枚
上記の地図は邪馬台国と狗奴国(熊本)を合わせた九州北部の国、倭国の中枢を示している。
これに属州としての日本海沿岸、瀬戸内海沿岸の地域が付随する。
卑弥呼の時代の畿内は、奈良も京都も大阪もまだ沼地であり、特に奈良は主要交易路からはずれた名もなき辺境の沼地であった。

2世紀の倭国大乱後の女王の墓として3世紀に平原遺跡が作られた。
副葬された王位の証である八咫の鏡は、筑紫伊都国が王権の所在地すなわち倭国の王都であったことを示している。

126日本@名無史さん2019/11/08(金) 07:54:24.02
【鬼道と神道】

伊都国にあたる平原遺跡からは最大の銅鏡である八咫の鏡5枚を含む史上最多の40枚の銅鏡と、太刀と約2000個の玉、鉄器などが出土しており、三種の神器に相当する副葬品(鏡、剣、玉)が揃って出土している。
3世紀で最大の倭国の王位を象徴する八咫の鏡を用いた国家規模の祭祀に倭国の女王である卑弥呼が関わらなかったわけはない。
周囲には鳥居や御柱の跡も残っており、古代神道の形式が整っていたことがわかる。
これは3世紀においてすでに倭国には神道があったことを意味している。
邪馬壹国は鬼道などの言葉の印象が強いため後進国のように思われがちだが、中国人から見た鬼道とは、神道の儀式を指していたと考えられる。
そして、その祭祀は畿内ではなく筑紫の伊都で行われていた。

平原遺跡から出土した八咫の鏡の形式である内行花文鏡は、もともと紀元前から博多湾岸では多く出土し、漢の皇帝から王侯に冊封された証である威信材として用いられていたと考えられる。
内行花文鏡の文様は太陽を形取っていることから、天つ神としての太陽信仰の象徴として最適であったと考えられる。
漢の滅亡後に作られた平原遺跡では八咫の鏡を含めほとんどが国産の鏡となっており、漢から下賜された鏡よりも大きな内行花文鏡を完成させることで王権の象徴となったと考えられる。
後世においては、八咫の鏡を継承することが天皇位の証とされ、今日でも伊勢神宮と皇居で1枚ずつ祭られている。

127日本@名無史さん2019/11/08(金) 07:54:47.29
【筑紫の日向】
筑紫の日向は、しばしば宮崎県のことだと誤解されるが、福岡県のことである。
筑紫の日向の小戸の阿波木原はイザナギが禊をしたところとされており、福岡市西区小戸に比定されている。
この禊で生まれたのが博多に祭られる住吉三神や志賀島に祭られる綿津見三神である。
博多湾沿岸は、倭国の王権の発祥の地として知られている。

古事記では天孫降臨の地は「筑紫の日向の高千穂の峰のクジフル岳」とある。
福岡県の高祖山の南側は、別名をクシフル山とも言う。
「高祖村、椚 二十四戸。慶長の頃、黒田長政、村の南の、野地を開き、田地とすべしと、手塚水雪に命ぜられし書状、今も、農民、田中が家にあり。
其書に、五郎丸の内、日向山に、新村押立とあれば、椚村は、此時立しなるべし。
民家の後にあるを、くしふる山と云、故に、くしふると、云ひしを訛りて、[木毛]と云とぞ。
田中は、元亀天正の間は、原田家より与へし文書、三通を蔵す」
(福岡県地理全誌抜萃目録、恰土郡之部)
考古学的にも、三種の神器を伴う弥生王墓は高祖山の東の福岡平野と西の糸島平野にのみ発見されている。
クシフル山から自分の国土を眺めたニニギの国見の詔に「此地は韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり」とある。
宮崎県の日向高千穂では意味が通らないが、福岡県の高祖山なら、福岡平野と糸島平野の間にあり朝鮮半島に向かう博多湾に面している。

高祖山には後世に山頂から山麓までを囲む中国式山城である怡土城があり、その中に高祖神社がある。その原型が記紀にある高千穂宮だろう。
筑紫の日向にあった伊都国が倭国の王都であり、高祖山の高千穂宮が倭王である天孫降臨の舞台、神武東征の出発地、そして倭国女王卑弥呼の王城である。

邪馬台国畿内説 Part528 	YouTube動画>1本 ->画像>62枚

128日本@名無史さん2019/11/08(金) 07:55:34.82
【邪馬台国と周辺の国】
1番 斯馬国は志摩(嶋)郡(福岡県糸島市)
2番 己百支国は伊万里(佐賀県伊万里市)
3番 伊邪国は平戸島(長崎県平戸市)または伊佐早国(長崎県諫早市)
4番 都支国は早岐(長崎県佐世保市早岐)
5番 彌奴国は長崎県長崎市(または長崎県西彼杵郡)または嶺(佐賀県みやき町三根)
6番 好古都国は高来郡(長崎県雲仙市)
7番 不呼国は須古(佐賀県杵島郡白石町)
8番 姐奴國は曽根(佐賀県神埼市神埼町本堀曽根ヶ里)
9番 對蘇国は鳥栖(佐賀県鳥栖市柚比町)の安永田遺跡
10番 蘇奴国は?
11番 呼邑国は佐賀県小城市
12番 華奴蘇奴国は佐賀県神埼市の吉野ケ里遺跡
13番 鬼国は?
14番 爲吾国は伊古(長崎県雲仙市瑞穂町伊古遺跡)
15番 鬼奴国は小郡(福岡県小郡市)
16番 邪馬国は八女(福岡県八女市)の広川か高良台、室岡・亀ノ甲遺跡
17番 躬臣国は玖珠(大分県玖珠郡玖珠町)
18番 巴利国は杷木(福岡県朝倉市)または針磨(福岡県筑紫野市針摺)
19番 支惟国は基肄城趾(佐賀県三養基郡基山町)
20番 烏奴国は大野城趾(福岡県大野城市)
21番 奴国は那の縣(福岡県福岡市)の再掲

邪馬台国(倭国)の範囲はおおむね筑紫と肥国から肥後狗奴国を除いた範囲であり、半時計回りに周旋5000里である(対馬海峡が3000里)。
魏志倭人伝には、東に海をわたったところにも倭人がいると記載され、本州と四国のことと考えられる。
狗邪韓国 朝鮮半島南岸
対海国 長崎県対馬市、一大国 長崎県壱岐市
末廬国(諸説あり)
伊都国 糸島市(旧怡土郡)、奴国 福岡市(那の津)→あわせて邪馬台国(女王の都)
不彌国 福岡市東区(香椎宮)
投馬国 宮崎県西都原市(都万神社)
邪馬台国畿内説 Part528 	YouTube動画>1本 ->画像>62枚

129日本@名無史さん2019/11/08(金) 07:56:31.54
【壹與と與止日女】

肥前国一宮である與止日女神社(佐賀県佐賀市大和町川上)があり、かつては河上神社と呼ばれていた。
その祭神は與止日女命(ヨドヒメ)といい、世田姫(ヨタヒメ)、淀姫(ヨドヒメ)、豊姫(ユタヒメ)とも呼ばれる。
與止日女神社を流れる佐嘉川は江戸時代の治水工事までは佐賀平野において筑後川に流入していた。
魏志に記された末盧国に比定される松浦にも淀姫神社(長崎県松浦市志佐町)があり、そこから松浦川を上った上流にも河上大明神こと淀姫神社という神社がある(佐賀県伊万里市大川)。
與止日女神社の末社は福岡県から熊本県、長崎県、対馬まで分布している。
後に淀姫神社は畿内にも勧請され、豊臣時代の淀川や淀姫の名前の由来でもある。
かつて豊前国一宮は今の宇佐八幡宮(大分県宇佐市)ではなく香春三山の香春宮(香春神社、福岡県田川郡)であったとされており、三の岳の祭神が豊比v命といい、同一人物の可能性がある。
この領域は邪馬壹国連合の一部であり、その主である與止日女命は卑弥呼の権威を受け継いだ壹與そのものだろう。
熊襲の由来が卑弥呼の敵であった肥後の狗奴国であれば、卑弥呼のいた筑後でも伊都国のあった筑前でも狗奴国のあった肥後でもなく、肥前から壹與が共立されることでバランスを取り、狗奴国が和解して倭国が統一されたと考えることができる。

この與止日女神社の西に大願寺廃寺跡(佐賀市大和町大字川上大願寺)という遺跡がある。
ここに熊襲の王であるクマソタケル、名をトロシカヤ(取石鹿文)という人物の墓が伝わる。
この地に伝わる伝承では、筑紫を根城としていたトロシカヤが筑紫の穴倉陣で小碓命に襲われて肥前川上に脱出してくる。
小碓命は船で肥前堀江、蠣久と追跡し、大願寺の山中でトロシカヤの宮の新築祝いに女装して潜入し、トロシカヤを暗殺する。
死の間際にトロシカヤはクマソタケルの名を返上してより小さな地域の王の名であるカワカミタケル(川上梟帥)と名を改め、小碓命にヤマトタケル(倭建命)の名を献上する。
ここで重要なのは熊襲がこの時代に筑紫を拠点に九州北部を治めていて、倭国の王家そのものと考えられる点である。
また、その本拠地は壹與と見られる人物の本拠地でもある。狗奴国として分裂していた肥国王統から女王壹與を迎えることで、倭国は安定を手に入れたのである。

130日本@名無史さん2019/11/08(金) 08:20:29.37
長文コピペは読む気になれないよ
要点をまとめて欲しい

131日本@名無史さん2019/11/08(金) 08:43:50.10
今朝も、破綻した邪馬台国畿内説を宣伝している朝鮮人の奧山氏が、テンプレートを、完全に論破されているな。。。

132日本@名無史さん2019/11/08(金) 08:45:45.78
邪馬台国畿内説は、完全に破綻したのだから、このスレッドでは、バンビシャスが、活発化するためには、どうすれば良いかを討論すれば良いな、、

133日本@名無史さん2019/11/08(金) 08:45:53.30
>>130
卑弥呼を含む一連の倭国王権は九州北部にあった(佐賀、熊本、大分を含む)。
王都は福岡の日向。
畿内政権は分家であったが、後世に本家の歴史を剽窃した。

134日本@名無史さん2019/11/08(金) 08:48:54.15
NHKが邪馬台国畿内説に証拠が無い事を発表しました。
そして、同じ放送では、纏向には宮室だけは、有ったのに対し、九州の城には、宮室、楼観、城柵が揃っていたという、頭が普通の者が視聴すれば、
纏向の掘立建物には卑弥呼の城の条件が揃っていないことが理解できる、見事な対比法を発表したのだったな。。。
http://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/nihonshi/archive/chapter002.html
巻向遺蹟は、何十年もかけ、莫大な税金と人員を投入し、200回程もの発掘調査を実行したのだが、邪馬台国畿内説の具体的な証拠を発見出来なかったのではないのかな、、、
そして、九州には、費用も人員も、巻向の1/7程も、集中的に調査した地区は無いのだったな、、

135日本@名無史さん2019/11/08(金) 08:50:36.09
湿潤耳垢:弥生系「倭国」筑紫、出雲、越
乾燥耳垢:古墳時代以降に流入した半島(ツングースク)系「日本国」

邪馬台国畿内説 Part528 	YouTube動画>1本 ->画像>62枚

136日本@名無史さん2019/11/08(金) 08:51:20.35
纒向遺跡への搬入土器(全体の15%)の出身地割合
伊勢・東海系 : 49%
北陸・山陰系 : 17%
河内系 : 10%
吉備系 : 7%
近江系 : 5%
関東系 : 5%
播磨系 : 3%
西部瀬戸内海系 : 3%

纒向には魏の使いが滞在していた筑紫からの搬入物がない。
邪馬台国が交流していたはずの楽浪・帯方郡からの土器も出ない(四捨五入で1%に満たない)。
目と鼻の先の河内との交流も乏しく、畿内の他の地域のような瀬戸内海や淀川の水運の利益を受けられない、尾張の影響下の後進地域であった。
畿内説が言うように東海地方が狗奴国なら、纒向への土器の流入を説明できない。
河内が狗奴国とする説もあるが、その場合も纒向は半島大陸への玄関口である筑紫へのアクセスルートがなくなり、魏と交流できた可能性は低い。
尾張とはむしろ密接な関係であり、尾張を狗奴国と想定することもできない。
考古学的には邪馬台国畿内説は成立することが困難である。

137日本@名無史さん2019/11/08(金) 08:53:05.30
邪馬台国畿内説を宣伝する係員の奥山氏への弔辞を発表します。。。

奥山氏、今、僕達はあなたにお別れを告げようとしています。数時間前、討論していた時はあんなに元気だったのに、、、突然、自殺体になろうとは、誰が予想できたでしょうか。
振り返ってみれば奥山氏と僕達との出会いは、5ちゃんねるの掲示板でした。偶然に僕達がスレッドを覗いた事がきっかけで、魏志倭人伝時代についての討論会で一緒に過ごしました。
奥山氏は、あの時からずっと変わらず卑劣な論敵でいてくれました。そして、奥山氏はいつも僕達に論破されましたね。。。僕達にとって奥山氏は、頭の悪さを楽しませて貰え、笑えてリラックスさせられる存在です。
奥山氏が頑張っているから、僕達が癒される、、、いつもそんな思いで生きてきました。
奥山氏、どうぞ安らかに眠ってください。また、天国であなたと討論できる日までお別れです。

奥山氏、本当に心よりありがとう。

138日本@名無史さん2019/11/08(金) 08:55:18.03
今日も朝からゴミコピペ
堕ちたもんだな九州説

139日本@名無史さん2019/11/08(金) 08:57:49.86
「テンプレ」よりはまし。

140日本@名無史さん2019/11/08(金) 09:07:35.76
>>139
ふーん
知能が低いとそう感じるのかあ

141日本@名無史さん2019/11/08(金) 09:11:16.34
>>133
なるほど、一言でいうと

「畿内説は妄想です」

という事ですね。

142日本@名無史さん2019/11/08(金) 09:21:33.47
>>140
資料の作り方でその人の知能がわかる

・○○参照などのリンクが多い
・補足コメントが多い
・前振りや枝葉が長文
・仮定を組み合せて結論とする
・枝葉を強引にまとめて幹と結論付ける
・問題点を軽視した言い訳をする

テンプレ書いた人の知能は相当低いよ
子供のまま老人になったような人だね

143日本@名無史さん2019/11/08(金) 09:21:38.65
>>141
そうですね。
畿内説はどの史書とも矛盾するので、歴史学とすら呼べないですね。

144日本@名無史さん2019/11/08(金) 09:23:51.11
記紀の後付け地名による妄想、畿内説!

145日本@名無史さん2019/11/08(金) 09:24:15.04
>>142

同意します。
テンプレの問題点は、独特の言い回しが多く、学術的ではないので、書いた人の基礎的な教養がないと思われます。
FAQは言い訳に終始しています。
事実に基づく内容に乏しく、大部分が史料に基づかない妄想のようです。

146日本@名無史さん2019/11/08(金) 09:24:55.03
>>709
「南→東」などの嘘付き騙しのように、
そうやって大和説は自分たちの信用を地に墜としてきた
その結果が今日の大和説死亡だ

147日本@名無史さん2019/11/08(金) 09:33:55.39
>>144
>記紀の後付け地名による妄想、畿内説!

九州説も同様!   @阿波

148日本@名無史さん2019/11/08(金) 09:35:56.77
>>718
>何にせよ、起源地がどこだろうが大勢力が纏向にあり、<

東征毛人五十五國の九州倭国勢力。

>それが2世紀末から3世紀前半には確実に存在したことが
桃核の年代計測で実証されている <

桃核の年代計測は、失敗。
150年位古くでている。
大和説は、「南≠東」などだけではなく、年代計測でも詰んだんだよ

149日本@名無史さん2019/11/08(金) 09:44:51.84
畿内説が纒向に居たと主張する、住居を持たない大勢力とは

遊牧民てこと?

150日本@名無史さん2019/11/08(金) 10:01:52.24
>>148
>桃核の年代計測は、失敗。
>150年位古くでている。

理由も言わずに言い張ってもダメだ

151日本@名無史さん2019/11/08(金) 10:22:25.71
>>145
その悪口は事実に基づく内容に乏しく、大部分が妄想のようです。

152日本@名無史さん2019/11/08(金) 10:29:34.70
卑弥呼は共立であり立てた連中がいるということ大倭とあるからこれが本体だろ、また伊都国が交易等治めるとあるから北九州と別の所と狗奴国があるらしいから三つあったんだな。

153日本@名無史さん2019/11/08(金) 10:30:52.50
魏志倭人伝について「信用ならない」
記紀について「信用ならない」
それが畿内説。

154日本@名無史さん2019/11/08(金) 10:38:40.53
>>153
なんでも疑って裏を取ってから信用するのが学問の普通
ここが九州説と違うとこだな

155日本@名無史さん2019/11/08(金) 10:42:52.05
>>153
>魏志倭人伝について「信用ならない」

そのくせ、「邪馬台国」とか「卑弥呼」の存在はチェリーピッキングして、強引に箸墓に結びつける畿内説w

156日本@名無史さん2019/11/08(金) 10:53:06.90
それで、何か、わかった事ないの?

りゅーま、りょーま(坂本?)というのもいたようなと言っていたり、
『老婆談』

157日本@名無史さん2019/11/08(金) 10:54:47.06
>>768
>つまり、奈良弁で解釈できる邪馬台国と記されている時点で、奈良が有力ジャンww>

「南≠東」などに拠って、×。

158日本@名無史さん2019/11/08(金) 10:56:10.89
『西王母 北辰』

たしか、いまの福島県のほうの話、
山の上のほうに住んでいて・・・、電気、発電(雷?)が〜とか、

『姥清水』いなり、あまつ何やら?

159日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:02:40.85
>>771
「南→東」などの嘘付き騙しの大和説者って、
史料事実や史料実態や科学が嫌いというか
理解できないんだね
脳がないからかな

160日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:03:29.77
『伊達の桃太郎』当時の伊達郡の辺りの話

傾いた松の木・・・、なぜか家の話しと同じだしな・・・w

161日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:08:39.05
なぜ知っているのか、わからないんだけど、
サトシという名前wみたいな事を言っている人がいたり

親戚か何かなのかな?

162日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:09:47.84
>>155
>そのくせ、「邪馬台国」とか「卑弥呼」の存在はチェリーピッキングして、強引に箸墓に結びつける畿内説w

信用できることと出来ないことを考証するのが文献批判といって歴史学の基本なんだよ
チェリーピッキングとの違いが分からないのは致命的だ
九州説の人は歴史を扱う資格が無いとバレちゃうよ

163日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:12:05.14
あのバスケの漫画ではないけど、山王?
下の名前だけ、同じ人物(キャラ)がいたり

164日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:15:16.10
『何者にもなれない お前たち』

この作品も、なぜか家の写真(話?)だしな・・・、
キュウリのような葉、葱の華。

165日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:15:36.05
現時点、畿内説の根拠は弥生時代の特徴を持たない纒向遺跡と桃の種の年代だけ。
環濠集落が消滅して纒向のような無防備な集落となったと言っていたが、実は環濠の跡が発見されている。
墓制が前方後円墳に切り替わったと言っていたが、実はその他の墓制も継続している。

畿内説はもうちょっとハッキリしてから発言するべき。

166日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:18:02.64
>>155

本州からは倭人特有の卜骨が漢代以前から広範囲に多く出るが
九州島からは一切出ない
畿内の土器の影響を受けるようになって2ヶ所だけが出る
強引に倭人に結びつけるのが九州の異人種地域

167日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:21:06.71
伊達郡の川俣町という掲示板

福山君(?)が何やらみたいな話をしている人がいたり、
マラソン、駅伝?よくわからないけどw

168日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:23:24.69
>>773
>で、3世紀半ば時点でそれが大勢力として纏向にあったんだから、<

3世紀半ば時点なら「南≠東」などに拠って大和説が×だし。

>九州説は詰みだよ
邪馬台国畿内説 Part528 	YouTube動画>1本 ->画像>62枚

AMS法自体が欠陥計測法であり、
大和は、3世紀末以後になるから、
九州倭国の「東征毛人五十五國」の支配下の小国になったんだよ。

169日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:24:10.12
>>166
その畿内の土器の影響というのをよく主張しているけど、それと政権との関わりは何なの?

170日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:28:02.86
>>165
>現時点、畿内説の根拠は弥生時代の特徴を持たない纒向遺跡と桃の種の年代だけ。

だとか決めつける理由は?

171日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:28:49.39
>>779
「南→東」などの嘘付き騙しがバレた大和説者は、
奥山が失言したとかキナイコシが傷口を広げたとかもあって、
自分の傷口だけを広げてるな

172日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:28:56.74
『あまつ きつね』



『姥清水』に出てくるキャラと同じでしょ、
むかーし、山の上のほうに住んでいて、何かを祀っていた?


老婆談w

173日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:31:07.32
>>169
首長が葬送に使う土器祭祀が変わるから政治も影響を受けていることが判る

174日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:32:12.43
>>171
九州説はこのように、いつも証拠なしで言い張るだけ

175日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:33:09.41
「卑弥呼」とか「邪馬台国」の名前だけ借りて、全く似ても似つかない纒向と結びつけたのが畿内説。
その結果、本来の日本の歴史は吹き飛び、訳が分からなくなってしまった。

176日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:33:54.84
>>162
>信用できることと出来ないことを考証するのが文献批判といって歴史学の基本なんだよ

畿内説がやっているのは文献批判ではなく、焚書の類。

177日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:33:55.31
>>169

受け入れたのがまず博多湾沿岸の首長層だから
日本の学者は畿内の影響を受けていると考える
3世紀の博多湾沿岸首長層は西日本一体の倭国という連帯意識を持ち始めた
九州説と自称している雑多説はそれを拒絶する
社会にはいつの時代でもはぐれ者やまつろわぬ者たちがいる
それが九州説の民族気質

178日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:35:14.23
『西王母 北辰』

天、地〜・・・。何かのタイトルなんかと同じ。
りゅーま、りょーま?とか。

179日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:35:20.48
>>170

他のものをむしろ提示してくれよ。
根拠を示せていないのは畿内説の方。

180日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:36:43.30
>>173
その土器祭祀という言葉は日本語?

181日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:37:59.09
あと、うちだ・ゆーや?

そういう話をしていたこともあるし、
家の隣に住んでいた・・・・の話、ドラムをやっているとかw

182日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:38:09.93
>>165
>環濠集落が消滅して纒向のような無防備な集落となったと言っていたが、実は環濠の跡が発見されている。

唐古鍵の環濠が再掘削されてる話は常識だし、環濠集落が存在しなくなったとか畿内説の誰も言ってないが?


>墓制が前方後円墳に切り替わったと言っていたが、実はその他の墓制も継続している。

弥生以来の墓制が消滅したとか、畿内の誰も言ってないが?


畿内説のことを何も知らず妄想で反論ゴッコしようとしても無駄
九州説もうちょっとお脳がハッキリしてから発言するべき

183日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:38:50.79
>>180
無知なら歴史はあきらめろ

184日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:40:07.32
>>177
誇大妄想って感じだな。
畿内に祭祀用土器の産地があったと考えるのが自然かと。

185日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:42:37.02
>>183
畿内説の幻想知識なんか現実世界には存在しませんから。
土器祭祀って何か説明してみ?

186日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:45:34.35
>>162
文献史料批判とは、同時代の史料同士を比較して、矛盾が生じた場合、(同時代人もしくは目撃者が直接書いた)一次史料はどれか、を判断するもの。
畿内説は結論ありきで、それに反するものを切って捨てるのみ。
そんなものは史料批判とは言わない。

187日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:48:27.09
うまやど、しょーとくたいし(?)
小手子・・・などの話があるでしょ

実際は傾いた松の木・・・寒いな〜のほうが、
むかーしから住んでいるんだけど

188日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:48:52.12
土器祭祀・・・w
埴輪ならまだわかるな。
曹操の墓を見て真似したのかもしれない。
土器の様式に何か意味を持つ文化って縄文時代の話か?って感じる。
弥生式土器は火の通りが良いとか、機能面で優れていたから縄文人にも広まったはずだ。

189日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:48:58.24
>>788
>測定値はばらつかない
その測定値から較正曲線で実年代に読み替えるときに信頼区間が100年幅くらいになる<

ダメだ。
12個の桃核の内の4個位が230年位にはっきりしたピークが出来ているから、
それは、元の計測値の分布にそのピークがあった、という事の証拠であり、
また、1個の桃核で1回だけ計測したのではなく、何回も計測したから、
信頼区間の計算が出来た、という事の証拠になる。

190日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:51:00.04
『天財若子』

寒いな・・・の家の話

191日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:53:43.04
>>124
>今のところ特定されていないが、これらの島も倭国(阿波)周辺の島々なのだろう。

やはり泡には、日本史のまともな常識がない
淡路島  「淡道之穂之狭別島」
四国   「伊予之二名島」
隠岐の島 「隠伎之三子島」
九州   「筑紫島」
壱岐   「伊伎島」
対馬   「津島」
佐渡   「佐度島」
本州   「大倭豊秋津島」

きっちり分かるだろ?

192日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:53:48.90
>>184
またまた歴史学を完全否定する九州説
世間の笑い者確定

193日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:55:05.24
うまやど、しょーとくたいし?、小手子など、
そういう家のほうが、後から来たんだと言っているのにw

泥棒のようなものに入られたと言っているし

194日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:57:41.81
>>133
大嘘

>卑弥呼を含む一連の倭国王権は九州北部にあった(佐賀、熊本、大分を含む)。

大分は文化圏が異なる
熊本にも佐賀にも、3世紀の見るべき遺跡がほとんどない
まあ吉野ヶ里は佐賀だが、ここで言う佐賀はその辺じゃないだろ?

>王都は福岡の日向。

それ、奴国
倭国の中では大国だけれど、投馬国、邪馬台国よりも小さい勢力

>畿内政権は分家であったが、後世に本家の歴史を剽窃した。

卑弥呼の共立のときに、卑弥呼の祖先筋に九州出身者がいたことが
強調された可能性はある⇒神武の東征説話
だが、3世紀時点で本家分家という関係にはない

195日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:57:50.58
>>189
>12個の桃核の内の4個位が230年位にはっきりしたピークが出来ているから、

ダメだこりゃ
どれが計測値なのか解ってないでデタラメ言ってるでしょ

196日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:58:19.45
>>134
>NHKが邪馬台国畿内説に証拠が無い事を発表しました。

九州説にもないんだよww

197日本@名無史さん2019/11/08(金) 11:59:28.67
『天財若子』

>天若日子命 下照比賣命

調べてみた?

198日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:00:32.03
>>177
>3世紀の博多湾沿岸首長層は西日本一体の倭国という連帯意識を持ち始めた

その首長層は紀元前から存在しているけどね。

199日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:01:39.53
>>182

畿内説は主張をすぐ翻すから議論にならないな。
ああ言えばこう言う。
言ったことはすぐになかったことにする。
誠実さに欠ける。

200日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:02:48.10
>>142
・○○参照などのリンクが多い
 ⇒客観的かつ実証的な態度

・補足コメントが多い
 ⇒親切

・前振りや枝葉が長文
 ⇒誤解がないようにというのと、分かりやすくするため

・仮定を組み合せて結論とする
 ⇒多くの状況証拠を集めれば、その分蓋然性が高くなるのは当然

・枝葉を強引にまとめて幹と結論付ける
 ⇒とこが? 具体的に指摘しないと意味がない

・問題点を軽視した言い訳をする
 ⇒九州説の言う問題点が、実際意味のない些細なものだから 

何も問題ないと思うが?w

201日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:03:47.04
>>800
>木棺
小片 No1  22―――――――244
小片 No2 1―――――181
小片 No3  20―――――219
小片 No4 BC4―――134
小片 No5    55―――――237
ここがぶれなく測定結果が一致しているから、ここを中心に考えればよいだけ<

これも、桃核のデータ分布と同じ。
一個の木片で、そんな長期のデータが出た、という事が、
計測方法が不完全であった事である事の証拠であり、
勿論、5個の木片の間でも、こんなにバラツキがあった、という事も、
計測方法が不完全であった事である事の証拠であり、
更にAMSの持つプラズマ化の欠陥に拠っても、50〜100年位新しくする必要がある。

202日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:03:52.11
だから、言っているだろう

神殺し?

203日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:04:18.91
>>194
>熊本にも佐賀にも、3世紀の見るべき遺跡がほとんどない
>まあ吉野ヶ里は佐賀だが、ここで言う佐賀はその辺じゃないだろ?

吉野ヶ里は佐賀平野の真ん中だろ?
熊本にも遺跡はたくさんある。
3世紀は有明海沿岸勢力が伸長した時代だよ。
少しは勉強してくれよ。

204日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:04:26.42
>>198
それが何か?

もしかして反論の準備とかですか?

205日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:04:48.36
>>144
>記紀の後付け地名による妄想、畿内説!

地名説話の内容は後付だけれど、
地名そのものは言葉の化石といわれるほど、変化が少ない状態で長く伝えられる

九州説でさえ、邪馬台国⇒ヤマト国(山門、山戸など)と読むのだから
邪馬台国をヤマト国と読むのは、日本人なら当然

206日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:05:12.42
>>194
>強調された可能性はある⇒神武の東征説話

筑紫と大和、どっちが本家?

207日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:06:31.47
>>200

うわあ、開き直ったよ。
欠点は素直に認めろよ。
ああ、それをすべて是正したら、畿内説は霧散してしまうのか。

208日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:06:47.29
どちらも本家ではないw創作、作り話だから

209日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:07:21.97
>>199
>畿内説は主張をすぐ翻すから議論にならないな。
>ああ言えばこう言う。
>言ったことはすぐになかったことにする。

そんなこと、したって証拠は?

証拠もないのに非難とか
九州説の人は
ひどく誠実さに欠ける

210日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:07:29.97
>>205
>地名説話の内容は後付だけれど、

根拠は?

>地名そのものは言葉の化石といわれるほど、変化が少ない状態で長く伝えられる

ダブスタ?

211日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:08:02.55
>>207
そいつ隠れチョンだからw
奥ナントカってやつw

212日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:08:11.82
>>208
創作だという根拠は?
なぜ筑紫から来たという物語を作ったの?

213日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:08:49.11
吉武高木遺跡から始まる多数の王墓、玄界灘沿岸の稲作文化、金印や八咫の鏡をはじめとする王権を示す威信材の数々について、畿内説は何も説明することができない。

最初の王墓として福岡平野に吉武高木遺跡(紀元前2世紀)、須玖岡本遺跡(紀元前1〜1世紀)があり、
高祖山をはさんだ西側の糸島平野に三雲南小路遺跡(1世紀頃の王・王妃墓)、井原鑓溝遺跡(紀元1〜2世紀の王墓)、平原遺跡(紀元2〜3世紀の女王墓)がある。
これらの遺跡からは、皇位の象徴とされる三種の神器と同じ剣、鏡、玉があわせて出土する。
倭国王権の起源は稲作伝来と弥生文化発祥の地である博多湾・玄界灘周辺にあったことになる。

金印をもって倭国の代表に冊封された王たちは、博多湾沿岸にいた。
それには卑弥呼も含まれる。
邪馬台国は、魏志伝倭人だけではなく、後漢書などもあわせて理解しなくてはいけない。
西暦57年に博多湾沿岸の倭王が漢委奴国王印をもらい、107年に倭王帥升も朝貢しているが、190年頃とされる卑弥呼の即位までの間に倭が大和に東遷でもしたのだろうか?
魏志倭人伝にも後漢書にも、倭が東遷したとはまったく書かれていないし、考古学的な裏づけもまったくない。

214日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:09:01.19
>>201
>一個の木片で、そんな長期のデータが出た、という事が、
>計測方法が不完全であった事である事の証拠であり、

木片は五つだし
根本的に認識が間違ってる

215日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:09:06.13
>>145
>テンプレの問題点は、独特の言い回しが多く、

これは、文を書く人ごとに癖があるのは当たり前
やや擬古文的なところはあるが、日本人なら普通に読める
まともな日本の教育を受けていない人には読みにくいかもしれない

>学術的ではないので、書いた人の基礎的な教養がないと思われます。

学術論文としては書かれていないのだから、当たり前
学術論文的に書けば、もっと字数が増えるぞww
教養がないのは九州説の方で、教養がないから引用されている大陸古典が
読めないし意味が理解できていない

>FAQは言い訳に終始しています。

言い訳じゃなくてきちんと具体的な根拠を挙げて、
批判が当たらないことをきちんと示している
不満があれば再反論すればいいのに、それもできず
テンプレを邪魔することに血道をあげている九州説が惨めなだけ

216日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:09:17.11
>>200
韓国脳がさらに悪化したのか?w
病院池w

217日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:12:26.82
>>215
>学術論文的に書けば、もっと字数が増えるぞww

まとめる能力がないだけ。
何百字でまとめよ、とかトレーニングしてないだろ。
論文だって、投稿規定を超えた長文は査読にたどり着けないよ。

>批判が当たらないことをきちんと示している

それはただの言い訳。
言い訳を大量に書かなくてはいけない時点でもはやおかしいのだけれどね。

まとめ
テンプレは能力がない人間が根拠もなく書き連ねた駄文。

218日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:12:46.60
>>207
>欠点は素直に認めろよ。

欠点だって証拠は?

219日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:14:18.28
>>165
>環濠集落が消滅して纒向のような無防備な集落となったと言っていたが、実は環濠の跡が発見されている。

それ、何のこと? 具体的に示して!
この図のどの辺にあるの?
邪馬台国畿内説 Part528 	YouTube動画>1本 ->画像>62枚

>墓制が前方後円墳に切り替わったと言っていたが、実はその他の墓制も継続している。

そりゃあ、庶民までみんな大墳丘墓を作れるはずがないだろ?
前方後円墳体制は、卑弥呼を共立した首長層が各地域で最大の盟主墳=首長墓を
前方後円墳(前方後方墳も可)で統一するという談合だよ

盟主糞ではないものは、いろいろな墳形を取るのはあたりまえ

220日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:16:00.90
百済の〜・・・・・・・・・・・調べてみると、
下(実際は上w)のほう〜の出身だったみたいな話ばかりでしょ

そういう職(制度)なども無かった頃の家の?という話だろう、
気付いている人は気づいているんだよ

『天財若子』

221日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:17:14.82
奥山の反応が金慶珠とウリ二つで草

222日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:17:36.23
>>217
結局のところ、字数が多いという以外の具体的な批判は出来ず
しかも、なんで字数が多いといけないのか理由も言えない

つまり自分の無能を晒しただけだな

223日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:18:35.41
>>221
どれが奥山の反応?

224日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:19:31.90
>>169
>その畿内の土器の影響というのをよく主張しているけど、それと政権との関わりは何なの?

前方後円墳を作り、そこに他地域からの使節を呼び集め、
前首長の葬送と新首長のお披露目を行ったとするのが前方後円墳体制の考え方

その前方後円墳での墳墓祭祀に使う祭祀用供献土器が、前方後円墳という
盟主墳の墳形とともに統一されている

単なる流行ではなく、祭祀の統一という政治的意思を想定しないと、
これだけの範囲での様式の統一は考えられない
邪馬台国畿内説 Part528 	YouTube動画>1本 ->画像>62枚

その政治的意思の中枢を政権の中心と考えるのは、当たり前の論理的な帰結

225日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:20:09.71
>>219
>盟主糞ではないものは、

それは九州説が食べるものだからね

226日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:21:23.02
>>802
>較正値に直す前の測定値(エラーバー付)はこの通り
邪馬台国畿内説 Part528 	YouTube動画>1本 ->画像>62枚
一個、やや外れ値があるけれど、測定値は20〜30年幅に収まっている
測定値が100年もばらついたりはしていないだろ?<

一個の桃核の(較正前の)データのバラツキは、30〜50年位だな。
本来なら、バラツキは1年以内の筈なんだから、
これがAMS法自体の(プラズマ化など以外の)欠陥なんだろう。
そして、それにプラズマ化などの50〜100年位古く出ている、という欠陥が加わる。

227日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:23:17.70
>>184
>畿内に祭祀用土器の産地があったと考えるのが自然かと。

九州の祭祀用土器の産地は、奴国(福岡平野)の比恵那珂遺跡群
そこで、畿内の土器様式を受け入れて、畿内様式の土器を作って九州各地に供給している

もう少し、歴史の常識を入れてから議論に出てきた方がいいよ?

228日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:25:43.34
>>198

甕棺墓はど没落し
墓制(埋葬姿勢)が変っている
甕棺墓は全羅南道で存続する

229日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:25:49.65
>>198
>その首長層は紀元前から存在しているけどね。

その存在していた首長層が、「倭国(倭人)という括り」を意識し始めた、ということだよ

230日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:26:39.21
神話も歴史も同じ、そのような制度なども無かった頃の話、
実際にカミはカミ・・・先祖などの話

231日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:27:28.59
>>199
>畿内説は主張をすぐ翻すから議論にならないな。
>ああ言えばこう言う。

だったら、その手のひら返しを具体的に指摘すればいいだろ?
そうすれば、相手が議論に不誠実であることをはっきり示せる

畿内説側は、九州説が人ごとに言うことが異なるのに対して、
一つ一つ全部対応してるぞ

232日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:28:32.96
>>227
>畿内の土器様式を受け入れて、

これがアホw
学者がゆるい連合とか言う箇所w
それは政権統一とは呼べないだろ?
ついこないだまで殺し合ってた連中がゆるい連合ってw

233日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:28:35.13
>>226
>一個の桃核の(較正前の)データのバラツキは、30〜50年位だな。

計測値のバラつきが100年代以上とかウソついてたこと、謝る?

234日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:29:55.58
>>232
>ついこないだまで殺し合ってた連中がゆるい連合ってw

ついこないだまで殺し合ってた連中って根拠は?

235日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:30:13.73
>>231
畿内説も人ごとに違うなw
奥山モドキは河内〜纒向通勤説を唱えてたなw

236日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:30:44.70
>>234
倭国大乱だろバカ

237日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:33:01.49
>>232
>それは政権統一とは呼べないだろ?

誰か統一政権と言ったか?
九州説は自分の脳内妄想と議論してるのか?
現実を見ろよ

238日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:33:06.30
カッパ、河伯・・・、
カミタマ(という意味)?なんだよ

みたいな事を言ってる人もいたり

239日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:36:29.24
祭祀(斎祀)、祀っている家?


キュウリのような葉、葱の華

240日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:38:08.07
>>237
>脳内妄想
俺の口ぐせを受けて入れてるお前は俺の傘下だなw
他にも多数あるぞw

241日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:39:36.86
何でもコピーしてしまう中国は世界各国の傘下だなw

242日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:40:59.17
>>232

在地の豪族による支配の連合から
長い時間かけて新羅におこづかいもらったりしてた磐井を叩き潰しながら
律令による中央集権制は8世紀から始まる

243日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:41:21.56
>>219

従来の首長層が方形周溝墓や方墳などを作り続けているけど?
前方後円墳だけ過剰に重視していないか?

244日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:41:58.01
>>224
>その政治的意思の中枢を政権の中心と考えるのは、当たり前の論理的な帰結

根拠のない妄想じゃん。

245日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:42:50.91
>>227
>九州の祭祀用土器の産地は、奴国(福岡平野)の比恵那珂遺跡群

魏志倭人伝では奴国に王はいないから、関係ないんだよ。
もしくは年代比定がおかしい。

246日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:43:19.74
なにか知っている人がいたり、数年前の、とあるスレ


温泉に行きたい(一緒にという意味なのかな?)という謎の書き込みw

『河童 ドンバ』?

247日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:43:31.33
>>228
>甕棺墓はど没落し
>墓制(埋葬姿勢)が変っている

そして甕棺がない平原遺跡が登場した。
それが卑弥呼ではないか?

248日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:45:02.80
まさか・・・・・・有名人なのかな?

249日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:50:21.05
>>803
>ウィキペディアより
ただし年代推定には技術的に誤差が大きく、
また多くの遺跡は同じ場所に弥生時代のものと古墳時代のものが見つかることが多いので、
纒向遺跡で3世紀の遺物が出土したからといって、
箸墓古墳自体が3世紀のものとは断定できないことに注意する必要がある。<

成程。
ホケノの木片の場合は、
樹皮と木片採取部間の年輪数や寝かせ期間も、考慮に加えなければならず、
桃核の場合は、一年毎に出来るものだから、
一番新しい桃核の年次がその土坑の最終年次にほぼなる訳だな。

250日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:50:29.06
畿内説が「根拠」と呼ぶものは、頭の中でこねくり回した屁理屈しかないではないか。

251日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:51:29.27
>>240
脳内妄想はお前の口癖じゃなくて癖だろ

252日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:51:34.97
甕棺墓の一族は畿内に移動し、そこにいた前方後円墳の一族の墓制を受け入れた。

253日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:52:19.30
>>243
べつに

254日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:52:30.98
>>241
少し前まで、日本が世界一のコピー大国だったんだよ。
車とか電気とか。

255日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:54:34.36
>>254
電気w

256日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:55:12.23
>>247

平原は硯や楽浪土器が出る三雲から曽根丘陵の陰の西側
1号の西側下の5号から始まる
おそらく商人一族

257日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:55:29.99
老婆談、結婚する前の話になるんだけど


たしか、何かの家の人?みたいだと言われたと言っているしw
あの写真、老婆も生まれていない頃のものだから、詳しいことは・・・?

258日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:57:29.16
>>244
>>その政治的意思の中枢を政権の中心と考えるのは、当たり前の論理的な帰結

>根拠のない妄想じゃん。

これら出現期の古墳は、多くは前方後円墳もしくは前方後方墳で、長い木棺を竪穴式石室に収めた埋葬施設や、多数の銅鏡をはじめとする呪術的な副葬品をもつなど、画一的な特徴をもっていた。
 それは古墳が各地の首長たちの共通の意識のもとにつくり出された墓制で、その背景には古墳の出現に先だって広域の政治連合が形成されていたことが考えられる。

これは九州説のような根拠のない妄想じゃなくて
第一線の学者たちが証拠に基づいて分析した結果の状況判断だ

259日本@名無史さん2019/11/08(金) 12:58:37.05
>>252
>甕棺墓の一族は畿内に移動し、そこにいた前方後円墳の一族の墓制を受け入れた。

ダメだね
時代がぜんぜん合ってないよ

260日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:03:51.96
>>258
いくら言い張っても、無駄!   

鳴門板野古墳群 「西山谷2号墳」萩原1号墓の近隣地に所在する尾根を削り出して整形した、墳丘の長径20m、短径18m、高さ約2mの不整形の円墳である。

墳丘の中央部に長さ4.72m、幅 北端で1.05m、南端で0.83mの南北方向を主軸とする長大な竪穴式石室がある。

竪穴式石室は、南北6.5m、東西4.8mの墓壙全体が結晶片岩と呼ばれる阿波特有の青い石で覆うように造られている。

石室内には、粘土床があり、その上に朱を敷き詰めたU字形の刳抜式木棺を安置していたものと推定されている。

斜縁上方作銘獣帯鏡と呼ばれる中国製の青銅鏡1面をはじめ、鉄剣・鉄槍・鉄鏃・土器などが出土している。

鏡は面径12.5cm、重量約157.6gで、右回りに「上方乍鏡竟大工青龍白虎子」の銘文と神仙像と5体の獣形のレリーフがある。

鏡は一部を欠損するが、当時は完全品として副葬されたものとみられる。

同種の鏡は数例出土しているが、そのうち、広島県広島市中子田1号古墳出土鏡が最も類似している。

出土した土器から、3世紀中葉の築造と考えられ、徳島県内をはじめ、畿内でも最古段階の竪穴式石室を持つ古墳として、竪穴式石室の出現過程を考える上でも重要な古墳である。



こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。   @阿波

261日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:04:49.53
当時、住んでいたという家の話
謎の刀が飾ってあったという話も同じだしな・・・、
偶然にしては?馬に乗り・・・とか。

262日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:07:24.89
NHKが邪馬台国畿内説に証拠が無い事を発表しました。
そして、同じ放送では、纏向には宮室だけは、有ったのに対し、九州の城には、宮室、楼観、城柵が揃っていたという、頭が普通の者が視聴すれば、
纏向の掘立建物には卑弥呼の城の条件が揃っていないことが理解できる、見事な対比法を発表したのだったな。。。
http://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/nihonshi/archive/chapter002.html
巻向遺蹟は、何十年もかけ、莫大な税金と人員を投入し、200回程もの発掘調査を実行したのだが、邪馬台国畿内説の具体的な証拠を発見出来なかったのではないのかな、、、
そして、九州には、費用も人員も、巻向の1/7程も、集中的に調査した地区は無いのだったな、、

263日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:08:18.64
今日も、破綻した邪馬台国畿内説を宣伝している朝鮮人の奧山氏が、テンプレートを、完全に論破されているな。。。

264日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:08:44.37
>>258
いくら言い張っても、無駄!   

「蓮華谷古墳群(U)二号墳出土品」

当物件は、平成2年に四国縦貫自動車道建設に伴い発掘調査された板野郡板野町犬伏所在の蓮華谷古墳群(U)二号墳の出土品である。

調査により古墳時代前期(3世紀後半〜4世紀)の粘土槨を持つ円墳であることが判明し、本県の粘土槨の始原を考える上 で重要な古墳である。

副葬品には銅鏡(四神形鏡)1、鉄製武器工具(鉄刀1、鉄剣1、鉄斧1、鉄?1)、装身具(翡翠勾玉1、碧玉管玉11)、土師器壺1があり、徳島県立埋蔵文化財総合センターで展示されている。

前期古墳の出土資料は全国的にみても数少なく、特に銅鏡はぼう製鏡の古墳への副葬開始時期を考える上で重要な資料である。



こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。   @阿波

265日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:09:03.94
鍵穴型古墳(墓本体+祭祀場)の由来が東日本な件

邪馬台国畿内説 Part528 	YouTube動画>1本 ->画像>62枚

266日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:10:59.28
>>265
「忌部はん」 にもいろいろな勢力があるからね。   @阿波

267日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:14:01.26
纏向遺蹟というのは、やはり、3世紀の末に倭国に降伏した銅鐸王家の怨恨を、封印するための祭祀場だったのだね。。。

268日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:15:04.60
>>266
「倭国(阿波)内 忌部一族主要氏族の本拠地」

物部氏(後の忌部氏か) :: 旧麻植地域

葛城氏 : 鳴門北灘地域  

中臣氏 : 板野地域  

蘇我氏 : 石井地域



こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。   @阿波

269日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:15:52.09
>>267
3世紀の末に倭国に降伏した銅鐸王家の怨恨を、封印するための祭祀場の責任者が、次第に力をつけて、日本を開国し、倭国に反旗を翻したのだったな。。。

270日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:16:21.75
NHKが邪馬台国畿内説に証拠が無い事を発表しました。
そして、同じ放送では、纏向には宮室だけは、有ったのに対し、九州の城には、宮室、楼観、城柵が揃っていたという、頭が普通の者が視聴すれば、
纏向の掘立建物には卑弥呼の城の条件が揃っていないことが理解できる、見事な対比法を発表したのだったな。。。
http://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/nihonshi/archive/chapter002.html
巻向遺蹟は、何十年もかけ、莫大な税金と人員を投入し、200回程もの発掘調査を実行したのだが、邪馬台国畿内説の具体的な証拠を発見出来なかったのではないのかな、、、
そして、九州には、費用も人員も、巻向の1/7程も、集中的に調査した地区は無いのだったな、、

271日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:19:26.50
完全に論破された奧山氏が、プルプルしながら、息をひそめているな。。。

272日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:19:30.61
>>809
ほら、「南≠東」などにまったく反論できない大和説が悲惨
行程論でも不彌國や邪馬壹國之所都がほぼ終わるから、大和説死んだね

273日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:21:39.91
>>265
>鍵穴型古墳(墓本体+祭祀場)の由来が東日本な件

四角い鍵穴とか、ねーし

274日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:23:41.89
>>271
九州説はこうしてウソついて自分を騙してないと
恐怖のあまり発狂するらしい

275日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:24:32.98
『シェリフ』?

このような作品の画像も出てきたり・・・。

276日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:24:41.93
>>810
>畿内には卑弥呼の時代の三世紀には鉄器が山ほどあった <

畿内なんて存在もしなかった嘘つき騙し文言であるから、×であり、
大和の鉄器のホケノも椿井大塚山も黒塚も、4世紀頃の古墳であり、
卑弥呼と関係がないから、×であり、
いずれも九州倭国の「東征毛人五十五國」の将軍らの国の墓である。

277日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:26:17.14
完全に論破された奧山氏が、プルプルしながら、息をひそめているな。。。

278日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:26:50.43
270日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:16:21.75
NHKが邪馬台国畿内説に証拠が無い事を発表しました。
そして、同じ放送では、纏向には宮室だけは、有ったのに対し、九州の城には、宮室、楼観、城柵が揃っていたという、頭が普通の者が視聴すれば、
纏向の掘立建物には卑弥呼の城の条件が揃っていないことが理解できる、見事な対比法を発表したのだったな。。。
http://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/nihonshi/archive/chapter002.html
巻向遺蹟は、何十年もかけ、莫大な税金と人員を投入し、200回程もの発掘調査を実行したのだが、邪馬台国畿内説の具体的な証拠を発見出来なかったのではないのかな、、、
そして、九州には、費用も人員も、巻向の1/7程も、集中的に調査した地区は無いのだったな、、

279日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:28:42.10
>>817
>卑弥呼の死は250年ぐらい
その頃に畿内には鉄が山ほどあるだろ<
そのあたりの古墳1基から100点200点出るんだからな
また卑弥呼の前のホケノ山古墳からも70点ばかり出ている <

畿内なんて存在もしなかった嘘つき騙し文言であるから、×であり、
大和の鉄器のホケノも椿井大塚山も黒塚も、4世紀頃の古墳であり、
卑弥呼と関係がないから、×であり、
いずれも九州倭国の「東征毛人五十五國」の将軍らの国の墓である。

280日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:29:23.58
AMS法というのは、貴重な考古発見物体を試料として、採取しなければならないのだな。。。

281日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:32:08.21
孫にAMS法の概略を、教えて貰ったのだね。。。

282日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:32:20.35
>>825
>畿内説に太刀打ち出来ない九州説と阿波説が悔しがってよく吠えるのう<


畿内なんて存在もしなかった嘘つき騙し文言であるから、×であり、
九州説に太刀打ち出来ない大和説と阿波説が、悔しがってよく吠えるのう

283日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:32:45.78
>>280
貴重な考古発見物体を試料として、採取し、破壊しなければ計測できないのだったね。。。

284日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:33:40.73
偶然にしては・・・という話ばかりでしょ?
うちだ・ゆーや〜という話もしていたり、二重、三重スパイ?

写輪眼とか

285日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:35:29.99
九州説ってぜんぜん反論出来なくて
ただ拒否するするだけなんだね
それって、ジリ貧だよ

286日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:36:10.65
二重、三重〜〜〜〜九重スパイ?

287日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:41:05.98
>>203
>熊本にも遺跡はたくさんある。

数じゃないんだよ
土器が数片見つかった場所は、土器散布地というカテゴリーの遺跡になるが、
それが国の存在を意味したりはしない

>吉野ヶ里は佐賀平野の真ん中だろ?

佐賀「平野」という言葉で何を意味しているか、明確ではない
吉野ヶ里は、平野から丘陵に差し掛かる微高地にある
今現在ある「佐賀平野」のかなりの部分は3世紀にはまだ海の底であり
遺跡は山沿いに帯状に分布しているだけ
邪馬台国畿内説 Part528 	YouTube動画>1本 ->画像>62枚
大農地もなければ大国もないよ

吉野ヶ里は米多国の中心だろう
邪馬台国でも狗奴国でもない

>>203は基本事項の認識が不足している

288日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:42:18.66
>>207
>欠点は素直に認めろよ。

批判は具体的に!

具体論を語れない人は科学には向かない

289日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:43:35.10
>>210
いそしと言う前からイトという地名はあったんだよ

どこがダブスタなのか、具体的に説明してごらん?

290日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:44:57.66
>>213
>八咫の鏡をはじめとする

北部九州に八咫鏡の伝承はない
昭和になってからの、原田大六氏の思いつきでしかない

291日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:46:17.01
奧山氏は、科学どころか、簡単な角度の計算もできないのだったな。。。

292日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:47:03.52
>>265
西日本は□を作る職人が不足していたので○で妥協したんだろうな。

293日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:47:21.81
>>291
僕達が、奥山氏の頭の悪さに気づいた物事が起きてから、1年以上たったね。。。

294日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:48:06.24
>>232
>それは政権統一とは呼べないだろ?
>ついこないだまで殺し合ってた連中がゆるい連合ってw

殺しあっていた、が>>232の誤認
九州説のいう殺傷人骨は、甕棺墓時代で年代が合わない

295日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:50:04.26
>>243
>従来の首長層が方形周溝墓や方墳などを作り続けているけど?

各地域の盟主墳は前方後円墳
それから、この図の網掛けになっていない地域は、もちろん外れるよ?
邪馬台国畿内説 Part528 	YouTube動画>1本 ->画像>62枚

296日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:51:23.85
>>295
モモソヒメは盟主なのかw

297日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:51:25.84
>>244
>根拠のない妄想じゃん。

根拠のない「見ない、聞かない、認めない」の典型だなww
こちらの根拠はこれ
邪馬台国畿内説 Part528 	YouTube動画>1本 ->画像>62枚
はっきり示してあるだろ?

298日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:52:45.33
前方後円墳は、魏志倭人伝時代が終了して、数十年後の物事なのだったな。。。

299日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:54:52.20
河童という作品にも同じような話が出てくるし、
警官がいて、演奏を〜とか


『❓』このような話ばかり

300日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:58:04.32
偶然なのか、ただホンモノというだけなのか

『未来警察 うらしまん』?


王母〜龍宮〜の家の写真だしな。

301日本@名無史さん2019/11/08(金) 13:58:24.32
>>298
邪馬台国が巻向にあったという破綻した仮説は、「前方後円墳は、魏志倭人伝時代が終了して、数十年後の物事なのだ」という真実に対する誤った反証から、発生してしまったのだったね。。。

302日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:00:27.54
>>301
邪馬台国が巻向にあったという破綻した仮説を、発生させてしまった、「前方後円墳は、魏志倭人伝時代が終了して、数十年後の物事なのだ」という真実に対する誤った反証には、何があったのだろうか。。。。

303日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:01:47.00
>>302
日韓の黄砂と、桃の種や荒野のマキなのではないのかな。。。

304日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:03:00.95
>>303
黒い箱も関係している可能性があるな。。。

305日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:03:36.63
大河内氏は、どうしているのだろうか。。。

306日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:09:41.73
『2ch 偉人 バレバレーノ・ジェーン』(自演)

こういうネタ?も同じ、なぜ知っている人がいるんだろう

307日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:14:58.38
>>297
すくなくとも前方後円墳の分布は全く関係無さそうだな。

対馬〜壱岐〜伊都国・・・女王国に属す
南に投馬国、南に邪馬台国・・・女王の都
女王国以北〜21国紹介〜女王国の境界である
女王国の南は女王に属さず男王を立てた狗奴国〜
女王国の東の海を渡って約1000里ほどいくと、また倭種の国々がある

史書の中では、邪馬台国≠女王国と表現されており、倭国の最も南にあるように記述されている。
しかしその南にも反目の狗奴国があるので、最南端ではない。
東の海の先にも倭人が住んで居るが、特別な付き合いは無さそう。

308日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:18:36.34
>>256
弥生時代において商人という地位は確立されていない。

309日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:19:14.78
記紀でも土器祭祀や墓制については触れてないね。
政権に関わる重要事項であるにも関わらず

310日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:19:22.70
>>258

だからさ、「こうなはずだ」と屁理屈を繋げているだけなんだよ。

311日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:20:42.27
>>287
>土器が数片見つかった場所は、土器散布地というカテゴリーの遺跡になるが、

数片だという根拠は?

>それが国の存在を意味したりはしない

畿内説へのブーメランかな?

312日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:24:03.95
落葉には、鉄分が殆ど含まれていないのだな。。。

313日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:24:31.38
>>287
>今現在ある「佐賀平野」のかなりの部分は3世紀にはまだ海の底であり
>遺跡は山沿いに帯状に分布しているだけ

つまりその帯状の佐賀平野の中に吉野ヶ里があるんだよ。
昔は海からも程近くていいところだったのだろう。
卑弥呼の頃には遠浅の海が引いていって、急速に稲作が拡大していたことだろう。
その時代に吉野ヶ里はなぜか平和的に解散してしまう。
近くに大きな邪馬台国が成立したからだろうか?

314日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:25:07.46
>>312
植物にとって、鉄分は貴重なので、落葉する前に本体に回収するのでは、無いのかな。。。

315日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:25:53.20
小泉じゅんいちろー・・・、
そういう話をしていたこともあったり、父親は横須賀のほうの、
何やらという話とか

何なんだろう?

316日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:26:12.10
>>294
>九州説のいう殺傷人骨は、甕棺墓時代で年代が合わない

だから、甕棺墓の時代が終わって、卑弥呼の方形周溝墓の時代になったんだろ?
畿内説は九州のものをなんでも叩こうとするが、筋違いの批判ばかりだな。
甕棺墓を叩いてどうするの?
(いい音がするだろうか?)

317日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:27:24.90
金慶珠と同種である奥山は、思考ロジックも金慶珠と同種なので、指摘された問題点を、軽視しているのでは、ないのかな。。。

142 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2019/11/08(金) 09:21:33.47
>>140
資料の作り方でその人の知能がわかる

・○○参照などのリンクが多い
・補足コメントが多い
・前振りや枝葉が長文
・仮定を組み合せて結論とする
・枝葉を強引にまとめて幹と結論付ける
・問題点を軽視した言い訳をする

テンプレ書いた人の知能は相当低いよ
子供のまま老人になったような人だね

318日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:28:22.46
>>310
>だからさ、「こうなはずだ」と屁理屈を繋げているだけなんだよ。

とか断定する根拠は?
九州説は言い張るだけ?

319日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:28:24.00
>>314
奈良盆地が森だった頃、奈良盆地の腐食層の鉄分は、殆ど、樹木に吸いあげられて存在し、倒木が腐食し、リサイクルしているのだね。。。

320日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:28:57.24
>>280
貴重な考古発見物体を試料として、採取し、破壊しなければ計測できないのだったね。。。

321日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:31:12.75
>>319
つまり、巻向の腐食層を開拓し、掘立柱遺蹟が完成した頃、掘立柱の周囲の地中には、鉄イオンが少なかったのだな、、、

322日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:31:17.75
>>318

いや、畿内説が根拠も示さず言い張るだけだと言っているのだが、それに対してそういう返し方をしても無意味だよ?
はい、畿内説の判定負け。

323日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:33:43.18
>>321
万が一、掘立柱の倉庫の周りで大物主が鉄器を使用していたのなら、現代の優れた理科の学者の調査で、それを証明できた可能性もあるのだな。。。

324日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:34:11.36
>>280
貴重な考古発見物体を試料として、採取し、破壊しなければ計測できないのだったね。。。

325日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:35:23.16
>>307
>すくなくとも前方後円墳の分布は全く関係無さそうだな。

九州説はまた理由も言わずに印象論オンリーか
そんなもんなのかね
学問じゃないから

326日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:36:26.21
関係するという根拠を畿内説が示せていないの。

327日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:36:41.99
>>323
もし、掘立柱遺蹟の掘立柱が無くなった後、鉄の道具で耕作されていない土地だったのであれば、考えの浅い頭の良くない者達が鉄の道具で発掘したことによって、
理科の分野の学者が、魏志倭人伝時代の地層の鉄器の有無を調査できた鉄分分布を台無しにしてしまった可能性が、高いのだったな。。

328日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:37:22.90
NHKが邪馬台国畿内説に証拠が無い事を発表しました。
そして、同じ放送では、纏向には宮室だけは、有ったのに対し、九州の城には、宮室、楼観、城柵が揃っていたという、頭が普通の者が視聴すれば、
纏向の掘立建物には卑弥呼の城の条件が揃っていないことが理解できる、見事な対比法を発表したのだったな。。。
http://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/nihonshi/archive/chapter002.html
巻向遺蹟は、何十年もかけ、莫大な税金と人員を投入し、200回程もの発掘調査を実行したのだが、邪馬台国畿内説の具体的な証拠を発見出来なかったのではないのかな、、、
そして、九州には、費用も人員も、巻向の1/7程も、集中的に調査した地区は無いのだったな、、

329日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:38:01.00
>>322
>いや、畿内説が根拠も示さず言い張るだけだと言っているのだが、

言うからには
「畿内説が根拠も示さず言い張るだけだ」
という証拠があるんだな?

出してもらおうか
出せなければ、今日もまた九州説の負けだ

330日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:38:20.40
>>280
貴重な考古発見物体を試料として、採取し、破壊しなければ計測できないのだったね。。

331日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:39:03.31
NHKが邪馬台国畿内説に根拠が無い事を発表しました。

332日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:39:35.54
>>325
纏向型他前方後円墳の分布と、魏志倭人伝で示された位置関係が合わないと指摘されているのに、なんでその理由を答えないの?

333日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:39:49.37
今日も、邪馬台国畿内説が、論破されてしまいましたね。

334日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:40:20.00
>>316

学術レベルでは平原1号は200年ころ
3世紀に発展する博多湾沿岸は糸島の影響下にはない

335日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:40:32.06
纏向型他前方後円墳は、4世紀の物体です。。。

336日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:41:26.09
学術レベルでは、邪馬台国畿内説に根拠が無い事は常識です。

337日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:42:56.22
もともと想像で始まった畿内説という学説ってw

338日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:43:24.42
>>332
>纏向型他前方後円墳の分布と、魏志倭人伝で示された位置関係が合わないと指摘されているのに、なんでその理由を答えないの?

纏向型他前方後円墳の分布と、魏志倭人伝で示された位置関係が合わないと
指摘されてないから

339日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:44:44.51
>>338
指摘事項
纏向型他前方後円墳の分布と、魏志倭人伝で示された位置関係が合わない。

340日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:45:39.72
>>835
>ホケノ山古墳は炭素14Cと<

木片は否定済み。

>副葬品の鏡などの年代観で三世紀中葉となっているので悪しからず<

「鏡の年代観」は、
後代に前代の形式の踏襲、という事が幾らでも起こり得るから、根拠にならず、×。

>最近は三角縁神獣鏡が239年近辺に日本伝来と認定され
それによる古墳の年代分類も可能になったとウィキペディアにも書いている<

列島の△は、渡来の呉系楽浪鏡師の陳氏らの関与鏡である、と判明し、
製作時点から、卑弥呼や壹與らから地方の豪族や東征将軍らへの下賜があって、
下賜された人が亡くなった後に、墓を造ってそこに副葬される、
という伝世があるため50年位の経過があり、239年にならないから、×。

341日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:46:00.41
>>322
>はい、畿内説の判定負け。

当事者が理由を言わずに相手の判定負けを宣言するという
おつむの異常な軽さを物語る現場を目撃した

342日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:48:33.86
>>340
>列島の△は、渡来の呉系楽浪鏡師の陳氏らの関与鏡である、と判明し、

判明どころか
「呉系楽浪鏡師」なるものの実在もなかろ

343日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:49:38.71
邪馬台国畿内説は、判定で闘いに負けたのではなく、圧倒的な得点差で、叩きつぶれてしまったのだね。

344日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:49:43.78
>>843
「南→東」などの嘘付き騙しの大和説は5chを荒らしても無駄だよ
そんなに嘘ばかりついてちゃ勝てるわけない

345日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:52:59.35
>>848
>ホケノ山は木棺の年代測定だけじゃなくて副葬品から見ても
230年くらいで矛盾はしないよ<

副葬品て、何の事?。

346日本@名無史さん2019/11/08(金) 14:55:55.92
畿内説に聞くが、そもそも墓制を統一することが政治上重要だったのか?
重要だったと言うのであれば今度は、そこに不和があったから倭国大乱が起きたのか?と問う。
つまり倭国大乱が祭祀形式に関する不和が原因だったのであれば、祭祀統一は政治思想の統一に匹敵する、と言えるかもしれない。
倭国大乱の原因が土地の奪い合いだったとすれば、祭祀形式云々で政治的に統一が実現する訳がない。

347日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:00:44.87
>>334
学術レベルといっても、大した根拠もなく一部の学者がそう報告書に書いただけだろ?
それにそれは卑弥呼の治世であり、200年頃も240年頃も、大して条件は変わらないよ。

348日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:01:44.69
祭祀統一は政治思想の統一に匹敵する、と言えたとしても、魏志倭人伝時代から数十年後の物事は、魏志倭人伝とは無関係なのだったな。。。

349日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:02:48.29
『ザ・モモタロウ』

テング・テングというキャラクター?
捜査したり・・・と書いてあるし、本当の話なんだろう

350日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:02:50.62
>>334
糸島は博多湾沿岸でもあるのだけれど?
ちょっと何いっているのか分からないな。
糸島と奴国が別勢力だとは思わないし。
畿内は日本海に近い伊勢遺跡までマキムクに絡めようとするくせに、ダブスタじゃないか?

351日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:03:16.23
>>338

同じだという根拠を示せよ。

352日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:04:14.67
>>851
>九州説に聞きたいけれど
中に収められた木棺を炭素14C年代測定法で測定したら20〜240年と出て<

木棺では、樹皮〜木片採取部位までの年輪数や寝かせ期間があるし、
幾つも採取し検査したのであれば、それらの中の一番新しい年次が採用になり、
更にプラズマ化などの影響があって、50〜100年位新しい年次が、適切、
という事になるよ。

>中の副葬品が230年ぐらいだった古墳の年代をどう認定するの?<

その副葬品の製作年次と、それを故人の所有になるまでの年数と、
更に故人が亡くなって、墓造りを始めて完成して副葬されるまでの年数が問題。

353日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:06:23.26
奧山氏が、元気を失ってしまったな、、、

354日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:09:13.00
>>339
>纏向型他前方後円墳の分布と、魏志倭人伝で示された位置関係が合わない。

畿内の土器の影響と政権との関わり
についての説明だから
その不整合は
前方後円墳秩序の中で共有された政治的意思の中枢を政権の中心と考えるという論理的な帰結の当否には影響しない
主流派の政治的意思が主流でない者の政治的意思を塗り潰すのが政権というものだからだ

わかりやすく言うなら、前方後円墳秩序の中にいない者が前方後円墳秩序を体現する政権に従属しても、なんの不合理もない

355日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:11:11.34
前方後円墳秩序の中にいない者が前方後円墳秩序を体現する政権に従属しても、なんの不合理もないという考え方は、
奧山氏の論理を自己破綻させてしまう可能性が高いな。。。

356日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:12:21.71
ほとんど同じ人物、家の話でしょ

357日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:12:55.08
>>345
>副葬品て、何の事?。

鏡、土器、鏃など
小枝でないもの(笑

358日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:13:10.63
>>355
どちらにしても、前方後円墳は、魏志倭人伝時代が終了してから数十年経った後に出現したので、魏志倭人伝とは無関係なのだったね。。。

359日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:13:33.27
畿内説という妄想

覇権争いに明け暮れた倭国の男王たちの前に、争いは止めてと涙で訴える卑弥呼というグレタさんが現れ、
涙の訴えに胸を打たれた男王達は、卑弥呼の言うとおりにするから泣かないでおくれと言って争いをやめ、
卑弥呼を祭祀女王に任命し、平和な社会を装った。

360日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:13:45.26
>>855
>ホケノの話?
小型丸底が出たんでしょ?<

小型丸底が布留に分類されている、という事は、
壁厚が庄内の半分位の薄さであるからであり、
庄内3との共存時期があったモノであり、
庄内3は、3世紀末頃の石塚の庄内Tよりも新しいから3世紀末〜4世紀にしかならず、
従って、小型丸底も3世紀末〜4世紀にしかならないんだよ。

361日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:18:22.93
奧山氏は、スレッドを活発にすることが目的なので、わざと、頭の悪い者を演じている可能性もあるのだったな。。。

362日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:19:15.16
>>361
奧山氏の演技は、迫真の演技ですね。

363日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:19:57.15
>>362
ありのままの奥山氏なのでは、ないのかな。。。

364日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:22:12.05
>>354
纏向型というのが前方後円墳定型化の取っ掛かりという位置づけであるのなら、
まず魏志倭人伝に書かれた女王に属する国々に伝搬していくのが当然であり、
その分布は一致しなきゃおかしいだろ。
各地の纏向型前方後円墳を倭人伝で紹介された国名で示せよ。

365日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:23:54.13
>>860
>>小片 No1(22〜244の222年間)と小片 No4(BC4〜134の138年間)とで、
何故、間隔がそんなに違うの?<

>No1が1880 ±50で
No4が1940 ±40の誤差なんだから<

±50なら100年間だし、±40なら80年間だし、
説明が出来ていないよ。

366日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:23:58.06
奧山氏は自作自演が好きなのだったな。。。

367日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:27:13.50
>>359
韓国式思考を導入した奥山は、アニオタ思考も導入していた可能性が、高いのでは、ないのかな。。。

368日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:28:08.17
>>115
実年代=記紀の没年(干支)補正+魏志倭人伝の年代情報+中国への朝貢記録
◇奴国(博多)【後漢皇帝の冊封を受け外交デビュー→大陸・半島の鉄輸入開始】
漢委奴国王(情報なし)…57年(後漢光武帝より金印を賜る)
「帥升」(情報なし)…107年(後漢安帝に生口160人を献上)
◇邪馬台国【狗奴国との争い→魏&西晋帝から「伽耶の鉄」輸入独占権を獲得!】
卑弥呼(〜247年)…239年/240年/243年/245年/247年
台与(235年〜?)…248年(13歳で邪馬台国女王に共立)/266年(西晋司馬炎へ)
◇伊都国・崇神朝【東征将軍・神武、纏向を征服→国内統一&半島派兵開始→任那日本府設置(鉄を直接獲得)】
10祟神(〜318年)…四道将軍(大彦/武渟川別/吉備津彦/丹波道主)派遣、310年頃?
11垂仁(情報なし)…330年頃没、伊勢神功創建。新羅王子「天之日矛」帰化、田道間守 、野見宿禰vs当麻蹴速
12景行(情報なし)…343年頃没、日本武尊の東征&西征335年頃?大臣・武内宿禰(〜応神)
13成務(〜355年)…国造/県主設置(国内統一完成)  
14仲哀(〜362年)…新羅征伐(関門海峡開削=北朝/高句麗艦隊の瀬戸内海侵入リスク)に反対、神罰で崩御(暗殺)
神功(〜389年)…「旨」(「泰和4年」369年銘石上神宮七支刀→372年百済・近肖古王より贈呈)
◇邪馬台国・応神朝@筑紫邪馬台【半島派兵(対高句麗戦争&百済支援)本格化→大将軍位を求め、南朝(東晋/宋/斉/梁)に朝貢】
15応神(〜394年)…「禰(でい)」
16仁徳(〜427年)…「讃」(413年/421年/425年)
17履中(〜432年)…「倭国王」(430年)
18反正(〜437年)…「珍」(438年)←没後朝貢
19允恭(〜454年)…「済」(443年/451年)
20安康(情報なし)…「興」(460年/462年)
21雄略(〜489年)…「武」@(477年/478年)「獲加多支鹵大王」…辛亥(471)年銘稲荷山鉄剣+江田船山鉄剣
22清寧(情報なし)/23顕宗(情報なし)/24仁賢(情報なし)
25武烈(情報なし)…「武」A(502年)
◇狗奴国・継体朝@阿蘇邪靡堆【南北朝の中国二帝並立→倭国独自年号創出】
26継体(〜527年)…「男弟王」癸未(503)年銘人物画像鏡(隅田八幡宮)

369日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:29:19.39
>>346
>畿内説に聞くが、そもそも墓制を統一することが政治上重要だったのか?

力関係のバロメーターになり、結果として統一された
統一がいちど約束事になってしまえば旗印と同じで、逸脱は叛意をあらわすだろう
事実、布留2ころ前方後円墳秩序の中でサブカテゴリ的威信材が乱立する
体制がゆるみ派閥ができるわけだ

>重要だったと言うのであれば今度は、そこに不和があったから倭国大乱が起きたのか?と問う。

それは時系列に合わない

370日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:33:05.69
>>360
>小型丸底が布留に分類されている、という事は、

されてない

371日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:33:16.51
>>862
>じゃ邪馬台国と読める大和国という地名がある所に <

邪馬台国なんて存在もしなかった嘘つき騙し文言であるから、×である。

>魏志倭人伝に書いてる大きな墓がある畿内が邪馬台国だったんじゃないかな<

畿内なんても存在もしなかった嘘つき騙し文言であるし、
卑弥呼の墓は「径百余歩≒径20〜30m」の墓であり、
「大きな墓」という程でもないよ。

>他にそういう所がないわけだから <

大和や箸墓などは「南→東」だから始めから×であり、
「径百余歩」の冢で殉葬奴婢百余人なら、現在のところ、日本で唯一祇園山があるよ。

372日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:35:11.44
>>368
いかに後漢〜三国志時代の大陸・半島の鉄の質が高かったか、いかに卑弥呼が欲しがったかがよく判るね
争いの絶えない北部九州こそ、宮室楼観城柵厳設・邪馬台国に相応しい

373日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:36:43.30
>>365
アンタ、計測値の話してんの?
較正値の話してんの?
わねわかめ

374日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:37:46.16
奧山氏は自作自演が好きなのだったな。。。

375日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:39:10.61
>>347

平原1号の年代い異論を出してる学者はいない
ど素人レベルであれば何一つ研究してるわけではないので
年代は鴻臚館でも博多パラダイス(現ポートタワー)でも何でも
3世紀前半と言張ることはできる

376日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:39:15.89
優れたザラコク氏は、破綻した炭素年代法のことを、真剣には討論していない可能性が高いな。。。

377日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:39:52.36
纏向が邪馬台国なら、纏向以外の畿内の拠点集落も楼観城柵厳設だったはず(内戦がないなら不要だから)。
仲の良い東海w狗奴国と戦争していた纏向自体が、楼観なし、猪除けにしかならない板塀で、ますます候補地から外れる。

378日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:40:02.36
>>868
>小型丸底土器は纒向のごく初期からありますが、何か?<

小型丸底が布留(布留0)に分類されている、という事は、
壁厚が庄内の半分位の薄さであり、庄内とは違うのであり、
庄内3との共存時期があったモノであり、
庄内3は、3世紀末頃の石塚の庄内Tよりも新しいから3世紀末〜4世紀にしかならず、
従って、小型丸底も3世紀末〜4世紀にしかならないんだよ。

379日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:43:37.17
やはり低脳ですね。

@仮定を組み合せて結論とする
A枝葉を強引にまとめて幹と結論付ける
B問題点を軽視した言い訳をする

>369 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2019/11/08(金) 15:29:19.39
>>346
>>畿内説に聞くが、そもそも墓制を統一することが政治上重要だったのか?

>力関係のバロメーターになり、結果として統一された@
>統一がいちど約束事になってしまえば旗印と同じで、逸脱は叛意をあらわすだろう
>事実、布留2ころ前方後円墳秩序の中でサブカテゴリ的威信材が乱立する
>体制がゆるみ派閥ができるわけだA

>>重要だったと言うのであれば今度は、そこに不和があったから倭国大乱が起きたのか?と問う。

>それは時系列に合わないB

380日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:44:17.19
>>876
「南→東」などの嘘付き騙しをしゃべり、
謎の数字を呟いてウヘウヘ笑う大和説老人の、
正気を疑わない者はいなかろうなあ

381日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:48:09.41
>>379
鋭い分析!次スレにもはってください

382日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:48:49.94
>>884
そうやって
「南≠東」などの指摘に反論できないのに、
負けてないフリするから
大和説は、国民にも中国学者らにも、事情を知った世界の学者らからも、
信用されない

383日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:49:11.56
>>354

長々と屁理屈を捏ねているだけだよ。
前提となる思想に賛成できなければ、なんの意味もない。

384日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:49:27.21
>>364
>まず魏志倭人伝に書かれた女王に属する国々に伝搬していくのが当然であり、
>その分布は一致しなきゃおかしいだろ。

なんで?
共立に参加した国
反対したけど結局膝を屈した国
貿易の利益だけ考えた協力者の国
無関心だったけどバスに乗り遅れそうな気がして思わず飛び乗った国
いろいろあっていいだろ

385日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:51:34.82
>>369
>力関係のバロメーターになり、結果として統一された
>体制がゆるみ派閥ができるわけだ

これ自体が、墓制第一主義とでも呼ぶべき主義主張であり、普遍的な賛同を得たものではない。
それを前提にしてはいけない。

386日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:51:46.55
>>888
まあ、「南→東」などの史料事実の否定や曲解だけではなく、
科学を全否定しないと大和説は、
即死だもんね

387日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:52:31.52
>>375
>平原1号の年代い異論を出してる学者はいない

そもそも大して議論されていないだけ。
200年頃という数字の根拠もない。

388日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:52:31.66
争いには何らかの問題があり、その問題を解消する策でなければ、争いは治まらない
女王を共立するというのが何の問題に対する策なのか?を考えなきゃね

389日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:52:53.25
>>350

博多湾の西は糸島半島の東岸
福岡市の東区、博多区、中央区、早良区、西区に面する
今津湾沿岸には筑前型庄内甕が多く搬入されている
三雲にも少し搬入されているが
土器相はUB期までは在地系主体で、200年頃築造の平原1号が副葬する
サビ色塗装鏡群は博多には配布されない
地理も考古もまるっきりの無知なんだから何言ってるのかわからなくてあたりまえ

390日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:53:55.00
>>377
>纏向が邪馬台国なら、纏向以外の畿内の拠点集落も楼観城柵厳設だったはず(内戦がないなら不要だから)。

イミフ
楼観城柵厳設って卑弥呼の処居の話だろ
なんでそんなアチコチある話になるんだ
内戦云々も何が言いたいのかサッパリわからん

391日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:54:33.97
>>378
>小型丸底が布留(布留0)に分類されている、という事は、

されてない

392日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:56:10.09
>>388
107年+70〜80年=182年頃、帥升が死んで、今の天皇家同様、倭王家に男系が途絶えてしまい、揉めに揉めて、最終的に娘の卑弥呼を共立して収まったというのはどうかな?

393日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:56:10.15
>>384
だから、女王に属する国々の国名を当てはめ、それが当てはまらない古墳は後から参加した国だとして年代を入れ、図なり何なりで示せよ。

394日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:56:21.48
>>890
>>邪馬台国だという根拠はなく、<

>地名が同じなので千年間だれも疑いませんでした
皇国主義者が九州説を発明するまで <

邪馬壹國≠邪馬台国なので、千年間位、誰も疑いませんでした。
皇国史観学者や坊主が大和説を発明するまで・・・。

395日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:58:06.15
>>379
@ABに該当するって理由は?
何も言わずに番号ふるならサルにも出来る

396日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:58:39.30
キナイコシが福岡の地理に詳しくないことはわかった。

397日本@名無史さん2019/11/08(金) 15:59:51.72
>>392
帥升はそんなに長生きではないだろ。
ただし帥升を含む王家なら、記紀に日向三代がある。
これが甕棺墓一族だろ。

398日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:00:15.82
>>393
なんでそんなことせんといかんの?

399日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:02:20.67
神武は四兄弟の末弟で、長男とともに筑紫を出た。
では次男と三男はどうした?
家督争いだったのかもな。

卑弥呼が卑弥弓呼ともとより不和というのも、その即位を巡っての争いだろうし。
九州北部の倭国のお家騒動ということでいいのでは?

400日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:02:36.38
>>392
なるほどつまり、新たな男王を選出するとすぐ揉めるので、天皇直系であれば女系で継ぐのも有りだと、国中が認めたということ?

401日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:02:47.83
>>396
「京都県」「畿内は海に接してない」の人は
日本地理に詳しくない

402日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:03:06.67
>>387

何人かもわからないお前が5chで
議論してないとか根拠がないと連呼しても無駄

403日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:05:38.13
>>398
それが邪馬台国発見の手がかりだろ?
畿内説の言う事が本当ならそれで当時の倭国領域やヤマトに加わった順番なども浮彫りになるはずだ。

404日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:09:26.45
>>892
根拠?
当時は大和は、
五瀬命や神武らの東征の後の「地方の市を監督する大倭職の旧小国」であり、
卑弥呼の後頃に、新たな「東征毛人五十五國」の征服軍が入って来て支配し、
東征軍から博多にあった文物や技術や土器や鉄器などを教わり、
それから、弥生銀座の「女王之所都」があった邪馬壹國や、
糸島にあった同じ阿毎氏の伊都国とも行き来したんだから
卑弥呼の頃の魏の人が知るわけは、ないですよねー

405日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:11:10.26
>>402
>何人かもわからないお前が5chで
>議論してないとか根拠がないと連呼しても無駄

無駄だという根拠がない

406日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:14:31.54
>>387
>200年頃という数字の根拠もない。

さすがにウソつきすぎでは?
公式調査報告書に書いてあるのに

407日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:15:35.93
>>385
>これ自体が、墓制第一主義とでも呼ぶべき主義主張であり、普遍的な賛同を得たものではない。

という根拠は?
あんた一人で宣言しても意味がない

408日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:17:08.50
>>403
まず「その分布は一致しなきゃおかしいだろ。」を
撤回すんのが先だな

409日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:17:15.25
>>401
日本人に成りすましてレスしてた中国人の
「東京県警が〜」
でバレた話を思い出したw

410日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:18:48.71
>>406

だから、その報告書が何を根拠にその数字を挙げたのか不明なんだよ。
なのに畿内説は根拠が不明な数字を振り回している。

411日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:19:33.27
>>407
主義主張を振り回しているのはそっちだよ。
その根拠を示せよ。

412日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:21:19.49
答えに困り逆切れした、頭の悪い奥山が、次第にキナイコシへと、変化してきたのでは、ないのかな。。。

413日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:22:10.45
>>369
>力関係のバロメーターになり、結果として統一された
>統一がいちど約束事になってしまえば旗印と同じで、逸脱は叛意をあらわすだろう

この部分の根拠がない。

414日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:22:14.80
奧山氏は、自分から、奥山氏が朝鮮人だという事を告白したのだったな。

415日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:23:00.72
邪馬台国畿内説を宣伝している奧山氏が、ハングル文字使いの連句点なのだったな。

416日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:23:09.53
>>410
テンプレに書いてあるだろ

417日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:24:13.91
>>411
>主義主張を振り回しているのはそっちだよ。

主義主張を振り回していると断定する根拠は?

418日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:26:14.28
>>408
正確な年代測定が可能なら各纏向型前方後円墳をの年代を割出し、年代が識別可能な分布図を作成して公開すればいいだけだろ?
なんで撤回する必要があるんだ?
会話になってないぞ?

419日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:27:00.33
テンプレートに書いてあることには、根拠が何もないのだったな。。。。

420日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:28:21.61
420

421日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:29:17.65
>>359
>卑弥呼というグレタさん
www
黒幕は公孫氏か?w

422日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:31:09.18
>>419
そのテンプレを根拠とする>>416のようなレスは本当に頭悪いよな

423日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:32:16.40
邪馬台国畿内説が破綻した理由は、たくさん積み上げる必要はないのだったな。。。

424日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:34:01.85
>>902
>干満を利用して、上の方の真水だけ使うんだと。
有明海に特有の灌漑方法らしい<

ふーん。

425日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:35:15.33
>>423
そうだね。。。
邪馬台国が巻向にあったという破綻した仮説は、「前方後円墳は、魏志倭人伝時代が終了して、数十年後の物事なのだ」という真実に対する誤った反証から、発生してしまったのだから、
その誤った反証を叩き潰せば良いのだったな。。。

426日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:35:38.24
卑弥呼の墓が定型化された前方後円墳第1号なら、2号はどれだ?

427日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:36:25.63
テンプレートに書いてあることには、根拠が何もないのだったな。。。。

428日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:36:37.26
>>417

それはナンセンスな返事だ。

429日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:37:23.24
邪馬台国畿内説には、根拠が何もないのだったな。。。。

430日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:38:58.43
墓制の一致を判断材料にするという墓制優先主義の根拠がない。

431日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:39:45.59
邪馬台国が巻向にあったという破綻した仮説は、「前方後円墳は、魏志倭人伝時代が終了して、数十年後の物事なのだ」という真実に対する誤った反証から、発生してしまったのだから、
その誤った反証を叩き潰せば良いのだったな。。。

432日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:40:21.14
「でよい」
「とするのが妥当」
「とみることができよう」
「余地があろう」
「みなしてよい」
「不自然ではない」
などの主観的な判断の表現を疑え。
少なくともそれらは仮説に過ぎず、確認された事実とは区別しなくてはいけない。
それらの仮説や個人的な主義主張を除くと、テンプレも、キナイコシの主張も、畿内説と呼べるものは全く空っぽになってしまう。
畿内説は客観的根拠が不足しており、仮説の上に仮説を積み上げただけの、砂上の楼閣に過ぎない。

433日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:43:06.84
>>905
>畿内系の村と在来系の村が隣同士
村の中では畿内系の家と在来系の家が隣同士 畿内の祭祀を取り入れる<

畿内なんて存在もしなかった嘘つき騙し文言であり、
田舎の別種の旧小国の大和から筑紫に来るのは、阿毎氏の祭祀の時位。

>王が畿内系の祭祀を受け入れる どっちが植民地かは、お察し<

年始挨拶などに上京するのは、家来や田舎の方。お察しを。

434日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:47:56.05
>>909
>出現期の古墳の中でもっとも規模が大きいものは奈良県(大和)にみられ、
この時期大和地方を中心とする近畿中央部の勢力によって政治連合が形成されていた。
この大和地方を中心とする政治連合をヤマト政権という。
全国の高校生がそう習ってる<

九州倭國の「東征毛人五十五國」を教えられず、
「南→東」などの嘘付き騙しを教えられた高校生は、
どんな恐ろしい人間になるんだろうかねえ?。
怖い怖い、高校生が可哀想。

435日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:48:52.67
>>430
畿内説はその墓制の一致を政権の統一と見なしているのだから、それを年代順も合わせて示せばいいんだよ。
簡単なこと。

436日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:50:13.46
>>911
「南→東」などどの嘘つき騙しが出来る証拠は?
また大和説は証拠が出せない
終わりだよ

437日本@名無史さん2019/11/08(金) 16:54:15.27
伊都連呼は九州雑多話の中でも倭国の5万戸が朝鮮半島南部という
歴史ではなくて生活向上かなにかそういった目的を持った運動であるから
日本より故郷でロウソクをもって祖国の同胞とともに運動したほうが
何かしら得るものはあると思う

438日本@名無史さん2019/11/08(金) 17:04:46.12
畿内説だと狗奴国はどこだっけ?
そこには男王が居たのだから、その王墓があるのでは?
そしてそれは前方後円墳では無いはずだよね

439日本@名無史さん2019/11/08(金) 17:07:34.38
>>438
>狗奴国

このスレで聞いたのは熊野、河内で、
そして方向デタラメ説の畿内説は東海だと言っていたような。。。

440日本@名無史さん2019/11/08(金) 17:10:47.50
>>431
レベルの高い学者がオーマイゴッドと叫んだときに、ついでに破綻した炭素年代法以外は、日韓交差編年という物事と、大河内氏が正しさを請け負ったと言われている一般には秘匿されている物事しか残っていないのだったな、、、

441日本@名無史さん2019/11/08(金) 17:15:37.67
厳密には、タキオンという物事の存在は、否定しきれないのだったね。。。

442日本@名無史さん2019/11/08(金) 17:16:13.58
>>110
>という理由がないな

と言うものの、他に「東南」の由来の妥当な理由を示せないのなら、まだワイの説のほうがましということになる。

443日本@名無史さん2019/11/08(金) 17:17:48.57
タキオンという物事の存在は、邪馬台国畿内説と比較すれば、現実性が高いのだったな、、、

444日本@名無史さん2019/11/08(金) 17:24:13.36
タキオンは減速するのだろうか、、

445日本@名無史さん2019/11/08(金) 17:29:19.96
>>245
>魏志倭人伝では奴国に王はいないから、関係ないんだよ。

おかしいなぁ?
九州説の言い分では、奴国を含む北部九州が邪馬台国7万戸って話じゃなかったっけ?
邪馬台国そのものだっていうのが北部九州説だろ?ww

本当にその場しのぎで手の平くるっくるww

>もしくは年代比定がおかしい。

残念ながら、奴国こそ北部九州では土器がたくさん出るから、
北部九州の編年=年代比定の基準なんだよww
奴国の年代がおかしいと言い出したら、平原1号墓の編年なんて吹っ飛ぶぞw

446日本@名無史さん2019/11/08(金) 17:31:22.31
>>250
>畿内説が「根拠」と呼ぶものは、頭の中でこねくり回した屁理屈しかないではないか。

屁理屈が屁理屈であるとされるのは、「道理に合わないところ」があるからだ
その「道理に合わないところ」を具体的に指摘することなしに、
「屁理屈だ」とレッテルを貼ろうとしても無意味だって!

九州説は常に具体論がない

447日本@名無史さん2019/11/08(金) 17:31:48.98
>>442
朝鮮半島西岸を船で南下東進した魏の使節団が倭に渡る最短距離のルートが、固城→対馬南端→壱岐西端→呼子加部島なんよ。
そして、そのコースがぴったりの「東南」方向となっているわけ。
なので、「東南」の起点は固城の沖ということが推定できる。
しかも、加部島からさらに東南に軸線を延ばしていくと、筑後山門に行き着くというのが面白い。
筑後山門は卑弥呼の祭祀所があったところとして最有力の場所だからね。
これは、普通、ある特定の国から別の国が所在する方位を書くときには、その国の首長がいる都の方位を指し示す慣習にぴったり合致しているしな。
つまり、魏略や倭人伝の「東南」の方向が玄界灘沿岸や佐賀、長崎の沿岸にぴったり重なるということは、倭は北部九州にあり、そして倭国の女王卑弥呼がいたところは筑後山門であるということ示しているのだね。

448日本@名無史さん2019/11/08(金) 17:33:59.88
ドンバの話

えどわーど何やら〜とか、
某国の王子という意味でしょ、置き換えている、例えていたりするだけ

本当の話だと言っているのに

449日本@名無史さん2019/11/08(金) 17:35:16.63
わかりやすく言うと、ただの人権侵害なんだけどな

450日本@名無史さん2019/11/08(金) 17:38:24.03
>>296
>モモソヒメは盟主なのかw

倭迹迹日百襲姫命は祭祀王
のちの時代に、地位として確立した時点では斎王と呼ばれる地位の前身

その祭祀王のヒメ王と、世俗の狭義の王権を担う政務王のヒコ王の
ヒコヒメのセットが盟主となるのがヒメヒコ制

ヒメ王とヒコ王のどちらが上位かというのは、ヒメヒコごとに異なるが
邪馬台国ではヒメ王が倭王で、ヒコ王が佐治国と書かれるようにヒメ王が上位だった

それが、倭迹迹日百襲姫命なら、当然に盟主だろう

451日本@名無史さん2019/11/08(金) 17:40:31.01
>>307
>史書の中では、邪馬台国≠女王国と表現されており

あ、これウソ

魏志倭人伝の中で、大体の女王国は卑弥呼を王とする倭国の範囲だが、
自女王国以北の2ヵ所は、女王国=邪馬台国だから

452日本@名無史さん2019/11/08(金) 17:40:39.71
>>409
あった残ってたよw
尖閣諸島買い取り募金のスレに乱入した中国人だなw

「やめとけ。こんな寄付に参加してるのが晴れたら
東京県警に捕まって職安に連行される。お前の人生がAUTOになるぞ。

「仕事を占って埠頭に迷うことになる。民間人が手を出すのはおもん違いだ。
今の中国は家畜の勢いだ。逆らわない方がいい。」

453日本@名無史さん2019/11/08(金) 17:41:47.53
>>309
>記紀でも土器祭祀や墓制については触れてないね。
>政権に関わる重要事項であるにも関わらず

それは、政権が安定し土器祭祀や墓制が政権に関わる重要事項ではなくなった時代に
記紀が書かれたのだからしょうがない

454日本@名無史さん2019/11/08(金) 17:42:28.52
>>310
>だからさ、「こうなはずだ」と屁理屈を繋げているだけなんだよ。

屁理屈が屁理屈であるとされるのは、「道理に合わないところ」があるからだ
その「道理に合わないところ」を具体的に指摘することなしに、
「屁理屈だ」とレッテルを貼ろうとしても無意味だって!

九州説は常に具体論がない

455日本@名無史さん2019/11/08(金) 17:45:42.10
>>311
>数片だという根拠は?

佐賀川上バカとやりあったときに、佐賀の遺跡を調べたところ、
あると言っていた遺跡が、ただの土器散布地だったんだよw

奈文研の遺跡データベースで見ると分かるけれど、九州の遺跡が
データベースで多いのは、こういう土器散布地のような瑣末な遺跡まで
データベースに登録しているから

>畿内説へのブーメランかな?

倭国最大の墳丘墓が並んでいる場所は、間違いなく権力中枢の所在地だ
奈良盆地の遺跡は土器散布地とは違うよ

456日本@名無史さん2019/11/08(金) 17:46:48.84
記紀は後世の人の想像。
畿内説も後世の人の想像。

453 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2019/11/08(金) 17:41:47.53
>>309
>記紀でも土器祭祀や墓制については触れてないね。
>政権に関わる重要事項であるにも関わらず

それは、政権が安定し土器祭祀や墓制が政権に関わる重要事項ではなくなった時代に
記紀が書かれたのだからしょうがない

457日本@名無史さん2019/11/08(金) 17:46:57.76
>>313
>卑弥呼の頃には遠浅の海が引いていって、急速に稲作が拡大していたことだろう。

卑弥呼の頃は、まだまだ海だよ
目が見えないのですか?

邪馬台国畿内説 Part528 	YouTube動画>1本 ->画像>62枚

458日本@名無史さん2019/11/08(金) 17:48:32.53
>>316
>だから、甕棺墓の時代が終わって、卑弥呼の方形周溝墓の時代になったんだろ?

つまり、九州説が畿内に戦乱の跡がないという時代には、九州にも戦乱の跡がない
九州説のいちゃもんは、常に見当違いww

459日本@名無史さん2019/11/08(金) 17:49:06.88
>>418
>なんで撤回する必要があるんだ?
>会話になってないぞ?

「その分布は一致しなきゃおかしいだろ」
を撤回しないんなら

「その分布は一致しなきゃおかしいだろ」
という理由を答えろよ

理由がないなら
「その分布は一致しなきゃおかしいだろ」
とか、もう言い張るなよ

460日本@名無史さん2019/11/08(金) 17:50:47.05
あと髪の毛の色が〜というのは
『エヴァンゲリヲン』のキャラでしょ、浦島太郎?

461日本@名無史さん2019/11/08(金) 17:55:25.12
>>459
>「その分布は一致しなきゃおかしいだろ」
>という理由を答えろよ
外国の人?

>>364の「纏向型というのが前方後円墳定型化の取っ掛かりという位置づけであるのなら、
まず魏志倭人伝に書かれた女王に属する国々に伝搬していくのが当然であり、」
冒頭からここまでが理由

462日本@名無史さん2019/11/08(金) 17:55:27.64
>>332
>纏向型他前方後円墳の分布と、魏志倭人伝で示された位置関係が合わないと指摘されているのに、なんでその理由を答えないの?

どこが?
>>297の図の
畿内から丹後半島に向かって、灰色の網掛けの分布が伸びているだろ?
そのルートが、南陸行一月のルートだよ
https://imgur.com/63gSUj1

魏志倭人伝の行程が考古遺物で直接確認できる部分だ

463日本@名無史さん2019/11/08(金) 17:55:30.77
>>442
>と言うものの、他に「東南」の由来の妥当な理由を示せないのなら、まだワイの説のほうがましということになる。

おまえも理由ないんだからダメな説だ
ましてやマトモな説があれば
おまえの説はゴミだって
わかるよな?

464日本@名無史さん2019/11/08(金) 17:55:45.94
当時の職業(不明)というのも、
軍人、警官なのか・・・何なんだろう?みたいな話


職業ではないのかな

キュウリのような葉、葱の華・・・、
あと子供がいるでしょ、何かの制服を着ているし

465日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:00:08.45
>>346
>畿内説に聞くが、そもそも墓制を統一することが政治上重要だったのか?

共同体を共同体たらしめるものが必要で、祭政一致の時代に各地で行われる前首長の葬送と
新首長のお披露目が行われる祭祀の形式が統一されることは、共同体意識の醸成に有効なのは
考える脳みそがあればすぐに分かるだろうに

これが、卑弥呼の共立を気に行われたと言うのが畿内説のベースライン
ここに、卑弥呼の遣使の跡には魏皇帝から下賜された卑弥呼の鏡・三角縁神獣鏡を
分有することが共同体のメンバーである証になる時代が来る

466日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:01:27.59
>>347
>200年頃も240年頃も、大して条件は変わらないよ。

200年頃は卑弥呼が生きているから、卑弥呼の墓のはずがないww
こういうご都合主義のごまかしが九州説のベースライン(基本線)

467日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:01:59.21
>>428
ナンセンスだという理由は?

答えられなくなったら罵ればすむと思ってるのか?
それは馬鹿の証拠だ

468日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:02:18.88
やはり低脳ですね。

@仮定を組み合せて結論とする
A枝葉を強引にまとめて幹と結論付ける
B問題点を軽視した言い訳をする

>462 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2019/11/08(金) 17:55:27.64
>>332
>>纏向型他前方後円墳の分布と、魏志倭人伝で示された位置関係が合わないと指摘されているのに、なんでその理由を答えないの?

>どこが?B
>>297の図の
>畿内から丹後半島に向かって、灰色の網掛けの分布が伸びているだろ?
>そのルートが、南陸行一月のルートだよ@
https://imgur.com/63gSUj1

>魏志倭人伝の行程が考古遺物で直接確認できる部分だA

469日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:03:50.17
>>461
>>364の「纏向型というのが前方後円墳定型化の取っ掛かりという位置づけであるのなら、
>まず魏志倭人伝に書かれた女王に属する国々に伝搬していくのが当然であり、」
>冒頭からここまでが理由


「まず魏志倭人伝に書かれた女王に属する国々に伝搬していくのが当然であり、」
という理由は?

470日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:05:35.58
>>373
>アンタ、計測値の話してんの?
>較正値の話してんの?

その区別がつく程度の知能があれば、九州説なんてやってないww

471日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:06:16.48
>>938
>AD100年w
だとすると、これまでの古墳の編年が全て前倒しされるから、
三角縁神獣鏡の出る古墳が大体3世紀に収まるな<

畿内なんて存在もしなかった嘘つき騙し文言であるから×であるし、
大和説は「南≠東」などによっても×であるし、
卑弥呼の墓は冢であり、大和説のいう古墳=前方後円墳ではなく、
大和の古墳で△が出るのは4世紀しかないから、「大体3世紀に」収まらない。
だからそれで、九州説はまったく困らない 。

472日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:06:18.32
>>468
低脳だよなw
理由も説明もなく
他人の文書に勝手に番号だけふっただけ
無能というか
明らかにパーだろ?

473日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:06:51.13
>>465←脳無しの頭の中を満たしている膿が噴出w

474日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:07:59.71
>>469
いきなり狗奴国に伝搬するのかい?
あほくさ

475日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:08:25.13
>>383
>前提となる思想に賛成できなければ、なんの意味もない。

つまり、九州説は日本史と言う人文科学において
前提となる「思想」を成否の判断材料にするんだな?

だから、科学的な論証に必要な具体的な根拠を無視する訳だ

科学板に出入りする必要ないんじゃないか? >>383は?

476日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:10:24.96
>>430
>墓制の一致を判断材料にするという墓制優先主義の根拠がない。

ないと言い張る理由は?

出現期の古墳の多くが前方後円墳もしくは前方後方墳で、長い木棺を竪穴式石室に収めた埋葬施設や、多数の銅鏡をはじめとする呪術的な副葬品をもつなど、画一的な特徴をもっていた
この事実から学者たちは
古墳が各地の首長たちの共通の意識のもとにつくり出された墓制で、その背景には古墳の出現に先だって広域の政治連合が形成されていたと考え
それが教科書に載るような定説になった

これが現実だ

477日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:12:39.74
>>384
それと、前方後円墳が「墓」であることも重要

共立に参加した地域の首長が死なないと前方後円墳は作られない
那珂八幡古墳がかなり早い時期に作られているのは、奴国が前方後円墳体制に
参加するのが単に早かったというだけではなく、卑弥呼の共立に関わった奴国首長が
よそよりも早くに死んだということを意味している

土器はすぐに広がるが、盟主墳は1世代・数十年に1基ずつになるので、
伝播の順に作られる訳ではない

まあ、伝播にそれほど時間がかかったとも思わないけれど

478日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:15:35.83
>>387
>200年頃という数字の根拠もない。

平原1号墓と周溝を共有する(同時に作られたと考えられる)2号墓の
周溝から出た土器の編年を一つの基準にしている

北部九州の土器編年がその推定の根拠だから、それを否定するなら
北部九州の年代観には一切の根拠がなくなることになる

479日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:17:13.29
古墳は墓だから亡くなった順だし、ホケノ山や箸墓が最初とは言えない。
言い出しっぺは那珂八幡の被葬者かもしれない。

480日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:17:18.51
ほんとうに老婆談になるんだけど、結婚する前


たしか、何かの家の人?だと言われた・・・と言っているし。
仏教、神仙?

481日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:19:03.76
>>474
>いきなり狗奴国に伝搬するのかい?
>あほくさ

何が「いきなり狗奴国に伝搬」したと?

おまえの日本語はいつも不完全で他人に伝わらない
知的な意味でなにか問題のある人なのか?

482日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:21:29.09
纏向説は破綻した

483日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:21:57.47
>>476
これが現実だ

鮎喰川下流域における古墳時代の平野部の遺跡は,前述の矢野遺跡,名東遺跡より該時代の遺物が出土している程度であり,

この時代の集落跡については ,今後の調査の進展に伴っての研究課題であろう。

一方,古墳については平野部に続く丘陵一帯に多数築造されているが,沖積平野上に築造された古墳は皆無となっている。

鮎喰川下流域に存在するこれらの古墳で,発掘調査等がなされ,その内容,時期等が判明しているものは少なく,

名東町の節句山 1・2号墳 (発掘調査 ),八人塚古墳 (墳丘実測 ),穴不動古墳 (墳丘・横穴式石室実測 ),国府町の奥谷 1号墳 (墳丘実測 ),

矢野古墳 (墳丘・横穴式石室実測 )などがあげられる程度で,大部分の古墳は墳丘の形状,表面採集遺物や伝承出土遺物等に依拠しているが,

これらの古墳の概要を古墳時代前半期と後半期に分けて眺めてみたい。

鮎喰川下流域で最古の古墳と考えられるのは, 名東町節句山 1・ 2号墳であり, 1号墳は石蓋盤棺で鉄製品 (やり飽 )のみの出土の点などからして,

弥生時代の墳墓の可能性が指摘されている。 2号墳は箱式石棺に 竪穴式石室をしつらえた埋葬施設を有し,棺及び石室内部から舶載の四獣鏡や勾玉,鉄剣,鉄刀子,

鉄斧 ,鉄鎌などが検出されており, 3世紀末ないしは4世紀前半に位置づけられるとされている。

いずれにしても,節句山 1・ 2号墳が古墳発生を考える上での重要な鍵を握っているように思われる。   



こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。   @阿波

484日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:22:26.44
>>479
それでも問題ない
庄内式を使い首長の葬礼祭祀をする畿内系コミュニティの一員だからな
初代一大率かも知れんぞ

485日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:24:24.57
>>399
>では次男と三男はどうした?
>家督争いだったのかもな。

一緒に旅に出てるよ
でも途中で荒れた海を鎮めるために、海神である母に身を捧げている

海中卒遇暴風、皇舟漂蕩、時稻飯命乃歎曰
「嗟乎、吾祖則天~、母則海~。如何厄我於陸、復厄我於海乎。」
言訖、乃拔劒入海、化爲鋤持~。 ←次男死亡
三毛入野命、亦恨之曰「我母及姨並是海~。何爲起波瀾、以灌溺乎。」
則蹈浪秀而往乎常世ク矣。    ←三男死亡

知識が根本的に足りないから、でたらめな思いつきでごまかしてばかりになるんだよ
九州説は常にそんなのばかり

>卑弥呼が卑弥弓呼ともとより不和というのも、その即位を巡っての争いだろうし。
>九州北部の倭国のお家騒動ということでいいのでは?

北部九州にがっつり畿内からの影響が3世紀時点ではっきりしていて、
考古学的に奴国は畿内の傘下・協力者の位置にある
魏使が奴国まで来ているのに畿内を知らないとかないw

486日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:24:55.61
〜伯爵・・・河伯?

487日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:26:10.79
>>484
土器は葬る側が持ち込むんだから傘下の首長が持ち込んだんだろう。
とも言える。

488日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:28:19.23
河伯、河童?
何なのか知らないけど、あの写真の家の・・・長男だと言っていたり。

河伯?

489日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:28:44.72
畿内の古墳で九州由来の物が何か出土したっけ?
九州倭国は他人だから何も贈らなかったのかな?

490日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:30:26.38
>>430
>墓制の一致を判断材料にするという墓制優先主義の根拠がない。

祭祀連合を形成する、以外の理由で先祖伝来の墓制を変える理由を
>>430は説明できるのか?
国中の労力をつぎ込んで作る大墳丘墓を、祖先とは違う形式で
作り上げることになった理由を、>>430はどのように説明するつもりだ?

畿内説では、卑弥呼の共立に伴い共同体化する集団が、その共同体の
メンバーであることを示す目的で共通の墳墓形式に移行した、と説明する

さあ、>>430の説明を伺おうじゃないか?

491日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:30:28.65
確か纒向は各地の土器が出土するから広域勢力だとか言ってたな。
奥ナントカって池沼が。

492日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:30:42.33
『伯 意味』

そのような意味wみたいな話も出てくるし、

河伯?

493日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:31:12.63
>>487
那珂八幡はそれまで在来系が住んでいて急速に畿内系ばかりになった地域に築かれた
どういう人の古墳か、わかりますね?

494日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:35:38.91
>>493
それどこまで行っても畿内説の想像だからw
学者は「〜のように見える」と表現してたな(松木?)
政権を示すならやはり鉄だと。
カネだよカネw

495日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:35:41.45
>>393
>広範囲から祭祀のために人が集う遺跡であり、その動員力から
祭祀における倭国最高権威の存在が推定できる
3世紀における倭国の祭祀における最高権威者の候補は、
どうしたって卑弥呼にしかならない <

「南≠東」などに拠って、
大和説は×であり、「正北抵新羅」の北部九州の倭國の「東征毛人五十國」の中の一国の、
旧小国の附庸國である。

496日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:36:59.08
>>489
>畿内の古墳で九州由来の物が何か出土したっけ?
>九州倭国は他人だから何も贈らなかったのかな?

そのころもう北部九州の有力首長は畿内系か、畿内系と婚姻を結んだ身内だったんじゃなくて?

497日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:42:43.36
>>942
そして自分の目で史料事実や史料実態をしっかり見ず、
「南→東」などの嘘付き騙しの典型が大和説なわけだ

498日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:42:54.96
記紀が天皇は九州由来と表現しているんだから、もともと畿内に天皇が居たわけじゃないんだよな。
北部九州が倭奴国だった頃の奈良盆地に居たのは海が苦手な縄文人(少数派)ぐらいなもんだろうね。

499日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:50:52.98
>>489
>畿内の古墳で九州由来の物が何か出土したっけ?

倭国(阿波)の物ばかりだよ!   @阿波

500日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:52:41.86
>>945
>年代が合う倭国最大の墓が、倭王卑弥呼の墓の第一候補になるのは当たり前
確定するかどうかとは別の話
最大の蓋然性をもって、邪馬台国の比定地はヤマトの地になる <

「南≠東」などに拠って×。

501日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:53:26.96
>>493
>どういう人の古墳か、わかりますね?

筑紫忌部のお墓!   @阿波

502日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:53:42.52
纏向型前方後円墳の築造順が、伝播順じゃないことは理解できたのか?

503日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:56:13.78
>>946
>>「海の東にも倭種がいる」<

>海の東もみんな倭種で変わりがないって書いてあるんだよ<

「女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種」であり、
女王國(≒倭国)と、「復有國皆倭種」の倭種とは区別されているから、
女王國≠倭種であり、×。

504日本@名無史さん2019/11/08(金) 18:58:22.45
他人の言うことは理解できない
自分の考えたことは説明できない
それが九州説の知能

505日本@名無史さん2019/11/08(金) 19:03:08.74
>>445
>九州説の言い分では、奴国を含む北部九州が邪馬台国7万戸って話じゃなかったっけ?
>邪馬台国そのものだっていうのが北部九州説だろ?ww

邪馬台国は奴国を含むけど、奴国はただの大都市。
大都市=首都だなどという短絡的思想は畿内説だけで結構。

506日本@名無史さん2019/11/08(金) 19:04:02.21
>>446
>屁理屈が屁理屈であるとされるのは、「道理に合わないところ」があるからだ

根拠なく頭の中で理屈を捏ね回しているだけだというのは認めるのかな?

507日本@名無史さん2019/11/08(金) 19:05:03.97
>>506
>根拠なく頭の中で理屈を捏ね回しているだけだというのは認めるのかな?

認めると思う理由は?

508日本@名無史さん2019/11/08(金) 19:06:08.16
>>455
>倭国最大の墳丘墓が並んでいる場所は、間違いなく権力中枢の所在地だ

人が住まないただの墓場だよ。
住宅街にそんなものがあったら邪魔でしょうがない。

509日本@名無史さん2019/11/08(金) 19:07:16.90
>>458
卑弥呼の時代に戦乱の跡がないのは当然だろ?

510日本@名無史さん2019/11/08(金) 19:08:29.06
>>505
>邪馬台国は奴国を含むけど

さすがトンデモ説だね。  わははははは   @阿波

511日本@名無史さん2019/11/08(金) 19:08:45.85
>>475
>前提となる「思想」を成否の判断材料にするんだな?

思想を振りかざすのは学問ではない。
しかし畿内説はそれをやっている。

512日本@名無史さん2019/11/08(金) 19:09:59.40
数年前のとあるスレ、
ドラキュラ、ヴァンパイア?
何やら〜という書き込みをしている人がいたり

何なんだろう?
さいきば事件も同じような事を言っているし

513日本@名無史さん2019/11/08(金) 19:10:08.99
>>478
>周溝から出た土器の編年を一つの基準にしている

土器編年は相対的な年代であり、絶対年代を与えてはくれない。
当たり前だろ?

514日本@名無史さん2019/11/08(金) 19:12:49.10
『姥清水』?

515日本@名無史さん2019/11/08(金) 19:13:06.81
>>485
>考古学的に奴国は畿内の傘下・協力者の位置にある

提携していても、傘下にあるとはいえない。
奴国は所詮は大衆の暮らす俗世だからね。
そこにどんな土器があろうが、ぶっちゃけどうでもいい。
伊都に暮らす郡使は楽浪土器を使っていただろうし。

516日本@名無史さん2019/11/08(金) 19:14:16.01
>>489
畿内から徴収しても、何かを分け与える必要はない。
たまに気が向いたら鉄器で攻め込むくらい。

517日本@名無史さん2019/11/08(金) 19:16:19.43
>>515
九州説がまた思考停止した

敗者は大変だな
哀しいな

518日本@名無史さん2019/11/08(金) 19:18:05.19
>>490
>祭祀連合を形成する、以外の理由で先祖伝来の墓制を変える理由を

その墓に祭られている神器が九州北部の銅鏡に塗り潰されているんだけど。

519日本@名無史さん2019/11/08(金) 19:20:02.05
>>496
>そのころもう北部九州の有力首長は畿内系か、畿内系と婚姻を結んだ身内だったんじゃなくて?

そもそも記紀は九州から来た王家が大和に住み着いたと説明しているから、もともと親戚。
前方後円墳が饒速日物部の墓制なら、そもそもどちらも天孫族になる。

520日本@名無史さん2019/11/08(金) 19:22:06.25
>>519
>そもそも記紀は九州から来た王家が大和に住み着いたと説明しているから

さすがトンデモ説だね。  わははははは   @阿波

521日本@名無史さん2019/11/08(金) 19:23:21.81
「そういう〜〜(ドラキュラとか)〜〜になってしまうんだって」
みたいな書き込みをしている人がいたりwなぜか知っている人がいる。


あとデスラーなどの系統?


『』内を調べてみてと説明をする以前の話。

522日本@名無史さん2019/11/08(金) 19:26:22.88
>>518
>その墓に祭られている神器が九州北部の銅鏡に塗り潰されているんだけど。

そんな事実はないのだ
単なる文化の伝播だから

日本の首相が背広きてるから英国の植民地だとか言うバカいないだろ?

523日本@名無史さん2019/11/08(金) 19:27:22.48
『』内の画像などを調べてみてと、
説明したりする以前の書き込み(レス)


おまえはデスラー!頭おかしくなるわ!!とか

524日本@名無史さん2019/11/08(金) 19:35:39.08
>>522
>単なる文化の伝播だから

鏡は祖先神の象徴だぞ?
ただの服とか器と同列どころじゃない。
それが九州北部伝来なんだから。

525日本@名無史さん2019/11/08(金) 19:39:03.76
>>524
銅鏡は中国伝来ですが、何か?

526日本@名無史さん2019/11/08(金) 19:51:49.07
>>525
中国皇帝から与えられた、「倭王の証」たよね。
九州に紀元前からたくさんある。
それが最終的に天皇の皇位の証になるんだよ。
記紀では皇祖が筑紫に持ち込んだことになっている。
つまり天皇家はどこから来たんだ?

527日本@名無史さん2019/11/08(金) 19:53:30.89
畿内説がなんでも畿内を中心に考えるのは、後世から見たバイアスそのものなんだよ。

528日本@名無史さん2019/11/08(金) 19:57:50.93
場所はともかく、結局すべて九州人の話だろ?
元九州人である神武が立てた畿内政権、九州に居残った者が九州政権だったとか。

529日本@名無史さん2019/11/08(金) 20:04:43.40
■倭國条 〜631年の記事
 倭國者,古倭奴國也。
 (倭国はいにしえの倭奴国である)
 
■日本条 701年〜の記事(大和朝廷時代)
 日本國者,倭國之別種也。
 (日本国は倭国の別種である)

 以下、日本使者の言い訳が続く
 
 或云:日本舊小國,併倭國之地。
 (小国だった日本が倭を併合した)
 ↑
日本使者が、倭国と日本国は別国だという認識を持っていたことがわかる。
なお、態度のデカい日本人が急に、日本は小国だったなどと弱気な発言を
しているあたり、何か痛いところを突かれたんじゃないかと思われる。
例えば、倭国の証を持っていないとか、倭国の歴史を知らなすぎるとか。
これが記紀を作成するきっかけになったのかもしれない。

530日本@名無史さん2019/11/08(金) 20:11:01.64
>>522
ニュー速プラスで奥山さん同じこと言ってたw
語彙も全く同じw

531日本@名無史さん2019/11/08(金) 20:12:42.29
>>525
あれ程大量の鏡を副葬する文化は中国にはない。

532日本@名無史さん2019/11/08(金) 20:18:38.62
なぜか『大司令官症候群』と同じような話

533日本@名無史さん2019/11/08(金) 20:19:49.22
陽子は、自己崩壊するのだろうか、、

534日本@名無史さん2019/11/08(金) 20:20:56.17
陽子は、どのように崩壊したのだろうか、、

535日本@名無史さん2019/11/08(金) 20:21:48.81
邪馬台国畿内説は、どのようにして、自己崩壊したのだろうか。

536日本@名無史さん2019/11/08(金) 20:25:27.20
>>503
>女王國(≒倭国)と、「復有國皆倭種」の倭種とは区別されているから、

ここのまた国ありの国は、伊都国や奴国と同じレベルの国だから、倭国の中の国だよ

537日本@名無史さん2019/11/08(金) 20:25:51.51
タキオンという物事の存在は、邪馬台国畿内説と比較すれば、現実性が高いのだったな、、、

538日本@名無史さん2019/11/08(金) 20:27:15.53
>>505
>大都市=首都だなどという短絡的思想は畿内説だけで結構。

現代でこそ、政治機能だけの首都はありえるけれど、
古代に王の所在地以上の反映を示す場所なんてないよ

世界史の常識すら知らないから、九州説はでたらめを主張し続けることになる

539日本@名無史さん2019/11/08(金) 20:27:49.15
邪馬台国が巻向にあったという破綻した仮説は、「前方後円墳は、魏志倭人伝時代が終了して、数十年後の物事なのだ」という真実に対する誤った反証から、発生してしまったのだから、
その誤った反証を叩き潰せば良いのだったな。。。

540日本@名無史さん2019/11/08(金) 20:29:11.95
>>506
>根拠なく頭の中で理屈を捏ね回しているだけだというのは認めるのかな?

お前は頭の外で理屈を考えることができるのかww

道理に沿って理屈を展開するのは屁理屈じゃないんだよ

屁理屈だと言いたいなら、道理に合わない部分を具体的に指摘しないと!
でも「具体的」にと言われた瞬間に返答不能になるんだよな、九州説はwww

だから、無能!
だから、常識知らず、物知らず!

541日本@名無史さん2019/11/08(金) 20:33:21.85
>>508
>人が住まないただの墓場だよ。

これも世界史の常識!
「権力誇示のための巨大モニュメントは人目につかないと意味がないから
 人口のもっとも多い王都周辺または王都への街道沿いに作られる」

巨大墳丘墓はただの墓じゃないんだよ
反論のためには具体的な反例が必要

具体的な反例なしでの反論は、反論としての体をなさないただのイチャモン

前にエジプトのピラミッドは首都じゃないところにあるとかいったバカがいるけれど、
ピラミッド築造当時の首都は近くにあったと示されて恥をかいて以来、
具体例を挙げられないまま、意味のないたわ言を書き続けるだけの無能が>>508だw

542日本@名無史さん2019/11/08(金) 20:33:53.57
>>509
>卑弥呼の時代に戦乱の跡がないのは当然だろ?

畿内にもないだろ?ww

543日本@名無史さん2019/11/08(金) 20:34:30.56
>>539
「前方後円墳は、魏志倭人伝時代が終了して、数十年後の物事なのだ」という真実に対する誤った反証は、
レベルの高い学者が、レベルの高い分野のある仮説が破綻し、オーマイゴッドと叫んだときに、ついでに破綻したレベルの低い物事の炭素年代法以外は、
日韓交差編年という物事と、大河内氏が正しさを請け負ったと言われている、一般には秘匿されている物事しか残っていないのだったな、、、

544日本@名無史さん2019/11/08(金) 20:35:07.71
>>511
>思想を振りかざすのは学問ではない。
>しかし畿内説はそれをやっている。

どこが?ww
具体的にどうぞ?ww

その前に「思想」で判断するっていうアンチ科学が>>511の立ち位置だってのは
否定しないんだww

545日本@名無史さん2019/11/08(金) 20:35:15.39
15年以上におよぶ調査によって得られたもの。

佐賀:吉野ヶ里遺跡(小国)
邪馬台国畿内説 Part528 	YouTube動画>1本 ->画像>62枚

奈良:纏向遺跡(巨大モニュメント)
邪馬台国畿内説 Part528 	YouTube動画>1本 ->画像>62枚

546日本@名無史さん2019/11/08(金) 20:36:43.24
タキオンは、減速するのだろうか、、

547日本@名無史さん2019/11/08(金) 20:36:46.03
>>513
>土器編年は相対的な年代であり、絶対年代を与えてはくれない。
>当たり前だろ?

つまり「決まってないんだー」って言いさえすれば、自分の好きな年代に
位置づけていいんだ、とこう言いたいんだな?ww
さすが九州説は、デタラメだwwwww

548日本@名無史さん2019/11/08(金) 20:38:31.64
オーマイゴッドと命名された物事は、タキオンが関係しているのだろうか、、、

549日本@名無史さん2019/11/08(金) 20:38:51.16
>>515
>伊都に暮らす郡使は楽浪土器を使っていただろうし。

使ってないよww
そもそも伊都で暮らしてないw
郡使往來常所駐は、往来のときに必ず立ち寄るところであって、現代語の常駐を意味しない

本当にこいつは無根拠でご都合主義のインチキばかり書き続ける

550日本@名無史さん2019/11/08(金) 20:40:12.48
レベルの高い分野の仮説が破綻したときに、ついでに、破綻した邪馬台国畿内説を宣伝する者達が、可哀想になってきたな、、、

551日本@名無史さん2019/11/08(金) 20:42:15.98
>>518
>その墓に祭られている神器が九州北部の銅鏡に塗り潰されているんだけど。

3世紀時点で、青銅器鋳造技術は畿内の方が上
青銅製品ならなんでも九州北部のものだと思うのやめなよww

どこかの国がなんでも起源を主張してウリジナルと揶揄されてるのと同じだぞww
籠神社の連弧文鏡は、大陸伝来の舶載鏡だから伝世したのであって、
北部九州の鏡でもなんでもないんだぞ?wwwww

552日本@名無史さん2019/11/08(金) 20:42:17.13
佐原真
岡村道雄
鎌田俊昭
柳田俊雄
梶原洋
横山裕平

ろくなやつおらんなw
一番マシなのは誰?

553日本@名無史さん2019/11/08(金) 20:43:30.61
宇宙線のエネルギーには、上限が無いことを、観測が示してしまったのだったね。

554日本@名無史さん2019/11/08(金) 20:44:13.12
>>524
>鏡は祖先神の象徴だぞ?

鏡が祖先神の象徴なんじゃなくて、八咫鏡が天照大神の象徴なのであって、
北部九州には八咫鏡の伝承はない

555日本@名無史さん2019/11/08(金) 20:47:54.29
八咫鏡というのは、八幡の鏡だったね。

556日本@名無史さん2019/11/08(金) 20:47:56.34
伝承はなくとも現物はあるな

卑弥呼がもらった? 曹操墓出土と同型の鏡、なぜ大分に
https://www.asahi.com/articles/ASM9443XDM94UCLV009.html

557日本@名無史さん2019/11/08(金) 20:49:45.57
>>555
万里の長城を作成させた者が、関係している可能性があるのだったね。

558日本@名無史さん2019/11/08(金) 20:51:06.75
秦氏とは、何者なのだろうか、、

559日本@名無史さん2019/11/08(金) 20:52:32.85
秦王国が現れていつの間にか消えていたように、北部九州に邪馬台国があったんだよ

560日本@名無史さん2019/11/08(金) 20:54:39.97
秦王の国とは、どのような国なのだろうか、、

561日本@名無史さん2019/11/08(金) 20:56:00.90
宇宙線のエネルギーには、上限が無いことを、観測が示してしまったので、
邪馬台国畿内説が、ついでに、完全に破綻してしまったのだったね、、、

562日本@名無史さん2019/11/08(金) 20:58:00.22
レベルの高い分野の仮説が破綻したときに、ついでに、破綻した邪馬台国畿内説を、年中無給で宣伝してきた奥山氏が、本当に可哀想になってきたな。

563日本@名無史さん2019/11/08(金) 20:59:10.89
>>528
>場所はともかく、結局すべて九州人の話だろ?
>元九州人である神武が立てた畿内政権、九州に居残った者が九州政権だったとか。

そうだね。
それが九州説だよ。
卑弥呼は九州に残った方だから、畿内に移動した天皇家の歴史書である記紀には登場しない。

564日本@名無史さん2019/11/08(金) 21:01:24.08
>>536
>ここのまた国ありの国は、伊都国や奴国と同じレベルの国だから、倭国の中の国だよ

倭国ではない。
倭国にいるのと同じ倭種だと説明されている。
つまり民族は同じ。
しかし海の東は国としては統合されていない。
畿内は卑弥呼の女王国とは別の勢力。

565日本@名無史さん2019/11/08(金) 21:01:52.77
>>538
>古代に王の所在地以上の反映を示す場所なんてないよ

ないという根拠は?

566日本@名無史さん2019/11/08(金) 21:02:53.51
>>541
>これも世界史の常識!

常識だという根拠は?
ただの思考停止?
都合が悪いことは深く考えたくない?

567日本@名無史さん2019/11/08(金) 21:02:59.70
>>564
その通り。   @阿波

568日本@名無史さん2019/11/08(金) 21:03:40.34
>>562
炭素年代法という法に、踊らされた者達が、本当に可哀想だね。。。

569日本@名無史さん2019/11/08(金) 21:03:55.75
>>547
>つまり「決まってないんだー」って言いさえすれば、自分の好きな年代に
>位置づけていいんだ、とこう言いたいんだな?ww

それをやっている畿内説を批判しているんだよ。

570日本@名無史さん2019/11/08(金) 21:04:35.18
>>549
>郡使往來常所駐は、往来のときに必ず立ち寄るところであって、現代語の常駐を意味しない

意味しないという根拠は?

571日本@名無史さん2019/11/08(金) 21:06:06.57
>>549
>郡使往來常所駐は、往来のときに必ず立ち寄るところであって、現代語の常駐を意味しない

その通り。   @阿波

572日本@名無史さん2019/11/08(金) 21:07:32.09
>>554
>北部九州には八咫鏡の伝承はない

あるよ?
日本書紀には、景行天皇が筑紫を巡幸したときに神夏磯姫が八咫の鏡を含む三種の神器を持って登場している。
また、風土記では宗像大社の神宝は八咫の鏡だとされている。

573日本@名無史さん2019/11/08(金) 21:07:52.84
オーマイゴッドと命名された物事は、タキオンが関係しているのだろうか、、、

574日本@名無史さん2019/11/08(金) 21:12:46.57
オーマイゴッドと命名された物事は、粒子ではない可能性も、あるのだったね。

575日本@名無史さん2019/11/08(金) 21:30:23.25
>>530
常識なだけだ
>>522は俺だが奥山ではないしニュー速にも行ってない

576日本@名無史さん2019/11/08(金) 21:35:10.68
>>569
>それをやっている畿内説を批判しているんだよ。

という証拠は?

ないだろ
また九州説が懲りもせずウソをつく

577日本@名無史さん2019/11/08(金) 21:37:42.23
>>572
>日本書紀には、景行天皇が筑紫を巡幸したときに神夏磯姫が八咫の鏡を含む三種の神器を持って登場している。
>また、風土記では宗像大社の神宝は八咫の鏡だとされている。

つまり九州の伝承によれば
八咫鏡は王権の象徴でも何でもない

578日本@名無史さん2019/11/08(金) 21:43:02.02
レベルの高い分野の仮説が破綻したときに、ついでに、破綻した邪馬台国畿内説を、今も年中無給で宣伝している奥山氏が、本当に可哀想になってきたな。

579日本@名無史さん2019/11/08(金) 21:50:32.12
>>577

筑紫に王権があったことを示しているんだよw

580日本@名無史さん2019/11/08(金) 21:52:37.30
>>579
それ、史料に書かれてない創作だよね
さすが九州説

581日本@名無史さん2019/11/08(金) 21:56:47.76
それにしても『大司令官症候群』

伝説のロックバンド、
河童、生命の樹、セフィーロ・・・、
警察が何やらとか、ほとんど家の話だろう?

『ドリフターズ』?

582日本@名無史さん2019/11/08(金) 21:57:50.14
九州には八咫の鏡が王権の象徴だという伝承も
祖先神の象徴だという伝承もなかった
そして鏡を割って砕いてた

583日本@名無史さん2019/11/08(金) 21:59:13.41
家の妹の話?

584日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:03:14.95
レベルの高い分野の仮説が破綻したときに、ついでに、破綻した邪馬台国畿内説を、今も年中無給で宣伝している奥山氏が、八幡の鏡のことで、討論を仕掛けているが、真面目に、その討論の相手をしてあげる者は、出現するのだろうか、、

585日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:03:53.11
5月15日

なぜか、某まいく・おーwの曲と同じ、
龍(龍宮?)、海底、鳳凰が出てきたり

586日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:06:27.68
傾いた松、七支刀のような形をしていたりw

587日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:08:53.80
荒らししか出来なくなるほど
敗北を重ねた九州説が
みじめすぎるよ

588日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:11:07.01
>>580

日本書紀には、景行天皇が筑紫を巡幸したときに神夏磯姫が八咫の鏡を含む三種の神器を持って登場している。
また、風土記では宗像大社の神宝は八咫の鏡だとされている。

589日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:12:00.12
浅野・・・セメントが何やら〜みたいな話をしていたり、
もしかして、本当に偉い人だったとか?

590日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:12:41.62
>>588
だから何?

王権がどーとかとか、まる史料に出て来ないよね

591日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:13:03.23
>>588
>日本書紀には、景行天皇が筑紫を巡幸したときに

その「筑紫」って、どこ?   @阿波

592日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:13:20.80
>>582

なかったという根拠は?
ちなみに破鏡は畿内にもあったけどね。

593日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:14:09.41
>>590

八咫の鏡が王権の象徴であることは誰でも知っていたからね。

594日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:15:55.23
>>592
>なかったという根拠は?

出せと言われて出せなかったろ



あきらめろ

595日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:16:53.64
>>593
それも証拠なし

出せないだろ?

596日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:20:18.69
『西王母 北辰』

霊山〜、伊達郡というところ?傾いた松の話でしょ、
家は軍人、警官でもない、よくわからないような事を言っているし

『霊山 河童』

597日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:24:26.39
『霊山の大将』

むかーし住んでいた事があるんだよという話も、
ほとんど同じ、山の上のほう

598日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:27:52.60
結局今夜も敗北の九州説には
発狂しか道が残ってないのだ

599日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:28:20.11
ほんとーに近代?の戦争の話でしょ、
参加?行こうとしたけど・・・・みたいな話も同じw
家は戦争などには行っていないよとか

600日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:28:33.38
>>595

普通の日本人はみんな知っている。

601日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:29:39.69
見たくない信じたくない
なかったものはなかった

事実から目を背け続ける畿内説が哀れだ

602日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:30:22.55
>>594

日本書紀には、景行天皇が筑紫を巡幸したときに神夏磯姫が八咫の鏡を含む三種の神器を持って登場している。
また、風土記では宗像大社の神宝は八咫の鏡だとされている。

はい、出したよ。

603日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:30:49.45
>>600
それも証拠ないな

604日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:32:02.92
あのアニメも、
実際は仏教、神仙?何かの話でしょ

百式?

605日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:32:31.17
>>601
>事実から目を背け続ける畿内説が哀れだ


能書きはいいから

九州説さん、その事実を見せてくれ

606日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:32:56.27
そうそう、神武の曽祖父にあたる邇邇芸が八咫の鏡を授けられて筑紫に降臨した話もあったよね。
一番大事なのを忘れていたよ。
これが今日では伊勢神宮にある八咫の鏡のこと。

607日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:33:54.30
畿内説のレベルが下がって救いようがないなw

608日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:34:00.85
『百式 観音』?ガンダム?

609日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:36:17.89
>>602
>日本書紀には、景行天皇が筑紫を巡幸したときに神夏磯姫が八咫の鏡を含む三種の神器を持って登場している。
>また、風土記では宗像大社の神宝は八咫の鏡だとされている。
>はい、出したよ。

なにを出したんだ?

あんたが要求されたのは
八咫鏡が王権の象徴だという伝承と
祖先神の象徴だという伝承だが
上のふたつはソレじゃないよな?

610日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:36:23.25
亀仙人・・・同じようなキャラ?雰囲気とか

611日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:38:14.84
>>971
「南→東」などの嘘吐き騙しに関しての、
証拠出す気もない大和説が
ひたすらウソを並べてるな

612日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:39:12.23
浦島太郎〜河伯(河童)〜浦島太郎?

613日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:40:12.50
>>975
ほら、「南→東」などの嘘吐き騙しの証拠出す意思も能力もない大和説が
ひたすらウソをつき続ける

614日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:42:15.61
>>609
アマテラスの神勅を知らないのか。
アマテラスは邇邇芸に八咫の鏡を授けて、それを自らの分身として祭れと命じたんだよ。
これを宝鏡奉斎の神勅という。
つまり八咫の鏡は天皇家の祖先神であるアマテラスの依代であり、それを持つことが王権の象徴とされているんだよ。

615日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:42:32.13
>>611
証拠なら出てるだろう
伊都国は末盧の東南になかったし
北部九州は会稽よりはるかに北だ
ごまかすなよ

616日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:43:27.95
>>609

いっぺん、伊勢神宮にでも参拝するといい。

617日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:45:10.64
>>614
>これを宝鏡奉斎の神勅という。
>つまり八咫の鏡は天皇家の祖先神であるアマテラスの依代であり、それを持つことが王権の象徴とされているんだよ。

つまり、それ以外の八咫の鏡は
祖先神の依代でも王権の象徴でもないんだろ?

なにをバカなこと言ってるんだ
確実に学力が小学生未満のだぞ

618日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:46:28.87
そして八咫の鏡を携えた邇邇芸は豊葦原中国の王となるために筑紫に降臨したと。
つまり倭の王都は筑紫だったということ。

619日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:46:46.89
>>614
知能が低いから九州説になるという帰納的推論の
証拠提出ありがとう

620日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:48:21.65
ほんとーに、何の話なんだろうw

621日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:49:27.63
>>618
>そして八咫の鏡を携えた邇邇芸は豊葦原中国の王となるために筑紫に降臨したと。

つまり夏なんとか姫の八咫の鏡も宗像の神宝も
王権の象徴ではないのだな

622日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:50:04.54
>>617
それ以外の鏡だという証拠は?
そもそも邇邇芸の筑紫への降臨を守護したのが筑紫の最大級の氏族である宗像氏族であり、その本拠地が風土記に八咫の鏡があると記された宗像大社だから、同じ鏡のことだと思うべきだ。
いつの時点で畿内に移転されたのかは記録がないだけだ。
元は筑紫にあったことは、記紀が明記している。

623日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:50:42.59
>>621
神夏磯姫はその筑紫の女王なんだけどね。

624日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:51:23.25
>>621
その鏡を運んだのが宗像大社。

625日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:51:51.99
>>618
そのとき彼、王じゃないだろ
彼の子孫、初めてどこで王になった?

つまり倭の王都は筑紫じゃないということ

626日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:52:22.16
>>978
>だから卑弥呼の都が郡県のどの方位にあるとか倭人伝には書かれてないよね<

だから、倭人伝に記載された郡から女王之所都への行程説明に従えば、
不彌國や邪馬壹國女王之所都で萬二千余里がほぼ終わっていて、
方向は、大体南東と南南東の間方向になり、
東南に大体合っているの。

「南→東」などの嘘吐き騙しの大和説はどこまでウソをつき続けるの?

627日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:52:39.79
>>624
証拠は?

628日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:52:47.51
天照大神は宗像三女神に対して、
「あなたたち三神は、道中(みちなか)に降臨して天孫を助け奉り、天孫に祭(いつ)かれよ」
と命じた。

629日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:54:08.19
>>625
そして、筑紫の日向で王に即位した。

古代史をやるなら、記紀くらい基礎知識として知っておけよ。
信じろとは言わないけどさ。

630日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:55:58.26
>>626
>不彌國や邪馬壹國女王之所都で萬二千余里がほぼ終わっていて、

そんな異常な読み方をするのは古田系素人グループだけだよな
致命的論理矛盾を指摘されて目下コソコソ黙ってる古田派だけ

631日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:56:02.00
ちなみに筑紫の日向というのは、イザナギが禊をした筑紫の日向と同じところで、現在に福岡市西区のあたり。
小戸大神宮や博多住吉神社がそれにちなむ神社。

632日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:57:26.77
>>631
>現在に福岡市西区のあたり。

どうして?   @阿波

633日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:57:29.72
>>629
>そして、筑紫の日向で王に即位した。

ソースは?

634日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:59:11.45
>>631
根拠は?

635日本@名無史さん2019/11/08(金) 22:59:12.71
>>556
>卑弥呼がもらった? 曹操墓出土と同型の鏡、なぜ大分に

それ、八咫鏡じゃないし
王侯貴族レベルの鏡ってだけで、曹操墓と同じ鏡じゃないぞ

636日本@名無史さん2019/11/08(金) 23:01:11.21
>>633

古事記と日本書紀

637日本@名無史さん2019/11/08(金) 23:01:15.21
『デスラー』『ガンダム サングラス』

むか〜しの知り合いなのかな?何なんだろう、
それとも司令官症候群で繋がっている?

638日本@名無史さん2019/11/08(金) 23:01:32.53
>>634
住吉神社をお参りするといいよ。

639日本@名無史さん2019/11/08(金) 23:04:11.81
ちなみに神道の一番重要な中心教義となる祝詞がこれ。

■ 祓詞

掛けまくも畏き 伊邪那岐大神
かけまくもかしこき いざなぎのおほかみ

筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 
つくしのひむかのたちばなのをどのあはぎはらに

禊ぎ祓へ給ひし時に 生り坐せる祓戸の大神等
みそぎはらへたまひしときに なりませるはらへどのおほかみたち

諸々の禍事・罪・穢 有らむをば
もろもろのまがごとつみけがれ あらむをば

祓へ給ひ清め給へと 白すことを聞こし召せと
はらへたまひきよめたまへと まをすことをきこしめせと

恐み恐みも白す
かしこみかしこみもまをす

640日本@名無史さん2019/11/08(金) 23:04:30.01
『き〜ざくら〜』も同じでしょ、あと『ザ・モモタロウ』もw

641日本@名無史さん2019/11/08(金) 23:05:14.21
>>564
>つまり民族は同じ。

倭国って単に倭人の国ってだけ
だから倭人伝なんだよ
民族が同じ倭人という時点で大陸から見た倭国の内だ

>しかし海の東は国としては統合されていない。

これが何の根拠もない九州説のご都合決め付け
魏略の記述と比較してみれば、或いは絶え或いは連なる列島の海峡部を渡海千里で渡っても
そこもみんな倭人の国というだけ

対馬国、壱岐国、倭国本土と渡海千里で渡っていってもみんな全部倭人ということ

642日本@名無史さん2019/11/08(金) 23:07:40.65
>>90
>901 ◆n7jxAxKCBhb6 2019/11/07(木) 23:04:31.37
倭人伝に於て投馬国が「女王国以北」と認識されていること明瞭である。<

何だ?、やっぱり「類スレ主=スレ主」であったのか。

643日本@名無史さん2019/11/08(金) 23:08:12.96
>>565
>ないという根拠は?

あると言いたいなら、反例を具体例で示せばそちらが正しい
ないことを示すのは悪魔の証明だからこちらの知ったこっちゃない

反論したければ、具体例を挙げてどうぞw
無能だな、>>565

644日本@名無史さん2019/11/08(金) 23:09:52.36
>>566
知られる限りの歴史上の国がみんなそうなっているからだよ

反論したければ、具体例を挙げてどうぞww

645日本@名無史さん2019/11/08(金) 23:13:09.30
九州説はなぜ馬鹿しかいないのか?


A.ばかな説だから

646日本@名無史さん2019/11/08(金) 23:15:30.57
>>569
>それをやっている畿内説を批判しているんだよ。

違うよ
インチキをしているのは九州説のお前だww

お前の論は、「編年は確定できないから、編年を根拠にした畿内説は認めない」だけww
確定はしなくても推定はできるんだよ!
その推定が不当であるかどうかという点には一切具体的な批判ができていない
しかも、もっとも妥当な推定値として出されている平原1号墓は200年頃というのも
根拠なくずらすというデタラメ

それを認めたくなくて駄々を捏ねているだけの、知的能力も精神年齢も低いままの無能がお前だ

647日本@名無史さん2019/11/08(金) 23:20:01.16
>>570
>意味しないという根拠は?

日本を訪れる人は常に入国管理局に立ち寄らないといけません、と書いてあるだけで
入国管理局で暮らしていたと主張する人がいたら、「バカ?」としか思わないだろ?

その後、水行陸行を合わせて2ヶ月かかるところまで行ってるのに、ずっと伊都国にいるって
考える人がいるのがむしろ不思議だよ!

648日本@名無史さん2019/11/08(金) 23:20:19.55
筑紫って月支だろ。半島から来た仙人思想の連中さ

649日本@名無史さん2019/11/08(金) 23:24:45.21
>>572
それは伝承じゃないだろ?
風土記に書かれたという宗像神社にはそんな話は一切伝わっていない

記紀の説話に出てくる八咫鏡は普通名詞としての大きな鏡を意味するに過ぎない

雄略紀のこれと同じ
別小鹿火宿禰、從紀小弓宿禰喪來、時獨留角國、
使倭子連(連、未詳何姓人)奉『八咫鏡』於大伴大連
而祈請曰「僕、不堪共紀卿奉事天朝。故、請留住角國。」
是以、大連爲奏於天皇使留居于角國。是、角臣等初居角國而名角臣、自此始也。

650日本@名無史さん2019/11/08(金) 23:27:38.27
>>104
>・・・このように韓と百済新羅について考えてみると、
その前の魏略や倭人伝が記す帯方も単に楽浪に置き換えたものであって、
「東南」の方位自体とはそもそもが無関係であることが推測される<

ダメだ。
史料事実根拠として優先されるべきは、
やはり同時代に実地に見聞計測した記録が第1優先順位であり、
そうすると、魏代の魏の役人と隋の裴清と郭務ソウらのなど報告報告が優先であり、
魏略や後漢書や唐代史家本などは、自己解釈に拠る書き換えが多くて、半分×だ。

651日本@名無史さん2019/11/08(金) 23:31:51.59
>>588
>>649を参照
ついでに王権の象徴とは無関係の八尺瓊勾玉

垂仁紀
昔丹波國桑田村有人、名曰甕襲。則甕襲家有犬、名曰足往。
是犬、咋山獸名牟士那而殺之、則獸腹有『八尺瓊勾玉』。
因以獻之。是玉今有石上~宮也。

「八咫」鏡とか「八尺」瓊勾玉というのは、大きいものを示す表現で
「八尋」鰐と同じレベルの表現

皇統のレガリアは皇統の権威権力とともに長い年月を伝世することで固有名詞化したもので、
古い八咫鏡の記述は王権とは直接関係したりはしない

652日本@名無史さん2019/11/08(金) 23:34:57.92
>>593
>八咫の鏡が王権の象徴であることは誰でも知っていたからね。

これもウソ
王権の象徴が、豪族の私物で詫び証文的に使われてたらおかしいだろ?ww

八咫「の」鏡と書くやつには日本の神器に対する崇敬の念がない

653日本@名無史さん2019/11/08(金) 23:45:01.37
>>602
>また、風土記では宗像大社の神宝は八咫の鏡だとされている

西海道風土記云、宗像大神自天降居崎門山之時、
以青玉置奧宮之表、
以八尺紫玉置中宮之表、
以八咫鏡置邊宮之表、
以此三表、成神躰形、納置三宮、即隱之。因曰身形郡。

これ、剣がないよな?
三種の神器の鏡とは別のものなんだよ

654日本@名無史さん2019/11/08(金) 23:46:59.19
>>606
>邇邇芸が八咫の鏡を授けられて筑紫に降臨した話もあったよね。

それなのに、その八咫鏡の伝承が筑紫にはないんだよww

655日本@名無史さん2019/11/08(金) 23:48:15.53
>>05
>卑弥呼の使節団が魏に朝貢するのは239年としたが、
史書に書かれているように景初二年(238年)が正しいとする意見が出ている。
しかし、景初二年は、朝鮮半島や遼東ではまだ戦争が続いており、
帰趨の定まらない中での朝貢は不自然だと思われる。<

韓伝では、「景初中、明帝密遣帶方太守劉kin[偏日旁斤]、樂浪太守鮮于嗣越海定二郡」
であり、帯方の新太守は劉kin[偏日旁斤]であり、
倭人伝では、「景初二年六月、倭女王遣大夫難升米等詣郡、求詣天子朝獻、太守劉夏遣吏將送詣京都」
であるから、帯方太守は劉夏に変わっており、
卑弥呼も遣使が景初二年六月に帯方郡到着で何の問題もない。
勿論、卑弥呼が「魏が二郡を制圧した事」を知っていたのか?は不明である。

656日本@名無史さん2019/11/08(金) 23:49:59.47
>>649
>それは伝承じゃないだろ?

風土記は伝承を集めたものだぞw
風土記が伝承でないなら、何を伝承と呼ぶんだ?
教えてくれよ。

657日本@名無史さん2019/11/08(金) 23:50:38.75
>>653

宗像は王じゃないから当然だろ。
バカか?

658日本@名無史さん2019/11/08(金) 23:50:57.94
>>654
記紀や風土記にあるよ。

659日本@名無史さん2019/11/08(金) 23:54:18.80
>>657
>宗像は王じゃないから当然だろ。
>バカか?

つまり宗像にある八咫鏡は王権の象徴でも何でもないのだな

660日本@名無史さん2019/11/08(金) 23:54:42.32
>>658
なんと?

661日本@名無史さん2019/11/08(金) 23:55:47.79
>>622
>筑紫の最大級の氏族である宗像氏族であり

またウソを吐いている
筑紫最大の豪族は筑紫君だよ

でもその筑紫君の最盛期の磐井の墓でも全国83位の規模でしかない
宗像氏の古墳群はこれ
新原・奴山古墳群(しんばる・ぬやまこふんぐん)は、福岡県福津市の対馬見山系にある、津屋崎古墳群の一角を成す古墳群。国の史跡に指定されている(史跡「津屋崎古墳群」に包含)。5世紀後半〜6世紀後半の古墳時代中期後半に造営され、被葬者は宗像氏関係者と推定される。

3世紀にはまだない

662日本@名無史さん2019/11/08(金) 23:55:59.87
>>660

西海道風土記云、宗像大神自天降居崎門山之時、
以青玉置奧宮之表、
以八尺紫玉置中宮之表、
以八咫鏡置邊宮之表、
以此三表、成神躰形、納置三宮、即隱之。因曰身形郡。

663日本@名無史さん2019/11/08(金) 23:58:03.51
>>661
>3世紀にはまだない

ないという根拠は?
記紀の伝承では、宗像はアマテラスの時代にはすでに成立している氏族なんだが?
単にその時代はまだ古墳を作っていなかっただけだろ?

664日本@名無史さん2019/11/08(金) 23:59:08.94
>>642
それ、私がこのスレで論じたことがテンプレに採用されたんだよw

ザラゴキの脳軟化症がまた一段進んだようだな

665日本@名無史さん2019/11/09(土) 00:06:30.71
>>648
>筑紫って月支だろ。半島から来た仙人思想の連中さ

また倭国は半島人の下って言い出すやつが湧いてるw
思想で歴史を語るなっての!

「筑紫」の起こりについて、『筑後国風土記』逸文は、四つの説を紹介している。
一つ目は、筑前と筑後の境に荒ぶる神がいて通行人を殺すので、「命尽くしの神」と呼ばれ、このことから「尽くし」すなわち「筑紫」と呼ばれるようなったとする説。
二つ目は、筑前と筑後の境に険しい坂があって、馬の鞍の下に敷いた筵(むしろ)がすり切れたため、人々が「下鞍尽くしの坂」といったからであるとする説。
三つ目は、死者を葬るためこの地の山の木を伐採して木棺をつくったため、木が尽きようとしたからであるとする説。
四つ目は、九州の形がミミズクの形をしているからであるとする説。

筑紫野市大字筑紫付近の小地名が、広い範囲を代表するようになったものだ

その意味でも須玖岡本遺跡のある御笠川流域が筑紫・北部九州の中心であり、
宗像氏が大勢力というのはあたらない

666日本@名無史さん2019/11/09(土) 00:08:45.63
>>663
「5世紀後半〜6世紀後半の古墳時代中期後半に造営され」た古墳が3世紀にあったらびっくりだよ!

667日本@名無史さん2019/11/09(土) 00:09:29.87
>>659

宗像氏族は、アマテラスから直接に八咫の鏡と天孫を筑紫に届けるように言われ、それにより他の氏族から崇敬を受けるだろうとも言われている。
特別扱いだったのだろう。

668日本@名無史さん2019/11/09(土) 00:10:19.94
3世紀にきちんとした勢威のある氏族は古墳を作っている
3世紀にまともな古墳が作れていない地域には3世紀の大きな勢力はない

669日本@名無史さん2019/11/09(土) 00:12:15.16
>>666
バカだな。
古墳時代に入る前から有力氏族だったんだよ。
君は古墳とか考古学的なものしか見ていないから、弥生時代のことは何もわからないのだろうねえ。

670日本@名無史さん2019/11/09(土) 00:13:05.70
>>668
どの氏族がどの古墳を作っているんだい?
例を上げてみてくれよ。

671日本@名無史さん2019/11/09(土) 00:13:29.65
>>667
記紀で宗像氏が持ち上げられているのは、
胸形君徳善の女で天武妃の尼子娘が高市皇子を産んだからだぞ

ある意味後付け

672日本@名無史さん2019/11/09(土) 00:18:51.49
>>670
筑紫君  那珂八幡古墳
伊都縣主 端山古墳
筑紫君? 原口古墳 など

丹波には網野銚子山古墳があるし、吉備にも浦間茶臼山古墳がある
弥生終末期の大勢力はそのまま古墳時代に入っても大きな動員力をそのまま示している

673日本@名無史さん2019/11/09(土) 00:20:45.09
>>669
九州説は歴史の流れや時系列を無視して、
気に入った話題だけをつなぎ合わせるチェリーピッキングでしかない

674日本@名無史さん2019/11/09(土) 00:24:53.71
>>671
それこそ君の妄想だろ。
証拠がない。

675日本@名無史さん2019/11/09(土) 00:26:37.17
>>672

おおい、それらの氏族と関係するかどうかは根拠がないし、それらの氏族同士の関係も明示されていないだろ。
時代も場所もごちゃ混ぜだ。

676日本@名無史さん2019/11/09(土) 00:39:37.16
「宗像・沖ノ島と関連遺産群」研究報告T
宗像地域における古墳時代首長の対外交渉と沖ノ島祭祀
重藤 輝行

宗像地域も含めた筑前北部地域には今のところ27系列に首長墓級の大型古墳が区分され2)、宗像地域にはそのうちの8系列が集中していることになる。
古墳時代を通じて見ると、糸島地域、福岡平野などにも首長墓級の大型古墳の系列が複数認められるが、
宗像地域にはそれ以上の密集度で首長墓級の大型古墳の系列が分布することを第1に指摘できる。

古墳時代中期後半以降、宗像地域は一貫して、筑前北部地域全体においても最大級の古墳を連続して築造していることが確認された。
これは沖ノ島祭祀の盛行とも合致すると言える。
また、宗像地域の古墳の頂点にたつ津屋崎古墳群の構成は、福岡県八女市を中心とする八女古墳群をも凌駕しており、北部九州さらに
は西日本を代表する大規模で複雑な古墳群を形成していると理解できる。

677日本@名無史さん2019/11/09(土) 00:53:46.70
>>671
逆だよ。
宗像氏が大氏族だからこそ、天武も関係を強化しようとしたんだ。

678日本@名無史さん2019/11/09(土) 01:23:43.23
>>674
日本書紀を読めよ!

宗像(胸方)の初出は雄略紀
九年春二月甲子朔、遣凡河內直香賜與采女、祠胸方神。
香賜、既至壇所(香賜、此云舸拕夫)及將行事、姧其采女。

氏族としての宗像(胸方)氏の初出は天武紀
十一月戊申朔、大三輪君・大春日臣・阿倍臣・巨勢臣・膳臣・紀臣・波多臣・物部連・平群臣・
雀部臣・中臣連・大宅臣・栗田臣・石川臣・櫻井臣・采女臣・田中臣・小墾田臣・穗積臣・山背臣・
鴨君・小野臣・川邊臣・櫟井臣・柿本臣・輕部臣・若櫻部臣・岸田臣・高向臣・宍人臣・來目臣・
犬上君・上毛野君・角臣・星川臣・多臣・胸方君・車持君・綾君・下道臣・伊賀臣・阿閉臣・林臣・
波彌臣・下毛野君・佐味君・道守臣・大野君・坂本臣・池田君・玉手臣・笠臣、
凡五十二氏賜姓曰朝臣。

「景行天皇が筑紫を巡幸したときに神夏磯姫が」とか言っていたけれど、
神夏磯姫は宗像氏ではないし、景行天皇、日本武尊、仲哀・神功皇后の九州遠征、
つまり倭王武の上表文にいう西服衆夷六十六國にも宗像氏はまったく気配もない

679日本@名無史さん2019/11/09(土) 01:28:21.31
>>515

平原の被葬者は糸島や博多の民にとってどうでもよかったから
削られて祠すらなかったんだよ

680日本@名無史さん2019/11/09(土) 01:33:48.92
宗像は神代の巻から出てるよ。
宗像は倭王ではないが、神夏磯姫は三種の神器を持っていたから倭王だろう。
ごちゃ混ぜにするなよ。
九州北部は女性首長だらけだから混乱した?
まあ、卑弥呼以来の伝統なんだろうね。

681日本@名無史さん2019/11/09(土) 01:37:42.84
広島の厳島神社も神奈川の江ノ島神社も宗像大社の分社だとわかると、その勢力の大きさもわかろうというもの。

682日本@名無史さん2019/11/09(土) 01:38:44.31
>>679
卑弥呼が天皇家と関係ない、畿内が邪馬台国と関係がなかった証拠みたいなものだよ。

683日本@名無史さん2019/11/09(土) 02:19:37.52
>>682

博多の那珂八幡は天皇家と関係なくても墓は残ってる

684日本@名無史さん2019/11/09(土) 02:21:18.58
>>680

三種の神器じゃないよ

685日本@名無史さん2019/11/09(土) 02:48:43.76
>>655
>卑弥呼も遣使が景初二年六月に帯方郡到着で何の問題もない

劉マが帯方郡を接収したのは238年のいつか資料はないが、接収後は東濊や韓の族長たちに印綬を授けて冊封関係を新たに結び直している。
魏側がその族長たちに働きかけ、族長たちはそれぞれ部族内で検討して印綬をうけることになり、帯方郡へ出向いて印綬を受けることになる。
まあ、そこそこの時間が必要になる。
卑弥呼の倭国が冊封を受けることになるのはこうした流れの一環であったのかも知れない。
しかし、倭国の場合は魏の皇帝から直接印綬を受けることになる盛大な儀式であるので、事前の折衝は必ずあったものと考えるのが自然。
劉マが韓の部族などと冊封を結び直したものとは異なり、直接本国が関わっての折衝があったと考えるべきである。
となると、6月には卑弥呼の使節団が帯方郡にやってきているので、魏の使節の行き来の日数と事前折衝の日数を勘案すると、
魏の使節の倭国への派遣は少なくとも3月頃には行われていなければならない計算になり、
倭国との冊封締結は公孫氏との戦いが始まる前から準備していたと考えなければならないことになってくる。
やや無理がある。
敵国呉に対する牽制としての戦略があったとすれば、公孫氏との戦いの始まる頃に公孫氏が呉に援軍を求めて呉が援軍を派遣したことで惹起されたものではないか。
戦前にすでに倭国と冊封を結ぶ計画があったとは考えにくい。
だとすれば、倭国と冊封を結ぶ案件は公孫氏との戦いの中で生まれ、戦いが終わったあとに検討がはじまり、
翌年239年1月に皇帝が崩御して新帝が即位したあとに実施されたとするのが合理的だ。
半年の期間があれば、なにもかも整える時間はある。そして、準備が整ったあとの6月に倭国の使節団が帯方郡に到着した。
このほうが時間的に整合性がある。

686日本@名無史さん2019/11/09(土) 05:53:18.65
>>110
>という理由がないな
一人で勝手に「俺様が一番おりこうさん」と言ってるのと同じ
論理がない 客観性もない つまり知性がない <

史料事実や、史料批判を経た史料実態が根拠。
同時代に実地に見聞計測記録された史料が最も確率が高い。

つまり、スレ主は、
一人で勝手に「俺様が一番おりこうさん」と言ってるのと同じ
論理がない 客観性もない つまり知性がない

687日本@名無史さん2019/11/09(土) 06:13:21.33
>>120
>「国生み神話」って 「淡路洲」を「胞」として
「大日本(日本此云耶麻騰豐秋津洲」から →「伊豫二名洲」
→「筑紫洲」→「億岐洲」&「佐度洲」→「越洲」→「大洲」 →「吉備子洲」
これが「大八洲國」で その後「對馬嶋」「壹岐嶋」「處々小嶋」が登場 <
九州説完全否定だが <

「日本」と書いたのは、
倭国の存在や歴史を隠蔽盗用造作した偽書である書紀であるから、
×であり根拠にならず、
また、古事記も、「倭」という文字を使っているが、
倭国の存在や歴史をを半分隠蔽盗用造作しているから、半分偽書であり、
史料批判なくしては根拠にならない。

688日本@名無史さん2019/11/09(土) 06:19:21.41
>>123
言うまでもないが
大和説は現代人の手による記紀盲信の創作日本史物語だ
だって「史料批判や史料からの帰納的確率的推論」を全くしていないだろ?
科学や学問や歴史学と関係ないことが
このスレの大和説を見ててよくわかる

689日本@名無史さん2019/11/09(土) 06:28:46.32
>>138
今日も朝から、
「南→東」などの嘘吐き騙しの大和説者らに拠る、
史料事実や史料実態に拠らない「九州説への口先誹謗」詐欺のオンパレード。
堕ちたもんだな、「南→東」などの嘘吐き騙しの大和説

690日本@名無史さん2019/11/09(土) 06:37:32.43
>>152
>卑弥呼は共立であり立てた連中がいるということ大倭とあるからこれが本体だろ、
また伊都国が交易等治めるとあるから
北九州と別の所と狗奴国があるらしいから三つあったんだな。<

「大倭」は、筑紫の倭国の「地方の市を監督する」役職名であり、
国の「固有名詞的国名」とはされていないから、×です。

691日本@名無史さん2019/11/09(土) 06:48:17.62
>>154
>なんでも疑って裏を取ってから信用するのが学問の普通
ここが九州説と違うとこだな <

不可知部分が殆どである自然や歴史においては、なんでも、
史料事実や、
それからの帰納的確率的推論という史料批判の結果得られた史料実態を、
根拠にして、
高確率的推論をするのが、
学問の普通
ここが大和説と違うとこだな

692日本@名無史さん2019/11/09(土) 06:53:23.80
>>162
>信用できることと出来ないことを考証するのが文献批判といって歴史学の基本なんだよ
チェリーピッキングとの違いが分からないのは致命的だ
九州説の人は歴史を扱う資格が無いとバレちゃうよ <

不可知部分が殆どである自然や歴史においては、なんでも、 史料事実や、
それからの帰納的確率的推論という史料批判の結果得られた史料実態を、
根拠にして、 高確率的推論をするのが、
学問や科学の常道
ここが「南→東」などの嘘吐き騙しの大和説が×のところだな

693日本@名無史さん2019/11/09(土) 06:59:02.23
>>690
>国の「固有名詞的国名」とはされていないから、×です。

後漢書 「其大倭王居邪馬臺國」

694日本@名無史さん2019/11/09(土) 07:00:38.40
>>166
>本州からは倭人特有の卜骨が漢代以前から広範囲に多く出るが<

本州は、魏の役人たちが殆ど通っておらず、「南≠東」などに拠って、×地域。

>九州島からは一切出ない
畿内の土器の影響を受けるようになって2ヶ所だけが出る
強引に倭人に結びつけるのが九州の異人種地域<

魏の役人たちが通って、見聞出来た「壱岐」からト骨が沢山出ているから、
魏志の記載はそれで十分。

695日本@名無史さん2019/11/09(土) 07:08:06.95
>>687
>「日本」と書いたのは、
>倭国の存在や歴史を隠蔽盗用造作した偽書である書紀であるから、
>×であり根拠にならず、
>また、古事記も、

結論としては
日本書紀も古事記も九州説を完全否定してる
ってことで、いいんだよな?

696日本@名無史さん2019/11/09(土) 07:10:01.50
>>173
>首長が葬送に使う土器祭祀が変わるから政治も影響を受けていることが判る<

筑紫においての首長らの主要祭祀品は「鏡と剣と玉」の三種の神宝であり、
土器は付属的祭祀品。
祇園山や平原を見れば判る。
そして、筑紫城の阿毎氏から別れた別種の旧小国の大和も同じく、
三種の神器が主要祭祀品。

697日本@名無史さん2019/11/09(土) 07:12:26.39
>>174
「南→東」などの史料事実の否定曲解の嘘吐き騙しの大和説は、
このように、いつも史料事実などの証拠なしで言い張るだけ

698日本@名無史さん2019/11/09(土) 07:12:53.80
>>676
末盧国が福津・宗像方面だからね。  わははははは   @阿波

699日本@名無史さん2019/11/09(土) 07:15:26.38
>>694
>魏の役人たちが通って、見聞出来た「壱岐」からト骨が沢山出ているから、
>魏志の記載はそれで十分。

ダメだね
それなら一支国の段に一支国の説明として書くさ

実際は倭人全般の習俗として記載した
だから卜骨の占いは壱岐を出てからとんお見かけない、都に行っても見かけない
なんて状況を魏の人は経験してないんだよ

九州説アウト

700日本@名無史さん2019/11/09(土) 07:18:29.33
>>696
>筑紫においての首長らの主要祭祀品は「鏡と剣と玉」の三種の神宝であり、

魏の人が記録した倭国とは別の国ってことかい?

701日本@名無史さん2019/11/09(土) 07:21:51.86
>>697
>このように、いつも史料事実などの証拠なしで言い張るだけ

「このように」って、どのように?
あなた、それを何処にも書いてないよね
つまり
証拠なしで言い張るだけ
という習慣が染み付いてるんだよ
九州説には骨の髄からな

科学板にいる資格ナシだな

702日本@名無史さん2019/11/09(土) 07:23:21.64
>>688
>大和説は現代人の手による記紀盲信の創作日本史物語だ
>だって「史料批判や史料からの帰納的確率的推論」を全くしていないだろ?

ほらまた証拠ナシで言い張る
だから九州説はゴミなんだ

703日本@名無史さん2019/11/09(土) 07:44:55.85
>>680
>宗像は倭王ではないが、神夏磯姫は三種の神器を持っていたから倭王だろう。

鏡剣玉の3点セットだから三種の神器だとか、ないだろ安直すぎ
昭和の家電かよw
3点セット賢木に架けて参向献上するのは地方首長が服属を申し出る儀礼だぞ

704日本@名無史さん2019/11/09(土) 07:46:14.42
>>700
>魏の人が記録した倭国とは別の国ってことかい?

卑弥呼の鬼道の中身だろ。

705日本@名無史さん2019/11/09(土) 07:46:53.61
>>703
>3点セット賢木に架けて参向献上するのは地方首長が服属を申し出る儀礼だぞ

根拠のない妄想だろ。

706日本@名無史さん2019/11/09(土) 07:58:25.82
>>705
>根拠のない妄想だろ。

残念ながら熊鰐とイトデの類例があるんだよ
服属儀礼なのさ

707日本@名無史さん2019/11/09(土) 08:00:35.23
>>704
>卑弥呼の鬼道の中身だろ。

史料上に根拠がない
つまり根拠のない妄想の典型だな

708日本@名無史さん2019/11/09(土) 08:17:24.72
>>705
>根拠のない妄想だろ。

神夏磯媛が「一国之魁帥也」と書かれていて
「則抜磯津山之賢木、以上枝挂八握剣、中枝挂八咫鏡、下枝挂八尺瓊、亦素幡樹于船舳、参向而啓之曰」

「願無下兵。我之属類必不有違者、今将帰徳矣」
と言ってるだろ

3点セット賢木に架けて参向献上するのは
まさに地方首長が服属を申し出る儀礼だ

709日本@名無史さん2019/11/09(土) 08:23:47.26
>>706
>残念ながら熊鰐とイトデの類例があるんだよ

筑紫岡田宮と伊都高祖宮の皇族だろ。
味方であることを提示しただけだよ。

710日本@名無史さん2019/11/09(土) 08:25:03.93
>>708

服属ではなく、停戦命令な。

711日本@名無史さん2019/11/09(土) 08:27:07.24
>>709
>筑紫岡田宮と伊都高祖宮の皇族だろ。

それこそ根拠のない妄想だな


>味方であることを提示しただけだよ。

皇族がそれぞれ自分の三種の神器とか持ってるのか?
w
田舎豪族のお宝だよ

しかも神功皇后に献上しちゃったろ?
服属儀礼なのさ

712日本@名無史さん2019/11/09(土) 08:30:10.57
>>710
>服属ではなく、停戦命令な。

根拠のない妄想際限ないな

「願無下兵。我之属類必不有違者、今将帰徳矣」
と言ってるだろ
漢文ぜんぜん読めないのか?
読めないんだな
九州説しょーがねーな

713日本@名無史さん2019/11/09(土) 08:31:17.12
神夏磯姫は忍代別に朝敵の始末を命じたが、その相手は耳垂などのかつての邪馬台国の官であった。
つまり邪馬台国は九州にあったわけだが、女王の政治力が弱体化していたことも示している。
そこで忍代別の兵力を用いて政敵を討伐したんだよ。
当時は意思疎通不足による同士討ちも多かったのだろうね。
記紀でも、五瀬命が同族の饒速日の配下である長髄彦に討ち取られている。
異母兄弟でも争うような古代にあっては、しばらく交流がなかった遠い親戚は敵になり得たのだろう。

714日本@名無史さん2019/11/09(土) 08:32:17.65
それこそお前の妄想だな。
実際に北部九州を中心とする墳墓古墳から三種の神器が多数出土している。
天神族を最有力とする古代有力豪族が多数いたのが
次第に大王に権力集中していく過程が出土したり文献に記されたりしているのだ。

715日本@名無史さん2019/11/09(土) 08:32:37.63
>>711
>皇族がそれぞれ自分の三種の神器とか持ってるのか?

記紀によるとそういうことになる。

>田舎豪族のお宝だよ

それももとは皇族なんだよ。

716日本@名無史さん2019/11/09(土) 08:33:46.21
>九州説しょーがねーな

自分が敗北したことに気づいていないのかw
もう誰もお前なんぞ信用してねーよ
とっくにな

717日本@名無史さん2019/11/09(土) 08:46:37.18
つまり九州北部(筑紫)の「豪族」とは、皇別、神別(筑紫への天孫降臨以前からの天津神の仲間)などの広い意味での皇族。
だから他の地域と違い三種の神器を持っていた。

718日本@名無史さん2019/11/09(土) 08:53:10.93
三種の神器そのものが倭国支配層の証。
銅鏡は海外との交易ルートに繋がってないと入手でいない。
剣も金属器の流通ルートに繋がってないと入手できない。
翡翠勾玉は日本海交易ルートに繋がってないと入手できない。
これらが多数出土する北部九州が圧倒的な支配者。

719日本@名無史さん2019/11/09(土) 08:53:54.34
筑紫岡田宮は景行天皇より前に神武天皇も立ち寄っている。
つまりもとより同族。
景行天皇が敵味方を区別できなかっただけ。
伊都高祖宮にいたっては、そもそも筑紫の日向にあった神武の故郷の宮。
それらが三種の神器を持っていたことを日本書紀の編者はきちんと書く必要があった(そこをないがしろにすると編者に各方面からクレームが来ただろう)。
しかし政治情勢も忖度して、県主という扱いに落ち着いたと思われる。

720日本@名無史さん2019/11/09(土) 08:59:03.01
>>718
銅鏡は中国皇帝から与えられた倭王の冊封の証。
卑弥呼への国書の内容からもそれがわかる。
それが三種の神器の権威の根元の一部となっている。
九州北部の王族はそれを示している。
日本的な表現をするなら、神夏磯姫は三種の神器を榊に掲げて神威を示したということになる。
熊とか鰐は畏敬の対象だが、八咫の鏡を持つ神夏磯姫は特に特別扱いであり、神の字にそれが現れている。
実年代は4世紀の初めなので、壹與の次の女王くらいか。
この時点では邪馬台国はまだ三種の神器とともに九州北部にあったことになる。
ちなみに八咫の鏡がいつ畿内に持ち込まれたのかは記録がない。

721日本@名無史さん2019/11/09(土) 09:02:56.89
神夏磯は今でも福岡県では名字として存在しており、かんかしと読むらしい。
なので神夏磯姫はかんかしひめ。
神は接頭語なので、かし(い)姫だね。
宮は香椎宮かな?
その後の仲哀天皇の時にも香椎宮は登場するから、4世紀には存在していたことがわかる。
しかし3世紀の倭人伝には香椎宮は出てこない。
位置的には不弥国のような気もするが、確証はない。

722日本@名無史さん2019/11/09(土) 09:04:30.69
>>713
史料とぜんぜん違う創作アベコベれきし物語だな

それが九州説の本質なんだろ
学問板に向いてないよ

723日本@名無史さん2019/11/09(土) 09:07:41.70
>>714
>それこそお前の妄想だな。
>実際に北部九州を中心とする墳墓古墳から三種の神器が多数出土している。

つまりその「三種の神器」とやらは
王権の象徴でも何でもなく
田舎豪族の宝物だって
わかったか?

724日本@名無史さん2019/11/09(土) 09:07:47.41
壹與は16歳で女王になったから、4世紀初めでも現役だった可能性はある。
狗奴国の脅威がなくなれば糸島平野側に籠る必要はないから、
都会の福岡平野、「支惟國=香椎」へ移動したのだろう。

725日本@名無史さん2019/11/09(土) 09:08:54.80
>>722

どこか史料と違う?
君が色眼鏡で読んで誤解しているか、もしくは編者の仕掛けに引っかかって誤読しているか。

726日本@名無史さん2019/11/09(土) 09:09:24.82
>>723
現天皇家の権力の象徴が、田舎豪族の宝物だと
敗北キナイコシが驚きの主張する根拠は?

727日本@名無史さん2019/11/09(土) 09:11:35.26
>>723

紀元前後はそもそも筑紫でしか三種の神器が見つからない。
そして後漢書では倭の北限は狗邪韓国、南限は倭奴国。
金印は倭奴国に与えられた。
本州は田舎すぎて認識されていない。

728日本@名無史さん2019/11/09(土) 09:12:13.02
>>720
>日本的な表現をするなら、神夏磯姫は三種の神器を榊に掲げて神威を示したということになる。

ならないよ
「我之属類必不有違者、今将帰徳矣」
と言ってるだろ
漢文ぜんぜん読めないのか?
史料無視か?

九州説は歴史学の対極にある作り話マニアの遊興だな

729日本@名無史さん2019/11/09(土) 09:15:53.22
大王が畿内を征伐して帰って来たから
留守番していた神夏磯姫がお出迎えしただけ。

景行は山口県から南をみて、敵は南にいると言ってるだろ。
西の筑紫は景行の本拠地。

730日本@名無史さん2019/11/09(土) 09:16:55.58
>>723
反日キナイコシのホンネw

731日本@名無史さん2019/11/09(土) 09:17:04.48
>>727
>紀元前後はそもそも筑紫でしか三種の神器が見つからない。

九州で三種の神器なんて見つかってないよ
だって三種の神器ってのは宮中や伊勢にある特定の3点セットのことだろ
それ以外の鏡剣玉は田舎豪族のお宝グッズに過ぎん

732日本@名無史さん2019/11/09(土) 09:17:23.49
>>724

可能性としてはある。
ただ、神夏磯姫と壹與の具体的な共通点が見つからない。

あと、支惟国は基肄城かと。
烏奴国つまり大野城と並んで出てくるので。
狗奴国の菊池城と合わせると九州北部の古代三城が魏志倭人伝に揃っていることになる。

733日本@名無史さん2019/11/09(土) 09:18:28.03
>>731

特定の3点になったのは、天武天皇の頃だと考えられている。

734日本@名無史さん2019/11/09(土) 09:19:26.97
城がなんで国になるのだ。

735日本@名無史さん2019/11/09(土) 09:19:31.06
>>729
>大王が畿内を征伐して帰って来たから
>留守番していた神夏磯姫がお出迎えしただけ。

そのお姫が
「我之属類必不有違者、今将帰徳矣」
と言ってるだろ

九州説はウソばかりつく

736日本@名無史さん2019/11/09(土) 09:22:25.60
>>735
倭国乱、そして邪馬台国と狗奴国の争いなどあったからな。
留守番していた神夏磯姫は
帰還した大王にきちんと従うと意思表示した。
なにかおかしいか?

そして敵は山口県から見て南にいる。

737日本@名無史さん2019/11/09(土) 09:23:39.70
>>733
不特定の3点セットがみんな三種の神器で王権の象徴で北部九州でザクザク出るとか
九州説は頭の狂った主張をしてるのか
王権いくつあるんだ

九州説全員ボケ老人性は成立しそうだな

738日本@名無史さん2019/11/09(土) 09:24:18.58
>>734
三国志の時代、中国の国邑は城壁があって当たり前。
九州北部も環濠集落だから、後世の城柵に相当する。
特に軍事に特化していたのが基肄城や大野城だったのだろう。
最近では、この二つは大宰府を囲む全長50キロの羅城の一部であったことも分かっている。

739日本@名無史さん2019/11/09(土) 09:24:57.62
>>174
「南→東」などの嘘付き騙しの大和説は、このようにいつも、
都合の悪い史料事実を隠して、都合の良い文言を曲解改竄して、
証拠なしで言い張るだけ

740日本@名無史さん2019/11/09(土) 09:25:06.29
>>737
太平洋戦争の頃までは、宮家がたくさんあるのは当たり前だった。
これだからゆとりは困るな。

741日本@名無史さん2019/11/09(土) 09:27:09.05
>>736
というか、戦功を称えられて大王になったのだろう。
忍代別という名前は、本来なら分家を意味する。

742日本@名無史さん2019/11/09(土) 09:29:42.68
景行天皇の子供は80人。
九州各地にいた邪馬台国の配下の女性首長を服属させたからね。
そしてその子供らは各地の首長となった。
その土地から見れば女系相続でもある。
つまり九州各地の首長層は基本的には皇族。

743日本@名無史さん2019/11/09(土) 09:31:42.44
>>738
>三国志の時代、中国の国邑は城壁があって当たり前。
>九州北部も環濠集落だから、後世の城柵に相当する。

つまり国じゃないわけだ

744日本@名無史さん2019/11/09(土) 09:31:48.14
>>742
景行が初めて産ませたわけじゃなくて
九州のはもともと親戚っしょ。

745日本@名無史さん2019/11/09(土) 09:32:12.43
ていうか、こんなに皇族が減ったのは武烈天皇以来だったりして。
知らんけど。

746日本@名無史さん2019/11/09(土) 09:32:58.46
支惟國は香椎だよ。
神夏磯姫は台与で年長大になってから移動したのだ。

747日本@名無史さん2019/11/09(土) 09:33:18.51
>>743

そうだね。
今で言う国家という意味では、魏志倭人伝では邪馬台国と投馬国だけだろう。

748日本@名無史さん2019/11/09(土) 09:35:59.89
>>177
>受け入れたのがまず博多湾沿岸の首長層だから
日本の学者は畿内の影響を受けていると考える<

筑紫城の倭奴國の阿毎氏は、鏡と剣と玉の三種の神器を持っていた。
そして、半島の高温焼成の技法を学んで、庄内を工夫して土器祭祀も加えた。
そして、阿毎氏の一部が東征して大和に入った別種分家もあり、
筑紫の三種の神器と土器祭祀も踏襲し、真似た。

3世紀の博多湾沿岸首長層は「東征毛人五十五國」という支配地拡大を実行した。
社会には、いつの時代でも、はぐれ者やまつろわぬ者などの雑多な人たちがいる
それが大和などの民族気質

749日本@名無史さん2019/11/09(土) 09:36:37.18
>>740
>太平洋戦争の頃までは、宮家がたくさんあるのは当たり前だった。

それが軒並み三種の神器とやら持ってるんなら
三種の神器が王権の象徴とか抜かすのは
とんだ迷妄トンマ説だな

750日本@名無史さん2019/11/09(土) 09:38:22.75
>>741
>忍代別という名前は、本来なら分家を意味する。

という根拠は?
九州説はまた根拠なしの妄想漬け生活か
さすが九州説だわ脳が腐ってるw

751日本@名無史さん2019/11/09(土) 09:39:51.48
>>744

そうなんだけど、それを上塗りしたんだよ。
それを称えた諡が大帯日子(オオタラシヒコ)。
大いなる征服王という意味。

ちなみに遣隋使を送ったのは聖徳太子ではなく、中国側の記録では多利思比孤(タリシヒコ)とあり、九州北部の倭王一族だと思われる。
「日出処の天子云々」のやつな。
歴代天皇で諡にタリシヒコとあるのは7人だっけ?

752日本@名無史さん2019/11/09(土) 09:42:15.18
>>749

特定の三種の神器に固定されたのは天武天皇の時。
記紀の編纂も、過去の天皇への諡号の追号も。
天皇制の基礎は7世期末に固まった。
日本史板にいるのなら、基礎知識くらい身につけておけ。

753日本@名無史さん2019/11/09(土) 09:43:23.23
>>742
>つまり九州各地の首長層は基本的には皇族。

その皇族がどうして
「我之属類必不有違者、今将帰徳矣」
とか言うわけ?

754日本@名無史さん2019/11/09(土) 09:45:45.83
>>752
>特定の三種の神器に固定されたのは天武天皇の時。

つまり三種の神器が王権の象徴ってのはボケ爺さんの白痴夢ってことで、よろしいか?

755日本@名無史さん2019/11/09(土) 09:49:57.60
>>736
>留守番していた神夏磯姫は
>帰還した大王にきちんと従うと意思表示した。
>なにかおかしいか?

おまえのアタマが


w
もしかして「今将帰徳矣」を読もうとして
さらに赤恥かいてるのか?
九州説あわれだな

756日本@名無史さん2019/11/09(土) 09:57:48.56
>>754

王権の象徴であることには変わりない。
ただ、各地の宮家がそれぞれにセットを持っていた時代もあったことが記紀から読み取れる。

自分の凝り固まった考えを通すのではなく、文献からきちんと考察しろよ。

757日本@名無史さん2019/11/09(土) 10:04:41.33
>>182
大和説は、
畿内なんて存在もしなかった嘘つき騙し文言を使っても×だし、
「南→東」などのような史料事実を否定曲解する嘘つき騙しをしても×だし、
史料批判や史料実態のことを何も知らず、
妄想で反論ゴッコしようとしても無駄
大和説もうちょっとお脳がハッキリしてから発言するべき

758日本@名無史さん2019/11/09(土) 10:07:40.40
>>184
大和説は、誇大妄想って感じだな。
「畿内」なんて存在もしなかった嘘つき騙し文言であるし、
祭祀用土器の産地も、筑紫が大和に先行し、大和へ伝絵たと考えるのが自然かと。

759日本@名無史さん2019/11/09(土) 10:10:00.36
>>756
>王権の象徴であることには変わりない。
>ただ、各地の宮家がそれぞれにセットを持っていた時代もあったことが記紀から読み取れる。

各地の宮家がそれぞれにセットを持ってたら
どうして王権の象徴であると読み取れるんだ
王権の象徴とかいうのこそ
「自分の凝り固まった考え」じゃないのか


>自分の凝り固まった考えを通すのではなく、文献からきちんと考察しろよ。

自分こそ文献からきちんと考察しろよ
おまえは、どんな文献のどんな記述から読み取ったと言い張るんだ?
おまえ、文献なんか読まず
「王権の象徴である」という
自分の凝り固まった考えを押し通そうとしてるだけだろ

一度でも文献からきちんと考察しろよゴミ

760日本@名無史さん2019/11/09(土) 10:15:16.63
>>758
>「畿内」なんて存在もしなかった嘘つき騙し文言であるし、

国内文献すべて無視ですか


>祭祀用土器の産地も、筑紫が大和に先行し、大和へ伝絵たと考えるのが自然かと。

考古学すべて無視ですか

それは不自然だ

761日本@名無史さん2019/11/09(土) 10:16:02.87
九州説がクズすぎる

762日本@名無史さん2019/11/09(土) 10:20:36.75
>>759

威信財を理解しないアホウがいる。
卑弥呼が魏から鏡を与えられた時、皇帝はなんと訓示した?

763日本@名無史さん2019/11/09(土) 10:20:37.00
>>192
「南→東」などの史料事実の否定曲解の嘘つき騙しの大和説者は、
誇大妄想って感じだな。
どなたかが書いておられたが、
縄文土器も祭祀的要素もあったから、祭祀土器であった可能性が高いが、
庄内や布留は、壁厚が薄く強くなっているから、
半島の高温焼成の技法の伝来工夫を想定しない訳には行かず、
九州北岸部や出雲に祭祀用土器の原点があったと考えるのが自然かと。

764日本@名無史さん2019/11/09(土) 10:23:11.41
【庄内式土器】

1,「庄内式土器研究会」の全国的(釜山〜関東)調査によれば、庄内式土器の中心出土地は纒向ではなく、中河内(八尾市・大阪市・東大阪市・柏原市)であり、その規模は纒向を「都市」とすれば、中河内は「大都会」である。
2.中河内の遺跡群には各地(特に多いのは吉備・播磨・四国地方などの西からの搬入)からもたらされた土器がかなりの頻度で出土している。大和の遺跡が東海や近江・北陸といった東の地域からの土器搬入が目立つのとは対照的。
3.河内の庄内式土器は西日本各地への移動が確認されているが、大和の庄内式土器はほとんど移動していない。
4.今まで日本各地から出土する大和の庄内式土器とされていたものは、ほとんど播磨の庄内式土器であって、大和の庄内式土器が移動している例は数えるほどしかない。
5.播磨で作られた庄内甕と畿内の遺跡の庄内甕は瓜二つで、近年の胎土の研究の進展により区別できるようになった。
6.大和盆地で庄内甕が出土するのは東南部だけである。すると庄内式が大和から全国に広がっていったとする従来の考え方を改めなければならなくなった。
7.胎土の研究を進めていくと、庄内式土器の次の段階の布留式土器が大和で発生し、初期大和政権の発展とともに全国に広がったとする現在の定説も否定しなければならない。
8.なぜかというと、胎土観察の結果、布留甕の原型になるものは畿内のものではなく、北陸地方(加賀南部)で作られたものがほとんどであることがわかった。
9.しかも北陸の土器の移動は畿内だけでなく関東から九州に至る広い範囲で行われており、その結果として全国各地で布留式と類似する土器が出現する。
10.したがって、日本各地に散見する布留式土器は畿内の布留式が拡散したのではなく、初期大和政権の拡張と布留式土器の広がりとは無縁であることが胎土観察の結果、はっきりしてきた。

765日本@名無史さん2019/11/09(土) 10:26:52.21
>>760

「畿内」は後世の概念だということだろう。
大和と河内が別の勢力圏であったのなら、畿内という枠組みが存在し得ない。

766日本@名無史さん2019/11/09(土) 10:27:06.60
>>762
具体的な指摘も明確な主張もできないアホウを見た
いつもニオわせるだけのモヤモヤ爺さん
九州説無力すぎる

767日本@名無史さん2019/11/09(土) 10:29:38.19
>>765
>「畿内」は後世の概念だということだろう。

なら「九州」なんて存在しない嘘つきの騙しってことだな
馬鹿丸出しの九州説


>大和と河内が別の勢力圏であったのなら、畿内という枠組みが存在し得ない。

トンデモイラネ

768日本@名無史さん2019/11/09(土) 10:32:06.47
3世紀頃の関西は、河内と尾張のそれぞれに中心があったのだろう。
その実態はまだ不明な部分が多い。
畿内説などという妄言により、古代史の解明はずいぶん足踏みしたと思うよ。

769日本@名無史さん2019/11/09(土) 10:33:17.93
>>766

三種の神器が王権の象徴であることを否定するのなら、それなりの根拠を示せよ。
で、どこの国の出身だ?

770日本@名無史さん2019/11/09(土) 10:34:07.63
>>767

お?
考古学の成果の否定か?

771日本@名無史さん2019/11/09(土) 10:36:31.90
>>768
>3世紀頃の関西は、河内と尾張のそれぞれに中心があったのだろう。

九州説が如何なる時も決して根拠を言わないのは

 ば か だ か ら、だよな

772日本@名無史さん2019/11/09(土) 10:37:47.39
>>770
>考古学の成果の否定か?

トンデモ九州説を支持する考古学は存在しない

773日本@名無史さん2019/11/09(土) 10:39:13.78
>>769
それは立証義務の前方転嫁という
典型的な詐欺の手法ですね

774日本@名無史さん2019/11/09(土) 10:44:36.20
>>768
>3世紀頃の関西は、河内と尾張のそれぞれに中心があったのだろう。

尾張が関西かアホウ

775日本@名無史さん2019/11/09(土) 10:46:00.46
>>774

関西ではないが、播磨や尾張を含めて九州を含めない呼び名はなんとすればいい?

776日本@名無史さん2019/11/09(土) 10:49:42.28
>>764
>2.中河内の遺跡群には各地(特に多いのは吉備・播磨・四国地方などの西からの搬入)からもたらされた土器がかなりの頻度で出土している。大和の遺跡が東海や近江・北陸といった東の地域からの土器搬入が目立つのとは対照的。

河内と大和の間に政治的な境界があったように思われるが、それぞれの東西はどのような国だったのか。
饒速日の末裔が物部氏と尾張氏で分けていたのか。
それとも単なる水運の都合に過ぎないのか。

777日本@名無史さん2019/11/09(土) 10:51:19.27
>>194
>>畿内政権は分家であったが、後世に本家の歴史を剽窃した。<

>卑弥呼の共立のときに、卑弥呼の祖先筋に九州出身者がいたことが
強調された可能性はある⇒神武の東征説話<

卑弥呼共立は九州であり、大和を匂わせれば×。
また、神武ら東征は、倭奴國の筑紫城の阿毎氏の別種分家の話であり、
また卑弥呼の姫氏は、倭奴國時代に委奴の地で阿毎氏と合同していた時期があり、
その後、卑弥呼の先祖らが「大野」の地に別れて、そこで卑弥呼が出て、共立された。

>だが、3世紀時点で本家分家という関係にはない<

大和は、「次用明、亦曰目多利思比孤、直隋開皇末、始與中國通」で独立を申告したが、
尚も、中国からは、九州倭国の別種の旧小国と見られており、
白村江で大敗した倭国を併合吸収継承してから、盟主になった。

778日本@名無史さん2019/11/09(土) 11:07:56.08
>>775
近畿式+三遠式銅鐸圏でよくね?

779日本@名無史さん2019/11/09(土) 11:08:28.31
>>776
>河内と大和の間に政治的な境界があったように思われるが、

根拠なし

780日本@名無史さん2019/11/09(土) 11:10:31.11
神武東征とか天孫族とか言ってる連中の昭和初期臭

781日本@名無史さん2019/11/09(土) 11:10:32.68
>>779

>>764
>2.中河内の遺跡群には各地(特に多いのは吉備・播磨・四国地方などの西からの搬入)からもたらされた土器がかなりの頻度で出土している。大和の遺跡が東海や近江・北陸といった東の地域からの土器搬入が目立つのとは対照的。

これはどう説明するのさ。

782日本@名無史さん2019/11/09(土) 11:18:24.57
>>781
千葉県人:2015/02/22(日) 13:20:34.54 ID:.net

土器のことに関心があるようなので専門家の見解を少し書き込みます

東阿波式土器とは、厚さ2〜3ミリと、他地域の土器と比べ極端に薄く材料の粘土には

細かくすり潰された阿波の青石(結晶片岩)が含まれている

桜井市埋蔵文化センター著「ヤマト王権はいかにして始まったか」(平成19年編の)の中で

「纏向では、近年阿波系の土器が調査が進むにつれ増加しておりその傾向が研究者の間で

脚光を浴びている」とされている

大阪府文化財センター技師の方が書かれた「大阪府出土の讃岐・阿波・播磨系土器」では

「淀川以北摂津東部の6遺跡で阿波系が17個、摂津中部11遺跡で阿波系16個、旧大和川

周辺沖積平野の41遺跡で阿波系208個、和泉市11遺跡で阿波系19個など」

阿波系土器が圧倒的に多いことが明かされている

ってさ   @阿波



補足。
その圧倒的に多い阿波系土器 以外の土器についても、それも「東阿波型土器」様式土器であることを付加えておく。   @阿波

783日本@名無史さん2019/11/09(土) 11:26:04.58
>>781
>これはどう説明するのさ。

どう説明って、中河内は瀬戸内航路の積下港だから当たり前では?

784日本@名無史さん2019/11/09(土) 11:45:19.30
大和と河内が没交渉とかトンデモ言ってたら
笑い者以外の何になれるか頭ひねれよ

785日本@名無史さん2019/11/09(土) 12:22:16.19
>>776
大和には古くから環濠集落があるから琵琶湖経由で九州勢力が先行入植していたのだろう。
河内は毛人が強かったので、饒速日が後発で征服。

786日本@名無史さん2019/11/09(土) 12:24:39.46
>>785
九州は古くからの環濠集落とか、ほとんど無いだろ
インチキばかりだな

787日本@名無史さん2019/11/09(土) 12:25:52.54
毛人蝦夷は勇猛だったらしいから何らかの文化があったのだろう。
俺が征服者なら毛人のモニュメントをぶっつぶして上にどでかい建造物で上書きするね。
二度と反抗する気が起きないように。

788日本@名無史さん2019/11/09(土) 12:26:46.64
>>786
九州は一方的に攻める側だから環濠なんていらんだろ
不便だし

789日本@名無史さん2019/11/09(土) 12:27:41.90
敗者キナイコシがまだ議論してるつもりなのが笑えるw

790日本@名無史さん2019/11/09(土) 12:36:32.44
漫画、アニメ・・・・その他、何なのか知らないけど、
本当の話なんだろう

791日本@名無史さん2019/11/09(土) 12:36:49.51
>>776
大和には鉄器なしで入植しているから国津神のヤマツミ
河内には鉄器持ち込んで入植しているから天神族の饒速日
もちろん饒速日も尾張氏も弥生時代は北部九州に住んでいて
それぞれの地方荘園が東方各地にあっただけ
たまに巡視には来ていただろう
荘園からの利権なども絡んで倭国乱が起きて
それがフィードバックされて地方の支配権も奪い合い

792日本@名無史さん2019/11/09(土) 12:38:21.18
>>680
>宗像は倭王ではないが、神夏磯姫は三種の神器を持っていたから倭王だろう。

九州説が三種の神器と呼ぶものは、三種の神器と同じ組合せいうだけで
三種の神器ではない、

小鹿火宿禰は八咫鏡を持っていても倭王ではないし
三種の神器セットが副葬されている古墳は山口県の赤妻古墳、
山梨県の笛吹市平林2号墳などいくらでもあるが、これらも倭王の墓ではない

九州説のやっていることは、チェリーピッキングなんだよ
鏡、剣、玉、という単語だけを拾って(チェリーピッキングして)駄論を
捏ね上げているだけ

倭国における主張層の副葬品セットと、皇室の三種の神器を
ごちゃ混ぜにしているのは>>680

793日本@名無史さん2019/11/09(土) 12:40:11.55
>>676
>宗像地域にはそのうちの8系列が集中していることになる

これって、つまりは「宗像地域の王」すら居なくて、どんぐりの背比べが
割拠していたってことなんだよ

各系列の一つ一つの盟主墳も小さいし、大勢力なんていない

794日本@名無史さん2019/11/09(土) 12:41:56.17
>>792
三種の神器を現在の皇室の三種の神器という意味で使ってるわけではないだろ
鏡、剣、玉、の組み合わせのことを「広義の三種の神器」と呼んで
その起源を言っているだけだ。

お前は言葉遊びで誤魔化しているだけだ。

795日本@名無史さん2019/11/09(土) 12:43:47.88
>>674
>それこそ君の妄想だろ。

伊都縣主は、伊都国地域の首長
端山古墳は伊都国地域の中心遺跡・三雲遺跡群の中に
最初に作られた大型前方後円墳であり、盟主墳で首長墓だと考えられる

端山古墳が伊都縣主の一族の墓じゃなかったら、誰の墓なんだ?ww

こいつの言うことは、
「古代のことは決定できない
 決定できない以上は、どんな主張も間違い」
というだけの暴論だからな

無能の所業ww

796日本@名無史さん2019/11/09(土) 12:44:09.24
北部九州の有力豪族が「広義の三種の神器」を権威とする同一文化を共有して
他の地域を征服していったということ。

「広義の三種の神器」を権威とする同一文化を共有する
北部九州の有力豪族の中で
最有力のものがいずれ大王になって、
政治機構が整備されて権力集中していく過程の話だろ。

797日本@名無史さん2019/11/09(土) 12:44:59.08
キナイコシ相手に本気になるなよw

798日本@名無史さん2019/11/09(土) 12:46:46.28
卑弥呼だって共立女王だからな。
強力な大王がいたならそもそも乱なんぞ起きないわけで、
北部九州の三種の神器の出土状況からして、
有力豪族がいくつかいて、時々勢力争いをして、で
魏志倭人伝の記載と合致する。

799日本@名無史さん2019/11/09(土) 12:49:21.52
三種の神器が王権の象徴なら共立はしないし卑弥呼は魏に助けを求めないよ。三種の神器なんてこんときゃ無いか、役立たずかだね。

800日本@名無史さん2019/11/09(土) 12:50:59.55
松の木の立てられている写真w
そういうゲームなども無かった頃の写真なんだけど、
兄が生まれる頃までは、あったみたいな事を言っているし

801日本@名無史さん2019/11/09(土) 12:52:18.91
>>715
>記紀によるとそういうことになる。

記紀は、主要豪族のほとんどを、皇別氏族、神別氏族の後裔に位置づけ、
倭国全体を皇統を中心とする身内の国として描くのを目的にしている

>>715の言うとおりに、記紀によって皇統の一族は三種の神器を持っていると
いうことであれば、日本中みんな三種の神器を持っていることになるし、
実際「北部九州に限らず」日本中どこでも特に大きくもない古墳でも
三種の神器セットを副葬している古墳は数多くある

つまり、三種の神器セットの所在は、倭王の存在を意味しない

単純な論理なんだが、チェリーピッキングしかできることのない九州説は
何度説明されても、「神夏磯姫がー」と言い続けるww

惨めなものだ

802日本@名無史さん2019/11/09(土) 12:53:11.95
キナイコシがいくら屁理屈こねても
北部九州各地の王が三種の神器を持っていたからなあ。

狗奴国相手にバラバラに戦っていたら勝てないから
卑弥呼を共立して一致団結したんだろうよ。

あ、狗奴国は南だからな。
東には毛人しかいないしw

803日本@名無史さん2019/11/09(土) 12:54:30.31
>>719
>景行天皇が敵味方を区別できなかっただけ。

この時点で、皇族じゃないww
皇族トップの天皇に認識されていないものは皇別であったとしても、皇族ではない
そこに三種の神器セットがあったとしても、それは倭王でもなんでもないww

804日本@名無史さん2019/11/09(土) 12:54:50.25
>>801
なるほど古墳時代は
各地の支配権を北部九州からの征服者が切り取り次第だったんだな
大征服時代だ

805日本@名無史さん2019/11/09(土) 12:55:04.81
『葱の華』も家の写真だしなw何かの家の人なんだろう

806日本@名無史さん2019/11/09(土) 12:55:32.63
>>803
記紀が八咫鏡と書いているから倭王だろうね

807日本@名無史さん2019/11/09(土) 12:56:20.50
敗者キナイコシの叫び

808日本@名無史さん2019/11/09(土) 12:56:48.36
ここまで三種の神器を否定するとは
キナイコシはやはり。。。

809日本@名無史さん2019/11/09(土) 12:59:49.05
奥山氏は、奥山氏自身が朝鮮人であることを、誇らしげに発表したのだったな、、、

810日本@名無史さん2019/11/09(土) 13:00:15.58
五斗米道のような新興宗教集団が海神族に金払って逃げてきたんよ、で奈良を見つけて宗教活動し出したんだよ、神器は有力な信徒さんに売ってたんだよ。最初は鬼卒からはじまってんだ ろ?

811日本@名無史さん2019/11/09(土) 13:00:44.11
八咫の鏡は、八幡の鏡なのだったね。

812日本@名無史さん2019/11/09(土) 13:01:12.22
調べてみると祭祀(斎祀?)関係みたいだしなw
七支刀のような形をしている松の木。

813日本@名無史さん2019/11/09(土) 13:06:24.68
>>811
神倭伊波礼毘古命は、宇佐と岡田に、仲間がいたのではないのかな。。。

814日本@名無史さん2019/11/09(土) 13:06:37.54
まさか・・・本当に何かの直系とか?

815日本@名無史さん2019/11/09(土) 13:08:57.76
三種の神器とは、天皇であることの、独立した3つの75パーの根拠なのだろうか、、

816日本@名無史さん2019/11/09(土) 13:10:29.61
>>815
奥山氏は、ベジタリアンなのだったな、、、

817日本@名無史さん2019/11/09(土) 13:15:16.15
秦王国は、八幡の投馬国なのだったな、、、

818日本@名無史さん2019/11/09(土) 13:17:41.49
>>817
役所は、大分市にあった可能性が高いな。

819日本@名無史さん2019/11/09(土) 13:19:09.93
>>813
その宇佐は今の宗像のことだぞ

820日本@名無史さん2019/11/09(土) 13:24:56.25
九州は、4面あるのだったね、、

821日本@名無史さん2019/11/09(土) 13:27:08.54
投馬国は、トヨヒワケなのだったな。

822日本@名無史さん2019/11/09(土) 13:29:16.55
タケヒムカヒトヨクジヒネワケが、卑弥呼の直轄領土だったな、、

823日本@名無史さん2019/11/09(土) 13:30:01.12
>>822
東に海があるのだったね。。

824日本@名無史さん2019/11/09(土) 13:31:02.33
一行レスラーの登場

825日本@名無史さん2019/11/09(土) 13:32:42.82
タケヒムカヒトヨクジヒネワケの中の、熊本城下が邪馬台国なのだったね。

826日本@名無史さん2019/11/09(土) 13:34:00.31
奥山氏は、奥山氏自身が朝鮮人レスラーであることを、誇らしげに発表したのだったな、、、

827日本@名無史さん2019/11/09(土) 13:36:50.06
ウィザーズは、弱いな。

828日本@名無史さん2019/11/09(土) 13:38:09.35
バンビジャスは、月曜日から東京で闘うのだな、、、

829日本@名無史さん2019/11/09(土) 14:06:06.70
>>720
>銅鏡は中国皇帝から与えられた倭王の冊封の証。
>卑弥呼への国書の内容からもそれがわかる。
>それが三種の神器の権威の根元の一部となっている。

だから、皇室の八咫鏡は、魏皇帝から下賜された金象嵌を施された宝飾鏡
レベルの三角縁神獣鏡の可能性がある

文永三年御遷宮沙汰文では、伊勢の御神鏡を入れる御桶代の大きさが
御桶代一口 號桶代
高壹尺七寸八分 「口徑一尺」 彫端一寸 端牙七分 
蓋一口 「口徑九寸」
とある
また、扶桑略記の天徳四年の内裏の火事の記事では
『依火氣頗消,罷到溫明殿所求見。瓦上在鏡一面,『徑八寸』許。
 頭雖有小瑕,専無損。圓規并帶等甚以分明露出,俯破瓦上。
 見之者,无不驚感。又求得大刀契等,以神鏡等安置縫殿寮高殿。』
と、皇居のレプリカも同様のサイズであったと書かれている
これらは、三角縁神獣鏡のサイズと一致する

また、八咫鏡を作った石凝姥命を祀り、その後裔氏族作鏡連の奉祭する鏡作神社の
御神鏡が内区だけの三角縁神獣鏡
邪馬台国畿内説 Part528 	YouTube動画>1本 ->画像>62枚

また、最終的に皇居の鏡が焼損した寛弘二年の様子が藤原資房『春記』にあり、
仍りて求め奉る間、僅かに御体を掘り奉り得<焼け残ること五・六寸ばかり。>。
掃部の女官<「□子。字を河乃辺と称す」と云々。古老の者なり。>、先づ此の体を得、
即ち絹に嚢み奉り、折櫃に入る。又、一切を得<二・三寸ばかりなり。>。「其の体、
焼損して分明ならず」と云々。次々、二・三寸ばかりを得。各々、段々なり。
又、玉金のごとき物、数粒を得。随ひて又、彼の絹に加へ入れ奉るなり。

とあることから、皇居の御神鏡には金が使われていたようだ

830日本@名無史さん2019/11/09(土) 14:08:35.39
>>726
>現天皇家の権力の象徴が、田舎豪族の宝物だと
>敗北キナイコシが驚きの主張する根拠は?

また、曲解・捏造しているw

「現天皇家の権力の象徴」である「三種の神器」と
神夏磯姫などの田舎豪族の持っている「三種の神器セット」は別物だってこと

831日本@名無史さん2019/11/09(土) 14:16:55.95
>>205
>九州説でさえ、邪馬台国⇒ヤマト国(山門、山戸など)と読むのだから<

邪馬台国なんて存在もしなかった嘘つき騙し読み文言なんて、読まない。
また、邪馬壹國も邪馬臺國も「ヤマト国」だなて読まない。
大和の音韻の「ヤマト」なら、
「ヤマ=山、邪馬」として「ト=戸、門、都、登など」と読める可能性がある、と読む。

>九州にも「山門」や 邪馬台国をヤマト国と読むのは、日本人なら当然<

まともな日本人なら、邪馬壹國も邪馬臺國も、ヤマト国とは読まないのが当然。

832日本@名無史さん2019/11/09(土) 14:25:23.49
>>209
証拠もないのに「南→東」などの嘘付き騙しとか、
証拠もないのに「九州も大和もどちらも本家ではないw、創作作り話だから」とか、
そんな非難をするする大和説の人は
ひどく誠実さに欠ける

833日本@名無史さん2019/11/09(土) 14:30:17.39
>>765
>大和と河内が別の勢力圏であったのなら、畿内という枠組みが存在し得ない。

同じ勢力であるなら、畿内という枠組みは自然に理解できるな
そして、卑弥呼の時代よりも100年程度前の畿内第V様式土器の時点で
ここら辺は一体化している

上町台地が半島だった頃は、河内よりも大和の方が使える土地が広いのは
分かるかな?
邪馬台国畿内説 Part528 	YouTube動画>1本 ->画像>62枚

834日本@名無史さん2019/11/09(土) 14:32:01.60
>>791
>>776
>大和には鉄器なしで入植しているから国津神のヤマツミ
>河内には鉄器持ち込んで入植しているから天神族の饒速日
>もちろん饒速日も尾張氏も弥生時代は北部九州に住んでいて
>それぞれの地方荘園が東方各地にあっただけ
>たまに巡視には来ていただろう
>荘園からの利権なども絡んで倭国乱が起きて
>それがフィードバックされて地方の支配権も奪い合い

なるほど。
理屈は通っている。

835日本@名無史さん2019/11/09(土) 14:33:19.41
>>793
>これって、つまりは「宗像地域の王」すら居なくて、どんぐりの背比べが

宗像は倭王に使える立場だ(記紀によると)。
しかしその中では最強の豪族だったということだろ。

836日本@名無史さん2019/11/09(土) 14:33:33.51
三種の神器とは、政治のリーダーであることの、独立した3つの75パーの根拠なのだろうか、、、
もし、そうならば、「三種の神器」体制という政治の体制は、土器な墓などの政治とは無関係な要素よりも、
天皇家の出身地を探る重要な物事になるな、、、

837日本@名無史さん2019/11/09(土) 14:34:28.87
奥山氏は、奥山氏自身が朝鮮人レスラーであることを、誇らしげに発表したのだったな、、、

838日本@名無史さん2019/11/09(土) 14:35:24.64
>>799

だからこそ最大の八咫の鏡を作ったんだろ。
ただの三種の神器では決め手にならなくなっていたから。

839日本@名無史さん2019/11/09(土) 14:35:36.93
天皇家は、天皇家の出身地が、九州であることを、誇らしげに発表したのだったな、、、

840日本@名無史さん2019/11/09(土) 14:37:23.73
>>801
>記紀は、主要豪族のほとんどを、皇別氏族、神別氏族の後裔に位置づけ、

多分、事実なんだよ。
数百年あれば、イザナギの子孫だけで千人くらいには増えるだろう。

>>715の言うとおりに、記紀によって皇統の一族は三種の神器を持っていると
>いうことであれば、日本中みんな三種の神器を持っていることになるし、

天武の時に回収したのかもよ。

841日本@名無史さん2019/11/09(土) 14:38:09.80
>>802
>北部九州各地の王が三種の神器を持っていたからなあ。
>あ、狗奴国は南だからな。

いやいや、下手すると狗奴国の王も三種の神器を持っていたかもしれないぞ。

842日本@名無史さん2019/11/09(土) 14:39:42.02
>>803
>皇族トップの天皇に認識されていないものは皇別であったとしても、皇族ではない

多分、その時点では忍代別は大王ではないし、三種の神器も持っていなかったと思う。
忍代別が三種の神器を使った記事がない。
その時点での倭王は神夏磯姫だろう。

843日本@名無史さん2019/11/09(土) 14:44:44.86
>>829
>又、玉金のごとき物、数粒を得。随ひて又、彼の絹に加へ入れ奉るなり。
>とあることから、皇居の御神鏡には金が使われていたようだ

じやあ邪馬台国はこの地図にある3枚の金装飾鏡の範囲の内側かな?

九州で出土した副葬品の分布地図
邪馬台国畿内説 Part528 	YouTube動画>1本 ->画像>62枚

844日本@名無史さん2019/11/09(土) 14:47:34.14
方々にある時点で単なる「鏡・剣・玉のセット」は、
王権の所在を示すものではないのは当たり前

要するに、前方後円墳に首長を葬ること、三角縁神獣鏡を副葬すること、と同様に
「鏡・剣・玉のセット」は首長層の連帯を示す共通のシンボルだったというだけ

その中で、唯一固有名詞化したものが、皇統の三種の神器
これらを意識的に混同することで、でたらめ理論を作っているのが九州説ってこと

犬が噛み殺したムジナの腹から出た玉が、三種の神器で王権の所在地を示すとか
いうやつがいたら「バカですか?」と思うだろ?
この玉も日本書紀では、三種の神器の勾玉と同じ「八尺瓊勾玉」と書かれている
日本書紀 巻第六
活目入彥五十狹茅天皇 垂仁天皇

昔丹波國桑田村有人、名曰甕襲。則甕襲家有犬、名曰足往。
是犬、咋山獸名牟士那而殺之、則獸腹有「八尺瓊勾玉」。
因以獻之。是玉今有石上~宮也。

「八咫鏡」と名前が一致するだけで、『これは三種の神器で
倭王の持ち物に決まっている』とか言い出すのは、単に知識が足りないだけww

845日本@名無史さん2019/11/09(土) 14:49:08.70
>>838
平原では叩き割ってたろうが
王権の象徴なんかではない

846日本@名無史さん2019/11/09(土) 14:49:36.15
キナイコシの定型文は誰の心にも響かない。
そこに真実を探求する心はなく、相手をやり込めようとする意図しか感じないからだ。

847日本@名無史さん2019/11/09(土) 14:49:54.36
>>845
女王が死んだからだろ。

848日本@名無史さん2019/11/09(土) 14:51:51.97
>>845
>宗像は倭王に使える立場だ(記紀によると)。
>しかしその中では最強の豪族だったということだろ。

考古学的に見ても、宗像あたりより福岡平野の方が当然に大きな勢力なんだよ

九州説は魏志倭人伝のインチキ読みもそうだけれど、文献の片言隻句から
壮大な「お話」を作り上げて、根拠なしで正しいと言い張るだけだから質が悪い

たった一行だけの記述からチャングムの誓いをでっち上げた人たちと、
感性・価値観・行動が一致するのが見ていて面白いww

849日本@名無史さん2019/11/09(土) 14:52:34.65
>>776
>それとも単なる水運の都合に過ぎないのか

鉄器の輸出地域と禁輸地域の境界だね。

850日本@名無史さん2019/11/09(土) 14:52:56.37
>>806
>記紀が八咫鏡と書いているから倭王だろうね

記紀は八咫鏡を倭王権の象徴などと思っでもいないし
そう書いてもいないということだ

851日本@名無史さん2019/11/09(土) 14:54:11.01
>>838
>だからこそ最大の八咫の鏡を作ったんだろ。

「最大の八咫の鏡」って何だよ!ww
小鹿火宿禰が大伴大連に送った八咫鏡は、「最大じゃない八咫鏡」なのか?ww

もう、言ってることめちゃくちゃだろうww

852日本@名無史さん2019/11/09(土) 14:56:15.39
>>840
>数百年あれば、イザナギの子孫だけで千人くらいには増えるだろう。

それが全員、倭王なんてことがあるはずがないだろ?
方々に「三種の神器セット」があっても、それは「倭王の王権」の
シンボルではない訳だ

「八咫鏡」の3文字だけにすがりつくのは、典型的なチェリーピッキングww

853日本@名無史さん2019/11/09(土) 14:58:23.22
>>846
>そこに真実を探求する心はなく、相手をやり込めようとする意図しか感じないからだ。

バカだなぁ
「真実を提示」しているだけで、「やり込められていると感じるバカ」がいるだけだぞ

こちらは、間違いを正しているだけ
そして、九州説は間違いだけを論拠にした駄論ってことだ

854日本@名無史さん2019/11/09(土) 14:59:51.99
>>847
>女王が死んだからだろ。

女王が死ぬ前の王権のシンボルと、
女王が死んだ跡の王権のシンボルはどう繋がるんだ?

思いつきのその場しのぎを書いても、何の意味も持たないぞww

855日本@名無史さん2019/11/09(土) 15:01:34.26
>>849
>鉄器の輸出地域と禁輸地域の境界だね。

禁輸地域に、鉄の鑓鉋を持って矢板を作りに行くなんてことが起こるはずがないよな?ww
毎日言うことが矛盾だらけの九州説は大変だww

856日本@名無史さん2019/11/09(土) 15:07:46.94
>>854

一枚だけ残して割った方が、争いにならずに済むな。

857日本@名無史さん2019/11/09(土) 15:11:29.91
>>852
>それが全員、倭王なんてことがあるはずがないだろ?

あのな、戦前までは宮家は沢山あって、皇族も沢山いた。
その中で皇位は一人だけだったが、宮家ごとに象徴があった時代があってもおかしくはない。
少なくとも記紀はそのように読める。

(景行天皇の80人の子女のうち、半分は日本書紀編纂時には詳細不明だったらしいから、全員が王族の地位を確保できたわけでもないらしいが)

858日本@名無史さん2019/11/09(土) 15:20:34.79
>>227
>九州の祭祀用土器の産地は、奴国(福岡平野)の比恵那珂遺跡群<

柳田は、比恵那珂地域よりも三雲の方が古い、とついうっかり言ってしまって、
近畿の偉い先生らの怒りを喰らって、ひっこめたんだよ。

>そこで、畿内の土器様式を受け入れて、畿内様式の土器を作って九州各地に供給している<

筑紫の庄内は3世紀前半であり、大和の庄内は石塚の3世紀末だから、
筑紫が「畿内の土器様式」を受け入れる事が出来ない。
もう少し、歴史の常識を入れてから議論に出てきた方がいいよ?

859日本@名無史さん2019/11/09(土) 15:25:03.72
>>231
>・・・そうすれば、相手が議論に不誠実であることをはっきり示せる
畿内説側は、九州説が人ごとに言うことが異なるのに対して、
一つ一つ全部対応してるぞ <

大和説は、「南≠東」などに、対応していない。

860日本@名無史さん2019/11/09(土) 15:31:18.40
>>708
>まさに地方首長が服属を申し出る儀礼だ

地方部族の神が天皇を出迎えることが服属の儀礼だろうな。
そして、その神は榊に宿っており、その榊に掛けてある剣、鏡、勾玉は神の威信財ということだろう。
肝心なのは榊に宿る神が天皇を出迎えるという儀式じゃないかな。

861日本@名無史さん2019/11/09(土) 15:36:36.41
>>233
>一個の桃核の(較正前の)データのバラツキは、30〜50年位だな。<

>計測値のバラつきが100年代以上とかウソついてたこと、謝る?<

いや、お前が「較正前のデータ」だなんて言わないのが悪いんだし、
何度も言ったように、桃の種は1年毎に花が咲いて出来るんだから、
それが、100〜110年幅にされたら、
誰だって、こりゃ計測法全体がダメなんだわ、と判るし、
今回も、お前(スレ主?)が20〜30年と言ったが、
今回の図を見れば、30〜50年の幅だ。

862日本@名無史さん2019/11/09(土) 15:38:43.02
>>855
>禁輸地域に、鉄の鑓鉋を持って矢板を作りに行くなんてことが起こるはずがないよな

鉄以外のものは普通に流通しているのだから、河内と大和が分断されていたということにならない。
そして、河内に鑓鉋があり、大和になければ、大和から頼まれれば職人は仕事しに行くよ。
でも、鑓鉋は大和に禁輸だから持って帰ることになる。
大和もそうしたとを当たり前と思っていたということ。

863日本@名無史さん2019/11/09(土) 15:55:44.03
>>857
>あのな、戦前までは宮家は沢山あって、皇族も沢山いた。

そのたくさんの宮家も皇族方も、天皇陛下ではなかったって話
天皇陛下はただ一人であって、それ以外の皇族方が皇統のレガリアたる三種の神器を
保持するなんてことはないし昔にもなかった

それだけの簡単なことを、何とかごまかそうとして見苦しくあがいているのが
知識の足りないチェリーピッカーの九州説ってこと

864日本@名無史さん2019/11/09(土) 15:57:48.69
>>861
>いや、お前が「較正前のデータ」だなんて言わないのが悪いんだし、

いや、見れば分かるし、計測原理を理解していれば当然のこと

つまり、その当然のことすら分からない、知識が決定的に足りない者が
言いがかりをつけていただけ、というのがこの件の結末だなww

865日本@名無史さん2019/11/09(土) 16:00:42.48
>>258
>第一線の学者たちが証拠に基づいて分析した結果の状況判断だ<

「第一線の学者たち」なんて、
ほぼ全員が「南→東」などの嘘付き騙しの・・・・アホ詐欺師であるんだし、
倭國の位置証明の「正北抵新羅」や「東征け毛人五十五國」を、
こっそり外したインチキ学者だ。

866日本@名無史さん2019/11/09(土) 16:04:42.78
>>862
>鉄以外のものは普通に流通しているのだから、河内と大和が分断されていたということにならない。

また、根拠が何一つない適当なことを言い出したぞww

まず第一に、その「鉄の禁輸」とやらは誰が主導して、誰が強制力を担保してるんだ?ww
これまでのお前の文脈からいうと、九州倭国が意地悪をして禁輸をしていたということに
したいようだが、一方で九州から近畿まで指令できるような王権は存在しないと何度も主張していたよな?

河内まで十分に届いている鉄器を、ほかのものは普通に流通している中で、
「誰が」「どうやって」禁輸を強制できるんだ?ww

バカも休み休み言えよww

>河内と大和が分断されていたということにならない。

それについさっき、河内と大和は分断されていたって言ってたのは九州説だぞww
つ >>776
「河内と大和の間に政治的な境界があったように思われるが、それぞれの東西はどのような国だったのか。」」

867日本@名無史さん2019/11/09(土) 16:05:46.95
>>274
「南→東」などの嘘付き騙しの大和説は。
こうしてウソついて自分を騙してないと
恐怖のあまり発狂するらしい

868日本@名無史さん2019/11/09(土) 16:08:52.58
>>285
「南→東」などの嘘付き騙しの大和説って、
ぜんぜん反論出来なくて
ただ拒否するするだけなんだね
それって、ジリ貧だよ

869日本@名無史さん2019/11/09(土) 16:27:51.75
>>863
そのたくさんの宮家や皇族方のうち、弥生時代には多数が王だった、
ということが、
複数の三種の神器が出土することから考古学的に明らかである。

チェリーピックは長い割にスッカスカのお前のテンプレだろw

870日本@名無史さん2019/11/09(土) 16:29:58.95
>>863
>保持するなんてことはないし昔にもなかった

ここが記紀により否定される。
考古学的にも否定される。

871日本@名無史さん2019/11/09(土) 16:32:07.58
そうだな記紀でも天皇以外の九州首長が三種の神器セットを持っていると書いてる

872日本@名無史さん2019/11/09(土) 16:33:56.04
乳房の絵が見つかってよかったなキナイコシ
毛人の成人女性は乳房丸出しだったとわかる貴重な資料だ

873日本@名無史さん2019/11/09(土) 16:34:30.67
>>858
>柳田は、比恵那珂地域よりも三雲の方が古い、とついうっかり言ってしまって、
>近畿の偉い先生らの怒りを喰らって、ひっこめたんだよ。

九州説は捏造ばかりする

874日本@名無史さん2019/11/09(土) 16:35:27.17
>>870
またごっちゃにしてごまかしているww

こっちの言っているのは「皇統のレガリア」であり、唯一無二のもの
これがあれば、間違いなく王権はそこにあったと言える

でも、>>870が言っているのは普通名詞としての鏡、剣、玉のセットであり
田舎豪族の宝物だ
そんなのは、いくらでもあるし、記紀にもそう書いてある
でも、それは王権のレガリアではないし、それを持っているのも王族という訳ではない

犬が噛み殺したムジナの腹から出た「八尺瓊勾玉」は、三種の神器じゃないんだよ!

875日本@名無史さん2019/11/09(土) 16:36:06.56
弥生時代においては三種の神器は副葬品として埋めていた。
そして漢への朝貢にあっては、皆が大夫を自称した。
(王が沢山いた?)
ただし漢が王と認めたのは倭王帥升から。

古墳時代においては、倭国内では複数の宮家がそれぞれに三種の神器を保有していた。
その中で倭王だけが八咫の鏡を持っていた。

おおよそ、こんなところかな。

876日本@名無史さん2019/11/09(土) 16:37:21.46
>>874
唯一無二になるのは、おそらく天武天皇の時。
異論は認める。
ただし対案がある場合に限る。

877日本@名無史さん2019/11/09(土) 16:38:54.34
>>874
>そんなのは、いくらでもあるし、記紀にもそう書いてある
>でも、それは王権のレガリアではないし、それを持っているのも王族という訳ではない

ここが間違い。

弥生時代には北部九州にしかない。
古墳時代に全国へ拡散した。
これが事実。

一方で、
それを持っているのが王族でないという根拠が無い。

北部九州の王族=三種の神器を持つ
が、
全国を征服したことを否定したいための
キナイコシの詐欺行為

878日本@名無史さん2019/11/09(土) 16:42:15.18
>>875
その通り。

>皆が大夫を自称した。

北部九州経由で皆が朝貢しようとする。
漢もそれらを国の大夫と認識していた。

で、北部九州の大夫達は三種の神器を副葬したいたのだから、
大夫の条件とは三種の神器を副葬する権力財力のある者ということになり、
弥生時代にそれがいたのも
考古学的には北部九州だけだった、ということになる。

879日本@名無史さん2019/11/09(土) 16:43:13.99
どうやっても筑紫倭国が全国制覇したことになるな。
もちろん倭王は筑紫にいたはず。
ここを起点としないと古代史は混迷したままだ。

880日本@名無史さん2019/11/09(土) 16:50:33.45
>>334
>学術レベルでは平原1号は200年ころ
3世紀に発展する博多湾沿岸は糸島の影響下にはない<


「南→東」などの嘘付き騙しを容認している大和説学者や大和説者は、
「学術レベル」ではない。「・・・・詐欺師レベル。
またの糸島の平原の21枚の「尚方作」鏡は、
明帝の下賜鏡が元になっている、というしかなく、
3世紀に発展する博多湾沿岸の卑弥呼とも、密接な関係があった。

881日本@名無史さん2019/11/09(土) 16:53:53.60
>>878
>漢もそれらを国の大夫と認識していた

倭人伝の「大夫」は、魏略の「太伯」の書き換えだけどな。

882日本@名無史さん2019/11/09(土) 16:54:58.38
>>880
まだ捏造するのか九州説

883日本@名無史さん2019/11/09(土) 16:56:39.70
>どうやっても筑紫倭国が全国制覇したことになるな。

んだな。
三種の神器が揃っている時点で古代の王と考えるのが
日本人の自然な感覚。

多数あると王じゃないというなら、
全国津々浦々に乱立してる前方後円墳なんてどうなるんだよw

884日本@名無史さん2019/11/09(土) 17:11:55.90
頭の悪い奥山が、嘘と認定する物事を並べれば、正常な歴史が完成するのでは、ないのかな。。。

885日本@名無史さん2019/11/09(土) 17:12:40.78
>>881
自帯方至女国万二千余里其俗男子皆点而文聞其旧語「自謂太伯之後」昔夏后少康之子封於会稽断髪文身以避蛟龍之害

自郡至女王国万二千余里男子無大小皆黥面文身自古以来其使詣中国皆「自称大夫」夏后少康之子封於会稽断髪文身以避蛟龍之害

陳さんは、口が裂けても「太伯之後」は言えないよな。

886日本@名無史さん2019/11/09(土) 17:13:09.72
>>883
>多数あると王じゃないというなら、
>全国津々浦々に乱立してる前方後円墳なんてどうなるんだよw

序列があるから問題なし
同じ八咫の鏡が多数あったら王じゃない

887日本@名無史さん2019/11/09(土) 17:17:22.02
>>884
つまり九州説は嘘の羅列で出来ていると

888日本@名無史さん2019/11/09(土) 17:19:42.86
>>866
>河内まで十分に届いている鉄器を、ほかのものは普通に流通している中で、「誰が」「どうやって」禁輸を強制できるんだ?

弥生時代の鉄の流通は売り渡し式。
例えば、博多は出雲へ売り渡し、出雲はその鉄器を同盟圏内の各勢力に配分する。
しかし、弥生後期には丹後などの山陰は独自に新羅経由で鉄器を入手するようになっていた。
この時点で、出雲→吉備→四国、丹後→明石→摂津→河内の鉄器流通網ができていた。
しかし、丹後は近江、大和、尾張方面には鉄器を禁輸していた。
そのために、大和などは鉄器過疎地帯となっていた。
一方、丹後は明石や摂津などに鉄器を流通させていたから、河内でも鉄器が出ている。
そこで、河内が大和に鉄器を横流ししたことがばれたら、今の北朝鮮への物資横流しと同じで制裁をくらうこととなる。
丹後は河内への鉄器流通をストップする制裁を科したうえに、その他の貴重財も河内へ流さなくなる。
だから、河内は大和へ鉄器を横流ししなかった。
そして、河内には鉄器があって、大和には鉄器がないという境ができた。
したがって、近江、大和、尾張に鉄器禁輸したのは丹後だということが分かる。
この構図は、弥生の鉄器分布地図をみれば、すぐに分かること。
お主はなまけて、古代史ファン必見の弥生鉄器分布地図をみてないから、分からんのだ。
では、なぜ丹後が近江、大和、尾張へ鉄器を禁輸したのか。
しかし、その理由は、お主には言うてやらん。
アホォ〜。

889日本@名無史さん2019/11/09(土) 17:22:05.86
纏向説は妄想の塊みたいなものやな

890日本@名無史さん2019/11/09(土) 17:22:54.75
>>883
>三種の神器が揃っている時点で古代の王と考えるのが
>日本人の自然な感覚。

皇国史観に脳が汚染されてるだけだよ
弥生九州に「三種の神器」なんて昭和家電並みの普及品だろ

891日本@名無史さん2019/11/09(土) 17:24:47.05
>>889
理由もなしの悪口だけって
能無しの九州説らしくていいね

892日本@名無史さん2019/11/09(土) 17:31:20.13
>>888
>お主はなまけて、古代史ファン必見の弥生鉄器分布地図をみてないから、分からんのだ。

弥生時代通算のアホ地図見てるから脳がアホになったんだよ
もともと九州脳は時系列感覚がマヒしてるから歴史考察は無理なんだけどな

893日本@名無史さん2019/11/09(土) 17:39:43.39
>>876
>唯一無二になるのは、おそらく天武天皇の時。
>異論は認める。
>ただし対案がある場合に限る。

つまり、昔は村長のおっちゃんでも「三種の神器」が持てたんだよな
だから対案というか結論は
「三世紀に『三種の神器』は王権の象徴でも何でもない」

894日本@名無史さん2019/11/09(土) 17:47:18.17
>>354
>畿内の土器の影響と政権との関わり についての説明だから その不整合は
前方後円墳秩序の中で共有された政治的意思の中枢を政権の中心と考える、
という論理的な帰結の当否には影響しない
主流派の政治的意思が主流でない者の政治的意思を塗り潰すのが政権というものだからだ
わかりやすく言うなら、
前方後円墳秩序の中にいない者が前方後円墳秩序を体現する政権に従属しても、
なんの不合理もない <

そりゃ、「南→東」に違反しての、
「大和説ありき」という結論先にありきでの論理であるから、×、

895日本@名無史さん2019/11/09(土) 17:58:18.31
そうだったな、
違反点数が積み重なって、纒向は免停状態、、。

896日本@名無史さん2019/11/09(土) 18:02:48.40
>>375
>平原1号の年代い異論を出してる学者はいない
ど素人レベルであれば何一つ研究してるわけではないので<

「南→東」などの嘘付き騙しをするような大和説学者や、似非九州説学者では、
ほぼ間違いなく人類の常識知らずの「・・・・アホ詐欺師」であり、
21枚もの「尚方作」鏡や大量の玉という最も大事な副葬品からも回避しており、
信頼性が全くない。

897日本@名無史さん2019/11/09(土) 18:06:35.01
九州説って、反論のつもりで書き込んでるのかな
ただの悪口をさ

898日本@名無史さん2019/11/09(土) 18:11:27.56
>>897
ここは、悪口バトルをするスレだってこと、知らないの?  わははははは   @阿波

899日本@名無史さん2019/11/09(土) 18:15:26.44
>>898
九州説は「ただの」悪口だからダメなんだって

900日本@名無史さん2019/11/09(土) 18:18:04.81
>>899
なら、ダメじゃないのは、やっぱり倭国(阿波)だけだね。  わははははは   @阿波

901日本@名無史さん2019/11/09(土) 18:24:33.29
>>389
>博多湾の西は糸島半島の東岸
福岡市の東区、博多区、中央区、早良区、西区に面する
今津湾沿岸には筑前型庄内甕が多く搬入されている<

当然、「大和からの搬入」ではない。筑紫付近内での生産物。

>三雲にも少し搬入されているが
土器相はUB期までは在地系主体で、200年頃築造の平原1号が副葬する<

平原1号は、明帝が下賜の21枚の方格規矩鏡が元になった鏡があるから、
壹與の墓である可能性が高いので、266年以後。

>サビ色塗装鏡群は博多には配布されない<

渡来の呉系楽浪鏡師らの錆色塗装の関与であるから、
壹與の墓に関する1代限りの塗装。

>地理も考古もまるっきりの無知なんだから何言ってるのかわからなくてあたりまえ<

「南→東」などの嘘付き騙しの大和説説者は、
まるっきりの・・・・アホ詐欺師であるから、何言ってるのかわからなくてあたりまえ。

902日本@名無史さん2019/11/09(土) 18:31:29.37
>>888
この河内と大和の微妙な関係は、2世紀末頃に露わになる。
纏向遺跡から出土する外来土器のうち、連合政権の活動が始まる2世紀末〜3世紀初頭の第1期に河内産土器がまったくみられないのだ。
大和の近隣であるにもかかわらず、河内土器の出土がまったくないというのは、かなり微妙な問題だ。
しかし、当時列島最大の威容をみせる纏向石塚古墳が造られたあとの第2期から河内土器が纏向に現れてくるのだ。しかも、播磨、紀伊の土器も現れてくる。
第1期には丹後の顔色をうかがって纏向連合に参加するのをためらっていた河内など大阪湾勢力が、纏向連合の威勢をみて丹後を裏切ったことが推測される。
このようにみると、纏向連合の結成は何を目的としていた組織か、自ずから明らかになるということだな。

903日本@名無史さん2019/11/09(土) 18:35:38.10
>>902
>このようにみると、纏向連合の結成は何を目的としていた組織か、自ずから明らかになるということだな。

「忌部はん」 が古墳造営に集まっただけだよ。  なにをごちゃごちゃ言ってんの?  わははははは   @阿波

904日本@名無史さん2019/11/09(土) 18:36:02.88
>>902
>大和の近隣であるにもかかわらず、河内土器の出土がまったくないというのは、かなり微妙な問題だ。

九州説はデマが好き

905日本@名無史さん2019/11/09(土) 18:50:48.41
畿内説宣伝部も懲りないよな
まだあからさまなプロパガンダが通じると思ってんだから

906日本@名無史さん2019/11/09(土) 18:53:30.99
>>905
九州説も似たり寄ったりだよ。  目糞鼻糞を笑うだ。  わははははは   @阿波

907日本@名無史さん2019/11/09(土) 18:56:29.50
>>905
漠然と悪口いうだけて
具体的な指摘のできない九州説

それは、ゴミ

908日本@名無史さん2019/11/09(土) 18:57:30.17
>>886
八咫の鏡を含む三種の神器と含まない三種の神器という序列があるではないか。

909日本@名無史さん2019/11/09(土) 18:58:56.19
>>908
誰にも確認できない差異は
存在しないと同じ

910日本@名無史さん2019/11/09(土) 19:08:38.21
>>909
>八咫の鏡を含む三種の神器と含まない三種の神器という序列があるではないか。

誰にでもよくわかる明らかな差があるから
平原を頂点とする序列が存在したのだな

911日本@名無史さん2019/11/09(土) 19:09:12.07
>>496
>>(平原)200年頃という数字の根拠もない。<

>さすがにウソつきすぎでは?
公式調査報告書に書いてあるのに <

公式調査報告書という事は、文部省管轄組織の、
地方公共団体の教育委員会や、大学や、公的研究所などの報告なんだろうが、
いずれも、「南→東」などの嘘付き騙しの犯罪者的な組織であり、
信頼性が全くない。

912日本@名無史さん2019/11/09(土) 19:10:27.98
>>905
沈みつつつーかもう沈んでる泥船からみんな逃げ始めてるからあとは自然蒸発するんじゃね?
どうやら日本の国体を揺るがすものでもなさそうだし

913日本@名無史さん2019/11/09(土) 19:12:10.54
>>902
神武vsナガスネヒコとニギハヤヒの一件から、
河内はナガスネヒコとニギハヤヒの領土なんでしょ?

じゃあ纏向はその敵側だから、
ナガスネヒコとニギハヤヒに対して敵対していた勢力の領土だった

914日本@名無史さん2019/11/09(土) 19:15:09.65
纏向遺跡から海外土器が出ないし、
纏向遺跡から西隣りの河内産土器が出ないのなら、
海外とは没交渉だったのだな

出土したものからは、
大型建物だけポツンと建っていて、
ごくごくわずかな住民が桃や蛙とたわむれながら奈良湖のほとりで平和に暮らしていたのだろう

915日本@名無史さん2019/11/09(土) 19:15:29.07
>>909

世界最大の銅鏡は遠目にも区別がつく。

916日本@名無史さん2019/11/09(土) 19:17:18.05
今回の儀式でも銅鏡だけ衆目の前に出されなかったな。。。
その大きさだけで何かがわかってしまうのかな。。。

917日本@名無史さん2019/11/09(土) 19:21:56.62
>>910
>誰にでもよくわかる明らかな差があるから
>平原を頂点とする序列が存在したのだな

序列じゃないんだよ
ダメ
異常な単独突出は序列を作れない
1とゼロだけというのは
序列じゃない

918日本@名無史さん2019/11/09(土) 19:22:10.52
纏向遺跡からろくな証拠が出てこないのに纏向を邪馬台国の王都と主張するのは無理やりすぎる

919日本@名無史さん2019/11/09(土) 19:25:41.44
>>917
キナイコシの悲鳴が心地よいw

大型内行花文鏡は序列があるだろう?
平原の超大型を頂点としてさ

920日本@名無史さん2019/11/09(土) 19:27:03.71
纒向宮とか主張するならまだしも
三種の神器を罵倒する始末
反日キナイコシ
トホホw

921日本@名無史さん2019/11/09(土) 19:27:07.76
>>917
>異常な単独突出は序列を作れない

意味がわからない。
倭王は他の王族より傑出していなければならぬ。
まして大乱を治めるためには、誰の目にも明らかな優位性が必要だ。
それが平原の超大型内行花文鏡だ。
諦めろ。
お前の詭弁にはもう誰も引っかからない。

922日本@名無史さん2019/11/09(土) 19:29:33.80
>>919
ということは「八咫の鏡」だというのは諦めるんだな?

923日本@名無史さん2019/11/09(土) 19:30:12.05
みんなが三種の神器を持っていたらおかしいと言い、
平原遺跡の卑弥呼が八咫鏡をもって突出していたらおかしいと言い、

キナイコシの泥船はもう沈んでいる

924日本@名無史さん2019/11/09(土) 19:30:58.78
>>922
キナイコシの悲鳴が心地よいw

大型内行花文鏡は序列があるだろう?
平原の超大型「八咫の鏡」を頂点としてさ

925日本@名無史さん2019/11/09(土) 19:33:07.07
平原の八咫の鏡は卑弥呼の三種の神器に相応しい。
平原の年代はまさに卑弥呼の治世だから、考古学的にも間違いない。

926日本@名無史さん2019/11/09(土) 19:33:40.39
>>921
秩序が理解できないの?
秩序を構築できないってことは
倭王じゃないってことだ

九州説あきらめろ

927日本@名無史さん2019/11/09(土) 19:34:57.58
>>926
平原の超大型「八咫の鏡」を頂点とする秩序が構築されている

928日本@名無史さん2019/11/09(土) 19:35:15.74
三種の神器を罵倒するキナイコシってあれだろ

日本国民が全員、雨があがって虹がかかったことに感動している中で、

突風で旗が落ちたとか必死で報道www

929日本@名無史さん2019/11/09(土) 19:36:33.14
>>926
よかったねw
狗邪韓国を平原女王の卑弥呼様に支配していただいてw

930日本@名無史さん2019/11/09(土) 19:37:02.23
>>455
>倭国最大の墳丘墓が並んでいる場所は、間違いなく権力中枢の所在地だ <

大和は×だ。
「南≠東」だし、
大和は、九州倭國の「東征毛人五十五國」の中の一国であり、
東征将軍らが征服支配した国であり、旧小国の附庸國だ。

931日本@名無史さん2019/11/09(土) 19:37:54.31
平原から出た鏡が「八咫の鏡t」だって論証できない時点で九州説は、もう負けている

932日本@名無史さん2019/11/09(土) 19:38:32.78
>>927
どこに、どうやって?

933日本@名無史さん2019/11/09(土) 19:38:44.10
「八咫の鏡t」

キナイコシw

934日本@名無史さん2019/11/09(土) 19:43:18.10
>>462
>畿内から丹後半島に向かって、灰色の網掛けの分布が伸びているだろ?
そのルートが、南陸行一月のルートだよ・・・
魏志倭人伝の行程が考古遺物で直接確認できる部分だ<

「南≠東北」だから、×だ。

935日本@名無史さん2019/11/09(土) 19:49:51.38
>>931

径2尺周8咫の鏡だから「八咫鏡」
これほどわかりやすい説明があるだろうか。

936日本@名無史さん2019/11/09(土) 19:53:51.55
>>465
>共同体を共同体たらしめるものが必要で、祭政一致の時代に各地で行われる前首長の葬送と
新首長のお披露目が行われる祭祀の形式が統一されることは、共同体意識の醸成に有効なのは
考える脳みそがあればすぐに分かるだろうに<

大和においては、九州倭國の「東征毛人五十五國」があって、
東征将軍が、在地の住民を墓守り人にして、巨大墓祭祀造りを強制した、
という事は、考える脳みそがあればすぐに分かるだろうに

>これが、卑弥呼の共立を気に行われたと言うのが畿内説のベースライン
ここに、卑弥呼の遣使の跡には魏皇帝から下賜された卑弥呼の鏡・三角縁神獣鏡を
分有することが共同体のメンバーである証になる時代が来る <

畿内なんて存在もしなかった嘘つき騙し文言であるから、×であるし、
「南≠東」に拠って、「卑弥呼は大和」説は×であるし、
列島の△は、明帝鏡ではなく、渡来の呉系楽浪鏡師らの関与鏡であるから、×。

937日本@名無史さん2019/11/09(土) 19:59:19.00
>>466
>>(通説大和説学者の平原200年頃説)200年頃も240年頃も、
大して条件は変わらないよ。<

>200年頃は卑弥呼が生きているから、卑弥呼の墓のはずがないww <

通説の200年頃説が間違い。21枚の「尚方作」鏡があるから、
明帝の下賜鏡が元になった鏡であり、248年以後。
こういうご都合主義のごまかしが大和説のベースライン(基本線)

938日本@名無史さん2019/11/09(土) 20:01:14.42
そもそも祭政一致という物事の祭は、暦や農業と関係することで、墓や葬儀とは無関係なのではないのかな、、

939日本@名無史さん2019/11/09(土) 20:02:48.37
>>935
>径2尺周8咫の鏡だから「八咫鏡」
>これほどわかりやすい説明があるだろうか。

つまり平原で出たのは八咫の鏡じゃない
という証明だな

九州説また死んだ

940日本@名無史さん2019/11/09(土) 20:03:29.70
今夜も、破綻した邪馬台国畿内説を宣伝する朝鮮人の奥山氏が、完全に論破されてしまっているな。

941日本@名無史さん2019/11/09(土) 20:06:00.39
訓読みを知らない朝鮮人の奥山氏は、平原をヘイゲンと読んでいたのだったね。。。

942日本@名無史さん2019/11/09(土) 20:06:26.96
>>472
>低脳だよなw 理由も説明もなく 他人の文書に勝手に番号だけふっただけ
無能というか 明らかにパーだろ?<

「南→東北」などという明らかな嘘つき騙しをしたスレ主(=類スレ主?)は、
無能というよりも、明らかに・・・・パーだろ?。

943日本@名無史さん2019/11/09(土) 20:07:44.63
>>935
>径2尺周8咫の鏡だから「八咫鏡」

「径2尺周8咫の鏡」がウソだって
証明されてるんだよな

詐欺師の末路

944日本@名無史さん2019/11/09(土) 20:08:07.66
奥山氏、、、
そろそろ、次回のスレッドを作成して下さい。

945日本@名無史さん2019/11/09(土) 20:08:17.56
>>939
>つまり平原で出たのは八咫の鏡じゃない
という根拠は?

946日本@名無史さん2019/11/09(土) 20:09:46.66
>>944
5ちゃんねるのスレッドは、誰が作成しても良いのではないのかな。。。

947日本@名無史さん2019/11/09(土) 20:10:39.65
>>475
つまり、スレ主(=類スレ主)や大和説者は、日本史と言う人文科学において、
「南→東」などの史料事実の否定曲解の嘘つき騙しをしているから、
「嘘つき騙し思想」を成否の判断材料にするんだな?

だから、科学的な論証に必要な具体的な根拠を無視する訳だ

科学板に出入りする必要ないんじゃないか? 

948日本@名無史さん2019/11/09(土) 20:10:43.64
>>943
もう血圧上げて叫ばなくてもいいんだよw
みんな君のことはよくわかってるからw

949日本@名無史さん2019/11/09(土) 20:10:49.16
八咫の鏡は、国産の鏡である可能性が高いのだったな、、、

950日本@名無史さん2019/11/09(土) 20:11:25.78
950

951日本@名無史さん2019/11/09(土) 20:12:24.76
>>949
八幡で作られた可能性が高いのだったな、、、

952日本@名無史さん2019/11/09(土) 20:13:10.31
そもそも祭政一致という物事の祭は、暦や農業と関係することで、墓や葬儀とは無関係なのではないのかな、、

953日本@名無史さん2019/11/09(土) 20:16:17.10
>>476
>出現期の古墳の多くが前方後円墳もしくは前方後方墳で、長い木棺を竪穴式石室に収めた埋葬施設や、
多数の銅鏡をはじめとする呪術的な副葬品をもつなど、画一的な特徴をもっていた
この事実から学者たちは
古墳が各地の首長たちの共通の意識のもとにつくり出された墓制で、
その背景には古墳の出現に先だって広域の政治連合が形成されていたと考え
それが教科書に載るような定説になった これが現実だ <

史料実態は、「南≠東」であり、倭国は「正北抵新羅」に拠って北部九州だり、
「東征毛人五十五國」があった、などと云う事だ。
それが史料事実や史料実態の現実だ。

954日本@名無史さん2019/11/09(土) 20:21:13.22
アール・アントワン・ボイキンス氏は、引退したのだろうか、、、

955日本@名無史さん2019/11/09(土) 20:22:11.25
奥山氏、、、
そろそろ、次回のスレッドを作成して下さい。

956日本@名無史さん2019/11/09(土) 20:24:31.14
>>477
>共立に参加した地域の首長が死なないと前方後円墳は作られない
那珂八幡古墳がかなり早い時期に作られているのは、奴国が前方後円墳体制に
参加するのが単に早かったというだけではなく、<

ダメだ。奴國は、那珂八幡のある弥生銀座にあったのではなく、
伊都国の東南百里で至るんだから、日向峠の西麓平野部から早良平野地域だ。

>卑弥呼の共立に関わった奴国首長が
よそよりも早くに死んだということを意味している <

那珂八幡は、266年遣使をした壹與の平原よりも後になるから、
3世紀後半半ば過ぎだ。

957日本@名無史さん2019/11/09(土) 20:33:20.66
奥山氏、、、
そろそろ、次回のスレッドを作成して下さい。

958日本@名無史さん2019/11/09(土) 20:33:57.26
毎回毎回誰も読まないテンプレいらないよ
変更点がないなら、前スレ参照でリンク貼っとけばいいから

959日本@名無史さん2019/11/09(土) 20:34:13.50
>>957
5ちゃんねるのスレッドは、誰が作成しても良いのではないのかな。。

960日本@名無史さん2019/11/09(土) 20:34:43.58
960

961日本@名無史さん2019/11/09(土) 20:36:07.44
訓読みを知らない朝鮮人の奥山氏は、福岡県の平原をヘイゲンと読んでいたのだったね。。。

962日本@名無史さん2019/11/09(土) 20:36:57.17
>>478
>>200年頃という数字の根拠もない。<

>平原1号墓と周溝を共有する(同時に作られたと考えられる)2号墓の
周溝から出た土器の編年を一つの基準<

土器編年は、土器に年号が記載されていない限り、絶対年代の断定根拠にはならず、
相対的編年推定にしかならず、しかも長期使用や並行使用など幾らでも有り得、
しかも2号の周溝では、平原1号墳の年代根拠には殆どならない。

>北部九州の土器編年がその推定の根拠だから、それを否定するなら
北部九州の年代観には一切の根拠がなくなることになる <

卑弥呼の冢の祇園山や、平原の21枚の「尚方作」鏡などが、
ほぼ絶対的年代根拠になる。

963日本@名無史さん2019/11/09(土) 20:41:34.18
2ちゃんねるは、まだ、続行中なのだな、、、
このちゃんねるは、なぜ、2ちゃんねるではなくなってしまい、5ちゃんねるに変換されたのだろうか、、、
5ちゃんねると2ちゃんねるの関係性は、どのような関係性なのだろうか、、

964日本@名無史さん2019/11/09(土) 20:42:03.39
>>484
>(那珂八幡)それでも問題ない
庄内式を使い首長の葬礼祭祀をする畿内系コミュニティの一員だからな
初代一大率かも知れんぞ <

畿内なんて存在もしなかった嘘つき騙し文言であるし、
「南→東」などに拠って、「畿内系コミュニティの一員」なんて事にはならず、×。

965日本@名無史さん2019/11/09(土) 20:42:05.09
そもそも祭政一致という物事の祭は、暦や農業と関係することで、墓や葬儀とは無関係なのではないのかな、、

966日本@名無史さん2019/11/09(土) 20:45:23.71
新しいスレッドが作成されたので、紹介します。
http://2chb.net/r/history/1573299840/l50

967日本@名無史さん2019/11/09(土) 20:52:38.36
>>485
>北部九州にがっつり畿内からの影響が3世紀時点ではっきりしていて、<

畿内なんて存在もしなかった嘘つき騙し文言であるし、
それまで河内止まりであった北部九州の「東征毛人五十五國」の影響が、
3世紀後半半ば過ぎから、大和に始まった。

>考古学的に奴国は畿内の傘下・協力者の位置にある<

考古学的にも、阿毎氏の伊都国や、弥生銀座の那珂八幡などが、
傘下の大和への文化伝播の位置にいた。
しかし魏使は、邪馬壹國女王之所都まで来ているのに、大和の事を知らなかった。

968日本@名無史さん2019/11/09(土) 20:56:58.96
オーマイゴッド、、、

969日本@名無史さん2019/11/09(土) 21:07:34.54
真実を発表します、、、
掘立柱は、大物主神の倉庫です。魏志倭人伝時代の直ぐ後に建てられました。
その後、大物主神は、倭国に滅ぼされました。
巻向の北西の3つの古墳は、大物主神や大物主神の家族の怨恨が充満した魂が封印されました、、、
倭国に任命された、鎮魂係が天皇家の祖先です。
巻向は、都ではありません。

970日本@名無史さん2019/11/09(土) 21:08:21.90
970

971日本@名無史さん2019/11/09(土) 21:09:27.12
>>490
>祭祀連合を形成する、以外の理由で先祖伝来の墓制を変える理由を
>>430は説明できるのか?
国中の労力をつぎ込んで作る大墳丘墓を、祖先とは違う形式で
作り上げることになった理由を、>>430はどのように説明するつもりだ?<

大和においては、九州倭國の東征毛人五十五國があって、
在地の毛人や出雲系銅鐸祭祀部族が、東征軍に墓守り人にさせられて、
墓祭祀の変更が起こった。

>畿内説では、卑弥呼の共立に伴い共同体化する集団が、その共同体の
メンバーであることを示す目的で共通の墳墓形式に移行した、と説明する<

大和は、倭奴國や伊都国の阿毎氏からの別種であり、
卑弥呼は阿毎氏とは直接的な関係がなく、以前に合同時期があった、というだけであり、
だから、卑弥呼の祭祀とは直接的な関係がない。

972日本@名無史さん2019/11/09(土) 21:10:39.45
頭が悪いプロ固定は、次回のスレッドを作成しなさい。
命令です。

973日本@名無史さん2019/11/09(土) 21:11:14.81
オーマイゴッド、、、

974日本@名無史さん2019/11/09(土) 21:12:47.50
>>493
>那珂八幡はそれまで在来系が住んでいて急速に畿内系ばかりになった地域に築かれた
どういう人の古墳か、わかりますね? <

大和の庄内も布留もまだ殆ど入って来ておらず、
「畿内系ばかり」になっていないから、×。

975日本@名無史さん2019/11/09(土) 21:13:52.47
生口によって築かれたのかあ

976日本@名無史さん2019/11/09(土) 21:15:39.16
北部九州で甕棺に入れてるのは朝鮮の剣や中国の鏡だから
日本の神話に基づいたものじゃないよ

977日本@名無史さん2019/11/09(土) 21:15:59.10
頭が悪いプロ固定は、次回のスレッドを作成しなさい。
命令です。

978日本@名無史さん2019/11/09(土) 21:16:40.11
朝鮮の剣や中国の鏡だと日本の神話に基づかないという根拠は?

979日本@名無史さん2019/11/09(土) 21:17:14.71
>>496
>>畿内の古墳で九州由来の物が何か出土したっけ?
九州倭国は他人だから何も贈らなかったのかな?<

>そのころもう北部九州の有力首長は畿内系か、
畿内系と婚姻を結んだ身内だったんじゃなくて?<

逆だ。東征毛人五十五國で征服された大和は、
九州倭国の将軍らに支配され、おそらく血縁にもなった。

980日本@名無史さん2019/11/09(土) 21:17:57.62
驚いたな、、
アール・アントワン・ボイキンス氏は、四十代なのだな、、、

981日本@名無史さん2019/11/09(土) 21:20:37.09
毛人と血縁にはならん

982日本@名無史さん2019/11/09(土) 21:20:37.29
>>504
史料事実やや史料実態や、他人の言うことは理解できない
自分の考えたことは説明できない
「南→東」などの嘘付き騙しをする、
それが大和説の知能

983日本@名無史さん2019/11/09(土) 21:21:51.57
>>978

朝鮮の剣や中国の鏡を甕棺墓集団が墓に入れる前に
出雲で出た剣や日本で作った鏡の神話が存在していなければならない

984日本@名無史さん2019/11/09(土) 21:24:56.83
>>983
>朝鮮の剣や中国の鏡を甕棺墓集団が墓に入れる前に
>出雲で出た剣や日本で作った鏡の神話が存在していなければならない

その根拠は?

985日本@名無史さん2019/11/09(土) 21:25:53.60
>>517
「南→東」などの嘘付き騙しがバレた大和説が、また思考停止した
敗者は大変だな
哀しいな

986日本@名無史さん2019/11/09(土) 21:26:43.90
金印すら記載されていないからな
海外に由来するものは意図的に隠しただけっしょ

987日本@名無史さん2019/11/09(土) 21:27:06.06
>>984

神話がないのに甕棺墓集団が他のものと一緒に墓に入れてるだけなら
神器じゃない

988日本@名無史さん2019/11/09(土) 21:27:09.48
少しでも、このスレッドのレベルを高めるためには、奥山氏の頭の活動を活発化するだけではなく、奥山氏の知識を増大化させれば良いのではないのかな。

989日本@名無史さん2019/11/09(土) 21:30:10.49
>>522
>>その墓に祭られている神器が九州北部の銅鏡に塗り潰されているんだけど。<

>そんな事実はないのだ 単なる文化の伝播だから<

史料事実では、九州倭国の「東征毛人五十五國」という征服があったの。

990日本@名無史さん2019/11/09(土) 21:31:19.09
>>987
その根拠は?

991日本@名無史さん2019/11/09(土) 21:32:38.33
神話がないから神器じゃないなら文献記録が失われたら全て神器じゃなくなるなあ

992日本@名無史さん2019/11/09(土) 21:33:09.59
>>525
>銅鏡は中国伝来ですが、何か?<

△は、渡来の呉系楽浪鏡師らの、列島での製作などでの関与鏡ですが、何か?。

993日本@名無史さん2019/11/09(土) 21:34:16.13
頭が悪いプロ固定は、次回のスレッドを作成しなさい。
命令です。

994日本@名無史さん2019/11/09(土) 21:35:05.89
>>990

根拠は書いた
ど没落した甕棺墓にはいろいろ入れてるから
その中に日本で三種の神器呼んでる剣鏡玉もあるというだけ

995日本@名無史さん2019/11/09(土) 21:35:48.94
討論の内容が、低レベルだな。

996日本@名無史さん2019/11/09(土) 21:36:05.71
甕棺墓が没落した?
どこで?

997日本@名無史さん2019/11/09(土) 21:37:13.63
>>995
邪馬台国畿内説が、完全に破綻したので、仕方ないのではないのかな。。

998日本@名無史さん2019/11/09(土) 21:39:05.31
キナイコシ
三種の神器を罵倒する

999日本@名無史さん2019/11/09(土) 21:39:05.91
>>996

北部九州では宗像に拡散することもなく甕棺墓はど没落して
周溝に埋められる程度になる

1000日本@名無史さん2019/11/09(土) 21:39:24.19
敗者キナイコシ

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