AERA2021.1.11 08:02
https://dot.asahi.com/dot/2021010600082.html
いまや、国内のみならず世界中のファンからも愛される作品となった「ドラゴンクエスト」シリーズ。その生みの親である堀井雄二さん(67)に、同作のルーツや創作の秘密、今後の「ドラゴンクエスト」について聞いた。
――2020年は堀井さんが生み出した傑作のひとつ、ファミコン版「ポートピア連続殺人事件」の35周年となる節目の年でした。
けっこう時間がたちましたね。もともとは1983年にパソコンで発売されたゲームで、85年にファミコンに移植されました。「ドラゴンクエスト」のようにシリーズ化はされていませんが、不思議と、それほど時間がたったように感じません。
――86年、その「ドラゴンクエスト」が発売され、「国民的RPG」と呼ばれるほど人気のゲームになりました。
80年代前半はプレーヤーが行動を選択して物語が進んでいくアドベンチャーゲームがはやっていました。でも謎解きに詰まってしまうとプレーヤーのやることがなくなっちゃうんです。その点、RPGならレベル上げで遊べる。ただ当時「ウィザードリィ」(81年)のようなRPGはありましたが、自由度が高い分、何をしていいのかわからない人も多かった。そこで、シナリオを作ることでレールを引いてあげれば、とっつきやすくなるんじゃないかと考えたんです。83年に発売されたファミコンは、ゲームセンターでやるようなゲームを家で遊べるという点で画期的でした。「もしファミコンでRPGを遊べたら、きっと皆がハマるんじゃないか?」と思い、それでファミコンの世界でRPGを表現しようと決めて、エニックスに打診したんです。
――「ドラゴンクエスト」シリーズには、職業選択や結婚イベントなど、これまでのゲームにはなかったような画期的なアイデアがふんだんに盛り込まれていました。こうした発想はどのように生まれたものなのでしょうか?
僕は昔から妄想癖があるんです(笑)。無人島に一人で行ってみたり、タイムスリップしたり。いろんなことを想像するのが好きなんです。いまでこそ分業化が進み、人に任せることも増えてきましたが、昔はシナリオだけでなく、モンスターやお店の売り物、値段なんかも全部自分で決めていたんです。ビルの建設に例えると、ねじの一本一本の太さまで自分で考えていました。自分自身もゲーマーなので、そうしたことを考えたり決めたりするのが楽しくて仕方がないんです。子どものころから「次はどんなことをしてみんなを驚かせようか」なんてことばかりを考えていました。あとは父親が発明好きだったことも影響しているかもしれません。いわゆる「町の発明家」で、お金にならないものを作っていて、実際に作ったものが家にあって、家族で笑っていたのを覚えています。
――「ドラゴンクエスト」が国内外を問わず人気のゲームになったことを、どのように振り返られますか?
人間にとって一番の娯楽は、別の人生を経験することだと思います。ゲームに限らず小説も映画もそう。主人公に感情移入して、今にない自分を体験する。ドラクエは、いつまでもそうした娯楽を提供するゲームでありたいと思っています。初めの三部作は社会現象になるほど話題になり、作品が独り歩きしている感じで、「それを自分が作ったんだ」という実感はあまりなかったんです。取材に来る方も年上の人ばかりで「とんでもないもの作ったな」って。
――誰もが聞きたい質問だと思いますが、今後の「ドラゴンクエスト」はどのようになっていくのでしょうか?
秘密です(笑)。ゲーム機がどうなっているのかにもよりますし、もしかしたら将来、部屋にいながら「ドラゴンクエスト」の世界がそこにあるといったように、VRで楽しめる日が来るかもしれません。あとは、仲間キャラの性格や会話にAIのシステムを取り入れられたら面白いなとも考えています。一緒に冒険する仲間がAIで、どんどん育っていって、話し相手になってくれたらいいですね。今後もドラゴンクエストという名前で、新しくて刺激的な遊びを提供していきたいです。
――ゲームに限らず、今後、堀井さんが実現させようと考えている「驚き」を教えてください。
いつか現実世界で、「勇者の墓」を作りたいと思っています(笑)。核家族化が進んで「墓を作ってもしょうがない」って言う人もけっこういるので、みんなが勇者として、そのお墓に入れるようにしたい。そこは「お墓+データベース」になっていて、お墓に自分が生きてきた記憶をしまっておけるんです。訪れた人に、自分が用意していたデータをみせることで、「この人はこういう人生をおくったんだ」と知ってもらうことができる。たとえばひいじいちゃんが勇者として映像で語り掛けてきたら「おお!」ってなりますよね。もちろん、僕も入りますよ!
(長文のため一部抜粋)
https://dot.asahi.com/dot/2021010600082.html
いまや、国内のみならず世界中のファンからも愛される作品となった「ドラゴンクエスト」シリーズ。その生みの親である堀井雄二さん(67)に、同作のルーツや創作の秘密、今後の「ドラゴンクエスト」について聞いた。
――2020年は堀井さんが生み出した傑作のひとつ、ファミコン版「ポートピア連続殺人事件」の35周年となる節目の年でした。
けっこう時間がたちましたね。もともとは1983年にパソコンで発売されたゲームで、85年にファミコンに移植されました。「ドラゴンクエスト」のようにシリーズ化はされていませんが、不思議と、それほど時間がたったように感じません。
――86年、その「ドラゴンクエスト」が発売され、「国民的RPG」と呼ばれるほど人気のゲームになりました。
80年代前半はプレーヤーが行動を選択して物語が進んでいくアドベンチャーゲームがはやっていました。でも謎解きに詰まってしまうとプレーヤーのやることがなくなっちゃうんです。その点、RPGならレベル上げで遊べる。ただ当時「ウィザードリィ」(81年)のようなRPGはありましたが、自由度が高い分、何をしていいのかわからない人も多かった。そこで、シナリオを作ることでレールを引いてあげれば、とっつきやすくなるんじゃないかと考えたんです。83年に発売されたファミコンは、ゲームセンターでやるようなゲームを家で遊べるという点で画期的でした。「もしファミコンでRPGを遊べたら、きっと皆がハマるんじゃないか?」と思い、それでファミコンの世界でRPGを表現しようと決めて、エニックスに打診したんです。
――「ドラゴンクエスト」シリーズには、職業選択や結婚イベントなど、これまでのゲームにはなかったような画期的なアイデアがふんだんに盛り込まれていました。こうした発想はどのように生まれたものなのでしょうか?
僕は昔から妄想癖があるんです(笑)。無人島に一人で行ってみたり、タイムスリップしたり。いろんなことを想像するのが好きなんです。いまでこそ分業化が進み、人に任せることも増えてきましたが、昔はシナリオだけでなく、モンスターやお店の売り物、値段なんかも全部自分で決めていたんです。ビルの建設に例えると、ねじの一本一本の太さまで自分で考えていました。自分自身もゲーマーなので、そうしたことを考えたり決めたりするのが楽しくて仕方がないんです。子どものころから「次はどんなことをしてみんなを驚かせようか」なんてことばかりを考えていました。あとは父親が発明好きだったことも影響しているかもしれません。いわゆる「町の発明家」で、お金にならないものを作っていて、実際に作ったものが家にあって、家族で笑っていたのを覚えています。
――「ドラゴンクエスト」が国内外を問わず人気のゲームになったことを、どのように振り返られますか?
人間にとって一番の娯楽は、別の人生を経験することだと思います。ゲームに限らず小説も映画もそう。主人公に感情移入して、今にない自分を体験する。ドラクエは、いつまでもそうした娯楽を提供するゲームでありたいと思っています。初めの三部作は社会現象になるほど話題になり、作品が独り歩きしている感じで、「それを自分が作ったんだ」という実感はあまりなかったんです。取材に来る方も年上の人ばかりで「とんでもないもの作ったな」って。
――誰もが聞きたい質問だと思いますが、今後の「ドラゴンクエスト」はどのようになっていくのでしょうか?
秘密です(笑)。ゲーム機がどうなっているのかにもよりますし、もしかしたら将来、部屋にいながら「ドラゴンクエスト」の世界がそこにあるといったように、VRで楽しめる日が来るかもしれません。あとは、仲間キャラの性格や会話にAIのシステムを取り入れられたら面白いなとも考えています。一緒に冒険する仲間がAIで、どんどん育っていって、話し相手になってくれたらいいですね。今後もドラゴンクエストという名前で、新しくて刺激的な遊びを提供していきたいです。
――ゲームに限らず、今後、堀井さんが実現させようと考えている「驚き」を教えてください。
いつか現実世界で、「勇者の墓」を作りたいと思っています(笑)。核家族化が進んで「墓を作ってもしょうがない」って言う人もけっこういるので、みんなが勇者として、そのお墓に入れるようにしたい。そこは「お墓+データベース」になっていて、お墓に自分が生きてきた記憶をしまっておけるんです。訪れた人に、自分が用意していたデータをみせることで、「この人はこういう人生をおくったんだ」と知ってもらうことができる。たとえばひいじいちゃんが勇者として映像で語り掛けてきたら「おお!」ってなりますよね。もちろん、僕も入りますよ!
(長文のため一部抜粋)