日本人も
古代に来て列島開拓し国家作った古代チョンの子孫
縄文人だけじゃ国家は立ち上がらん
文字や文化 金属技術など持ってきた天皇や各地豪族などの
渡来系が支配 日本の基礎 古代国家を作った
競馬場だとか、一般参賀に多いよね。
この国は自由なんだけど、その喋り方、日本語おかしいよ。
落とし続ける感じだよね。
正直気分悪い。
日本人はチョンとは関係ない
昔もチョンはチョン
チョンが必死に嘘をついてるな
@1世紀に北九州は、百余国に分かれていたわけですが、これは、伽耶地方の
諸国の王族が、伽耶の海岸線で活躍していた倭人(海人族)に助けられて、
北九州に移住し、国をつくったというものです。
Aこの中から、邪馬台国が成長し、卑弥呼が登場するのは、3世紀半ばです。
B伽耶の豪族であり、日輪信仰をもつ、物部氏の祖先が、畿内に移動。
C卑弥呼の死後、男王がたつが、国が乱れ、豊後中津方面に退去し、後に
ヤマトに移動(神武東征 300年ごろ) 物部氏を臣従させて、日輪信仰
つまり、天照大神を奪う。これが、イリ系の天皇と呼ばれ、神武、崇神です。
D400年ごろ、神功皇后・応神が、波多氏・蘇我氏・巨勢氏・平群氏・紀氏・
葛城氏の助けをかりて、畿内に入り、大王となる。これが、ワケ系(タラシ
系)の王朝で、応神から継体までつづく。
E532年、伽耶の王国は、新羅に降伏。その王族が、ヤマトに来朝、欽明天皇
となる。ずっと蘇我氏の実質支配となる。この王朝は、天智天皇までつづき、
ずっと任那回復や百済への肩入れを続ける。任那王族の王朝なので、うなづ
ける。
Fこのあと壬申の乱により、天武が即位。天武は、天智とは兄弟ではなく、別
の王統であり、新羅系の渡来人の指示を受けている。
G770年、天智の孫、光仁が即位し、百済系の復活となる。
その子の桓武は、 百済王家(100年前から日本に帰化)の姫を皇后にする。
桓武は、天皇家が、三韓の出身であることを隠すため、それに関する焚書を実施する。
戦前 朝鮮植民地の日本総督府は 天皇家のルーツ金海金氏の系図を焼却した