まあ今後狼がどうなるか判らんが避難スレとして立てておく
こっちが本スレになる可能性もあるが
スレタイだが狼のモノをそのまま転用すると「長すぎる」と撥ねられるので
今回のような必要最小限の文言のスレタイとなった
よろしこ
ONE PLUS ONE 江端妃咲×宮本佳林「愛のダイビング」
加入時には気付かなかったんだがこうやってコラボしてるのを見せられると
「ああそういう事だったのか...」と、江端JJ加入に関する糞事務所の狙いに気付く
佳林の後継だったのね
ただなぁ...江端も頑張ってるし決して悪くはないんだが
相手が佳林ではなぁw
結成当時「JJは佳林有りきで結成された佳林のグループ」と言われ
後藤松浦によって興り、真野藤本で潰えたハロソロアイドルの再興に
最も適したスキルパフォーマンスと華を備えた宮本
結局、ソロではなくグループアイドルに収まる形にはなったが
そのエースとしての絶対性は卒するまで健在だった
そして今もその磁力は全く弱まってない
今回のコラボでも圧倒的なのは佳林の声質
声の輪郭が立っててユニゾンにあっても絶対に埋もれる事が無い
このコラボでも「佳林とその他」みたいな感じになってる
佳林、今からでもJJに再加入してくれんかw
>鞘師工藤佐藤の影に隠れて燻ってたイメージしかない
狼に転載するのは別に構わんが、こういったマヌケな意見には失笑しかないな
鞘師工藤佐藤なんてのは、そもそもグループアイドル前提の面々
工藤佐藤なんて話にならんし鞘師とても
ハロをスキル方向へ引っ張った契機になったという意味で
一定の存在感はあるが、ハロのスキル偏重へレールを敷いたという意味で功罪相半ばだろ
高木脱退に寄せて小田が捻った高木擁護のブログはその悪例
ああいった「スキルに長けてれば何しても赦される」という意識は
鞘師を契機としたスキル偏重の"罪"の最たるモノと言える
佳林はそういった連中とは違い、グループアイドル前提ではない希有な素材だった
娘。全盛期なら間違いなくソロアイドルとしてプロデュースされてたろう
知性も教養もない下らないヲタを飼って、江端は気の毒だな
72名無し募集中。。。2022/09/04(日) 03:35:12.25
加賀スレで論破されてて草
加賀卒とそれにまつわる譜久村インスタ垢への凸についての私見を
娘。というグループが何を志向してるのかは、簡単に纏められない
今年になって再開された単コンの現場、娘。アンジュ、JJ、つばきと観て回ったが
どの箱もセンターという概念が消え失せて、正直愕然とした
道重が居た頃は道重の、鞘師が居た頃は鞘師のグループだと思ったものだが
今の娘。は、そういった固有名が見当たらない
そしてそういう現象は娘。のみならず他の箱にも言える
もはやハロプロのグループにセンターやエースは必要とされてない
加賀が抜けようが、譜久村が抜けようが、おそらく娘。は何も変わらないだろう
卒業が前提の娘。というスキームの行き着く果てとはいえ
替えること前提の、メンをパーツと見なしてると感じた時の
絶望感が解るだろうか?
それでも娘。メンは戦わなくてはならない
「パーツと見なせるなら見なしてみろ!」と
「譲らないのかよ...」と恨めしい目つきでブツブツ文句垂れて
譲られるの待ってる老人など捨て置けば良い
ところがラウールってパフォーマンス集団としてのSnow Manの中では
TGCで示したほどのインパクトは無いんだよね
Snow Manもセンターやエースは存在しない
これはハロとは違って個々のパフォーマーとしてのレベルが高すぎて
個に収束しないってことなのね
だからラウールはSnow Manのエースではなく
アイコン(象徴的に視覚化されたモノ)として機能してる
この「エースは存在しないがアイコンは存在させる」という仕掛けは
ハロプロの箱にも援用可能かなと思うわけ
でもコレ、ラウールを探せって話じゃなくて
楽曲ごとにセンターやアイコンを設定して箱のイメージを
固定させないって戦術ね
つばき楽曲で挙げれば
「デートの日は二度くらいシャワーして出かけたい」の小片が近い
後半に顔を出すakさんが余計なんだがなアレ
まあ今宵はこんな感じでw
Snow Man公式の「Secret Touch」ライヴ映像を見つつ
ちょっとココ↓は違うかなと訂正
=
でもコレ、ラウールを探せって話じゃなくて
楽曲ごとにセンターやアイコンを設定して箱のイメージを
固定させないって戦術ね
=
ハロプロの場合はSnow Manのように
アイコン(ラウール)を固定したまま対置出来るほどの
箱のパフォーマンス力は期待出来ないので
楽曲ごとにセンターを設定すると同時にリセットするって戦術
さすがにSnow Manの戦術をそのまま持っては来れん
音域的に歌えない楽曲をノーチェックでつばきメンに歌わせる
糞事務所の大人の意識の低さ共々、ほぼ全ての要素でジャニに劣るわけだから
寺田の存在くらいか、ジャニに対置出来るのは
昨夜から、ヤマモトショウの「わたしの一番かわいいところ」を
リピートしながら寺田楽曲で一番近いと思う「ピョコトラ」と比較してる
「ピョコトラ」はレゲエからドラムンへ至る音的ギミックが秀逸で
この楽曲を単なるカワイイ楽曲ではなく
編曲したヒラショーのスキルフルさを強く印象付ける
しかし、このハロプロ(ヒラショー)の音楽的スキルフルさ
そしてハロメンの歌唱やダンスの巧みさ(=スキル)をウリにする
スキル原理主義な今のハロプロのネガな流れを浮き彫りにしてるとも感じる
ヒラショーはハロ編曲陣の中でも1番の安定感と
ポップな感性で楽曲を綺麗にデコる達人だとオレは思うし
「ピョコトラ」も名曲だと思う
だが今後もハロプロはスキル偏重の流れで押し通って良いのだろうか?
その疑問に前述のヤマモトショウの「わたしの一番かわいいところ」を
対置してみる
「わたしの一番かわいいところ」は、洗練とは無縁の
地下臭、言い換えれば素人臭さが漂う楽曲だ(失礼)
でもその事が「カワイイさえ伝われば他は伝わらなくても良い」という
ヤマモトの楽曲創作に対する潔さを感じさせる
この潔さが、今のオレには眩しい
カワイイを全面に押して出して娘。の、あるいはハロプロの
スキル偏重の流れを一度切断してみてはどうか?
スキルという概念は、どうしても修練臭さが漂う
その事が星部の「アイドル天職音頭」のような
アイドルを一種の職業とみなす仕事臭さ全開のダサい楽曲を生むことに繋がる
コレは、ほんとヤバい
アイドルを職業と見做す感性とかホント終わってる
「アイドル天職音頭」を可とした糞事務所の大人の感性も終わってる
今ハロプロが表現すべき「カワイイ」を思考し
「アイドルを職業だ」と開き直る感性から
そして、スキル原理主義な檻にハロメンを閉じ込めるんじゃなく
もっと表現的な自由を志向して欲しい
またオーディションやるようだが
ハロメンだけじゃなく作家陣も新しい血を入れて欲しい
新しくハロメン入れたとて語る物語が同じなら何も変わらないから
「萌えた...そう、この二人っすよ」
さおりん良いっすね
まおぴんの対義語は、やはりさおりんだ
二人が寄り添うとまるで補色関係の色が隣り合うように
互いが引き立つ
今のスキルメンの多いハロプロでは
カワイイキャラで押すタイプは圧倒的少数派だが
つばきには幸運なことに、さおりんが居る
スキルメンとカワイイメンを隣り合わせてセットでセンターに置きつつ
「ね〜え?」的なあざとい物語(楽曲)を語らせて(歌わせて)新風を吹かせる
今後のつばきに期待したい
まあオレの勝手な願望だがw