昔走っていた北関東(群馬、栃木、茨城)の路線バスについて語るスレです。
なお、東武バス、JRバス関東については専用のスレがありますのでそちらをお使いください。
扱う範囲は
茨城
・関東鉄道
・茨城交通
・日立電鉄交通サービス
・大利根交通自動車
・朝日自動車
・茨城急行自動車
・椎名観光
栃木
・関東自動車
・東野交通
・東武ダイヤルバス
群馬
・関越交通
・群馬バス
・群馬中央バス
・日本中央バス
・上信バス
・国際十王バス
・上毛電鉄バス
かな。
東武でもグループ子会社に分離したバス会社はOKってことで。
水戸駅〜日立駅
茨城交通と日立電鉄の共同運行
日立電鉄はよく貸切格下げが入っていた。水戸22あ・161とか。
>>5
茨城観光自動車も忘れんなよ。
群中なら、最近までCJMがいたな。 鹿島臨海鉄道開通前は水戸〜鹿島の急行バスが走っていた。
今じゃその鹿島も高速バスメインで一般路線はほとんど廃止されてしまった。
群中に最近までいたのはブルな。
しかも巻き取り式の運賃表で車内だけ昭和に戻った感があったよ。
ちゃんと適合ステッカーもあって本庄乗り入れもしていた。
東武バスが撤退したエリアは軒並み不便になっちまったな。
特に茨城栃木群馬の一部はグループ外会社が代替路線を運行したが、それもほとんど廃止されてしまった。
こうみると、東武バスの威力は凄かったんだな。
昭和40年代に宇都宮に住んでいたが、年に一回くらい新聞折り込みで、電車、バス時刻表が入っていたな
国鉄バスと東武バスは固まって行き先がならび、東野バスや関東自動車は行き先別だった。
あれ誰か持っている人がいないかな?
茨城も路線バスのダイヤ改正があるとその地域の主要停留所発着の時刻表が入ってきていた。
平成の頭頃まで。
>>7
貸切格下げ車は笠間出張所の東武バスもそうだったな。
土浦22あ・804の車
あと、茨交にも貸切格下げ車はいた。
茨城交通の特集本に貸切格下げ車の写真が掲載されている。
後扉を無理矢理付けた感じがなんかイイ >>11
水戸〜笠間線も茨城交通に移管して程なくして廃止されてしまった。
>>15
茨交の貸切格下車は太田行きとか大宮行きの長距離系統によくあてられてたね。
茨交に限らず、北関東の事業者の多くは80年代中期に貸切→路線転用が多く見られた。
当時は中古バスってのはほぼ皆無の時代だったから。 >>17
水戸〜笠間の杉崎より西は元々乗りそうもない区間だからね。
移管された時点で笠間からは水戸直通2往復と杉崎折り返しが数往復しか残らなかった。
茨交の格下げ車はほとんどが浜田の配置で、最末期に改造された4台が半分ずつ太田と大宮に配置。
ただ、浜田所属の太田馬場常駐があって、ほとんどが格下げ車になった。御前山も同じく。
この時代、中古導入とかというよりもスケルトンバスの登場で商品価値が急速になくなったモノコックの活用法だったのかと思う。そのあとの世代のパノラマデッカも路線車に改造される噂までは聞いたけど、結局西武中古が入ってパノラマデッカは改造されずに廃車された。 今年で
茨→水戸、土浦ナンバーになって35年
栃→栃木ナンバーになって25年
群→群馬ナンバーになって25年
か。
東武バスの撤退は、凄い勢いだったよな。
我が栃木県で、小山市・栃木市なんて東武バスの系統がいっぱいあったのに、末期は栃木大町〜小山駅・小山駅〜間々田駅・小山駅〜小山ゆうえんち・小山駅〜結城駅だけになってた気が。
あと、小山駅〜富士通が、平日のみあったかな。
最後は、小山駅〜結城駅が2往復だけ細々と走ってて消えた気がします。
全盛期は、藤岡町や大平町、葛生町、足利市辺りは、東武バス見ない事ないぐらい走ってたんだけどね。
栃木大町〜古河駅なんて系統もあったと、母が言ってた。
現在運行されてる栃木市営ふれあいバス部屋線は、一部の区間は東武バスの復活路線となっていて、約50年ぶりにバスが復活したと沿線住民が喜んだ。
>>18-19
まぁな。杉崎から先、笠間の市街地付近までは住宅もほとんどない区間を走っていたからなぁ。
東武時代も笠間→水戸→杉崎(飯島)→水戸→笠間って形で運用していた。
昔の笠間も友部〜笠間〜茂木(友部発着は朝夕のみ)の長距離路線とかあって結構賑わってたんだが。
茨交に西武の中古が入ったのは89年頃で、3Eの1272が最初のグループのはず。
関鉄はそれから程なくして神奈中のブルが水戸に3台入った。
>茨→水戸、土浦ナンバーになって35年
茨ナンバーも70年に茨2から茨22になってから約8年で1900番台半ばあたりまでは進んでたな。
上記の中古車が入った頃もまだそこそこ茨ナンバーのバスが残っていた。 茨交には茨22ナンバーの旧塗装RE(RC?)があったな
>>21
靭帯呼ぶな馬鹿 >>20
小山〜栃木線は関自に移管されたな。その後廃止。
関自も10年くらい前までは茨城乗り入れ路線もあったんだが。
>>22
中古が入るようになった89年頃はもう貸切の余剰車はほとんど高速バスに転用されてた。
前年の88年には高速バス「みと号」が開業している。
貸切落としだからトイレが無いので「みと号」初期は守谷でトイレ休憩取っていた。
>>23
旧塗装は水戸22あ・600番台半ばあたりまではいた。
492とかスケルトンの600は新製配置時は旧塗装。車体更新時に現塗装に変更。 >>24 関東自に移管された時には、栃木駅〜小山駅になっちゃってたよね。
その後、小山駅〜卒島になって廃止された。
小山駅〜間々田線が走ってた頃の東武バスは、立木車庫があったんだよな。
末期は、ほとんど使用されてなかったが。
10年前の関東自の茨城乗り入れ路線て、小山駅西口〜作ノ谷フォークって路線ですか?
あれが無くなって、10年になりますか。
早いですね。
作ノ谷フォークって、末期は小山駅東口から出てたんでしたっけ? >>25
作の谷フォーク線は末期は県境手前止まりになったはず。
結城も昔は東武、関鉄と走っていたが。どちらも廃止された。 >>25
横倉新田に短縮されてから東口発着。
小山の大粛清からもう5年か。 >>22
関鉄の川重初期CCM410の社番0932が茨22あ1915。
BUの社番0958が水戸22あ・・11
この間に茨→水戸ナンバーに変わった。
水戸ナンバーの1番は日立電鉄が取得。 >>24
最初の高速バスはよく貸切落ちでそんなに年数が経ってない車が使われましたね。
関鉄では最初の高速用新車はつくば号用の1430YT、1431YTで、みと号用の最初の高速新車は1456MT。
茨交も最初の高速用の新車は元年式の1264だった。 関自も茨城に乗り入れてたが、東野も大昔は茨城乗り入れしていたよ。
>>29
関鉄の1430は晩年はみと号の予備車で水戸にいたな。 >>26
>>27
そうでしたね、末期は作の谷まで行かないで横倉新田行きに短縮されて、小山駅東口発着だったんですよね。
関東自が、小山を一気に粛清したのは5年も前になりますか。
まだ最近に思えました。
>>30 関東自より、東野のほうが茨城には多く乗り入れてましたね。
全盛期には、笠間・塩子・岩瀬に車庫あったし。
平成元年、岩瀬車庫が撤退して、東野の乗合車庫は茨城から全滅。
路線は、平成4年に宇都宮〜下館線が廃止になって、東野の路線は茨城から撤退。 30年くらい前までは前橋〜水戸と路線バスだけで北関東横断できた。
今じゃ群馬〜栃木は繋がらないし、栃木〜茨城も高部を回らないと繋がらない。
>>31
岩瀬は県道41号経由でしたね。 >>28
関鉄の場合、いすゞ車は大型(BU)は川重、富士。
中型(CCM)は川重、北村が多かったですね。
個人的にはBUは富士重派、CCMは川重派でした。
日野は鹿島、波崎に多く配置されていた。
今は亡き玉造駅には全盛期の頃の関東鉄道のバス路線図があった。 >>11
東武バスの場合、朝夕は通勤通学客がそこそこ乗っていた路線ですら営業所、出張所の撤退の煽りを受けて廃止しちゃったんだから。
それで、東武1社独占だった館林市なんかは撤退したときにバスのない市ということでニュースにも取り上げられてしまった。
群馬南部、埼玉北部、茨城西部の一部でグループ子会社が代替運行に移管できたところはそれなりにまだ残っている。 >>28
>>33
>今は亡き玉造駅には全盛期の頃の関東鉄道のバス路線図があった。
玉造町駅の路線図ですが、常磐線より東側の路線が中心ですね。
鹿島鉄道廃止前に撮った写真が手元にありますが、この時の営業所は、
水戸、奥ノ谷、鉾田、石岡、田伏、土浦、竜ヶ崎、江戸崎、玉造、潮来、鹿島、佐原、波崎とあったようです。
路線図に鹿島線、臨海鉄道線が無いから、少なくとも1970年以前のもののようです。
つくば方面もセンターができる前ですから路線も現在と比べてかなり変わっていそうですね。 12年前迄は竜ヶ崎駅前から美浦、土浦、牛久、布佐、突合とバスが頻発に出ていたな。
>>28
土浦の1番は国鉄。JRバス関東に引き継がれたから覚えている人も多いのでは。
BU04なのにCJMみたいなフロントマスクだった。 >>35
つくばセンター乗り入れ開始は1975年9月だった。
センター広場やセンタービルは後に超電子バイオマンのOPEDにも映っていたな。
>>36
茨観廃業直前だね。
その後2003年の関鉄ダイヤ大改正で取手〜江戸崎直通便が廃止されて竜ヶ崎分断。
その後千葉交通の突合乗り入れ廃止に連鎖されるかのように突合行き廃止。そして布佐線も廃止。
たった10年でここまで竜ヶ崎が落ちるとは当時思ってもいなかった。 土浦は茨観や日本観光や土浦支店によく撮影にお邪魔しました。日本観光は大利根からの中古もいましたね。
>>39
日観は石岡にも乗り入れしていた。
80年代前半は石岡も関鉄の他、オート、JRも乗り入れしていた。
日観も日水観も末期は中型か北村のMRくらいしか残ってなかったが、80年代前半は大型も在籍していた。 >>36
竜ヶ崎は土浦、牛久、美浦方面が茨城観光、布佐、突合は関東鉄道でしたね。
ニュータウン線は共同運行でした。
茨観廃業時に土浦、牛久線は廃止。美浦方面はJRバスがその後代替運行したがそれも3年前に廃止された。
>>38
10系統の開業が1975年9月16日で、つくばセンターバスターミナル乗り入れは1985年3月14日です。
それまではセンタービル前が乗降場でした。
この乗り入れ時に新車のBU10が3台納車され、社番0817、0818が土浦(川重)、0819が谷田部(現、つくば中央 富士)に納車されました。 >>40 水郷観光と言えば某所に保管?放置?されてる三菱MRがいたね。関東地方でも最後のMRだったのでは >>42
MRはローカル線用のマイクロで関鉄最後は神栖のタウンストリーム号のはず。
保管されてるのは大型車。 >>30
東野は福島にも乗り入れしていたから、栃木から白河の関超えて東北入りも可能だった。
05年春に茨交の太田〜東館線廃止で関東から直接東北地方に乗り入れはできなくなった。
その数年前に福島宮城間も廃止されてるから、事実上、東京から路線バスだけで青森まで行くには2箇所断絶区間がある。 東北急行バスだって一般道を延々と走っていたわけだから
このスレに適するよな。クローズドドアじゃなかったし。
それはそうと福島交通圏内に他県のバスが入らなくなったのは
小針氏の鎖国主義になるだろう。
東野が福島に乗り入れていたのは自身が那須ロイヤルに乗り入れたいから
わりと長く残っていた。
宮城交通とケンカ別れしたのは阿武隈急行に関しての問題だったような。
>>45
常磐急行バスってのもあった。
常磐道開通前に日立から新橋まで結んでいた。
>>46
ああ、そっちか。スマン >>48
尾瀬沼徒歩連絡はダメ?w
苗場なら、大昔に東武バスが渋川あたりから出していたようだけどね。 03年以前に廃止された関東鉄道バスの路線
取手駅〜筑波駅
取手駅〜水戸駅(急行)
取手駅〜藤代〜牛久〜土浦駅
水海道〜大塚〜沓掛
勘助〜沓掛
水海道〜ロンド前〜岩井
水海道〜金村〜上郷
水海道〜花島〜沓掛
水海道〜菅原局前〜大和田橋
石下〜石下西中〜沓掛〜岩井
古河〜下妻駅(旧東武路線)
下妻駅〜黒子十字路〜下館駅
筑波駅〜洞下〜下妻駅
土浦駅〜国分町(旧道)〜霞ヶ丘〜土浦駅(市内循環線)
土浦駅〜殿里〜下坂田
土浦駅〜阿見坂下〜下小池〜岡見〜牛久駅西口
竜ヶ崎駅〜神崎駅
竜ヶ崎駅〜牛久西口〜土浦駅
竜ヶ崎駅〜大房〜布佐駅
江戸崎〜平川〜竜ヶ崎〜取手
石岡〜茨城石崎〜小田十字路
石岡〜四箇村〜小川
小川〜下玉里
江戸崎〜山来〜上阿波〜浮島
土浦〜木原〜江戸崎(現在のJR路線)
谷田部四ッ角〜萱丸〜真瀬〜上郷
牛久駅西口〜福岡〜豊体〜守谷四っ角
水海道〜新本郷〜平松
岩井〜平松〜大木〜守谷駅
荒川沖駅〜赤塚〜高野
荒川沖駅〜樋ノ沢〜田宮〜牛久駅西口
土浦駅〜摩利山住宅〜荒川沖駅
土浦駅〜加茂循環
土浦駅〜坂〜歩崎〜田伏車庫
土浦駅〜柏崎
石岡駅〜高浜〜井関〜安飾〜柏崎〜田伏車庫
荒川沖駅〜大角豆〜土浦職業訓練校裏門
荒川沖駅〜工業技術院
石岡駅〜半ノ木〜園部
柿岡〜一三塚
柿岡〜菖蒲沢
柿岡〜小久保〜上曽〜柿岡車庫
>>46
これは割と貴重な画像かもしれませんね。
「茨22あ・755」は72〜73年前後の登録です。
ただ、エンブレムがあるのと、降車扉付近のラインが曲がってるので保存車とはちょっと違います。
その他、
茨22あ1771→社番0889 晩年は潮来転出。
茨22あ1563→社番0831 晩年は土浦転出(土浦22あ1018)
水戸22あ・401→社番1168
茨22あ・815→社番0586
茨22あ1319→社番0760
鹿島も晩年は正面は高速バスがずらっと並んでて路線車は端っこのほうにぽつんといるだけでしたね。 >>44 今では、伊王野〜黒田原駅の路線が栃木県から福島に最も近い路線かな?
黒磯〜伊王野線は、とっくの昔に廃線になったのに、黒田原駅〜伊王野線は、よく残ってるな。 つくばの関鉄バスエリアに茨観の土浦〜上郷線あったのは不思議だった。
51-53の続き
水戸駅〜下石崎〜長岡坂下
水戸駅〜竹隈町〜大和田〜植農〜吉沢車庫
水戸駅〜旧道〜石岡駅
鉾田駅〜大和田〜堅倉
鉾田駅〜造谷〜夏海小学校〜大貫
鉾田駅〜造谷〜奥ノ谷坂上
潮来〜水郷潮来BT〜小見川駅
石岡駅〜堅倉〜岩間駅
柿岡車庫〜林〜岩間駅
鉾田駅〜汲上〜四本松
鉾田駅〜小貫小学校前〜玉造駅
鹿島〜汲上〜鉾田駅〜海老沢〜奥ノ谷〜千波〜大工町〜水戸駅
鉾田駅〜上山〜東陣屋〜玉造駅〜原〜上山〜鉾田駅
潮来高校〜牛堀〜麻生〜繁昌〜井上
鹿島BT〜爪木〜額賀〜荒井〜鹿島BT
鹿島〜高天ヶ原団地〜栗生浜〜住金東門
麻生〜牛堀〜茂木〜矢幡学校前〜麻生
関自は新宿行きの高速バスも撤退してしまったな。
東野が真岡からも東京行きの高速バス出していたがそれも撤退。
湘南新宿ライン恐るべし
>>51-53,>>58
古河にも関鉄バスって走っていたのか。
下妻〜TDLの高速バスぐらいしか無かったと思っていた。
下妻〜古河は茨急が走っていたけど(現在は菅谷発着のみ)。 >>62
呉羽MK、日野の2つ目RJが写っていて、TCの万博車のMPが写っていないから84年頃かな。 >>59
日光→今市→新高徳→矢板(以上東武)
矢板→大田原→白河(以上東野)
白河→郡山→福島→貝田(以上福交)
越河清水→白石(以上宮交)
白石→仙台(以上国鉄)
仙台→松島(以上仙台市営)
昭和50年ころならこれでOK 茨22が最低1915まで行ってたのはわかったが、栃22や群22は何番まで進んだんだろう。
>>65
サンクス。やっぱりその頃か。
余談だが万博の連節バス、3回くらい乗ったわ。 西部警察のバスジャックに出てきた、日立電鉄廃車の城西交通の窓に、高萩の電器店の広告が。
さすがに高萩市本町の「高萩市」は消されているが、「(茨相前)」という文字も出ていた。なぜ剥がさなかったんだ。
>>62-63
写真の時期ですが、>>65の通り、1985年、丁度筑波科学万博期間の頃と思われます。
真ん中に写っている三菱中型のMKは116Jで、土浦には社番1192,1214,1228,1229,1256,1257がいました。その中のどれかだと思われます。
端には日野RJがいますが、2つ目RJは土浦には1166,1193がいました。 水戸市平須〜小吹界限に茨城オートの廃車体がある。
REぐらいの。
良スレですね。日立電鉄が土浦に営業所を構えていたのはいつぐらいまでですか?
>>72
1999年まで。
現在でも日立電鉄は神立にオフィスはある。 昔(1980年代前半頃)の水戸駅北口の写真に茨交の水戸22あ・213と関鉄の水戸22あ・280が写っている。
>>72
あの頃の電鉄は色々とあったからなぁ。
高萩をでんてつオーシャンバスに分社化したり、神峰を日立中央バスに分社化したりと。 >>66
その手前の茨22あ1905は茨交の冷房新車だ。 >>74
>昔(1980年代前半頃)の水戸駅北口の写真に茨交の水戸22あ・213と関鉄の水戸22あ・280が写っている。
関鉄の水戸22あ・280は社番1097。80年式の川重K-CCM410です。
当時水戸ではK-CCM410を8両購入し、社番1091〜1098までいました。
後年1091と1092は鉾田へ、1093は竜ヶ崎へ転出したため、このグループで廃車まで水戸に残っていたのは5両でした。 >>77
おお、全盛期の頃ではないか。
懐かしい。 >>77
俺的に圧巻なのは粕尾峠経由の宇都宮〜足尾だな。専用のBA狭幅中扉車が通洞駅前の足尾出張所に停まっている画像はぐぐると出て来る。乗ってみたかった。 俺は、鹿沼駅前〜口粟野車庫前〜大越路峠〜大畑車庫線に乗ってみたかった。
>>79
その足尾出張所の建物は未だに残ってるぞ
看板はペンキ上塗りしてるが角度を変えて見るとうっすら関東バスって文字も読み取れる 関鉄には意外にも新車のCJMもブルもいなかった。
新車のCJMは茨交、大利根にはいた。
>>77
群馬、茨城版もあるかな。
東武バスが三国峠超えしていたり、上毛バスがあったり。 常磐急行バス
新橋駅前ビルから水戸方面に発着していた
>>83
当時の関鉄のいすゞの大型はBU04以降はCLM・3Eが主力でした。
1980年式社番1085〜1090。1981年式社番1125〜1130。社番1147〜1154の合計20台がいました。
ただ、残念なことに1085は取手市の県道でセンターラインをオーバーした乗用車に突っ込まれて早期廃車となりましたが、他の車は1992〜1995年頃まで活躍しておりました。
>>85
高速バス開業前は東京から国道経由で北関東の各都市へ向かう急行バスが数多くありましたよ。 1990年代の始めの頃。
関東自動車の宇都宮駅→石橋駅(乗り換え)→小山駅という経路で乗ったことがあった。石橋駅からの小山駅行きのバスは、元神奈中のいすゞのトップドアの中型だったのをおぼえている。
>>90 最初は栃木営業所に配属された栃木22う322号車と、佐野営業所に配属された321号車。 神奈中の中古は北関東では割といた。
関鉄 日立 群中 関自と
関東バスの神奈中中古の2ドア車は00年代初頭まで小山にいたな。
白鳳スクール半専属だったけど、ちょくちょく一般路線にも
顔を出していた。
これだけ前部1列シートで、悲しい位にボロボロだったんで
記憶に残ってる。
宇都宮や日光ははともかく、路線バスが壊滅して乗客もまばらな
乾いた栃木の田舎町でこの手の中古バスに乗ると何ともいえない
哀愁を感じる。
>>96 東武バスが葛生駅〜秋山まで走ってたような記憶ならある。
あと、関東自動車が栃木駅〜会沢峠〜葛生駅ってのもあった気が。 >>95 栃木市ふれあいバスは、全車中古だからいろいろな地域から来た中古バスが走ってるぞ。
金崎線のバスは、伊那市コミュニティバスの中古で平成14年車三菱。
部屋線のノンステ車は、愛知県西尾市営六万石ぐるりんバスの中古で平成15年車日野。
ワンステ車のほうは、東京の関東バスの中古で、平成11年車UD。
他は出元は知らないけど、中古なのは間違いない。 中古バスなんか関自の元京急なんか導入して3年くらいで廃車しなかったか?
茨交の西武5Eなんか10年くらい持たせたのに。
関自や東野は割と中古使い捨ての感がある
然し中古を使い倒す関鉄も都01だけは1年でお釈迦にしたね
そんな状態悪かったのかな
東野なんて、57年車の京阪中古、2年使ってなかった気が。
>>100
事故以外で中古導入して1年で廃車にした例はおそらくこれくらいしかないな。
車体不調の影響もあったかもしれないけど。
関鉄は他に京阪のRCも廃車が早かったし、京成中古も事故以外で導入からたった3年で廃車にした車もある。 関鉄は、メロンに入った大利根の中古も、3年使わなかったと思う。
>>54
鹿島も高速バスが発展していったのと比例して一般路線バスは衰退したな。JRバス関東みたいに。
昔は住金の中まで入っていく路線や鹿島港の工業団地の中に入っていく路線もあったのに。
>>103
横長シートはさすがに長距離路線に合わなかったか >>104 大利根の中古は、バープルに入れりゃ良かったのさ。 北関東の事業者間の移籍は大利根→関鉄以外に
関越→日立があった。
>>106 東武グループ同士なら、結構あったよな。
茨急から東野とか、阪東から茨急とか。 >>105
大利根のロングシート車はいりません。
茨急中古も近隣の会社でみっともないのでいりません >>102
関鉄では神奈中のブルは10年くらい運用されてましたよ。
京阪の中古は1991年に8台、1992年に10台購入しており、91年購入車は社番9026〜9033で、9028だけがブルドックで他はRCでした。
92年購入車は社番9048〜9057で、全て82年式RCでした。
>>103
元大利根のG009(旧M001)は02年春に運用開始し、05年秋の鹿島方面の大幅廃止に伴う減車の煽りを受けて廃車。 >>110
京阪のブル
土浦にいたアレか。
1996年の時点でまだつくばにそれなりにいたから、関鉄で京阪RCは少なくとも5年は使っていたな。
茨観にも京阪RCがやはり何台かいたが、こっちは末期の土浦撤退あたりまで残っていた。 >>98
最初に走り出したシビリアンクラシックもどっかの中古? 茨交のP-U33Lも西武じゃ8〜9年しか使ってないのに、茨城来てから14年以上経過している個体もいると思う。
>>111
関鉄の京阪RCは意外にも鹿行のほうが長く持ってました。
社番9056,9057は早く廃車されたが、社番9055は1999年9月の潮来→鹿島統合時まで生き残っていました。
波崎の社番9053が一番最後まで残っていましたが、1999年秋の9134導入で代替されました。
波崎といえば、昨年は元神奈中LRの社番9307が導入から3年半で廃車されましたね。 >1999年9月の潮来→鹿島統合時まで生き残っていました。
鹿島、潮来地区に残っていたローカル路線用の北村MRが大量廃車されたのもその辺だね。
茨交ではローカル路線用には日野RBが石塚、笠間、大子にいた。
>>115 ボンネットバスのことですか?
どこから来たのか聞いたけど、忘れちゃいましたが中古なのは間違いないです。
因みに、ボンネットバスは平成8年車。
レトロバスのほうは、山梨県のイベントで使ってた中古とか聞いた気がします。
たまにレギュラー車が点検などで、予備車のブルーのリエッセが走りますが、あれは東京の日立電鉄自動車から来た中古で、平成12年車。 茨交の塩子〜茂木線で使ってた、日野レインボーの中扉のやつ。
現在は、ミャンマーでミニバスと書かれて走ってます。
色も茨交のまま。
石塚〜茂木が廃止されてしまってから、笠間〜小勝〜石塚〜水戸と乗り継ぎができなくなってしまった。
石塚〜茂木は水戸22あ994のRBがほぼ専属で入っていたな。
後に水戸200あ6のリエッセに変わったが。
>>119
そうです。
あれは中古でしたか。
近くで見たことが無く、登場したのがシビリアンが現行にモデルチェンジした間際だったので、ひょっとしたら中古かな、なんて思ったことはありましたが。
レトロバスは、山梨県内で送迎車(旅館だったか?)として使われていたクルマだったと、導入当時の下野新聞の記事に書かれていました。
<東京の日立電鉄自動車から来た中古
そう言えば、あれが登場した頃、日立自動車交通運行の足立区コミバス「はるかぜ」だったと思われるクルマが中古業者の敷地?に置いてあるのを見かけたことがあります。
>>120
かつてテレビ番組(番組名失念)でミャンマーヤンゴン市内の様子が映ったとき、良く居るカナ中エアロスターK等に混じって茨交富士5E(自社発注車)が走っているのを見たことがあります。 >>118
旧潮来営業所で最後まで残っていた路線車は社番1380,1382,1401,1478,1506,1511,1512,1610,1612,1669,1735,1743の12台でした。
そのうち北村MR3台は閉所に伴う減車で廃車となりました。
北村MRは路線用は86〜88年のみで、91年車は神栖のタウンストリーム号用でした。
フロントエンジンと、車内騒音がネックで早期廃車となりました(他の事業者でも同様の理由で早期廃車となっている)。 北村のMRは狭い道などで無理がきくなど長所はあるが、入口が狭い、エンジン音が大きい、ラッシュ時に向かないなどの短所が多かったのも早期廃車の一因。
現在、バス路線空白地帯は茨城は県西と鹿行、栃木は県南地域が目立っているね。
>>123 レトロは旅館の送迎でしたか。
運動公園で中高生のスポーツの大会がある時は、レトロが満員で乗りきれなくなり、市街地北部循環線にはちょっと不向きな車両かなと。
ブルーバスは、塗り替える前、足立ナンバーでしたよ。
エアサスだし、後ろ扉のステップが電動で車椅子を持ち上げられるから、予備車では勿体無い気が。
レギュラー車で使えばと思う。
ミャンマーは、最近日本のバス使わなくなってきたみたいね。
韓国のバスが増えたとか聞いた。
全盛期には、北関東のバス会社のバスも多数走ってたね。 >>126
ミャンマーは右側通行だからそりゃ韓国のバスの方が使いやすいわな
耐久性がどうかってのはあるだろうけど >>127 韓国のバスは、10年程度で廃車になってミャンマー入りするから、長年使えるのもメリットだと思う。 今じゃ関鉄も茨交も20年使用が当たり前の状態になってきた。
昔は12〜13年くらいで廃車していたのに。
285 名74系統 名無し野車庫行[] 投稿日:2008/02/26 22:12:17 ID:GHi2mxdZ(1)
両毛地区は結構人口も多そうだけど、ある意味あの広い平野に需要が分散しすぎて
いたのが、公共交通には厳しかったんだろうね。
東武が最大の原因なのは認めざる得ないが、群馬・栃木の他の事業者も似たような
もんだよね。栃木県南の関東バスなんかも縮小具合もすごいし、上毛電鉄は
自動車部門廃業だし・・。
東武を少し擁護すると、前橋より北側はかなり健闘していたと思う。
直営の頃も頑張っていたし、子会社に移管された今日でも幹線の
減便率もそれほど高くないし、よくやっているとは思う。
関東バスか…
1980年代の道路地図見てると栃木や小山、鹿沼でも多数の路線残ってる
栃木駅〜卒島〜小山駅
佐野〜岩舟〜静和駅
等々
地図出してみたが
小山駅〜間々田駅
小山駅〜小山送信所
小山駅〜作ノ谷フォーク団地
小山駅〜職業訓練短大
小山駅〜結城方面
小山駅〜小山工専
小山駅〜高岳北工場
小山駅〜富士通
小山駅〜小金井方面(小山遊園地経由有?)
小山駅〜壬生駅(小山遊園地経由有?)
小山駅〜扶桑団地(小山遊園地経由有?)
小山駅〜小山遊園地
小山駅〜栃木大町
小山駅発着でこれだけあったんだな
>>124
潮来は佐原の路線バス部門廃止で一度は規模が大きくなったのに。 >>132
東武バスの小山駅〜榎本〜南小林
関東バスの小山駅〜福良、小山駅〜東野田小学校前ってのもありましたよ。 >>127
スレチだが沖縄は本土復帰後78年まで右側通行だった。
関鉄も6年前までは栃木県のちょい手前までは路線伸ばしていたが、県西地区の撤退は著しく早かった。 >>134
1988年の地図だからかそれは確認出来なかった
すでにこの頃だと太田駅〜足利駅や館林市内のバス路線は撤退してるしな… >136
小山遊園地・小山駅〜静和駅は1986年春辺りに廃止
因みに>>134上段はこれの折り返し系統
1986年旧盆に墓参りの為に静和から榎本へ行こうとしたら
東武バスの乗場が無いので関東バス(>>131下段)待ちの
客に訊いたら「廃止された」と言われて途方に暮れたorz
あと東武は小山駅〜古河駅っつーのもあった
国道4号には今でも当時のバス停跡地(バスベイ)が幾つか
残ってる >>137 かつては、古河〜間々田〜小山〜卒島〜栃木駅〜栃木大町って路線がありました。
それが、間々田〜栃木大町に縮小され、後に間々田〜小山と小山〜栃木大町に路線を分割。
東武バスの栃木大町車庫が撤退した後、間々田〜小山は廃止され、栃木駅〜小山駅を関東バスが運行。
そしたら、すぐに卒島〜小山駅に縮小され、終いには関東バスも小山地区を駅東循環線以外は廃止。
こうして、この路線は消滅しました。 東武の栃木車庫跡、廃止されてしばらく(割と近年まで?)「東武バス」だか何だか書かれたポールが残っていた記憶がある。
イエローハットに変わって久しい今は流石にないだろうが
>>125
北村のMR(一般路線車)は86年式は社番1372〜1385の14台。
87年式は社番1396〜1402の7台。
88年式は社番1415〜1418の4台でした。
1418は96年に水海道に移動した後、一般路線には入らず、エルガミオが来るまで福祉循環バスとして運用されておりました。
>>133
潮来は全盛期の頃は玉造線、鹿島〜佐原線、繁昌線、鉾田線、麻生循環線と、各方面に路線を伸ばしておりました。更に大昔には土浦方面への急行バスもありました。
現在は一般路線は1本のみの与田浦佐原線となってしまい寂しい限りです。 >>140
その反面、水郷潮来の高速バス乗り場は大にぎわいなんだよな。
鉄道が貧弱な地域だから。 >>141
5往復/日あったあやめを1往復/日に追いやったぐらいだしな。
もう1本のあやめは旧・すいごうだし。 >>138
だが嬉しいことにコミュニティバスのおーバスが間々田駅や扶桑団地方面とかを未だ運行してる
やっぱり金は有るよな小山は なんで小山とか足利って都会の癖にバスの路線少ないの?
>>144
共通する点は鉄道が4方向伸びてるから
後は、東武ががっぽりと路線を撤退したから。
茨城でも筑西なんかは東武が東西方向、茨急が南西部方向、関鉄が南東部方向に路線を伸ばしていた。
現在は全廃。高速バスすら走っていない。 >>144 小山は市営バスがいっぱい走ってるべ。
足利は、人口少しずつ減ってなかったかな。
それに都会じゃないし。
買い物とかも、足利住民は群馬県太田のイオンに行ってるぐらいだし、バスの需要がない。
それでも、4路線ぐらい市営バスがある。 土浦駅は、昭和40年代までは北関東一のバスターミナルだったらしい
>>147
昔の土浦駅の写真見ると、関鉄、国鉄、茨観、東武が写っている。 昔の東武の本庄、深谷地区の路線や運転頻度がどれくらいだったか知ってますか?
平成元年頃だと、深谷駅〜寄居車庫は1〜2時間に1本ぐらいだったな
本庄駅〜寄居車庫はもっと本数が少なかったきがする
常磐高速バス 路線開業日
常総ルート 1999年2月1日
つくば号 1987年4月1日
ニューつくばね号 1991年4月1日
江戸崎線 2000年7月25日
あみPO、龍ヶ崎ニュータウン線 2012年7月11日
茨城空港線 2010年6月19日
笠間線 1999年2月1日
みと号 1988年4月27日
勝田・東海号 1996年12月20日
太田号 1989年10月11日
大宮・大子号 2001年4月1日
ひたち号 1988年6月1日
いわき号 1988年11月11日
ニューつくばね、江戸崎、笠間線は廃止。
>>152
常磐道はみと号用に岩間と内原に高速道併設バス停設けているけど、東北道は川口から下って最初の高速道併設のバス停は福島県の西郷になってしまう。
昔は白岡のバス停があったんだが。 JRバス関東と東北が共同で東名スーパーライナーの東北道バージョン作れば栃木県内の眠っている高速道併設バス停が使えるんだが。
>>152
こうやってリストを見て、笠間線があったのを思い出したよ。
となると、茨交の秋葉原−笠間は実質的には復活なんだね。 >>158
秋葉原‐笠間線と笠間‐東京線はルートが異なる。
笠間‐東京線は笠間〜友部〜岩間〜東京と結んでいた。
高速に乗るインターチェンジも当然異なる(笠間-秋葉原線は友部ICから。笠間-東京線は岩間ICから)。
他、TMライナー 開業日 1998年3月1日 東関東高速バス 路線開業日
かしま号 1989年4月4日
はさき号 1990年7月17日
あそう号 1990年7月17日
>>152
常総ルートは計画から開業まで10年余りを要しました。
開業当初は鹿島から社番1460,1461が転属し、程なくして水海道に社番1772,1773が新車として導入されました。
99/2の開業時は東京〜新守谷〜御所ヶ丘〜絹の台〜水海道駅のみで、同年10月には岩井線が開業。翌00年8月には新守谷線も開業しました。
TX開業後程なくして新守谷線が廃止。残りの路線も年々便数が減る一方となってしまい、かつての賑わいが薄れてきたのは寂しい限りです。 東武バスの東足利〜桐生天神町線の最後は、呆気なかったな。
20分に1本走ってたのが、その後3年ぐらいで本数激減していって、一気に廃止になったし。
あと、今では茨城県筑西市の小栗は、路線バス走ってなかったが、昭和40年位までは、下館駅〜小栗線と言ったら、東野バスのドル箱路線で毎日のように臨時が出てたと聞いた。
99〜00年頃の茨城のバスは関鉄も茨交も電鉄も新車は高速のみ。路線は中古しか入れてなかったな。
間もなく都市緑化祭グリーンフェア茨城から20年。
茨城交通委託のロンドンバス 水戸22あ1660、水戸22あ1661がシャトルバスとして運行されていたな。
南駐車場⇔徳川博物館⇔梅のゲート⇔大工町⇔泉町一丁目⇔水戸駅北口
のルートで。
>>163 定年退職した大昔に益子勤務してた整備士から聞いた。 >>165
正確には
竹のゲート⇔徳川博物館⇔梅のゲート⇔歴史館前⇔泉町一丁目⇔水戸駅北口
グリーンフェアのシャトル輸送は関鉄、茨交、オート、電鉄が担当しておりました。
関鉄は水戸だけではなく、土浦やつくば中央からも応援を呼んで当フェアの輸送を行っておりました。 巻き取り式の運賃表
スタンプ式整理券
2段式ステップ
木製の床
ローラー式方向幕
古き良き時代だったな。
>>168
関鉄のスタンプ式整理券、つくば中央は全滅しました。 >>168
関鉄でデジタル運賃表の導入は89年2月で、社番1432〜1443が導入された時に初めて登場しました。
その後、古い車両もデジタル運賃表に更新したため、初乗り130円時代になった90年11月にはほぼ全車デジタル式に変わりました。
この時から水戸ナンバー圏はレシップ製、土浦ナンバー圏は小田原製のを使っていましたが、レシップ製の初期はデザインが多少異なるタイプでした(後年、車体更新時に現行種に変更)。
巻き取り式の頃は土浦〜大学中央線は北部工業団地線と統一。阿見中央公民館線は短い系統だったため往復路連続でしたね。 巻き取り式の運賃表は時折狂ったり、表示が薄くなることが多くて不評だった。
>>172
国鉄バスの話がしたいなら
自分から話題出さないと 国鉄バスなら、昔は古河〜八日市場まで国鉄バスだけで乗り継いで行くことができた。
>>170
今は液晶画面運賃表に変わりつつあるな。 >>170
10系統の復路が昔中途半端なとこから始まってたのはこういうことだったのか。
今はなしから表示されてるけど。 >>170
阿見中央公民館線みたいに、整理券が往復連続しているのは茨交の東海駅〜亀下公民館線もそうだった。 >>159
TMライナーは運行開始から15年の間に3回経路変更しております。
◎初代(1998.3〜2000.11)
水戸駅北口-県自動車学校-岩間IC-桜土浦IC-並木大橋-つくばセンター
◎2代目(2000.11〜2010.4)
水戸駅北口-県自動車学校-茨城町東IC-土浦北IC-土浦駅東口-つくばセンター
◎3代目(2010.4〜)
偕楽園-水戸駅北口-水戸駅南口-県自動車学校-茨城町東IC-桜土浦IC-つくばセンター
初期は7往復運行で水戸と土浦が担当。
2003年の減便で土浦単独の運行となり、
2005年のTX開業で9往復と増便し水戸、土浦、グリーン石岡の3営業所担当となりましたが、水戸地区からTXへの交通連絡がほとんど活かされなかったことから2006年秋に減便となり、再び土浦単独に逆戻りとなりました。
最初水戸と土浦で共同運行していた頃は古い車が入っていましたが、2005年に水戸営業所の担当が1往復だけ復活した時にはTMライナーで1往復運行後、午後の「みと号」にも入っていたため比較的新しい車も入るようになりました。
この他、TX開業時に県北地区からTXへ乗り継ぎができるように守谷〜日立線、守谷〜常陸大子線の高速路線も開業しましたが、いずれも短期で廃止されました。 >>179
人知れず静かに終わったな。守谷〜那珂・常陸大子線。
石岡バス停下り線からも乗車可能だった。 守谷駅発の高速バスはみんなダメだったじゃん。
大子線、日立線、あみPO線と。
>>164
99年は常総ルート絡みで水海道に高速新車が配置されることが多かったな。
00年はみと号の県庁ルート新設や江戸崎線新設で水海道の他、水戸や江戸崎に高速新車がまとまって配置された。 >>171
余りにも薄くなって見ずらくなった場合は乗務員さんが運賃は○○円です。とアナウンスしている事もありました。中には、ペンで書きなおしたケースもありました。
余談ではありますが、レシップ製の初期は盤面が緑(普通は黒)、また鉾田車の一部に表示が69番までできる機能を搭載した車両がありますが、
90年代の初め頃に水戸=鹿島の直通バスの運行を計画していた事があってそのために69番まで表示できる表示器を導入したそうです(残念ながら実現はしませんでしたが)。 茨城観光は92年の頃もまだ巻き取り式の運賃表使っていたな。
>>175
古河〜土浦〜佐原〜八日市場
のルートですね。
他に20年前までは石岡〜羽鳥〜水戸とJRバスだけで行くことも可能だった。
93年の改正で羽鳥の遙か手前の飯沼までに短縮。95年の改正で更に手前の常陸高田まで短縮。晩年は朝に常陸高田〜赤塚〜水戸。
夕方に水戸〜赤塚〜常陸高田
という1往復運行になっていた。 古河辺りの国鉄バスの路線は今も昔も大して変わらないのかな?
水都東線
飯沼線
柿岡線(→関東鉄道→関鉄グリーンバス)
羽鳥線(廃止)
水戸南線(廃止)
涸沼線(廃止)
北常陸線(→椎名観光バス)
高萩線(→椎名観光バス)
南筑波線
霞ヶ浦線
君島線
山ノ荘線(廃止)
浮島線(→ブルーバス)
十余島線(→桜東バス)
関鉄は昔は水戸以南では、
友部〜北柏までの間の常磐線の駅全てに顔を出していた。
成田線も布佐、神崎、佐原、小見川、銚子と顔を出していた。
北関東3県各社の赤字路線はだいぶ淘汰され身軽になったように思える。
今やサーベラスが標的にしている埼玉の国際興業と西武の赤字路線が問題だよな。完全な空気輸送ではないのだが、比較的高賃金でありながら運賃設定の低さで収支合わない。
サーベラスは西武バスには何ら廃止対象を示していないが?
>>188
現在は友部、岩間、天王台〜北柏への乗り入れは廃止されてますね。
岩間乗り入れは1983年頃に廃止されております。
当時関鉄は柿岡車庫〜林〜園部〜岩間駅、石岡駅〜堅倉〜大笹〜岩間駅の2路線がありました。
その他、岩間にはオート(当時は現在も残る奥ノ谷方面以外にも石岡、友部、水戸方面行きもあった)や国鉄バスも乗り入れてました。 中古バスを割と大事に使う事業者
・茨城交通
・日立電鉄
中古バスをすぐ廃車する事業者
・関東自動車
・東野交通
・関東鉄道
>>194
神奈中ブルは水戸のやつは10年使ってたな。
ノンステの入る少し前くらいまで。 京成バスの中古やノンステが入る前の土浦なんか凄かったな。
西武バス中古の5Eが黙々と黒煙出しながら走っていたりと。
>>196
関鉄での神奈中のブルは社番9001〜9005,9007〜9012の合計11台いました。
水戸に最初からいたのは社番9001〜9003の3台だけ。92年に社番9012が、94年に社番9004,9005,9007がそれぞれ土浦から転属しております。
水戸の9002,9003、土浦の9009が21世紀まで頑張っておりました。 今日で、
高速バスつくば号運行開始から丸26年。
東武バス群馬撤退から丸14年。
東武バス茨城撤退から丸11年。
茨交バス大減便ダイヤ改正から丸8年。
かしてつバス運行開始から丸6年。
関自の小山の大粛清から丸5年。
筑西市からバス路線撤退から丸5年。
関鉄観光バス田伏車庫閉鎖から丸4年。
桜川市からバス路線撤退から丸2年。
高速バス江戸崎線廃止から丸2年。
>>100
関鉄での都01中古は社番9075〜9077の3台在籍しており、1年で廃車となったのは9077TCでした。
昔聞いた話では致命的な故障があって想定外だったそうです。しばらく土浦車庫内に留置された後、千葉内陸バスの日野HTに代替され、残りの2台も98年に廃車されました。 >>202
TCの千葉内陸の長尺HTも懐かしいな。 その千葉内陸も今はブルリ低床の廃車が進んでいる。
後は、土浦には千葉海浜の3扉もいたな。
>>203
千葉内陸の日野HTは1992年に社番9067〜9069のグループが配置されたのを皮切りに、2000年に配置された社番9138まで毎年配置されました。
関鉄には59〜62年式までいましたが、60年式が一番多く、9台在籍しておりました(社番9068,9069,9081〜9087)。
>>204
海浜の3扉は1993年に83年式社番9070〜9072を購入し、鹿島、土浦共後扉締切で運用されてました。
鹿島に配置された1台は潮来閉鎖時に廃車。土浦の2台は京成中古の第1弾で代替となりました。
これを最後に関鉄で3扉車は運用されておりませんが、一時期、元年式、2年式自社発注、京成中古の置き換えに茜浜の3扉車の購入を検討していたこともありました。 YouTubeで1985年の宇都宮駅西口バスターミナルの映像あり。
>>207 カンテラ車は、平日に作新や宇学・宇女商が終わる時間に、長坂経由新鹿沼に来て、高校生が乗りきれないことがよくあった。
作新前の停留所にも、高校生が帰る時間に、大谷観音とか荒針経由新鹿沼系統の宇都宮行きがカンテラ車で来て、人数乗れない非効率ぶりを発揮してたな。
土曜日やテストなどで学校が早く終わる日は、昼間の本数が少ない時間帯にカンテラ車なんか来たら最悪だった。
当時は土曜日ダイヤが無かったから、10分に1本ぐらいしか来なかったから、積み残し常習犯。
カンテラ車は冷房車だというぐらいしかメリットがなかった。 カンテラ懐かしい
突然東野に中型ベースで出たのを最後に居なくなってしまったね
関東と言えば、現行観光カラーで巨大カンテラつけた車をバスファン誌で見た記憶があったが、これも驚き
あの姿で路線運行したことがあったのだろうか
関鉄の元千葉内陸車は混雑時も詰め込み出来てかなりいい車だった。おなじダイヤにK-CDM来た時は悲惨だった。
北関東はカンテラの宝庫だったなあ 東野の自家用上がりのMR好きだった
東武や栃木県だけでなく日立電鉄にもあったような<カンテラ
>>212 日立電鉄にもいたね RVは撮影したわ。お隣の常磐交通には居なかったね。 >>209 関東自動車のデッカーの1176号車のことかな?
あれは、カンテラ車だったけど日大専用で使ってたはず。 >>211 自家用あがりのMR?
MRでカンテラ車なんて、東野にあったっけ?
どこの営業所にあった?
黒磯にあった栃木22う19号車じゃないよね? >>210
関鉄土浦のK-CDM410は川重が社番1220、1226、1248、1253、1254の4台、北村が社番1211の1台が在籍してました。
だが、どれも新製配置時は土浦ではなく、社番1220、1248は石岡から、1226は江戸崎から、1253は田伏から、1254は波崎から、1211はつくば北からの転属車です。
1226はうなぎ屋さんの側面車体広告が目立ってましたね。 >>218
この中で土浦で最後までいたやつは1248TCだったかな。
1253TCも割とCDM末期まで残っていたけど。 関自のカンテラRV730Pは栃22あ550や555とかがいたな。
他に日光の東武バスなんかもカンテラが多かった。
>>219
正解。
1248は石岡がグリーン移管時に土浦に転属してきましたが、わずか半年後に京成中古第3弾の代替で廃車されました。
1253は同型の1248が土浦に来た時に玉突きで廃車されました。
K-CDM410が本体で最後まで残ってたのは竜ヶ崎の社番1252。グループ全体では鉾田(当時はメロン)の社番1246が最後の1台でした。 1252RGスクール運用に入っていた事もあったね。
モノコックのいすゞ中型車は最初で最後の乗車だったけど、川崎ボデー車であまりにも天井低くて馬力無くて驚いたわ。あの頃の中型はいち早くスケルトンに移行した日野がシェア高かったみたいね。
>>221
1246M懐かしいな。
廃車1ヶ月くらい前に鉾田→水戸を乗ったが内装も新車のようにピカピカだった。 >>220 その世代のカンテラ車は、佐野にあった栃22あ561号車が最後の1台だったかな? >>222
いすゞの低床車は81年のK-CCM410の時期からありましたよ。
谷田部に入った社番1131と、柿岡に入った社番1132が最初の川重いすゞCCMの低床車。
日野はつくば北のK-RJ172AAの社番1258が京成中古第3弾の9180TKに置き換えられるまで走っていた。 東武バスだと岩井の7355がカンテラ車だった。
あと、足利にも7338のカンテラ車がいた。
>>223
1246Mは廃車される1年半前に2度目の車体更生を受けたので廃車されるまで良い状態を保ってました。
かつては古参車が多数いた鉾田も現在は廃車が進み、関東鉄道時代からの生え抜きはわずか3台(メロンバス経験車は2台)、生え抜きの新製配置車も97年式が最古参となってしまいましたね。 >>229
フロントガラスの下に正方形の幕でしたね。
茨城交通の特集本にこのタイプのバスの写真がある。 >>226 1178は、ワンマン改造した時、肌色に赤線3本の旧塗装で、佐野じゃなかった?
小山は、1179で観光シーズン中は、KDDDの送迎によく充当されてた。
1179も旧塗装で、新塗装のカンテラ車は栃木の1176が唯一だったはず。 >>227 栃木大町にも、カンテラ1台だけあった。
吉水駅〜日大高校専用で、一般路線には滅多に出て来なかった。
>>228 東武宇都宮〜下館八丁台と、東武宇都宮〜真岡東野車庫の系統を東野と共同運行してた頃、東武の下館八丁台車庫にあったカンテラが、よく東武宇都宮に来てた。
確か、ナンバーが1000だった気がする。
その1000号車は、下館八丁台〜小山駅西口の系統にも充当されてたので、小山駅西口でも見かけることもあった。 >>230
CDMと同時期に入れた三菱+呉羽のK-MKは廃車が早かったね。
安ボデーだったせいもあるけど。
>>233
土浦22あ1000のカンテラ車は東武バス下館の7415か。 >>214
亀ながらd
確か佐野車で日野のRVセミデッカーだったんでその個体でしょう
最初は路線で使う予定があったのかな・・・ >>234
鉾田の社番1255は不調により00年頭に社番1408に置き換わる形で廃車されました。
それよりも年式が古かった社番1212,1213も01年の初めに社番1361に置き換わる形で廃車されました。
三菱・呉羽のMKは土浦に配置されてた車も他の同年式に比べて早く廃車されました。 >>236
水戸の61年式のやつもそういえば万博LV全廃後程なくして廃車になったね。
茨交のは割と長持ちしていたけど。 >>234 土浦ナンバーの1000号車までは覚えてますが、会社コードまでは覚えてないです(>_<)
すみません。
でも、下館所属車だったのは間違いないので、多分そのコードナンバーだと思います。 >>235 どうしても路線のレギュラー車が都合つかない時に、路線で使うつもりだったと思います。
あと、当時の栃木営業所のダイヤは、日大と路線がミックスされていて、朝は日大、午後は大平や西山中に行くとかなってたから、そういうダイヤにも使えるようにと思われ。
でも、実際には日大のみのダイヤでしか運行されなかった気がする。 20年ぐらい前、東野が好きでよく宇都宮、黒磯、大田原の車庫に行ったんたが黒羽だけは行かなかった。当時はどんな車が居たんだろ
かつて上毛電鉄に4R94の前後扉の中古がいて、よく西武の中古だって言われてるけど
仕様的には東急の中古にしか見えない。側面方向幕ないし。
それから富士重車体のツーマンRB120やワンマン改造(といわれている)RE120で
登録番号が不自然なのが何両かいたけど仕様的に東武出身としか考えられない。
関鉄の中型路線車が短命なのは昔からの伝統
しかし未だ新車購入し続けているんだよな
>>241
ネ申というより狂った集団じゃねぇか(いい意味で)
ぜんぜんついていけねぇ >>243
上に挙げたように三菱の呉羽K-MKは不調で15年程度で廃車になったけど、近年は代替ペースが落ちたので20年は使用されてる事が多い。
昔は日野RLなんかも事故を除けば14〜15年でほとんどが廃車されてた。 14〜15年って犬や猫の10年代替に馴れてるトンキンからしたら
十二分に長生きなのだが
>>240 ナロータイプの栃22あ1400番台のやつ。 >>239
最近の話だけど関鉄龍ヶ崎営業所の9333RGも同じだね。 >>248 やっぱスクールと路線を併用で使ってるの?
昔、高根沢地区の小学生輸送を東野がやってた頃、黒磯から喜連川に転属してきた1168号車だっけな?
あれは、基本的にはスクールバスとして使用だったが、路線で使えるように方向幕も備え付けられてた。 >>245
関鉄は94年式中型が18年使用で何台もあぼーんになっている。 >>248 9255RG学校専用にもなっているのもある。 中型は大型に比べるとサスのへたりやエンジンやミッショントラブル起こるのが早いよ。
>>248 9255RG学校専用にもなっているのもある。 9255は常総学院送迎。
>>251
関鉄中型の18年使用は大体平均的じゃないのか。
前も86年中型が04年後期導入分の京成中古で代替されてるとこを見ると。
05年年明けの新車では89年LVまで代替されてるし。 >>255
89年LVは関鉄では万博車以来の大型。 >>255
関鉄の89年式大型は前期と後期に分けて入り、
前期は社番1432〜1443,後期は社番1463〜1472が入っています。
これらのグループで最初に廃車となったのはつくば中央の社番1440YTで、次に波崎の1469HSが廃車されました。 平成の頭ぐらいにテレ東の東京〜龍飛崎ローカル路線バス乗り継ぎの旅があったらほぼ東北本線沿線沿いで北上できた。
>>246
昔の15年はまあまあ長生き。
今なら売れないし寿命でもない一番無駄な使用年数。 日立電鉄がリバイバルカラーをすると薄緑とピンク、
関東自動車がリバイバルカラーをすると赤と茶色のが復活か。
どちらも今復活してもあんまし珍しくないか。
国鉄は貨物輸送がメインで旅客輸送はおまけだったから
バスの付け入る隙は少なからずあった。
>>269
当時の時刻表をみると,足尾の全盛期はすごいと思うが,日光とは4往復だけ
で,細尾峠経由なので恐ろしく時間かかっているな・・・・
今は6往復なので,この部分「だけ」は今が最盛期ということになるのか >>267
関東鉄道がリバイバルカラー復活させると車体下部にエンジラインが入るだけ。
どうせなら最近減りつつある側面ボディ広告復活だな。
茨急はリバイバルカラーだとクリームに水色ライン 現在、日光市営バスで運行してる鬼怒川〜女夫渕線、東武バスが運行してた頃は、12mのスケルトン車で運行してたって本当?
あの狭い道で、急カーブもあるところを12mのスケルトンとか信じられない!
あれだけ古参車がいる会社の旧塗装車なのに、よりによってノンステというのが残念。
しかも車椅子マークとノンステ表記が邪魔。
関鉄バスの旧塗装
初代=ボディ表記が関東鉄道バス(手書き)裾に臙脂ライン
2代目=ボディ表記が関東鉄道(手書き)裾に臙脂ライン
3代目=ボディ表記が関東鉄道。現行塗装。
>>278
初代のやつは参宮及び常総から受け継いだ奴かな。
土浦、つくば、石岡の今昔っていう本にそれの写真が載っているけど。
まだ当時は車両番号すらなかった。 >>279
関鉄で車両番号(社番)を入れるようになったのは70年代前半。ナンバーが茨2から茨22に変わってからです。
初代塗装のやつは「関東鉄道70年史」の本にも写真があります。
その本の中で社番が確認できる最も古い車は社番0492 茨22あ・400です。 >>281
社史ネタきたか。
関鉄70年史は1993年発行だから、今年社史が発行されるなら90年史になるな。
茨交も30年史、40年史が発行されてる。
茨交のほうは国体の時に選手輸送、観覧客送迎に大量に新車入れたそうだが。 >>282
茨交の社史は巻頭の写真のページで全盛期の茨大前営業所を拝める。
まだバスが旧塗装の時代。 90年代初頭の地図だと未だ上水戸乗り入れしてるな。
ただ、笠間の桃山〜下館までの50号線は全くバス路線が無い。
下館からは小山まで路線が繋がっているが、川島橋だけ上下線系統が異なってる。
国道50号線を走る路線は今はもう途切れ途切れ状態。
水戸駅から西へ行っても杉崎十字路で止まってしまって笠間方面どころか市外にすら行けない。
さらに、笠間市内も平日運行の桃山線があるがそれも市外に出るまでに終点。
そこから先はなんと小山のおーバス5コースが走るとこまで路線が途切れる。
小山からも栃木・佐野方面には行けない。
その崎も途切れ途切れの区間があり、伊勢崎まで来れば1本のみしかないけど前橋まで行ける路線がある。
10年前の大子
水戸地区ではこの頃にはもうほとんど見られなくなってしまったK-の2つ目レインボーがまだ現役バリバリで走っていた。
たった10年で大子も車齡が若くなってしまった。
バスマガジン60号のCCMのページに51年CCMの関東鉄道の0858と日立電鉄の茨22あ1728、52年CCMの関東鉄道の0897、0903、日立電鉄の茨22あ1808の写真あり。
>>287
栃木はカンテラ王国だったが、茨城はCCM王国だったな。
川重が多かったが、北村もいた。 今から20年ぐらい前だと
大子から福島方面へバス乗り継ぎで抜けられたのかな?
>>289
95年の時点で大子〜矢祭は路線が切れていて繋がらない。 カンテラ車って、普通は自社のデッカー車をワンマン改造して使うじゃないですか。
なのに東野だけは、わざわざ他社からデッカー車買ってきてワンマン改造して使ってたんだよな。
そんなことしたら金もかかるし、非効率的だと思った。
関東自動車とかは、昭和56年車までしかデッカーは無く、57年からスケルトンや準スケルトンみたいなハイデッカーを納入してた。
だから、関東は57年車からワンマン改造しなかった。
でも、東野なんて昭和57年車まで普通のデッカー有ったから、他社からデッカーなんて買わないで、57年のデッカーをさっさとワンマン改造すりゃ経費もかからなかったと思うんだがな。
東野って、金に余裕あったのか?
>>287
社番0858(茨22あ1712)は竜ケ崎、社番0897(茨22あ1768)は石岡、社番0903(茨22あ1793)は水戸ですね。
社番0858は76年後期導入のいすゞBU10(社番0861〜0874),日野RE(社番0875〜0879)よりも少し遅れて登場しました。
社番0897,0903は77年前期導入の川重CCMで、15台余りが導入されております。
石岡にはこれ以外に社番0900,0901が、水戸にはこれ以外に社番0902がいました。
亀レスだが>>49
社番0922の現役時代の登録番号は茨22あ1811です。 >>291
茨交や日立電鉄も貸切から路線に落とした車もだいたいそこらへんの時代までだった。
貸切車が現カラーになってからは高速に落とした車が数台いるだけ。
関鉄は54年車以降は貸切落としの車は全て高速か特定に転用。 >>294 東野の廃車体で、神奈中の富士ボデーが1784・1791と記載されてますが、1791は植竹商店に行った気がします。
だから、廃車体で留置されていたことはないかと。 >>289
唐竹久保〜上茗荷が繋がってたの?
今でも徒歩+数時間待ちで行けるけど、今の大子の車両でそこまでする気にならない。 日立駅〜大雄院〜東河内線
今じゃ凋落ぶりが半端無い
9255RGって東武のどこの営業所からから来たの?
25年位前の話だが、関東自動車の鹿沼駅〜上粕尾発光路線に乗った時のこと。
当時、栃木県ではあまり見ない、普通のナロータイプ幅が細いような1675ってナンバーのナロータイプが来た。
それで、上粕尾発光路の終点は、緩い坂道にあって、バスは一旦停車して、バス1台しか格納できない木造の車庫にバックで入って終点と言われた。
今では鹿沼市営リーバスになったから、上粕尾の車庫は使ってないのかな?
山の神とかいうところまで路線延長したみたいし。
それにしても、あの変なナロータイプ1675は、中古でどこかの会社から来たのかな?
>>301
写真が無いので断言は出来ないが、京急のECMでは? >>302 なるほど、京急の中古ですか。
確かにナンバーが栃22あ1675では、1600番台の新車でナローは関東自動車には無かった気がするので、京急の中古もあり得ますね。 >>302
>>303
後面に幕装置がなかったり、前扉が4枚窓だったりと、京急とは仕様が違うような気がする
画像は栃木方面に詳しいサイトに載ってる(ヒント:BJ)
リンクを貼りたいが規制で貼れない・・・ >>304 1675号車だけは、謎が多い車輌だったんですよ。
もしかして、当時朝1番で上粕尾から鹿沼行きのバスは、早朝に鹿沼から回送してたわけじゃなく、前日夜に鹿沼から上粕尾行きで終着して、あの狭い上粕尾の木造車庫に翌朝まで一晩格納されてたのか? >>304
> 後面に幕装置がない
画像見たが、冷房も無さそうだし京急ぢゃないようだね。
しかし他にあの年式で川崎ナローのユーザーが思い浮かばん。
小田急狛江の主は富士重だし… >>200
平成5年頃前橋に行った事ががあるんだけど東武バスの前橋駅発群馬大学付属病院行きは、日中10分間隔だったのに
東武撤退後、この路線の本数は激減した。 >>299
道路の真ん中に一本杉があるとこ通る路線か。 東武の前橋撤退は99年だから、そのあたりから衰退か。
>>306 川崎のナローって小山にいたLTじゃなくて?モノコックだけどLTの >>308
高浜駅前にも関東鉄道バスの社番0598の廃車体がありますよ。
今は保線管理事務所が建って常磐線車内からは見えにくくなってしまいましたが。
これの1番違いの社番0599は晩年は水戸におり、「水戸22あ・184」と、水戸ナンバーで運用されていました。この代あたりの車はCDMの頃に置き換えられました。 >>311 小山に居たのは、321と322でしょ?
321は、最初の配属は富岡。
322は、栃木だった。
それが、栃木や佐野のダイヤ激減により、小山に転属されて、主に石橋駅〜小山に使われていた。 >>298
当時の日立電鉄バスにあってテープの音声案内に唯一薄くBGMが入ってた(茨交はなし)他、長距離各停の為か片道でテープを1本使う仕様になってた
>>299
今ではチョロQかポンチョ2運用路線の1つに >>316
あの路線、20年前で日立〜水戸全区間乗り通すだけで1150円くらいかかった。
笠松あたりでもう800円超えてたし。 >>316 東野交通も、片道25kmを超えるような路線では、放送テープ片道で1本だった。 >>316の続き
この路線においては一時期ワンロマ車限定運用だったし、日立電鉄では通常整理券番号が29番までしかない運賃幕に対し39番仕様が使われた程多区間過ぎ。 関東鉄道も巻き取り式運賃時代は35番までしか無かった。
日立電鉄において、巻き取り式運賃幕の時代は数系統が同じコマを使う様な場合『○○(停名) ×(数字)段下』の文字が隅に書いてあったり、
あと途中始まりの路線では整理券なしからではなくある程度の番号から進んでったり、更に整理券番号・運賃幕・音声案内テープのどれか又は全てがズレてた事もあった。
>>321
関鉄の場合、巻き取り式の場合は色々と制約が多すぎたな。
水戸市内循環なんか全部1本に纏めていたし。 阿見中央公民館の整理券6番なんかが今はそれの名残だろう。
日立電鉄のCJMあたりはオタ席無しの車があったな。
太田〜馬場八幡線で乗車したことがある。
>>324
茨交61系統水戸・大宮線の水戸駅始発整理券3番も然り。
>>325
記憶が曖昧だが当時の太田営所属となると、サブ冷付きの350(同仕様は神峰に351〜353もあったが)あたりかな?
それとも南になってからのカナ中古(1250、1256、1262)かな? >>326
石塚・御前山方面は2番から表示だった希ガス。
運賃表ですごいのは竜ケ崎→取手線だろう。
18番から始まるから上2段が見事に空欄(ちなみになしは江戸崎車庫)。
これも幕式のときはなしから表示していた。 >>327
18番始まりは凄い!
しかしその前の0〜17番はどこ始発を想定してたのだろうか? >>328
元々は江戸崎〜新利根〜戸張〜竜ヶ崎〜藤代〜光風台〜取手
の区間便だから。
取手〜江戸崎の通し運行も10年前の路線大改編の時に廃止。
同じような表示方法だと、筑波山口→土浦駅も11番からスタートしているな。
真壁から起点としている関係で。
因みに、途中の高岡からの区間便は8番からスタート。 >>329
そう考えると、勝手な想像かも知れないけどJRバスにかつて存在した土浦・佐原線の区間便といえる、土浦・江戸崎線の江戸崎発もそうだったりして。
今はオートガイドシステムとかデジタル運賃表、LED方向幕等メモリ容量が増えたので途中始まりは少なくなってる希ガス。 日立電鉄なら昔から自社発注の4折戸車の導入に積極的だった。
>>331
朝晩の工場輸送を得意としてたから4折戸車(大半が富士重工で後は川崎。記憶が確かならば日野は1台のみ)が必要だったんだろうね(81〜91年新製分の一部。けど同社は固定運用ではなく担当車制の為全てが工場輸送に当たるとは限らなかった)。
でもIC整理券になった時に片側は無用の長物と化したけど。 >>327
空欄ならまだいい。
使わない部分まで表示されてる会社もある。
始発から乗ったから最高額を払えばいいと思ってると痛い目にあう。 谷田部四つ角→筑波駅
今も残っていたら研究学園乗り入れしてそうだな。
>>335 それって日祭日に1往復しか運行されてなかったやつ?
なんか、意味不明に運休して筑波に来ない日があったよね?
乗りに行ったマニアが嘆いてたことあったし。 30年前は日立〜水戸系統は日立電鉄、茨交2社合わせて34往復運行されていた。
現在でも東海村内の国道6号には、かつて日立〜水戸線のバス停があった跡が残っている。
他に茨交の日立市内乗り入れは35系統が日立港まで。38系統が久慈浜まで乗り入れてた。
現在は太田〜小中が西端をわずかに通るだけ。
>>336
そうだよ。
日祝の昼間片道1便のみ運行。
晩年は土曜日も運行していた。
つくばマラソンの日は日曜でも運休。
普段はLRが入ってたが、区間便があった頃はおけいはんのRCも入っていた。 >>338 あの系統、片道1本だけだったんですか?
すると、YTとTKどちらが運行担当してたんですか?
当時の筑波駅から発車して、帰りはどこに回送? >>339
おけいはんのRCとある時点でYT。
TKにおけいはんの中古は過去1台も在籍したことは無い。
これは確か、午前中にセンターから荒川沖方面を運行してから筑波山口(当時は筑波駅)まで回送して四つ角行きに入って谷田部に回送するコースだった。
最後の半年は四つ角から筑波駅の逆ルート。
現在でもルート後半部分はつくバス北部シャトルの走るルートになっている(桜川の橋を渡るとこ)。 >>340 なるほど、詳しくありがとうございます。
谷田部のバスが筑波駅に乗り入れる唯一の路線だったんですね。 YTのおけいはんRCは普段は谷田部〜取手線、谷田部〜牛久線に多く入っていた。
稀に専用車点検時にはつくばシャトルにも入っていた。
谷田部〜取手線もおけいはんRCが走っていた時は現在とは違うルートだった。
ずっと昔は筑波駅→谷田部四つ角線は平日の運行もあった。
他につくば市内でマイナー路線は筑波駅〜水海道駅(小貝川沿いの水田地帯を走っていた)、筑波駅〜下妻駅って路線もあった。
関鉄のおけいはん中古に関しては>>110に詳しくあるね。 >>337
10年くらい前まで茨交38系統は下土木内から水戸駅までの路線があったよ。
現在は茨交38系統はサッカー輸送時のみの運行。
他に一度廃止されて後年復活した茨交の系統は52系統がある(昔は水戸駅〜大竹海岸線に使用していた。)。 >>335
経路は、
谷田部四つ角-谷田部中央-谷田部坂町-谷田部台町-台町北-谷田部中学校前-横場-谷城-
ナイルス工場前-柳橋-柳橋小学校前-新井-山中-西岡-保育園前-西大橋-宮本入口-古屋敷-
篠-下平塚南-下平塚中-集会場前-西平塚三叉路-西平塚入口-東平塚十字路-東平塚中央-
東平塚-大学会館-第一学群-第三学群-猿壁十字路-給食センター-一の矢交差点-一の矢-
玉取-玉取四ツ塚-大曽根下宿-大曽根中宿-常陸大曽根-若森-佐村-君島-君島入口-北条病院前-
筑波高校前-北条-北条内町-北条三叉路-杉木-大貫-西川面-群道橋南-群道橋-馬場-沼田-筑波駅 >>29
初期のみと号
水戸駅-大工町-自由が丘-石川3丁目-東京駅
のルート。
関鉄は社番1239MT,1271MT,1275MT,1276MT(いずれも貸切落とし)
茨交は水戸22あ745,水戸22あ768,水戸22あ770,水戸22あ772(いずれも貸切落とし)
が運用。
のちに1344MT,1356MTも高速に転用された。 >>346
東平塚から大学会館ってどうやってループの中入ったんだろう >>346
平日もあった頃だね。
晩年は大学病院のほうを回って大学構内に入っていた。 >>343 つくば市じゃないけど、水海道〜石下とか石下〜下妻とか、マイナーな路線あったな。 >>350
石下〜下妻は、冬季のみ運行。
水海道〜石下は、鬼怒中から石下方面のみ存続。 googleマップで谷田部四つ角→筑波駅線辿ったら、見事に篠付近、路線が切れてた。
四つ角線と同時廃止はこれだけあったかな。
水戸駅 - 小吹新道 - 植物公園
水戸駅 - 新道 - 見川一本松
土浦駅 - 桜ヶ丘 - 小岩田 - 補給処 - 摩利山 - 小岩田 - 土浦駅(補給処循環)
土浦駅 - 荒川沖駅 - 牛久駅
新治村役場 - 大畑 - 土浦駅
竜ヶ崎駅 - 長竿 - 角崎 - 松山 - 江戸崎車庫
竜ヶ崎駅 - 根町 - 富士見住宅
土浦 - 荒川沖 - 牛久線は運行最終日にエルガが入ってた。
>>353
小吹新道経由植物公園線は昭和末期で既に1本に減らされてた。
市立競技場(現・ケーズデンキスタジアム水戸)開設時に木工団地経由に移行。
新治役場線は常名の水田地帯を走るルートもあったね。 >>344
茨交で復活系統といえば7系統もそうだね。
水戸駅−国立病院−茨大 から
水戸駅−水高スクエア−赤塚駅 と変わったけど。 浜田の貸切格下げ車
http://jnr103.at.webry.info/201307/article_3.html
>>355
茨交は9系統も復活。平日のみだが。
昔使ってて今使ってない番号は、
6,13,14,15,18,30,33,42,44,46,51,54,72,80かな。
72系統は短命で終わった。 >>356
画像のあるページを見たけど使用系統が60・61とあるだけで36の記載がないね。
36系統、日立乗り入れ末期こそ一般路線車になっちゃったけど。
9系統ってどこ線だっけ?
当方日立電鉄エリアなので昔の系統番号には疎いが。 >>357
下市循環。
今の9は旧、買い物バスが定期路線に昇格したもの。
茨城交通は長距離線のみで市内路線には入らなかったけど、日立電鉄の貸切格下げ車は日立〜小木津などの高萩線の区間便にも入っていた。 >>358 サンクス。
日立電鉄の日立市内2営業所では伝統的に担当車制である為、貸切格下げ車は30系統や4系統等南営管轄の市内主要路線にもバンバン入ってた。
多くは標準床だが一部富士重工R1(乗車歴あり)のハイデッカーもあって狭幅中扉と併せお年寄りには大変そうだった。
フロントガラスから飛び出た幅広方向幕も印象的だった。 水戸地区で貸切格下げ路線車が見られたのは東武の笠間車庫行きもだな。
笠間も末期は7000番台後半のP-HTがメインになってしまったけど。
貸切格下げでは無いが、茨城交通の35系統はよく日野スケルトンの水戸22あ・600が運用に入っていた。
貸切格下げ路線車が出た背景には時期的にいすゞ標準ボディの製造所移転(岐阜→宇都宮)による生産能力低下と関係があったりして。
茨城県内にも中古車(日立電鉄では神奈中車が最初)が出始まったのもこの時期だし。
バスマガジン vol.51に浜田に置いてある同型の現役時代の写真が掲載されてるね。
茨22あ17-57 77年式日野RV
>>360
東武笠間の格下げ車は7290と7302と7419がいた。 関鉄の貸切格下げは土浦の補給処経由荒川沖線とか、取手の井野団地線に主に入ってた。
土浦には社番0741が、取手には社番0792がいた。
1980年代中頃、当方が乗った茨交36系統に充てられた浜田所属、日野の貸切格下げ車の車番は「茨22あ」の確か1900番台だった希ガス。
>>362前段と同じ1977年式といえば日立電鉄ではサブ冷ワンロマ車(その一部には屋根上に高さ数十cmの全周広告付き。当方は小学校時代の遠足のバスとしても何度か当たった)が導入されていた。 >>365
当方の記憶が確かならば日立電鉄の屋根上全周広告付き車両はいすゞBUが3台、日デU30が1台、日野RCが2台。
画像のコメントでCLMかCJMとあったけどその当時同社ではCLMはない筈。
54懐かしいね。
あのロットの中には川重CCMのオートマ車(ナンバーは同61と62)もあった。
丁度広幅方向幕に切り替わった頃のロット。 >>363
関鉄土浦管内では団地線にも入っていたね。貸切格下げ車
後は、鹿行地区にもいた。 格下車ってあまりにも混雑する路線には使えなかっただろうし、現代の中型車と比較して燃費はかなり悪かったんだろうな。
>>369
関鉄のCLMも懐かしいな。
鶴見臨港の1台は日観に移動したね。 >>369
日立電鉄のCLMは都営中古のみ。
富士重工3Eの1台を除き川重だった。 >>372 写真の東野19号車は、中古で納車当時、東野で唯一の四菱車でした。
次に四菱車が入ったのは、鬼怒川車庫に配属された日本鋼管中古の480号車。
その次は、新車で納車された652世代の4台。
東野交通も東武バスも関東自動車も、当時はカンテラ王国だったな。
関東自動車の佐野なんて、乗合車全部カンテラになってた時期あったし。
当時は日大高校の送迎が主な仕事で、路線なんて静和〜足利、冨岡車庫〜赤見温泉、冨岡車庫〜石塚団地しか無かったからな。
赤見はマイクロ44号車で運行されてたし。
赤見が休廃止になってからは、完全なカンテラ王国だったからな。
その後、321号車が入って唯一の路線仕様の車両だった。 >>371の続き
しかもK-代当時のいすゞは2本スポーク+丸形センターパッドのハンドルが標準なのにこの都営中古は1世代前の3本スポークハンドルが付いていた。
(CLM+3Eは神峰の他高萩にもあったから計2台。スマソ) >>353
見川線は一度路線休止したな。
偕楽園の駐車場から曲がって徳川博物館の前を通って行くルートでオートのタクシーのあるとこで折り返していた。
晩年は休日のみ運行で地元民からも存在感が薄かった。
他に今年廃止になった。吉沢車庫〜畑中〜新道払沢〜水戸駅線も一度休止している。
ここはみなみ団地経由ができる前は1時間に2〜3本運行していた。 >>375
そういうのが所謂「免許維持路線」だったのかな?
日立電鉄でいえば既に廃止された15系統「日立駅−旧国道−南高野団地」線も10系統水戸線が廃止されてからは一日1往復の状態が続いて終いには21系統(起終点が同一の大学通り経由)に吸収された。 >>375
畑中経由吉沢線は植物公園線の区間便として運用されてたな。
もっと前は鉾田営業所も1便担当していた。
他に関鉄水戸管内では10年くらい前までは御茶園循環、水戸駅南口経由柏渕、古宿経由吉沢車庫(払沢線の延長線)、中石崎(けやき台団地の延長線)、中山行きなんかもあった。 日立電鉄は朝晩の工場輸送に強みがあったけど、南営管轄ではここ10〜15年の間に
32系統 神峰営−塙山−大甕工場
37系統 日立駅−中央線−大甕工場
38系統 神峰営−海岸−大沼工場
がなくなっちゃったなぁ(これらは30又は35系統に吸収)。
後、中型専用の24系統・多賀駅−久慈割山線も(これには水戸22あ、の一桁ナンバー車がよく充てられた)。
>>335
昔(1980年代)そのバスに乗って通学していた。
廃止直前期に乗ったら、運転手が経路間違えて運転していたので、オタ席から正しい道順を案内したことも、今となってはいい思いです。 茨城交通が、水戸駅〜宇都宮東武まで走ってたのは、昭和何年までですか?
40年代ってのは聞いたことあるけど、詳細が解らないもので。
ちなみに経路は、水戸駅〜野口までは、現在の経路と同じかな?
>>380
54年。
北関東ライナー開設時に水戸と宇都宮は30年ぶりに繋がった。 >>383
勘助行きとか懐かしいな。
昔はそれよりも先にも行ってた。
水海道の万博車は幕回してると既に廃止になった路線とか色々と出てきた。
「平松」「一言主神社」「筑波駅」「石下駅」
などの幕もあった。
水海道〜守谷〜取手線は294号を外れて野々井の集落の道を走っていたな。
この集落の道が狭くて中型限定運用だった。 最後の万博車がまだ割と残っていて、土浦には元内陸の長尺車がゴロゴロ。
もう10年になるのか。
土浦市教育委員会の昔のバスってどんなバスでしたか?
日立電鉄には万博車はなかったけど茨交の万博車は三菱こそなかったものの、他3メーカーの富士重工車があり、日野富士を最初に見たのも万博車だったな。
>>381 有難う御座います。
54年まであったんですね。
水戸〜宇都宮とか、高速バス以外では長い距離走る路線バスだと思いました。 茂木まで繋がってる頃なら宇都宮まで乗り継ぎできたよ。
>>393 長倉から茂木の区間、バス走ってましたっけ? 6年半前までは、水戸→石塚→茂木
と乗り継いで行けた。
石塚→茂木はRB専属路線。
>>395 水戸から宇都宮が走ってた頃、水戸から茂木までは、そのルート走ってたのかな? >>397
レインボーだが車格的にはリエッセの前モデルに当たる。 どーもスレ的に日野RBっつーとREの前世代を思い出すw
>>396
宇都宮まで繋がってたのは御前山回るルート。
石塚〜茂木線はローカル線
その前には友部〜笠間〜茂木線もあった。
95年に笠間〜茂木が廃止になって、08年に笠間〜友部が廃止。
笠間〜茂木は焼き物ライナーで復活。 >>400 焼き物ライナーって、路線定期運行なんですか? 茂木〜塩子線で使われてたレインボー、廃車になってからミャンマー入りしただろ?
ミャンマーで走ってる写真あったし。
>>400
水都西線が長倉まで来ていた。
その後茂木まで短縮。 9年前にローカル路線バス乗り継ぎの旅があったらルイルイ&蛭子は太田〜東館に乗って白河まで1日早く到達できただろうに。
>>403
一往復だけ間合いで益子笠間の間を走るバスがあるよ 水戸ナンバーでの最若番
日立電鉄 水戸22あ・・・1
茨城交通 水戸22あ・・・7(茨城オート 3213R 茨交単体では水戸22あ・・31)
関東鉄道 水戸22あ・・10(社番0980)
因みに水戸200かだと
日立電鉄 水戸200か・・・9(元都営RJ)
茨城交通 水戸200か・・11(元都営RJ)
関東鉄道 水戸200か・・14(社番1787(貸切)。一般路線だと水戸200か・・48(社番9134)が最若番)
>>407
オートは水戸22あ…8もいたな。
78年式の日野RE
水戸22時代はずっと日野に拘ってきた。
1999年に都営からいすゞのLV(水戸200か34/35)が入って日野体制が崩れた。
オート最晩年は水戸〜桜川車庫及び岩間街道沿いのエリアと赤塚南口発着路線、岩間〜奥ノ谷しか路線が無かったが、
全盛期は友部〜住吉新宿〜岩間〜羽鳥駅〜石岡駅
の路線があった(国鉄も同じ路線があったが、友部付近はオートと国鉄でルートが異なってた)。 茨交浜田の水戸22あ・907
日デスペースドリーム
茨交唯一のダブルデッカー
この型式は全国でも10台くらいしか無かった模様。
>>409
つくば科学万博の頃だね。
関鉄、茨交、電鉄、茨観、国鉄と軒並み新車購入していたな。
東武も埼玉の営業所配置だが境常駐扱いで土浦ナンバーで新車購入していた。万博終了後に大宮ナンバーに変更されたが。 万博のボルボ、100台近く購入していたな。
万博中央〜会場をピストン輸送していた。
栃木22う…1は関東自動車の元神奈中
因みに東野の栃木22うの最若番は栃木22う…8
>>49
廃ビスカスのサイトにはこの0922より古い年代の関東鉄道バスの貸切車の廃車体がある。
旧東町地内にあった模様。 北関東でトップナンバーと言えばJRバス関東の土浦22あ…1
BUなのにフロントスタイルがCJMだった
0922は77年式の貸切車。
谷田部の川重CCMの0909や水戸の北村CCMの0915と同期。
0909がいたのは今は亡き田伏。
谷田部にいたのは0906と0907。
田伏も閉鎖して間もない頃に行ったが、あそこだけ昭和時代にタイムスリップした感があった。
>>387 それってさ、確か常総学院バスに、譲渡されたやつの車体か? 先日波崎の1743がわずか15年で廃車になったが、その前の1469も15年で廃車。
更にその昔の1331は14年で廃車になった。
LVなんかは末期の頃は塩害で塗装が剥げて錆が出ていたな。
>>420
土浦市教育委員会→常総学院は無いんじゃないかな。 >>413 8は、末期は杉山に配属されてたな。
関東自動車の5が梁瀬で、6が鹿沼で7が栃木にあったな。
5は、最初は駒生だったが、すぐに梁瀬に転属になった。
駒生では、15:30頃に駒生を発車する、宇都宮駅を経由しない珍しい系統の県河内庁舎行きによく使用されてた。 >>421
はさき号用の高速バスの1748HSも錆が出ていたな。 >>421
鹿島地区の関鉄で長持ちしたのは社番1220IT(水戸200か・176)が最長じゃないか。
塩害で錆といったら、だいぶ昔、鹿島のBU社番0851(茨22あ1639→水戸22あ・・23)が晩年他の営業所に転属したが錆が目立って使い物にならなかったというのを聞いた。
他にも波崎のBUの社番0863(茨22あ1682→水戸22あ・609→土浦22あ1050)も、晩年土浦に転属したが土浦ではほぼ特定運用だった。 >>423
主要駅不経由便なら一部が水戸駅を経由しなかった茨交33系統もあった。 某ツイッターに関東鉄道バス 社番0609の廃車体の画像あり。
>>426
そう。
このあたりだと、水戸22あ・603が鉾田のBU10(社番0806、元茨22あ1503)で、・605が鉾田のCDM(社番1222)
・607と・608が波崎のRJ(社番1230,1231)だった。
その後・611〜・613と水戸にCDMが入っている(社番1217〜1219)。
>>429
0609とはまた古いな。
高浜のやつと同期に入ったやつかな。 >>66
亀レスだが、栃22は1827で終わり。
関東自動車の神奈中古のK-CJM500(川重)だった。
栃木22は1215で終わり。
関東自動車のハマ中古のブルリだった。
栃木200は40で終わり。
関東自動車の川崎市営中古の富士5EのLVだった。 PC守谷〜北柏線も関鉄と東武が共同運行していた頃は便利だったなぁ。
利用客もそこそこいたし。
路線バスの旅、20年前にやってたら水戸→日立もあったかもね。
>>436
石岡→水戸→日立→高萩…ってね。
けど県境で途切れると思われ…
日立駅のバック式のバス停も懐かしいなぁ。 >>437
懐かしい!
バックの時に誘導してくれるおじさんがいて待合室があって
駅横にドムドムバーガーがあってw >>438
あそこには12レーンあって、誘導員のおじさんもバスを見ただけでどのレーンに入れるか一目で解るのも凄い。
待合室でのおじさんと運転手との一服会話も懐かしいなぁ。 今年は取手〜天王台〜我孫子線、竜ヶ崎〜利根ニュータウン〜布佐線廃止から10年。
>>422 初期の頃の常総学院バスは、凄かったよ。 >>438
ドムドムバーガーならば、水戸にもJTBビルのとこに昔あったわw 前橋のバスロケーションシステムが廃止になって何年経つんだろ?
今、運用しているところも廃止すればだいぶ経費削減できるんだろな
>>440
取手〜天王台〜我孫子線は末端の天王台〜我孫子間の利用が多かったんだよな。
廃止が決まった時に天王台〜我孫子だけでも残したほうが良かったんじゃないのかという意見も多数あった。 >>443
撤去費用も膨大でもうあるがままに、なんじゃないの? >>444
その路線、確かに苦しい状態だったけど、ボロボロな茨城の一般路線バスの方ではそこそこまともだったと思うのだけどね。
末端区間は本当によく乗っていたことを思えば残しておけばよかったようなものを。 >>446
最末期は排ガス規制の関係で入る車も限定されてた。
最終日の最終運行便は我孫子〜天王台間で20人強の利用があったらしい。 廃止路線を再開した関鉄グリーンバスの玉造〜土浦線は関鉄観光がやってた時代よりも利用客が多い。
鉾田から茨大行きのバスがなくなって田舎に行くとき不便だわ。
旧旭村だけど大洗鹿島線からはかなり離れてるし。
>>449
茨交51系統は大洗鹿島線開業前は30往復/日あって、2000年代初頭は10往復/日あった。最末期は4往復/日まで減らされた。
支線系統として大洗高校を経由する路線や、大洗駅始発の路線、柏熊からそのまま直進して大竹海岸まで足を延ばす系統(元祖52系統)もあった。
関鉄は内陸の県道114号線を通ってて、大貫行きや、区間便の旭村役場(それ以前は玉田海岸まで足を延ばしていた)造谷経由水戸行きなんかもあった。
大貫行きは最末期は片道1往復、休校日運休まで格下げされた。 >>449
バスあった当時からかなり不便だったと思うが 昭和50年代前半頃の鉾田〜茨大行きは乗り遅れても次を待てばいいって感じだったな。
大竹行きの滝浜新田バス停は樅山三差路を経由せずに手前の横道から国道51号線に入ってた。
その横道に大竹行きのバス停(上下共用?)があって、角材1本が建ってるだけの簡素なものだった。
>>450
最末期は平4回 土3回 休2回
大貫〜鉾田は鹿島軌道とほぼ並行。 バスマガに日本観光バスの北村CCM茨22あ1924
>>453
鹿島軌道の資料に依れば、大貫駅は水浜電車の大貫電停より離れ、鉾田駅は鹿島参宮鉄道の鉾田駅よりそれなりに離れていて不便だったらしい。
鹿島軌道の鉾田駅は現在の鉾田市役所付近にあった模様。 >>211
カンテラバス(貸切格下げ車)か自分は父親の関係で3歳から小5までつくば市に住んで
居たけど、つくば・土浦地区は北関東の街の中でカンテラバスとはほぼ無縁だった
様な気がするな、つくば・土浦地区で唯一関鉄バスのカンテラバスが走ったのは昭和56年〜昭和60年
頃までかな。他の北関東地区の宇都宮・小山・水戸・高崎・前橋に比べて活躍時期が大変
短かかったな。まあカンテラバスと言っても中間扉取り付け改造車だったしな。
まあ救いと言えば国鉄バス土浦営業所所属の71年〜74年式?の観光車がほんの数台所属いたぐらいかな。 JRバスの南筑波線ももう結構経つのな。
もう乗らなくなって10年か。子供ん時から乗ってたから思い出深いわ。
誰か運賃表とか時刻表とか持ってないかな。
>>439
バックで入れるの面倒だろうけど、あれは乗りやすかった
今は初見の人がロータリー端から端まで歩いていたりと 1983年頃の群馬中央バスの伊勢崎営業所のバス路線で太田駅(太田新島車庫)発着路線。
1新島(太田車庫)〜太田駅〜新田〜伊勢崎駅〜駒形〜前橋駅
※太田〜伊勢崎駅の区間便あり。
※1日一便「太田呑竜」経由あり。東武バスとは別位置で、専用の駐車場で車庫から乗車した誘導員がバック誘導。誘導員は途中バス停で下車。
2 新島〜太田駅〜世良田〜伊勢崎駅
※途中で昔の「県道前橋古河線」から外れて世良田へ
3 伊勢崎駅〜新田〜藤阿久〜下浜田〜太田駅入口〜南一番街〜太田駅南口
※平日のみ朝夕1往復。車社会の群馬県でなかったら、太田バイパスを途中からはずれ、関東学園大学や太田商業高校に立ち寄る形で日中も運転していたらと思った。
4 新島車庫〜太田駅〜大間々車庫
午後に一便大間々ゆきがあった。ほぼ、東武桐生線と平行した道路を運転していたはず?
実際私が乗ったのは1だけで、初めての時は運よく、1日一便の太田呑竜、伊勢崎駅、駒形経由 前橋駅ゆきでした。
詳しくご存知の方は御教授ください。
JRバスのつくばセンター〜イオンモール土浦って名残?
>>461
新島車庫の跡って今はどうなっているの?
>>464
ageるのもいいけど、些細なことでもいいから話題を書いてよ。 Googleマップの映像で見る限り、群馬中央バスの太田車庫の跡は当時と別の建物が建ってしまったようで、場所がはっきり判らなかった。
太田駅から来て、東武線の新島踏切を渡って、右手にあった。
因みに東武バスは郡中バスの太田車庫のバス停に止まらなかった。
近くのバス停は「新島踏切」
・太田市本町が一方通行だった時代。太田駅行きは、東武バスも郡中バスも一本北側の道路を通っていた。そのコース上に、東武バスのみ停車のバス停(太田駅〜宝町〜尾島三菱電機線)があった。たしか、「太田女子高前」だったような?
いつの間にか上信の飯塚車庫も更地になってたんだな
営業所も移転している
>>466-467
ありがとうございます。
なんとなくおぼろげながら区画は残っていたのですね。
>>466
太田市本町が一方通行だった時代ってどこからどこまでが一方通行だったんですか?
90年代に出た地図だと、
女子高前〜西中前〜高山神社前〜北裏通〜二丁目
| |
〜六丁目〜〜〜〜〜〜〜〜五丁目〜〜三丁目〜〜二丁目〜〜
|
駅
みたいに書かれていますが、一方通行時代もこのように運行?
東毛に詳しくなくて重ね重ね質問すみません。 >>468
飯塚といえば強烈にぼろい営業所の建物が懐かしい。
一応、この建物は群馬のバス営業所の建物としてはかなりの骨董品レベル、みたいなことを運転士さんがいっていたけれど。 昭和40年頃まで茂木駅と常陸太田駅を国鉄バスが2往復ありました
群馬県太田市本町の昔の一方通行区間は、国道407号線との交差点から(昔は東武線を跨ぐ陸橋があった。)伊勢崎市方向に向かっての一方通行で、本町の商店街の外れまでが一方通行。
>>472 昭和40年代までは、県境越えて走る路線が結構存在してたよね。
確か、茨城交通の水戸〜御前山〜宇都宮線も、昭和40年代後半ぐらいまであったような気がします。 ★群馬県太田市の本町が一方通行時代のバス停。
(東武)東毛病院ゆき、宝団地ゆき、尾島三菱ゆき、太田呑竜経由青年の家ゆぎ
(群馬中央バス)前橋駅ゆき、伊勢崎駅ゆき、大間々ゆき
※いずれも伊勢崎方向に向かって。
太田駅→太田三丁目→太田五丁目(東武の青年の家ゆきと、群中の呑竜経由前橋駅ゆきは右折)→太田六丁目
※太田駅ゆき(東武、群中)
太田六丁目→太田女子高前(東武のみ)→太田病院前→高山神社前→北裏通→太田駅
太田駅方向は大型バスが走ると車道がいっぱいのところがありました。
>>473
茨交の宇都宮行きは昭和54年の廃止、同じ区間を走った国鉄は55年の廃止でした。 なんで北関東の中距離路線バスはこんなに壊滅してしまったんだろう
ま、群馬は論外として宇都宮と水戸市内は結構充実しているのに…
水戸は茨交の天下だし宇都宮も関東自動車の天下
群馬は中小が有りすぎるのも原因かな
鉄道すら乗らない社会でバスなんてますます乗らないよ
大手も運輸局や自治体に金せびってる
群馬県は車社会だから、路線バスが衰退した原因の一つだけど、高崎経済大学の先生が書いた東武バスの本に書いてあるけど、東武バスの担当エリアの東毛地区(館林市、太田市など)の路線廃止は多かった。
群馬県内の路線バスは赤字でも、東武鉄道全体では黒字のために、国から補助金が出ず、群馬県の市町村からの補助金しか出なかった。(当時、バスも東武鉄道直営だった。)
あと、バスのダイヤにも問題があったとか、途中まで同じコースの行き先のバスが続行ダイヤで出ていたとか
前橋駅〜渋川駅〜沼田駅がツーマンバスからワンマンバスにした時に、均等ダイヤが崩れて不便になったとか、路線を途中で分割して乗り換えが必要になり客離れが起きたとか…
ミニ国鉄と言われるように、当時の組合が強くて会社も思うようにできなかった、結果→お客にとっては不便に→減便→路線廃止→子会社や他社に路線移譲で群馬県の路線バス撤退。
>>476
東武バスはかつては水戸・両毛線沿線に中・長距離路線を展開していた。
1980年代半ばまでは水戸から小山まで東武バスだけで乗り継いで行くこともできた。
昭和末期に笠間〜下館が廃止。そして平成6年に笠間が閉所。翌7年には下館も閉所となった。
>>477
水戸は関鉄、宇都宮は東野も乗り入れている。 筑波山シャトルバスが当たりを出さなかったら茨城県南の関鉄は相当壊滅してるんじゃないかな。
関鉄とかガラガラ路線ばかりしか思い浮かばないが
しかも撤退路線数も半端ない
群馬中央バスも大昔は館林市まで行っていたし、東武バスが廃止した東毛地区(太田市、館林市、大泉町)の路線を引き継いでいたら、今太田駅、館林駅、桐生駅からの都市間高速路線バスが開設できたはず。
何年前だか忘れたが玉造駅から土浦駅まで関鉄バス
に乗ったな。今は霞ヶ浦大橋渡る路線は無いのかな?
ついでに言えば歩崎公園の売店で佃煮買いに
田伏行きの(国道経由じゃない方)バス乗ったけど
あの道の狭さは懐かしい
>>486
水族館のほう通ってた県道118号経由便は2006年に廃止済
国道354号経由便は2009年に廃止したが、2012年に復活。 >>480
全盛期〜衰退期になるところが
東武のイメージダウンになるから無理。
そもそも調査するのに東武が協力しないと思うよ。 まあでも,東武鉄道が,昔から神奈川中央交通のようにバスだけの会社
だったら,路線規模縮小は避けて通れないけど,もうちょいマシな道が
あったかもしれないな。
>>491
それでも北関東からの撤退は避けきれなかっただろう。 >>456
水戸電気鉄道も戦後まで残ってたら水戸市南部も茨城交通のエリアが広がっていた。 昔の日立電鉄バスで屋根の上というか、側面?
にカバーみたいなの付けて広告載せてたのを覚えてるな。
>>416
稲敷市本新のゲートボール場にあった0713か。
現在は撤去済。 >>498
群馬と関鉄だけか。北関東で北村の中型がいた事業者は。
日立電鉄は小型ならいたけど。 >>500
北村のCDMは関鉄に2台しかいなかったよ。 北村のCCMは関鉄では社番0910〜0915,0964〜0968,1029〜1031,1066〜1070,1133〜1137,1159〜1161,1189,1190がいました。
入ってた営業所は主に筑波(つくば北)、水海道など、主に県南県西地区に配置されてました。
>>499
昔はバスの廃車体あちこちあったね。
ラーメン屋に変身した廃車体もあるし。 日立電鉄バスと関鉄にいたサッシ配置が違う川崎CCM初期車も気になった。
>>505 貸切車ならいたなあ 熊谷の車庫で撮影した。 路線バスにもいたと思うんだよな
久下農協前行で乗った記憶が
BSI資料館で15年前のつくばのバス路線網が見れる。
>>511
谷田部四つ角〜筑波線
水海道〜上郷線
つくばセンター〜筑波線
水海道〜筑波大学病院線
つくばシャトル
高野〜荒川沖線
手代木団地線
つくばセンター〜栗原〜土浦線
土浦〜上郷線
南筑波線
つくばセンター〜東光台〜石下線
要害住宅線
これだけの路線が14年のうちに消えていった。 茨観って何故つくばセンターに入る路線作らなかったんだろ?
>>513 路線が免許制だったころ、つくばセンター関連の路線免許を関鉄が全部押さえてしまったから。 JRバス関東は関鉄と共同運行だから、つくばセンターに入れる。 茨交51系統が廃止になって5年経つけど、今でも鉾田の車庫跡は残ってるんだなぁ。
>>512
高野〜荒川沖線なんか、TX開業まで残ってたら万博記念公園乗り入れとか実現してそうだな。 東武バスが群馬県から撤退するときには、他社も経営が苦しかったから、既存の会社が代替路線として引き受けなかった。
もし、体力があったら前橋駅発着路線は、伊勢崎方面は群馬中央バス、赤城山方面と前橋市内の川原町行きは上毛電鉄バスが引き受けていただろう。
当時、前橋営業所がなかった関越交通は渋川駅ゆきと、南橘団地ゆきの担当に。
>>512
要害住宅はユニークな幕だったな。
谷田部(要害住宅)って幕で。 >>522
今とそんなに大きく変化は無いね。
鉾田〜大和田〜堅倉線の上吉影から西側は小美玉循環バスで復活した。 石岡・笠間だと、石岡市内線は大きく変わってるね。
染谷、大原、根当、小井戸
みんなその後巡回バスに移管して廃止された。
平日片道1本の茨城桜本→石岡駅線も懐かしい。
>>522
JRの水戸南線懐かしいな。
1999年当時だとまだ常陸高田行きも1往復だったが残ってたな。 >>523
鉾田〜大和田〜堅倉線は美野里から鉾田の高校に通う生徒向けの路線だったなぁ。
羽鳥まで延長してたら通勤にも使えたんだろうけど。 東海村に茨交バス路線が復活。
>>529
10系統が日立駅〜水戸駅だった。 >>530
おさかなセンター乗り換えで水戸から大甕・日立方面へ乗り継ぎ出来そうだね。 >>532
高鈴台団地行きが芝内で切れてる・・・
と思いきや堂平からの系統だけ掲載されてるのか。 >>532
12系統専従(出入庫時は4系統)で南営業所に所属した北村ジャーニーQ(車番119x)もあったね。
14系統と言えば日立駅〜多賀駅〜東海原研前という路線(多賀駅始発は27系統)があったのを思い出す。 >>537
南の北村は1191,1196,1197,1198 >>534
ボルボのスーパーシャトル連節バスはロングトミカで販売してたっけな。 >>505
>>507-508
秩鉄の北村CCM/CDMは乗合にも貸切にもいましたよ。
貸切は東日本急行の旧塗装の色違い(青→赤茶)の通称赤バスから
現行塗装(正確には一度変えて元に戻しているので旧々塗装)に塗り替えられました。
曲者に山の手レン(ごにょごにょ
秩父観光バス(ry
久下の石田観光が(ry 昔の北関東3県のバス路線資料ってのがあったらいいな。
某所に関東鉄道 1125TRの写真が出てたな。
3EのCLM
>>524
茨城桜本→石岡駅は旧道経由の名残。昔は水戸駅始発だった。
水戸駅発19時と19時40分の石岡駅行きが旧道経由だった。
茨城東高前までは新道経由(現在の水戸〜石岡線と同じルート)と同じで、小幡の三叉路から左に降りて行った。
小岩戸十字路で新道経由と同じルートに合流。竹原の十字路から右に曲がって行った。
走ってたルートの一部は今は小美玉の地域循環バスが走っている。 >>76
鉾田市某所でその1091HKの廃車体があるな。
物置に使ってるみたい。 >>548
常磐線の普通電車の本数が少なかった時代は石岡〜土浦は20分おき、石岡〜水戸は40分おきに発車していた。 懐かしいスレを発見してしまった
水戸駅に茨城交通・関東鉄道・国鉄バス・茨城オート・日立電鉄の5社が乗り入れてたの覚えてる人いる?
あの頃は各社カラフルで楽しかったなぁ
>>552>>553
東武バス・・・車体もバス停も水戸では見た覚えないんですよねぇ
検索してみたら出てきたんですが青とアイボリーの車体のやつですか?
日立電鉄のとごっちゃになってたのかな? >>554
正解。
水戸駅に来てた東武バスは境営業所笠間出張所のバスなので土浦ナンバーだった。 >>551
今じゃ東武も笠間出張所閉鎖時に水戸から撤退。日立電鉄も水戸から撤退。
オートも茨交に統合してしまった。 日立―高萩線も消えて久しいな。
水戸―太田も最近廃止になったし。
鹿行地区の茨城交通
茨大前〜栄町〜水戸駅〜大貫〜鉾田駅前
茨大前〜栄町〜水戸駅〜大貫〜大竹(夏季は大竹海岸まで延長)
その他、大洗駅までの区間便、バイパス経由もあったな。
通常便だと夏海十字路の狭い集落を通ってた。
>>560
沿線住民からの復活要望が高かった。
51系統、旧52系統が現役時代は旭東小学校の児童は通学に路線バスを使っていた。 そもそも鹿島臨海鉄道沿線の昔からの集落や人口の多い地域は51号沿線が多い。
水戸、大洗、新鉾田、鹿島神宮以外の駅はほとんどが昔からの集落から外れた地域にある。
東水戸、常澄、涸沼、北浦湖畔は水田地帯、鹿島旭、徳宿、大洋、鹿島灘、鹿島大野、はまなす公園は畑の中に駅がある。
みちのり傘下になってから茨交はチャレンジャーだな。
関東自もチャレンジャーになってくれないかな。
小山駅西口から中長距離路線バス復活とか。
茨交が大洗〜鉾田線復活したから関鉄グリーンも鉾田〜鹿島線復活だな。
新鉾田駅〜大竹〜汲上〜荒井〜鹿島宮中〜鹿島神宮駅
>>566
あの路線も鹿嶋市内で小学生の通学に路線バス使ってたから廃止の発表があった時に沿線住民から猛反対があった。
鹿島臨海鉄道からやや離れた場所を走行していたことや、大洋や大野の昔からの集落は51号沿線及び県道18号沿線だったことから利用者も朝夕は割といた。
廃止後、鹿嶋市域の一部は鹿嶋市コミバスが当該路線を走行しているが、鉾田市域は代替交通は無い。 >>567
鹿島臨海鉄道が開業してから苦しくなっていたけど、それでもローカルバス路線の中では頑張ってたほう。
鹿島アントラーズの試合のある日はサポーターの方も割と乗ってたりと。
大昔は北村のMRもこの路線によく入ってた。 Jリーグが開幕した当初は鹿島臨海鉄道はスタジアム駅に停車しなかったから、鹿島灘駅から水戸方面の観戦客シャトルバス出してた。
関鉄波崎の京阪RCとか土浦から万博車などが運用に入ってた。
>>566
関鉄の水戸駅=偕楽園線も復活路線。
昔、関鉄水戸の呉羽・三菱MKに水戸駅=大工町=偕楽園
の幕のバスを見たことがある。 ずっと昔は柿岡から上曽峠超えて真壁まで行く関鉄バスの路線があったそうだよ。
>>571
昭和50年代に乗車したよ
当時は石岡駅から柿岡・上曽を超えて真壁まで走っていたよ
1日3便程度、ほぼ真壁高校へ通学する高校生のスクールバス的存在でした >>51のリスト見ると、大昔関鉄は取手から水戸までの急行バス運行されてたんだね。
常磐急行バスが日立〜新橋を1977年まで運行していた以外に。 取手駅〜筑波駅
取手駅〜土浦駅
常磐線の本数が少なかった頃にあった路線か。
取手駅〜土浦駅は今はJRバスの深夜リレー号で実質復活してるな。
1980年代前半までは常総線沿線も関鉄バスだけで行くことができた。
取手駅〜水海道駅〜下妻駅〜下館駅と。
>>574
取手駅〜筑波駅 どのようなルートだったのでしょうか。
谷田部台町を左折の四つ角筑波駅線ルートでしょうか? 1984年の関鉄バスの資料で取手〜筑波線の路線は無かったから廃止になったのはそれ以前だね。
ただ、1984年の関鉄バス資料では取手〜牛久線は現存してる。
当時は取手〜キリンビールの工場の中に入る路線もあった。
>>578
従業員用路線といったら、関鉄鹿島の鹿島神宮駅〜住金工場もあったな。 >>577
写真の上の川重CCMはナンバーが17-11なので、76年の社番0857と思われます。
この時期の川重CCMは水海道には社番0856(茨22あ17-10)と社番0857(茨22あ17-11)の2台がいました。
写真下の北村K-CCMは社番1135で、81年前期の車です。81年前期の北村K-CCMは社番1133〜1137の5台おり、
社番1133と1134が筑波、社番1135〜1137が谷田部に配置されました。
その後谷田部にいたほうの社番1135と1136が水海道に転属、社番1137は潮来に転属し、写真の社番1135は最後は柿岡に転属して廃車となりました。 >>578
その頃取手駅〜守谷駅〜水海道駅は1日12便あった。
晩年は取手側以外はほとんど空気輸送だった。 1980年代前半に関鉄バスが乗り入れてた駅
水戸、友部、岩間、石岡、高浜、土浦、荒川沖、牛久、佐貫、藤代、取手、我孫子
下館、結城、常陸小川、玉造、榎本、鉾田、常陸北条、筑波、真壁、下妻、石下、水海道、
守谷、戸頭、布佐、下総神崎、佐原、小見川、銚子、潮来、鹿島神宮
羽鳥は当時国鉄、オートのみ乗り入れ。神立は当時日観のみ乗り入れ。天王台、ひたち野うしく、新守谷は未開業。
>>583
鹿島から成田までの関鉄の急行バスもあったみたいですよ。 >>583
関鉄の潮来駅〜小見川駅
末期は休校日運休
水郷有料道路経由、水郷潮来経由と、結構味のある路線だった。 >>583
下総神崎行きは金江津小学校線の延長線か。
竜ヶ崎も全盛期はあのあたりまで路線あったなぁ。
今はニュータウン線と取手駅〜光風台団地〜竜ヶ崎駅線と竜ヶ崎駅〜江戸崎線、牛久大仏行き程度しか残らなくなってしまった。 突合で千葉交通で成田方面にも抜けられたね。
千葉交通はエアポート線以外では成田〜突合、舎利循環と茨城県内路線があった。
突合で乗り継ぎバスを
待っていると真上を
ジャンボが通り過ぎて
行くんだよな。
20数年前の思い出。
(´・ω・`)
来年で関鉄がメロン、パープルに分社化して15年。グリーンに分社化して14年か。
石岡も関鉄直営時代は苦しかったが、水戸線の奥ノ谷以北、土浦線の中貫以南はそれなりに頑張ってたと思う。
分社化した現在もまだ前者、後者共に利用者多いし。
ただ、小井戸とか染谷とかは関鉄直営時代からあまり利用者いなかったなぁ。
グリーンも茨城空港線、かしてつバスとあのあと当たり路線引いたな。
>>589
水戸〜石岡線も当初はグリーンがやる予定だったんだよね。
退職者が予想以上に出たから区間便除き水戸営業所担当に変更。
今は石岡営業所が担当していた時よりも本数が半減。
石岡営業所も全盛期の頃は鉾田と共管で高浜、大和田経由鉾田線も担当していた。 >>583
岩間の関鉄バスは石岡〜堅倉〜大笹〜岩間と、柿岡〜林〜園部〜岩間が乗り入れていた。
355号は国鉄バスが走っていた。羽鳥に出張所があった。 >>589
小井戸は東小学校経由と六軒団地経由の2つがあった。
東小学校経由は東小学校の児童以外利用者がほとんどいなくて最末期は休校日運休だった。
石岡市内巡回バスができてからは一般路線は六軒団地まで短縮。その後廃止された。 >>589
パープルバスも関鉄直営時代、筑波山口〜下館駅線や下館駅〜真壁駅線はつくば北が担当だった。
ここも分社して間も無い時期は沿線の高校生とかが利用してたんだが、下館の高校がスクールバスを運行し始めてからは一気に客が激減。
廃線に追い込まれてしまった。
筑西市はかつては東武、関鉄、茨急、東野と4社のバスが走ってたのに。 >>592
30年くらい前の話ですよ。
>>52にあるように竜ヶ崎駅から出ていた。
その後金江津小学校まで短縮。それから竜ヶ崎駅〜突合と突合〜金江津小学校と分断。最晩年は突合行き休校日運行というダイヤで終わりました。 >>591
1995年頃まで羽鳥拠点のJRバス路線もあった。
羽鳥に水戸支店の出張所があった末期の頃は羽鳥駅〜石岡駅線と、羽鳥駅〜常陸園部〜恋瀬小学校と羽鳥駅〜北浦団地の3路線だけ。
羽鳥駅〜石岡駅は廃止。羽鳥駅〜恋瀬小学校線は関鉄移管。
羽鳥駅〜飯沼〜赤塚〜水戸駅線は1993年11月1日の改正で飯沼止まりに短縮。その飯沼止まりも1995年10月の改正で常陸高田止まりに短縮。2000年3月27日の改正で廃止。羽鳥駅〜北浦団地も1995年4月1日の改正で廃止。
恋瀬小学校線も1986年8月までは山を超えて福原まで延びてた。
羽鳥駅〜石岡駅線もその頃までは友部始発だった。 >>589
その関鉄メロンバスが関鉄グリーンバスに統合されて今年で早10年。
関鉄メロンバス経験車も残り2台しかいなくなってしまった。 鉾田も関鉄直営時代は割と活気ある営業所だった。
鉾田駅前に関鉄レストハウスという関鉄直営の店出してたりと。
茨城観光バス路線、関鉄移管路線がもうちょっと多かったら、浜交の日野とかも関鉄移籍できたのに。
>>600
茨観はラストランに土浦22あ810が予定されてたけど、ラスト数日前に正直の坂でぶつけられて泣く泣くリタイア。
土浦22あ1671がラストランだった。
土浦駅〜竜ヶ崎駅線は廃止せず関鉄に移管したほうが良かったんじゃないか。 茨城観光自動車といえば、謎多き車だった土浦22あ547がいたな。
路線じゃないが。。。茨観の車庫に何度か撮影に行ったが貸切車が豪華だった印象
この時期しか運行されない石下→下妻線だが、昔はパープル管内でもこの時期しか運行されない路線が他にも幾つかあった。
1,秘湯館〜結城駅北口(結城巡回バス・平日運行)
2,結城駅北口〜七五三場(結城巡回バス・火・金運行)
3,七五三場〜古河駅東口(茨急バス)
4,古河駅西口〜境町(朝日バス)
5,境町〜東武動物園駅(朝日バス)
今の寂れた茨城西部のバス網でもこれぐらいの乗り継ぎは出来るみたいね
東武バスが撤退しなかったら、今回のローカル路線バス乗り継ぎの旅はゴールできたんでは?
>>606
今回は特に栃木県南地区の厳しさを痛感させた回でした。
東武が撤退。さらに関東自動車も撤退。残ったのは市内巡回バス
市内巡回バスでは市外に出れない。そのため徒歩移動を余儀なくされた。 栃木県南の長距離路線ならば、佐野〜静和とか、栃木〜小山とかの路線があったのに。
昔の東武バススレより
207 :名74系統 名無し野車庫行:2016/01/03(日) 17:35:36.47 ID:gUBsBPMA
昭和54年の東武時刻表を見ると水戸から高崎までは東武だけで行けるね
たった37年でここまで壊滅してしまった。
笠間〜下館の廃止は86年3月。水戸〜笠間の廃止は94年3月。下館〜小山の廃止は95年3月。
水戸も台町なんか20年くらい前は昼間5分に1本はバス来てたのに。今は昼間15〜20分に1本になってしまった。
南行きは奥ノ谷方面が1時間に2〜3本、免許センター行きが1時間に2〜3本、県自動車学校行きが1時間に1〜2本。
吉沢車庫行きが1時間に3本程度運行されてた。レアな行き先では中山行きが1日5本程度、長岡十字路行きも1日1本程度あった。
北行きも水戸駅、平須県自校、卸センター(現在の県庁バスターミナル)の他、奥ノ谷坂上、明光台団地、植物公園、ときわ台団地、偕楽園行きもあった。
>>611
13 : 名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:04/10/11 21:24:09 ID:R4yY+7Iu [1/1回]
>>6
水戸営業所
15年9月29日で以下の路線が廃止
水戸駅→小吹新道→植物公園
水戸駅=新道=見川
16年3月31日で以下の路線が廃止
ときわ台団地=水戸駅=けやき台団地=長岡坂下
水戸駅→中千束→けやき台団地
吉沢車庫→古宿→払沢→水戸駅
水戸駅=四中前=中山
16年7月20日限りで以下の路線が廃止
茨城町役場=仁古田=友部駅 今でも東武が北関東走ってたら先週の乗り継ぎの旅はゴールできただろう。
20年前なら水戸から笠間へ行けたし、笠間から山越えて茂木に抜けられた。
笠間〜徳蔵〜岩下入口線、笠間ウテシ2人によれば今春廃止とのこと
試験運転→一般化した常北中〜岩下・赤沢観音は存続
東武短縮引継の桃山は安泰だそうだ
茨交一地味な笠間の路線がまた一路線廃止に…
>>66
茨22は太田の日デ車の茨22あ1967がラスト 北関東の東武ほどではないが、埼玉や千葉も県庁所在地周辺以外は路線網崩壊しつつある
所沢なんて山手線駅から30分も掛からないで着くのにバス路線スカスカ
>>616
あそこはリエッセがよく入ってた路線だったね。石塚〜茂木線と同様に。 >>616
常北中のは中学校の統廃合も影響してるから当面無くならないかと
あれ無くなると七会の中学生が通学出来なくなる >>618
いつになったら市長への手紙を公開してくれるんだ?所沢粘着クン! 茨城観光自動車で最後まで残った京阪RCは土浦22あ1548
自社発注車で最後まで残ってた最も古い車は土浦22あ721
>>623
茨観の京阪RC、土浦22あ1548はよく茨観の最後の日まで頑張ったよ。
土浦22あ1571は3年くらいで廃車になってしまったのに。
その少し前だと土浦22あ393なんかもいたな。 ローカル路線バスの旅、栃木南部の厳しさが浮き彫りになったよね
埼玉抜けなきゃアウトというね
加須まで行けりゃ太田までは一日はやく行けてた
加須〜鴻巣〜東松山〜熊谷〜太田
(古河➡加須が分からん)
>>625 茨城西部の一般路線バスが茨急・朝日の境・パープルの下妻以東だけってのも… 栃木南部は乗り継ぎには使えない。
関自の一般路線も栃木は栃木駅〜國學院線。
佐野は佐野駅〜新都市線しかない。
茨城観光自動車が無くなって今年で15年か。
茨城観光自動車の残りも土浦22あ1952こと関東鉄道の9158TCだけ。
正直の車庫跡地に最近までいた茨観カラーのバスは今いずこ?
JRの大綱〜松本線も今月下旬で廃止。
八千代町からJRバス撤退。
八千代町も15年前は関鉄、茨急、JRと3社走ってた。
茨急も古河行きは八千代町役場からではなく下妻駅から出ていた。
>>631
マジ?
松本から歩いてニュータッチの工場へ行けなくなるじゃないか! >>631
下妻から西へ行けないので東武系の茨城急行に再度延伸して欲しい。
八千代町で補助金出してつなげる気はないのかな?
下妻から八千代までの路線バス空白地帯解消して欲しい
1日8便程あれば可 >>607
常総筑波カラーではないか。
そこに46年式の帝国BUまであるな。 昔、竜ヶ崎市内某所に関鉄バスの0804の廃車体があったよ。
既出の0585も知ってる。
>>636
昔の関鉄バスは社番表記をしていなかったり、リアだけの表記、フロントのナンバーの上部ボディーのとこに表記していたりと、結構バラバラでした。
71年式のBUだと、茨22あ3桁ナンバー前半あたりで関鉄での社番は0300番台後半〜0400番台のグループになります。79〜80年頃のBU、CLMの大量導入で大半が廃車となりました。
>>637
社番0804は75年式の川重BU10で、現役時代のナンバーは茨22あ1501です。
このグループは86年春に大半が廃車となっております。 >>638
10年で廃車か。今じゃ20年近く稼動してるのに。 会社にもよる気がする
北関東でも栃木や群馬は昔から長く使ってたし
来月、大野循環の一部と繁昌〜白浜口〜潮来線の一部が復活。
>>643
広域バスで復活するようだな。
青少年宿泊研修施設の反対側にあるレイクエコーや水郷潮来の高速バスターミナルにも乗り入れるみたい。 40代何故座席格差40代ニュース報道春文教授立会人そていFX博奕「ニューヨーク砂漠ソルトレイク」センター50代野村光金しゅっちょおしょくじけん
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mashumaro >>641 高崎経済大学の大島先生の本。最初は上毛新聞社が出版して東武バス中心の内容で、付録で先生が作成した、群馬県内の昔の東武バスの路線図がついていた。
その後、改訂版というか新たな情報が加わった物が出版された。
私は、埼玉県ふじみ野市のバスと木のおもちゃのお店「きつつ木」で二回目というか二冊目を買いました。
一冊目は、東京の千代田区神保町の書泉グランデで買いましたよ。
関東地区に在住であれば、この2つを当たって見るとか。 >>645
造谷では海老沢方面、旭村役場方面と分かれていたな。
旭村役場方面は昔は玉田海岸まで伸ばしていた。 >>645
鉾田〜造谷〜大貫線について解説。
大谷川〜和田間、和田〜旭北小前間、東野〜南安房間は旧道に入ってる。
全バス停
鉾田駅-本町-新町-鉾田小学校前-高校入口-鉾田桜本-北桜本-安房入口-南安房-安房-徳宿本郷-徳宿局前-
三本松-東野-四ツ谷-造谷入口-南造谷-造谷交差点-造谷-造谷薬師堂前-旭村農協前-大神-
田崎学校下-田崎-田崎局前-旭北小学校前-和田-大谷川-松川新田-南松川-北松川-御陣屋-
夏海小学校前-夏海十字路-大洗南中学校前-前原山-大貫角一-大貫集落センター前-
海岸病院入口-大貫下宿-大貫上宿-大貫中坪-大貫
支線の旭村役場行きは造谷交差点から右折。奥ノ谷方面行きは旭村農協前から左折するルート 高部って結構開けてるのね
昨日NHKのドキュメント番組に出てきて驚いた
今年は香取神宮〜佐原駅〜牛堀〜潮来〜鹿島バスターミナル線の廃止から10年か。
鹿嶋市内は旧大野循環線、行方市、潮来市内は繁昌〜白浜口〜延方線、潮来市内は潮来〜小見川線の一部を通る。
広域連携バス
関鉄バスの廃車体、石岡市某所に社番0663があった。
10年ぐらい前の話。
昔はつくばの松野木ってとこにも関鉄バスの廃車体あったよ。
撤去されたけど。
広域連携バス、次は鉾田〜鹿島線の復活でいいんじゃないの。
>>658
>>658
関東鉄道バスだと
おおつ野ヒルズ
1477G,1528IS,1582YT
1594TC
9080TC
9107TC,9108TC
1471YT 柏玉姫殿
0847
1264TR
1368TK
1370YT
1371YT
1525RG
1616YT
1435TR
1464TR
9042TR
9043TR
9088TR
>>659-660
これこれ。関鉄の側面広告車はこの2つが定番だったね。
茨交は勝田のホテルとか、亀印製菓の側面広告もあった。 側面塗装、北関東を走ってた東武バスも結構あったな。
酒のアワタとか。
廃車体で有名な場所といったら水戸線の川島駅から小山側に少し行ったとこに千葉海浜のRC3扉の廃車体が複数台留置されてる。
>>659
おおつ野ヒルズ追加。
1326YT,1366MT
>>660
柏玉姫殿追加
1580YT,1673MK,9036TR,9037TR(日観→関観移籍後は塗りつぶし),9174TR,9236TR
その他
ホテルマリアージュ吉野
1213HK,1227IS,1592G,1671IS
国民年金
1223TK,1291MT,1361M,9005MT
土浦京成ホテル
1593TC,1597TC,1730TC,9047TC
茨城県西自動車学校 1411RG
清酒花の井 1481P ラッピングバスが無かった頃は側面塗装広告車がいわゆるラッピングバスだったな。
664続き
清酒コバンライフク 1323TK,1482TK
ダイワースランド 1362IT,1440YT
茨城典礼 9009TC,9016TC,9017TC,9046TC
筑波病院 1324YT,9040YT,9041YT
篠屋木材工業 1211TC,1254TC,1520TC,9329TC
ポポ 1260IT,1612KS(メロン→グリーン移管後は塗りつぶし)
Waibi 1224KK,1267YT
常陸土地建物 0893,1320MT
メガネドラッグ 9020TC,9047TC
関鉄自動車工業 1333RG
666続き
森田建設 1263TR
青葉産業 1266TC
竜ヶ崎ニュータウン 1328MK,1593TC
染谷工務店 1330MK
本州建設 9010TC
うなぎのかねやす 1226TC
土浦会堂 1361TC,1362TC(移籍後は別の側面塗装広告に)
ホテルグランド東雲 1581YT
ホテルプラザヘイアン 9025HK
メガネのクロサワ 9024TC
マリベール柏 1593MK,9235TR
ラーメン珍来 0849,9034TC
松毬 1269RG
江の浦 1152ED
亀印製菓 0804,0852
ライフピア平安閣 0586,0717,0850
667続き
パナホーム 0585,0781
ふじもと 0862
ヘアーサロン 0853
セイコー堂時計店 0876
日の丸家具 0877
歌舞伎 1154MT
かわ野 9285HS
連合茨城 9258TR,9378TR
関東自動車は川重BUの栃22あ1777の車体側面塗装広告が大洗水族館。
>>670
668にある和菓子のふじもとも佐原駅前のポポも無くなりました。 >>671
クリスタルとかあったねえ。
バスに広告が出ていた時代は、ステ看板とか電柱広告とか全開だったねー。今とは感覚が違ってたね。
後年だと、リムジンバスのスタービーチみたいなもんか。
今なら、pcmaxのラッピングかね(流石にないだろうが) >>671
関鉄も9066TCのリアのアドボードはラブホ >>673
茨城交通のクリスタルパレスの側面塗装広告は茨大前の水戸22あ・806だよ。 茨城交通 旧塗装のラストは日野RJの水戸22あ・665
旧々塗装のは71年前期納入車まで。
茨交社史の日野スケルトンの水戸22あ・600は旧塗装の写真。
茨交の貸切格下げ路線車は55年車まであったな。水戸22あ・222〜225のグループあたりまで。
旧茨城オート路線車 水戸ナンバー以降
3212R 水戸22あ・・・8
3213R 水戸22あ・・・7
4211R 水戸22あ・130
4212R 水戸22あ・131
61J 水戸22あ・332
62J 水戸22あ・405
63J 水戸22あ・406
71J 水戸22あ・520
81J 水戸22あ・574→更新時新塗装。晩年は茨交カラー塗り替えで県北移籍
82J 水戸22あ・575
83J 水戸22あ・610
91J 水戸22あ・750
92J 水戸22あ・751
93J 水戸22あ・774
9251H 水戸22あ・793
0232H 水戸22あ・844
0233H 水戸22あ・845
0251H 水戸22あ・885
01J 水戸22あ・900
水戸ナンバーから60年まではこんな感じ。793が9251Hなのは製造が昭和59年で、納車が60年だったため。
55年、61年は路線新車導入無し。
>>678
懐かしい顔ぶれだな。
オートの71J、81Jは割と長寿だった。 茨城オートは営業エリアが狭かったし、走行距離も茨交関鉄のバスより多くないからバスが長生きしやすいんだよ。
71Jは2005年まで生きてた。
71Jの1年前の61Jは1999年の111Hで代替され、62Jと63Jは同年の都営LVの112Hと113Hで代替されてしまったのに。
関東自動車のとても古い路線で(1972位に廃止)古河駅と小山辺りの路線を
ご存知の方情報をください。
>>681
古河に関東自動車は小山駅〜佐川野〜古河駅と、佐野駅〜高取〜向古河〜古河駅線の2路線が乗り入れてた。
佐川野線は県道190号、県道294号経由。佐野からのは県道9号線経由だった。 >>682
情報ありがとう!
まさにその路線です。小山〜佐川野〜古河
お正月とお盆に親に連れられて帰省で古河から乗っていました。
まだワンマンでは無く女性の車掌さんが乗っていて料金を払っていたのを思い出しました。
最初の頃はボンネットだったと記憶しています。
最後の頃はワンマンだったかな? 今日で茨城観光最後の日から15年。最後の日まで残ってた路線車
土浦22あ・721
土浦22あ・722
土浦22あ・810
土浦22あ1295
土浦22あ1548 元京阪
土浦22あ1668
土浦22あ1669
土浦22あ1671
土浦22あ1672
土浦22あ1713 青龍
土浦22あ1714 青龍
土浦22あ1715 赤龍
土浦22あ1784
土浦22あ1785
土浦22あ1952
土浦22あ2056 元横浜市交
土浦22あ2064 元横浜市交
土浦22あ2066 元横浜市交
土浦200か・165 元横浜市交
土浦200か・176 元横浜市交
>>684
懐かしい顔ぶれだな。
810は正直の坂でぶつけられ実質最終日の数日前に離脱していた。 関鉄の牛久駅東口の各路線や土浦〜野田団地線などは元々茨城観光自動車の路線。
茨城観光自動車が現役だった頃と比較してだいぶ本数も減ったな。
正直車庫跡に元茨観車が1台留置していたが、今もいるか?
今日で関鉄メロンバス、関鉄パープルバス設立15周年。
関鉄メロンバスは2005年8月16日に関鉄グリーンバスと合併。
こうしてみると茨城急行とか県西地区の話題って少ないなw
古河管轄の北茂呂車庫〜結城とか下館〜結城〜小山とかいつまで残ってたの?
北茂呂車庫はどんな所かとバスで行ってビックリした記憶が
あと茨交でギリ残ってる笠間〜桃山って東武だったらしいな
しかも岩瀬通って下館まで
いつ頃移管されたんだろ
授立会人そていFX博奕「ニューヨーク砂漠ソルトレイちゃくふく春分解雇FXさんどりしゅっちょう[ヘルシアノートン緑茶]
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@YouTube
寸止講演会自主責任
40代何故座席格差40代ニュース報道巨樹グルテンそてい十代FXセーブデータ遠隔消去KAR-Dローン(シュッ)しょうきょ家賃滞納決算20代かふぇまなー銀行光金動画蓄物牧場
電力自由化上野坂個人ニュー酢駅員サービス不足ホテルバイトワインパワーギャンブル
マンハッタンシチリア無料モニターパリ横浜人事部新橋飲酒運転チャイナタウン共済義援金とうせん★大阪人横取り★ライブマネー
適正価格詐欺のうぜい国立ラスベガススーダンエクアドルチャイナタウンブックオフル流経営費福祉沖縄中華旅行絶句ロス九月決算ディレクタークビ30代不正労働ビザ
ぼったくり春文インフラ時事ネット遊園地たかが監督(しん原宿あっせん安保上納金決算ドーピングニュース)井野頭3月経歴査定
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mashumaro 昔、水戸駅で0846という車両で石岡駅という方向幕を見たような…、あと0779とか前述の1085も石岡駅の方向幕だったかな? 因みに0778こちらは鉾田駅行き。ナンバーとかは忘れてしまったので誰か教えて。
>>695
0778(鉾田)→茨22あ1418
0779(石岡)→茨22あ1419
0846(鉾田→石岡→竜ヶ崎)→茨22あ1632→土浦22あ121
1085(石岡→竜ヶ崎)→土浦22あ235
1085は取手市の県道でセンターラインをはみ出してきた乗用車と正面衝突事故のため、1989年11月30日付けで廃車。 >>696
情報ありがとうございます(^^)
因みに0778のリヤの広告は丸太2本でしたよね?(当時は遠くから見るとしゃもじに見えましたけど…)
0779は色あせた富士開発でしたよね?
あと、川崎車体のいすゞの鉾田行きで側面(乗降口側)の広告がEXCELでリヤの広告が井関モータースの車両ですが、当時は番号の確認もしなかったので未だに分からないのですが、この掲示板の情報から推測するともしかして0806なのでは?
実は、この頃からカメラを構え始めたのですが、写真を撮らないうちに廃車になってしまったもので(>_<) 出来れば0900番台までの大型車の情報をお教えいただきたいのですが。 >>697
それで当たってます。
川重BUの鉾田車は0806(茨22あ1503→水戸22あ603)程度でそれ以外は富士重BUがメインだった。 >>697
関鉄の社番0900は石岡の77年式川重CCM。
0800番台は75年式川重BUから始まる。
0817〜0819は筑波大乗り入れ記念に県から寄贈されたもの。1988年頃まで走っていた。 >>699
ありがとうございます(^^)
0819は廃車になってからしばらく内原駅の近くの踏切前に飲み屋か何かに改造されてましたゃね。あと、水戸にあったBUで当時気になった車両があるのですが、77年車以降の新型の三角窓にもかかわらずリヤの通風口がありISUZUのエンブレムが旧型(0778と同じ厚みがあり三角) >>700
すみません間違えて書き込むを押してしまったので続きから(^^;)…
(0778と同じ三角形)の物が付いているのを見た記憶があります。(広告は大藤道路と緑色で書いてあったと思いますが)これは事故か何かで点検扉を交換したのでしょうか?
また逆に0846は76年車にもかかわらず新型の三角窓だったのが不思議な感じがしました。 >>701
77年式の水戸のBUだと、0887〜0890の4台のどれかかなぁ。
>>702
北村のCCMは筑波、谷田部、水海道に配置されるケースが多かった。
水戸に顔出していた北村のCCMは水戸の0915(茨22あ1805)と、鉾田の0968(水戸22あ951)、1160(水戸22あ1454)と、石岡の1068(土浦22あ184)、1069(土浦22あ185)ぐらいだったかな。 >>704
社番0731→谷田部
社番0734→土浦
社番0759→土浦
社番0773→潮来→土浦(潮来時代は茨22あ1415)
社番0717→江戸崎
社番0781→土浦
社番0862→土浦
社番0778→鉾田(既出)
社番1007→水戸→鹿島
社番1127→谷田部
社番1153→土浦→鉾田(土浦時代は土浦22あ335)
社番9037→取手→石岡→日観→関観土浦(7001TC)
社番0773は昨年のバス雑誌のモノコック特集本にも載ってた。
2番違いの社番0775も晩年は江戸崎所属で土浦ナンバーに変更されていた(茨22あ1417→土浦22あ836)。 私の記憶をたどると
0663 富士 いすゞ 茨22あ1005(水戸)
0666 富士 いすゞ 1008(?)
0669 富士 日野 1011(?)
0716 富士 いすゞ 1214(水戸)
0717 富士 いすゞ 1215(江戸崎)
0750 川崎 いすゞ ? (取手)
0773 帝国 いすゞ 1415(潮来)→土浦22あ202(土浦)
0774 帝国 いすゞ 1416(潮来)
0775 帝国 いすゞ 1417(潮来)→土浦22あ836(江戸崎)
0778 富士 いすゞ 1418(鉾田)
0779 富士 いすゞ 1419(石岡)
0780 富士 いすゞ 1420(土浦)※塗り広告(お弁当はたごや)
0781 富士 いすゞ 1421(土浦)※塗り広告(パナホーム)
0782 富士 いすゞ 1422(土浦)※塗り広告(霞ヶ浦観光ホテル)
0783 富士 いすゞ 1423(水海道)
0784 富士 いすゞ 1424(筑波)
0785 川崎 いすゞ 1425(柿岡)
0786 川崎 いすゞ 1426(江戸崎)
0787 川崎 いすゞ ? (佐原)
続き
0797 富士 いすゞ 1494(竜ヶ崎)
0798 富士 いすゞ 1495(江戸崎)
0799 富士 いすゞ 1496(?)→水戸22あ21(水戸)→土浦22あ?(竜ヶ崎)
0800 富士 いすゞ 1497(竜ヶ崎)
0801 富士 いすゞ 1498(潮来)
0802 富士 いすゞ 1499(潮来)
0803 富士 いすゞ 1500(谷田部)
0804 川崎 いすゞ 1501(筑波)※塗り広告(亀印製菓)
0805 川崎 いすゞ 1502(柿岡)
0806 川崎 いすゞ 1503(?)→水戸22あ603(水戸)→(鉾田)
0807 帝国 日野 1504(柿岡)
0808 帝国 日野 1505(柿岡)※塗り広告(宝石店ネモト)
0817 川崎 いすゞ 1514(土浦)※茨城県から寄付
0818 川崎 いすゞ 1515(土浦) 〃
0819 富士 いすゞ 1516(谷田部) 〃
0820 富士 いすゞ 1533(水戸)→土浦22あ450(谷田部)※塗り広告(ライフピア平安閣)
0821 富士 いすゞ 1534(水戸)→土浦22あ990(谷田部)※塗り広告(パレスホテル)
0822 富士 いすゞ 1541(土浦)※塗り広告(水戸証券)
0823 富士 いすゞ 1535(土浦)※塗り広告(ホテルグランド東雲)
0824 富士 いすゞ 1536(江戸崎)※塗り広告(霞ヶ浦観光ホテル)
0825 川崎 いすゞ 1537(水戸)→土浦22あ451(谷田部)→(取手)※塗り広告(ニホンメガネ)
0826 川崎 いすゞ 1538(水戸)→土浦22あ346(土浦)※塗り広告(お弁当はたごや)
続き
0827 帝国 日野 1539(鹿島)
0828 帝国 日野 1540(潮来)
0829 帝国 日野 1543(水海道)
0830 富士 いすゞ 1562(鉾田)※塗り広告(パレスホテル)
0831 富士 いすゞ 1563(鉾田)→土浦22あ1016(土浦)
0832 富士 いすゞ 1564(竜ヶ崎)→(江戸崎)※塗り広告(亀印製菓)
0833 富士 いすゞ 1565(波崎)→(鉾田)→(波崎)
0834 富士 いすゞ 1566(波崎)→(鉾田)
0835 富士 いすゞ 1567(取手)→(谷田部)※塗り広告(サンパレス双葉)
0836 富士 いすゞ 1568(取手)→水戸22あ22(水戸)→土浦22あ348(谷田部)※塗り広告(水戸証券)
0837 川崎 いすゞ 1569(水戸)
0838 川崎 いすゞ 1570(水戸)→(波崎)※1986年9月頃に早期廃車
0839 川崎 いすゞ 1571(水戸)→(波崎) 〃
0840 帝国 日野 1572(?)
0841 帝国 日野 1573(?)
0842 呉羽 三菱 1574(水戸)→土浦22あ54(取手)
0843 呉羽 三菱 1575(水戸)→土浦22あ55(取手)※塗り広告(サンパレス双葉)
0844 呉羽 三菱 1576(水戸)→土浦22あ56(取手)※塗り広告(森田建設)
続き
0845 富士 いすゞ 1631(鉾田)
0846 富士 いすゞ 1632(鉾田)→土浦22あ121(石岡)→(竜ヶ崎)
0847 富士 いすゞ 1633(下妻)→(水海道)→水戸22あ1128(水戸)※塗り広告(柏玉姫殿)→(ホンダプリモ千波)
0848 富士 いすゞ 1634(下妻)→(土浦)
0849 富士 いすゞ 1635(土浦)※塗り広告(ラーメン珍来)
0850 富士 いすゞ 1636(土浦)※塗り広告(ライフピア平安閣)
0851 川崎 いすゞ 1637(竜ヶ崎)→水戸22あ23(潮来)→(鹿島)→(土浦)※塗り広告(大森一貫堂チェーン)※錆が酷い為に使用せずそのまま廃車
0852 川崎 いすゞ 1638(竜ヶ崎)→(江戸崎)※塗り広告(亀印製菓)
0853 川崎 いすゞ 1639(鹿島)→土浦22あ1019(谷田部)→水戸22あ1168(鹿島)※塗り広告(美容室マイロード)
0854 川崎 いすゞ 1640(波崎)
0861 川崎 いすゞ 1680(下妻)→(筑波)
0862 川崎 いすゞ 1681(土浦)※塗り広告(ふじもと製菓)
0863 川崎 いすゞ 1682(田伏)→(石岡)→水戸22あ609(水戸)→(波崎)→土浦22あ1050(土浦)
0864 川崎 いすゞ 1683(田伏)→(石岡)→(谷田部)※塗り広告(青葉産業)→(ホテルグランド東雲)
0865 富士 いすゞ 1684(水戸)→土浦22あ245(土浦)※塗り広告(とうふ料理七福の里)
0866 富士 いすゞ 1685(水戸)→土浦22あ246(土浦)※塗り広告(つくばスカイホテル)
0867 富士 いすゞ 1686(水戸)→土浦22あ247(土浦)※塗り広告(つくばスカイホテル)→(ウエディングパレス歌舞伎)
0868 富士 いすゞ 1687(筑波)※塗り広告(ふじもと製菓)
0869 富士 いすゞ 1688(筑波)※塗り広告(水戸証券)
0870 富士 いすゞ 1689(筑波)→(水海道)※塗り広告(染谷工務店)※前扉を一枚ガラスに取り換え
続き
0871 富士 いすゞ 1690(谷田部)※塗り広告(柏玉姫殿)
0872 富士 いすゞ 1691(谷田部)→(柿岡)
0873 富士 いすゞ 1692(土浦)※塗り広告(ライフピア平安閣)
0874 富士 いすゞ 1693(土浦)→水戸22あ24(水戸)→土浦22あ350(谷田部)→(水海道)※塗り広告(パナホーム)
0875 帝国 日野 1694(鹿島)※塗り広告(美容室ふるふぃーる)
0876 帝国 日野 1695(鹿島)※塗り広告(セイコー堂時計店)
0877 帝国 日野 1696(鹿島)※塗り広告(日の丸デパート)
0878 帝国 日野 1697(波崎)
0879 帝国 日野 1698(波崎)
0887 富士 いすゞ 1769(水戸)→(潮来)→土浦22あ1048(江戸崎)※後部点検扉及びエンブレムが旧型の物に取り換えられている
0888 富士 いすゞ 1770(水戸)→(潮来)
0889 富士 いすゞ 1771(水戸)→(潮来)
0890 富士 いすゞ 1772(水戸)→千葉22か?(佐原)
0891 富士 いすゞ 1763(柿岡)※塗り広告(青葉産業)
0892 富士 いすゞ 1792(水戸)→土浦22あ950(下妻)
0893 富士 いすゞ 1793(石岡)→(筑波)※塗り広告(常陸土地建物)
0894 富士 いすゞ 1794(石岡)→(江戸崎)※塗り広告(宝石店ネモト)
0895 富士 いすゞ 1795(竜ヶ崎)
0896 富士 いすゞ 1796(竜ヶ崎)
>>706-710
まとめ乙です。
いくつか補足
江戸崎の社番0798は廃車時のナンバーが土浦22あ835
竜ヶ崎の社番0799は廃車時のナンバーが土浦22あ839
佐原の社番0890は廃車時のナンバーが千葉22か2620
社番0760は石岡の帝国BU 茨22あ1319
社番0855〜は川重CCM。社番0897〜も川重CCM。
昨年のバス雑誌の土浦の富士重BU社番0957の脇に帝国BUの茨22あ1100番台のが写っている(上2桁で切れてるためナンバー、社番分からず。)。 0900番台だと、筑波のBUの0954(土浦22あ15)のグループから水戸・土浦ナンバーになってるな。
>>710に間違いがあった。
0892は水戸時代は茨22あ1787で下妻時代は土浦22あ959。
0893は茨22あ1788
0894は茨22あ1789
0895は茨22あ1790
0896は茨22あ1791
茨22あ1792〜1796は川重CCMの社番0902〜0906のナンバー。 水戸にいた0663は廃車後、石岡市の三村地内に廃車体が置かれてたな。
筑波にいた0804は廃車後、竜ヶ崎ニュータウンの近くに廃車体が置かれてた。
どちらも解体されてしまった。
あと、古い関鉄バスでナンバー変えたやつに土浦22あ201とかもいた。
上のリストに取手車が少ないのは貸切格下がいた影響か。
>>706
0667 富士 いすゞ 茨22あ1009→水戸22あ105 >>711
茨22あ1100番台の関鉄だと、茨22あ1163のがいた。
0600番台後半に。 >>429
0609 茨22あ886 いすゞBU10 富士
現役時代はどこにいたんだろうか。 あいかわらずだなあw 詳細な事故廃車理由とかどこから調べてくるんだかw
平均年齢が50歳くらいのスレだね
筑波山口〜下館駅線が広域バスで復活。
2008年まで存在した筑波山口〜下館駅線のバス停はこれ。
筑波山口-沼田(筑波山口行きのみ停車)-馬場-群道橋-国松入口-下宿入口-上大島-上大島駅入口-中根南-新井入口-中根-赤町-
明野保育園前-明野町農協前-南町-明野支所前-大村十字路-松原-松原十字路-西松原-三ツ谷-篠ノ内-村田-村田神社前-村田仲町-
村田坂下-川蓮-徳持-蕨-つくし台団地入口-下中山-多良棒-大和町-金井町-大町一丁目-大町二丁目-下館駅-市役所入口-稲荷町-下館二高入口
>>726
末期は筑波山口〜下館駅やった後、下館駅〜真壁駅線に入ってたな。
筑波山口側も真壁側も1台で運用していた。 >>727
下館〜真壁線
下館駅-大和町-多良棒-成田西-成田-成田橋-茂田-深見入口-栗崎入口-北原-桑山-十里神社前-十里-十里南口-猫島-
東猫島-峰入口-谷貝-雷神前-源法寺-真壁農協前-塙世-真壁庁舎前-真壁高校前-下宿-真壁駅 真壁は他に下妻駅行きの路線もあった。
パープルバスに移管当初は休校日運休。晩年は冬休みのみ運行だった。
石岡での茨城オート
日立での茨城交通
我孫子での関東鉄道
今では見れない思い出。
>>712
取手のBU04の社番1079(土浦22あ•188)も側面塗装がニホンメガネだった。 >>732
取手の側面広告といったら玉姫殿か森田建設のイメージ。 先日昔の友人から聞いた話。
0837は廃車間際の頃、運賃箱が故障してしまった。
鉾田の0845や水戸の1007、石岡の1043のBUには何度かお世話になったと言ってた。
>>735
水戸にいた社番1007は関鉄最初の本格的な路線冷房車でした。
最初試作冷房車として社番0992がおり、その後社番1006〜1009が入り、少し遅れて社番1017が入りました。
初期配置はいずれも水戸でしたが、後に社番1006は鉾田、1007は鹿島、1008は柿岡、1017は筑波に転属したため、最後まで水戸に残っていたのは社番1009だけでした。
79年後期の石岡のBUは2台いて社番1043と1044がいました。
89年に鹿島、波崎地区の車両代替に県南エリアの営業所から数台が転出しており、この石岡の1043も89年式LV1438の代替で波崎に転出しました。
社番0853 鹿島(茨22あ1639)→谷田部(土浦22あ1019)→鹿島(水戸22あ1168) >>709で既出
社番1043 石岡(土浦22あ156)→波崎(水戸22あ1169)
社番1078 取手(土浦22あ187)→鹿島(水戸22あ1167) >>737
50年前の東武バスの資料によれば桐生から足尾まで行くバスはあったよ。 宇都宮〜足尾間も鹿沼の峠抜けるルートでバスが走ってたみたいね
>>737
1990年の道路地図では
桐生〜大間々〜水沼〜神戸〜草木ダム
原向〜通洞〜足尾〜間藤
に分割されて、草木ダム〜原向は繋がってない
宇都宮〜足尾は鹿沼駅・口栗野車庫・粕尾峠経由かな
同じく道路地図では既に上粕尾止まりになっている >>737
叔母さんが足尾に住んでいて35年ほど前に小学生の頃東武バスで
桐生から足尾まで乗った記憶がありますよ 宇都宮〜鹿沼〜足尾
桐生〜赤城〜足尾
ともに昭和46年に廃止になったよ
因みに全盛期の東武バス
足尾出張所管内の路線は
日光〜足尾
本山〜赤倉〜東武車庫(赤沢)
東武車庫〜切幹〜小滝
東武車庫〜切幹〜唐風呂
これ昭和41年
35年前といったら、足尾線の桜乗車用バスが走っていた頃じゃない?
片道は足尾線に乗って、帰りは東武のRLに乗って帰ってくるという...
岩井なんかも昔はバス王国だった。
北関東の東武バス全盛期は。
>>161
その常総ルート、今年いっぱいで廃止です。 尾久に1973年に水戸駅北口で撮影された関鉄と茨交バスの写真があるよ。
関東鉄道
茨2い2511
茨2い3108
茨22あ807
茨城交通
茨2い3135
茨22あ418
>>749
尾久にもう1枚、1990年に鹿島バスターミナルで撮影された写真がある。
関東鉄道 1057KS 水戸22あ167 三菱MS
JRバス H658-87403 千葉22か3061 UDスペースアロー
が写ってる。 >>749
>茨22あ807
関鉄水戸の帝国BUの社番0578。
茨2ナンバーのやつは社番記載が無いから不明。 尾久に1978年の日立電鉄バスの写真が出品されてるよ。
茨22あ323
茨22あ986 川重BU
茨22あ1808
茨22あ1817
1808と1817は77年式だから2年目の頃。
尾久には関東鉄道バスの昭和51年当時の車両在籍表が出品されてるよ。
この時はバスは631台いた。
自社発注車の社番は0850番あたりだから、0200番台中盤あたりの車から在籍していたことになるね。
尾久に水戸時代の関東鉄道 0874の写真が出品されてる。
>>753
40年前と比べてトータル台数はそんなに変わってない。 尾久にまた新しい写真がある。
1977年大工町近辺で撮影された写真が出品されてる。
関東鉄道 茨2い2859
茨城交通 茨22あ452
茨22あ751
茨2い3020
茨22あ1407
さっきアド街に日立電鉄の貸切車の廃車体が出てたぞ!
>>761
俺も驚いた
しかもDA67だもんな
近くか土地勘あるところなら即、見に行っていた 番組サイトを見てきた
北茨城だったのね
何位の所だったんだろう?
>>763
気にスポというウルトラQのテーマが流れてるコーナー >>765
休憩所に廃バス使ってたのなら旧東町(現・稲敷市)のゲートボール場も。
関鉄バスの貸切車の0713の廃車体が使われてた。 >>767
0960MKか。現役時代のナンバーは何だったんだろう。
どなたか関鉄の0900番台の中型あたりの資料とかわかる方いるかな。 >>768
水戸駅で昔見たいすゞの中型のやつだと、茨22あ1766とか、茨22あ1792や1793とかがいた。 >>769
ありがとうございます。
水戸だと、三菱のMKなんかも昔からいましたよね。
非常コック周りの塗装がクリーム色のと黄緑色のがあったり、降車ボタンが赤く光るやつと緑に光るやつがあったりと。 >>767
後部幕無しCCM。
>>770
黄緑塗装。北村のCCMじゃないの?
水戸には1台しかいなかったな。 >>768
関鉄の川重CCMは76年から導入されてました。
76年と77年式は前面方向幕の両脇に通気孔を備えてました。
78年からは後のCDMと同じモデルにリニューアルしました。
写真の0960MKは78年式の川重CCMとなります。
このリア幕無しのタイプは78年式と79年式のみで、80年式からはリア幕が付くタイプへリニューアルしています。 荒川沖駅〜江戸崎車庫線はあみプレミアムアウトレット乗り入れしていたら廃止に待ったをかけられたかもしれない。
>>706
とあるTwitterで1982年の土浦駅の写真が上がってて、関東鉄道 0666の登録番号は茨22あ1035だよ。
富士重いすゞBU 側面広告 パナホーム >>778
関鉄の0700番台以前のは資料が少ないからなぁ。
昔の関鉄の関係者かそこらへんの年代に詳しい方がこのスレに降臨しないとダメだな。 尾久に昭和53年撮影の関鉄バスの写真がある。
0588(茨22あ817)と、0877(茨22あ1696)の写真が。
社番0588は水戸所属。社番0877は鹿島所属。
>>780
見ました。
富士重BU10か。昔は大型も払沢線に入ってたんだな。
写真も偕楽園の転回場だし。 偕楽園は中山線、市役所経由柏渕線の転回にも使われたから偕楽園に大型が乗り入れてたケースも数例あった。
尾久に昭和52年撮影の太田近辺で撮影した茨交バスの写真が出ている。
茨2い2046
茨2い2157
茨2い2463
茨22あ・194
いずれも旧々塗装
>>782
中山線は1985年開設。
それ以前は
偕楽園-大工町-水戸駅-竹隈町-酒門-安住-大和田-中山-植農-矢頭-吉沢車庫(三原線)
同じ時期に水戸〜鉾田〜鹿島線も廃止。鹿島営業所の日野REもその日を最後に水戸に来なくなった。 茨交浜田にあった貸切格下車の廃車体、無くなったの?
>>785
取手営業所に取材に来てたみたいですよ。
発売が楽しみですね。 >>715
社番0953の77年式三菱MK。
これが関鉄での茨ナンバー最後の車。
社番0954の78年式いすゞBU10(富士)
ここから水戸、土浦ナンバー
0954 土浦22あ15 筑波 BU10(富士)
0955 土浦22あ16 水海道 同上
0956 土浦22あ17 土浦 同上
0957 土浦22あ18 土浦 同上 >>790
0957は一昨年のバスグラフィックのモノコック名鑑に掲載されてた。 尾久にこの前昔の土浦駅で撮影した関東鉄道バスの写真が上がっていた。
茨2い2130
茨2い2174
茨22あ497
尾久に関東鉄道社番0466 茨22あ315の写真が出てる。貸切車。
>>795
0830、0834、0932、1060、1287が出てるね。 尾久に1235YT(土浦22あ500)と、1179IT(水戸22あ1354)と、11??HK(水戸22あ1355)の写真が出てる。
11??HKの写真は1102と出ているが、1102は土浦の三菱MKで路線車になってしまう。
1991年の写真
>>801
鉾田にいたこれはいすゞの貸切車だから、社番1182HKじゃないかな。 本屋が軒並み倒産して買える場所がないんだが
通販以外で関鉄本社か営業所行けば買えますか?
尾久にまたかしま号続行便に入った貸切車の写真が追加されてるぞ!
1059IT 水戸22あ1241
1176HK 水戸22あ・427
1422SW 千葉22か2903
>>808の動画 13:50過ぎに関東鉄道 社番0940 茨22あ1897が出てる。 >>809
0940は77年式日野RL320だね。
日野は土浦と柿岡にいた。 >>812 さすがに良い車だったから、まだ使ってるんだな。
今でもピープルで使ってるのかな?