誰が予言してたかわからないが、当たるか当たらないか予想するスレ。僕はもう騒くだけ騒げば起きないと思います( ˙꒳˙ )
我々は1が何故このようなスレッドを立てたのかという
疑問を解決するため、1の故郷である群馬県に向かった。
「まだ日本にこんなところがあったのか…」
思わず口に出てしまった言葉を同行した上司に失礼だと咎められた。
小人が住むような小さな家、ツギハギだらけの服を着る農夫たち、
そして彼らは余所者で身なりのいい我々を監視する様に見詰めている。
高度成長だの、神武景気だの、オリンピックだので浮かれていた
我々は改めて農村の現状を噛み締めていた。
ボロ屑のような家に居たのは老いた母親一人
我々を見るなり全てを悟ったのか、涙ながらに
「息子が申し訳ありません」と我々に何度も土下座して詫びた。
我々はこの時初めて1を許そうと思った。
誰が悪い訳ではない、農村の貧しさが全て悪かったのだ。
我々は1の母親から貰った干し柿を手に、
打ちひしがれながら東京へと帰路についた。
「壱逝つてよし(昭和八年五月八日 朝日新聞)」
容疑者壱、「伍ちやんぬる(東亰府東亰市)」なるインタアネツト掲示板
(假想會合場)に古今未曾有の糞スレツド(話し場)建てり。
壱は定職にも就かず毎日(まいにち)/\上掲示板に下らぬ書
き込みをつゞけ、周圍の人間の嘲笑(てうせう)を買ふも飽きたらず、
終に自(みづ)からスレツドを建てり。しかし壱では力不足、
結局(けつきよく) 嘲笑の書き込みすらされず「ダツト逝き」さるるが、
その直前に情けなくも自らの手により自らを勵ませり。
またこの時わざと人の目にさらさるるやうに「あげ」と呼ばるる邪法を用ふ。
壱には不敬罪、治安維持法違反の容疑(ようぎ)も掛けられ宮内省、
特高警察からの追及もさるる見込み。
壱のご母堂は落涙しつつ「息子のうつけたる不始末を悲しく思へども
壱は潔く死すべし」と申せり。
社説:
今囘(こんかい)の壱のやうなばかやらうを人は「刺身」と云ひて馬鹿にす。
このやうなことに陷ればもはや生きていく價値もなし。
もはや不逞滿州人・鮮人との比較にもならず。
記者:山田十平衞