現代のサヨにも多いが戦前の思想家連中ときたら輪をかけて酷いねこりゃ。
石原かんじだの大川筆頭にあいつらの掲げてた汎アジア主義ってのはさ、
みんな欧米人に苛めっれてるし、周辺の民族の顔格好も似ててなんんか気質も
似たようなもんだろみたいな適当な観測でご近所で団結しましょうてのがコンプセプトだろ?
石原の五族協和wとかどこのお子様の発想だよこの馬鹿w
あと欧米人の洗礼された文化と肉体的容姿的の露骨な差異からのコンプレックスも手伝って
「アジアの底力」「アジアの偉大なる精神」なんて文化的肉体的劣等感持つもの宜しく精神性に
突っ走ってしまった、と。くだらねえ。
欧米諸国と仲良くと中国・満州草刈り場にすりゃよかったなのに。
外交戦略・戦争遂行においては中途半端なリアリズム、まあ今風に言えば日本的ガラパゴス善意
を軸に極端な強行するかと思えばお人好しだかわからん割り切れんアプローチで方々泥沼。
(身内の日本人同士では信じられない冷酷・呵責なさを発揮するのは置いといてw)
外交・戦争における呵責なさの欠落。結局どこかで武士道だなの情けだの「保険」を打っておきたいんだな。
根ではいい奴でいたい下衆なんだ。こいつら。あ、どんどん脱線した。
またおまいかっ!
∧∧ ピコッ ☆
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[ ̄ ̄ ̄] ( ´Д`)
>欧米諸国と仲良く
これって現実は欧米諸国が美味しいところ山分けして
用心棒の日本はおこぼれで我慢しろ
て事だろw
明治の日本はシナを過大評価していたんだろうな。
第二次大戦後でも文化大革命の実態が知れるまでは過大評価が多かった。
今でもG2などと過大評価する人間がおる。
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//ミミミ\\ | ┌──────┐ | 彡彡彡彡ヽ\
ミミミミミミミミ|:: | 試合終了 |:: |彡彡彡彡彡ヽ\
ミミミミミミミミミ|:: | 清2 − 0磐 |:: |彡彡彡彡彡彡ヽ\
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| ┌────┐ | へ,,))),,,ヘ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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大局観や現実的視点が欠如している連中
そういうやつが権力にぎると国を滅ぼす
中国の友よ半島の友よ列島の友よ
今日も明日もいろいろな困難や挫折に直面しているが、それでもなお私には夢がある
いつの日かアジアの各地で憎みあった者たちが楽しく食卓を囲める日が来るだろう
私には夢がある、いつの日か民族や血統などではなく人格の深さにより評価される社会が来る事を
私には夢がある、いつの日か谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くする
険しい道は平らに、狭い道は広い谷となる、国籍や宗教・民族を本人の意志だけで選べるようになる
知性の鐘を鳴らそう、理性の鐘を鳴らそうではないか
私達が理性の鐘を鳴らせば、すべての村という村で、すべての街という街で、すべての国という国で
憎みあう事よりも協力し合う事が有益である事が理解されるであろう。
今はまだ夢でしかない、しかし夢見る事を止めてしまえば人類社会に将来は無い
中国の友よ半島の友よ列島の友よ
いつの日か汎アジア文明圏で協力できる日が必ず来る筈だ
私は貴方達を愛している
朝日新聞 2000年12月20日 朝刊
外交文書公開
■時間稼いでインドネシア残留成功
オランダからのインドネシア独立運動に身を投じて「英雄」となった元日本兵たちが1953年、インドネシア政府から
「日本統治時代を思い出す」として全員帰国を要請された。困惑した日本政府が選んだ対抗手段は時間稼ぎ――。
公開文書によると、日本の岡崎勝男外相(当時)はジャカルタの総領事館あてに「平和に生活しており人道的見地から
再考を求めてほしい」(53・4)と指示。しかし、インドネシア政府は「邦人リストの提出を」「特別船の用意を」と
強硬な要求をしてきた。
これに対し日本側は「リストは難しい」「定期便しかない」などとあいまいな回答に終始し、交渉を長引かせた。
総領事館から外務省にあてた電文には、「空気が好転した際に便乗して交渉を図りたい」(55・2)と本音がのぞく。
その後の経過に文書は触れていないが、後藤乾一・早稲田大教授(東南アジア現代史)は「時間稼ぎが功を奏し、
元日本兵は平穏に暮らし続けた。平和条約や賠償交渉のからみで、外務省は紛糾を避けたかったのだろう」と見ている。
近代史の明治維新のように稼げるかもしれないブログ
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ELC29
移民一世は満足にその国の言葉を理解できない場合「馬鹿な親」と子供はみなし権威を失う
子供(二世)はホスト国でよそもの扱いされ疎外される。
その結果自分の国でもなく親も手本を示すことができない為
ホスト社会で自由勝手(犯罪)に振る舞う傾向が強い。全世界で普遍的に見られる現象
どこの国でも移民の犯罪で悩んでいる(日本でも在日韓国・朝鮮・中国が該当)
親にとっても不幸・子供にとっても不幸・ホスト国にとっても不幸、誰も幸せにしない
分離主義こそ正義、共存・相互理解など無意味、お互い別々の空間で生きることが正しい
私は「明白な真実」、「簡潔な議論」、そして、「当たり前の常識」を提供しているに過ぎない
トマス・ペイン
石原や大川は庄内藩だからなあ。
明治新政府なんかには屈してないのよ、本音のとこは。
他の汎アジア主義の連中も大概そう。
薩長が作った天皇制なんてものに忠誠心は皆無。
だから石原みたいに、天皇のことなんかおかまいなく、平気で軍を動かすし、国まで拵えちゃったりする。
いろいろと役に立つ嘘みたいに金の生る木を作れる方法
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
17E
■フィリピン 高等学校用「フィリピン国の歴史」(一九八一年版)
日本軍の残酷さとくに地方での女性に対する邪悪な扱いは、多くの市民がゲリラになる
要因の一つであった。多くのフィリピン人は、有罪無罪を問わず捕らえられ、サンディアゴ砦や、
日本軍が接収し刑務所とした他の施設に送られた。家に戻ることができた者にしても、不自由な身体となっていた。
■インドネシア 中学校用「社会科学・歴史科 第五分冊」(一九八八年版)
日本時代にインドネシアの民衆は、肉体的にも精神的にも、並はずれた苦痛を体験した。
日本は結局独立を与えるどころか、インドネシア民衆を圧迫し、搾取したのだ。
■ベトナム 十二年生用 「歴史 第一巻」(一九八四年版)
もう一つの非道な政策は、日本への供出用と戦争の備蓄用とのために、食料、とくに米の
強制かつ廉価な買いつけをしたことである。この非道な政策こそ、市場における深刻な食糧
不足をもたらし、一九四五年初頭の数ヶ月の間に、北部で、二〇〇万人以上のわが同胞が餓死した直接の原因となった。
■シンガポール 中学校初級用 「現代シンガポール社会経済史」(一九八五年版)
日本軍がシンガポールを攻撃したとき、人々は戦争の恐怖を体験しなければならなかった。
日本軍が島を占領した三年半の間は、さらに大きな被害と困難な状況が待ち受けていた。
この時期は、日本軍占領時代として知られている。
■マレーシア 中学校二年生用 「歴史のなかのマレーシア」(一九八八年版)
「日本は、マレー人の解放獲得への期待を裏切った。日本人はマラヤを、まるで自分たちの
植民地であるかのように支配した。今度は彼らがイギリス人の座を奪ったのだ。日本の支配はイギリスよりずっとひどかった。」
「日本がマラヤを占領したとき、彼らは中国人に対して、厳しく乱暴だった。彼らはすべての
中国人は反日であると疑っていた。シンガポールを占領したのち、日本は数万人の中国人を殺した。
■ミャンマー 八年生用 「ビルマ史」(一九八七年版)
日本時代にもっとも強大な権力を見せつけたのは、日本軍のキンペイタイン(憲兵隊)である。
一般の国民は、憲兵隊の思うがままに逮捕され、拷問され、さらには虐殺されたのである。
●『リー・クアンユー回顧録(上)』
・「日本人は我々に対しても征服者として君臨し、英国よりも残忍で常軌を逸し、悪意に満ちていることを示した。日本の占領の三年半、
私は日本兵が人々を苦しめたり殴ったりするたびに、シンガポールが英国の保護下にあればよかったと思ったものである。
同じアジア人として我々は日本人に幻滅した。日本人は、日本人より文明が低く民族的に劣ると見なしているアジア人と一緒に思われることを嫌っていたのである。
日本人は天照大神の子孫で、選ばれた民族であり遅れた中国人やインド人、マレー人と自分は違うと考えていたのである。」
●『リー・クアンユー回顧録(下)』
・「池田勇人首相との会談で私が取り上げたのは血の負債≠キなわち戦時中の日本軍によるシンガポール人虐殺に対する償いの要求だった。
池田はシンガポールで起こったことに対して「心からの遺憾の意」を表明したが、謝罪はなかった。
・「日本は経済大国として先進国首脳会議の正式メンバーとなり、世界の主要国として果たすべき役割を模索し続けてきた。
とりわけ深刻なのは指導者たちの過去の戦争に対する残虐行為に対する姿勢だった。西ドイツの政治指導者は明確に戦争犯罪を認めて謝罪し、
犠牲者に賠償を支払い、若い世代に戦争犯罪の歴史を教えて再発を防ぐ努力を行ったが、日本の指導者はどうだろう?
多くはいまだ曖昧な態度で言を左右にしている。天皇への配慮に加えて、国民を困惑させたくない気持ちや先祖を侮辱したくない思いがあるのだろう。
理由のいかんを問わず、歴代の自民党政権は日本の過去と向き合うことはなかった。」