0001神々廻 ★
2018/10/24(水) 22:05:51.23ID:CAP_USER9ブッチャーは馬場さんのライバルだった。2001年に東京ドームで開催された『ジャイアント馬場三回忌興行』ではジャイアント・キマラとタッグを組み、テリー・ファンク&大仁田厚と対戦。試合後には「ブッチャー、バーバー、ブッチャー、バーバー」と叫び馬場さんを偲んだ経緯もある。運営サイドは今大会に『アブドーラ・ザ・ブッチャー引退記念〜さらば呪術師〜』というタイトルを付け加えた。
ブッチャーは2011年にWWE殿堂入りも果たしており、アメリカやカナダ、プエルトリコなど、日本以外にもゆかりの国はたくさんある。ブッチャーは日本を引退の地に決めた理由について「来年2月にミスター馬場のメモリアルショーをやるから来日してほしいという要請を受け、ぜひ参加したいと返事をした。それと同時に、あと何度、自分が大好きな日本に行けるのかという事も考えてしまった」という。
「それは、長年アブドーラ・ザ・ブッチャーというレスラーをサポートしてくれた日本のファンに、感謝の言葉を直接伝える機会が何度このあとやってくるのか、ということだ。このビジネスを始めて57年。日本に初めて行ってから48年。そろそろコスチュームとフォークを置いて、リタイヤする時が今回のタイミングなのでは、と思ったのだ。来年2月、また日本に行けるのなら、アメリカでもカナダでも行っていない、アブドーラ・ザ・ブッチャーの引退セレモニーを行う機会を与えてほしいと、実行委員会、馬場ファミリーに伝え、了承してもらった」と経緯を明かしてくれた。
「もう試合はできないし、ミスター馬場を追悼する大会だというのは、もちろん理解しているが、日本のファンに心を込めた感謝のメッセージを送りたいという気持ちも理解してもらいたい」と呼びかけている。
ブッチャーは過去の対戦も振り返った。「1970年の真夏に日本へ初めて行き、ミスター馬場と大きなスタジアムで初めてシングルマッチをやったことを、今でも昨日のことのように思い出すよ」とポツリ。
「ミスター馬場とはそれから20年以上にわたり、日本中どころか、シカゴやプエルトリコでも闘い、暴れすぎてミセス馬場には何度も怒られたな。ジャイアント馬場と一番血を流しあって闘ったのが俺なのは間違いない。それも500試合以上。詳しい数なんて覚えていない」という。
「だが、ミスター馬場は俺にとって最強の敵ジャイアント馬場であり、最高に信頼できるプロモーターであった。馬場夫妻にとっても、アブドーラ・ザ・ブッチャーという存在は、最高のドル箱レスラーだったはずだ。いつかあの世でミスター馬場と再会したら、2人で試合して、試合後は最高級キューバ産葉巻をくわえながら、昔話をしたいもんだ。でも俺はまだまだこっちの世界で人生をエンジョイするつもりなので、あの世でトレーニングを続け、待っていてくれと伝えたい」と馬場との思い出を振り返っている。
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