「確かに、モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。涙のうちに玩弄(がんろう)するには美しすぎる」
などと、スタンダアル(スタンダール=フランスの作家「赤と黒」などで知られる)によるモーツァルトの「定義」をもとに書かれたものを読んでも
モーツァルトをきちんと聞いたこともない人間にはわかるはずもない。
小林といえば、文芸評論家としては、大家中の大家だ。
1929年に「様々なる意匠」で「改造」の懸賞評論に二席入選したあと、「私小説論」や「ドストエフスキーの生活」など を刊行し、戦中は古典をさぐって「当麻」、「実朝」などを書いた。
戦後は音楽や美術などに対象をひろげてゆくが、終戦の翌年に書いたのが、「モオツァルト」なのである。
音楽担当記者は、この一節をどう読むのか。「よくわかりますね。わたしも、これと似たフレーズを自分の記事で使ったことがあります」という。
とりあえず、専門家には理解できる文章らしい。 なるほど、交響曲第40番などを聞くと、わからないではないが…。
しかし、この文章は不親切すぎやしないだろうか。疾走しているのはモオツァルトではなく、小林自身ではないか、と苦笑するほどに。
若いころは人間、努力をするものである。学生や社会人になってしばらくは、難解な小林を理解したい、と彼の著作を手に取った。
「考えるヒント」がとっつきやすかろう、とそこからスタートした。 読んでいくうち、次第に小林と和解していく自分に気付いた。
「井伏君の『貸間あり』」のなかに、こうある。
「私の書くものは、勢い、印象批評、主観批評の部類とされていたが、其後、私は、自分の批評の方法を、一度も修正しようと思ったことはない」 そういうことなのだ。
彼は、自分の「好悪」を突き詰めて考え、その思考の足跡を文章にした。個人的な事柄であっても、「小林秀雄」が通った跡であれば、そこに道ができる。
そして、詩人のような、ときに繊細でときに豪胆な感性でつむぎだした「殺し文句」を、作品のなかにちりばめた。
弦楽五重奏第4番を聴いて彼が伝えようとした疾走するモオツァルトのかなしさは、そのひとつだったのである。
小林の本は不断に考えることの尊さと、文章の力の強さというものを、いつも教えてくれる。
考えていくうちに小林を恨んだ自分のバカさ加減もよくわかった。難解な文章を書いた小林が悪いのではない。彼は、この文章が受験に使われるなどということをきっと 想定すらしてなかっただろう。
つまり、小林の文章は、人を選ぶということだ。彼の文章は、小説なら読め、絵なら見ろ、陶磁器なら持て、音楽なら聴け、ということを訴えている。
その実践を経たものが、はじめて読む資格を得る。
そういうことなのである。
以来、陶磁器も鉄斎もゴッホも、小林秀雄から学んだ。カネも使ったが…。
最近、新潮文庫から出た「この人を見よ」は、小林の周辺にいて多かれ少なかれ彼から影響を受けた人たちの人物評である。
そそっかしくて忘れ物ばかりしている、だとか、飲んだら鋭い舌鋒(ぜっぽう)で議論をふっかけ、相手が泣くまでたたみかける、だとか、
そこには「人間」としての魅
ぜんぶんはそーす
http://www.sankei.com/west/news/150116/wst1501160009-n1.html