産経新聞社は8日、FNN(フジニュースネットワーク)と合同で実施した電話による情勢調査(6、7日)に全国総支局の取材を加味し、
21日投開票の参院選の中盤情勢を探った。
選挙区では、自民が39議席前後を獲得する見通しだ。
自民、公明両党の獲得議席数は過半数を獲得する勢いだ
ただ自公に日本維新の会などを加えた発議に必要な3分の2(164議席)を割り込む可能性がある。
一方、野党5党派による統一候補は秋田や沖縄など6選挙区で自民候補をリード。
宮城、山形、滋賀など7選挙区では自民と野党統一候補が接戦を展開している。
公明は6選挙区で当選が見込め、最重点区とする兵庫で激戦を展開している。
比例は前回の28年参院選と同じ7議席を獲得する見込みだ。
野党は立憲民主党が改選9議席から倍以上の議席を獲得するとみられ、非改選と合わせ引き続き参院で野党第一党を維持するのは確実。
共産党は改選の8議席、維新も改選の7議席の確保がそれぞれ見込まれる。
国民民主党は5議席前後にとどまり、改選8議席の確保は困難な情勢だ。
社民党は昭和30年に結党した前身の旧社会党時代も含め国政選挙で初めて議席が獲得できない可能性がある。
ただ、投票先を決めていないとの回答が約2割あり、投開票日までに流動的な要素もある。
https://www.sankei.com/politics/news/190708/plt1907080019-n1.html 自民杉田水脈さん「LGBTは生産性がない」
段落ごとに端的にまとめると
LGBTが生きづらいのは「社会的な差別よりも親の無理解」。親が無理解なのはLGBTカップルが子供を産まないから。
LGBTは「生きづらい」というが世の中そもそも生きづらいものだ。
行政が動くというのは税金を使うということだ。子供を作らないLGBTは「生産性」が無いから理解が得られない。
http://agora-web.jp/archives/2036252.html やっぱ自民はヒダリハーに比べて素晴らしい
以上
マグナでした
あ、てことは
子供を作らないPちょんも生産性がないから
税金使ったらいけないね、('◇')ゞ
やっぱヒダリハーと違って
ホシューとかミギハーはね
そんな個人より
国とか生産性を大事にするわけよ
私はそう思うでつる。
そもそもヒダリハーというのはでつる
そーいえば岩崎とか吉沢とか
ニートの事件最近あったじゃない
私思うでつるよー
ちゃんと就職しなきゃ
アフィとかネット収入だけじゃ
親死んだらどうするでつるって
今までは
小説載せたり政治のニュースで
バズってアクセス稼いで
これだからヒダリハーってはしゃいで小銭もらって
呑気にしてたけど
こんなんじゃ親死んだらもたないでつるよお
岩崎はずっとニートで
叔母さんから手紙もらったんだと
「あんた私たち死んだらどうするの!資産なんて残せないからねちゃんと考えてるの」
それで岩崎は叔父さんも病気になって倒れ
現実見て
あの様な犯行して自殺したでつる
また事務次官の息子吉沢は
ドラクエ10やってまるで私みたいに
ヒダリハーをバカにしてはしゃいで
ソーシャルジャスティスして悦に入って現実逃避していたら
親に刺されたでつる
時代が 野崎歓に 追いついてきた ということではないだろうか。
千葉雅也 「デッドライン」
彼の論文は九鬼周造の偶然性と掛詞研究の分析を読んで非常に面白かった
「いき」とは存在の浮気であり、二元の事物の衝突である偶然の偶然性を諦めと言う媚態を呈してスコラ的に構築する九鬼は千葉雅也にとって面白い補助線である
思想的実在論の紹介者でもあり、その批判的視座を含めて熱心に紹介をしている
小説としては内容は衝撃的な仮面の告白であり、読みごたえはあった
マルセル・モースの贈与論の(失われた)可能性、荘子における「近い」と「近さ」の関係についての修士論文がドゥルーズに変貌していくキャンパス・ノベルでもある
参考文献はミル・プラトー、贈与論、中島隆博「鶏になって時を告げよ」
この小説の舞台は最初の論文の書き上げるまで、フランスに留学する前の時代であり、作者(○○)は思想的実在論に出逢っていない
「動きすぎてはいけない」の線を飛び越えた時には戻ろうとしてはいけない、という思想はまだこの主人公にはない
この主人公は飛び越えるべき線(デッドライン)に同一化しようとしている
荘子の言う通り、線になる、自分と線に区別があるはずなのに、動物に/対象になる
意味論的接続に取りつかれた○○ではない、まだまだモースやドゥルーズや荘子は交換可能なカセットとして○○に装着されて、そして接着され始めている
(スタートを切る選択は無根拠で、学科長のテーマの強制さえ否定はできない、おそらく)
思想的実在論(メイヤスー)の最重要な点として彼がよく上げる「現実の全ての法則は偶然であり、こうでないことがありうる」という根底的な理由の不在は、「現実にある構造を絶対的根拠がないからこそ維持しなくてはならない」という高い代償と引き換えに得られるものである
世界は<恋愛・結婚的に安定している>のではなく、異なるありかたをしても良かった(主人公は恋人と言う関係を拒否する)が、ラディカルな無根拠性は無限の可能性を生みはしない
こうでなくてもよいが、こうなってしまっていることの孤立的な肯定の加算が世界である
この自分ではどうしようもない環境の変化は一つには性の問題、そして突然破産する実家の問題として現れる
小説で大きな役割を果たし、実際の恩師でもある中国哲学とデリダを研究する「中島先生」は学問の継続を不可能にする苦境に対し水平的支援を差し伸べる
ちょうど、大学の奨学金制度が緩和され、非常に取りやすくなったまさにその時期であったと記憶する(それ以前はある程度裕福な学生に奨学金は縁のないものだった)
ハイデガーの根源的不安でない、コミュニケーションとしての二次的な「会話(あるいは無駄話)」の重要性が、貫かれている
根源的な不安に向き合うことを垂直的な精神分析的治療とするならば、認知行動療法やメンタルヘルスは水平的な弥縫的治療であり、「分裂症の20世紀」から「自閉症・アスペルガー・人格障害の21世紀」の(商業的・政治的)解決である
(帰省した際の、本屋の息子の高校でのエピソードはこの変化を刻印した断片であり、そこにはおしゃべり(Gerede)の効用がある)
垂直的な病因・原因論を離れ、水平的な存在の無根拠性を踏まえたが故の「いき」「因果関係の隠蔽」は作者が九鬼・思想的実在論に魅かれた理由であるだろう
読み応えの十分にある作品に苦言を呈するならば、千葉雅也の作品として彼のこれまで語ってきた文学論の数々に反する要素が多いように思う
いとうせいこうと意味論的接続過剰とヒュームの不安について語り、阿部和重に「連続する物語でなく、詩的な原ー経験」とパスティーシュ性について語った著者において、この作品はあまりにも「人間的」「物語的」であり、失礼ながら「紋切型」的である
大学院での講義、スピノザ研究会、ドトールでジャーマンドックだけで哲学書の砦を築く論文執筆、そして奨学金の申請に至る経済的危機
すべて「どこかでみたことのある」風景であり、複数の物語に切り分けられて物語の要素同士の多孔性の通路が乏しい
自分の経験(最高府の大学院、同窓会、経済的変化、そして性)という強力な物語の統合・駆動装置によって小説が作動しており、最も衝撃的な暴露である「物語」についても失礼ながら「どこかで既に読んだような」描写であり、文体の特異性は乏しく思った
(作者は自覚的に、テーマと文体の重要性についても触れているからこそ)
(パートナーと婉曲的に呼ぶ友人への思いなど、もちろん)
作中に、偶然について問われて「哲学に親しんでいない人に語ることは不可能に近い」という個所がある
これこそ九鬼周造の時間・偶然論、そしてメイヤスーに出逢って思索を深めていくだろう問題である(「いき」でない「野暮」を突きつけられる断片は非常に良かった)
この小説はある切断線に同一化しようと試みた処女作であり、線を越えた後の千葉雅也、偶然性や思想的実在論に接近した後の小説が読みたいと強く思わされた
読み応えがあり、読書として大変楽しんだし、メイヤスーや荘子、ドゥルーズを読み直したいという欲求をつけてくれる作品だった
読者を引き付けるであろうテーマについては、「社会構築主義」と「本質主義」の対立を調停しうるものとしての「新しい実在論」を思わせ、それは攻撃を受けやすい実在論肯定の可能性・効用を示すものだと思う
こういう作家は時々出てきてほしい
続編を、書き続けてくれることを願う
セクシャルな、問題において
ハイデガーによれば「平均的日常」における人間存在は既に「頽落」している
それをハイデガーは、@「空談」、A「好奇心」、B「曖昧性」とする
あくまで、利他性において他者とつながろうとする前提において、カムアウトに対する反応は全面的理解・原因探求(精神分析!)は違うのではないか
ハイデガーの日常性に回帰すること、むしろ空談・好奇心・曖昧性(ただし利他性の限りにおいて)
天空の絵描きたちを読了
欄外に早稲田文学の広告があり、abさんご掲載号と同じ月だったことが分かる
2012年、震災の翌年に書かれた小説で、舞台も2012年2月から2012年8月下旬までを扱っているが震災は少なくとも直接には登場しない
回想では高層ビルの窓拭きの職に就くきっかけとなる2011年7月も触れられるが、小説が対象とするのは窓拭きの仕事について1月ほどたった2012年2月、更に3月のある日、休日、時間が飛んで7月初旬、7月下旬、8月下旬のほぼ6日の出来事がメインとなる
デフレの進行する中で、受注を半額程度で請け合い、ガラス屋たちは拙速を強いられており、不満が溜まっている
主人公は25才になったばかりの女性で、数年勤めたデザイン会社でやり甲斐のない残業に疲れ果てたある日に突然空からロープを伝って着地する男を目にしてガラス拭きという仕事に魅せられ、半年後には50年間事故を起こしたことのない清掃会社に入社する
つなぎとすっぴんで電車に乗り、下ネタが繰り出される現場にすこしずつ順応していくが、主人公のようにロープによる窓拭きに魅せられて就職した女性は意外と多く、実に半数近い女性の窓拭きが登場する
屋上の鉄骨にロープを結び付けてそれだけで体を投げ出すという余りにも単純なアナログな作業を、同僚は下からはつねに見られていて「死のチラリズム」を提供している、とおどけて見せる
一方で常に上の方から、歩道に一滴でも水滴が落ちないように「想像力」で上から見ることが必要なのだ、と職人の誇りを語る
個性的なベテランの窓拭きたちは、経費節約、人数節約のため十分な時間をかけてガラスを磨き上げられないことに不満を持っている
3月の休日には2年前に付き合いはじめた恋人に「女の手ではない」と言われ、また将来についての「正確過ぎる指摘」を受け別れることを決意する
主人公は窓拭きを他にやることがないからやっているだけで、「自分の未来を殺している」無駄な仕事と言われ、反論しようとする
しかし窓ガラスを磨き上げることは、内側で働いている人々にとって風景という「絵」を提供することだ、という「天空の絵描きたち」の誇りも、こんな仕事辞めたい、とこぼす同僚たちもいる現実のまえに言い返すことはできない
元恋人は後に突然酔っ払って電話をかけてきて、その危険で無駄な仕事をしている主人公はいい方向に変わった、と漏らすのだが
それでも「クマさん」と言われる46才のベテラン職人は腐ることを許さず、また仕事への誇りを持つことを熱弁し、やる気のない同僚をも仲間として包容することを語り、主人公は妻子のいる彼に惹かれていく
彼に辛抱強く仕事を教えられている、「ネジタリン」と呼ばれる20才の要領の悪い青年は窓拭きを空中のスケートみたいと話し、これは人間だけが出来る「猫のしない仕事」と形容する
どこか情けないセクハラをする「クマさん」への思慕が報われそうになった途端に、他の現場で補助ロープが劣化のためちぎれ、転落死したことが知らされる
清掃会社の幹部は設備の新調を渋り続けたことを棚上げにして個人の責任を強調して事業を継続することを表明し、同僚たちの士気は更に低下する
仕事を続けていくべきか迷いつづける主人公は一月以上経って、事故の起こったビルで、再開されることになった窓拭きの現場に参加する
同僚の死んだ現場で、もとから高圧的だった責任者が半ば捨て鉢になって主人公たちと対立しかけるが、彼が突然「俺も怖くてたまらない」という弱音を漏らす
主人公たちはその弱音を受け止め、「クマさん」のように彼ともまた仲間として協力することを宣言し、主人公は「やりたいことをすでに見つけた」と思う
窓拭きたちが一斉にビルから降下していくその光景は、恩人の死を目撃してしまって窓拭きを辞めた「ネジタリン」のが下から見上げる視点に移り、窓拭きたちが転げ落ちていく水滴に過ぎないかのように思われた、という不吉なイメージを残して小説は終わる
あー、その元ネタか!読みたいので感想読まんどく(笑)
漫画なら清田聡の「染盛はまだか」という先行作品があります
社長が40代団塊(90年代当時)で主人公が20代の元バンドマンという設定
内容は横行する単価切りや同業者の転落事故、作業後の飲み会
嫌な元請管理者との衝突、彼女とのgdgdな日常、
薬中の社会不適応者である同僚のことなど
そーいや保守速報読んだんだが
朝鮮人の遺伝子つうのは劣等性だから
精神病になりやすいんだと
保守速報に書いてあった
でてけ!でてけ!ゴミチョンは日本からでてけ
劣等遺伝子精神病
チョンの証拠だでてけ!
おまえの目つきはチョンそっくり
でてけ
ゴミチョンは朝鮮学校なら卒業できたかもな
日本の学校はレベル高くて中退したんだ
あ、ギャハハ
焦点人物は25歳の女性であるが、3か所で別の人物に焦点が移る
細部を積み重ねていくことで窓拭き業務における特殊用語を説明していく
不況で経費削減のあおりを受けて新入社員の指導教育も十分ではない
主人公は「女性であること」「熱心であること」から指導を受けているが、他の現場では指導は受けられなかったかもしれないと触れられる
半年早く入社した「ネジタリン」はかろうじて「くまさん」をはじめとするチームで「下から水滴など落ちていないか見張る役」を与えられているが、露骨に排除する社員も多い
「クマさん」「ネジタリン」との三人の酒の席で、「ネジタリン」への罵倒は度が過ぎる、度を越した叱責で体が動かなくなって危険だ、という主人公は、つい「むしろ自分が死ねばいいのに」と言ってしまう
「くまさん」は総じて窓拭きに対して情熱を持ち、「せっかく人がいつ死ぬかわからない、いつ死んでもおかしくない仕事についているのだから、死ねと言ってはいけない」と諭す
感銘を受ける主人公に対し、「お前らみんな死ぬんだから仲よくしろよ、どうせ忘れられるぞ」と自分の発言を露悪的に表現する
主人公が教育を受けていくのは窓拭きの心得だけでなく、むしろ「どのように教育を教えられていくか」「仕事のできないものを教育していくか」という態度、あるいは理念を身に着けていく
しかし、そもそも大量受注をする会社の方針では「できないもの」を切り捨てるのが支配的で、「人が死ぬことは偶然のヒューマンエラー」でしかない
「彼の死を忘れるなという会社のお題目とは裏腹に、人間の「クマさん」的な尊厳が失われている「人が死なないことが当たり前」な日常に回帰していく
主人公の事故現場への参加は「人が死ぬ世界」を取り戻すための通過儀礼であり、それが小説の冒頭に置かれている
この冒頭の2ページはすでに「クマさん」の死んだ後の描写であり、得体のしれない緊張感に満ちている
そこには登場しない「排除する男」は突如「死ぬことへの恐怖」を吐露する
責任者と言う肩書とわずかの手当だけでだけで、「人の生死なんて責任が取れない」
「ネジタリン」を排除し、できない人間を排除していた男は「仲間であるから安全のためにもあなたも参加しなくてはならない」と自らの離脱を引き留められる
ここには「人が死ぬことが起こりうる」世界の連帯があり、主人公はもう一人の「クマさん」的な理想を受け継ごうとする職人と共に窓拭きと言う仕事を続けていくことを(熱に浮かされたように) 誓う
それは家族からも認められず、会社からも忘れられようとする「クマさん」に同一化して生き直させるさせる人間性の再生の試みだろう
しかし、「死を思い出させる仕事」にも対価は発生し、しかもその給料はベテランになっても非常に安い
「死への恐怖」という共通点で団結し、排除の論理を乗り越えた主人公たちとは別の視点が「ネジタリン」によって相対化される
窓拭きと言う仕事を誰よりも愛していた「ネジタリン」は死への恐怖を突きつけられて仕事を辞める
その彼にとって、死によって団結した主人公たちがビルの屋上から身を躍らせていくさまは永遠という湖に落下していく水滴のようだ、と表現する
街路樹の前で吐き気を及ぼし、「みんな、逃げてくれ」という
震災について触れた2018年8月の「新潮」の「生きものとして狂うこと 震災後七年の個人的な報告」でも、作者はこの小説に触れていない
ある意味、「お前らみんな死ぬんだから仲よくしろよ、どうせ忘れられる」ことを正統に受け継いだからと言って、労働条件は改善はしない
「クマさん」的な理想で丸く収めるようでありながら、その外部に出た「ネジタリン」の視点は、まぎれもなく震災後の小説だと思う
古市憲寿の小説には、この小説のいくつかのテーマ・細部に対する明確なずらし(脱動機化・動機化)が存在している
直接模倣・再現したような描写はほとんど神経質なまでになく、明確な逸脱・デフォルマント・変形を施している
おまえは気持ちで負けてんだよ
本気で寛解する気がないから
寛解できないんだよ
今は統失はいい薬がたくさんでてんだから
いつまでも寛解できないやつは
おまえの努力不足なんだわ
「天空の絵描きたち」は「人が死なない事になっている世界」に人の死を取り戻す試みに身を投じることで幕を閉じる
一方で「百の夜を越えて」はこうはじまる
そこで生まれてはいけないし、死んではいけない。そんな島があるって知ってるか。
死ぬのが禁止されている島で死ぬって何だか格好良くないか。いや、勘違いするなよ。自殺願望なんて、俺はこれっぽっちもないからな。というか死ぬわけにはいかないんだ。親の病気のこと話したことあったっけ。
たださ、死ぬってことは、この仕事やってる人間なら誰でも考えるだろう。死にたくねえな、でもいつ死んでもいいなって。俺たちはぎりぎりの場所に立っている。
このガラスの向こう側は絶対に死にそうもないやつばかりで、たった1センチこっちはいつ死んでもおかしくない。格差ってのは上と下にだけあるんじゃない。同じ高さにもあるんだ。
窓拭きという状況だけでなく、そのテーマも「人が死ぬことのある世界」「人が死なないことになっている世界」に「死ぬことが許されていないけれどもいつでも死ねる世界」を対置して小説を始める
これはテーマを生のままに引き写しただけか?といえば、不気味な変形を加えられていることに気付かざるを得ない
最初から死んだ同僚に憑りつかれている主人公たち
同じく突然清掃の仕事に飛び込み、入社半年程度で同僚が転落死した二人
一方は窓拭きという仕事に意味を見出だし、一方は見出さない
なぜ危険でブラックで賃金の安い仕事を辞めないのか?
「天空」では過剰動機化の前提として「クマさん」個人の魅力があり、疲れ果てた日常に空から飛び降りてきた忍者のような男と同一視されて、窓拭きという仕事自体が聖化される
脱動機化demotivation
「百の夜」の主人公は同僚が死んだとしても、職業倫理を呼び覚ましはしないし、むしろ同僚の死をきっかけに恐怖を失い、その理由は説明されない。
さらに、「安い」「休まず働いて新卒の年収と大して変わらない」と触れられた給料は具体化されてこうなる
手取りで18万5000円、家賃が5万5000円、奨学金の返済が14270円、交通費が、保険費が、PCのネット代が、ケータイの契約料金が、スマホの本体価格が、、、と列挙され貯金に回せるのは3万円だという
このおそらく二百万円を越す借金を抱えた主人公は、にもかかわらず悪くない、幸福に生きていくためには十分だ、と独白する
死の恐怖は失われ、給料の安さにも満足している主人公には、「危険で安い仕事だからこその徹底した職業倫理」など生まれようはずもない
「天空の絵描きたち」が細部のリアリティを積み重ねて「職業倫理」という理想を身体に刻み込む形成小説Bildungsromanであるのに対し、「百の夜」では最初から職業倫理など脱動機化されている
冒頭、いきなり主人公の同僚はゴンドラの中でたばこを吸い、主人公一人が窓を拭いている
ここには職業倫理も安全への意識も失われている
職業倫理を身に着けることのなかった主人公は、あっさりと「バイトテロ」まがいの行為に身を委ねる
「天空の絵描きたち」で一度だけ描写された、窓ガラスの向こうでは、会議室はびっくりして主人公のミスを目撃し、笑ってすぐにブラインドを下す
この一瞬の窓ガラスの内側を、「百の夜」では拡大し、膨張させ、さらに主人公は盗撮して他人に売り飛ばす(視線を金に換える)
18万5000円で満足していても、お金が欲しくないわけではないし、社会に不満がないわけではない
報酬の200万円は窓拭きの年収に相当し、犯罪(職業倫理)を踏み越えるのに十分な報酬
反転化
小説の冒頭で主人公たちに憑りついている「クマさん」と「あの人」は主人公が入社して半年で転落して死ぬ(クマさんの死んだ日は7月下旬で、「あの人」が死んだのは7/20)
主人公は「クマさん」に体を貸して生きなおさせるのに対し、「あの人」は勝手に憑りついてきて、「人が死んではいけない世界について」延々つぶやき続ける
主人公に憑りついて「人が死ぬ世界を取り戻させる」「クマさん」はしゃべらない
天空の絵描きという、窓の内側から見える風景に対して、百の夜では逆に外から内側を窃視する
天空では禁欲的に一度しか触れられなかった窓の内側が「百の夜」ではおしげもなく病院・学校・会議室・寝室・タワーマンション、、、、光景が暴露される
バイトテロを起こす職業倫理の欠落は同僚にも蔓延している
ゴンドラでたばこを吸い、性交を行う3歳の子持ち(33歳の3人の子持ちの女性が変形される)、盗撮の現場を捕まえて脅し、しかも自分も同じ盗撮を行っている同僚
ここには「せっかく人が死ぬ仕事についているのだから死ねといってはいけない」という職業への過剰な動機化などみじんも存在しない
「天空」において細部を積み重ねて養われたリアリティは窓拭きの現実ではなく、その教えられ方、クマさんの時代遅れな「職業倫理感」を身に着けていくリアリティである
身に着けるべき職業倫理を表現する必要のない「百の夜」においては、窓拭きの描写は縮小される(要約ではなく)、不要な部分を枝払いされている
実に「百の夜」においては切り込まれた表現によって窓拭きのリアリティが過不足なく表現されているが、しかし例えば「天空」で丁寧に描写された「ノンストップ」と「ロープ」の区別はカットされている
天空において非常に重要な「ノンストップ」と「ロープ」の違いは時短と節約に大きくかかわるものであったが、「百の夜」にあっては「窓拭き」はなんら哲学的な含意を持たない職業であり、その報酬18万5千円は「悪くない」ものでしかない
絶望の国の幸福な若者たちが「自分たちを幸福とし、社会に不安を覚える」のと同様、18万5000円の自分の生活には満足している主人公には周囲への嫌悪は存在する
吉田修一はこの主人公の「倫理観の薄っぺらさ」を指摘し、作者も同じ価値観の持ち主である印象を訴えた
しかし、命の危険を伴い、責任だけが押し付けられる、対価の安い仕事に対して「理想」を持つ「天空」の職業観はアンリアルに映らないだろうか(ネジタリンの描写が拮抗するほどに自己対象化しているとはいえ)
「百の夜」の倫理観の喪失した、簡単に「バイトテロ」を起こし、18万5000円で幸福を感じてしまう主人公たちは、「絶望の国の幸福な若者たち」のリアルである
仕事にやりがいを与えるならば金をくれ、という「若者たち」は仕事にやりがいを「特権的な」理念(それに恋・肉体)に求める「絵描きたち」とどちらが好ましいかを置いておけば、リアルさはどちらにあるか
しかし「天空」において垂直方向に突き進む主人公(前職は一見華やかで、実のところ着回しを教えるだけな水平的な交換可能な世界)において下から見上げ、
そして離脱してとおりの向かいから水平的に見る視点がどうしようもなく「教養小説」を破綻させていたのに対応して、水平の世界に生きる(就活で落とされ続けて、とおりの向かいのビル清掃を見て就職を決める)主人公にも垂直な存在がある
それが母親であり、小学校の教員をしていた母親は手探りで、小説の背後で少しずつ政治への関心を深めていき、最後には市議会議員に立候補するにいたる
その選挙ポスターを撮影したのは「バイトテロ」まがいの犯罪で得た金で買った高性能カメラであり、「何でもよいと思った」盗撮用のカメラは同じ同僚に「質が悪い」と切り捨てられ、「立体的に取れる」と「同じではない」「違いの分かる」新しい趣味を得た主人公である
「絶望の国の幸福な若者たち」は「幸福」を自認していながら(2000年を境に20代の幸福度は30%から70%に突然上昇している)、社会には不満を持っている
その社会を変えようとする民主主義への動きもまた、「百の夜」には含まれている。
「天空の絵描き」には「理念」を形成する涙ぐましい努力があり、それを無に帰す相対化の視点を入れざるを得ず、一方で「百の夜」には「理念」を脱テーマ化したうえで、「天空」の主人公に存在しない「そもそもの生存・労働条件の改善」への取り組みを異物として入れている
「天空」における異物たる「クマさん」に近づき、同一化しようとする主人公は駅前で「胸を触らせ」、失われた「クマさん」に手を伸ばし、身体を死者に貸し与える
「百の夜」の死んだ同僚は勝手に憑りつき、思考を間借りする、異物ならざるもの(ナルシスの鏡)でしかない
盗撮を「罪悪感乏しく」買い上げて、説明のない固有名詞たちの物語を主人公につぶやき続ける金持ちの老婦人もまた、その奇抜さに反して異物ではなく鏡の一つでしかない
異物はむしろ母親と妹であり、違法行為も仕事も失った主人公は妹の頼みに応じて母親と和解する
倫理という言葉が問題になるのは木村氏の小説の中心には「人が死ぬ世界における働き方」というテーマがあり、労働の倫理的・美学的な偶像化が存在する
「そんなことよりも金をよこせ」というブラック企業と幸福な「若者」に変容/翻訳したところには、別の小説が生まれるだろう
しかし「天空の絵描きたち」の背後にはすでにブラック企業と「幸福な若者達」がへばりついている
ディズニー的などこかで聞いたような(「その話は聞きました」)、紋切り型の凡庸な挿話に満ちているが、この要素は「天空」にも隠れ潜む
デフォルメとは動機化・脱動機化
新約聖書においてサロメがヨハネの首を所望するには十分な簡潔な記載が残されている
その動機を漂白(demotivation)し、「少女が男の首を求める理由として、その男への愛以外あっただろうか?」という動機を捏造する(transmotivation)
問題はその変形(deformation)はテーマ的な変容をもたらさずにはおかず、個別の一回性の動機を一般性の動機に変容させることで叙事詩は寓話になる
かっぱぐとは窓を拭くことであり、汚れを落とすことである
「天空の絵描きたち」からかっぱがれたのは主人公の個別の生であり、代わりに注入されたのは「絶望的な世界に生きる幸福な若者たち」の「一般的な」リアルなる生である
(かっぱぐという単語を「盗む」と誤解しているかのような評者は、実は当を得ている)
「天空の絵描きたち」から「仕事への倫理的自己意識」をかっぱがれた世界において、ビリヤードの球のように「百の夜」は世界を水平に広げていく
ブラック企業に対して?もしばれたら会社の信用失墜になることなど主人公の知ったことではない
他人にバレなさそうで、自分に十分な報酬が得られて、(疑似的な)やりがいを代わりに与えてくれるのならば犯罪に手を染めるだろう
バイトテロとして炎上しなかった主人公は、ブラック企業をやめ、家族と平和な幸福な民主主義へと旅立つ
何故地球は丸いのか?遠くを見すぎないようにするためだ
ならば歩いていけばいい、と古市は言う
ロープと仲間を信頼して、他人の絵を完成させるために飛び降りなくてはならない、と木村は言う
行き着く先(遠く)は、奇妙なほどに似通ってすらいる
木村氏は垂直に身を投げ出す主人公ではないし、古市氏は水平に歩いていく「幸福な若者」ではない
>他人の絵を完成させるために飛び降りなくてはならない
別にオフィスビルの住人は窓の外など見てないよ
ビル(正規の労働世界)から疎外された(と感じる)窓ふき職人が
それゆえに鳥瞰的視点を確保していて
これを反転させて彼らの絵を完成させる、と自己を特権化している
ある意味プロレタリア文学のようなものです
でも、窓の外に窓拭きの人が見えるとギョッとするよね。落ちたら死ぬ高さの床がない場所に人間がいること自体すごくね?
俺は無理だな。失敗したら死ぬ仕事できない。怖いから。
アベマでやてた統合失調症の陰性状態ってな
自分を責める人が多いんだって
働けないこと、いつまでも就職できないこと
自分に価値はないんだって生きてる価値はないんだ
なんでこんなにできないんだ
何年も作業所とまりで次のステップ行かないこと
目に見えた改善ができてないこと
他の統失の人は頑張って就職して一人暮らししてる人もいる
同じ病気なのに、なんで自分はできないんだって
自分を責めて比べて比較して
自分を追い込んでいくんだとさ。
そして最終的には生きていても仕方ない死ぬべきなんだって自殺するんだって
自殺した統失の人がいっぱいいるってアベマで医者がいってた
269 名前:哲郎 ◆FtvBoHVIIU [sage] :2019/08/27(火) 18:25:32.52 ID:Lfi3fbFu
アカシジアでぴりぴりするよー
276 名前:哲郎 ◆FtvBoHVIIU [sage] :2019/08/27(火) 19:44:57.55 ID:Lfi3fbFu
>>274
かっぱさん、おつかれさまです
何とか我慢できています、早く治まるといいなあ
>
この統失の人、統失の薬飲んでたらアカシジアがでて
体ピリピリするらしい
本来って薬は健康にするものだけど
その薬で体ピリピリするとかまるで落語やで
例え統失って薬で落ち着いてもその分薬の副作用で体悪くなったらプラマイゼロなきがする
良くなってると言えるんかなあ
けど統失って真性基地外だから薬なしの生活なんて2日と送れないんだろうねw
惨めな人生やなあ 訪問看護やデイケアの方がいいよ。外科の方が日本では権威だし。精神外科精神内科
などの企画もあるが、女性限定の建築の方がなおいいと思う。
バスケはユニフォーム組は十五人だけど欠員が出ないのもおかしいな。日本人は真面目過ぎる。
純粋哲学や 純粋神学 純粋数学 の方が面白いよ。きっと。文学は相当出てるけど
アタリは寡数かもしれない場合は他のことしてないと。
マルチポストさせてくれ。そしてみんなここに書き込んでくれ。あまりレスはしないけど
918 吾輩は名無しである[sage] 2019/10/11(金) 22:08:54.53 ID:mrNiwV0o
AIの渇き
919 P ◆.uKag/vUmY [] 2019/10/12(土) 00:11:52.66 ID:WCyvSIR1
AI - Story
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920 P ◆.uKag/vUmY [] 2019/10/12(土) 00:27:24.81 ID:WCyvSIR1
いい歌だよな。 統失のほうには非は見当たらない。精神現象か自然精神現象に過ぎない。
それを低レヴェに情報共有して囲んでつぶす偏見のクズどもらな、無勢に多勢で否定するときには発狂未遂になるほど普通の精神の人間はクズだとばれた、統失を否定したり迫害して傷つけたものを
刑法の拷問斬首死刑に送れ。未来永劫永遠持続時間の万刑の連続だ。統失の方が能力が上がるが口だけ頭だけで勝とうとする方ほうに価値が付くのは話が違う。無能な精神が敗北している。敗北低レヴェ同士で。覗きたかり言論暴力は運命を終えよう。
何か体験がある人を尊敬したり敬語を使わない文化は敗北だろう。
病気だというと低レヴェマニュアルで同情憐みの様に勝とうとするようでは
精神が軟弱で低い。
病気という偏見や集団で迫害しないでありのままの精神存在から
そのように現実逃避しないで統失と渡り合う人が正しい。無事ですむわけないが
な。
統失でも平均点以上付けないといやピークの急性期は点高いのに採点者も洞察不足で減点になるわな。
まあ統合失調症は八割九割近くと女子を採点しておくが。
統合が失調する点から見るとネガティブでその視野からじゃつまらない症状に
しかみえない。それが凡庸な精神の限界で、レヴェリーな精神、心理が交差すれば
面白いのにね。
病名や庶民マニュアル治療看護薬剤が精神能力を抑え込むようにできてるからそれに加担したものは摘発されて、落ちのびていくだろうな。最後まで討て。
君の為を思って言ってあげるけど、毎日掲示板で
傷舐めあってないで外に出て友達作りなよ
作る気もないよな?
そんなんじゃ引きこもり治らないし
対人恐怖で多汗症で強迫性で自己臭症のままだよ
人が怖いままじゃ治らないよ
まず外に出るそして人と会う
毎日提示版で傷舐め合うより友達作り
リハビリをしないと対人恐怖治らないよ
そうしたらインターネットを利用する時間も減っていくよ
君の為に言ってるからね
人間の無意識に偏見で傷つけ高みにたとうとする醜い心がある。言葉自体低レヴェ
↑。インターネットもほとんどしないし、総理経験があるほど交際は自由。
健康な才気ある精神を病気に仕立て上げてしまう安全弁なんて当事者にすれば迷惑だっただろうにな。天罰で終われ。
書きものでも十割から八割の点が取れるようになってうれしいよな。
ネットも大事だけど話す聞く能力も大事だよ外国語特に。
言語を主幹から相対客観化してから言語空間を想定して人を傷つけない(低レヴェルにはな)
言語を選べよ。
バスケは五対五だったっけ。外国は十段階評価もあるが。
言語を主観から多動性に誘導相対客観化してから言語空間を想定して人を傷つけない(低レヴェルにはな)
言語を選べよ。
汚辱のブさづらの表情の涙目で負けを認めないとな。偏見迫害能力抑え込み連中は。
薬剤部も怪しいよな。気休めに能力を阻害して残りの勝ちを守るか。大負け。そうじゃない人たちしか歴史にいない。
レインボー と スロットマシン。レインボーブリッジに虹がかかるのを見て、
ギャンブルも低能はつまらんなあと思いつつ。
大人だからポルノが主体で、人間以外も読んでいるしメッセージをくれるからたまに読んだり書いたりしている。
今日ポルノ見たよ障害モノ 神戸新聞の記事にも市役所勤務ポルノチェック自分載ったし。
ヴァイヴ―。
池内紀追悼!
野崎歓の文章は見事だった
すばる
野崎歓、ドナルドキーンのも書いてたよな
あれも素晴らしい追悼文であった
お見事!
みんなが何を求めてるのかわからないよな。何が聞きたいんですか?
そういえば野崎歓さんの著書っていいな
ーー水の匂いがするようだーー
角川財団学芸賞とったね
電車で隣に座ってる女性がスルメ食いながらチューハイ飲んでるんだけど。かっこいいけどイカ臭い…
>>105
なぜ俺が趣味をやめなきゃならないんだ
そしておまえが俺をたたけば
俺が趣味をやめるのか?
あきらめろよおまえ >>107
同じこといろんなスレに書いてんじゃねえよ >>108
おまえだっておれがくる色んなスレに書きに来たろ >>110
同じこと書いてんなよバブー昼夜逆転の不眠だバブー >>111
5ちゃんに甘えて依存してんのお前だろガキが。何がバブーだよ荒らし野郎が >>117
俺の行動を赤木さんは見てくれているはずだから、そんな逃げ方できないよ。 >>119
709 むるえ ◆PzLa2g5DJw (ワッチョイ 7b0d-aIIi)[sage] 2019/11/10(日) 13:03:53.90 ID:n3CvPJoR0
あのハゲもそうだよ
ラジオ放送でさりげなく「ふわふわしてる」「いい歳でバイトやってる」「喋れない」
こういうワード出して俺を挑発しつつ
最後のネタばらしはツイッター画像で高校のゼッケン着てるんだよ
俺はナンバーありでお前はなしだ!負け犬だ!ってな
714 むるえ ◆PzLa2g5DJw (ワッチョイ 7b0d-aIIi)[sage] 2019/11/10(日) 13:06:31.04 ID:n3CvPJoR0
一生続くんだなこれ
発見され次第マークされて共有するのか
防犯ネットワークって感じでな、挑発付きでよ
ネットも当然監視されてるしな
>この人、ヒキ板のむるえって人なんだけど
同級生の人に監視されて
いい歳して非正規ってバカにされてる
ラジオで放送されてるとか言ってる
完全に分裂病ですはw被害妄想激しすぎ
しんじゃえばいいのに >>119
706 むるえ ◆PzLa2g5DJw (ワッチョイ 7b0d-aIIi)[sage] 2019/11/10(日) 13:01:26.22 ID:n3CvPJoR0
・あいつの情報を共有しあうことに決めた
・あいつは犯罪者だから気をつけろ
・あいつを見つけたら学校に連絡よこせ
・先生が言うようにうまくやれ、刺激はするな
だからよくわからんやつに写真撮られて「みんなに教えよーw」とか言ったり
車に後ろつけられて振り返ったらニタニタしてるやつがいたんだなあと思って
30代なっても家電量販店で「一生童貞の人だーw」って言ってたやつが笑いながら店内アナウンスしてたしな
>この人ヒキ板のむるえって人なんだけど
外に出たら写真とられてみんなに教えよーっていわれ
すれ違う人はみんなニタニタしていて
買い物にいくと店内アナウンスで「一生童貞」っていわれんだとw
完全に分裂病ですはwもし事実ならおまえ一生外に出んなよ
それで解決やん >>118
559 : もっぷ ◆cBUeoPIPpo sage 2019/10/27(日) 19:14:44
お風呂入った
ちょっと陰性気味なのかしんどい
買い物行かなければならなかった
>この人分裂病のモップって人なんだが
なんで、ネットはできて
お風呂や買い物は中々できないの?
ネットする元気はあってなんでお風呂入る時だけ
しんどくなるの?
自分の好きなことはできて
ネットしてアニメみて元気なくせに
なんでお風呂や買い物の時だけ
病気を持ち出すの? >>124
またそうやってデマ流してんだろ?
人攻撃するためにデマすら平気で利用する
一線超えたクソ野郎だもんなおまえは 被害妄想もその主体に対しての立場の取り方で綺麗になくなることもある。
喜怒哀楽がないものを受け付けるのもな。下に入るとかもってきます。
被害妄想自体は悪くないけど、それが何か相手に効果を持つかも知れない事をしたらダメだよ。それは誰もが見れる場所に書く事も含まれる。
サイコメトラーの人の「シバトラ」って漫画好き。
ドラマ版も良かった
サイコメトラーの人と金田一少年の作者って同じでしたっけ?
そうです
MMRのキバヤシ隊長のモデルでもあったりw
金田一少年の作者さん幸福の科学の信者だという説がありますね
>>144
いや原作の方ですね
紛らわしくてスマン ここにも書いておこう。トリップが割られました。変えないといけない