1 :
名無しさん@お腹いっぱい。
2014/12/29(月) 12:50:29.69 ID:z/vbRIWw0
単純に漢民族と満州族の人口を考えたら、漢民族が一斉に蜂起したら
清なんてあっというまに滅びるでしょ?
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。
2014/12/29(月) 14:28:31.89 ID:o1cB6bIoO
漢民族って世界でも有数の内ゲバ民族だから
女真とか蒙古とかに支配されてる方がそういうのがなくなって安定するんだよ
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。
2014/12/30(火) 11:33:13.38 ID:Tt+8L3DI0
素朴な疑問やな。
確かに元と比べても長すぎる。
明末から既に政治が乱れてて、善政なら異民族でも、と思われた。とよくいう。
尤も女真への敵意は清末まであった。例えば天地会とかで、洪秀全もそういう層を取り込んだ。
そこで大きかったのは三世の春。順治帝とドルゴンも優秀だったが
康熙帝が最高の時に出てきた。乾隆帝までストレートで暗君がいない。
間違えば三藩辺りで潰れる可能性もあった。金ともそこが違う。海陵王みたいなのがいない。
元々女真はモンゴルと違い漢化しやすかったとか飴と鞭の統治策が上手くいったとか色々あるが
ともかく蜂起する理由も意思も無かった。だから清末には恢復中華となってったわけだ。
ちなみにオスマン帝国も同時期に少数民族支配だったが
マクニールによると、こういう体制は西欧に弱かった。まとまれないのな。日本、アフガニスタンなんかが逆の例。
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。
2014/12/31(水) 08:34:50.60 ID:hYwu7Y4/O
三藩の乱あたりで咸豊程度の皇帝が出てたら、逆に清は統一出来ずに二国から三国位に分裂してた可能性もある。
西太后の逆パターンとも言われる孝荘文皇后が、実際に西太后の立場になってしまってたかも知れない。
そのまま19世紀を迎えたら、大陸での西欧列強の蚕食のスピードも凄まじい状況になってたかもしれない。
三藩の時はかなり国の「運」もあった気がする。
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。
2014/12/31(水) 16:14:21.96 ID:mgEO2o930
呉三桂って皇帝になれたかな?まあ一応皇帝にはなったけど、漢や唐みたいに
長く続く可能性ってなかったのかな?
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。
2014/12/31(水) 16:19:29.89 ID:mgEO2o930
つーか考えてみれば全ては呉三桂次第だったんだよな。
もし呉三桂が明の滅亡に間に合っていたら?
もし呉三桂が山海関の門を開かなかったら?
もし呉三桂が三藩の乱ですばやく長江を渡河していたら?
もし呉三桂が南明政権の側につき清に反旗を翻していたら?
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。
2015/01/31(土) 19:45:03.39 ID:LE6tbEbV0
>>4 孝荘文皇后が二人の幼い皇帝(順治帝、康熙帝)を支えて清朝の基礎を気付いたからだよ。
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。
2015/02/02(月) 23:48:48.08 ID:rWyRTFB/0
モンゴルを同盟者として、共に漢人を支配する
この基本方針が適切なものであったことによろう
最後の最後で満漢一家とか唱えて自爆してしまったけどな
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。
2015/02/25(水) 10:54:56.10 ID:pGVIcFVC0
なるほどね
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。
2015/05/23(土) 05:35:01.52 ID:ESD+jHTL0
明治日本と清朝、どうして差がついたのか…慢心、環境の違い
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。
2015/06/06(土) 12:04:39.88 ID:Wco6vskZ0
慎重だったから…
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。
2015/06/06(土) 12:07:54.63 ID:q5OC61Yo0
>>10 光緒帝が近代化しようとしたんだけど、それを西太后が潰してしまったからだよ。
もし東太后が長生きしていたら状況が違ったかもしれない。
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。
2015/06/06(土) 16:40:32.06 ID:qJP30XoHO
>>12 ただ東太后に西太后程の政治的センスや能力があったとは思えないので、精々光緒が改革したい!と奏上したら
「いいんじゃない?」程度の承認をするだけで、光緒が失敗した時の尻拭いが出来なかった可能性が高い。
光緒はやる気は確かに高く、危機意識も高かったけどやる気に逸り過ぎて自己の能力が追い付いて無かったし
如何せん改革を進めたい周囲も同じ理想に逸って実務能力がそこまで無い人物ばかり集まってたから、遅かれ早かれ破綻していたか
外国に浸け入られるか、よくて袁世凱などの癖者に乗っ取られてしまったろう。
袁世凱がそんな理想を追うばかりで実を伴わない彼等の巻き添えを食うより、生き残り実を取るために
西太后側へ寝返った事を思えば、相当歩が悪いものだったのは想像が付こうかと。
東太后では温和な人徳で宮中の人心を纏められたかもしれないが、政治破綻をひっくり返したり修正する力業が出来たとは思えないな。
清の衰退は王朝体制自体の経年劣化もあるから、光緒でなくて誰であっても中興するのは困難だったと思う。単に慢心だけの問題ではない。
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。
2015/06/06(土) 17:49:44.09 ID:q5OC61Yo0
>>13 東太后が生きていたら光緒帝が幽閉されることは無かっただろうし、
政治的センスが無くても西太后の人道に反する行為は抑えることはできるはず。
それだけでも、かなり違う。
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。
2015/06/10(水) 19:45:25.00 ID:FsQtSLri0
>>1 そんな危害があればモンゴルにもしんにも負けないだろ
きがいないから支配されて、その時点で反乱なんか起こせないし、民族意識がわからないほど学識が低い
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。
2015/07/06(月) 14:28:06.07 ID:c0FmEbx+0
中国史だと順や西とかのマイナー国家も面白いな
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。
2015/08/29(土) 21:53:52.09 ID:3TNPy2/n0
確かに漢民族ってのは意気地がないよな。秦・漢の時代から北方遊牧民と戦うと
負けることのほうが多いし、宋・明なんて皇帝自ら囚われの身になるし…。それに
しては日本軍が攻めてきた時だけ頑強に抵抗したのは何故だ?もっと早くに音を
あげていてもおかしくなかったと思うが?
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。
2015/08/30(日) 07:07:11.14 ID:wnUJIzLS0
秦漢は普通に勝ってるが。秦は押さえ込んでるし
匈奴は武帝時代に大打撃、後漢にゃ壊滅した。
明は洪武帝と永楽帝がボコボコにしてるからエセンじゃ挽回不能
宋だけ微妙かな。西夏とかは叩いてたが、太宗の遠征が失敗したのが不味い。
あれは宋軍が弱いってか白い狼がやばかったんだけども。
もっとも遊牧民はある種最強だからローマですら強い全盛期を除いて
苦しめられてるわけで、別に遊牧民に負け越してもだから漢族は弱いとかにはならんよ。
近代はまた全く別の話だけどね。
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。
2015/11/03(火) 16:06:07.84 ID:MjeAUCZP0
そもそも異民族王朝時代は結構あるだろ
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。
2015/11/09(月) 14:50:14.04 ID:n9fyyZ/d0
>>1 満州族は少数の未開な蛮族だが
@少数の蛮族に転覆されるほど危機管理システム、治安維持システムが破綻していて原始的だった
A満州は征服した蛮族だがチャイニーズより不正を許さず原則、厳罰主義で不正排除に努力して1000年近い官僚腐敗主義を除去して建前上不正の浄化と
税の削減に成功したから
わかりやすく言えば、見怪人に負ける弱者で
見怪人に道義と誠実と治世で負けたから
くしくもチャイナ最高の人道主義者で最高の治世者の満州族の知性は
世界からすれば未開で乱雑で横暴であったため、乾隆の時代に没落フラグ作って一気にぼつらくかいしする
@乾隆の減税、農業拡大成功が人口が3倍となって人口爆発→飢餓に至った
A十武功の過程において雑で横暴なアセアン外交をしてEUのアセアン侵攻の大義名分とアセアンへの阻害になった
B横暴で対話と糸口なき貿易制限で阿片貿易の原因を作った
乾隆は増長する夜郎自大の大脳なしで世間知らずの暗愚
清のがんしゅだろうが未開なシナの最富裕生活者程度で日本やEUの貴族より貧しいのに、世界一の物的裕福者と勘違い錯覚してたしwww
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。
2016/05/24(火) 19:34:01.28 ID:3IA1Vw8a0
>>15 中国できがいがないなら日本や朝鮮なんかゴミ以下じゃないか
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。
2016/06/09(木) 17:38:40.10 ID:BvoaSDMR0
日本はモンゴル撃退しましたが?w
くっせーチャンコロざまぁw