
金賢姫が見た金正恩「彼は弱いから虚勢を張る」
大韓航空機爆破事件から30年。祖国への思いを明かした。
2017年11月、大韓航空機爆破事件(KAL機事件)発生から30年の節目を迎えた。55歳となった金賢姫元死刑囚は、今何を思うのか。
当時から事件の取材を続けてきた黒田勝弘・産経新聞ソウル駐在客員論説委員が迫った。(「文藝春秋」2017年12月号)
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金 ご無沙汰しております。今日は、懐かしい写真を2枚持ってきました(と言ってバッグから取り出す)。
黒田 これは懐かしい(写真裏の日付は1990年6月20日)。金さんが事件から3年後、はじめて外国人記者団に向けて記者会見を行った日に撮影された写真ですね。
こちらはマイクに向かって喋っている金さん。もう1枚のほうは、人差し指を立てて質問している私が写っていますね。あの日、「
あなたは日本語が上手だと聞いているが、次の質問は日本語で答えてほしい」と私が韓国語でお願いすると、金さんは「あのォ」「それでですね」などと、実に自然でこなれた日本語を披露されました。
金 いやあ……そうでしたかねえ。
黒田 あの事件から今年(2017年)11月がちょうど30年ということで今回はインタビューを御願いしましたが、韓国語、日本語、どちらでやるかを事前にお尋ねしたところ「日本語でやりたい」と言っていただきました。
相変らずお上手ですが、今も日本語の勉強はなさっているのですか。
金 いいえ。日本語を聞く機会は普段ありませんから、単語などは結構忘れちゃっていて。勉強というほどではありませんが、日本語の本を読むことはあります。村上春樹さんの小説は好きですね。
30年は本当に長かったです
黒田 しかし、こうして写真を見ると、金さんは当時、ふっくらとした顔でしたね。それが最近は、お痩せになったように見えます。これまで大変な気苦労やストレスがあったせいではないかと心配です。
金 大丈夫です。私は元々、太りにくい体質なのです。でも、ストレスがなかったと言えば、嘘になるかもしれません。
黒田 30年という歳月は、長かったですか。それとも、あっという間でしたか。
金 本当に長かったです。振り返れば、辛い出来事ばかりでしたから。かつての私は、自分が「革命戦士」だと信じていました。祖国を統一するため、テロの正当性を疑ったことはなかった。
しかし、実際は、無辜の人々の命を奪ってしまっただけでした。その事実が消えることは決してありません。あの事件は一生背負っていかなければならない十字架だと思っています。
http://bunshun.jp/articles/-/6805?page=1