とは言っても延命治療
母と一緒に抗がん剤のサイクル説明を受けた時に医師が「延命」の一言を言ってたのでずっと気になってた
あれ?もう治らないってこと?と。
入院してから2日目、改めて医師が詳細説明をしてくれる機会があったのでたまらずに聞いてみた
実際どれくらいもつんですか?色んな症例あるとは思いますがって
そしたら少し考えて「3年」と言われた
大元の癌を手術したのは去年の今頃
腹腔鏡手術を経験5年目の素人医にやられて負担の少ない手術なはずが、術後わずか4日目に腹膜炎を起こし(たぶん術後すぐから炎症してた)結局開腹手術する羽目に
3ヶ月かけてやっと歩けるまでになり退院し本人は喜んでた
1年。たった1年で再発し、もう手術は不可能で抗がん剤で抑制していくしかないが最終的にはゆっくり全身に広がり抗がん剤も永久的には続けられないからそれで終わると
数日前から抗がん剤準備で入院してるけど本人は治るつもりでいる
話の折にも「癌を消してくしかないから」と消えるとも思っていてその状態で余命を伝えるべきか悩んでます
70代なので抗がん剤が始まれば衰えていく一方なのではないかと想像してる
でも父はさらに高齢で80代
家を仕切ってきた母としては当然、そんな父任せに出来ず託していきたいことや片付けていきたいこともあると思う
夫婦仲はよくなかったので
それを判断し出来るうちに話すべきなんだろうけど
1番こわいのは母の性格的に治らないしよく生きて3年ならば、副作用のひどい抗がん剤治療などやめてしまうんじゃないかと心配
費用の無駄とも思いかねないとこがある
なによりひどく落胆するのは目に見えていてどう対応していったらいいか
本当に分からない
父にはどちらかというと粗末に扱われていたと思う
母にはお父さん死んだら悠々自適な老後楽しもうとよく言ってた
でもどうやら今の父の年齢ほども生きられず死んでいくようだ
それが可哀想でしかたない
自分自身も今まで大病もした事ないし、お婆ちゃんは86歳 おじいちゃんも88歳まで生きたし母は楽に80代までいくだろうと思ってた
父は自営で当時徐々に仕事も減り、65歳くらいから食っては寝、食っては酒を飲みの隠居生活を決め込んでだらだらと暮らしてた
退屈や、することもねえ、
そんな言葉を20年近く吐いてなんの手伝いもせず寝転がったり座ったりしてただけ
去年母の癌を伝えた時も翌月には忘れてて「あれ(母のこと)癌で入札しとったんか」とすでに入院して1ヶ月も経ってたのに言ったくらいだ
こんな他人事みたいに自分の女房の状態を受け止めていて、毎日目の前に飯が並ぶか、汚いパンツは洗濯されるか、晩酌は出るか…
この程度の浅ましい自分本位しか考えられないジジイが自分にも母にも疫病神でしかなかった
よりによって苦労した母が死んでいき、あのクソ親父が生き残るなんて不幸すぎると思った
父は今の母の年齢のころには年季の入った寝転がってるだけの役立たずだったから
だから余計に余命なんて残酷すぎて自分からは言えない
いつかは伝えないといけないけど、正直私自身のショックもひどくてどうしようもない
今は会いに行って笑い話をし、母がしてほしがってること気にしてることを消化するのに懸命になってる
昨日ポートを入れて抗がん剤準備が済んで金曜から始まる
吐き気やしびれといった副作用を70代の母が耐えられるか、私も衰弱していく母を見続けることに耐えられるか不安がいっぱい
来月、再来月にはどうなっているんだろうとかそんなことばかり考える
家族を病気で亡くした方がいたらアドバイスがほしいです
うちの母は余命2ヶ月で亡くなりました
まだ3年もあるんだからたくさん楽しんで
私の母ががんになった時、医者が言ってました
今の時代人は「がん」か「心臓病」のどちらかで死ぬと言われています
どちらで死にたいか人に問うと、日本人の殆どは「心臓病」で死にたいと答えるそうです
死ぬ時は苦しみたくない、ある日突然ポックリ逝きたいと
西洋人に問うと殆どの人は「がん」と答えるそうです
残された時間を有効に使える、やりたい事をやってから死ねると
国民性の違いが面白いなと
ちなみに母は術後5年を経過しました
父は私が18の時に交通事故で死にました
授業中に学校に電話がかかってきて、というパターン
既に亡くなってました
準備もケソもありません
何が言いたいのかというと、時間が残っているというのは素晴らしいことだと思うのですよね
70過ぎてがんになり、死ぬ
それほど不幸なことだとは思いません
残された時間を1日でも多くするために早く伝えてあげれば?と思いますね
不幸ではなくあたりまえのことで受け止めていくにはきっと私自身が弱すぎるんでしょうね
そのうち苦痛と衰弱でまともに考えられなくなってからより、今ではなくとも早めに話そうと覚悟しました
昨夜も考えてたんですが、きっと母なら「なんではやく言ってくれんの?」と言いそうだから
なんせあの父を私たちに残していくのだからきっと考えることもあるはず
私が偉そうに言える言葉ではないですが、あなたもお母さん大事になさってくださいね
うちの母の場合は術後の抑制抗がん剤を半年間服用してましたが、もうその時点から腹膜播種になっていたようです
でも理論的には術後5年生存で再発なくいらっしゃるなら医学的には完治という判断なので喜ばしいことです
いい時間を過ごしてくださいね
自分の父親も肺がんで亡くなった。
抗がん剤治療を行っていたが、かなり辛そうだった。
がんが辛いのでなく、抗がん剤により併発する様々な症状によって。
抗がん剤は、がんを抑えるための薬ではなく、がんの活性化を抑える為に、
身体自体を弱らせてしまおうという薬。
よって、弱った身体が様々な苦痛を生み出す。
苦しむ父親を励ます事しかできず、父親は逝ってしまった。
もし自分ががんになっても、抗がん剤だけは使うまいと思った。
うちの父は4年前、81歳の時に食べ物が喉を通らなくなりステージ4の食道癌が発覚しました
手術したら食道を切除して胃を引っ張り上げてつなぐのが普通なのですが、父の場合は20年前に
胃がんも患っており、その時に胃を半分切除してしまってるので、
今度手術するとしたら腸をひっぱりあげてつなぐという大手術になる
年齢的に耐えられるものではないと言われ手術は適用外
放射線と抗がん剤の治療を受けました
入院中は固形物が食べられずガリガリに痩せてしまい「治療できることは全てやった、後は好きな物を
好きなだけ食べさせてあげて下さい」と暗に死をほのめかすような事を言われながら退院しました
入院中から、母と私とで死に物狂いになって癌に効くと言われる漢方薬や食事療法を探しました
母はリウマチ患者で身体障碍があり、父が死んだら一人暮らししていくのは無理なので、
どうしても父には生きててもらわなきゃと言って、毎朝大量の野菜で生ジュースを作り癌に特化した食事を
食べさせていました
病院をは死期の告知はしない方針だったので余命の話は無かったものの、母も私も父の死を半ば覚悟して
緩和ケアのことも調べたりしてたのですが、放射線が奏功したのかそれとも退院後の食事療法が効いたのか
定かではないものの、とにかく奇跡的な回復をとげ、4年後の現在は癌は寛解してます
食事は普通に食べられるようになったし体重もすっかり元に戻り、身体的には元気になりました
ただ最近は認知症が悪化しておりいい事ばかりとは言えなかったりもするんですけどね…
とりあえず母は、父の癌を治したのは自分の食事療法だったと信じています
こんな例もありますので、最後まで希望は捨てないで下さい