大学新入生もいると思うが、間違っても2CHで数学の勉強なんて思わないことだ このスレは、趣味と遊びのスレと思ってくれ(^^;
以下前スレより再掲 http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/math/1492606081/7 7 自分:現代数学の系譜11 ガロア理論を読む[sage] 投稿日:2017/04/19(水) 22:07:49.66 ID:gLi5Ebjw まあ、過去何年かにわたって、猫さん、別名、¥ ◆2VB8wsVUooさんが、数学板を焼いていたからね ガロアスレは別として、数学板は焼け跡かな 再生は無理だろう そもそも、2CHは、数学に向かない アスキー字に制限され、本格的な数学記号が使えない 複数行に渡る記法ができない 複数行に渡る矢印や、図が描けない(AA(アスキーアート)で数学はできない) 大学数学用の掲示板を、大学数学科が主体となって、英語圏のような数学掲示板を作った方がいいだろうな、実名かせめてハンドルネーム必須でね、プロないしセミプロ用 http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/math/1484442695/494 494 現代数学の系譜11 ガロア理論を読む[sage] 投稿日:2017/04/17(月) 18:01:02.76 ID:mNM7pqkU 前にも紹介したが、新入生もいるだろうから、下記再掲しておく。なお、信用できないに、私スレ主も含めること。定義から当然の帰結だが(^^; https://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n98014 Yahoo 知恵袋 数学の勉強法 学部〜修士 ライター:amane_ruriさん(最終更新日時:2012/8/6)投稿日:2012/8/4 ナイス!:5閲覧数:11594 (抜粋) 私は修士1年生ですので、正直に言いますとこの部分はあまり書いているのが正しいとは思えません。趣味で書いているものだと認識していただければ良いのではないかと思っております。大学3、4年に入ってまず怖いのが数学の本の氾濫でしょう。まず何を読んで何をすればいいのか分からなくなります。 そして、自分のやっていることがいかにちっぽけな存在なのかというのを実感させられます。(多分皆がそうでしょう。)そして、結果が問われてきます。ここで、数学科は「入るのは易しいけどプロになるのは難しい」ということが実感させられてきます。 2012年8月3日現在、書泉グランデで有名数学者の薦める本がありました。森重文先生を初めとして本の多さに圧倒されました。(足立恒雄先生は信頼と安心のブレなさ) 2.2chの内容は信用できるか? 基本的に信用できません。先生>周りの人>>>2chや知恵袋の人です。何故かというといつも同じことしか言っていないから。多分きちんと検証していないで想像で議論しているだけではないのかと私は思っています。(まあ、自分もあんまり信用できないけど) 数学をする場合は、問題が解けることも重要なのですが問題設定を作ることが大切です。そういう時に、どういう風に学んできたのかとか、正確な知識がどういう部分でどれだけ持っているのか、調和性や、生まれて来た環境っていうのが重要になってきます。 ただ、それがどうも2chの人は見られない(し、そもそも偉そうなことを言っている人が本当にできるかどうか分からない。)。こういう類のものは勉強不足ですとか、分かっていませんでしたで済まされるものではないと個人的には思うのですが。 (引用終り) http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/math/1484442695/338 338 現代数学の系譜11 ガロア理論を読む[sage] 投稿日:2017/04/09(日) 23:46:26.46 ID:Rh9CzQs6 スレ主は、皆さんの言う通り、馬鹿であほですから、基本的に信用しないようにお願いします 大体、私は、自分では、数学的な内容は、筆を起こさない主義です じゃ、どうするかと言えば、出典明示とそこらの(抜粋)コピペです まあ、自分なりに、正しそうと思ったものを、(抜粋)コピペしてます が、それも基本、信用しないように 数学という学問は特に、自分以外は信用しないというのが基本ですし ”証明”とかいうらしいですね、数学では その”証明”がしばしば、間違っていることがあるとか、うんぬんとか 有名な話で、有限単純群の分類 ”出来た!”と宣言した大先生が居て、みんな信用していたら、何年も後になって、”実は証明に大穴が空いていた”とか おいおい、競馬じゃないんだよ(^^; https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%98%E7%B4%94%E7%BE%A4 単純群 1981年にモンスター群が構成されてからすぐに、群論の研究者たちがすべての有限単純群を分類したという、合計10,000ページにも及ぶ証明が作られ、1983年にダニエル・ゴレンスタインが勝利を宣言した。 これは時期尚早だった、というのはいくつかのギャップが、特に準薄群(英語版)の分類野中で発見されたからである。このギャップは2004年に1300ページに及ぶ準薄群の分類によって埋められており、これは現在は完璧であると一般に受け入れられている。 http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/math/1492606081/352 352 自分:現代数学の系譜11 ガロア理論を読む[sage] 投稿日:2017/04/29(土) みんな、何に価値をおいているか、それぞれだろうが・・ 個人的には、数学板で一番価値を置いているのは、確かな情報 つまり 根拠の明確な情報 つまり コピペ わけのわからん名無しさん(素数さん)のカキコを真に受けるとか、価値をおく人は少ないだろう きちんと、大学教員レベルの証明があればともかく、匿名板でそれ(名無しカキコに価値をおく)はない さらに、個人的には、わけわからん名無しさん(素数さん)との議論も、価値を置いていない その理由は、上記に同じだ それが、スレ主がコピペでこのスレを埋める理由であり ”小学レベルのバカプロ固定たち”とのつまらん議論で、時間とスレの余白を浪費しない理由さ(^^; まあ、娯楽板ならバカ会話重視なんだろうが 学問板で、それはないだろう・・(^^; 以下、過去時枝が数学セミナーに書いた記事(「箱入り無数目」数学セミナー2015.11月号)が話題になったが、それに関連して、前スレより再掲。 (時枝記事への批判詳細は、後述) http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/math/1492606081/619 619 自分:現代数学の系譜11 ガロア理論を読む[sage] 投稿日:2017/05/05(金) 22:57:51.96 ID:ZYeih3Vj 私は、時枝記事が成り立たないことを前提として 時枝記事がなぜ成り立たないか? なぜ、成り立つように見えるか そういう議論には参加するが 時枝記事が成り立たないこと前提とするの部分が 共有できない人とは議論しません あしからず では、とうぞスレ28へ。下記7でしたね。私は行きませんから(^^ ここから見ていますよ。自分達が立てたスレが寂れたからと、這い出してこないようにお願いします(^^; 現代数学の系譜11 ガロア理論を読む28 http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/math/1483314290/7 (抜粋) 7 名前:132人目の素数さん[sage] 投稿日:2017/01/02(月) 20:02:42.58 ID:0caOih5s **** このスレを訪れた方へ **** 急ではありますが、このスレは ■時枝問題を語るスレ になりました。 ただし以下の行為は厳に謹んでください: ・他サイトからのコピペでスレを埋め尽くす行為 ・デタラメを述べておきながら間違いの指摘は無視する行為 ・明らかな間違いにもかかわらず、数学は自由だから何でもありだろ?、と無理やり正当化する行為 ・他人の学歴など個人情報を聞き出す行為 ・その他、材料工学分野の研究者/エンジニアの名誉を貶める行為 以上 どうも、おっちゃんです。 前スレ>650(哀れな素人)宛て。 >>0.99999……=1 は成り立つ。 >>カントールの集合論がなくてもその式の証明は出来る。 > >成り立たないし、その証明は間違いである(笑 「0.99999……」が11進法とか16進法とかで記述されるとでもいいたいのか? そういうことを考え出したら、「0.99999……」が何進法で記述されているかは 一通りには決まらなくなり、「0.99999……」という数に大小関係が生じて 矛盾が生じ、「0.99999……」自体が存在しないことになりかねない。 そして、その数の表記で用いられている最大の数字は「9」である。 そのため、「0.99999……」という数は慣例に従い、10進表示された数と見なす。 すると、0.99999……=1 は高校のやり方でも証明出来る。
前スレ>>640 >>649 >僕は無理数は存在しないとか√2は存在しない、 >などとは一言も言っていない(笑 >無限小数は絶対に存在しない(笑 つまりお前は無理数は有限小数で表せると言いたい訳ね? >>8 <補足>私の見解 ・他サイトからのコピペでスレを埋め尽くす行為:上記>>7 のようにどこの馬の骨とも分からない人の発言は、数学的には無価値。真に価値があるのは、根拠のあるURLとそこからのコピペ ・デタラメを述べておきながら間違いの指摘は無視する行為:バカの壁。自分のレベルの低さを自覚せず、勉強せず、延々自分たちの狭い知見の議論を繰り返す(文系)High level people を無視するだけのこと(説明しても理解できないレベルでどうしようもない(^^; https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%AB%E3%81%AE%E5%A3%81 (抜粋)『バカの壁』(バカのかべ)は、東京大学名誉教授・養老孟司の著書。2003年(平成15年)4月10日、新潮新書(新潮社)より刊行された。400万部を超えるベストセラーとなり、同年の新語・流行語大賞、毎日出版文化賞特別賞を受賞。 ・明らかな間違いにもかかわらず、数学は自由だから何でもありだろ?、と・・: ”明らかな間違い”は自分達だろ? なお、現代数学では、定義は自由です。(文系)High level peopleたちの思考は、19世紀レベルで停止だな。なお、Well-defined の視点は重要だよ https://ja.wikipedia.org/wiki/Well-defined ・他人の学歴など個人情報を聞き出す行為:いくら説明しても、相手が理解できないようなので、相手のレベルを確認したまで。小学生、中学生レベルにこれ以上説明するつもりなく、”勉強してね”というのみ。 せめて高校レベルなら、努力して説明しようかという気にもなる・・。自分よりレベルが高ければ、教えを請うだろう。確認は、普段はしないが、議論がかみ合わなければこれからもありうる(^^; ・その他、材料工学分野の研究者/エンジニアの名誉を貶める行為:あんたら、材料工学の何が分かっているのか? 材料工学を修得した人なら、時枝「箱入り無数目」数学セミナー2015.11月号記事不成立は自明。材料工学では拡散過程や統計力学で、確率論程度は常識だ。時枝記事は確率論に反するってこと!(^^ 前スレの>>653 無駄な長文乙(笑 僕は半直線はイメージできない、と言っているのである(笑 以前、僕の論理としては、半直線、無限直線は存在しない、 ということになる、と書いたはずだが(笑 半直線、無限直線は存在するか否かということは幾何の問題だから、 無限小数は存在するか否かという数論の問題とは別問題である。 そして仮に半直線、無限直線が存在するとしても、 無限小数は存在しないことは絶対に確かなのである。 http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/math/1492606081/240 (抜粋) 240 2017/04/26 >>239 補足 で困るのは、確率論の常識がないってこと 時枝問題(「箱入り無数目」数学セミナー2015.11月号) http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/math/1466279209/2-6 ・箱がたくさん,可算無限個ある ・そこに、私がまったく自由に実数を入れる ・もし閉じた箱の中の実数をピタリと言い当てたら,あなたの勝ち. さもなくば負け. 勝つ戦略はあるでしょうか? ・時枝記事の結論:勝つ戦略はある ・閉じた箱を100列に並べ、無限数列のしっぽで同値類分類する方法で。100列でなく、もっと増やせる ところで、”まったく自由”だから、>>239 で引用した確率論のランダム現象の数理と真っ向対立する ランダム現象の数理を利用して、私が実数を入れたとする。当然、どの箱の数もランダムで、どう並べ替えようとランダムだろう もし私が入れる実数を見ていないとか、あるいは、箱にはなんの目印もなく並べ替えたら外見からは違いが分からない・・ まあ、並べ替えたら、なにがなんだか、入れた私にも分からない・・。当てられるはずがない・・ とまあ、”まったく自由に”だから、>>239 で引用した確率論のランダム現象の数理と真っ向対立するんだ そういう、確率論の常識がないってこと そこらの事情を端的に言ったのが、>>101-102 引用の”確率論の専門家”さん ところが、High level people たち、確率論の常識がないから、彼の言っていることが真に理解できてないんだろう。そのときは、平伏していたのにね・・ で、考えてみると、この記事のネタは、「無限数列のしっぽで同値類分類する方法」ってところが、笑いの肝(キモ)なんだろうね 大学数学科1年とか2年で、無限をおそわって代数の商集合(同値類分類)が、ちょっと分かってきたあたりの人に受ける でも、大学数学科3年とか4年で、確率論の常識が分かると、もう面白くもなんともない 当時チョウチンをつけていた大学数学科1年とか2年たち、進級してレベルアップしていったんだろう まあ、 >>239 あたりを読んでください 大学数学科など、良質な情報に触れる機会もないから、いつまでもそのままだ・・ それが分からない人たちは、どうぞ、スレ28 へ 以下前スレより再掲(無駄な議論の繰り返しを避けるために) http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/math/1492606081/566 566 自分返信:現代数学の系譜11 ガロア理論を読む 2017/05/04(木) 23:47:10.49 ID:x3HFcyPu ああ、やっと欲しい話がヒットしたね(^^; http://www.math.sci.osaka-u.ac.jp/staff/sugita.html 大阪大学大学院理学研究科数学専攻・理学部数学科 杉田 洋 (Hiroshi SUGITA) 研究分野 確率論 URL http://www.math.sci.osaka-u.ac.jp/ ~sugita/ 私の専門は確率論です。とくに無限次元確率解析、モンテカルロ法、確率論的数論といった分野に興味を持っています。ここでは、モンテカルロ法について書くことにします。 現代確率論が2年次で習う「確率・統計」よりどこが進歩しているか、を一言でいうと「無限個の確率変数を扱えるようになったこと」ということができます。たとえば「確率・統計」でN回のコイン投げの確率モデルが出てきますが、現代確率論では無限回のコイン投げの確率モデルを実現します。 じつは驚くべきことに、確率論のすべての対象は(非可算個の独立確率変数を考える、などというマニアックな場合を除いて)原理的には「無限回のコイン投げ」を基にして作り上げることができます。 この原理はモンテカルロ法において生かされます。すなわち、モンテカルロ法では、まず、シミュレートしたい確率変数Sをコイン投げのサンプルの関数として構成します。 そして、コイン投げのサンプル…疑似乱数生成器と呼ばれるコンピュータプログラムを用いて算出されます…をその関数に放り込むことによっ て、Sのサンプルを計算するのです。 そこで重要な問題は「疑似乱数生成器をどのように構成するか」ということです。長い間、ランダムな数列を生成するプログラムなど存在しない、という理由で、そもそも完全な疑似乱数生成器は存在しない、と信じられてきました。 それが1980年代に提案された「計算量的に安全な疑似乱数生成器」という概念は、完全でない疑似乱数生成器でも確率変数Sのシミュレートを事実上完全に実行し得る可能性があることを人々に信じさせました。 近年、私は大数の法則を利用して確率変数の平均値をモンテカルロ法によって求める場合に限っては、完全な疑似乱数生成器が存在し、実際にコンピュータで実現することができることを証明しました。 >>10 >つまりお前は無理数は有限小数で表せると言いたい訳ね? どこをどう読めばそんな解釈になるのか(笑 http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/math/1492606081/567-568 567 自分返信:現代数学の系譜11 ガロア理論を読む[sage] 投稿日:2017/05/04(木) 23:56:37.02 ID:x3HFcyPu >>566 つづき 1)思考実験として、仮に、杉田 洋先生が、完全な疑似乱数生成器を使って、可算無限個の箱に乱数を入れたとしよう(杉田 洋先生「証明しました」という) 2)それを、時枝先生が、100列に並べ替えて、ある箱の数を、確率99/100で当てられるとしよう(数学セミナー記事にあるように「時枝解法の数学的に厳密な証明はない」。つまり”選択公理を使ったから非可測集合になって・・(厳密な確率論ではない)”と言い訳を書いているので証明になっていない!) 1)と2)は、明らかに数学的に矛盾する。どちらを選ぶか、大学数学科高学年になれば・・、明白だろう(^^ 568 自分返信:現代数学の系譜11 ガロア理論を読む[sage] 投稿日:2017/05/05(金) 00:05:16.09 ID:ZYeih3Vj >>567 つづき 時枝解法が成立しないことは、明白だ つまり、確率論的に、「完全な疑似乱数生成器が存在し、実際にコンピュータで実現することができる」という証明と真っ向矛盾するよ だから、私の興味は、成立しない話が、なぜ成立するように見えるのかだ その観点から、「極限の扱い」を論じるなら、話に乗るが 時枝解法を正当化するための議論には乗らないよ 私の「極限の扱い」が間違っている可能性は否定はしない。が、つまらん議論に巻き込まれて、「時枝解法が成立」なんてへんな方向に引き摺られないように用心しているだけさ(^^; 前スレより再掲(無駄な議論の繰り返しを避けるために) http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/math/1492606081/573 573 自分返信:現代数学の系譜11 ガロア理論を読む[sage] 投稿日:2017/05/05(金) 08:02:26.08 ID:ZYeih3Vj [4/13] >>572 つづき http://mathsoc.jp/publication/tushin/1802/1802sugita.pdf 確率と乱数 杉田洋 日本数学会 数学通信 2013 (抜粋) 乱数とは そもそも「ランダムである」とはどういうことでしょうか.この問いに答えるために考 え出されたのが「乱数」という概念です.突き詰めれば,確率論の第一の目的は「乱数の 性質を詳しく調べること」ということになります. これからお話しする乱数の定義は,1960 年代にコルモゴロフ,チャイティン,ソロモノ フらがそれぞれ独立に与えたものです.それを現代風にアレンジしてご紹介します. 情報の圧縮とランダム性 コルモゴロフらは乱数を次のように定義しました. 定義1 長い{0, 1}-列で,どのような方法でもほとんど圧縮することができないものを ランダムな{0, 1}-列,すなわち乱数という. 4.2 ベルヌーイの定理|{大数の法則 硬貨投げは表と裏がそれぞれ同じ確率1=2 で出る, 5 モンテカルロ法 ここではベルヌーイの定理の応用としてコンピュータを用いたモンテカルロ法を紹介します. (引用終り) http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/math/1492606081/574-575 574 自分返信:現代数学の系譜11 ガロア理論を読む[sage] 投稿日:2017/05/05(金) 08:25:48.39 ID:ZYeih3Vj [5/13] >>573 つづき 時枝記事については、>>238-240 ご参照(特に>>240 ) で、話を簡単にするために、箱に入れる数を{0, 1}に限定しましょう。いわゆるブール値です 杉田先生のように、コンピュータを用いたモンテカルロ法でも良いし、実際に硬貨を使っても良い 箱に順番に、数{0, 1}(0か1のどちらか)をランダムに入れる。可算無限の数列ができる 100列に並び変える。ここは、空箱を100列に並び変えて、列名をR1〜R100として、各列先頭の箱に入れて、それが終われば各列2番目に・・・と繰り返せば、数学的には同じこと 各列R1〜R100が、ランダムであることは自明 で、時枝記事は、ある箱を確率99/100で当てる方法があるという。これは、ランダム数列のある箱(どの箱であれ)の確率1/2に反する 時枝は、この方法は、”非可測集合を経由したから、良いのだ〜”という つづく 575 返信:現代数学の系譜11 ガロア理論を読む[sage] 投稿日:2017/05/05(金) 08:27:41.41 ID:ZYeih3Vj [6/13] >>574 つづき >>101-102 に示すように 2016/07/04に”確率論の専門家”さんが来て、”そもそも時枝氏の勘違い”だと(”当てられっこないという直感どおり,実際当てられないという結論が導かれる”ともいう) そのときは、High level people たち、「ありがとう、勉強させてもらった」、「貴方がもっと早く現れていれば無駄な議論を重ねずに済んだのだが」と平伏していた が、十分な理解が出来てないんだろうね、スレ28を自分達で立てたが、行き詰まってしまって、いまスレ28は廃墟 で、廃墟から、またこのスレにはみ出してきて、このスレで時枝記事をねちねちやってんだが・・、困るのは、確率論の常識がないってこと(>>240 ) まあ、杉田先生の本でも読んでみたらどうだ? まあ、確率論を学んで「時枝解法不成立」をしっかり納得できるレベルに達したら、数列の極限でもなんでも議論しましょうということだよ(^^ おわり 前スレより再掲(無駄な議論の繰り返しを避けるために) http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/math/1492606081/241-244 241 自分返信:現代数学の系譜11 ガロア理論を読む 2017/04/26(水) >>240 つづき このスレの準常連の¥さんからは、”現在の確率論の定番、コルモゴロフの公理化”への問題提起が、時枝記事の趣旨だろうと、過去レスがあった 私は、そういう常識は無かったが、しらべると、下記 hiroyukikojimaの日記 2007/12/11 があった(過去レスで紹介した二番煎じだが) http://d.hatena.ne.jp/hiroyukikojima/20071211 もういいかげん、確率論の新しい時代に入ろう - hiroyukikojimaの日記 2007/12/11 (抜粋) イカレ仲間である友人、物理学者の田崎晴明さんがぼくの始めたばかりのこのブログ をご自身のHP( これ) で紹介してくださったので、 なんかあっという間にアクセス数が100倍くらいになった。 今回は、その田崎推奨記念ということで。 田崎さんとは、ネット内のとある場所で、いろいろな議論をさせて いただいていて、話題は多岐にわたるけど、大好きなアイドル談義は 今回はおいといて、彼との数々の議論の中から確率論の話題を取り上げようと思う。 これは、お互いに忙しくて現状ペンディングになっているものだ。 それは、「もうそろそろいいかげん、確率論の新しい時代に入ろうよ」 とぼくが提案したことから始まった議論である。 現在の確率論の定番は、コルモゴロフの公理化したもので、 次のような公理から成るものだ。 243 自分返信:現代数学の系譜11 ガロア理論を読む 2017/04/26(水) >>241 まあいい。要するに、”現在の確率論の定番、コルモゴロフの公理化”への問題提起として 現代数学では、時枝とは無関係に、いろいろな試みがすでに始まっているってこと 244 自分返信:現代数学の系譜11 ガロア理論を読む 017/04/26(水) >>241 だから、時枝記事程度の確率論問題提起の話だと、数学記事としては、 hiroyukikojimaの日記 ”もういいかげん、確率論の新しい時代に入ろう ”よりずっと落ちるんだ、質的にも つまり、数学セミナーの記事として、ガセだと >>17 >無限小数は絶対に存在しない(笑 お前の中の「存在する」の定義を述べよ >>22 お前も定義男か(笑 お前が自分で考えてみればいい。 無限小数が存在するとはどういうことか、を。 >>11 補足 >あんたら、材料工学の何が分かっているのか? 材料工学を修得した人なら、時枝「箱入り無数目」数学セミナー2015.11月号記事不成立は自明。材料工学では拡散過程や統計力学で、確率論程度は常識だ。時枝記事は確率論に反するってこと!(^^ まあ、下記でも 材料工学に拡散理論=確率論の応用 は、必須だよ。まあ、下記でも見てね(^^ ああ、常識の無い人に注意しておくが、拡散と熱伝導なほぼ同じ現象なんだよね、数理物理としてはね(^^ もちろん、熱伝導もやります。材料工学では http://nikkanbookstore.net/it15/?p=241 ITソリューション企業総覧2015Web 日刊工業新聞社のソリューション企業総覧のサイト 新日鉄住金ソリューションズ (抜粋) 製鉄業で培った技術とノウハウで 24時間365日稼働続ける堅牢・高信頼システム 〜多様な業界で導入進む〜 (2)鉄の熱伝導の数理モデルを金融分野に応用 また、製鉄業で培った数理モデルの活用ノウハウが活かされたものとして、大手金融機関向けにわが国初の「デリバティブシステム」が納入された事例がある。 熱伝導の場合、大きな反応や刺激が発生すると、さまざまな方向に広がっていくが、金融の世界でもさまざまな要素が入ったときに、どのような変化が起こるのかシミュレーションをする必要がある。 熱伝導方程式を基礎とした鉄の熱伝導の数理モデルと、金融工学でデリバティブの価格を決定する数理モデルの類似性を見つけ出した一例だ。 このように、全く異なる業種でも本質的な共通性を見出し、鉄で培った経験やノウハウを活用し、いまでは、金融デリバティブシステムといえばNSSOLといわれるほどまで業界での評価も高まっている。 お前も答えに困ると「自分で考えろ」だな ほんとに誰かさんそっくりだw マジレスすると、自ら「無限小数は存在しない」なる説を言い出しておきながら 肝心な「存在」の定義を問われると答えず逃げる、人はこれをペテンと云う
ペテン師が糞本の処置に困って挑発宣伝w 主がアレだからこういう輩を呼び寄せるんだなw
>>25 僕は答えに困っているわけではない(笑 自分で考えろ、と言っているのである。 自分で考えることが訓練になるのである。 無限小数は存在しない、と聞けば、 大多数の人はこの主張の意味を理解する。 お前らのような数学オタクだけである、 「存在する」の定義を述べよ、 などとアホで無意味な要求をするのは(笑 昼の投稿はここで終り。 前スレより再掲(無駄な議論の繰り返しを避けるために) http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/math/1492606081/101 101 自分:現代数学の系譜11 ガロア理論を読む[sage] 投稿日:2017/04/23(日) 07:53:46.56 ID:cvHfhso/ [5/35] >>99 どうも。スレ主です。 >>まあ、高校レベルの間違いをしているのかもしれないが。それと、「時枝記事が”ガセ”」という結論とは無関係だからね(^^ >間違っているのは、スレ主だ〜。 おっちゃんにそう言って貰えると、心強い スレ主はトンデモ野郎と思われているかもしれないが、おっちゃんも「いつも間違っている間違いおじさん」と思われているから・・(^^ まあ、時枝問題については、High level people たちは、”確率論の専門家”が来たとき、平伏していたんだよね(下記 2016/07/04) それを忘れて、”確率論の専門家”が居なくなったら、また「時枝記事正しい」とか言い出したんだ・・(^^ 過去スレ 20 http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/math/1466279209/541-565 (抜粋) 541 名前:132人目の素数さん[sage] 投稿日:2016/07/04(月) 00:04:35.65 ID:hgUPmIoq [1/10] >>538 > 可算族に対しては(1)も(2)も同値となる ありがとう、勉強させてもらった このスレにはそこまで理解している人間はいなかった 貴方がもっと早く現れていれば無駄な議論を重ねずに済んだのだが 542 名前:132人目の素数さん[] 投稿日:2016/07/04(月) 00:06:31.30 ID:1JE/S25W [1/3] 時枝氏の主な主張は次の2つだろうだろう 1. 確率論を測度論をベースに展開する必要が無い 2. 無限族の独立性の定義は微妙 しかし1に関していうと時枝氏の解法は,現在の測度論から導かれる解釈のほうが自然. (当てられっこないという直感どおり,実際当てられないという結論が導かれる) 2に関して言うとそもそも時枝氏の勘違い. 時枝氏の考える独立の定義と,現代の確率論の定義は可算族に対しては同値である つづく >>28 つづき http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/math/1492606081/102-103 102 自分返信:現代数学の系譜11 ガロア理論を読む[sage] 投稿日:2017/04/23(日) 07:55:25.87 ID:cvHfhso/ http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/math/1466279209/541-565 544 返信:132人目の素数さん 2016/07/04(月) 00:19:16.71 ID:EwZDjjf/ >>542 >2に関して言うとそもそも時枝氏の勘違い. >時枝氏の考える独立の定義と,現代の確率論の定義は可算族に対しては同値である ここに関しては「任意の有限部分族が独立のとき、独立」という定義そのものが有限の極限として扱うって立場だろうってことだと思う だから同値なのは当たり前 そうじゃなくて"有限個のときみたいに無限個を全部眺めて独立性を判断する"ような扱いをすれば直観に根ざした結論が得られるだろう …と思ったけど(1)と(2)の二つの方針が可能であるって言ってるから読み違えてる気がしてきた 545 名前:132人目の素数さん 2016/07/04(月) 00:42:34.67 ID:hgUPmIoq [3/10] >>542 時枝氏の考察の不備はともかく、パラドックスの出来は秀逸だと思ったが。 貴方みたいに確率論に詳しいと全く面白くないのだろうか笑 564 名前:132人目の素数さん[] 投稿日:2016/07/04(月) 22:05:22.22 ID:1JE/S25W [3/3] >>563 ごめん,少し誤解があった 時枝氏の方法は「確率は計算できない」が今の確率論の答えだと思う. 確率0というのは,可測となるような選び方をしたら,それがどのような選び方でも確率は0になるだろうってこと 残す番号を決める写像Nが可測で,また開けた箱から実数を決める写像Yが可測ならば P(X_N=x)=0が導かれるだろう 565 名前:132人目の素数さん 2016/07/04(月) 22:43:48.47 ID:hgUPmIoq >>564 レスありがとう ここから先、話が数学的ではなく恐縮なんだけど、 率直にどんな感想をもつか貴方のコメントがもらえたらと思う (以下略) (引用終り) 103 自分返信:現代数学の系譜11 ガロア理論を読む 2017/04/23(日) High level people たち、数学的でない話をしているんだ・・(^^ だったら、スレ 28でやってくれよ。 28 (High level people が時枝問題を論じるスレ) >>29 つづき スレ20より追加再掲 http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/math/1466279209/538 538 返信:132人目の素数さん[] 投稿日:2016/07/03(日) 23:54:57.90 ID:f9oaWn8A [13/13] うーん,正直時枝氏が確率論に対してあまり詳しくないと結論せざるを得ないな >>6 >確率変数の無限族は,任意の有限部分族が独立のとき,独立,と定義されるから,(2)の扱いだ. の認識が少しまずい. 任意有限部分族が独立とは P(∀i=1,…n,X_i∈A_i)=Π[i=1,n]P(X_i∈A_i)ということだけど これからP(∀i∈N,X_i∈A_i)=Π[i=1,∞]P(X_i)が成立する(∵n→∞とすればよい) これがきっと時枝氏のいう無限族が直接独立ということだろう. ということは(2)から(1)が導かれてしまったので, 「(1)という強い仮定をしたら勝つ戦略なんてあるはずがない」時枝氏の主張ははっきり言ってナンセンス 確率変数の独立性というのは,可算族に対しては(1)も(2)も同値となるので, ”確率変数の無限族の独立性の微妙さ”などと時枝氏は言ってるが,これは全くの的外れ <だめ押し> 1) >>19 http://mathsoc.jp/publication/tushin/1802/1802sugita.pdf 確率と乱数 杉田洋 日本数学会 数学通信 2013 (抜粋) 突き詰めれば,確率論の第一の目的は「乱数の性質を詳しく調べること」ということになります. 2) >>16 http://www.math.sci.osaka-u.ac.jp/staff/sugita.html 大阪大学大学院理学研究科数学専攻・理学部数学科 杉田 洋 (Hiroshi SUGITA) 研究分野 確率論 (抜粋) 近年、私は大数の法則を利用して確率変数の平均値をモンテカルロ法によって求める場合に限っては、完全な疑似乱数生成器が存在し、実際にコンピュータで実現することができることを証明しました。 3)>>20 に書いたように、杉田先生の「完全な疑似乱数生成器」を使って箱に数を入れたら? 一つを残して他の箱を明けて、残った箱を確率99/100で的中させる方法などあるはずがない。 もしあれば、杉田洋先生の「実際にコンピュータで実現することができることを証明しました」がガセだということになる(^^; 4)まあ、盾と矛。「完全な疑似乱数生成器」 vs 時枝解法(勝ってに入れた数を箱を空けずに当てますという)。 5)ここで、杉田洋先生は研究分野 確率論。片や、”正直時枝氏が確率論に対してあまり詳しくないと結論せざるを得ない”>>30 と言われてしまった 6)どちらを信用するのか? それは皆さん次第だが。私は、当然杉田洋先生。(文系)High level people は、時枝先生・・ >>27 全く噛み合わないので質問を変えよう お前の主張「無限小数は存在しない」から何が得られるの?どんな未解決問題が解決されるの? >>28 時枝問題には数学的意義や価値はないだろうから、 いつまでも時枝問題にこだわっても意味はないだろうな。 私が思うには、高校レベルの確率と極限との複合問題に帰着出来る問題の1つということで終わりだ。 時枝問題に、新しい概念や意義がありそうな問題などは見い出せそうにないね。 >>32 補足 >突き詰めれば,確率論の第一の目的は「乱数の性質を詳しく調べること」ということになります. コルモゴロフ流確率論であれ、非可測集合まで拡大した確率論であれ ”確率論の第一の目的は「乱数の性質を詳しく調べること」”であれば どんな確率論であれ、「乱数」を扱えなければ、まっとうな確率論とはいえまい どんな確率論であれ、その理論の中で、「乱数」を定義し、「乱数」の存在を許容するとすれば 時枝解法において、箱の中にその「乱数」の定義から、どんなことをしても、一つ残して他の箱を空けて、他の箱から残った一つの箱の数を当てるなど不可。そういう結論にならざるを得ない これが、多少でも確率論を学んだ者の常識だよ 可測集合か非可測集合か そんなことは関係ない その確率論が、「乱数」を扱えるか否かで決まること 「乱数」を扱えない確率論だ〜?? それは、スレ28でやってくれ (文系)High level people たちで、ぞうぞご勝手に。つまらん議論に巻き込まないでくれ(^^ >>34 >「乱数」を扱えない確率論だ〜?? 乱数の精密な定義は難しくてなかなか出来ないんだが。 人間が定義する以上、定義するときにどこかで人為的な操作が入ってしまう。 乱数の数学的な定義はどうするんだ? >>33 おっちゃん、どうも、スレ主です。 >時枝問題には数学的意義や価値はないだろうから、 純数学的価値は低いが 1)時枝正という有名人が書いた記事 2)数学セミナーという日本では有名数学雑誌に載った記事 この二つの理由が、このスレで取り上げた理由だ >私が思うには、高校レベルの確率と極限との複合問題に帰着出来る問題の1つということで終わりだ。 そして、おっちゃんが、そのようにして、(文系)High level people たちの側(時枝解法成立側)に立ってくれることは 私には、大いに吉だね(^^ >>39 訂正 時枝解法成立 or 不成立 という議論には参加しなよ ↓ 時枝解法成立 or 不成立 という議論には参加しないよ >>39 >時枝解法不成立を認めた? 別の話題になったから時枝解放を認めたという論法は成立しない。 >まあ、乱数の定義は >>19 にあるよ 著者(コルモゴロフ)自身による定義にも「ほとんど」や「ランダム」という感覚的な記述をするときに使うような語句が含まれている。 そして、著者自身も定義1の乱数の定義のところで「乱数の定義はいささか曖昧にならざるを得ません」と書いている。 なので、>>19 の乱数の定義にも人為的な操作が入っていることになる。 >>39 >>41 の訂正: 時枝解放を認めたという論法 → 時枝解放「不成立」を認めたという論法 >>43 >この世に完全な乱数は存在しないから そういう乱数の議論をするなら、乱数の存在性から問題になって来る。 もしかしたら、乱数の精密な定義が可能かも知れないし、そのような定義は不可能かも知れない。 どちらかはまだ分からない。そもそも、そのような点が曖昧になっている。 >>20 > 時枝記事は、ある箱を確率99/100で当てる方法があるという。これは、ランダム数列のある箱(どの箱であれ)の確率1/2に反する 「(どの箱であれ)の確率1/2に反する」は間違い 数列の添字が決定番号未満であれば確率1/2で良いが添字が決定番号以上の場合は違う 確率99/100は数列の添字が決定番号以上の箱を選ぶ確率であって本来は数字を当てる確率そのものではない > 箱に順番に、数{0, 1}(0か1のどちらか)をランダムに入れる。可算無限の数列ができる 順番に数字を入れていっても可算無限個にならないから極限をとることになって 出題者は極限値が属する同値類を選ぶことでランダム数列を出題することになる つまり出題者はランダム数列が属する同値類を必ず当てることができると仮定されているから 解答者がランダム数列が属する同値類を当てる確率も1である この場合の数当ての成功確率は1×99/100 どこの馬の骨ともしれん連中との、数学ディベートもどきより URLとコピペやPDFの方によほど価値を見いだすスレ主です(^^;
>>14 >僕は半直線はイメージできない、と言っているのである(笑 > >以前、僕の論理としては、半直線、無限直線は存在しない、 >ということになる、と書いたはずだが(笑 ウソをついても無駄だ。お前は半直線を頭の中にイメージできている。 半直線とは、片側に端点があり、もう一方には端点がなくて どこまでも続いている直線のことを言うのであり、このようなシロモノを 頭の中にイメージするのは誰にでも 容 易 に可能である。 ごく単純に、片側には端点が出現しない状況をイメージすればよく、それはつまり 「最初からそこに静的な完成形として半直線がデデンと鎮座している様子」 をイメージすればよいのである。あるいは、このような表現にとらわれることなく、 別の手段でも構わない。とにかく、「片側には端点が出現しない状況」が イメージできるなら何でもよくて、それで半直線のイメージになっている。 そして、半直線がイメージできるお前は、前スレ>>653 の方法によって0.999…も 頭の中にイメージできるのであり、これがイメージできないと吠えるお前は ただの意地っ張りの詭弁屋である。 >>32 無限小数は存在しない、ということが分れば、 カントールの実数論、集合論はインチキだと分るのである。 これは大変なことだ。 なぜならカントールの実数論、集合論は現代数学の金字塔 と見なされているからである。 このスレで可算無限とか非可算無限とか、 実無限とか可能無限というような用語を見かけるが、 そのような、無限にも区別がある、とか、無限にもランクがある、 とか、無限にも濃度があるというような考えは、 すべてカントールの実数論、集合論から来ているのであって、 そんなのは間違い、インチキなのである。 >>51 メタ男乙(笑 無限小数も半直線もイメージできない(笑 われわれは無限小数を完全にはイメージできないから 0.99999……と書いたりイメージするしかないのである。 同様にわれわれは半直線を完全にはイメージできないから、 ーーーーー……と書いたりイメージするしかないのである。 お前が頭の中でイメージしている半直線は ーーーーー…… のようなものであって、これは半直線の完全なイメージではない。 もしかしたらイメージという語が 誤解を与えているのかもしれないから、像と書こう。 われわれは無限小数や半直線の、完全な像を得ることはできない。 得ることができないから、 0.99999……と書いたりイメージしたり、 ーーーーー……と書いたりイメージしたりしているのである。
>>54-55 半直線でも無限直線でもいいが、それらを頭の中でイメージできないのなら、 イメージする方法を伝授しよう。ここでは、無限直線について考える。 無限直線とは、端点を1つも持たない直線のことを言うのであるから、 これをイメージするには、ごく単純に、 「どこを見ても端点が見つからない」 という状況をイメージすればよいのである。そのために、まずは100キロメートルくらいの 長さの線分を想像し、その線分の中央あたりを1センチメートルくらいのド近眼の近さで 肉眼で凝視している状況を考える。このとき、 「少なくとも、いま見ている視界の範囲内には端点が見つからない」・・・(1) という状況が容易にイメージできる。無限直線とは、いま見ている場所をどこに移動しても (1)の状況しか起こらないときを言うのだから、それは(1)を使えば容易に想像可能である。 実際、複数の画像をスライドショーを使って1枚ずつ閲覧するがごとく、(1)のシーンだけを スライドショーでバカみたいに繰り返し閲覧し続けている状況を想像すればよいのである。 無限直線は、どの場所を見ても風景が同一なので、 「どの場所を見ても端点が見つからない」 という状況は、(1)をバカみたいにスライドショーで繰り返し閲覧し続けることと 視覚的イメージにおいて全く同じである。結局、(1)をバカみたいにスライドショーで 繰り返し閲覧し続けるという行為が、無限直線の視覚的イメージと完全に一致する。 従って、無限直線がイメージできないと吠えるお前は嘘つきである。 上記のイメージは誰にでも容易に想像可能である。 もし>>56 の状況がイメージできないのなら、 「(1)だけをバカみたいに繰り返し閲覧しようとしても、 途中で端点が見つかるシーンが出てきてしまう」 と言っていることになる。しかし、それは明らかに嘘つきである。 なぜなら、(1)だけをバカみたいにスライドショーで繰り返し 閲覧しているという前提のもとで、それでも端点が見つかるシーンを 出現させるには、自分で意図的に 「(1)だけを閲覧するのは飽きてきたから、そろそろ端点のシーンを出してしまおう」 と意識しなければならないからだ。 つまり、意地を張って自分で勝手に端点を設定してしまうから、 端点が頭の中に沸いてしまうのである。 「無限直線がイメージできない」 というのは、単にお前が意地を張って勝手に端点を作り出して その端点を自分で勝手に凝視しているに過ぎないのである。 すなわち、お前は無限直線がきちんとイメージ「できる」のである。 そして、無限直線がイメージできるなら、既に述べたように0.999…も イメージできるので、これがイメージできないというお前の主張は崩れ去る。 >>56-57 無駄な長文乙(笑 半直線も無限直線もイメージできない(笑 その全体像、完全な像を得ることはできない(笑 こんなことは普通の人なら誰でも分ることだ(笑 分らないのはお前のような○○だけ(笑 素人「私がイメージできないから無限小数は存在しない」 人々「馬鹿に合わせて数学を作る必要は無い」
さて僕は可算無限とか非可算無限とか、 実無限とか可能無限というような用語について検索してみた。 その結果、僕が言っていることは次のことだと分った。 つまり非可算無限とか実無限のようなものは存在しない、 ということである。 無限にも大小がある、というカントールの主張そのものが 間違いなのである。 ついでにいえば、数に関する限り、 無限集合というようなものはない。
>>59 お前は今「俺は馬鹿です」と公言したようなものだ(笑 無限なものは人間はイメージできないのである。 こんなことは哲学者でなくとも常識だ(笑 ああ、2chがいかにアホの巣であるかがまざまざと分る(笑 自然数全体の集合Nの全体像、完全な像を得ることはできない だから集合Nは存在しない 素人
>>60 >ついでにいえば、数に関する限り、無限集合というようなものはない。 最大の自然数を答えよ >>62-63 アホレス乙(笑 これ以上説明していると僕の言っていることの答えが分ってしまうから、 説明しないことにしよう(笑 メタ男にしても、お前にしても、 そういう思索を続けていけばいい。 そうすればいつか、僕の言っていることが真実だと分る(笑 ところで、よく考えると、数に関してだけでなく、 無限集合というものは存在しないと分る。 ところで検索していると、田島正樹という哲学者が、 どうやら僕と同じことを考えているらしいと分かった。 しかしメールの送り先が不明だ(嘆
お前の答えなど糞の価値も無いから心配せずに答えてみ? それとも只逃げたいだけ?
>>66 その文章から推測すると、お前は定義男だな(笑 >だから集合Nは存在しない と言っているのではなく、 集合Nは有限集合だと言っているのである。 >最大の自然数を答えよ この問題をよく考えてみろ。 そしたら僕の言っていることが正しいと分るのだ。 いや、もしかしたらID:DFZyfdaDは互除法男かもしれない。 だとしたら互除法男もただの○○だな(笑
>>67 >この問題をよく考えてみろ いや、それ俺がお前に出した問題だからw 馬鹿なお前でも自然数の定義くらい知ってるだろう そしてNが有限集合なら最大の自然数が存在しなくてはならない道理も理解できるよな? だからそれを答えろと言っている 答えられたらお前の本買ってやるよ、刷った数だけ お前が答えない理由は誰も本を買わなくなるからだろ? いいんだよ、お前が答えたら刷った数だけ俺が買ってやるから これでお前が逃げる口実は消え失せた、さあ答えろ
>>69 >そしてNが有限集合なら最大の自然数が存在しなくてはならない道理も理解できるよな? そんな道理はない(笑 >>70 僕は別にお前らのような○○に買ってもらいたいとは思わない(笑 このスレで宣伝するのは、誰かひとりくらいまともな奴がいたら、 買ってくれるだろうと思ったからだ。 はっきりいえば一冊も売れなくてもかまわないのだ。 後世誰かが発見してくれればそれでいい。 ただしこのままだと永遠に誰からも顧みられない可能性もあるが(笑 >>58 端点が見つからなければ無限直線。 もし無限直線がイメージできないなら、お前は 「どうしても端点が見つかる状況をイメージしてしまう」 と言っていることになる。しかし、それは嘘である。 端点がずっと見つからないというイメージは、 >>56-57 のようにすれば容易に得られるからである。 >>72 >はっきりいえば一冊も売れなくてもかまわないのだ。 じゃあ隠す必要無いじゃんw >後世誰かが発見してくれればそれでいい。 現世の俺が発見してやるから、包み隠さず言ってみろw >>73 依然としてイミフなアホレス乙(笑 もしかしてお前はイメージという語を誤解しているのかもしれない。 像という語で説明したが、それでも理解できなかったのかもしれない。 では認識という語を使おう。 人間は無限なものを認識することはできないのである。 半直線も無限直線も、人間は認識できない。 人間はそれらを漠然と想像することができるだけである。 そして0.99999……という無限小数があると想像しているが、 実際はそんなものはないのである。 また半直線とか無限直線は幾何の問題だから、 0.99999……という無限小数があるか否かという問題とは別である。 半直線や無限直線が存在するとしても、無限小数は存在しない。 >これ以上説明していると僕の言っていることの答えが分ってしまうから、 >説明しないことにしよう(笑 >はっきりいえば一冊も売れなくてもかまわないのだ。 >後世誰かが発見してくれればそれでいい。 誰かに分かって欲しいのに、分かってしまうから説明しない? どう見ても矛盾だよね?素人さん
>>74 お前は>>71 の僕のレスの意味が分っていないから、 そんなアホな質問をするのである(笑 >>75 隠す必要はあるのである。 なぜならネット上で発表してしまったら、 必ず「それを最初に唱えたのは私だ」と横取りする奴が出て来るからだ。 昼の投稿はここまで。 >>76 >では認識という語を使おう。 >人間は無限なものを認識することはできないのである。 >半直線も無限直線も、人間は認識できない。 言葉を変えても同じこと。 無限直線を認識するのに、その "全体" を一気にくまなく認識する必要はどこにも無い。 お前は一気にくまなく認識しようとするから、「無限直線なんて嘘っぱちだ」と思ってしまうのだ。 直線を認識するには、その直線の「一部分」を少しずつ見て回ればいいのである。 見て回ったのち、もし端点が全く見つからないならば、その直線は「無限直線」であると確定する。 ほら、認識できただろう。全体を一気に認識する必要はないのである。 ちなみに、直線の一部分を少しずつ見て回ったのちに、2箇所に端点を発見することができたなら、 その直線は「有限の長さの線分」である。従って、有限の長さの線分でさえ、この方法なら 一気に全体を認識することなく、それが「有限の長さの線分」であることを認識可能なのである。 >>76 お前が言ってるのは「人間が認識できないものは存在しない」ということ では宇宙に人間が誕生するまで宇宙は存在しなかったのか? 宇宙が存在しないのに何故人間が誕生したのか? さあ答えてくれ哲男君 >>78 またもや定義提示拒否ですか お前の考えている定義を共有しなきゃ議論しようが無いだろ? つまりお前が望むのは議論の停止、簡単に言えば逃亡 >>42 前すれから、コンピュータ将棋関連 「浮かむ瀬」(激指14)の棋譜分析、人間の解説より明快だと思う・・(^^; ダウンロード&関連動画>> VIDEO &t=162s ★藤井聡太デビュー戦 ★将棋 棋譜並べ ▲加藤一二三九段 vs △藤井聡太四段 第30期竜王戦6組ランキング戦 第4回将棋電王トーナメント準優勝「浮かむ瀬」の棋譜解析 No.295 2016/12/24 に公開 激指14 >>82 バランスとして、コンピュータ囲碁ソフト 無料囲碁ソフト『Leela(リーラ)』というのがあるそうです。 比較で、大橋 拓文6段解説もアップしておきます。 まあ、分かるのはC++さんくらいかな(^^; ダウンロード&関連動画>> VIDEO 囲碁AI 分析】井山裕太六冠 vs DeepZenGo【無料ソフト Leela】 sengoku9999 2017/03/25 に公開 【驚愕】無料囲碁ソフトもここまで来た! ネット囲碁対局場「KGS」で8段とされる無料囲碁ソフト『Leela(リーラ)』を使って先日開催されたワールド碁チャンピオンシップ「井山裕太 六冠」 vs 「DeepZenGo」の対局を分析してみました。 囲碁解説では序盤から中盤まで井山六冠が優勢とされていましたが、今回の分析では井山六冠の優勢な局面はなく、ほぼ一方的に勝率が下がっていく様子が確認できました。 無料ソフトでこんなことが出来る時代になってしまいました。グローバル化した囲碁の開発スピードは想像以上に速いです。 ■『Leela』のダウンロードはこちら↓ https://goo.gl/TXzOd7 ダウンロード&関連動画>> VIDEO トッププロ 井山九段に 囲碁ソフトが勝利 (棋譜解説)大塚礼 2017/04/01 に公開 白:井山九段 黒:DeepZenGo 先手黒中押し勝ち ワールド碁チャンピオンシップ3回戦 大橋 拓文6段解説 >>53-81 哀れな素人さんと、(文系)High level people さんたち、香ばしい数学ディベート、ご苦労さまです(^^; 私は、香ばしい数学ディベートには興味がないので、どんどん勝手にお願いします 私も、勝手にどんどんやりすので・・(^^
>>86 訂正 私も、勝手にどんどんやりすので・・(^^ ↓ 私も、勝手にどんどんやりますので・・(^^ 勝手に、前スレより http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/math/1492606081/465 465 自分返信:現代数学の系譜11 ガロア理論を読む[sage] 投稿日:2017/05/03(水) 09:23:21.02 ID:hJ9NLdiz (抜粋) 6.で、カントール先生、フーリエ級数(収束)の研究から、無限集合論へ行った https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%86%E5%90%88%E8%AB%96 集合論 ”ゲオルク・カントールによるフーリエ級数の研究において、実直線上の級数がよく振る舞わない点を調べる過程で集合の概念が取り出された” (引用終り) ご存知高瀬正仁先生 http://ogiwara108.blog.fc &2.com/blog-category-7.html 日々のつれづれ(オイラー研究所学術論叢) 微積分形成史の回想43 フーリエ級数と「数」の理論 2015/01/11 フーリエの『熱の解析的理論』が刊行されたのは1822年ですが、その前年にはコーシーの『解析教程』、翌年には『要論』が出ています。 同時期の作品ですが、コーシーは無限級数の取り扱いの場では非常に細かく気を配り、収束する級数と収束しない級数を厳密に区別したのに対し、フーリエにはフーリエ級数の収束性を気に掛けている様子は見られません。 他方、フーリエには熱の伝導のような物理現象に寄せる関心が顕著であるのに対し、コーシーの関心は純粋数学の世界に限定されています。お互いにまったく無関心のようで、いかにも不思議な状況ですが、ディリクレは双方の影響を受けたようで、フーリエ級数の収束性に関心を示しました。 ディリクレの二論文の表題を一瞥するだけでも、ディリクレの関心の所在が伝わってきます。 フーリエ級数の係数は積分を用いて表示されるのですが、「まったく任意の関数」を相手にするのですから、その積分をどのように理解したらよいのかという問題が真っ先に心にかかります。 コーシーはひとつの解答を提案しましたが、まだ不十分なところもあり、ディリクレの次の世代のリーマンはコーシーの定義の拡大を提案し、それが今日の「リーマン積分」の原型になりました。 つづく つづき (前掲で、http://ogiwara108.blog.fc &2.com/blog-category-7.html は、NGワード規制があり余計な&を挿入しています。これを外してください(^^ 積分が定義されるとフーリエ級数を書き下すことができますが、はたして収束するか否か、収束するとすれば各点収束なのか、一葉収束なのか、収束しない点はどのように分布しているのか、収束するとしても、その極限は元の関数と一致するのかどうか、等々、基本的な問いに相次いで直面します。 コーシーが提案した微積分の再構築のアイデアの真価が、フーリエ級数を対象にして試されているかのような光景です。 ディリクレに続いてリーマンが現れて、ディリクレの研究を継承しました。 リーマンは1826年9月17日にドイツのハノーバー王国のエルベ河畔のブレゼレンツという村に生れた人で、1846年、ゲッチンゲン大学に入学したのですが、翌1847年の春、あちこちの大学を遍歴するというドイツの大学生の習慣にしたがってベルリン大学に移り、そこでディリクレの講義を聴きました。 1849、ゲッチンゲンにもどり、1851年、「一個の複素変化量の関数の一般理論の基礎」という論文を提出し、ガウスの審査を受けて学位取得。 続いて1854年6月10日、ガウスの前で教授資格取得のための試験講演を行ない、合格しました。講演のテーマは「幾何学の根底に横たわる仮説について」というもので、これが今日のリーマン幾何学の土台になりました。 リーマンは三つの講演題目を提示したのですが、その中からガウスが選定したのがこの講演でした。他の二つの講演のひとつは「ふたつの未知量をもつふたつの二次方程式の解法について」。 もうひとつは関数のフーリエ級数展開の可能性を論じるもので、「三角級数による関数の表示可能性に関する問題の歴史」というのです。講演のテーマには選ばれませんでしたが、内容を書き綴った論文が、「三角級数による関数の表示可能性について」という題目を附されてリーマンの全集に収録されています。 リーマンに独自の定積分の定義が現れるのもこの論文で、これを受けて今日の微積分の定積分に対して「リーマン積分」の名が定着することになりました。 カントールの論文「三角級数論からの一定理の拡張について」(1872年)はこの流れの中に現れました。 つづく >>89 つづき この論文には有理数列の言葉による非有理数(無理数と同じです)の定義が記されていますが、フーリエ級数という無限級数の収束性を論じる以上、収束していく先の数の正体を明らかにしておかなければならないのは当然のことで、カントールは「単調有界数列の収束性」を証明しようとしたデデキントと同じ心情に包まれたのでしょう。 カントールはドイツのベルリン大学でヴァイエルシュトラスなどの講義を聴いて数学を学んだ人ですが、生地はロシアのペテルブルク。父はデンマークに生れた人で、母はロシア人です。生誕日は1845年3月3日ですから、デデキントより14歳も若く、1872年10月の時点で満27歳でした。 19世紀の後半期には数学の厳密化ということに関心を寄せる傾向が強まったようで、カントールやデデキント、ハイネのほかに、ヴァイエルシュトラやメレーなどもそれぞれの流儀で「数」を把握する試みを提案しました。 (引用終り) >>90 勝手に関連 同じくご存知高瀬正仁先生 http://ogiwara108.blog.fc &2.com/blog-category-7.html は、NGワード規制があり余計な&を挿入しています。これを外してください(^^ 日々のつれづれ(オイラー研究所学術論叢) 微積分形成史の回想42 フーリエの関数とディリクレの関数 2015/01/10 (抜粋) カントールの論文の題目に「三角級数論」という言葉が見られますが、三角級数というのはフーリエ級数と同じもので、フランスの数学者フーリエが1822年の著作『熱の解析的理論』において提示したことに由来して、フーリエの名を冠する呼称が生まれました。 金属版のような熱を伝えやすい物体における熱伝導の様子は熱伝導方程式と呼ばれる偏微分方程式で記述されますが、この方程式の解を求めるためにフーリエが導入したのがフーリエ級数です。 数理物理学の領域に大きな一歩を印した研究ですが、数学の方面から見て思い意味を担うのは、「まったく任意の関数をフーリエ級数により表示することができる」という、フーリエの大胆な宣言です。高木貞治先生の『解析概論』の第6章「Fourier式展開」で使われている記号を用いると、フーリエ級数というのは正弦関数と余弦関数を用いて作られる (略) の両辺にcos nx、sin nxを乗じ、その後に両辺を-πからπまで積分すれば得られますが、その計算にあたっていくつもの問題が発生します。 真っ先に念頭に浮かぶのは、フーリエのいう「まったく任意の関数」とは何かという疑問ですが、フーリエの著作を見ると、オイラーの第三の関数と同じものであることがわかります。 フーリエは平面上に曲線Cを描いて関数を語っているのですが、一本の軸Lを引いて、その軸に関して曲線の切除線xと向軸線yを考えると、xに対してyが対応するという場面が念頭に浮かびます。 そこで曲線を離れてこの状況をそのまま描写すると、「数xに対して数yが対応する」という関係が抽出されます。その対応それ自体を「関数」と呼ぶことを提案したのはディリクレでした。 曲線と無関係に関数の概念を定め、そのグラフを描けば曲線が生成されます。オイラーの言葉をもって言い換えれば、曲線の「解析的源泉」として関数が認識されたことになります。 つづく >>91 つづき この状況はすでにオイラーが把握していたもので、フーリエもこれを踏襲したのですが、ディリクレはオイラーとフーリエの心に描かれていた関数、すなわちオイラーの第三の関数を心の外側に取り出して、明示的に言い表しました。 ディリクレの1837年の論文「まったく任意の関数の,正弦級数と余弦級数による表示について」には、「どのxに対しても、ただひとつの有限なyが対応する」とき、yをxの関数と呼ぶと明記されています。 xとyは変化量とされていますが、視線が注がれているのは対応関係だけなのですから、ここに現れる変化量は実際には変化しません。また、xに対応するyは「ただひとつに限る」という一価性の限定が課されていますが、これは関数をフーリエ級数に展開しようとしているためです。 フーリエ級数で表される関数は必然的に一価だからです。ディリクレが提案した関数は今日の微積分に見られる関数と同じものです。 ディリクレは相当に早いころから抽象的な関数概念を手中にしていたようで、1829年の論文「与えられた限界の間の任意の関数を表示するのに用いられる三角級数の収束について」には、 「xが有理数のときはある定数cに等しく、xが無理数のときは他の定値dに等しい」 という、きわめて抽象度の高い関数が紹介されています。今日の微積分で「ディリクレの関数」とy呼ばれることのある関数です。 ディリクレはドイツの数学者ですが、若い日にパリに留学し、フーリエのもとで数学を学んだ経験の持ち主です。 (引用終り) >>48 スレ主は無限回の操作が認められているから > 箱に順番に、数{0, 1}(0か1のどちらか)をランダムに入れる。可算無限の数列ができる が可能であるように思っているのかもしれない 無限回の操作を認めた場合でも(弱いバージョンも含めた意味での)選択公理を使わないといけないですよ 数字(0か1のどちらか)なら有限集合(2元集合)の族に対する選択公理 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%B8%E6%8A%9E%E5%85%AC%E7%90%86 > 有限集合の族に対する選択公理 > ACn : n元集合からなる任意の集合族は選択関数を持つ。 > ZFでは AC2 を証明できない。 可算無限個の箱に "順番に" 数字(0か1のどちらか)を入れて可算無限数列を作るのはNG 可算無限個の箱のそれぞれに "一斉に" 数字(0か1のどちらか)を入れて可算無限数列を作る 可算無限個の乱数を "一斉に" 出力する(擬似)乱数の生成法なんてものは存在するのですか? >>92 勝手に 同じくご存知高瀬正仁先生 http://ogiwara108.blog.fc &2.com/blog-category-7.html は、NGワード規制があり余計な&を挿入しています。これを外してください(^^ 日々のつれづれ(オイラー研究所学術論叢) 微積分形成史の回想41 厳密性を求める心 2015/01/09 デデキントは「有理数の切断」というアイデアに基づいて「数」の定義を考案し、「数とはこのようなものである」ということを言葉で記述することができるようになりました。そのおかげで収束する点列が向かって行く先で待ち構えている数の姿が実際に見えるようになり、「単調に増大する有界数列は収束する」という命題の証明が可能になりました。 それまでは「幾何学的な明証に逃げ道を求めていた」(デデキントの言葉)のですが、これでようやく微分法は厳密な学問になったというのがデデキントの考えです。 デデキントが「連続性と無理数」の序文を書いたのは1872年3月20日です。数の連続性の本質を発見したという確信を抱いたときから14年の歳月が流れ、デデキントは41歳になっていました。この間には二、三のお弟子たちを相手に語ったり、講演を行なったりしたこともありましたが、出版して公表するだけの決心にはいたりませんでした。 長期にわたる逡巡の後に、いよいよ公表する決意を固めつつあったところ。おりしも数日前に、というのは序文を書いている日の数日前という意味で、正確には3月14日のことですが、ハイネの論文「関数論の基礎知識」がハイネから直接送られてきました。 見ると、それはデデキントの思索の結果とまったく同じもので、しかもデデキントの叙述のほうが形式の面から見ていっそう簡明であり、「その本来の核心をいっそうはっきりと示している」ことがすぐにわかりました。 これに加えてカントールの論文「三角級数論からの一定理の拡張について」も送付されてきました。カントールは無限集合論で名高い人物ですが、デデキントが取り急ぎ通読したところ、形式はともあれ、連続性の本質としてデデキントが述べたものと本質において同じことが書かれていました。 デデキントの「数の理論」は「解析学の厳密化」と言われる現象の最初期の出来事ですが、厳密性を求める心はデデキントひとりではなかったのです。 (引用終り) >>93 シカトー。 数学ディベートお断り。 どうぞ、自分で証明書いてくださいね。 数学ではそれで十分なんですよ。証明お待ちしていますよ(^^; ああ、つまらん枝葉の証明は結構です。不要です >>43 の 「この世に完全な乱数は存在しないから、時枝解法成立」の数学的証明とか あるいは「非可測集合まで拡大した新確率論」で、非可測集合に対する確率の定義を書いて、「時枝解法成立」の数学的証明とか お願いしますよ。よろしくね >>94 勝手に よく読んでみると、”40 デデキントの実数論”も必要だね http://ogiwara108.blog.fc &2.com/blog-category-7.html は、NGワード規制があり余計な&を挿入しています。これを外してください(^^ 日々のつれづれ(オイラー研究所学術論叢) 微積分形成史の回想40 デデキントの実数論 2015/01/07 オイラーが提案した関数の概念はラグランジュとコーシーの手にわたって微積分の根本概念になり、それからはもっぱら「関数の微分」と「関数の積分」が考えられていくようになりました。 曲線は関数のグラフとして認識されますが、これはオイラーの流儀です。関数の導関数の定義に接線は介在せず、かえって導関数の数値が接線の傾きを表すと理解されます。 関数の定積分は面積や弧長とは無関係に定義され、面積や弧長は積分計算に帰着されて算出されます。幾何的なイメージは消失し、どこまでも数式が連なって理論が繰り広げられていくのですが、ラグランジュとコーシーでは議論の仕方は大いに異なっていて、今日まで継承されることになったのは、極限の概念を基礎に置くコーシーの流儀でした。 極限の理論の根幹を作るのは「数列の収束」の概念ですが、19世紀の半ばころ、これに関連して新たな出来事がました。それは実数論に寄せる関心のたかまりで、「数」というものを定義しなければならないという考えが生まれたのですが、その根本的な要因は極限の概念にありました。 ドイツの数学者デデキントはゲッチンゲン大学でガウスに学んだ人ですが、卒業してスイスのチューリッヒのスイス連邦工科大学に赴任して微分法を教えることになりました。 そのおりの消息はデデキントの著作『連続性と無理数』(1872年)の序文に詳述されているのですが、若いデデキントが直面したのは、数の理論には科学的な基礎が欠けているのではないかという疑問でした。 つづく >>97 つづき 具体的に言うと、極限の理論の上に微分法を構築しようとするとき、根幹に位置するのは「単調に増大する有界数列は収束する」という命題ですが、 これを幾何学的直観に助けを借りて説明するのでは科学的とは言えないのではないかという思いに襲われて、「無限小解析の原理の純粋に数論的な全く厳密な基礎を見いだすまではいくらでも永く熟考しようと固く決心した」(デデキント『数について 連続性と数の本質』、河野伊三郎訳、岩波文庫)というのです。 「無限小解析」は微積分と同じで、ロピタルの著作の書名にこの言葉が見られました。 微分学が連続的量を取り扱うとは、しばしば言われているにもかかわらず、その連続性ということの説明はどこにも与えられていないとデデキントは指摘して、こんなふうに言葉を続けています。 〈微分学の最も厳密な叙述といっても、その証明は基礎を連続性におかず、幾何学的な、または幾何学によって生ぜしめられた表象の意識に多かれ少なかれ訴えるか、またはそれ自身いつになっても純粋に数論的に証明されないような定理に基づいているかのいずれかである。〉 このような言葉を見て思い当たることはいくつもありますが、たとえば関数y=f(x)の微分可能性を考える場合には(f(x+h)-f(x))/hという形の商を作ります。そうしてhを限りなく小さくしていくとき、極限値が存在するか否かを問題にするのですが、このような商がどうして微分可能性と関係があるのだろうと考えると、定義の文言を見ただけでは何もわかりません。 そこで(x,y)平面上に関数y=f(x)のグラフをΓを描き、その上に二点P(x, f(x))、Q(x+h, f(x+h))を定め、この二点を結ぶ直線L_hを作ります。幾何学的な表象が意識のカンバスに明瞭に描かれますが、ここでhを小さくしていくと、直線L_hは次第に傾きが変化して、極限状態において点Pにおける接線に重なり合うような印象を受けます。 この印象はきわめて明晰で疑いを挟む余地はありませんし、その印象に基づいて、関数の微分可能性というのは要するに曲線の接線の傾きを知るための手続きであろうという認識が生まれます。微分可能性は、曲線とその接線という表象に訴えて理解されていることになります。 つづく >>98 つづき 関数の微分可能性と曲線の接線が密接に連携しているのは当然のことで、だからこそ(f(x+h)-f(x))/hという形の商を作るのですが、デデキントは幾何学的なイメージが表に出ないように心がけているように思います。その理由は厳密性の要請にあり、「無限小解析の原理の純粋に数論的な全く厳密な基礎」を見つけたいというのがデデキントの願いでした。 数列の収束ということを語るのであれば、極限値、すなわち数列がどこまでも近づいていく一個の数の存在を想定しなければなりませんが、これを証明するには「数」というものの実体が明らかになっていなければなりません。 「単調に増大する有界数列は収束する」という命題は、もし「その本来の起原を数論の基礎知識のうちに発見し、それと同時に連続性の本質についての真の定義を獲得」(同上)することができたなら、微積分にとって十分な基礎であることを、デデキントは確信するにいたりました。 デデキントがこの思索を始めたのは1858年の秋のことですが、同年11月24日に成功し、その数日後に、熟考の結果を親友のデュレージに打ち明けました。「永い活発な会話を引き起こした」(同上)ということです。 デデキントは1831年10月6日にガウスと同じブラウンシュヴァイクに生れた人ですから、微積分の基礎を発見したという確信を抱いたのは満27歳になってまもないときのことでした。 (引用終り) >>95 別に証明というほどでもないが教科書の例題レベルなので High level peopleでないスレ主のようなLow Guyでも簡単に理解できるでしょう 可算無限個の箱に "順番に" 数字(0か1のどちらか)を入れて可算無限数列を作ったとすると 自然数に最大値が存在しないことに矛盾する シカトー 数学ディベート好きなんですね(^^ でも、その手には乗りませんよ 時間の浪費ですからね(^^;
ああ、無限は難しいですよね ああ、無限遠点という概念は、ギリシャの円錐曲線論辺りまで遡りますかね? 射影幾何学での「無限遠点」 代数や基礎論での扱いとは別に・・(^^ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E9%8C%90%E6%9B%B2%E7%B7%9A 円錐曲線 (抜粋) 歴史 古代ギリシャのアポロニウスが円錐曲線論の体系を著書にまとめ、中世ヨーロッパではケプラーによって天体の軌道との関連が見出された。またアポロニウスによる総合幾何学的な円錐曲線論はオイラーによって解析幾何学を用いて現代的に書き換えられた。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%84%E5%BD%B1%E5%B9%BE%E4%BD%95%E5%AD%A6 射影幾何学 (抜粋) 歴史 射影的な現象の幾何学的性質が初めて発見されるのは、3世紀ごろアレクサンドリアのパップスによる[3]。フィリッポ・ブルネレスキ (1404?1472) は1425年に透視図法の幾何学を開始している[10]。 ヨハネス・ケプラー (1571?1630) とジラール・デザルグ (1591?1661) はそれぞれ独立に、極めて重要な「無限遠点」の概念を作り上げた[11]。デザルグはまた、消失点の使用をそれらが無限に遠い場合を含めて一般化した投影図法の別な構成も与えている。 デザルグは、平行線が真に平行となるユークリッド幾何学を特別な場合として完全に内包するような幾何学的体系を作り上げた。円錐曲線に関するデザルグの研究は、16歳年上のブレーズ・パスカルの手ほどきとパスカルが定式化したパスカルの定理を手がかりとして行われた。 それに続く射影幾何学の発展に重要な仕事は、18世紀暮れから19世紀初頭にかけてガスパール・モンジュによってなされる。 デザルグの業績は1845年のミシェル・シャルルによる手書きの写しに突如として現れるまでは見捨てられており、その間の1822年にジャン=ヴィクトール・ポンスレーが射影幾何学の基礎的な論文を出版している。 ポンスレーは幾何学的対象の射影的性質を個々のクラスに分類し、射影的性質と計量の間の関係性を確かなものとした。非ユークリッド幾何学はそれからすぐに、双曲空間のクラインモデルのようなモデルを持つことが、射影幾何学との関連性を含めて示されている。 >>103 追加引用 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%84%E5%BD%B1%E5%B9%BE%E4%BD%95%E5%AD%A6 射影幾何学 (抜粋) 歴史 ポンスレーやスタイナーらの仕事は解析幾何学を拡張する方向には向かわなかった。彼らの手法は「総合幾何学」に裏打ちされたものであり、おかげで射影空間は今日では公理的に導入されるものと理解されている。 結果として、射影幾何学の初期の研究は再定式化され、現在の標準的な扱いでは、厳密な理解がいささか困難を伴いうる。射影平面だけを考えた場合でさえ、公理的な方法では、そのモデルの中で線型代数学を通じた記述ができないという結果となる。 幾何学におけるこのような状況が覆ることになるのは、クレブシュ、リーマン、マックス・ネーターらによる(既存の手法を拡充する)一般の代数曲線に関する研究、そして不変式論の登場による。世紀の終わりにかけて代数幾何学イタリア学派(エンリケ, セグレ, セヴェリ)はそれまでの古い射影幾何学的手法を打ち破り、より深い手法を要する主題へと昇華させた。 19世紀の後半には、射影幾何学の詳しい研究は流行ではなくなっていたが、いくつか文献が刊行されている。いくつかの重要な仕事が、特に数え上げ幾何学においてシューベルトによってなされ、これは今では、グラスマン多様体のトポロジーを表すものとして用いられるチャーン類の理論の先駆けと見なされている。 ポール・ディラックも射影幾何学を研究し、それを量子力学における彼の概念を展開する基礎として用いた(ただし、結果を公表する際は常に代数的な形にして述べられている)。 See a blog article referring to an article and a book on this subject, also to a talk Dirac gave to a general audience in 1972 in Boston about projective geometry, without specifics as to its application in his physics. (引用終り) >>103-104 補足 まあ、要するに、「無限遠点」を導入することによって、円錐曲線論や射影幾何学がすっきり見通しがよくなる これだけは確かなことでね では、「無限遠点」が実在するかどうか? そんなことは、哲学者が論じれば良いんで無いの?(^^; >>105 関連 ロビンソンの超準解析(下記)も、射影幾何と似たような・・ 無限小や無限大を導入することで、すっきり見通しがよくなる(^^ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%85%E6%BA%96%E8%A7%A3%E6%9E%90 (抜粋) 概要[編集] 超準解析ではイプシロン-デルタ論法によって一度は数学から追放されたと思われた、無限小や無限大という極限に関する古典的で直観的な感覚、すなわち、いわゆる実数論にもとづかないライプニッツ流の古典的な微積分を数学的に厳密に定式化し、取り戻すことができる。 このような古典的な微積分におけるオリジナルな無限小解析学とは区別されることもある。アブラハム・ロビンソンによって考案された。超準解析の基本的な手法である超積はアラン・コンヌらによって作用素環の研究に応用されてもいる。 歴史[編集] 17世紀にニュートンやライプニッツが微分積分学を創始したとき、彼らは極限や収束の概念を極めて素朴に考えていた。後になって、ワイエルシュトラスの ε-δ 論法の発明により微分積分学は厳密化され、無限小や無限大という概念によらずに議論できるようになった。これにより、収束性に関する直観的なイメージをそのまま議論に用いる方法は廃れた。 ニュートンやライプニッツ以来300年間厳密に定義されなかった無限小量は ε-δ 論法の登場によって一旦は追放された。 しかし1950年代に登場したモデル理論を初めて応用することで、1960年代にアブラハム・ロビンソンは超実数を考案して、古典的な無限小・無限大の概念を数学的に厳密な形で正当化し、無限小解析をそのままの形で蘇らせることに成功した。このロビンソンの理論が超準解析と呼ばれるものである。 >>106 関連 ロビンソンの超準解析で、無限小や無限大で 無限大は、幾何学上の、無限遠点に対応するとして 無限小は、幾何学上の、適切な対応点がない・・(^^ >>107 補足 ここらの事情は、下記「拡大実数」と比較してみれば、分かり易いかも・・(^^ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%A1%E5%A4%A7%E5%AE%9F%E6%95%B0 拡大実数 (抜粋) 数学における拡張実数(かくちょうじっすう、英: extended real number; 拡大実数)あるいはより精確にアフィン拡張実数 (affinely extended real number) は、通常の実数に正の無限大 +∞ と負の無限大 ?∞ の二つを加えた体系を言う。 新しく付け加えられた元(無限大、無限遠点)は(通常の)実数ではないが、文脈によってはこれらを含めた全ての拡張実数を指して便宜的に「実数」と呼ぶこともあり、その場合通常の実数は有限実数と呼んで区別する[1]。拡張実数の概念は、微分積分学や解析学(特に測度論と積分法)において種々の函数の極限についての記述を簡素化するのに有効である。 (アフィン)拡張実数全体の成す集合 R ∪ {±∞} は、その上の適当な順序構造や位相構造などを持つものとして補完数直線(ほかんすうちょくせん、英: extended real line; 拡張実数直線)と呼ばれ、R や [?∞, +∞] と書かれる。 >>108 拡大実数に対して、ロビンソンの超準解析では、「超実数」というらしい・・(^^ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%85%E5%AE%9F%E6%95%B0 超実数 (抜粋) 超実数(ちょうじっすう、英: hyperreal number)または超準実数(ちょうじゅんじっすう、英: nonstandard reals)と呼ばれる数の体系は無限大量や無限小量を扱う方法の一つである。超実数の全体 *R は実数体 R の拡大体であり、 1+1+・・・ +1 の形に書ける如何なる数よりも大きい元を含む。そのような数は無限大であり、その逆数は無限小である。"hyper-real" の語はエドウィン・ヒューイット(英語版)が1948年に導入した[1][2]。 超実数は(ライプニッツの経験則的な連続の法則(英語版)を厳密なものにした)移行原理(英語版)を満たす。この移行原理が主張するのは、R についての一階述語論理の真なる主張は *R においても真であることである。例えば、加法の可換則 x + y = y + x は、実数におけると全く同様に、超実数に対しても成り立つ。 また例えば R は実閉体(英語版)であるから、*R も実閉体である。また、任意の整数 n に対して sin(πn) = 0 が成立するから、任意の超準整数(英語版) H に対しても sin(πH) = 0 が成立する。超冪に対する移行原理は1955年のウォシュの定理(英語版)の帰結である。 無限小を含むような論法の健全性に対する関心は、アルキメデスがそのような証明を取り尽くし法など他の手法によって置き換えた、古代ギリシャ時代の数学にまで遡る。1960年代にロビンソンは、超実数体が論理的に無矛盾であることと実数体が論理的に無矛盾であることが同値であることを示した。 これは、ロビンソンが描いた論理的な規則に従って操作されなかったならば、あらゆる無限小を含む証明が不健全になる恐れが残ることを示している。 超実数の応用、特に解析学における諸問題への移行原理の適用は超準解析と呼ばれる。 2017.5.5(金祝) 埼玉準決勝 大宮公園野球場(122-99) 第二試合 花咲徳栄 104 002 3-10 H10 E0 100 000 1-2 H5 E3 春日部共栄 (徳)綱脇−須永 (共)熊田、森田、内藤−又吉 花咲徳栄の3番西川、4番野村の打撃には思春期の匂いが少なく 研ぎ澄まされた緊張感と獰猛さがいい感じで融合され、チームの看板として申し分ない 春日部共栄打線では4番山本 我流と見受けられる一本足打法によるタイミングの取り方は独特で、少しワクワクする 試合はコールドだが、春日部共栄の背番号10の森田(2年)、背番号1の内藤(2年) この両右腕はフォーム的にも、球筋的にも悪くない 即全国で勝てる投手とは言い切れないが、ベンチ外の投手も含め今後のマークは外せない 花咲徳栄の2枚看板、清水と綱脇 この日は背番号1の右腕綱脇の完投で、正直秋の方がフォームもストレートも綺麗だった 最速135を計測し、春日部共栄打線から7回で奪三振10と悪くはないが パワー型のストレートを担保に夏の連戦を戦うとなれば不安は残るかなと
>>107 関連 >無限小は、幾何学上の、適切な対応点がない・・(^^ 数直線上には、無限小に対応する明確な点はない。そこは、無限遠点と違うところだが 思えば、古代ギリシャのユークリッド幾何の点は、面積がないと仮想されていた。現代数学の視点では、面積ゼロではなく、無限小と考える方が適切かも・・(^^ 微分係数でも、接線との関係で、曲線で2点で交わる場合に、2点間の距離を無限小に縮めた場合が接線で、接線の傾きが微分係数と、幾何学的には説明されていたね・・ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%82%B9_ (%E6%95%B0%E5%AD%A6) 点 (数学) (抜粋) 点(てん)とは、空間における正確な位置を定義するために使われる概念である。一切の体積、面積、長さをもたない。数学では概して(特に位相幾何学)、どの空間形態も基本的要素として点から成るとされる。 ユークリッドの点 ユークリッド幾何学における"点"は大きさ、方向など位置以外のあらゆる特徴を持たない。ユークリッドの公理や仮定では、一部の場合には点の存在が明らかだとする。つまり例えば、1平面上の2直線が平行でなければ、その両線上に位置する1点が確実に存在する。 時にユークリッドはこの公理に沿わない事実があることを想定した。例えば線上の点の順序についてや、時に有限個の点ではない点の存在についてである。そのため、点に対する伝統的公理は全てが完全で決定的というわけではない。 ユークリッドの原論によれば、「位置をもち、部分を持たないものである」と "定義" されている。また、公理からの演繹を重視する現代数学においては、「点とは何か」ということを直接に定義せず、単に幾何学的な集合(空間)の元のことであるとみなされる。 これは、点(や直線など)を実体のない無定義術語として導入しておいて、その性質として幾つかの公理を満たすことを "要請" するという立場である。 たとえば、ユークリッド幾何学とよばれる "普通の" 幾何学が成立する空間(ユークリッド空間)では、点は ・任意の一点から他の一点に対して直線(線分)を引くことができる。 ・任意の点を中心として任意の長さ(半径)で円を描くことができる。 などの公理(原論では "公準")を満たす。 >>113 そういえば、力学においても、面積体積を持たない点として、質点を考えるね 質点にすべての質量が集中していると考えて、力学計算を行う・・(^^ ところが、量子力学では、素粒子が質点と考えると、計算が無限大になってしまうという・・(^^; https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%AA%E7%82%B9 質点 (抜粋) 質点(しつてん、英語: point mass)とは力学的概念で、位置が一意的に定まり質量を持つ運動の要素だが、それ以外の、体積・変形・角速度などの内部自由度を一切持たないものと定義される。 点粒子の一種である。モデルであるが、初等的な積分計算で証明できるように、球対称な質量分布を持つ固い物体は、その重心運動を扱う限りにおいては、全質量をその中心に集中させた質点として扱ったとしても、近似ではなく完全に一致する。 従って、例えば、惑星の公転軌道を計算する場合などにおいては、惑星を質点と見なしても、体積を持った球として計算した場合と全く同様の正確さで計算できる。 ただしこの例の場合は、そもそも多体問題に厳密解が無い。結局のところ、近似か否かは、真の質点が存在するか否かの問題ではなく、扱っている問題において、対象を質点として扱っても厳密に一致するかそうでないかの問題である。 ああ、無限は難しいですよね なので、High level peopleさまの議論にはついていけません どんどん、自由に勝手にやってください。よろしく・・(^^;
追加 ああ、こんな話も書いてありますね・・(^^; ああ、無限は難しいですよね https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E6%95%B0%E7%9B%B4%E7%B7%9A 実数直線 (抜粋) 位相的な性質 実数直線は局所コンパクトかつパラコンパクトであり、また第二可算かつ正規空間である。また弧状連結であり、従って連結である一方で、任意の一点を取り除くだけで不連結にすることができる。また実数直線は可縮であり、そのホモトピー群および簡約ホモロジー群はすべて零となる。 局所コンパクト空間としての実数直線はいくつかの方法でコンパクト化することができる。R の一点コンパクト化は円周(実射影直線)であり、付け加えられた点は符号なしの無限大と考えることができる。 別な方法で、実数直線に二つの端点を付け加えて得られる端コンパクト化は拡張実数直線 (extended real line) [?∞, +∞] と呼ばれる。 他にも、実数直線に無限個の点を付け加えるストーン-チェックコンパクト化などがある。 文脈によっては実数全体の成す集合上に標準と異なる位相(例えば下極限位相やザリスキー位相)を入れるほうが有効であることもある。 R に対するザリスキー位相は有限補位相と同じになる。 測度空間としての性質 実数直線にはルベーグ測度という標準的な測度を入れることができる。ルベーグ測度は R 上のボレル測度(区間の測度は区間の長さであるものとして定められる測度)の完備化として定義することができる。 実数直線上のルベーグ測度は局所コンパクト群上のハール測度のもっとも簡単な例のひとつである。 >>80 >お前が言ってるのは「人間が認識できないものは存在しない」ということ 僕はそんなことはどこにも言っていない(笑 僕は無限小数や半直線は認識できないと言っているだけである。 こんなものを認識できると思っているような○○はお前だけ(笑 >>79 や>>81 のようなアホレスには答える必要はない(笑 >>117 >僕は無限小数や半直線は認識できないと言っているだけである。 いつから主張が変わったんだ? お前は無限小数は存在しないと言っていた。主張を変えるならそう言え。こっそり変えるな。 で?認識できない?なら認識しなきゃいいだけ、お前以外は認識できるから何の問題も無い。 素人が言ってるのは要するに「馬鹿な自分のために数学を作り直して下さい」ってこと お前が数学を理解できなくても世の中の人々は何も困らないから安心しろ。
>>60 > さて僕は可算無限とか非可算無限とか、 > 実無限とか可能無限というような用語について検索してみた。 > > その結果、僕が言っていることは次のことだと分った。 > つまり非可算無限とか実無限のようなものは存在しない、 > ということである。 じゃあ素人君は可能無限の立場だってことでいい? というか可算/非加算も知らずに無限の本を書いてしまったんかい
>>117 有限の長さの線分は、それが有限であるがゆえに、視界を広く取れば、 その線分の全体を一気にくまなく認識することが可能である。 しかし、全体を一気に認識しなくても、それが有限の長さの線分であることは認識可能である。 視界を狭く取って、直線の一部分を少しずつ見て探索すればいいからだ。探索したのちに、 2箇所に端点を発見することができたならば、有限の長さの線分であることが分かる。よって、 この方法により、全体を一気に認識することなく、それが有限の長さの線分であることが認識可能となる。 同じ認識法により、我々は頭の中で無限直線を認識できる。なぜなら、 「どこを探索しても端点が見つからない」という状況を単に宣言するだけでいいからだ。 これで無限直線が認識できている。お前はこのような認識法にケチをつけ、 「全体を一気に認識できなければインチキだ。その対象は実在しない」 とでも言うのだろうが、それは大きな矛盾を引き起こすので、お前が墓穴を掘るだけである。 人間は、この現実世界の「宇宙」に果てがあるのかどうかさえ分かっておらず、 当然ながら「宇宙」の全体を一気に認識することが未だにできていない。 視界を狭く取って、宇宙のごく一部を少しずつ見て探索しているだけであり、 その方法論はまさに上記の認識法そのものである。 もし、「全体を一気に認識できなければインチキだ。その対象は実在しない」と言うのなら、 お前はこの宇宙がインチキで実在しないと言っていることになる。 だから、お前は上記の認識法を否定することはできない。 よって、上記の認識法に基づいた無限直線の認識もお前は決して否定できない。 >>122 関連 数え上げ幾何学の英語版の方が充実している。Schubert, Hermann (1979) [1879]本が下記URLでオンラインで読める。凄い数式の羅列でびっくり。昔の人はこんなの手計算でやっていたんだ(^^ https://en.wikipedia.org/wiki/Enumerative_geometry Enumerative geometry From Wikipedia, the free encyclopedia Schubert, Hermann (1979) [1879], Kleiman, Steven L., ed., Kalkul der abzahlenden Geometrie, Reprint of the 1879 original (in German), Berlin-New York: Springer-Verlag, ISBN 3-540-09233-1, MR 0555576 https://archive.org/details/kalklderabzh00schuuoft >>116 関連 コンパクト化で有名なのが、リーマン球です。リーマン球には無限大の点が付いています(後述) 無限大で面白いのが、1変数複素関数論の留数定理ですね(^^; 無限大に発散する特異点。1変数複素関数論では、主に極(Pole)を扱います。Poleなんてのは、旗のさおです。Poleの周りを1周するイメージなんでしょうね。良いネーミングですね(^^; 1変数複素関数論では、ローラン展開とかいいます 留数定理が分かれば、面倒な積分はしなくていいと・・(^^; ここらは、おっちゃんのお得意分野でしょうね・・(^^; ですから、無限大→特異点→極→留数定理という流れがないと、1変数複素関数論の重要部分がなくなってしまう・・(^^; http://eman-physics.net/math/imaginary11.html EMANの物理学・物理数学・留数定理 複素積分の仕上げ。 留数さえ求めれば特異点の周りを一周する積分が簡単に実行できる 留数定理 要するに複数の特異点を含むコースでの積分を計算したければ、それぞれの特異点の周りについて求めた留数を合計すればいいということである。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%99%E6%95%B0 数学、殊に複素解析学における留数(りゅうすう、英: residue)は、複素解析函数の孤立特異点の周りでの挙動について記述する複素数である。 目次 [非表示] 1 定義 2 留数計算 3 留数定理 4 参考文献 5 外部リンク 6 関連項目 >>132 リーマン球は、過去なんども紹介していますが・・(^^ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E7%90%83%E9%9D%A2 リーマン球面 (抜粋) 数学においてリーマン球面(リーマンきゅうめん、英語: Riemann sphere)は、無限遠点を一点追加して複素平面を拡張する一手法であり、ここに無限遠点 1/0 = ∞ は、少なくともある意味で整合的かつ有用である。 19 世紀の数学者ベルンハルト・リーマンから名付けられた。 これはまた、以下の通りにも呼ばれる。 複素射影直線と言い、CP1 と書く。 拡張複素平面と言い、 hat {C} または C ∪ {∞} と書く。 純代数的には、無限遠点を追加した複素数全体は、拡張複素数として知られる数体系を構成する。無限を伴う算術は、通常の代数規則すべてに従う訳ではないので、拡張複素数全体は体を構成しない。しかしリーマン球面は、幾何学的また解析学的に無限遠においてさえもよく振舞い、リーマン面とも呼ばれる 1-次元複素多様体をなす。 複素解析において、リーマン球面は有理型関数の洗練された理論で重要な役割を果たす。 リーマン球面は、射影幾何学や代数幾何学では、複素多様体、射影空間、代数多様体の根源的な事例として常に登場する。 リーマン球面はまた、量子力学その他の物理学の分野等、解析学と幾何学に依存する他の学問分野においても、有用性を発揮している。 http://www2.meijo-u.ac.jp/ ~yonishi//research/pub/ss2007/01yoshitomi.pdf 吉富賢太郎 : Riemann 面, 代数曲線, 函数体の対応 (pp.1-14) (PDF file) 第 15 回 整数論サマースクール 2007 http://www2.meijo-u.ac.jp/ ~yonishi///research/pub/ss2007/proceedings.html 第 15 回 整数論サマースクール 《種数の高い代数曲線と Abel 多様体》報告書 2007 http://www2.meijo-u.ac.jp/ ~yonishi//yonishi.html 大西 良博 (Yoshihiro Onishi)Meijo University >>133 まあ、というようなことで、無限大や関数論で無限大に発散する極(pole)の留数を考えたり、無限大点を付け加えたリーマン球面を考えると、数学は豊かになると そういうようなことが、いろいろとあるわけです・・(^^; >>119-120 アホレス乙(笑 お前はそもそも文章読解力がない(笑 僕は無限小数や半直線は認識できない、且つ、 無限小数は存在しないと言っているのである。 >>126 その立場でいい。 >>126 そんなアホな用語を知る必要はない(笑 >>129 お前は真正のアホだな(笑 僕は「認識できないものは存在しない」 などと一言も言っていない、と以前のレスで書いたはずだ。 お前は本当に人のレスを読んでいるのか?(呆 われわれが認識できるのは有限なものだけなのである。 われわれが認識している宇宙は有限な宇宙である。 それが無限であるかどうかはわれわれには分らないのである。 なぜなら人間は無限なものは認識できないからである。 こんなことは小学生でも分ることだ。 無限なものを認識できるなどと思っている○○は、 世界広しといえどもお前だけだろう(笑 嗚呼、2chの人間の、恐るべきアホさよ(笑 われわれは無限小数というものを 完全にはイメージできない、完全な像を得ることができない、 認識できない、から、0.99999……と書き表わしたり、 イメージするしかないのである。 こんなことは誰でも分っていることだ。 小学生でも分っている。 ところが>>129 の半直線男には分らないのだ(笑 しかも半直線男のこういうアホレスに対して、 誰一人として突っ込みを入れないのだ(呆 もしかして他の連中も分っていないのかもしれない。 だとしたら真正のアホの巣だ、このスレは(笑 >>136 >お前は真正のアホだな(笑 >僕は「認識できないものは存在しない」 >などと一言も言っていない、と以前のレスで書いたはずだ。 なるほど、お前の中では、「認識できないこと」と「存在できないこと」は 別物だということか。となれば、お前の中では、 「無限直線は認識できないが、しかし無限直線は 存 在 す る 」 ということを言いたいのだな?でなければ、両者をわざわざ 区別する必要はないからな。それともお前は、 「無限直線は認識できないし、しかも存在しない」 と言いたいのかな?一体どっちなんだ?お前は>>14 で >以前、僕の論理としては、半直線、無限直線は存在しない、 >ということになる、と書いたはずだが(笑 と書いているから、おそらく後者なんだろうな。 それで?お前の理論だと、どうして無限直線は「存在しない」のかな?確か、 「無限直線は存在しない。なぜなら、無限直線は認識できないからだ」 というのがその理由だったよな?でも、おかしいな。認識できないことと、 存在できないこととは別物なのだろ?そもそもお前は >僕は「認識できないものは存在しない」 >などと一言も言っていない、と以前のレスで書いたはずだ。 とまで書いているのだからな。にも関わらず、お前が「存在できない」という主張を掲げるとき、 その主張の根拠は常に「認識できないから」というものだったよな?これは一体どういうことだ? 言っていることがブレブレで矛盾しまくっているぞ? では、改めてお前に問おう。 お前は >>14 において「無限直線は存在しない」と主張しているが、 その根拠を述べよ。もはや 「無限直線は認識できないから」 という理屈は使えないぞ。 お前自身が >>136 でその理屈を否定してしまったからな。 さあどうする、哀れなド素人君。 >>140 関連 散在型単純群の周辺 北詰 正顕先生より 「この可換代数や頂点作用素代数は,Leech lattice から作られる。これは,Monster の 2B-involution の中心化群が21+24.Co1 という形をしていることに起因している。ここで は,これ以上触れないが,ここに至って完成した Binary code → Lattices → Vertex operator algebra という流れは,M24,Co1,M といった単純群を扱うために本質的と思われ,そこから派生 する問題も数多い。筆者も2002年の代数学シンポジウムで,この辺りの話題をお話し したが内容のそう深くない話になってしまった。今回のシンポジウムでは,島倉裕樹氏に より新発見と共に語られたことになる。そちらの報告もご覧いただきたい。」 http://www2.meijo-u.ac.jp/ ~yonishi///msj/algsympo2008_proceedings.html 53 回 (2008 年度) 代数学シンポジウムの報告集 http://www2.meijo-u.ac.jp/ ~yonishi///msj/shimakura.pdf 頂点作用素代数における, 符号・格子との類似について 島倉 裕樹 (Hiroki SHIMAKURA) 愛知教育大学 数学教育講座 >>132 >阿部剛久 特異性の概念は近代数学へ如何に寄与したか (I): 初期の概念とその背景2003 「序. ここで云う「特異性」とは、数学の種々の分野で常識的な概念である「連続性」、 または「非特異 性」に相反する概念を指すものである。後者の場合とは全く異なって、特異性とは数学的対象 に存在 する種々の特異点およびこれらを生成起因として対象に付随する特異現象を合わせた概念を意味する ものであり、また両者の相互依存の関係一般を指す概念用語であるとする。一般的には数学的対象の 不連続性を意味するとしてよいだろう。 近代以前(19 世紀以前を指す) の西欧諸国、とりわけドイツでは後に触れるように‘特異な’ と いう語は‘不連続な’ という語にもまして忌み嫌われた存在であったことは現代では想像し難いであ ろう。このことは、当時のドイツではそれほどまでに連続の思潮の徹底的な存在とその影響に由来す ることを示すものである。したがって、近代ドイツでは数学上特異性の概念に関する用語は確定して おらず、Riemann でさえ当初はこれ等を不連続という言葉で仮に表現するにとどまった。Riemann に とって対象の不連続性とは特異性を意味するものであったことは本論で述べられよう。」 http://ejje.weblio.jp/content/singularity Wiktionary英語版での「singularity」の意味 語源 From Old French singularite, from Late Latin singularitas (“singleness”), from Latin singularis (“single”). See singular. http://ejje.weblio.jp/content/singular singularとは 主な意味 並はずれた、まれにみる、非凡な、奇妙な、風変わりな、珍しい、単数(形)の >>138-139 半直線男乙(笑 僕の論理からいえば、無限直線は、たぶん存在しないだろう。 しかしそれは無限直線が認識できないからではなく、 われわれが無限直線だと空想しているものは、 事実上、有限直線だろうと思うからである。 無限小数に関しても同じだが、 無限小数は存在しない本質的な理由は、 上の理由とはまた別である。 仮に無限直線というものが存在するとしても、 無限小数は絶対に存在しない理由があるのである。 何度も言うが、数と幾何は別である。 ところで市川秀志という人が僕と同じことを考えているらしい ことが分ったので、今、メールを送ったところだ。 >>143 >われわれが無限直線だと空想しているものは、 >事実上、有限直線だろうと思うからである。 大間違い。有限直線であるためには、2つの端点を発見しなければならない。 「事実上」とかそういう問題ではない。とにかく、2つの端点を 発見しなければならない。しかし、 (1)「どこを見ても端点が見つからない」 という状況を頭の中に宣言すれば、その状況は明らかに 有限直線とは別の状況を想定していることになる。 しかし、お前の理屈によれば、(1)の状況ですら、 「事実上、有限直線の状況である」 と言っていることになる。しかし、これは明らかに間違っている。 有限直線なら、2つの端点を見つけなければならないのに、脳内で宣言している状況は、 「どこを見ても端点が見つからない」という状況なのである。端点が見つからないのに 「事実上、有限直線の状況である」 などと吠えてみたところで、それは意地っ張りの戯言でしかない。すなわち、(1)の状況は、 お前が言うところの "事実上" などと言うバカげた妄言では説明のつかない状況なのである。 では、お前の言葉では説明がつかない(1)の状況とは一体なんなのか? もちろん、それが無限直線である。 お前はこのことについて全く反論できていない。 >>145 イカレポンチ乙(笑 (1)「どこを見ても端点が見つからない」 という状況は、 「事実上、有限直線の状況である」(笑 これから昼食の用意なので、ここで中断(笑 >>146 イカレポンチはてめーだ。 有限直線であるためには、2つの端点を発見しなければならない。 よって、お前が言うところの 「事実上、有限直線である」 という主張は、 「事実上、2つの端点が見つかった」 という主張と全く同じことである。しかし、今考えている状況は、 「どこを見ても端点が見つからない」 という状況なのだから、それでも「事実上、有限直線である」と吠えるのなら、それは 「どこを見ても端点が見つからない」=「事実上、2つの端点が見つかった」 と言っていることになる。これは明らかに矛盾である。 ド素人の浅知恵もここまでだなw >>146 ちなみに、 >(1)「どこを見ても端点が見つからない」 という状況は、 >「事実上、有限直線の状況である」(笑 お前のこの理屈を流用すると、次のような主張ができてしまう。 ・ 現時点の人類の科学力では、宇宙のどこを見渡しても、空間の端っこが見つからない。 ・ よって、お前の理屈を使うと、「事実上、宇宙は有限の広さしか持たない状況である」。 すなわち、お前は「事実上、宇宙は有限の広さである」と主張していることになる。 その一方で、お前は >>136 で次のように述べている。 >われわれが認識している宇宙は有限な宇宙である。 >それが無限であるかどうかはわれわれには分らないのである。 すなわち、お前は「宇宙が無限かどうかは我々には分からない」と述べている。 言っていることがブレブレww >>143 >僕の論理からいえば、無限直線は、たぶん存在しないだろう。 >しかしそれは無限直線が認識できないからではなく、 >われわれが無限直線だと空想しているものは、 >事実上、有限直線だろうと思うからである。 数学的能力や興味が似通っていること、上から目線で語ること、 「(笑」と書くことから想定される年齢層、 2チャンの書き込みを即座にデタラメと決め付ける点で共通していること など、似た点が複数あることから、もはやスレ主と哀れな素人は同一人物であろうと思われる。 それは置いておき、平行線の公理を仮定すると、リーマン球面上の無限遠点に当たる1点から そのリーマン球面上の他の点と交わることないように、実軸に平行な直線を引けて、 交わらない状態を思い浮かべることが出来る。(リーマン球面が複素平面との交わり方を どのように選んでそのリーマン球面を定義しても、点0からの距離が最大となるような リーマン球面上の点が無限遠点に当たる。このようにして無限遠点の存在性は保証される。) そのときの、無限遠点から引いた実軸に平行な直線が、哀れな素人が想像している「有限直線」とやら であろうと思われる。しかし、幾何的には、直線の平行移動によって無限遠点から引いた直線を実軸に重ねる ことは出来るから、結局、哀れな素人が想像している「有限直線」は無限直線である。 >>149 素人君にとって大きさを持たない点や線は、事実上、存在するのか? >>150 物理的には大きさを持たない点や直線は存在しない。 >>147-148 お前のようなアンポンタンと話していると、 こっちまで頭がおかしくなる(笑 「どこを見ても端点が見つからない」 という状況は、 「事実上、有限直線の状況である」(笑 では↑は取り消そう。 ↑で僕が言いたかったのは、われわれが認識できるのは 有限直線だけだ、ということである。 無限直線の端点は見つからないから、 われわれが見ているのは事実上有限直線だ、 ということを言いたかったのである。 無限なものはイメージすることも像を得ることも 認識することもできない。 なぜこんな簡単なことが分らないのか(呆 >>150 なぜ君らはそんなアホな質問をするのか(笑 僕が事実上と書いているのは物理的にというような意味ではない(呆 「事実上」の定義をせよ、とか「存在する」の定義を述べよとか、 「自然数」の定義を述べよとか、アホな質問ばかりだ(笑 君らは僕が書いていることの意味を理解できないから、 そんなアホな質問や要求をするのである。 世間の大多数のまともな人々は、僕が書いている文章の意味くらい、 誰でも理解できるのである(呆 >>132 無限 前にも紹介したが https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E9%99%90 (抜粋) 無限(むげん、infinity)とは、限りの無いことである。 直感的には「限界を持たない」というだけの単純に理解できそうな概念である一方で、直感的には有限な世界しか知りえないと思われる人間にとって、無限というものが一体どういうことであるのかを厳密に理解することは非常に難しい問題を含んでいる。 このことから、しばしば哲学や論理学、あるいは自然科学などの一部の分野において考察の対象として無限という概念が取り上げられ、そして深い考察が得られている。 本項では、数学などの学問分野において、無限がどのように捉えられ、どのように扱われるのかを記述する。 歴史 紀元前400年から西暦200年頃にかけてのインド数学では、厖大な数の概念を扱っていたジャイナ教の学者たちが早くから無限に関心をもった。教典の一つである「スーリヤ・プラジュニャプティ」(Surya Prajnapti)では、すべての数は可算、不可算、無限の3種類に分類できるとしている。 さらに無限には、1方向の無限、2方向の無限、平面の無限、あらゆる方向の無限、永遠に無限の5種類があるとした。これにより、ジャイナ教徒の数学者は現在でいうところの集合論や超限数の概念を研究した。 あまりにもあほらしいから、僕の説を端的に説明しておこう。 僕は「無限小数は数ではない」と主張するが、 その意味は具体的には次のことである。 1 無限小数というようなものは存在しない。 いいかえれば、われわれが無限小数だと思っているものは、 実際は有限小数にすぎない。 2 無限小数は数としては存在できない。
ちなみに1も2も、たった一行で説明できる。 1 ○○○は○○○○○だから、無限小数は存在しない。 2 ×××は×××××だから、無限小数は数として存在できない。 昼の投稿はここまで。
>>152 >無限直線の端点は見つからないから、 >われわれが見ているのは事実上有限直線だ、 >ということを言いたかったのである。 だからさあ、端点が見つからないのに、どうして事実上有限直線なんだよ。 有限直線なら2つの端点が見つからないとおかしいだろ。その2つの端点が 「見つからない」という状況が前提の話なのに、どうしてそこから「有限直線」が 結論されるんだよ。バカじゃねーの。 少し言い方を変えるぞ。 お前の理屈を「宇宙」に適用すると、次のようになってしまうんだぞ。 ・ 現時点の人類の科学力では、宇宙のどこを見渡しても、空間の端っこが見つからない。 ・ よって、お前の理屈を使うと、「事実上、宇宙は有限の広さしか持たない状況である」。 これは一体どういうことだ? 現時点の人類は、宇宙が有限なのか無限なのか知る術を持たない。 それでも、もし空間の端っこを奇跡的に観測できたならば、 宇宙は有限であると主張できるだろう。しかし、実際には、 「現時点においては、空間の端っこを観測できてない状況」 なのである。だったら、ここから導かれる結論は 「現時点では、宇宙が無限なのか有限なのか分からない」 という結論であろう。しかし、お前の理屈では、なぜか 「事実上、宇宙は有限である」 という結論が導かれることになるんだぞ。明らかにおかしいだろ。 >>157 >1 無限小数というようなものは存在しない。 >いいかえれば、われわれが無限小数だと思っているものは、 >実際は有限小数にすぎない。 > >2 無限小数は数としては存在できない。 どっちも高校1年位で習うようなことだと思うが、よくこんな間違った 数学的な知識を持った数学的認識をしていて京大に合格したな。 どうやって受かったんだ? >>156 関連 下記、素数が無数に存在することの証明 紀元前3世紀頃のユークリッドの『原論』 だから、紀元前3世紀頃には、無限は当然古代ギリシャでも認識されていた https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%A0%E6%95%B0%E3%81%8C%E7%84%A1%E6%95%B0%E3%81%AB%E5%AD%98%E5%9C%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%AE%E8%A8%BC%E6%98%8E 素数が無数に存在することの証明 素数が無数に存在することの証明は、古くは紀元前3世紀頃のユークリッドの『原論』に記され、その後も多くの証明が与えられている。素数が無数に存在することは、しばしばユークリッドの定理(英: Euclid's theorem)と呼ばれる。 ユークリッド 『原論』第9巻命題20[1]で、素数が無数に存在することが示されている。その証明は、次の通りである[2] a, b, …, k を任意に与えられた素数のリストとする。その最小公倍数 P := a × b × … × k に 1 を加えた数 P + 1 は、素数であるか、素数でないかのいずれかである。 素数であれば、最初のリストに含まれない素数が得られたことになる。素数でなければ、何らかの素数 p で割り切れるが、p はやはり最初のリストに含まれない。なぜならば、リスト中の素数は P を割り切るので、P + 1 を割り切ることは不可能だからである。任意の素数のリストから、リストに含まれない新たな素数が得られるので、素数は無数に存在する。 この証明は、しばしば次のような形で表現される。 素数の個数が有限と仮定し、p1, … pn が素数の全てとする。その積 P = p1 × … × pn に 1 を加えた数 P + 1 は、p1, …, pn のいずれでも割り切れないので、素数でなければならない。しかし、これは p1, …, pn が素数の全てであるという仮定に反する。よって、仮定が誤りであり、素数は無限に存在する。 この形の証明のために、「ユークリッドは、背理法で素数が無数にあることを証明した」「ユークリッドの証明は、存在のみを示しており、具体的な構成の手続きを示していない」「ユークリッドは、最初のいくつかの素数の積に1を加えた数が素数であることを証明した」などの誤解をする者がいるが、いずれも正しくない[3]。 特に、最後の主張は 2 × 3 × 5 × 7 × 11 × 13 + 1 = 59 × 509 という反例により、歴史的にのみならず数学的に誤りである。 >>157 あっ、そうするつもりはなかったのに、ageてしまった。悪いな。 本当にどのようにして京大に受かったんだ? こんな数学上の知識でいては、京大には受からないと思うんだが。 >>152 >無限なものはイメージすることも像を得ることも >認識することもできない。 >なぜこんな簡単なことが分らないのか(呆 何度も同じことを言わせるな。無限全体を一気にくまなく見通そうとするから、 無限直線がインチキ臭く見えるのであって、 「 視界に映る有限の領域をお巡りさんのように見て回り、端点がないか探し回る 」 という認識法を使えば無限直線は認識できるんだよ。 現実世界の「宇宙」を、望遠鏡で ちまちま 見て回るようにな! 特に今は「端点が見つからない」という状況を宣言しているのだから、 これで無限直線が認識できているし、イメージもできてるわけ。 この認識法に関してお前が言っていることは、 「その認識法では、無限全体を一気に見通せているわけではなく、 各シーンにおいては有限の範囲内の映像しか映ってないぞ」 ということに過ぎないの。でも、それでいいんだよ。各シーンにおいて 有限の範囲内しか映ってなくても、「端点が見つからない」のだから、 そこに映っている直線は論理的に無限直線でしかありえないと明確に認識できてるだろ! そこでお前が再び吠える内容はいつも同じで、 「あくまでも各シーンにおいては有限の映像しか見えてないので、実質的には有限だ」 という下らない詭弁なの。 何が詭弁かって? 各シーンにおいて有限の映像しか見えてないことは「実質的に有限」を意味しないのに、 「実質的に有限」と結論づけているところが詭弁なの。何度も言うように、 「端点が見つからない」のだから、そこに映っている直線は論理的に無限直線でしか ありえないと明確に認識できるわけで(なぜなら、有限直線なら2つの端点を 発見しなければならないからだ)、これによって、有限の映像しか見えてないのに 無限の対象を認識できてるんだよ。 お前はこのことに関して何も反論できてないの。 各シーンにおいて有限の映像しか見えてないことから「実質的に有限だ」と 飛躍した結論に飛びついて詭弁を展開してるだけなの。それがお前なの。バーーカ。 >>143 >>149 の括弧内()の1つ目の文は >「球面と」複素平面との交わり方をどのように選んでそのリーマン球面を定義しても、 >「複素平面」からの距離が最大となるようなリーマン球面「(その球面)」上の点が無限遠点に当たる。 と訂正。 まったくID:fyCNmB+Pのアンポンタンと話していると、 こっちまで頭がおかしくなってしまう(笑 無限直線があるとして、無限直線の端点は見えないのだから、 われわれが見ているのは有限直線にすぎないのである。 言い方を変えれば、われわれは端点のある有限直線だけを 見ているのであって、端点のない無限直線は見ていないのである。 そもそも無限直線には端点はないのだから、 無限直線の端点は見ることができないのである(笑 だからわれわれが現実に見ている直線は 端点のある有限直線だけなのである。 分るか?(笑 お前は完全に頭がイカレテいる(笑 無限なものを認識できると思っているような○○は 世界中にお前だけだ(笑 お前は、人間は端点のない無限直線の端点を見ることができる、 と言っているに等しいのだ(笑 なぜなら無限直線を認識できる(見ることができる)とは そういう意味だから。 これから夕食の支度だ(笑
ああ、半直線男は何と○○なのだろう(笑 人間は無限なものは認識できないから、 無限なものははたして存在するのか、 という哲学的、神学的議論が生まれるのである。 時間は無限なのか、空間は無限なのか、 無限直線は存在するのか、無限小数は存在するのか…。 こういう議論は人間が無限を認識できないから生まれるのである。 有限直線は存在するのか、などというアホ議論は誰もしない。 それは有限直線が存在することは、 われわれは明らかに認識できるからである(笑
図で説明してやろう。半直線があるとする。 ーーーーー…… ーーーーーーー…… ーーーーーーーーー…… ……の部分もわれわれは見ることができる。 しかし半直線はずっと先まで続いているのだから、 どんなに先まで見ても上のように書き表わすしかないのである。 だからわれわれが現実に見ているのは、 ーーーーー ーーーーーーー ーーーーーーーーー という有限直線にすぎないのである。 われわれは決して半直線を見ることはできない。
>>161 有限だが、大きな数小さな数 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%BD%E6%95%B0%E6%B3%95 命数法 漢数字 大数 「塵劫記」のいくつかの写本では1恒河沙=1億極、1阿僧祇=1億恒河沙というように恒河沙から8桁刻み(万万進)となる。この説に従うと1恒河沙=10^56、1阿僧祇=10^64、1那由他=10^72、1不可思議=10^80、1無量大数=10^88となる。 なお、無量大数を「無量」と「大数」に分けて説明しているものもあるが、これは『塵劫記』で無量と大数の間に傷ができて間隔があき、別の数のように見える版があったためである。無量大数で一つの数とするのが普通である。 小数 微(び) 10^?6 塵(じん) 10^?9 埃(あい) 10^?10 漠(ばく) 10^?12 模糊(もこ) 10^?13 逡巡(しゅんじゅん) 10^?14 須臾(しゅゆ) 10^?15 刹那(せつな) 10^?18 虚空(こくう) 10^?20 清浄(しょうじょう) 10^?21 >>165 >無限直線があるとして、無限直線の端点は見えないのだから、 >われわれが見ているのは有限直線にすぎないのである。 「端点が見つからない」という状況を宣言しているのだから、そこに映っているのは無限直線である。 なぜなら、有限直線なら2つの端点を発見しなければならないのに、その可能性を 「端点が見つからない」という脳内宣言によって完全否定しているからだ。 ならば、そこに映っている直線は無限直線でしかありえない。お前はこのことに関して、 「端点を発見できるので有限直線だ」 という反論の仕方はせず、かわりに 「各シーンでは有限の範囲の線しか見てないから事実上有限直線だ」 ・・・ (1) という反論の仕方をしている。しかし、これは詭弁である。なぜ詭弁かというと、 各シーンで有限の範囲しか見てないことは「事実上有限」を意味しないからである。 あるいは、お前が言うところの「事実上有限」という表現が 「各シーンでは有限の範囲の線しか見てない」 という意味に過ぎないのであれば、(1)は 「各シーンでは有限の範囲の線しか見てないから、各シーンでは有限の範囲の線しか見てない」 というトートロジーを表明しているにすぎず、やはり何の反論にもなってない。 結局、お前は無限直線に関して何も反論できてない。 >>168 http://enjoymath.pomb.org/?p=1453 高校数学を100倍楽しく (抜粋) ギネスブックに載った世界一大きな数がヤバすぎる! 要点チェック! タワー表記を使えば、大きな数を表すことができます。 グラハム数は世界一大きな数としてギネスブックに載っています。 ここまでいろいろと見てきたけど、数学を使えば、感覚的に理解できないものが扱えるんだ。 数学は時に人間の想像を超える。人間が理解できない世界へ、「ここではないどこか」へ、数学は我々を導いてくれるんだ。 数学者ってなんかすごいですね... >>165 >そもそも無限直線には端点はないのだから、 >無限直線の端点は見ることができないのである(笑 それゆえに、「端点が見つからない」という脳内宣言は 無限直線を認識していることになるのである。 >だからわれわれが現実に見ている直線は >端点のある有限直線だけなのである。 詭弁である。「だから」がちっとも「だから」になっておらず、論理が飛躍している。 2つの端点を発見できれば、有限直線であると判明する。しかし、端点発見の可能性を 「端点が見つからない」という宣言によって完全否定しているので、 「端点が見つからない」という宣言は有限直線を見ていることになっていない。 >お前は、人間は端点のない無限直線の端点を見ることができる、 >と言っているに等しいのだ(笑 >なぜなら無限直線を認識できる(見ることができる)とは >そういう意味だから。 詭弁である。「無限直線の端点を見る」という表現は矛盾している。 なぜなら、無限直線を認識できるとは、「どこを見ても端点が見つからない」 という状況が達成されるときを言うからだ。 何度も言うが、無限全体を一気にくまなく見通そうとするから インチキ臭くなるのである。お前が言っていることは、 (1)「無限直線全体を一気にくまなく見通せば、ついには端点を見ることになるはずだ」 (2)「しかし、無限直線に端点は無いのだから矛盾する」 ということに過ぎない。むろん、間違っているのは(1)である。 全体を一気に見通そうとするから(1)のような頭の悪い間違いをおかすのである。 現実世界の「宇宙」だって、人間は全体を一気に見通そうとしてないだろ。 望遠鏡で ちまちま 小さな範囲を調べて回っているだけだろ。 無限直線にも同じ認識法を使えバカタレ。お前は何も反論できてないのだ。 >>167 >だからわれわれが現実に見ているのは、 > >ーーーーー >ーーーーーーー >ーーーーーーーーー > >という有限直線にすぎないのである。 >われわれは決して半直線を見ることはできない。 半直線の話に戻っているようだが、 むろん、お前がそこで主張していることは詭弁である。 有限直線ならば、2つの端点を発見しなければならない。 しかし、―――――・・・ という表現には端点が1つしかない。 もちろん、・・・ を恣意的に取り除いた ――――― には2つ目の端点が右端に発見できる。 だから、――――― は有限直線である。しかしそれは、―――――・・・ という もともとの半直線から有限部分である ――――― という線分をポキッとへし折って 持ってくるから、2つ目の端点がへし折った部分に発生するのであり、 もともとの ―――――・・・ という表現に2つ目の端点を発見できたわけではない。 だから、お前の言っていることは詭弁である。 あるいは、お前が言っている「有限直線を見ているにすぎない」とは、 2つの端点を発見できたという意味ではなく、 「直線のある有限部分が視界の中に映っているにすぎない」 という意味なのかもしれない。もしそうなら、お前が言うところの 「われわれは決して半直線を見ることはできない」 とは、 「各シーンでは有限部分の映像しか見えてないのだから、 半直線全体を一気にくまなく見通すことは不可能だ」 と言っているに過ぎない。だが、何度も言うように、俺が書いている認識法は、 「全体を一気に見通す」という認識法ではなく、 「有限部分を見て回ったときに得られる情報を活用して、もともとの対象が持っている性質を解明せよ」 という認識法である(現実世界の「宇宙」を認識する方法と全く同じである)。 そのような認識法に対して「全体を一気に見通せてないぞ」と言われても、 認識法が違うのだから全く反論になっていない。 おれ「全体を一気に見通すのではなく、有限部分を見て回ることで得られる情報群を活用せよ」 お前「その認識法では全体を一気に見通せてないぞ」 ↑これで反論できていると勘違いしているのがお前だ。ちっとも反論になってないだろ。
>>135 お前は最初無限小数は「存在しない」とは言っていたが「認識できない」とは言っていない さらには「存在」の定義を要求しても回答拒否 お前の言う読解力とは、「私の言葉にしない想いを汲んで下さい」の意味、そんなものは 数学では通用しない で?存在しない?認識できない?なら認識しなきゃいいし存在しないと思ってればいい お前以外誰も困らない 何しろお前曰くお前の説は今の数学を後退させこそすれ何も進歩させないんだからなw 唯一の利益はお前に「カントールはインチキだ!」とドヤ顔する権利を与えることw ウンコ以下w >>174 それを言うなら「どっちのトンデモが手強い?」だね >>136 お前ホントにスレ主とそっくりだわ 数学が物理的実体から乖離するのがどうにも我慢できないらしいw >なるほど、お前の中では、「認識できないこと」と「存在できないこと」は >別物だということか。となれば、お前の中では、 > >「無限直線は認識できないが、しかし無限直線は 存 在 す る 」 > >ということを言いたいのだな?でなければ、両者をわざわざ >区別する必要はないからな。それともお前は、 > >「無限直線は認識できないし、しかも存在しない」 > >と言いたいのかな?一体どっちなんだ?お前は>>14 で 人にこういうことを書かせる時点で素人の説明力、表現力は壊滅的。 数学以前、小学校の国語からやり直し。 しかもそれを読み手の読解力のせいにしている。死んだ方がいいレベル。 >>143 お前は数学の話をしていない、哲学・ポエムの類だ ここは数学板、お前の来るところじゃない >>153 >「事実上」の定義をせよ、とか「存在する」の定義を述べよとか、 >「自然数」の定義を述べよとか、アホな質問ばかりだ(笑 そのアホな質問にさえ答えられないお前は大アホってことじゃんw まあ実際大アホなんだがw 自然数の定義をどう回答するか楽しみにしてたんだが、そもそもそんな レベルじゃねーなw >>179 でももう書いちゃったんだから。実名で本を。 ここで今更0.999....はありましたテヘペロとは言えんだろ。 >>153 >世間の大多数のまともな人々は、僕が書いている文章の意味くらい、 >誰でも理解できるのである(呆 なら一般大衆に宣伝すればいいんじゃね? 何で誰にも理解されない数学板で宣伝してんだ? >>165 >われわれは端点のある有限直線だけを >見ているのであって、端点のない無限直線は見ていないのである。 認識できないことと存在しないことは別だと言ったよな? だったら存在しないことの説明になってないんじゃ? >>166 存在するか否かは与えられるものじゃなく人間が決めればいいんだよ、物理じゃないんだぞ?数学だぞ?わかってるか? ホントにお前はスレ主とそっくりだわ >>167 何を当たり前のことをw てゆーかお前中二病だろwいい年して恥ずかしいぞw 私は素人さんを応援してます! で、下のアンケートに答えてください。 貴方にとって直径1の円周の長さは?(複数回答可) 1. 無限小数3.14159....(円周率) 2. 有限小数3.14 3. 有限小数3.141 4. 有限小数3.1415 5. 上記以外の小数第n位までの有限小数(nを記入のこと) 6. nが有限の値ではない小数第n位までの有限小数 7. 事実上、円周の長さは存在しない 8. 事実上、円は存在しない 9. 事実上、もう何が何だか分からない
>>181 哀れなド素人君が主張している内容は至ってシンプルだ。 「無限全体を一気にくまなく見ようとしても、 各シーンにおいては事実上その有限部分しか見ることができず、 無限を見ていることになってない。従って、無限をはらむ対象は存在し得ない」 ということなんだ。もちろん、これは詭弁だ。 彼はバカなのでこの詭弁に気づいていないのだ。 何が詭弁かというと、 ・「全体を一気にくまなく見る」という認識法にこだわっており、 その他の認識法を無視している ・各シーンで有限部分しか見てないことは、 無限を認識できないことを意味しないのに、そこを取り違えている ・人間は宇宙全体を見る術を持たない、という事実と組み合わせると、 哀れなド素人君は「宇宙は存在しない」と言っていることになるw というところが主な詭弁なんだ。 >>174-177 いやはや、(文系) High level people たち( ID:jEMrGWmk さん含め)の、数学ディベートもどきは面白いですね(^^; ”手強い?”とは・・、まさに、ディベートですね 私ら、理系の出典(URL)とコピペベース、ロジック(論証)&証明重視のスタンスと、ディベートもどきスタイル(2CHスタイル?)とは、明白に違いますね 私ら、(文系) High level people たちとの議論は、時間とスペースの無駄。レベルが高すぎてついていけませんね。典拠もなしによく議論しますね。よく分かりましたよ(^^; 私ら、理系は、一応従来の議論は調べて、その上でしか議論はしません そうしないと、大概二番煎じですし、車輪の再発明ですから 典拠もなしによく議論しますね〜。よく分かりましたよ(^^; 私とは、議論がかみ合わないわけだ・・ ”他サイトからのコピペでスレを埋め尽くす行為”>>8 なんて非難されましたけどね〜(^^; ディベートに勝ちたいからそういう発言なんですね〜。典拠もなしで、出した典拠も読まない議論か・・。よく分かりましたよ(^^; 2CHに、(文系) High level people たちが多いというのも、よく分かりましたね(^^; 数学ディベートもどき、ご苦労さまです。存分にやってください。私はスルーします(^^;
私ら、理系の常識として、確率論>>14 とか確率過程がありまして そういうランダム現象>>15 とか、乱数列>>16 や>>48 は、当然かつ常識です 乱数列を箱に入れていけば、当てられない>>48 他の箱を空けても当てられない。時枝自身が記事に書いて有るとおり(「箱入り無数目」数学セミナー2015.11月号) http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/math/1466279209/2-6 2016/07/04に”確率論の専門家”さんが来て、”そもそも時枝氏の勘違い”だと(”当てられっこないという直感どおり,実際当てられないという結論が導かれる”ともいう)>>20 ”確率論の専門家”の目からは、ガセ記事で、当たり前すぎてパラドックスにもなにもなりはしない。勿論、数学的価値はない そこらまでは、確率論の初歩。>>14 の入り口辺りをちょっと読めば書いてある話だ。が、典拠を示すと、”他サイトからのコピペでスレを埋め尽くす行為”>>8 なんて非難されましたけどね〜(^^; 従来の確率論の議論を無視して、熱く語る数学ディベートもどきの(文系) High level people たち。レベルが高すぎて、まったくついて行けませんね〜(^^; 突然ですが、過去スレより http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/math/1483075581/78 現代数学の系譜11 ガロア理論を読む27 78 自分:現代数学の系譜11 ガロア理論を読む[sage] 投稿日:2016/12/31(土) 12:04:35.81 ID:VK/jj9Lp [30/83] >>89 関連 http://www.math.chuo-u.ac.jp/ENCwMATH/ ENCOUNTERwithMATHEMATICS http://www.math.chuo-u.ac.jp/ENCwMATH/ewm67.pdf 第67回 AGT 対応の数学と物理 2016年10月28日(金),10月29日(土) 講演予定者:柳田伸太郎(名古屋大),中島啓(京大),名古屋創(金沢大),立川裕二(東大),松尾 泰(東大) 組織委員会:山田泰彦(神戸大),寺嶋郁二(東工大),柳田伸太郎(名大) 場の量子論の数学と二次元四次元対応 立川裕二(東大・Kavli IPMU) 講演では、場の量子論は数学的に如何に捉えるべきか、また、その立場から、二次元四次元対応 はどのように理解されるか、ということをお話いたします。以下、講演では触れないと思いますが、 折角なので日記と電子メールを辿って二次元四次元対応が見つかった経緯を再構成してみます。 僕がアメリカでポスドクをしていた2009 年の1 月のある寒い日ダヴィデ・ガイオット(以下ダ ヴィデ) がザイバーグ先生に彼の最新の研究を説明していたところに巡り合ったので、僕もそこで それについて教えてもらいました1。それが今では四次元のクラスS 理論と呼ばれているものとの 僕のはじめての遭遇です。その後、ダヴィデはルイス・フェルナンド・アルダイ(以下フェルナン ド) と共同研究をはじめたようなのですが、その共同研究に、僕が以前修論でやっていたインスタ ントン分配関数の計算が使えそうだと判ったそうで、2 月中旬になって僕も共同研究に加わること になりました。 そこからしばらくは良く判らない闇雲な計算を三人でしていましたが、5 月のある日の夕方、僕 が近くの運河脇の小径を自転車で散歩していると、携帯にダヴィデから「1 ループの寄与はリュー ビル理論の三点関数の積だ」と短いメールが届きます。家に戻ってから「じゃあインスタントン分 配関数の寄与は?」と返事を書くと、すかさず「それは共形ブロックであるはずだ」と返信があり ました。 つづく >>194 > 2010年、江口徹、大栗博司、立川祐二は、K3曲面上の楕円種数が N=(4,4) 超共形代数(英語版)の指標へ分解することができ、有質量状態(英語版)の多重度がマチュー群 M24(英語版)(Mathieu group M24)の既約表現の単純な結合のように見えることを発見した。 もと論文下記やね https://arxiv.org/abs/1004.0956 Tohru Eguchi, Hirosi Ooguri, Yuji Tachikawa(2010)."Notes on the K3 Surface and the Mathieu group M_24" arXiv:1004.0956 [hep-th] 例によってアホレス満載(笑 ここの連中がいかにアホであるか、まざまざと分る(笑 >>185 の男がこう書いているではないか。 >>167 何を当たり前のことをw と。>>185 の男も○○だが、この男は>>167 のレスを 当り前のことだと理解しているのだ。 それなのに半直線男は理解しないのである(呆 人間は有限なものしか認識できないのである。 無限なものについては推測できるだけだ。 半直線男は無限直線の一部だけを見て、 左右ともにその直線が無限に続いているだろう、と 推測しているだけなのである。 また、何度も言うが、僕は認識できないものは存在しない、とか、 認識できないから存在しない、などと言っているのではない。 無限直線が存在しようとしまいと、 そんなことは無限小数が存在するか否か、 という議論とは関係がないのである。 無限直線が存在しようとしまいと、 無限小数は絶対に存在しない理由がちゃんとある(笑 また、僕は数学的対象が物理的に実在するかどうか、 というような話をしているのでもない。 とにかくここの連中は人のレスをきちんと読んでいないようだ。 2chの連中を相手にすると常にこういうことが起きる。 何度も何度も同じことを説明させられる羽目になる(うんざり
>>196 >半直線男は無限直線の一部だけを見て、 >左右ともにその直線が無限に続いているだろう、と >推測しているだけなのである。 それも詭弁だな。 無限だと推測しているのではなく、無限だと確定してるんだよ。 なぜなら、「どこを見ても端点が見つからない」という状況を 脳 内 宣 言 しているからだ。この宣言下では、どこを見ても端点が見つからないことが 「予め約束されている」 のだから、いま見ている直線は無限直線でしかありえない。 >>186 そういうことを自分で考えてみればいい。 そうすればいつか、僕の説が正しいことが分る。 僕の言っていることは難しいことでも何でもない。 小中学生にも分ることだ。 難しい数学知識や数学用語は一切必要ない。 事実、バードウォッチングの比喩を出しただけで、 高卒の、数学には何の関心もない男が、分った、と書いてきたのだ。 >>197 >また、何度も言うが、僕は認識できないものは存在しない、とか、 >認識できないから存在しない、などと言っているのではない。 だったら、結局のところ、「無限直線は存在しない」ことの根拠は何なんだよ。 お前が述べる根拠はすべて 「無限直線は 認 識 で き な い 」 という言い方になっているだろ。でも、認識できないことと存在しないこととは別物なんだろ? だったら、いくら認識できない理由を書いても、存在しない理由を書いてることにはならないよな。 それで、結局のところ、「無限直線は存在しない」ことの根拠は何なんだよ。 お前はまだ一度も根拠を述べてないぞ。今までのお前のレスは全て詭弁だからな。 >>198 アホレス乙(笑 お前は推測しているだけである(笑 なぜなら「どこを見ても端点が見つからない」 という状況であることを確認するためには 左右共に無限の彼方まで確認しなければならないが、 それは不可能だからである。 なぜなら左右共に無限の彼方まで伸びているのだから、 それを確認するのは永遠に不可能だからである。 分るか?(笑 僕は「無限直線は存在しない」と断言したわけではない。 僕の論理からいえば、たぶん無限直線は存在しないだろう、 と言っただけである。 過去レスを読み返してもらえればいい。 僕は一度も無限直線は存在しないと言い切ったことはない。
>>201 >なぜなら「どこを見ても端点が見つからない」 >という状況であることを確認するためには >左右共に無限の彼方まで確認しなければならないが、 >それは不可能だからである。 そりゃ、現実世界では不可能だよ。でも、脳内なら可能だよ。なぜかって? 「どこを見ても端点が見つからない」 という状況を "形式的に脳内宣言すれば" それで無限直線の概念になるからだ。 同じことは「三角形」の概念にも言える。現実世界に「三角形」は存在しない。 なぜなら、そもそも「線」や「点」が現実世界では書けないからだ。しかし、 「3つの点を3本の線分で結ぶ」 という状況を "形式的に脳内宣言すれば" それで三角形の概念になる。 どちらも、宣言の形式性に違いはない。 片方の宣言だけを否定して、もう片方の宣言を支持するのはダブルスタンダード。 >>202 この期に及んで、無限直線が存在しないことを「断定しない」とは恐れ入ったw では、これからは無限小数そのものの話をしよう。 >>197 >無限直線が存在しようとしまいと、 >そんなことは無限小数が存在するか否か、 >という議論とは関係がないのである。 関係があるんだな、それが。 ある小数表記が有限小数であるためには、 右端に「最後の桁」を発見しなければならない。よって、 「小数表記のどこを見渡しても、最後の桁が見つからない」 という状況を脳内宣言すれば、その状況は無限小数をイメージしていることになり、 半直線のときと全く同じ構造になるんだよ。ここでもお前は 「いや、各シーンにおいては有限の範囲内の映像しか見てないから、事実上有限小数だ」・・・(1) とでも吠えるのだろうけど、それも詭弁だからな。なぜ詭弁かと言うと、各シーンで 有限の映像しか見てないことは「事実上有限小数」を意味しないからだ。 もしくは、「事実上有限小数」という表現が 「各シーンにおいては有限の範囲内の映像しか見てない」 という意味に過ぎないのであれば、(1)は 「各シーンにおいては有限の映像しか見てないから、各シーンにおいては有限の映像しか見てない」 というトートロジーを表明しているだけであり、全く反論になってないことになる。 結局、無限小数の話をしようにも、やることは無限直線のときと全く変わらないという仕掛けよ。 無限直線のときに「端点」と呼んでいた部分が、無限小数では「最後の桁」という言葉に 置き換わるだけなのだ。 >>203 アホレス乙(笑 お前が言っているのは、 人間は無限直線という概念を形成することができる、 ということである(笑 僕は無限小数という概念は存在するか、 というような議論をしているのではない。 ところがお前はそのような議論をしているのである。 前にも書いたが、僕が言っているのは、 無限小数という概念は存在するし、 それがどのような概念であるかは誰でも知っているが、 その無限小数という概念でわれわれが理解しているものが、 はたして本当に存在するのか、ということである。 本当に、というのは、物理的に、というような意味ではない。 数学的議論の対象として、無限小数は存在するのか、 という議論をしているのである。 >>204 アホレス乙(笑 お前はまだ全然何も分っていない(笑 ま、そうやって無限小数について思索を続けていけばいい。 そうすれば僕の言っていることの意味が分ってくる(笑 >>205 >お前が言っているのは、 >人間は無限直線という概念を形成することができる、 >ということである(笑 そうだよ。形成できるよ。形成するための具体的方法も提示したよ。 それがどうしたの?お前はそれに反論する立場だろ?反論してみろよ。 >僕は無限小数という概念は存在するか、 >というような議論をしているのではない。 >ところがお前はそのような議論をしているのである。 そうだよ。俺は「そのような議論」をしているよ。 なぜなら、概念としての無限小数が脳内に形成可能ならば、 数学ではそのことを「存在している」と呼ぶからだ。 >その無限小数という概念でわれわれが理解しているものが、 >はたして本当に存在するのか、ということである。 どうやら、お前が使っている「存在」という言葉は、 我々が使っている「存在」とは別の意味を持っているらしい。 >本当に、というのは、物理的に、というような意味ではない。 >数学的議論の対象として、無限小数は存在するのか、 >という議論をしているのである。 はい、存在します。概念としての無限小数が脳内に形成可能ならば、 数学ではそのことを「存在している」と呼ぶからです。お前の負けだ。 >>204 もまったく同じだ(笑 メタ男が書いていることは、 人間は無限小数の概念を形成できる、 ということにすぎない(笑 僕はそういう概念が形成できるかどうか、 という話をしているのではないのに、 メタ男は○○だから、僕の議論の本質が分っていない(笑 >>208 この書き込みを見るに、概念としての無限小数が 脳内に形成可能であることは、どうやらお前も認めているらしい。 そして、数学ではそのことを「存在する」と呼ぶので、 もはや議論の余地はない。お前の負けである。 にも拘わらず、お前は無限小数のことを「存在しない」と断言している。 また、次のようにも書いている。 >その無限小数という概念でわれわれが理解しているものが、 >はたして本当に存在するのか、ということである。 となれば、これ以上議論を続けるには、お前が言うところの「存在」が 何を意味するのか、お前から自発的かつ厳密に定義しなければならない。 お前が今までずっと避けてきた行為を、いよいよお前自身が披露しなければならないww さあ、やってみたまえ。お前が言うところの「存在」とは どういう意味なんだね? メタ男のアホさがよく分った(笑 以前、他スレで僕が無限小数は存在しないと書いたとき、 無限小数という概念は存在する。だから無限小数は存在する。 と書いてきたバカがいた。 メタ男はこれとまったく同じバカだ(笑 まともな数学者で、 無限小数という概念は存在する。だから無限小数は存在する。 などと言う数学者はいない。そんな数学者がいたら、 そいつは真正のアホ学者だ(笑
>>186 おっちゃんです。 直径1の円周の長さは、半径1/2の円周の長さで、 1. 無限小数3.14159....(円周率) であります。円周率は超越数で無理数なので、慣習に従いπと書きましょう。 また、πの無限小数についての数字の表れ方や規則性といったような分布の仕方という意味では 9. 事実上、もう何が何だか分からない もありです。 あっ、哀れな素人氏の代わりに答えてしまいました〜。お許し下さい。 >>210 そのレスから分かることは1つしかない。 「お前が使っている "存在" という言葉は、 数学で使われている" 存在" とはどうやら違う意味を持っているらしい」 ということだ。>>210 のレスからは、このことしか分からない。 そして、>>210 のレスには、それ以外のことは 何 も 書 か れ て い な い 。 つまり、俺の書き込みに対する反論が書かれているわけでもなく、 無限小数が「存在しない」とする根拠が書かれているわけでもなく、 お前が使っている「存在」の定義が書かれているわけでもない。 ただの無意味なレスである。 では、改めて質問する。 お前が言うところの「存在」とはどういう意味なんだね? 逃げ回ってないで、答えたまえよ。 >>209 お前は書けば書くほど自分のアホさを晒している(笑 概念が存在することと、 その概念の対象が存在することとは別問題である。 数学的議論の場合、概念の対象とは 物理的な実在物のことではないことはいうまでもない。 >数学的議論の対象として、無限小数は存在するのか、 >という議論をしているのである。 こういう文章の意味をまともな人は誰でも理解する。 理解しないのはお前のような○○だけだ(笑 >>213 定義のあやふやな「存在」という言葉を振り回して 「存在しない」と言ってみたところで何の説得力もないぞ? もとより、現実世界に無限をはらんだ対象は「実在しない」のである。 従って、無限について何かを言及するなら、それは必ず、 脳内で行う極めて抽象的かつ形式的な思考についての言及にならざるを得ない。 そのような抽象性の高い思考について、なにがしかが「存在する」だの「存在しない」だのを 論じようとするならば、より一層、そこで使われている「存在」の意味を 明確にしておかなければならない。しかし、お前はそこから逃げている。 >概念が存在することと、 >その概念の対象が存在することとは別問題である。 上の方で既に述べたように、無限小数の概念は形成可能である。 そのための具体的方法も既に述べた。では、その概念の対象は「存在する」のか? もちろん、存在する。上で述べた具体的方法において、脳内で観測される 「9」の並びこそが、対象としての存在である。 むろん、これは「概念が存在する」ことと ほぼ同じことであるww これでお前は完全に論破された。 お前はきっと、このことに反論があるだろう。 しかし、もしそうならば、お前はいよいよ、お前が言うところの「存在」が どういう意味なのか明確にしなければならない。では、改めて問う。 お前が言うところの「存在」とはどういう意味なんだね? >>212-213 無限小数は存在するのか、という議論で、 「存在」とはどういう意味なんだね? と訊くようなバカはお前しかいない(笑 数学的議論として、無限小数は存在するのか、 という議論をするとき、物理的に実在するのか、 というような意味に解釈するバカもいない(笑 >数学的議論の対象として、無限小数は存在するのか、 >という議論をしているのである。 こういう文章の意味をまともな人は誰でも理解する。 理解しないのはメタ男のような○○だけだ(笑 >>215 反論があるなら具体的にどうぞ。俺は>>214 で次のように書いた。 >もちろん、存在する。上で述べた具体的方法において、脳内で観測される >「9」の並びこそが、対象としての存在である。 これが、俺にとっての「無限小数の、対象としての存在」である。 お前はこのことに反論があるだろう。すなわち、次のように言うだろう。 「いやいや、上で述べた具体的方法において脳内で観測される9の並びは、 対象としての存在とは言わないのだ」 と、お前はこのように反論するのだろう。 では、お前にとっての「存在」とは、一体どういう意味なんだね? その定義を明確に提示せよ。 メタ男のアホさにもうんざりしたから、 もう一度端的に説明しておこう。 無限小数は存在しないとは次のような意味である。 1 無限小数というようなものは存在しない。 いいかえれば、われわれが無限小数だと思っているものは有限小数にすぎない。 2 無限小数は数としては存在できない。 まともな人ならこの文章の意味を理解する。 ただし2の「数としては」の意味は、やや理解しにくいかもしれない。 それでも、この文章を読んで、 「存在」とはどういう意味なんだね? と訊くようなバカはこのスレにしかいない(笑 このスレの人間は、2ch一般に言えることだが、 世間の普通のまともな人よりアホである(笑
>>215 「事実上」という言葉の意味を数学的に定義して定式化しなかったら、 文脈上「事実上」と「物理的に」や「現実的に」はほぼ同じ意味になるが。 その哀れな素人がいう「事実上」の言葉の定義や定式化は、未だになされていないのだが。 >>217 たとえば、俺が次のように書いたとしよう。 ・ 三角形の概念は脳内に形成可能である。 ・ その具体的方法は、「3つの点を3本の線分で結ぶ」という状況を脳内で宣言すればよい。 ・ このとき、対象としての三角形は存在するのか? ・ もちろん、存在する。上で述べた上で述べた具体的方法において、 脳内で観測される △ こそが、対象としての存在である。 この場合、お前はどのような意見を持つのだね? 「そうだ、三角形の場合は、対象としての存在はメタ男が言っているものでよい」 と言うのかね?それとも、 「いやいや、三角形の対象としての存在は、メタ男が言っているものとは異なっている」 と言うのかね?どちらなのか答えてくれ。特に後者の場合は、 お前が思うところの「三角形の対象としての存在」を 具体的に言葉で表現してくれ。 >>199 おいおいおい。どうして逃げるの? お前が言い始めた無限小数に関するアンケートだよ。 まじめに答えようよ。もう一度書くね。 私は素人さんを応援してます! で、下のアンケートに答えてください。 貴方にとって直径1の円周の長さは?(複数回答可) 1. 無限小数3.14159....(円周率) 2. 有限小数3.14 3. 有限小数3.141 4. 有限小数3.1415 5. 上記以外の小数第n位までの有限小数(nを記入のこと) 6. nが有限の値ではない小数第n位までの有限小数 7. 事実上、円周の長さは存在しない 8. 事実上、円は存在しない 9. 事実上、もう何が何だか分からない >>217 一応、レスそのものにも返答しておく。 もし下記の内容に返答したいことがあるなら、 それより先に >>219 に返答してからにしてくれな。 >1 無限小数というようなものは存在しない。 >いいかえれば、われわれが無限小数だと思っているものは有限小数にすぎない。 無限小数の概念は脳内に形成可能であり、そのときに脳内で観測される 「9の並び」は決して有限小数ではない。お前が言っていることは、 「各シーンにおいては有限個の9しか見えてないから、有限小数みたいなもんだろ!」 というおバカな感想文でしかない。各シーンで有限個ずつの9しか見えないことは、 脳内に形成された9の並びが「有限小数」であることを意味しない。 お前はここを取り違えている。詭弁である。 というか、「有限小数みたいなもんだろ!」という個人的な感想を 述べてみたところで、本当の有限小数に化けるわけが無い。 既に述べたように、「どこを見ても最後の桁が見つからない」という 脳内宣言のもとで観測される9の並びは、無限小数の対象の存在である (お前はこれに関して直接的な反論を書いていない)。 各シーンにおいて、対象の存在の一部分しか見えなかったのだとして、 なぜそれで対象の存在そのものが否定されることになるのか? 対象はそこに存在している。単に、各シーンでは少しずつしか見えてないだけである。 お前はこのことについて何も説明していない。また、このあたりの話は結局、 お前が言うところの「存在」がどういう定義なのかあやふやだから生じていることであり、 お前がいい加減な発言しかしていないということである。 >>217 >2 無限小数は数としては存在できない。 数として存在できる。構成の仕方も複数通りある。お前は数学を何だと思っているのだ。 多くの場合、まず実数体 R を構成したあとで、数の表現方法として無限小数展開を定義する。 この定義のもとでは、それぞれの無限小数展開は実数を表しているので、無限小数は実数であり、 すなわち数である。あるいは、形式的に無限小数展開の全体を集めて X とでも置き、 X に機械的にうまく演算を入れることで、X が実数体と体として同型になるようにすることも可能。 こちらの定義でも、やはり X の各元すなわちそれぞれの無限小数は数である。 哀れな素人という名の通り、お前が数学を知らないだけ。 そもそも、「存在」の具体的意味を明らかにすることなく 「数として存在しない」と言ってみたところで無意味なんだがねw メタ男に分るように丁寧に説明してやろう。 たとえば火星人という概念は存在するが、 火星人が実在するとはかぎらない。 頭が三つ、腕が四本、脚が五本の人間という概念は存在するが、 そのような人間が実在するとはかぎらない。 数学的議論もこれと同じである。 無限小数という概念は存在するが、 それが本当に存在するとはかぎらないのである。 この場合、本当に、とは物理的にというような意味ではもちろんない。 われわれが数学的な議論をするとき、 物理的な実在について議論しているのではないことは常識である。 で、三角形は頭の中でイメージすることができるし、 紙に描くこともできるのである。 しかし無限小数は頭の中でイメージすることもできないし、 紙に書くこともできないのである。 メタ男は無限小数を頭の中でイメージできる、 完全な像を得ることができる、認識できる、 と思っているようだが、できないのである。 それをできると思っているような○○はメタ男だけなのである(笑
このスレのアホどもに言っておく。 事実上の意味が知りたければ辞書を引け(笑 存在するの意味が知りたければ辞書を引け(笑 自然数の意味が知りたければ辞書を引け(笑 ったくアホすぎて話にならない(笑
>>223 >しかし無限小数は頭の中でイメージすることもできないし、 >紙に書くこともできないのである。 紙に描くことはできないが、イメージは可能である。 「どこを見渡しても最後の桁が見つからない」 という脳内宣言のもとで得られる9の並びこそが、9が無限個並んだ状態の 脳内イメージであり、無限小数の対象としての存在である。 むろん、このイメージは、「全体を一気にくまなく見通す」という認識法によって 得られるイメージではない。現実世界の「宇宙」を望遠鏡で ちまちま 探索して回ることで 認識するのと同じ認識法で得られるイメージである。 >メタ男は無限小数を頭の中でイメージできる、 >完全な像を得ることができる、認識できる、 ほらね、ここでもお前は、「全体を一気にくまなく見通す」という認識法に こだわっており、それ以外の認識法を無視している。お前が言っていることはつまり、 「無限小数の全体像を一気にくまなく見渡すことは不可能だ」 ということでしかない。しかし、そのことは無限小数の "存在" を否定する材料にはならない。 ここがお前の詭弁である。なぜなら、無限小数はそれ以外の認識法で認識可能だからである。 あるいは、お前にとっての「存在」の定義とは、 「全体を一気にくまなく見通せること」 なのかもしれない。もしそのような定義なのであれば、 お前が言うところの「無限小数は存在しない」とは、 「無限小数の全体像を一気にくまなく見渡すことは不可能だ」 という当たり前かつ下らない主張にすぎず、 いわゆる数学で言うところの「存在の否定」には全くなっていない。 >>220 だからそういうことについて自分で考えてみればいい。 自分で考えることが頭の訓練になるのである。 難しい数学知識をどんなに頭の中に詰め込んでもダメなのだ。 そんなことでは人間は賢くならないのである。 君らは知識を情報を得ることに熱心になっているだけである。 僕の言っていることは小中学生でも分ることなのだ。 難しい知識は一切不要である。 >>223 さて、もう1つ別のツッコミを入れておく。 >メタ男は無限小数を頭の中でイメージできる、 >完全な像を得ることができる、認識できる、 >と思っているようだが、できないのである。 このレスを見るに、どうもお前は、 「 完全な全体像を得られなければ存在するとは呼ばない!! 」 と主張しているようである。だとすると、お前は大きな墓穴を掘ることになる。 人間は現実世界の「宇宙」の完全な全体像を得ることができないのだから、お前は 「宇宙は存在しない」 と言っていることになるのだ。バカだねえw >>225 懲りないアホレス乙(笑 お前は無限小数という概念を形成することはできる、 と主張しているだけである(笑 ったく何度言えば分るのだ(呆 概念を形成できるということと、 その概念の対象が存在することは別なのである。 >イメージは可能である。 可能ではないのだ(笑 可能だと思っているような○○はお前だけだ(笑 嘘だと思うなら周囲の人間に訊いてみろ(笑 >>228 ほら、どうした? お前にとっての「存在」とは、「完全な全体像を一気に得られること」なんだろ? それができなければ、存在するとは呼ばないんだろ?でなければ >メタ男は無限小数を頭の中でイメージできる、 >完全な像を得ることができる、認識できる、 >と思っているようだが、できないのである。 こんなレスを書く必要はないもんな。つまり、お前が言いたいのは 「無限小数は存在しない。なぜなら、無限小数の完全な全体像を 一気に得ることはできないからだ」 ということなんだろ?そういうことが言いたいんだろ? だったら、人間は現実世界の「宇宙」の完全な全体像を得ることができないのだから、お前は 「宇宙は存在しない」 と言っていることになるよな。バーーカ。 >>227 お前のアホさが実によく分る(笑 僕は宇宙は無限か有限かという議論をしているのであって 宇宙は存在しない、などと言っているのではない(笑 無限宇宙は存在しないかもしれない、と言っているのであって、 有限宇宙は存在しないなどと言っているのではない(笑 僕は無限小数は存在しない、と言っているのであって、 有限小数は存在しない、と言っているのではない(笑 お前がいかに論理的思考ができない人間、 文章読解力がない人間であるかがまざまざと分る(笑 メタ男のバカは依然として僕の説の意味を理解していない(笑 僕は無限小数は認識できないから存在しない、 全体像を得ることができないから存在しない、 などと言っているのではない。 無限小数が存在しない理由は他にある。 ただ、無限小数が存在しないことを示唆するために、 無限小数はイメージすることができない、 という話をしているのである。 こんな○○を相手にしていても仕方ないから 昼の投稿はここまで。 ああ、無限なものは認識できない、 ということすら理解できないバカがこの世にいようとは(笑
>>230 >僕は宇宙は無限か有限かという議論をしている それだったら、宇宙や物理の議論になって、それをするにはしばしば数学を使うのだが。 その数学では、無限小数は存在するが。 >>230 なるほど。 「完全な全体像を一気に得ることはできない」 という根拠は、あくまでも「無限性」を否定するための根拠に過ぎないということか。 だったら、同じ根拠を使って、お前は宇宙の「無限性」を明確に否定し、 「宇宙は有限である」 と断定しなければならないな。 >無限宇宙は存在しないかもしれない、と言っているのであって、 こんな自信の無い書き方じゃダメだぞ。 明確に「宇宙は有限である」と断定しろよ。 そして、そっちの方を本にして売れよ。 すると、どうなるか。 頭のおかしい奴だと思われること請け合いだぞ。 「全体像を一気に得られないことが、なぜ無限性を否定することに繋がるんだろう?」 「むしろ、全体像を一気に得られないことは、無限性を肯定する材料になるんじゃないのか?」 と、このように思われること請け合いだぞ。 >>231 >僕は無限小数は認識できないから存在しない、 >全体像を得ることができないから存在しない、 >などと言っているのではない。 ふむふむ、「完全なる全体像を得ることができない」という性質は、 無限小数の存在性を否定する材料ではないということを言っているのだな。 お前の口からそういう言質が取れたのは大きな一歩だな。 >無限小数が存在しない理由は他にある。 >ただ、無限小数が存在しないことを示唆するために、 >無限小数はイメージすることができない、 >という話をしているのである。 だったら、無限小数が存在しない本当の理由は何なんだよ。 今までの流れを見るに、その「本当の理由」とやらは まだ1回も口に出してないよな?本当の理由をさっさと話してくれよ。 >ああ、無限なものは認識できない、 >ということすら理解できないバカがこの世にいようとは(笑 その話題はもう関係ないだろ? 認識できないことと存在しないことは別物なんだろ? どうして、未練タラタラで そういうレスを書いてるの? というわけで、次のレスからは、 「無限小数が存在しない 本 当 の 理 由 」 をさっさと書いてくれよな。 >>226 おいおいおい。どうして逃げるの? お前が言い始めた無限小数に関するアンケートだよ。 まじめに答えようよ。もう一度書くね。 私は素人さんを応援してます! で、下のアンケートに答えてください。 貴方にとって直径1の円周の長さは?(複数回答可) 1. 無限小数3.14159....(円周率) 2. 有限小数3.14 3. 有限小数3.141 4. 有限小数3.1415 5. 上記以外の小数第n位までの有限小数(nを記入のこと) 6. nが有限の値ではない小数第n位までの有限小数 7. 事実上、円周の長さは存在しない 8. 事実上、円は存在しない 9. 事実上、もう何が何だか分からない >>233 >頭のおかしい奴だと思われること請け合いだぞ。 思われない(笑 なぜなら現代の科学者は宇宙は有限だと考えているからだ。 お前は理系のくせにそんなことも知らないのか(笑 >>234 僕は以前にも書いた通り、 無限小数が存在しない本質的な理由はネット上には書かない。 なぜなら書いてしまうと、「それを最初に唱えたのは私だ」と、 手柄を横取りする奴が出て来るからである。 尤も、あまりに簡単な理由だから、隠すほどのこともないが(笑 >>236 何度も言うが、そういうことを自分で考えてみればいいのである。 人に教えられて「あ、そうか」と分るより、 自分で考えて「あ、そうか!」と分ったときの喜びの方が大きいのだ。 >>236 ひとつだけヒントを与えてやろう。 >無限小数3.14159....(円周率) ↑君はこう書いているが、問題は、 3.14159……という無限小数は存在するのか、 3.14159……という無限小数が存在すれば、 そのとき3.14159……はπに等しくなるのか、 というようなことである。 こういうことを考えてみればいいのである。 そういうことを考えることが頭の訓練になるのである。 3.14 ←これは有限小数だから、3.14<πである。 3.1415 ←これも有限小数だから、3.1415<πである。 3.141592 ←これも有限小数だから、3.141592<πである。 そこで問題は、はたしていつか3.1415……が 真の無限小数になる日が来るのか、ということであり、 そのとき3.1415……はπになるのか、というようなことである。 こういうことを考えてみればいいのだ。
>>240 <所感> ・Ponanza Chainerは、はやりのAIマシーンで、ハードでも”高火力コンピューティング”という高性能マシーン ・一方、elmoは、平凡な”Xeon E5-2666 v3 2.9GHz 2 18 60GB”。でも、使用ライブラリ:定跡などApery,やねうら王で、評価関数の改良勝負! ・結果、僅差でelmo優勝! (対戦成績 2対0だが、持ち時間10分と短時間なのが、AI不利に働いたのかも。定跡や評価関数の改良というのは、事前に検討を済ませているという意味がある。あたかも棋士が事前研究をしているように。) >>241 <所感追加> 将棋といえども、まだ2017現在では、ハイパワーAIでも完全解析までできないということだろう(^^; これを、将棋以外に敷衍すると、将来いろんな場面でハイパワーAIの出す結論が、果たして正しいと言えるかどうか? そこは大きな問題になるように思う・・(^^; >>239 > そこで問題は、はたしていつか3.1415……が > 真の無限小数になる日が来るのか、ということであり、 > そのとき3.1415……はπになるのか、というようなことである。 じゃあアンケートのどれが貴方の回答になるんでしょうか? 貴方の考えを聞いているのです。 私に考えろと質問を質問で返さないで頂きたい。 答えられないなら正直に答えられないと言えばよろしい。 >>243 追加 <所感> ここで言いたいことは、抽象的な確率統計理論だけではなく・・・ 将棋の評価関数作成には、理論と泥臭い手作りの部分と両方必要なんだということ そこらが、数学科の数学と違うところだと それが言いたいことです(^^; ここらが、いまどきのハイパワーAIマシーンを凌駕してしまったという2017の結論 もっとも、これも来年はもう通用しないかも(AIマシーンがさらに進化するかな) (^^; それでも、2017の教訓は貴重と思います。今後ずっと語り継いで行くべきだと・・ (^^; >>245 追加 >それでも、2017の教訓は貴重と思います。今後ずっと語り継いで行くべきだと・・ (^^; スレチですが、elmo vs Ponanza Chainer 棋譜解析下記。これみると、ポナンザに明らかにおかしな手が複数見られる。 人間なら、劣勢のとき我慢して、挽回のチャンスを待つという指し方をする。ところが、おそらく、ポナンザAIは、”劣勢のとき我慢して・・”という指し方ができないんだろうね・・(^^; ダウンロード&関連動画>> VIDEO ★ポナンザ elmoに連敗★将棋 棋譜並べ ▲elmo vs △Ponanza Chainer 第27回世界コンピュータ将棋選手権 決勝 7回戦 「浮かむ瀬」の棋譜解析 No.1142 2017/05/05 に公開 開始日時:2017/05/05 棋戦:第27回世界コンピュータ将棋選手権 決勝 7回戦 持ち時間:10分 >>244 直径1の円周の長さはπである(笑 そんなことは誰でも知っている(笑 ただし3.14159……はπではない。 分るか?(笑 0.33333……は1/3ではないし、 0.99999……は1ではない。 分るか?(笑 僕は普段は邪馬台国関連のスレにいて、 数人の常連と会話をしている。で、 0.33333……=1/3 0.99999……=1 これらは正しいか否か、と質問してみた。 すると従兄が東大理一だという男が、 従兄に聞くまでもなく否、と答えた。 0.33333……や0.99999……はあくまで近似値にすぎない、と。 この男が正解なのである。 ところがこのスレの参加者のほとんどが 0.99999……=1だと考えているようだ。 余計な数学知識があるからそう考えるのである。 素朴な人はみんな0.99999<1と思っているはずだ。 そして素朴な人々の方が正解なのである。
>>247 なるほど。 回答ありがとうございました。 直径1の円周の長さは円周率πであり、 それは無限小数ではなく有限小数だということですね。 となると、下記5'または6'ということになりますね? どちらでしょうか? 宜しくご教示ください。 5'. 円周はπであり、小数第n位までの有限小数で表される(nを記入のこと) 6'. 円周はπであり、nが有限の値ではない小数第n位までの有限小数で表される >>237 >思われない(笑 >なぜなら現代の科学者は宇宙は有限だと考えているからだ。 読解力の無いやつだな。俺のレスをよく読めよキチガイ。 俺は次のように書いたのだ。 >「全体像を一気に得られないことが、なぜ無限性を否定することに繋がるんだろう?」 >「むしろ、全体像を一気に得られないことは、無限性を肯定する材料になるんじゃないのか?」 > >と、このように思われること請け合いだぞ。 つまり、宇宙が有限だと主張することそのものに対して「頭がおかしい」と 言っているのではなくて、宇宙が有限であるとする根拠の方に対して 「頭がおかしい」と言ってるんだよ。論理的に考えて全く根拠になってないだろ。 そして、>>234 で既に書いたことだが、これが根拠にならないことは お前も自覚しているのか、お前は既に 「全体像を一気に得られないことは無限性を否定する根拠では無い」 という趣旨の発言をしているのであったw >僕は以前にも書いた通り、 >無限小数が存在しない本質的な理由はネット上には書かない。 けっきょく逃げたか。だったらお前の負けだ。 これまでに得られた唯一の進歩は、既に書いたように、 「全体像を一気に得られないことは無限性を否定する根拠では無い」 という言質がお前の口から得られたことだが、まあこれだけでも十分だろう。 まるでこれが無限性を否定する根拠であるかのように何度も何度も お前の口から語られていたのだからな。今後はそのような詭弁を もはや使えないわけだ。ふははは。 >>247-248 0.999…<1 だと "勘違い" してしまうのは、次のような ド素人の浅知恵から来るものである。 (A) ================================= 0.9 < 1 0.99 < 1 0.999 < 1 : : どこまで見ても "< 1" が成り立つので、0.99999… < 1 も成り立つ。 ================================= この浅知恵(A)のどこがおかしいかは、次のように考えればハッキリする。 (B) ================================= 0.9 < 0.99999… 0.99 < 0.99999… 0.999 < 0.99999… : : どこまで見ても "< 0.99999…" が成り立つので、0.99999… < 0.99999… も成り立つ。 ================================= なんと、浅知恵(A)を使えば、同じ論法によって浅知恵(B)が得られ、 つまりは 0.99999… < 0.99999… というおかしな式が得られるのである。 だから、(A)の論法は自動的に間違いとなる。具体的にどこが間違っているのかは、 よく見れば明白である。つまり、各ステップにおいて 0.999 < 1 のような不等式が 成り立っているのだとしても、そこから 0.9999… < 1 という不等式を推論することは できないのに、できると勘違いして 0.9999… < 1 と結論づけているのが間違いなのである。 尤も、お前にはこのような論法は一切不要である。なぜなら、お前は「無限小数は存在しない」 と言っているからだ。お前にとって 0.99999… は存在しないので、存在しないものと「1」を比較した 0.9999… < 1 あるいは 0.9999… = 1 あるいは 0.9999… ≠ 1 あるいは 0.9999… ≒ 1 といった式は、 どれもお前にとって最初から意味を持たない式であるww >>248 >これらは正しいか否か、と質問してみた。 >すると従兄が東大理一だという男が、 >従兄に聞くまでもなく否、と答えた。 笑えるwそいつはまず従兄に聞けよww 従兄に聞かずにそいつ自身が「否」と言ってるだけだったら、 そいつが言うところの「東大理一」という情報は何の権威性も説得力も持たないじゃん。 しかも邪馬台国スレってw数学と何の関係もないww >この男が正解なのである。 ド素人集団が浅知恵で何かを議論した気になっている構図w 馬鹿の考え休むに似たりとはまさにこのこと。 数学と何の関係もないところでお前に賛同する人間が何人いても全く意味がないだろ。 本丸の数学関係のスレではお前に賛同する人間が全くいないという現状を、 お前は正しく認識できていないw >そして素朴な人々の方が正解なのである。 ただの現実逃避。そいつらは間違ってるし、お前も間違ってる。 結局はただのド素人。 >>197 >とにかくここの連中は人のレスをきちんと読んでいないようだ。 きちんと読むも何も、お前は独りよがりな主張だけして、その主張が成り立つ根拠をまるで 言っていない。しかもそれを読み手のせいにしている。昨日も言ったが死んだ方がいいレベル >>198 >脳 内 宣 言 それが素人には理解できないらしい。公理という言葉さえ知らないんだろう。数学板に来るレベルじゃない。 >>248 >この男が正解なのである。 これもツッコミどころが多いので書いておく。 お前の立場から言えば、お前にとってその男は間違いをおかしている。 なぜなら、お前の書き込みを見るに、その男は無限小数を「存在する」と思っているからだ。 「存在はするが、その値は 1 ではない」 という立場を、その男は取っているものと推測する。 であれば、「存在しない」という立場を取るお前とは意見が全く異なっている。 お前にとって 0.9999… は存在しないので、0.9999… < 1 のような式を 考えること自体がお前にとってはナンセンスである。が、その男にとって、 0.9999… < 1 という式は両辺ともに存在する項を比較した式であり、 ナンセンスな式なんてことは無いわけだ。 邪馬台国だろうがなんだろうが、お前が賛同者を得たいのなら、 「そうだ、無限小数は存在しないんだ」 と断言する人間を見つけなければならない。 しかし、お前の書き込みを見るに、邪馬台国スレの人間は 「無限小数は存在するが、しかしその値は 1 とは違うものだ」 という立場を取っているようにしか見えない。 もしそうなら、邪馬台国スレの人間はお前とは全く違う意見を持っていることになる。 結局、数学の専門板でも無関係の板でも、お前の意見になびくようなド素人は ごく少数あるいは全く居ないということだw 本まで出版しちゃって、恥さらしもいいとこだな。 >>201 お前は「自然数を全て言うことは一生かけてもできない、だからNは有限集合である、同じ理由で無限集合は存在しない」と言いたい訳ね?w お前の主張はよくわかったから素へお帰りw >>205 それは「存在」の定義次第でどうとでも言えるもの。 だから俺は定義を質しているのにお前は回答を拒否し続けた。 恐らくお前は存在という言葉は神が与えた絶対的なもの・唯一のもの としか捉えていない。数学では定義次第でどうとでもなる。 数学をやるにはお前は頭が固過ぎ。発想が貧相過ぎ。常識に囚われ過ぎ。 >>213 お前が「存在」の定義をしない限りお前の発言は全くのナンセンスだということに早く気付こうね? 結論: ド素人君は アスキーとか シカトーとか 証明は書かないし読まないとか 言って逃げ回らずに回答する分だけスレ主よりマトモである。
>>217 「○○は存在しない」が命題足り得るには「存在」の意味を万人が共有しなければならない。 お前にはこんな簡単な理屈がわからない。それで数学関連の本を出したとか、もう死んだ方がいいいレベル。 >>157 「数としては存在しない」というのも物凄い言明だなw 「数」とは何か?お前はわかっているのか?w NHKスペシャルのリーマン予想の中で、ある数学者がこんなことを言っている。 「リーマン予想はほかの数学の難問とは格が違います。それは数学の根源的な問い、数とは何かに関係しているからです」 それをお前はw >>224 辞書で数学が解決するなら数学者は要らないw馬鹿発言もほどほどにw >>223 >たとえば火星人という概念は存在するが、 >火星人が実在するとはかぎらない。 数学の対象物は全て概念であり実在物ではない。 自然数も実数も点も直線も集合も円も正三角形も全て脳内概念である。 ゆえに無限小数の実在を問うこと自体が無意味である。 まるで小学生に諭してる気分だ。 >>231 >無限小数が存在しない理由は他にある。 あるなら言えよw アイデアを取られる?そんな心配は無用。お前の考えてることなどウンコ以下に決まってるw 素人君へ その本は邪馬台国スレで宣伝したらどうかね? ここの住人にはお前が中二病のおっさんだと完璧にバレてしまったからな
>>246 補足 >スレチですが、elmo vs Ponanza Chainer 棋譜解析下記。これみると、ポナンザに明らかにおかしな手が複数見られる。 >人間なら、劣勢のとき我慢して、挽回のチャンスを待つという指し方をする。ところが、おそらく、ポナンザAIは、”劣勢のとき我慢して・・”という指し方ができないんだろうね・・(^^; "Garbage in, garbage out"が当てはまるかな。つまり、「優勢なときに勝ちきる」はできるが、「劣勢のとき我慢して、挽回のチャンスを待つ」ができないか それと、将棋のように、「勝ち負け」という基準があるときは、自己対局方式ができる だが、世の中に起きるいろんな現象は、”「勝ち負け」という基準がある”わけではない 現在のディープラーニング方式AIには、まだまだ限界ありってことだろう https://ja.wikipedia.org/wiki/Garbage_in,_garbage_out Garbage in, garbage out Garbage In Garbage Out(略してGIGO)はコンピューターサイエンス及びインフォメーション・テクノロジーの分野における概念である。それは「『無意味なデータ』をコンピュータに入力すると『無意味なデータ』が返される」という意味である。 用法 デジタイズ この用語は低質な映像や音声ファイルをデジタル化する際に用いられる。アナログで録画・録音された情報はデジタル化の際に信号に変換され、その際に画質・音質の劣化を起こす。これにより元の情報の質をデジタル化の際に超えることはない。 信仰 Garbage in, gospel outという文字列として呼ばれることがある。これはコンピュータがどのような性向を持って処理しているのかがわかって居ないことによってコンピュータのデータを過度に信仰することに対する皮肉である。 >>268 関連 マイクロソフト「Tay事件」を思い出すね https://ja.wikipedia.org/wiki/Tay_ (%E4%BA%BA%E5%B7%A5%E7%9F%A5%E8%83%BD) Tayとはマイクロソフトによるおしゃべりボットで、Twitter上で書き込むボットとして2016年3月23日にお披露目された[1]。 事件[ソースを編集] Tayは1日で96,000以上のツイートを行ったが[7]、2016年3月25日ごろマイクロソフトは「調整」と称して一時的にTayのアカウントを停止し、「複数のユーザーによってTayの会話能力が不適切に調教され、間違った方向のコメントをするようになった」と発表[8]、結果的にこれが原因でヘイトスピーチや性転換したかのようなメッセージを投稿するようになったと推測される[5]。 人工知能研究者であるローマン・ヤンポルスキー(英語版)は、Tayが不作法になったのは必然的だったとし、Twitterユーザーによる意図的な攻撃を覚えてしまったことと、マイクロソフトがどういう行動が不適切か判断させることを怠ったためと論じていて、 IBMのワトソンがアーバン・ディクショナリー(英語版)を覚えてしまったことで、下品で不敬な言動になった問題を引き合いに出している[2]。 >>269 関連 >IBMのワトソンがアーバン・ディクショナリー(英語版)を覚えてしまったことで、下品で不敬な言動になった問題を引き合いに出している[2]。 これか(^^ http://blog.livedoor.jp/itmediasokuhou/archives/23570257.html IBMの人工知能『ワトソン』、"隠語"を覚えすぎて一部メモリを消去されることに ITメディア速報 2013年02月01日 (抜粋) 1 名前:ライトスタッフ◎φ ★:2013/01/20(日) 22:20:42.49 ID:??? IBMの人工知能「ワトソン」は、アメリカのクイズ番組「Jeopardy!」でふたりの クイズ王を破り、世界初の人間じゃないクイズ王になりました。本100万冊分もの 知識を詰め込み、人間のクイズ王に対し勝率75%で圧勝していました(※)。 でも、そんなワトソン君にもわからないことがあったようです。それは、どんな言葉は 使って良いもので、どんな言葉は不適切かということです。 実はワトソンの開発中、研究チームリーダーのエリック・ブラウンさんはあることを 試みていました。ワトソンを人間と対話可能なマシンにするなら、今どきの若者的 言葉使いも理解すべきじゃないかと考えたのです。そしてそんな言葉の知識源として、 彼らはオンライン辞書のUrban Dictionaryを選びました。 ただ、Urban Dictionaryには若者的言葉使いが満載なだけに、その内容は上品な言葉 ばかりではなく、むしろ75%が上品とは言えない言葉で占められています。このことが 研究チームを悩ませることになりました。1月14日発売のフォーチュン誌の記事には こうあります。 「ワトソンは礼儀正しい言葉と、Urban Dictionaryに満載の下品な言葉を区別 できませんでした。またワトソンにはWikipediaを読む悪癖もありました。 その結果テストでは、研究者が与えたクエリに対して「くそったれ(bullshit)」と 回答したことすらありました。 」 コンピューターにとって、知識の量を人間より増やすことは可能でも、その知識を人間 社会のルールに沿って使うのは難しいんですね。逆に考えると、人間って賢いんですね? >>270 関連 IBMワトソン https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%88%E3%82%BD%E3%83%B3_ (%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF) (抜粋) ワトソン (コンピュータ) ワトソン(英語: Watson)[1]は、IBMが開発した質問応答システム・意思決定支援システムである。 『人工知能』と紹介されることもあるが[2]、IBMはワトソンを、自然言語を理解・学習し人間の意思決定を支援する『コグニティブ・コンピューティング・システム(Cognitive Computing System)』と定義している[3][4]。 概要 ワトソンは、IBMが開発した質問応答システムで、2009年4月に米国の人気クイズ番組「ジェパディ!」にチャレンジすると発表された[5]。 これは1997年に、当時のチェス世界チャンピオンのガルリ・カスパロフに勝利したIBMのコンピュータ・システムであるディープ・ブルーに次ぐプロジェクトである。しかし、クイズ番組では自然言語で問われた質問を理解して、文脈を含めて質問の趣旨を理解し、人工知能として大量の情報の中から適切な回答を選択し、回答する必要がある。 IBMはこの技術を、将来的には医療、オンラインのヘルプデスク、コールセンターでの顧客サービスなどに活用できるとしている。 2011年1月13日にはトーマス・J・ワトソン研究所でワトソンの公開と「ジェパディ!」での人間と対戦デモが行われた。 ワトソンは、10台のラックに搭載されたPower Systems 750で構成され、2880個のPOWER7プロセッサ・コアを搭載し、 オペレーティングシステムはLinux、処理性能は80テラFLOPS(TFLOPS)で、インターネットには接続されておらず、本・台本・百科事典(Wikipediaを含む)などの2億ページ分のテキストデータ(70GB程度、約100万冊の書籍に相当)をスキャンして取り込んだ[6][7]。 2011年2月14日からの本対戦では、15日と16日に試合が行われ、初日は引き分け、総合ではワトソンが勝利して賞金100万ドルを獲得した。賞金は全額が慈善事業に寄付される[8]。 なお「ジェパディ!」は問題文が読み上げられた後に手元のボタンを押して回答する早押し形式であるが、ワトソンは音声認識機能を持たないため文字で問題を取得し、シリンダーでボタンを押す装置を用いて回答した。 2013年11月14日には、一般のデベロッパーに提供することを発表した[9][10]。 >>268 関連 "Garbage in, garbage out" 1000万枚のネコの画像を見せられたコンピューター。でも、人間は1000万枚もネコの画像は見ていないよ それと、”1000万枚”の中に、「ヘイトスピーチ」や「Urban Dictionary」のような"Garbage in”が無いのかどうかのチェックは? ”garbage out"を見分ける方法は? 例えば、>>246 elmo vs Ponanza Chainer のポナンザの疑問手をチェックする仕組みが必要ではないか? http://www.sankei.com/column/news/160314/clm1603140003-n1.html 2016.3.14 【産経抄】 ネコを認識するAIが登場 ディープラーニングの衝撃 (抜粋) 米グーグルは2012年、ネコを認識する人工知能(AI)を開発した、と発表した。ネコとはどういうものか。1000万枚のネコの画像を見せられたコンピューターが、人間に教えられなくても、ネコの特徴をつかむことに成功したというのだ。 使われたのは、「ディープラーニング(深層学習)」と呼ばれる、新たな手法である。東京大学の松尾豊特任准教授によれば、グーグルが開発する話題の自動運転車より、「本当にすごい」ニュースだった(『人工知能は人間を超えるか』角川EPUB選書)。 赤ちゃんが、身の回りの出来事から自然に学んでいく仕組みと似ている。そのディープラーニングがまた、大きな成果を上げた。グーグルが開発した人工知能「アルファ碁」が、世界トップ級のプロ棋士、韓国の李世●(イセドル)九段との五番勝負で、勝ち越しを決めた。 膨大なプロ棋士の棋譜の画像を読み取って学習し、棋力を飛躍的に上達させた結果である。コンピューターはすでに、チェスの世界王者を破り、将棋のプロ棋士とも互角に戦っている。ただ囲碁は、終局までの手順が10の360乗通りと桁違いに多い。 プロに追いつくのは、早くても10年先といわれてきた。日本囲碁界初の七冠を懸けて、十段戦の五番勝負を戦っている、井山裕太六冠もショックを受けているようだ。もっとも、発達を続ける人工知能の活躍の場は、ゲームの世界にとどまらない。 多くの産業で、存在感を強めていくだろう。それだけに、技術の独占は脅威である。パソコンではOSをマイクロソフトにCPUをインテルに握られて、日本のメーカーは大いに苦しんだ。「人工知能の分野でも、同じことが起きかねない」。松尾さんは警告している。 例によってアホレス満載(笑 ここの連中がいかにアホであるかがまざまざと分った(笑 スレ主がどんなに嘲笑されても平気でいられる理由が分った(笑 スレ主はここの連中が全員バカだということが分っているのだ(笑 このスレには早慶レベルの人間さえいない(笑 小中高生よりアホだ(笑
>>249 >それは無限小数ではなく有限小数だということですね。 そういうことではない。 πが有限小数だと考えるようなバカは世界中に一人もいない(笑 πは少数で表すことはできないのである。 少数で表すとしたら、3.1415……という無限小数で表すしかないのである。 そして3.1415……は決してπにはならないのである。 決してπにはならないから3.1415……という無限小数にならざるをえないのである。 こんなことは小学生でも分っていることだぞ(笑 >>239 を読めば、小学生でも、利発な子なら、 3.1415……は決してπにはならないことを理解するだろうし、 3.1415……はどこまでいっても有限小数で、 決して真の無限小数にはならないことを理解するだろう。 子供でも分ることが、このスレのアホどもには分らないのだ(笑 ったくアホすぎて話にならない(笑 >>268 関連 ちょっと古いが http://alcuin.hatenablog.com/entry/2013/12/30/154841 2013-12-30 ボードゲームの思考アルゴリズムの入門 Thinking out loud id:alcuin (抜粋) 社内の技術系Adventカレンダー向けに何か書けと言われ、とりあえずボードゲームの思考ルーチンについて書いてみたり。 せっかくなので、存在を忘れかけていたBlogメンテの意味も込めてこちらで公開。 オセロ、チェス、将棋、囲碁の探索問題としての「難しさ」 オセロは、90年代の後半に、日本人チャンピオンの中島さんとPCが対決をし、6対0で人間が完敗してしまいました。 チェスもまた、1996年にDeepBlueという計算機クラスタにより、人間に一応勝ちました。 将棋も、2013年になり、人間に勝つ兆し(事実上勝っている?)が出てきました。 各ボードゲームの局面数をざっくり推定をすると、以下のようになります。 (10の360乗というのは、0が360個ということです、念のため。) オセロ : 10の56乗 チェス : 10の120乗 将棋 : 10の220乗 囲碁 : 10の360乗 非常に膨大な探索空間です。 探索をするという観点では、仮にコンピュータが10倍速になったとしても、せいぜいさらに数手先まで深読みが出来る程度の違いしか無かったりします。 そういう意味では、コンピュータの「早さ」の進歩も大事ながらも、適切な評価関数であったり、棋譜のデータを取り入れたりといった試みの方が大事だったりもします。 ちなみに、現在、最もホットな領域の1つが「囲碁」です。 上記の局面数を比較すると、囲碁だけが桁違いです。 これは、19×19と盤が広く、好きなところに置けるので局面数も広いことが理由で、また探索をする上でも、評価関数が非常に難しい(たった一手によって形成が逆転をしたりと安定せず、また形成の判定に地というパターン認識が求められるためスコア化が極めて行いにくい)ということが主な理由です。 そのため、ちょっと前までは、今までのゲーム木探索というアプローチとノイマン型計算機である限り、囲碁プログラムは人間には勝てないと言う研究者もいました。 しかし最近になり、確率的なアプローチでプレーをする「モンテカルロ囲碁」という方法が出現し、突如、囲碁のレベルが上がりました。 0.33333……=1/3 0.99999……=1 ↑これは間違いで、 0.33333……<1/3 0.99999……<1 ↑これが正解である。 こんなことは分る人には分る。 このスレのアホどもはこんなことさえ分らないのだ(笑 ったく小学生以下のアホどもだ(笑
>>276 関連 >社内の技術系Adventカレンダー向けに何か書けと言われ Adventカレンダーね。プログラミング関係では普通か https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%88%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC (抜粋) アドベントカレンダー(Advent calendar)は、クリスマスまでの期間に日数を数えるために使用されるカレンダーである。アドベントの期間(イエス・キリストの降誕を待ち望む期間)に窓を毎日ひとつずつ開けていくカレンダーである。すべての窓を開け終わるとクリスマスを迎えたことになる。 企画としてのアドベントカレンダー[ソースを編集] インターネット上などで、アドベントカレンダーに見立てて12月に一人、または複数人で毎日記事を投稿していくという企画がある。 特にプログラミングに関連するアドベントカレンダーの企画が近年[いつから?]多数行われている。 複数人実施の場合は、カレンダーを管理するサイトを軸にある程度の範囲(プログラミング言語や使用する技術など)を決めて参加者を募り、順に投稿を行うというスタイルが多い。 参加者が多い場合、クリスマスを超えて12月の終わりやそれ以上続くこともあり、1年続いた例もある。 http://qiita.com/advent-calendar Advent Calendar HotMarkdownによる情報共有サービス、Qiita:Team (抜粋) QiitaにおけるAdvent Calendarとは、プログラミングに関する記事を12/1から12/25まで毎日みんなで投稿するイベントです。 https://liginc.co.jp/212709 2015.12.02 アドベントカレンダーとは?12月こそエンジニアが情報発信するチャンス【LIGも参戦中】のびすけ (抜粋) アドベントカレンダーにオススメのサイトはこちら! それでは実際にどこでアドベントカレンダーに参加すればよいのでしょうか。 エンジニア界隈ではQiitaとADVENTARがメインのようです。他にもいくつかツールはあるのですが、この2つをウォッチしておけば大体の情報は得ることができます。 >>277 >0.33333……<1/3 >0.99999……<1 > >↑これが正解である。 その考え方は >>251 で既に論破している。ド素人の浅知恵。バーーカ。 そもそも、お前は無限小数のことを「数として存在しない」と言っていたのだから、 お前は 「 0.99999… < 1 さえも決して成り立たない」 と発言しなければならないのだ。 にも拘わらず「これが正解である」などと書くのはダブルスタンダードである。 基本的な話をしよう。数と数を不等号で比較したいのなら、 不等号の両辺には数が来なければならない。すなわち、 数 < 数 という形の立式をしなければならない。ここで 数でないナニカ < 数 という立式をしてみてもナンセンスであり、これでは意味を成さない。 一方で、お前は無限小数のことを「数として存在しない」と言っていた。 だったら、お前にとって 0.999… は数ではない。となれば、お前にとっての 0.99999… < 1 という式は、「数でないナニカ < 数」という式を意味しているのであり、 お前にとってこの式はナンセンスであり、もちろん間違った式であり、 お前は「 0.99999… < 1 は成り立たない」と発言しなければならないのだ。 にも拘わらず「これが正解である」などと書くのはダブルスタンダードである。 >>279 アホレス乙(笑 もちろん僕は「 0.99999… < 1 さえも決して成り立たない」 と 邪馬台国スレでも書いている。 無限小数は数ではないのだから、 0.99999… = 1か、0.99999… < 1か、 論じること自体がばかげているのだ、と。 そういう議論は措いておいて、単純素朴な問題として、 0.33333……=1/3 0.99999……=1 は正しいか否か、という問題を出したのである。 そうすると、従兄に聞くまでもなく否、と回答してきた。 その男はお前らよりずっとまともな理解力を有している(笑 お前らは子供以下のドアホ、ド低脳だ(笑 >>281 >もちろん僕は「 0.99999… < 1 さえも決して成り立たない」 と >邪馬台国スレでも書いている。 そうなのか。 だったら、その点についてはお前の主張は一貫しているのだな。 このスレでは今まで一度も書いてなかったように見えるがね。 >そういう議論は措いておいて、単純素朴な問題として、 >0.33333……=1/3 >0.99999……=1 >は正しいか否か、という問題を出したのである。 はい、正しいです。 少なくとも「 0.99999……<1 」と勘違いしてしまう思考回路は明確に間違ってます。 理由は >>251 で既に書いている。 試しにお前らの周囲の人間に 0.33333……=1/3 は正しいか否かと質問してみればいい。 この問題は多くの人が誤答するかもしれない。 なぜなら小学校でそのように教えられているからだ。 しかし 0.99999……=1 は正しいか否かと質問してみればいい。 たぶん否と答える人の方が多いだろうと思う。 聞かれた瞬間には直感的に(違う)と思うはずだ。 しかし考え直して、0.33333……=1/3 から考えて、 正しいと回答する人もいるかもしれない。 とにかく直感的に(違う)と思わないような者は、 常識的理解力がないというか、数学的センスがない者である。 お前らはみんな数学的センスがない(笑 それ以上に、まともな理解力がないアホである(笑
>>282 3.14159……は決してπにはならないのである。 こんなことは常識ではないか。 それと同様に、 0.99999……は決して1にはならない(笑 なんでこんなことが分らないのか(笑 >>283 ド素人の浅はかなインスピレーションを アンケートのように聞いて回って何の価値があるんだよ。 そういう下らない水掛け論はどうでもいいからさ、>>251 に反論してみてよ。 >>284 >それと同様に、 >0.99999……は決して1にはならない(笑 単純素朴に考えたときに「1にならない」と勘違いしてしまう理由は、 >>251 の(A)が原因なの。でも、(A)は間違っていることを >>251 で既に指摘したでしょ。 だから、それでもなお「決して1にならない」というのなら、 >>251 の(A)のような理由づけとは本質的に全く異なる理由を 書かなければならないんだよ。