最近、この事がほんとに疑問だ。
なぜ現代音楽というものが存在するのか。
商業的に全く振るわないものだというのに。
>>1
音楽が何かのためになくちゃならないなんて
決まりはないよ キチガイを保護するためにあると思ってよい。
私たちにキチガイは大切な人的財産。
忍耐力を養うため
1時間正座し続ける事と1時間現代音楽を聴く事は同等の忍耐が必要なり
はあ?
なんでこんなやつらがこの板いんの
お前らが言ってんの現代クラシックでなくてトウシロ現代音楽のことだろ?
菅原拓馬や今堀拓也や野田憲太郎といった○○○○どもの社会性リハビリのため。
だが実際は逆効果になってしまっている気もする。
現代音楽=アマチュアリズムに満ちた感性置き去り実験的自己満音楽
現代クラシック=音楽の新しい次元の追求。そこでは何よりもまず音楽的良さがあることが大前提での追求
↑
「作曲家の皆さん、私の感性がついていけないような曲を書かないで下さい」
とベソかきながら訴えているだけだろ?
まあな、早い話はそうなるんだが
この手のやつらそのまま現クラ相手にしないで放置しときゃいいのに
自分の感性に自信があるもんだからしゃしゃり出てきやがる
はっきり言ってたちが悪い
新方丈記
Karl Popper「歴史主義の貧困」から
--- 「歴史主義」は、きわめて古くからある運動なのだ。
近代の「歴史主義」者たちは、みずからの教説が古代に由来すること
に気づいていないかに思われる。彼らは自分の刻印づきの「歴史主義」が、
人間精神のもっとも新しくもっとも大胆な成果であると信じ、その成果が
あまりにも驚倒的な新奇さを含む故に、ただ小数の人々だけがそれを把握
できるほど十分に進歩していると考える。--- (下線は自分)
訳者によると、Popperが「歴史主義」として使っている用語の原語は
「historicism」であり、historismとは違う。歴史に法則がある、
という言い分を持つのが「historicism」である。区別して別な訳語を
考え方がなかなか適当な言い方がないので<歴史主義>と< >で包んで
使ったそうだ。Popperの自伝の方では「歴史法則主義」という言葉を
使っている。この方が分りやすい。
訳者によると、Popperが「歴史主義」として使っている用語の原語は
「historicism」であり、historismとは違う。歴史に法則がある、
という言い分を持つのが「historicism」である。区別して別な訳語を
考え方がなかなか適当な言い方がないので<歴史主義>と< >で包んで
使ったそうだ。Popperの自伝の方では「歴史法則主義」という言葉
を使っている。この方が分りやすい。
政治的独善主義にもはなはだしく迷惑したが、自分の仕事の分野では、通称「前衛音楽」と称する
一群の人たちの横暴にほとほと不快な目にあった。上の言葉はそのままこの一派に進呈したい。
「保守的だ」、「いまどきこんな」、「現代を忘れないでほしい」、こんな言葉が新聞雑誌放送に
飛び交い、どれだけ作曲家の仕事を毒したか。
「いまどき、調性で作曲する作曲家は存在する価値がない」、これは、ピエール・ブーレーズの暴言である。
先日亡くなったシュトックハウゼンもその一人だ。この連中は、報道出版産業と癒着これを独占し、
彼等の言動を圧力的に発信した。言論の権力と暴力をを振るったのだ。国際的にも「現代音楽マフィア」
と呼ばれた。私はまだいい方で、別宮貞雄さんなどはもっとひどい目にあった。1960年代が一番ひどかったが、
次第に影響力を低下させ、昔日の力はいまはないかもしれぬが、彼等の暗示はまだ残っている。
「現代的」であるために、「古い」と言われないために、どれだけ若い才能が不自然に自分をいつわり筆を
曲げたか、いまでも曲げているか。進歩の幻想、いや、Popperにならい「迷信」と断ずべきである。
この迷信を売って商売した所もある。「いまは新しいから分りにくいが、時間が経てば真価が認められる」、
こんな言い方を盛んにふりまいた。げてもの商品の先物取引である。こんな手形は決して落ちない
不渡りものである。先物取引が商売になったのだ。私がかつて、「現代音楽原野商法」と名付けた通りである。
ブーレーズとステックハウゼン 有名二大老害だな しまいにゃノーノを古いとか言い出し即興をこきおろしてたっけ でもあんなのどこにでもいる
正直権力闘争にブーレーズやシュトックハウゼンが勝ってくれてよかったと思うわー
ポピュラー音楽に還元された数知れない影響を見てもさ
今も無調が市民権得てなかったらどれだけつまらないことか
助川はあの書き方だと保守的だよな。
でもあの年でどうやれというのも無理だが。
現代音楽がなくなったら人間がないのと同じ意味。
糞みたいなものだがその糞が食料と同じように大切なのだよ!
決して糞を軽んじるんでがないよ。
>1がなぜ存在するのか? 社会への貢献なぞ0なのに。いったいなぜ?
俺も現代音楽聞いてると時々そう思う。
一生懸命やってても売れないわけじゃん?
>>20
助川って電子音の曲とかあったはず。聴いてないが。それに
もちろん電子音使えばいいとか、現代的とか全く関係ないが。
(要するに、発言の要旨だけで保守的とは言えんだろうってだけのこと)
彼はそんなに間違ったことは言っていない。ブーレーズの発言は暴言だし、
音楽マスコミは言論の暴力をふるったが、
あいにくブーレーズにしてもクセナキスにしてもすぐれた作曲家だった。
このへんの事情は、どっちの「陣営」にも不幸なことだったな。今もだが。
>>22
売れる売れないだけで淘汰するのは、ブーレーズ程度の暴力よりも
はるかに悪質、凶暴だと思われ。
現代音楽=社会貢献?してるよ!
わけのわからねえ聴きたくもねえ糞難しい音楽聴いていると呆けが防止される。
別スレへの2年前の書き込みから自家引用で孫引きします。
>故・小倉朗いわく、「…日常の家具や食器のデザインから、包装紙やポスターの
>図案に至るまで、抽象はつつましく現代的ムードをかもし出している。何より
>いいことは、それらが決して『芸術作品としての鑑賞』を強要しないところで、
>抽象はそういう状態のもとではじめて僕らと自然なつき合いが出来るのである。
>よけいなおせっかいは焼かぬとしても、抽象音楽にも、そういう効用は約束され
>ているのである。」(岩波新書 青767「現代音楽を語る」P139より)
>
>これは調性音楽保守派の35年以上も前の指摘だが、今日の現代音楽に対しても
>示唆的だ。
芥川龍之介の『侏儒の言葉』から引用します。
「或資本家の論理
『芸術家の芸術を売るのも、わたしの蟹の缶詰めを売るのも、格別変りのある筈は
ない。しかし芸術家は芸術と言えば、天下の宝のように思っている。ああ言う芸術家の
顰みに倣えば、わたしもまた一缶六十銭の蟹の缶詰を自慢しなければならぬ。不肖行
年六十一、まだ一度も芸術家のように莫迦莫迦しい己惚れを起こしたことはない。』」
音楽とは酒や煙草やコーヒーと同じく嗜好品であり、
中でも現代音楽は特殊な高級珍味のようなもの。
存続してほしいとは思うが、税金で保護するのは筋違い。
税金で保護するのは筋違い。
・・・・・・・・・・・・・
ドイツの現代音楽は税金で保護するからこそ残る。
日本のは税金を使わないので残らない。
だったら大学の作曲科は税金使って何するのか?
税金使うには意味がある。
なんでもわけて聞いてるからこういう発想が出てくんじゃね。
>税金使うには意味がある。
日本の現代音楽に税金を使うのは、同和枠公務員に年収一千万払うのと同じくらい無意味。
そもそもドイツの現代音楽(神)と日本のそれ(乞食)を同レベルと考えているところに無理がある。
ドイツではどうでも良いレヴェルでも税金が投入されている。
再演されなければ、そしてそれが何回もFMなどで放送され、
その都度いちいち一回に付き二十数万の放送権料が作曲家に支払われ、
そのテープがドナウエッシンゲンのように全世界に送られて放送されなければ、
最低限の残る条件とは言いがたい。
ドナウエッシンゲンでやる音楽はすべて神か?
Nein、それが最低の条件なだけ。
半分が放送局の受信料半分がフリュステンベルクというビール会社の寄付。
税金は使ってないはずだが、受信料は強制なので税金みたいなもの。
払わないやつは役10万円の罰金刑が課せられる。
入場料はあるが制作費用に比べればチップみたいなもの。
売り切れてチケットはないやつでもケーラーが後から来て立ち見デただで入れてくれるし。
委嘱料は最高100万円、室内楽は50万あたりから。
まあ生放送するが、その後オケなんかはドイツ国内フランスなどにそのプログラムをすぐ持っていく。
放送は最低二回。
その後に音楽の解説番組で多数の引用をする。
その中ならWDRやBR・NDR・RBBなどが委嘱を入れたり再演したりする。
ORFやRF・RAIに流れたりもする。
出版の費用はすべて放送局が持つ。もちろんパート譜も!
ORFの放送局での公開演奏会はオケでも全部無料。
プログラムはただ!
年に一回無料の食事・飲み物付き。
それらの中からWergoなどがCD制作して日本にも送る。
またその中から現代音楽祭から委嘱したり再演したりダルムシュタットでデスカッションしたりする。
音楽大学もそれを取り上げるし作曲者もしょっちゅう呼んで説明させる。
もちろんギャラはちゃんと出る。
オペラハウスもオペラになりそうな作曲家に委嘱を入れる。
FMでも良くその初日を生放送する。
TVもそのニュースをインタビュー付きで放送する。
音楽図書館はそのCDや楽譜を買い上げ一般の市民に貸し出す。
音楽雑誌はそれらの討論・音楽論・分析などを常時取り上げる。
もちろん売れないが音楽図書館ではその雑誌を複数備えてあって市民が読むことが出来る。
しかしドイツ語だけではなくフランス語・英語・イタリア語・(またスイス・オーストリアのドイツ語)などの雑誌もある。
読める人は自由に読んでいいしコピーもさせてくれる。
まだまだあるがここまでみんなが協力してやらないと現代ものは決して残らない。
一番の主役は放送局。
公共放送がなければ、
ラッヘンマンもシュトックハウゼンもケージもメシアンも最初から全く存在しないただのキチガイにすぎない。
アメリカの馬鹿大学がそんなキノコ・キチガイのケージを作曲科の教授にするわけがない。
ヨーロッパの放送局の委嘱がなければ彼らは完全に抹殺されていた。
>>34は心の中で、ラッヘンマンもシュトックハウゼンもケージもメシアンもケージも本来なら歴史から抹殺されるレベルのキチガイだと思っているのに、なぜそれで現代音楽への税金の投入を主張する?
残らないはずのものを残すシステムがあるってのは、つまり利権ができてるってことだよ。
日本国内の社会でいえば、同和や在日やフェミみたいなもんだ。
あれは私が中学生の頃、太平洋戦争終焉から数年しかたたない混乱期のことだった。
ソ連の学校教科書が訳されて入手された。兄弟の誰かが、どこかから手に入れたものと思う。
当時のことだから、紙はざらざらの粗悪紙で表紙も薄っぺら、
表紙が陳腐でどきつい赤色だったことだけは記憶に残っている。教科書といっても、
小学校のものか、中学校のものか、はたまたどこか専門学校のものか、見当がつかない。
書いてあったかもしれないが忘れたのかもしれない。もちろんソ連のことだから国定教科書である。
巻頭の一節だけは強く覚えている。「人類の歴史は階級闘争の歴史である」。
余りにも露骨で凶暴な感すらある単純な断定に辟易した。当時のことだから、
日本中が思想的に混乱して、左翼もこの期に便じて勢いよく振舞っていた。この本の出現もその一つの結果だろう。
いま読んだポパーの説くところによると、歴史は幾つもの角度と視点から見ることができるので、
その中の一つだけに固執すると、その見方自体が誤りでなくても全体の見方は間違いになる、
その代表的実例ということだ。「階級闘争の歴史」、その面もあるかもしれない。そうではないというのではなく、
それだけしかないように考えることが間違いということだ。
音楽の方でもシェーンベルクとそこから発したライボヴィッツの歴史観、「音楽の歴史はますます増大する半音の歴史である」。
これもしかり。その面からだけ音楽を見れば、それが間違いではないとしても、音楽の歴史の別の面を見ないことになる。
ここからして、「調性で作曲する作曲家は今日不要である」、というようなブーレーズの暴言が発生する。
そして、ポパーの言う「趨勢」と「法則」の違い。その混同。半音が増えることは、ある種類の音楽の中では、
ある程度事実としても、それは、その種の音楽にとっても、「趨勢」であって「法則」ではない。法則ではない以上、
その現象はいつ停止するかもしれないし、方向を変えるかもしれない。
現に、ケージやスティーヴ・ライヒなどの単純主義的手法はまるで反対の方向を向いた。
ポパーのこの本、「歴史主義の貧困」が出版されたのは1957年のこと。この時期は意味が深い。1956年七月に、
エジプトのナセル大統領がスエズ運河の国有化を宣言した。
これに対し、イギリスとフランスは自国の権益がおかれさたとして、イスラエルと共同して軍を出した。
スエズに軍事侵入した。私たち若い者はずいぶんと義憤に燃えたものだ。
過ぎし時代の植民地支配の夢が捨てきれない英仏の許し難い横暴。本当にそうだった。
ところが、まことにところが、ソ連が声明を出した。不法侵入はやめろ、という。
弱い者いじめをやめろ、という。「貴国より強力な軍事力を持つ国が、
航空機以外の手段で貴国の都市に攻撃を加えることがあることを警告する」、というものだった。
パリ、ロンドンに大陸間弾道弾を打ち込むということだ。声明文の文言は実際におよそこの通りだった。
英仏は軍を引き上げた。ソ連は「いい男」になった。私たちは快哉を叫んだ。ソ連は正義の味方だ。
ところが、またもやところが、この年の10月、ハンガリーでソ連の支配に対する蜂起が起こった。
ハンガリーは自由を宣言し、ワルシャワ機構からの脱退を声明した。ところが、またもやところが、
11月、ソ連は突如、大軍を繰り出しハンガリーに攻め込んだ。戦車約4000台が攻め込んだと言われた。
実際はもっと多かったらしい。自由化運動は完膚なきまでに弾圧され、ナジ首相はソ連軍に捕らわれ銃殺された。
他国の首相を捕らえ殺害する、こんなことが許されるのか。動乱に参加した人、一人一人まで執拗に追跡し迫害された。
「正義の味方」は「無頼の徒、暴君」に変じた。作曲家リゲティもこの時に西側に逃げた。
こんなこ年だった、1956年は。ポパーの著書は翌1957年に出版されている。
実際に書いていたのはもっと前からなのだろうが、この年もまだ筆を進めていた時だったろう。
「開かれた社会とその敵」、という別の著書の名前からもこの時の時代背景が浮かび上がる。
正規の税金に頼らない現代音楽なんか存在しない。
クラシックだってWPやBPに補助がなかったらすぐ潰れるんだぞ。
EUは現代音楽には特に税金を投入する。
なぜならばそれは将来財産となるから。
観光資源にも資源にもなるな。
例えば土居tシュのシューマンハウスはツヴィッカウ・ライプチヒ・デュッセルドルフ・ボンと4っ津あって、
研究所兼図書館兼博物館として機能している。
現代音楽にもある。
最近できたのはイサン・ユン協会とノーノArchievだ!
もちろん研究機関兼図書館兼博物館だ!
俺もR・StraussやBrahms行ったけど日本人の観光客が凄いね。
夜はそこでコンサートに行って泊まるらしい。
現代作曲家でもそういうことはやっている。
もうすぐシュトックハウゼン研究所か協会が出来るだろう。
何で国際武満協会はないの?
シェーンベルクセンターがロサンゼルスからすべての遺品を受け継いだように、
日本もWienに武満の遺品を送って作ってもらうとか?
日本もアメリカもだらしねえよな!
金を餌とする獣の国なのだろう。
文化ってのは営利主義の原理しか存在しない世の中ではなかなか育たない。
商業的に儲からないものをすべて否定することは文化や文明の多くを否定することになる。
グローバリズムの浸透か、資本主義妄信の人が最近は多いな。
共産主義者の妄想と同じくらい馬鹿だ。
「商業的に儲からないものをすべて否定するレス」なんてねえぞ
ここしばらく、助川さんのブログを貼り付けさせてもらった者です。
助川さんの「新方丈記」はいつも読んでいるんだけど、その卓越した認識・考察には
恐れ入ってしまって・・・・・
私も現代音楽のファンだから、心境は複雑なんだが、あ〜もズバ!!っと言ってもらうと
逆に痛快ですらある。
しかし、>>23さんもおっしゃっているように、ブーレーズやクセナキスなど優秀な人がいて、
優れた曲も生まれているのも事実なのだ。ここら辺を助川さんの論と考えるとやはり悩んでしまう。
23さんも書いてくれてるけど、助川さんは20さんの言うような保守ではもちろんない。
そもそもそんな偏狭な考えが間違えであることを、ポパーの「歴史主義の貧困」に準拠して仰っておられるわけだ。
なんにしても、助川さんの言は賛成・反対に関わらず、現代音楽関係者全員把握して置くべき
であり、また議論や考察のたたき台にもなり有意義であると考えたのでここの板に貼り付けさせてもらった。 あ、一応断っておきますが、助川さんのブログを貼り付けたのは、HPのTOPページの下に、
「★ このサイトの中の文章その他、すべて無断借用大歓迎です。どんどん使ってください!!!」
とあるからです。念のため。
助川さんのシュトックハウゼンは?
余りにも彼は情報を持っていないと思われるけど!
でもさ、現実、金が無いと生活できないわけじゃん。
ポップスの作曲ってどれくらい儲かるの?
レコード・CDの売り上げで、
もっと有名だったシュトックハウゼンのWergoの「コンタクテ」が年間全世界で150枚。
クラッシック音楽のその2桁上の数万枚で大ヒット!
ポップスの大ヒットはまたその2桁上の数百万枚。
ポップスの収入は少なくとも現代音楽の1万倍!
演奏会の入場率もこれに準じる。
シュトックハウゼンが一枚に付き100円の収入があったとして、
「コンタクテ」のみで入って来る収入が年に1万五千円!
他の作曲家はそれより無名なわけだから、
どれぐらいの収入かわかるであろう。
4桁ぐらい貧しいですね。
だから今ではほとんどお金のある人しか出て来れません。
武満徹が今若かったら完全に潰れていたでしょう。
最近の店頭はリゲティとかラッヘンマンのほうが多いですね。
Stockhausen出版社は余りにも高すぎるのでみんな置きたがらない。
好かれる作曲家はちっと売り上げが多いけれども、
売れて数百枚?
それも95%以上が日本の消費者。
結局ポップスの一万分の一。
ミニマルはもっと売れるけれど、
欧米ではポップスの扱いでもはや現代音楽扱いではない。
自己満足の為にあるのだから、その人がどう満足するか、どうなれば
満足するかは、他人が推し量れるものであるとは限らない。
音楽の拡張が聴覚的にも概念的にもまだまだ可能である安心感のために
きちがいを手厚く囲っているということでFA
そもそも芸術家が儲けることを最終目的として創作をするなんてことはありえない。
もしそういう奴がいたらそいつは芸術家ではない。そんなのは芸術を仕事にしたい凡人でしかない。
儲けることが目標ならば商人にでもなったほうが数十倍楽。
芸術家は表現したいことを表現し、それを認めさせることが目的。
だから商業と結びついてこないのはしかたがない。
しかしその商業の元になる文化発展させるのは芸術家だったりするから、商業分野で儲かった金を
芸術分野の保護に多少当てることは当然のことだと思う。
つまり>>3が言っていることと同じことだ。 芸術家を保護しないと消えてしまうのは事実なんだが「援助して当然」には慢心が感じられるな。
「当然」には「欧州では芸術家は医者や弁護士と同じステイタス」といった価値観も根拠として入るのかな?
「生活の中にそれなりに必要で資本主義経済の中では経済的に維持できないから公的援助が必要」でかつ「どれだけの人の生活にどういった理由で必要か」事例をあげていかないと只のプライド詐欺野郎になっちゃう。
>商業分野で儲かった金を芸術分野の保護に多少当てることは当然のことだと思う。
だったら企業にプレゼンして金出させろよ。バブルの頃は皆やってたべ。
不景気で企業が金出さないからって税金に期待するのはオカシイ。
芸術に援助できなかったらすぐ消えてなくなるよ。
後は金持ちの道楽だけが残る。
そこまでくるとサントリーみたいにもはや芸術ではなく、
ただの企業の宣伝にすぎない。
商業の基盤となっている文化は育てる部分が大きいということだ。
だから長い目で見れば資本家達の利益になっているんだよ。
そういう文化発展が。100年くらいの目で見なければならんけどな。
だから今すぐにそれが儲からないからって、ほんとに利益がないかどうかはわからないんだ。
そういう意味で芸術家のためではなく、多くの一般人のために芸術の保護は必要なんだよ。
ある程度はな。
大学のチェアーにふんぞり返って税金すすっているような似非芸術家は問題ありだけどな。
訂正
1行目
芸術派商業の基盤となっている文化を育てる部分が大きいということだ。
>だから長い目で見れば資本家達の利益になっているんだよ。
>そういう文化発展が。100年くらいの目で見なければならんけどな。
それには同意だけど、国家財政が事実上破綻しているような日本で、
「現代音楽をやっているから」無条件に、優先的に保護されるべきなのか。
「似非芸術家」と芸術家を分類する法則に説得力があるならまだしも、
ごく一部の人間が楽壇の政治力で予算ぶんどってるだけじゃん。
国の文化のためにも音楽の発展のためにもなっていないのが現状では?
>国家財政が事実上破綻しているような日本で、
>「現代音楽をやっているから」無条件に、優先的に保護されるべきなのか。
>国の文化のためにも音楽の発展のためにもなっていないのが現状では?
激しく同意。
最近は専門家の中からもこういう正直な発言が
見られるようになったのは、誠に心強く感じるよ。
ドイツだって統一のとき国家財政は破綻した。
しかし消費税19%、所得税30%、タバコは500円にして最低限の文化は守った。
ドナウエッシンゲンはそれでも金がなくてダルムシュタットのように隔年開催にしようとした。
それをドイツ銀行やジーメンス良くないとし金で支援した。
その結果ドナウエッシンゲンハ潰してはならないと各国から聴衆が来て、
毎年売り切れるようになった。
余りにも売れ行きが良いのでSWRはチケット代を上げることはせず、
聴けない人のためにFMですべてを生放送するようになった。
もう3年目だ!
日本の獣企業では考えられないことだ。
獣がだめなら消費税を30%取って文化を守るしかない!
所得税も40%にすれば国家財政は安定するであろう。
みんな血税を出すしかない。
専門が63以前のようなことを考えているのならば、
すぐ自殺して死んでくれ!
そんな専門家は邪魔にしかならないので日本では要らない。
現代作曲家だって生きる権利がある。
その最低限の生活すら出来ないということだ!
それに対して何考えているのか日本の「専門馬鹿」というものは!
一部の人が分捕っているのならそうさせなければ良い。
予算全体は増やさなければならない、簡単だ!
芸術は国家建設の最終目的とどこかの国が言ってたなあ。
もちろんそういう補助金に虫食うものはいる。
補助金が少なすぎるからそうなる。
それを決める権威も少なすぎる。
決まっているのは芸大・NHK・文科省だろう。
彼らは何様のつもりでそういう権威があるわけ?
全部分割して競争させたらどうだろう。
海外に全く通用しない尾高賞・N響なども分割すればよい。
絶対毎年の受賞者がそれぞれのNHKで違うから面白いし失策は反省にもなる。
文科省はもう国ではなく地方のみにおけはお互いに批判し合い競争するだろう。
自称現代音楽作曲家だってそりゃ生きる権利ぐらいあるさ
音楽で食えないんならまず額に汗して働けよw
他の利権構造潰して予算のパイを奪えばいいんだよ
ひ弱なお坊っちゃんたちは頑張って部落や在日ぶっ潰せw
現代音楽なんてどうでもいいから
国はアニメ・マンガ・ゲームなどの
アキバ文化を手厚く保護すべき
そうは単純に行かない。
彼らはそういう法律が出来ると、
すぐにスイスなどの外国の講座に全財産を移す。
モナコやスイス・リヒテンシュタインらはすべて非課税だ。
それだけで食っている国。
所得もごまかすことが出来る。
給与の振込先を非課税の海外にするのだ。
日本国ではないので所得税の課税が出来ない。
従って国は税金が入ってこない。
そうやって金持ちは太って行く。
共産党の思うように課税ができないのが現実だ。
事実、社民党や共産党が考えていることは凄く幼稚だ!
>国家財政が事実上破綻しているような日本
本当にそうかな?
俺はあまりそうとは感じられんが。
腐れドイツ人の現代文化に魅力も何にもない日本のソフトパワーのほうが国際的にはるかに上
ドイツで今一番人気あるアイドルグループが日本のビジュアル系のパクリだからな
>>70
日本が世界に誇るそれらの文化を全面的に助成し
日本は世界一の娯楽大国である事をアピールして行くべきだね
美しい国よりは楽しい物がたくさんある国の方が良いだろう 副作用としてHENTAIを発信するのか。勘弁だな。
経済が食料として、現代音楽は糞みたいなもの。
そんなに糞が重要でないか?
クソしなくて生きていけるのか?
無理だ!
クソを大切にしろ。
>>74
国と地方を合わせると借金は1000兆円に登る。
世界一の借金国である。
これのどこが国家財政が破綻してないのか?
君は新聞もニュースも見てないのだな!! 知ってるよ。
そういうことじゃなくて
俺が言いたいのはその情報が怪しいって事だよ。
どうも胡散臭いというか。
俺は疑り深い性格なんでね。
その情報は怪しい?ってどういう意味だ?
例えその情報が間違ってたとしても、それは君が考えるように、
借金の額が少ないのではなくて、発表されているより多いと思うぞ。
日本の文化は偽り文化だからその可能性はあるな。
でも現代音楽の作曲家だって生きる権利がある。
贅沢な暮らしをさせろじゃなくて、
そのまま最低限の生活補助程度の生活でいいから、
止めない程度に作曲させてくれということなんだ。
どうも作曲家というと金持ちのおぼっちゃんやお嬢さんが多いのでそう思うのだろう。
私大がとてつもない額なのでそういう人しか来ないのは事実だ。
でもそれでも税金は半分補助してるのだろう。
とんでもない無駄遣いだ!
でもほんとに出て来て残る作曲家というのは武満のような貧しい人たちなんだ。
未来の武満になる様な人に食えないからといって作曲を止めさせてはいけない。
そういう人たちにはどうぞただで音大に行ってもらいたいほどだ!
こんなとこで猛ってないでシリウス掲示板にでもレスしろよ
>>82
デイトレとかヒモでもやりつつ作曲すりゃいいじゃん。
あらかじめ公金の援助を想定した活動するってどーなのよ? それになんつーか、作曲そのものはホームレス状態でもできるんじゃね?
(注:ホームレスで十分だ!って言ってるわけじゃないぜw)
問題は、仮にホームレスが素晴らしいスコアを書き上げたとしても、
それが世に出るチャンスが少なく、しかも正当に評価されづらい、ってことじゃね?
芥川也寸志は作曲家デビューのときはホームレス状態だったんでしょ。
昔からよくある話だよ。
へえー、そうだったんだ!<芥川
じゃあ援助なんかなくっても、世に出るべき奴はちゃんと出るってことじゃん
もうすぐホームレスになりそうなので、今しばらくお待ちを!
現代音楽=自分の収入に意図的にストップをかけるもの。
これでいいか?
>贅沢な暮らしをさせろじゃなくて、
そのまま最低限の生活補助程度の生活でいいから、
止めない程度に作曲させてくれということなんだ。
フランスでは住宅までもらえるんでしょ。
いいよなあ〜
この板のやつら全員でフランスに移住しようか!
おまえらがフランスに移住しても多分、作曲もせず2ちゃんばかりだろw
フィンランドでは音大作曲科卒業の資格で自動的に年金資格がもらえる。
CDも楽譜も国費で出してくれる。
オーストリアはいかに自国民のみの専用の奨学金が多いことか!
スイスもそれに準じる。
フランスに行ったら2chは卒業しないとなあ!
バイトしなきゃ食い扶持つないで行けないようなプロボクサーでも
ボクシングが好きだから腐らず毎日汗を流している
現代音楽の作曲家は彼等を見習え
みんなやってるよ。
バイトだけでオケが買えると思うか?
カンノさんドイツで頑張れてるならわざわざ日本の文句言わなくていいじゃん。
まさかノダケンみたいに外人にまでハブられてるとか?
ドイツの問題はドイツのBBSに書かれているんじゃないの?
見てみな?
>>97
ドイツ語わからないので宜しければリンク貼ってください。 >>93
2ちゃんばれたらマジ権利剥奪されるよ。(゚д゚;) でも本当にそう考えるのだったら作曲は絶対辞めるべきでしょう。
ただでさえ安い株で世界一の借金大国の日本経済にとっては逆効果ですね。
私たちはギルド的な考え方で書いています。
それに同調できない人はここの足を引っ張るだけですね。
バイトやってもしょうがないですから、
現代音楽は完全に辞めて会社に勤めたほうがいいです。
ほんとに幸せになれますよ。
現代音楽=西洋音楽だとか、
邦楽=死んだ古い音楽
だとかいう偏見と思い込みをすてて、
邦楽の現代版を(もちろん、それはJ-POPのような安易で腐った西洋風音楽
でもなければ、演歌のような安易なものでもなくて)作って
現代音楽とすればよかろう。
邦楽はまだまだ一般大衆への開放が進んでないのも確か。
家元制度なんかよりももっと身近なものとしたい
現代邦楽なんて、分野としてはずいぶん前から確立しているが。
50年以上前に死んだ宮城道雄なんかも箏奏者にして現代邦楽の作曲家だったし、
杵屋正邦、唯是震一、かなり西洋音楽寄りだが三木稔もそう。
邦楽が一般大衆に解放されていない、なんて不見識もいいところ。
尺八、箏、三味線、などの楽器の学習者はうんざりするほどいる。
何かそれほど血が通っているとは思えないなあ。
ヴァイオリンみたいに身近だったらわかるが!
邦楽のひととき、邦楽ジョッキー、邦楽百番 etc
NHKFMでは多くの邦楽番組やってるよね
大衆迎合として受け入れられてはいけないが現代音楽よりよっぽど露出が多い
伝統芸能は価値が高いから現代音楽よりよっぽど保護する意味があるんだろう
それには反対しないが邦楽の浸透性とは、
ヴァイオリンのように世界中にあって、
いつでも聴けいつでも手にとって演奏できる状態を指す。
それに比べればNHK・FMは廃止するとか同化で死語化しつつある。
同じことをTVでもやらねばならないし音大・楽譜・DVD・研究所・マスコミ・CDコンサートもオペラみたいに毎日あってよい。
浸透しているとは、パリやウイーンも歌舞伎などを300晩毎日やるということだ。
それだけ国際化することを意味したい。
つーか、日本国内に限れば、邦楽器の学習者の発表会は
毎日のようにどこかで開かれているはずだ。
ただ、それが広く大衆に開かれている形で行われているかと言えば、
違うということになる。やはり家元制度の伝統を引きずっていて、
縦のつながりはやたらと強いのに、横の交流がきわめて希薄。
最初から身内でしか聞き合わない、という性格が強い。
だから、うんざりするほど開かれている邦楽器の「発表会」も、
知らない人間にはまったく情報が届かない。
最初から公開する気がないんだからな。
もっとも、個人的にはマイクを通してアンプで増幅された尺八やら箏の音ほど
虚しいものはないと思う。やはり、現代日本のコンサート・ホールには
どうにもそぐわない音楽なんだよな。
助川さんは直に知っているが、
その作品は一切聴いたことがないので謎だ!
>>110
>浸透しているとは、パリやウイーンも歌舞伎などを300晩毎日やるということだ。
そんなw「カブキの日」かよww。
つーか、自国の文化の保護を優先させるのが普通だと思うんだが。
日本人て他のアジア人と比べてどっか自己防衛本能が欠如してるのな。東アジアでも韓国とか中国はしたたかだ。
なんだか、確かにここでは「現代音楽は何のためにあるのか?」の説得ある論を
言ってる人っていないな。
あるのはドイツやフランスでは作曲家にたくさん補助金が出てる、それに比して
日本ではほとんど無いっていう話ばかり・・・・・・
現代音楽は確かに需要が少ないけど、日本にもそんな
音楽を愛している人がいるんだから作曲家はその人たちの
ために曲を書くだけ。
その音楽を愛している人はほとんど音大の作曲家出身で占められる。
99%以上か?
>>117
いや、違うと思う。
多分社会学出身が3割、工学出身が4割、哲学出身が2割、
音大出は1割位だろう。 邦楽のほとんどは、邦楽としてのクラシックを伝承芸能よろしく
棒暗記してレコードのように繰り返してるだけだろ。
本当は、毎日のように新しい邦楽の曲が作りつづけられて
いる状態でないとすれば、死んだ音楽だというべきだろう。
学校教育からも事実上邦楽は黄泉の国の音楽だと思われているのか、
締め出されているわけだし。(ほんのちょっとだけ紹介されるのに
過ぎない。)
>>120
ちょ、あんたの時間は2005年以前で止まってるのか? 権威に従順で名誉欲のある人が音楽を作るとすると、
こんな音になりますよという、サンプルとしての存在価値。
わざわざ邦楽器など高いもの買わなくても、
その辺に転がっている消しゴムや空き缶でも立派な現代音楽はできますよ。
実際ラッヘンマンとかポップミュージックはどんなの聴くの?
たしかに「現代音楽は何のためにあるのか」
について答えが出てないような気がする。
それにしても、こういう時に限ってコテハンの連中は黙ってるな。
出てきて唸るような答えを言ってみろよ。
>>120
>>107にも書いておいたが、現代邦楽の作曲家はたくさんいるよ。
演奏者を兼ねている、というか作曲もする名手が少なくない。
邦楽のためのシンポジウムを見に行ったことがあるが、
面白かったのが、演奏者たちが作曲家たちに口々に
「もっと弾きやすい曲を書いてくれ」と要求していたこと。
まあ、あんまり志の高い要求とは言えないが、
(西洋)現代音楽のフォーラムで、プレーヤーが作曲家に
「もっと簡単な曲を書いてくれ」と要求しているところは
見たことがなかったから、とても新鮮だった(笑) 実際ラッヘンマンとかポップミュージックはどんなの聴くの?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
聴くはずねえだろ。
でも作曲サボってシューマンとかピアノで弾いているとか?
ネタにマジレスとはこのことか。
しかしこのスレの議論自体意味がないな。
何のためといえば、この世のすべてのものが何のためでもなく存在してるからな。
>>121
2005年で止まってるって、2005年以前と以後では何かターニング・ポイントになってるんですか? >>131
素晴らしい!!
その理屈で是非公金をふんだくってくれ! 厳しい財政の中だけど公金による現代音楽の振興は否定的に考えないでくれ。
未来に対する先行投資だと思えばよい。
温暖化の歯止めはかからず地球は悲鳴を上げ大地は砂漠に覆い尽くされるであろうそう遠くない未来
そんな未来の人類が底無し沼のように重く暗い現代音楽を求めるのだろうか
500年後の人類も今と変らず、今よりもモーツァルトを求めるのではないだろうか
モーツァルトが未来に演奏されなくなったら、
ラッヘンマンの全盛期が来るであろうぞ!
ラッヘンマンが演奏されない時が来ても
巣鴨のおばあちゃんも渋谷の高校生も新橋のサラリーマンもなんとも思わないけど
モーツァルトが演奏されない時代は人類滅亡の時だろう
現代音楽って一部のファンしかいないけど世間的知名度はサブちゃんほどではないレベルの演歌歌手に似ている
神奈川県民ホールとかで歌ったりするけどサブちゃんほどは儲からなくて
ましてや今週のオリコン一位の歌手ほど注目もされない
どこかのおっさん(サクランボ農家とか)が道楽で演歌歌手をやってて一発当たれば大成功みたいな
現代音楽はせいぜい学校の講師の片手間仕事
でもサクランボ農家の演歌歌手より現代音楽は儲からない
「来るわけないだろ ばーーーーか 」
・・・・・・・・・・
こいつはボケが始まったか?
Mozartばっか聴くからだ。
モーツァルトは死んだ!
ポスト・セリエルばんざーい!!!!
前衛は一過性の反抗期みたいなものだったんじゃなかろうか
反抗期はいつかは終わる
でもそれをいつまでもひきずっている人は
いい歳しても万年反抗期のアブナイ人
みたいな
きっと今は
「こんな時代もあったよね」
みたいに前衛(反抗期)を振り返る時代なんだよ
モーツァルトは死んで久しいのに何寝ぼけているんだ?
シュトックハウゼンはモーツァルトの生まれ変わりだと聞きましたが
前衛は一過性の反抗期みたいなものだったんじゃなかろうか
前衛は世界大戦の反作用から生まれたのだよ。
142: カールハインツはいつもそう思い込んでいた。
だからTVで「自分は天才」だと宣言したのさ。
日本では西村翁か?
一方ウオルフガング・リームは名前が同じなのでひそかに思い込んでいる。
文字、意味の通る文字で音楽を語るとこが昔では考えられないことですよ
前衛は世界大戦の反作用から生まれたのだよ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
加古の過ちへの反省と反抗?
まあ、そんなとこかな。
戦時中は音楽といえば軍歌しか認められなかった。
戦後、その反動が一気に押し寄せた。
しかし軍歌を馬鹿にしてはいけない
現代音楽なんかより抜刀隊の方がよっぽど魂を揺さぶられる
>>143
その言い回し気に入ったのか?
見かけるたびに吹き出すが。 149 名前:7分74秒[] 投稿日:2008/02/03(日) 18:22:11 ID:qMdeeewx
右翼的な意見でありましょう。
151 名前:7分74秒[] 投稿日:2008/02/03(日) 22:40:31 ID:qMdeeewx
150も右翼団体の一人でしょ?
最近マスコミに踊らされて右翼思想が流行っているようです。
ジョスカン・デ・プレの録音は家にはCDが一枚あるだけだ。
モンテヴェルディの録音は家にはCDとLPが1セットずつある。
モーツァルトが音楽史に名を留めることは間違いないが、
西暦2200年頃に、現在のジョスカンやモンテヴェルディみたいな
位置にならないという保証はない。
実際、1970年代くらいまではモーツァルトはオーケストラの定期演奏会の
定番プログラムだった。ピリオド楽器演奏の台頭とともに、モーツァルトは
次第にオーケストラにとってはやや特殊なレパートリーになってきている。
つーか、そもそもオーケストラという制度があと200年もつかどうか分からんしな。
中国の毒餃子食いすぎて超右翼になったのであろうぞ!
この手の話は、知人の音楽学者や演奏家、指揮者、作曲家などと
ここ10年くらいことあるごとに話題になりまして、しまいには
音楽学の限界や、個人の立場の問題にまでなるので、積極的に
議論は避けているところです(^_^;)。先日も朝の3時まで新宿で
話していたし・・・・・・
拝見していると、全く新しい機軸のご意見は残念ながら拝見できませんし、
やはり簡単には結論が出ないことは明白です。むりやり思い込むことで
逃げている人はいますが(^_^;)。
議論は避けているところです。
・・・・・・・・・・・・・・・
日本人のとても悪い癖ですね。
もちろん哲学と同じですから「宇宙の果て」のように答えは出ません。
目的は考える力を育てることにあります。
最近の児童や学生が考える力がないのはこういうかたがたが、
文科省あたりで「積極的に 議論は避けているところです(^_^;)」、
と言ってるからですね。
これは欧米では答えは出ないものですが、どこの音大でもやらせています。
実社会というのは実はいつもこういう答えが出ない問題を扱うものです。
こういうのを考えることでものすごく思考力が付くのです。
そこがオートメーション化されたペーパーテストと違うところですね。
しかしほんとうの教育とは実はこういうものです。
少しでもこういう思考力のない考え方が日本から消えることを願っています。
ポピュラーは売れてシリアスは売れない、というのも俺にとっては謎だ。
だってどちらも同じ「音楽」である事にはかわりはないだろ?
普通の人は7分の曲で死ぬほど長いと感じるんよ。
自分の中にまだない情報にとりあえず触れてみようという好奇心から音楽は取り残されてる。
いっぽう視覚と味覚は飽き足らない。
ポピュラー、シリアス云々よりこの事の方が疑問やね。
耳がせっかくなんのためについてるのかみんな考えないのかなと。
今一番、油が乗っている現代音楽家を教えてください。
ポピュラーは売れてシリアスは売れない、というのも俺にとっては謎だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
売れるから「ポピュラー」というの。
第九も売れるから「ポピュラー」というの。
現代音楽もミニマルは売れるから「ポピュラー」というの。
ノーノのなると売れないから「ポピュラー」とはいわないで「芸術音楽」というの。
しかし演歌でもロックでも売れないものは「芸術音楽」とはいわないの。
「芸術音楽」は多くの意味で大きな意味で繰り返しが少ない。
だからちょっと聴いても理解でできない。
メロディーがあっただけで、リズムがあっただけで、
それは過去の繰り返しに過ぎないの。
だから聴きやすいわけで良く売れるわけ。
特殊奏法などは過去にほとんどなかったわけ。
だから始めて聞くと違和感や不快感があるわけ。
したがって全然売れないわけ。
でもそういうものだけを狭義の意味で「芸術音楽」というわけ。
ポピュラーは売れてシリアスは売れない、というのも俺にとっては謎だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
売れるから「ポピュラー」というの。
第九も売れるから「ポピュラー」というの。
現代音楽もミニマルは売れるから「ポピュラー」というの。
ノーノのなると売れないから「ポピュラー」とはいわないで「芸術音楽」というの。
しかし演歌でもロックでも売れないものは「芸術音楽」とはいわないの。
「芸術音楽」は多くの意味で大きな意味で繰り返しが少ない。
だからちょっと聴いても理解でできない。
メロディーがあっただけで、リズムがあっただけで、
それは過去の繰り返しに過ぎないの。
だから聴きやすいわけで良く売れるわけ。
特殊奏法などは過去にほとんどなかったわけ。
だから始めて聞くと違和感や不快感があるわけ。
したがって全然売れないわけ。
でもそういうものだけを狭義の意味で「芸術音楽」というわけ。
カンノは薬打ってるの?
ヤバげな人だと思ってたけど。
PCが勝手に書き込んでんじゃないの?
本人とは関係がないよ。
現代音楽は全く役に立たない、
だから非常に重要なのだ!
>>173
役に立たないから重要。
まさにその通り。
実用など意味が無い。
音楽は,そういったものから解放されて,ただ音楽として存在すべき。
2008.2.25. 月 晴 町田
「現音」回想記(一)
およそ、人が組織を作ると、そこに幾つかの内部群ができる。それを派閥と呼ぶこともある。
系列ということもある。どちらにしても人が集まる所での自然現象的なことなのだろう。
それが根拠を持ち、理にかなっている場合もある。複数政党制というものもその一つであろう。
この場合、群が幾つかある方が理にかなっているので、妥協的、利権目当ての融合連立はない方がいい。
これに対し、人脈的、利権的、排他的系列化から出来る集団もあろう。
こういうものは不要有害でくだらぬ場合が通常である。
文化団体も例外ではない。それが学歴の系列から出来るならば通称学閥で、これは無意味で存在しない方がいい。
しかし、思想信条が理由で出来る場合は根拠が無意味とはいえないので、あながちただちには否定はできない。
群の形成には、有意義な場合と、無意味有害な場合とがあるので両者は混同すべきでないし、
また混同出来るものではない。
「現音」でも「日本音楽舞踊会議」でも、こういう類いのものはあった。日本音楽舞踊会議では、
もはや存在しないが日本共産党系の人たちが音楽の分野での彼等の影響の場にしようと連携して運営に影響を
およぼそうとした。彼等以外の人たちが組織的に行動しないのに彼等は組織的に行動するので、
はなはだ迷惑であった。「現音」でも、これに似通ったものがあった。私は事実については主観を廃して書こうとし、
判断については、断った上で自分の判断を書くことにする。
「現音」での派閥といえば「国際派」と通称される人たちである。この件についてはこの団体
のそもそもの成り立ちから説明する要がある。前に書いたように、この団体は昭和初期に出来た。
しかし、第二次大戦後に「国際現代音楽協会」の支部を兼ねることになった。
遠因、近因あるにせよ、こと発端はここから発した。国際派といわれるように、
この人たちは海外での活動、人脈、宣伝、に熱心である。そのこと自体はいいことだが、
そのために、海外で主流になっている動きとの連携を重視する。
それもまた、それだけならわるいことではないのだが、海外とひと口に言っても、
それはそれなりにまた「派閥」を形成していることがある。
ここが面倒な所で、世界に進出する、とか、狭い日本に停滞することは許されない
とか言っても、それだけ聞くともっともだが、これが海外派閥との連携となると
話はまるで変ってくる。
妙なことだが、作曲界には国際派閥とでもいうものがある。こんなものは文学や美術の分野にもあるのだろうか。
そちらの専門の人に聞いてみたい。彼等は相互に連帯し、それぞれの地域で、新聞、雑誌、放送、録音出版、
などの機関に独占体制を作る。独占である以上排他的で、彼等以外のものは存在しないかのごとき外見状況を作り出す。
A国、B国、それぞれ、その国を代表する作曲家といえばその系列の人が登場する。知名度が高い人もいれば、
さほどでもない人も出てくる。知名度がいまだしの人が出てくれば新人の登場に見えるが、実は、その「新人」はまた
派閥のジュニアというわけである。彼等は国際的に「マフィア」と呼ばれる。「現代音楽マフィア」と呼ばれる。
この用語は実際、国際的に通用する用語になっている。ヨーロッパでもアメリカでも、もはや普通名詞として使われる。
いま日本で、A国の代表的作曲家、B国の著名作曲家、として新聞雑誌で盛んに話題になり、
NHK・FMに頻繁に登場するX氏Y氏は実は「国際マフィア」の組員であることがほとんどである。
大事なことを断っておくが、こういう類いの話は、一種の被害者妄想または、ひがみ幻想から発して、
架空の陰謀をあたかも実在のように思い込み空想する場合がある。自分はこういう誤った認識を可能な限り排除する
努力をして物事を見ているので、少しでもその気配がある話は信用しない。ここには書かない。
そして、高名になっている作曲家でも「マフィア」の力を借りない人、また、マフィアの組員でない人もいる。
たとえば、ジョルジュ・リゲティ、イアン・クセナキス等、いい方の例だから実名をあげてもいいだろう。
この人たちは正真正銘実力実績で知られた人である。ただし、彼等の実績、知名度、影響力をマフィアが利用することはある。
本人たちが知らずに利用されている場合もあるだろうから、こういう場合は識別は難しい。(つづく)
国際派閥ね、
でも芸大アカデミズムでやっていることは余りにも狭い考え方だよな。
何で動機展開があって、ピアノの内部奏法は落とされるの?
芸大系よりも東大系の作曲家のほうが本来の目的を失わずに海外のものを吸収してるね。
何であれだけ海外で12音や偶然性が問題になっているのに芸大は無視するの?
どうして特殊奏法が必要かは芸大では教えてないんじゃないかな?
メロディーやリズムや和声進行だけではなくどんな音の組み合わせも、
ちゃんとした意図を持って構成されていれば美しいと感じる美学を芸大は教えてないと思う。
芸大が教えないからその下級音大はみなその真似をするので教えない。
そこに国際派はどうしてなのか目をつけたわけだ。
東大派はさすがに頭がいいので12音などを紹介するのが早かった。
芸大の作曲の産物が国際的に通用しないことを普通の人は認識してるね。
何でシュトックハウゼンが騒がれて西村朗はだめなのか良く考えてみるべきだな。
同じ自称「天才」でも格が違うんじゃ。
残る音楽とは民族や時代を超えて何度も何度も試され批判に耐えて残っていく。
日本ノ尾高賞などでだけで自己満足してもそれは残った芸術とは言わない。
実際海外には伝わらない。
美術などの他の芸術もそうだね。
日本人だけ満足しても人種が違えばまた違った考え方になるのだ!
マフィア?
それよりもそういう洗礼を経ないでスキャンダルだけで出てくる作曲家を普通マフィアというのであろう。
日本も海外も一番馬鹿なのはジャーナリズムだからいつもそうなってしまう。
かれらは自分のとこの雑誌などが売れればそれでいいわけだ。
X氏Y氏は当たっているかもしれない。
ぜひ名前を聞きたい。
日本人だけ満足しても人種が違えばまた違った考え方になるのだ!
ドイツ人だけ満足しても人種が違えばまた違った考え方になるのだ!
フランス人だけ満足しても人種が違えばまた違った考え方になるのだ!
イタリア人だけ満足しても人種が違えばまた違った考え方になるのだ!
アメリカ人だけ満足しても人種が違えばまた違った考え方になるのだ!
ベネズエラ人だけ満足しても人種が違えばまた違った考え方になるのだ!
シエラレオネ人だけ満足しても人種が違えばまた違った考え方になるのだ
以下同文…
東大系
京大系
阪大系
ハーヴァード大系
ケンブリッジ大系
マサチューセッツ工科大系
ベルリン芸術大系
パリコンセルヴァトワール系
ヴェルディ音楽院系
以下同文…
…いろんな意味でさぁ、なんか恥ずかしいと思わない?
他者の事どうでもいいからまず自分磨こうよ…。
今カンノのサイト見てきたけど、ドイツ語いい加減すぎwww これ、自分で書いてんのか?
オリコン調べによるアーティスト別のレコード・CD総売上ランキングです。
2022/01/21(金) 21:19:04.63ID:64DW+ooh 藤林丈司