4駅連続スイッチバックのあった奥羽本線板谷峠の想い出を語るスレです
東北線より一段落ちの車両使ってたよね。
初めて乗ったオハフ61の背ずりにはびっくりしたよ。
スイッチバックが廃止されてから行ってない。今はどんな風になっているのか想像つかない。
toby09872000 は、自作自演をやっていることを認めたうえで、
『自作自演のどこが悪いんだ?』
と開き直っている。
旧型客車最後部の展望場所にたっていると、スイッチバックでの推進運転中に受ける風が予想外に強い
それにポイント通過で揺れるから、結構危険を感じました
板谷と大沢ってスイッチバックの側線あるけど、保守車両とか出入りしてんの?
私が国民学校2年生の頃、親父に連れられて乗ったのが4110の
牽く鈍行、真室川行きだった。
時速15km位で喘いで登る姿をよく覚えております。
戦前の頃のお話。
在来線485系1000番形式時代の「つばさ」、峠駅スイッチバックで列車行違交換のために停車していたよね?
>>6
そりゃいいね。 >>14
退避のため鈍行が峠のホームに入り、特急は本線を通過のことと思われ。 まだ狭軌時代、俺の乗っていた485つばさが大雨の影響で大沢駅スイッチバックに入ったのにはさすがに驚いた。
>>13
当時は勿論木造客車ですよね?
電化前の記録映画だと車両の端から真中まで見通せないほどの煙と、ハンカチで口を押えている乗客が印象的でしたが、演出抜きにそんな感じだったんでしょうか スイッチバック廃止直前に行った
そんときオレカ買った
懐かし
旧赤岩駅にポパイの看板があったね。
確か?「スイッチバック」と書いてあった筈。
57-11以前の「出羽」と「津軽」、福島ー米沢間はどれくらいスピードに差があった?
「津軽」は57年の春休みに上りも下りも乗ったけど、下りは郡山からだったので席確保するだけでやっと、上りは爆睡してたのでどんな走りだったか覚えてない。
その時米沢から福島まで客鈍にも乗ったけど、客車6両くらいで喘ぎ喘ぎという感じではなく山陰線のDD51牽引の客鈍程度のペースだった記憶がある。
(逆に東北線仙台口の客鈍の爆走には感動したが)
最速時間
特急 39分(1045M つばさ5号)
急行 40分(6402M ざおう6号)
急行 62分(404D 出羽)
急行 47分(8404レ ざおう54号)
ちなみに津軽は
1号 50分
2号 48分
3号 50分
4号 57分
下り出羽で66分、鈍行は73分〜99分です。
>>26
アリガト
鈍行も全駅停車、しかも4連続スイッチバックをこなして最速73分だから駅間に関しては鈍行の方が出羽より速いってことですね。
津軽に至っては余裕でちぎっているから、EF71に客車10両くらいなら余裕も余裕だったってことでしょうね。
一度出羽か昼行DCのおがに乗って越えてみたかった ウナギを頼んだらアナゴが出てきた、といわれた
のも懐かしいですね。
まぁ、アナゴもけっこう美味しかったりするけど。
>>20
煤煙の凄さはえも言われずでございました。
福島の駅ではアサガオ式のホーム内水場で親父と一緒に顔や
首を洗った事を記憶しております。
とにかく坂道のスローな速度が記憶に焼きついております。
>>27
DCおがは自転車並みの速度で勾配を上っていたという話を聞いたことがあります。 スイッチバック末期に一箱1000円だったような。
高くて子供が手が出せるものじゃなかった。
せいぜい500円くらいかと思っておりました(´・ω・`)
峠駅のお店に行けばバラの餅が食べれるって知ってた?
わざわざ乗りに行ったな。
オレが行った頃は50系客車だった。
峠で力餅買ったが、一人だと食べ切れなくて持って帰ったよ。
今じゃ新幹線か。乗っておいてよかった。
力餅屋の親父曰く、峠駅と新幹線車販のとでは中身が違うって言ってたな
(日持ちの関係らしい)
>>33
>>34
今も峠では1000円。餅の数も多いけど。
車販のものが500円くらいだったかな?
>>37
そもそも作っている所(店)が違う。 最初に峠で力餅かったときは400円の箱があった記憶。
上り福島行の最終列車で買った。
仙セン719系0番台の前面幕に、「上ノ山」や「庭坂」が今も入ってる。
5000番台は、板谷峠を自力で走行できるが、0番台は自力で通過ができたのだろうか?
狭軌時代の最後まで普通客車列車が板谷峠を往来したのは奇跡かもしれない。
本来なら、昭和60年3月改正で電車化される可能性があったのだろう。
普通客車列車を50系で保持する秋田鉄道管理局絡みで板谷峠に客車列車が残されたことになっていたのだろうか?
>41
当時、当該区間普通列車の電車化計画なんて更っから出てないよ。
上山は山形側からの、庭坂は福島側からの折り返しローカル運用だけ。
0番台も当然自走は可能。今でも仙山線には乗り入れしてるしね。
(電車で言えば、・・・455、485、583系が自走してるし)
板谷峠じゃないんだけど、信越本線二本木にスヰッチバックが
現存しててビクーリ
EF71+ED78の重連や71同士や78同士の重連の場合とそれぞれ単機の場合とでは
何によって重連にするか単機にするかを決めてたの?
小3の頃乗りに行った時、重連を期待してたのにED78の単機だった。EF71連結
するの忘れてませんか?と言おうとしたけどそのまま福島駅を発車。
列車はEF71連結し忘れたまま板谷峠にさしかかり、パワー不足で途中で登れなく
なるのではと心配だったのを覚えている。
>>45
言えばよかったのに。
お茶目な運転士だったら、こう返してくれたかもよ。
「登れなかったら押してね!」
それはさておき、昔は気さくな国鉄マンが多くて楽しかった。
高校〜大学時代に乗り歩いていたけど、結構いろいろ話してくれたよ。 >>45
末期の頃の普通客レの場合、重連の理由は殆ど機関車回送の為。
重連にするかを決めるのは列車重量、特急「あけぼの」は勿論重連。
因みに貨レでもEF71単機の列車があった。 >>46
「おちゃめ」「気さく」・・・良いよね、そういうの。
鉄道を通して人間同士が触れ合っている感じがする。
今はナニかも無機質でツマンネ(´・ω・`) >>47
どうもです。客車2両くらいでなんで重連なのかと思ったら回送だったのですね。
>>46
その時は「本当はダメなんだぞ」と言って最後尾のドアを開けてくれました。
今じゃ考えられないけど。 >>31
DC急行はエンジンの負担が大きいから、夏場でもクーラー切ってたそうだね。 82系時代の「つばさ」と「やまばと」にはELが補機として牽引していたのに
電車化された「やまばと」は元より、キハ181系に置き換わった「つばさ」だってEL補機は不要となったんだよね?
>>50
冷房は別エンジンだから関係ないでしょ。つかDC「おが」の冷房者はG車
だけだった。 キハ181系は生れながらのポンコツで補機は不可欠でした。
それでも最初の1年は自力登坂しましたが何か?
てか東北線内で120km/h出せたことの方が意味があったけど
181系には補機がついたけど58系には無かったような・・・
私の記憶違いか?
でなければ何故?
>>55
181系も当初は補機なしで登坂してたが、181系の大パワーエンジンを冷却する方法は屋根を見れば判るとおり自然通風式の空冷。
当時の技術ではあそこまでしないと冷やせなかった程の大パワーエンジン。
が、自然通風式という事である程度のスピードが出ていないとエンジンが冷えない。
つまり平坦線での高速運転に向いている車両なのだが、これを国内有数の急勾配線区に投入してしまった。
エンジンに一番負荷がかかる時の出ているスピードは最高速度の三分の一程度。これでエンジンを冷やせといっても無理がある。。。
58系はまあ逆の特性と思っていただければ。 >>57
冠着トンネルが鬼門だったと聞いたことありますね。
25‰片勾配+排気熱が原因だったようですけど。 60年改正から1006レ→1004レで廃止が平成5年でしたかな?
57年改正で撮影可能スジになった物の、短い期間しか撮影できませんでしたね。
昔大雪で大幅に遅れた1001レを山形で撮ったことがある
夏に米坂線の撮影に行ったとき、「おが1号」だったかキハ58の自力登板で出力を確保するためにクーラーを切って登った。窓を全開にするように案内があり、「皆さん、窓を開けて列車を励ましてください」と車内放送があった( ̄□ ̄;)!!
ユーモアがあって良いな、そういう車内放送w
車掌の性格によるもんなんだろうね。
キハ58系の冷房エンジンは走行性能に関係ないから。
走行エンジンからクーラー動力取るようになったのはキハ185あたりから。
キハ58のクーラーはキハ28の発電エンジンから供給して貰う形でしたな。
しかしキハ28は自車を含めて3両までしか供給出来ず、
「おが」に全車分の冷房電源を供給出来る程のキハ28を連結すると峠を超えられないと・・・。
だからかどうか知らんが、G車を除いて全車非冷房車で運用されていたような記憶あり(キロは自車分の発電は可能)
>>62
急行は方面別の列車番号がすごく判りやすかったけど、
特急の列車番号は判りやすいような判りにくいような独特のつけ方でしたな。。 昭和36年(だったかな?)、秋田で国体があった時、お召し列車がここを通って
います。牽引機はEF166だったと聞いています。(重連だった可能性もありますね)
この時の写真はまだみたことがないのですが、どこかに出ていたでしょうか。ご
存知の方がいらっしゃたらご教示下さい。
ちなみに、この時の帰途には花輪線を通っており86が前後について運転されてい
ます。朝日新聞社の「世界の鉄道」にこの時の写真が出ています。
>69
プレスアイゼンバ−ンの『奥羽本線福島・米沢間概史』に記事と編成表のみ出てますね、EF16 6号機単機牽引で暖房車ホヌが連結された様です。
板谷峠でのお召しの写真は見掛けませんねぇ。
すみません、昭和35年の山形蔵王植樹祭の記事でした。
この時は復路も板谷峠を通ったそうです。
翌昭和36年もお召しが走ったかは書かれてないです。
>>69
昭和36年の秋田国体は新潟長岡経由、帰路はその通り花輪線〜花巻〜。
なので昭和35年の山形植樹祭と混同されているのでわ? >>72
69です。どうも私の方に混同があったようです。
ご指摘ありがとうございました。 実現しなかったけどEF71 or ED78の牽くお召し列車を板谷峠で見てみたかったな。
両機の重連だったら最高と妄想。
>68
赤岩、峠に郵便局があったら怖いよ。
大沢は小さい集落があるから不自然じゃない気がする。
大沢には小学校があった。簡易郵便局くらいあったような…。
それって大分昔の話でわ?
先日大沢行きましたが、小学校の跡地らしきものがありました。学校の類はありませんでした。
大沢の集落って何気に萱葺き屋根の民家が多くて素敵だね
最近板谷峠行った人いる?
もう紅葉終わったかな?峠駅周辺は終わってるだろうけど。
>>84
ありがとう、この連休で行って来ました。
本当に赤岩だけかろうじて紅葉残ってたと言う感じでした。
>>85
板谷峠は雪ありませんが、我妻富士は雪被ってましたよ。
夏場から秋口にかけては『つばさ』を撮る同業者に会う事は稀でしたが、
今回はかなり居ましたね、福島ナンバーばかりでしたが・・・ 今は亡き祖父母が、庭坂に住んでました。
親戚が山形にいたので、何回か鈍行で板谷峠を越えた
思い出があります。
当時は旧型客車で、編成も長かった記憶があります。
30数年前のクリスマスイブ、秋田の祖父が他界した。
翌日、両親と姉の4人で臨時のつばさ(だったと思う)の立ち席で秋田に向かった。
小さな洗面所の窓から必死で景色を眺めたものだった。
その後何度通ったろうか? 祖母の葬式のあとに、津軽で上野に向かった20数年前を最後に通っていない。
年が明けたというのに誰も書き込んでいない過疎スレw
>>96
上野発9時4分の「つばさ51号」ですかな
あれは黒磯に12時前くらいに到着して数分停車するから駅弁をゆっくり買えたな。
秋田着が18時くらいだったっけ。9時間お疲れ様。 板谷は雪凄いのかな?
鉄道ファンに出てた記事、『忘れえぬ雪、板谷』を思い出した。
ラッセルしたED78は顔面雪塊状態で機関車なのかラッセル車なのか解らない程だったwww
昔、たぶん昭和50年前後
すでに山形まで電化されてた時代
東京に帰るとき、なぜかディーゼルの蔵王に乗った。
臨時だったのかもしれない
夏場で暖房車だった。
たぶん「やまばと」が取れなかったのかもしれない
初めて板谷駅に停車
たしか駅名の看板に海抜○○Mとか書いてあったような?
57.11までキハの「ざおう」って定期で残ってたよね。「いいで」と併結。昼間の「おが」もキハで残ってた。
東北線をキハ58がエライ勢いで走ってたの覚えてる。
あの頃のキハ58や28は冷房積んでなかったのも多かった。
>>101
「いいで」と併結している「ざおう」は季節運転だったはず。
郡山から福島までノンストップで爆走したのを覚えている。 >>100
>初めて板谷駅に停車 たしか駅名の看板に海抜○○Mとか書いてあったような?
板谷と峠駅には海抜○○Mと書いてあったよ、確か峠は600何十メートルだった気が・・・
赤岩、大沢は未確認です。
昭和57年から59年までよく板谷峠に撮影にいきました。
福島機関区を横目に見ながらわくわくしたものです。
もっとキチンと撮影しておくべきだったな。
>>105
自分も後悔してます、どなたか板谷峠(狭軌時代の)写真集とか出版されないかな?
1995年の夏だったかな。
郡山工場でEF71、ED78解体していました。
庭坂の大カーブであけぼの撮影したかったです。
まさか400系が福島機関区の地で解体?されることになるとはな…
自宅が米沢で女房の実家が福島市内だったから、正月は女房の実家で過ごし、年明けにEF71牽引の旧客で帰るんだよね。
1月の板谷峠は、意外かも知れないけど、たまにドカ雪が降るんだよ。
EF71ってのは、意外に粘着性能が悪くて、赤岩辺りまでは、砂撒いたり空転しながら登るんだけど、峠駅手前のカーブで空転すると、まずは登れなくなるんだよね。
機関士さんとの雑談で聞いたらEF16とかEF64とかの直流機より悪いそうな。論理的には全く考えられないけど。
で、峠の手前で空転すると、車掌さんが「男性の方で列車の後押しにご協力頂けます方は…」っていう放送が入る。
信じられないと思うけど、こっちも翌日仕事だし、旧客降りて、皆で押し上げる。
列車が数十メートルバックして、全開。男達が押す。列車は動き出すけど峠まで止まれないから、俺ら押し屋を峠駅で待つ。
雪の中の33.3‰は、人でも辛いから、息が上がりながら峠駅まで登る。
峠の力餅とトン汁をよく無料でもらったよ。もう書いても時効だろうし。
女房の両親も、もう天寿を全うしたから、福島へ行くのも、法事の時位だな。
こんな縁があって、鉄道ファンになったし、改軌前の福島機関区には良く見学に行っていたな。
…という様な話が、戦前辺りの軽便鉄道なら意外にあったかもね。
>>112
意外というより、板谷峠なんて冬の間はいつでも
ドカ雪ってイメージなんですけど、そうでもないんですか?
尻押しの話しって、たまに聞くけど、押しているときに列車が後退して、
ひき殺すなんて可能性とか無いのかなぁ・・・(´・ω・`) その話しホンマかいな?w
D級のナッパ単機牽引の間違いでわ?
蒸気時代に環金トンネルで立ち往生した列車が後退して赤岩で衝突脱線した
大事故があったな。
板谷駅の前に殉職碑があったけど詳細知ってる方いますか?
>>112
軽便鉄道にEF71が入線したら地盤沈下で脱線転覆すると思われwww >>117
確認はしてないけど残ってないんじゃないのかなぁ…
数年前まで峠や大沢なんかに狭軌時代の線路が残ってたけど去年久しぶりに行ったら撤去されてた。
旧峠駅跡地は最上屋さん(力餅屋さん)がスゴイ庭園にしてたよ。
あんな馬鹿デカイ岩をどうやって持ち込んだのか知りたいものだ。 もしもキハ65が急行おがに投入されていれば板谷峠を時速20キロ程度でゆっくり登るなんてことは無かったのに
何故か東日本には投入されなかったが。
キハ65はキハ181とは違い床下に強制風冷型ラジエーターを積んでいるのでオーバーヒートは起こりにくいはず。
>>124
スイッチバック廃止、あけぼの・津軽・おがの経路変更から今年で20年…
>>125
一部の車両だけキハ65に代えてもそこまでスピードアップできるとは思えんがな
(キハ65の投入は冷房化が進行した山岳区間優先だったので東日本には入らず) >>125
20キロというのはキハ58の話し?
そんなに自転車みたいな速度だったのか。
もしかしてEF71辺りに牽引される客レの方が速かったりするんだろうか。
碓氷峠でも30キロくらいって聞いたことがある様な。 >>127
キハ58は変速機の関係で時速20km前後だとオーバーヒートを起こさずに登れたらしい
(キハ80系は速度を稼ぐため補機を連結、キハ181系は力技で登って例の故障)
EF71・ED78の客レだが特急・急行は勿論普通列車でも駅間では結構勢いがあった(50km/h前後?) 急行おがは455系にするべきだった。
全線架線下なのにDC列車って・・・。
急行ざおうは455系だったが。
485系でも大変だったらしい。
6M6Tでは登れず8M4Tでやっと登れるレベルだったのでユニットカットした場合EF71のお世話になったとか。
>>129
多分他線との運用の絡みがあるんでないの。東北の気動車運用は複雑だからね
それに高コストの交直流電車は少ない両数で回したかったんだろうな
ただ電車は無理でも、(EF71+)ED78牽引の12系PCでもよかったように思うけど >>133
冬場の臨時ざおうでよく見た編成だったな >12系
ED78・EF71末期のスキーシーズンにはSERがやって来たり結構カオスだった 赤岩、板谷、峠、大沢の住民はどこで選挙の投票してるのかな?
赤岩って住民居るのかな?山の上の集落は赤岩住民となるんかな?
ダウンロード&関連動画>>
485系でも喘ぎながら登ってるような
もしも近鉄21000系みたくオールMだったら100キロ以上で登れたのでは? >>137
つか、今の新幹線つばさでもそんなにスピード変わって無い気がする。 >>137
リンク先からたどっていったEF71のほうが速いような… 板谷峠は急カーブの連続で振り子でも100km/hは無理かと…
因みに485『つばさ』でも故障等でユニットカットすると板谷峠を登れないらしく釜に引っ張って貰ってた記事が某誌に出てた。
>>139
ダウンロード&関連動画>>
2両編成でEF71牽引とか3両編成でEF71重連牽引とか幾らなんでも無駄だろ
電車化しても良かったのでは?
715系や455系は確か庭坂まで乗り入れていたはず。 >>141
横手や秋田まで直通する普通列車があったからな…
(当時の山形以北はつばさ以外客車だらけ) DD14特雪の後押ししてるED78の写真みたけど凄いね。
>>145
上越線でEF16が特雪にくっついてる光景見たことあるぞ >特雪列車で電機って珍しくないか?
燃料切れとトラブルによる立ち往生が怖かった為に
電機との編成があったと言われている
>赤岩、板谷、峠、大沢の住民はどこで選挙の投票してるのかな?
赤岩駅付近住民は庭坂の小学校
板谷駅付近の住民は公民館
大沢各駅付近の住民は旧分校
峠駅付近の住民は主に板谷の投票所まで来て投票してる場合が多い
ソースは各自治体のHP
>>149
DD18・DD19を解体したら何かの祟りみたく板谷峠は豪雪被害に遭ったな…
奥羽本線の除雪車といえば廃車前は新庄にいたDD531もパッとしなかった >>151
そりゃDD18、DD19の祟りだろ絶対w >>150
赤岩駅周辺を住所としている人はだれ1人としていないんじゃなかったか?
峠駅は力餅屋の人などまだ多少いるね。 >>153
赤岩は駅がある山の上にちょっとした集落あるよ、大平集落だったかな?違ってたらすまん。
名前思い出せないお。。。 >>155
間違えていませんよ大平(おおたいら)です
話は変わりますが旧客車時代は運転士の腕が如実に出てましたね
スイッチバック区間は牽引・推進運転の繰り返し
機関車と客車の間そして客車と客車(郵便・荷物車を含む)
間の連結器の隙間を発車時にショックが少なくなるように
上手く調節しながら停車
上手い状態にならなくてもそれはそれで・・・・
良い時代でした
板谷客レ末期の乗車展望ビデオあるけど、発車時のショックが凄くて、画像でも解る程だった。
でも、列車通りの『さよならスイッチバック号』は発車のショックが無い様にみえた。
運転士の差か?
さよならスイッチバック号のウテシは確かに上手かった、ネ申の領域かも!?
そう言えば廃止間際に撮り鉄のせいで列車が遅延気味になった時にウテシの逆鱗に触れたのか
物凄く運転荒くなったとかあったなぁ〜。
>>161
33‰を結構な勢いで降りてたしつばさが走ってる以上列車本数はあったから
昔ほどでないにしろ回生ブレーキは機能してたでしょ
(特急・急行牽引だと走り方次第で登った分以上の電気が降坂時に生じたそうだが) 架線電圧2万ボルトに回生させるには、発生した電力が同ボルトじゃなくても流せるの?
物理は分からない。
>>164
降圧トランスは逆方向から見れば逆数比の昇圧トランスだから辻褄が合うの(w
発電側がインピーダンス降下分×2だけ高い電圧で送り込まないと回生制動できないが。 普通列車は本数的に気動車化するべきだったのに急勾配のせいで出来なかったかと。
キハ52でさえも客車より遅くなるのでは?
>>167
車両運用上のことを考えたら無理にそんなことをする必要もないしな
(機関車は共通運用、普通列車も山形以北発着の列車が存在) あの時代にキハ110があったら運用楽だったろうな。千分の38パーミルの急勾配を時速50キロ毎時でかけあがる姿を見たかった。
脱線だかJR北にあるような1両当り900馬力の特急ディーゼルカーがあれば振り子を利かせて38パーミルを80キロ毎時でかけあがる特急も見たかった。
ディーゼルカーは特急と急行で十分
各駅停車までディーゼルだと夏の暑い日など窓が開ける事が出来ず困る
特にトンネル区間では排気ガスと暑さで我慢できない
但し冷房等の空調機能がきいていれば話は別
ディーゼルだと、やはり33‰はかなり厳しいと思う。
最近の1車両当たり900PSもある気動車は分からんが、国鉄時代では…
スレチかもだけど、肥薩線ではDD51がオハ60系3両牽いてトンネル内で止まりそうな速度になっていたよ。
排ガスが車内に充満して凄かった。
蒸機時代はどうだったのかと思ったよ。
花輪線を走ってるキハ110は33‰の登りを50km/hで登ってると
どっかのサイトに書いてあったなあ。
板谷駅は今頃蝉が盛んに鳴いていて ロケーションも相まって
いい雰囲気なんだよな。BGMは陽水の少年時代か?
大昔は貨車扱いもあり賑わいがある駅だった。
>>172
それは坂に掛かる初速の問題がからむ。
高速で突っ込めればそれほど速度が落ちなくて済むが、勾配起動をしたら大変!
平衡速度が20km/hそこそことかにっちもさっちもいかなくなる。
昔、筑豊の篠栗線で快速列車なのに表定速度は各駅と同じだというふざけた列車が走ってたが、
それはキハ17系で急勾配区間じゃ停まってられないから「快速」にするしかなかったみたい(w >>174 厨房の頃、DC急行ざおうに乗った時(米沢→福島)、かぶりつきでスピードメーター見てた。関根までは時速60キロ位できてて、関根駅を過ぎて坂にさしかかったら徐々にスピード落ちて20キロ強さしたまま峠駅までゆるゆる上って行った。
花輪線ゆ板谷峠等長い坂道を上がる場合は突っ込む速度は確かに影響する程度で数分で均衡速度に落ち着くかと。
キハ110は30トン程度の軽量ボディに400馬力オーバーのエンジン積んでるから坂道は強いよ。荷物満載の大型トラックのパワーウェイトレシオと変わらんしね。 >>171
そういえば、終戦後に復員兵を満載した列車がトンネル内で立ち往生、我慢しきれず下車した乗客が
後退した列車に轢き殺されたという悲話があったな
>>175
気動車はトルコンやローギアがあるから出力が電車と同等なら、電車よりも勾配に強いかも知れないな
長い勾配では、電車でもさすがに定格以上でモーター回し続けるわけにはいかないからね。
485系も1ユニットカットだと自力では登れなかったようだし
下り「DC急行おが」は板谷付近を昼位に通過する
轟音轟かせ空に向かって煙を巻き上げる
低速で板谷付近を通過する
夏の時期この煙が沿線の住民が一番嫌がった
今の様にクーラー等の冷房器具は無く又気密性の無い住宅
風の無い時は煙が拡散しない為住民は窓を閉めた
列車が通過しても煙が拡散するまで窓は開けられない
逆に上りの「おが」は下りと比べられない早さで通過して行った
>>178 高校の自転車部の選手より遅いな。登攀時のDC急行おがは。
エンジン換装前のキハ58&28でよく38/1000登ってたな。 33.3でしょ。
つか板谷の沿線住民とかいないだろ。キハの排気煙なんか問題にならねぇよ。
>>173
>>177
板谷駅構内を2軸か4軸だったか分からないがロッド付きスイッチャーが
工場内で製品を積み込んだワムやタキ23950形を入れ替えの為
右往左往している姿は懐かしい思い出の一つ
自然に戻りつつある旧板谷駅構内に砂防ダムがある
その場所は昔タキ23950形に製品を充填する装置があった場所 >>180 平均は1/30勾配ね。(33.3‰)スイッチバック前後で38‰ >>181
結構大きい貨車だったよね >タキ23950 >>184
いいの?w
ちょっとネタ考えてみます
でも、ネタあるかなぁ?
今日は健診で有休なんで
今日中はとても無理だし期待しないで下さいねw 自宅が米沢で女房の実家が福島市内の旅館の娘だったから、結婚前には、よく仕事を終えてから
福島行きに乗って女房の実家に泊まったよ、戦後すぐだから、汽車賃はとても払いきれないけど、
女房の父上によく汽車賃を頂いたりしたな。電化直後だよ。電気機関車ってのが珍しかったな。
夏は仕事の掻きいれ時なんで、最終列車にもよく乗った。誰もいない福島駅に着くと、女房がホームで
よく待ってくれていた。
ある時、女房が「機関車のタイアが真っ赤になっていた」、と変な事を言うので2人で見に行った。
機関士さんと車掌さんが腕を組んで機関車の車輪を見ていたけど、なるほど車輪がほの赤くなっていたよ。
33‰を下るとなるほど凄い事になるもんだと思っていたら、車掌氏が、「あんたよく終列車に乗っとるな、
今度乗る時は、機関車がピピピピ…と汽笛を鳴らしたら、客車の隅に丸いハンドルがあるだろう、それを
右回り一杯に回してくれ、ピーと長く鳴らしたら、左に目いっぱい戻すんだ、頼むぞ」と言われた。
でないと、あんた、下手すりゃ事故に遭うぞ、と脅かされたよ。信じられないけど、戦後すぐなんて、
何でもありの時代だったんよ。
で、峠の下りになると、なるほど、機関車がピピ…と汽笛を鳴らす、貫通ブレーキで客車の手動制動なんて
ナンセンスな話だけど、多少は効きが違うのか、ハンドルを右に回す。ピーと鳴ったら左へ回す。
こんなことを何度かやらされたな。
2年程経った時、件の車掌氏と米沢からの車内で会うと、「もうブレーキ屋はやらんでいいぞ」と、
嬉しそうに微笑んでいた。何と「今度の機関車は発電所のようにブレーキが掛かるようになったんだよ」
と、仰る。びっくりすると発電所、発電所と笑いながら言う。今にして思えば、EF16が投入されたんだな。
福島駅に着き、女房に「今度の機関車は発電機が付いたそうだ」というと、「そんな話が…」となった。
機関車を2人で見に行くと、なるほど車輪は多少ほの赤いが、回生制動の威力か、EF15時代のような赤熱は消えていた。
車掌氏から、肩を叩かれ、「お前らもういい加減に結婚せい、汽車賃が無駄だろう」と言われ、若かった
頃なんで、2人して赤面したよ。
後刻、女房と結婚し、女房の実家に行く時に、件の車掌氏と会ったので、「結婚しました」と報告したら、
とても喜んで下さった。
…という様な話が、戦前辺りの軽便鉄道なら意外にあったかもね。
以下、マジ話。
EF71が期待通りの粘着性能が発揮できなかった話は、かなり前の鉄道雑誌で読みました。
私が福島機関区を訪問したのは高校生の頃、まだ国鉄時代。EF71の運転席とか撮影させて頂きました。
回生付きの運転席は、計器が多いのでびっくりでした。最近は機関区の見学などは制限されているんだろうなぁ。
当時は、何処でも(は言い過ぎか??)快く、親切に案内を頂いたけど…
福島機関区は小学生の自分にも快く見せてくれたからなあ。
テニスコート東の庫にED711がひっそりと入ってたのにはビックリしたよ。
毎週末に発表ってのはどう?
将来単行本になったりして
>>189
また思いついた時にでも書いてくれれば良いと思うが。 >>191
あんがと。もう夫婦ネタはいらんしょ。スレ汚しすんまそん。
マジレスの方のEF71の粘着性能の件、どなたが知らねすか?
確か回路構成がなんとかかんとか…って読んだ記憶あり。 >>192
EF71の主電動機回路が原因かね(台車ごとに直列、それを3組並列の固定接続)
6個直列では出力過剰、福米間ならば並列段使うほどの高速をそう出さないとして
こういう構成にしたらしいがED78は通常の直列―直並列―並列の組み合わせだし
EF71も当初の計画と違い福島―山形スルー運転が基本だった辺り色々微妙だったな 直流機じゃないんだからw
交流D級は全並列のところをF級は粘着に余裕があるってことで2個直列3並列にしたんでしょ。
だからED78が1軸空転すると1/4の牽引力低下で済む所が、EF71は空転すると2/3の牽引力になっちゃう。
そのうえ同じ理由で軸重補償や空転検知もケチってたから、14と15はその辺改良したらしいよ。
>>193
あんがとーです
そんな感じの話だった。ED78と回路構成が違ってなんじゃら。
自分でも少し調べてみます。
読んだ当時は理解したつもりだったけど、今となると…(汗)
私が福米に行った頃はEF71ばかり走っていましたね。
ED78とは、福島機関区で会いました。
仙山線も乗車したけど、ED78の旧客だったかどうか?
それこそ「実家に行って」、当時の旅行ノートや写真のスライド(ISO(ASA)64のコダクロームでした)でも見ないと…
そもそも自宅に残っているか?… >>194さんも回路構成の話ですね。あんがとです。
以降、レス控えて、ちと勉強してみます。
鉄道雑誌も、今更考えても何だけど、古本屋さんに出しちゃったし… っつうか確かに交流機にS・SP・Pの制御概念は無いよね。
基本無段制御ですよね。細かいノッチはあるけど。
細かい話しは抜きにしてEF71、貨物列車や割と長い客レなんかも単機で牽引してたよね。
勿論牽引定数以内の列車なんだろうけど。
プレスアイゼンバーンの板谷峠概史には『あけぼの』に使用されてたカニが改造によって重量が増えてて牽引定数オーバーして(機関士達は知らなかったらしい)
頻繁に空転して遅延の原因になってたとあった。
因みに急行『おが』『津軽』なんかは単機でも空転しなかったとも。
そんなに評判悪い機関車だったんかな?
仙山線の客レは1982年の写真が残ってたけど、この頃既に客レのほうが少なくなってたと記憶してる。
>>194
いずれにしても交流機の粘着特性を過大に見積もっていた経緯があるからね…
>>198
EF71単機の定数は430t(最大450t)だったか
で、「あけぼの」の20系は現車13両、換算41両(410t)とされてた以上
数字の上ではEF71単機牽引で良かったんだろうが昭和40年代後半以降
次々と防火対策工事や補強を実施した関係から編成で実質1割の重量増になってたからな
(昭和53年夏の通達で重連が常態化、24系は元から編成重量が450t以上なので当然重連) そういえばED78の牽引定数も、EF71とそんなに大差が無かったような記憶が。
キハ82、181系の補機として先頭に立つEF71はカッコよかった、ホント泣かせる姿だった。
この頃の動画は流石にYou Tubeにも見当たらないな。
ゴメン、EF71の時代の「つばさ」は181系だったね。
>>202
短期間だけどキハ80系にも補機として使われてるよ(43・10直前〜昭和45年初まで) 貨物列車廃止前に板谷峠を走っていたコンテナ車の形式が分かる方いませんか?
ググって写真等は見かけるのですが形式まで読み取れる事ができません
よろしくお願いします
>>201 この動画がうpされたら急行ニセコC62重連並みに萌えるな。
キハ58の急行おがやざおうの動画もあれば萌え×2 >>205
80年代後半だと大半がコキ50000・コキフ50000では
(まあコキ5500/コキ60000も混じってたかも) >>201
EF64+82系やキハ58はながさなら有るよ。
1002や1003の重連には痺れるが、深夜だったのでほとんど見た方はいないね。
ちなみに、1001と1004は山形受け持ち
1002と1003は福島受け持ち
キハ40では、33‰での均衡速度は28km/h程度で、もはや歩くくらいの速度でしか登れないのできつい。
@Reply>>174
士幌線の黒石平駅と同じ。
当駅は勾配上にホームがあるため、当時のキハ20やキハ40で勾配上にあるホームで停車し、そのまま発車させるのは難しかった。
そこで、上り方面は麓にある停車場から発車させ、下り方面は当駅から発車させる事になりました。 失礼します。
この場合の「上り」は坂の上りですよね。
興味があるんですが、知識不足で(汗)。もすこし簡単に状況解説頂けますと幸甚です。
>>209 うpされているサイト分かりましたら教えてくだされ。 >>211
勾配上にあったのは電力所前仮乗降場。
黒石平駅は平坦だったが集落から離れていた。
1963年に電力所前仮乗降場が開設されるまでは黒石平駅に上下列車が停車していた。 213
うpされているサイトは有りません。
当時はカメラでの撮影がほとんど、ビデオでの撮影はほとんど無し。
>>201
無いものねだりで見たくなってきたwシロクニニセコは沢山あるのに何で無いんだろ?
長大編成の「つばさ」がオーバーヒートしそうになりながら板谷峠越えるのってどんなだったんだろ?
>>216
最悪なことに東北のキハ181特急=SLブーム末期だから仕方ない
53・10以前の全力疾走してた東北特急・急行の映像だって
広報用のフィルムかニュース映像程度しか残ってないぞ
(まあ東北は全体的に鉄道関係の映像が微妙だったりするが)
東北本線内を走るキハ181はさながらモータースポーツの会場か
プロペラ機の低空飛行を連想させる爆音上げてたのを覚えてるが
板谷越えはどんな感じだったのだろうな… >>216 当時最新・最強のエンジンを以ってしても板谷峠の過酷な環境に
結果してはね返されてしまう、萌えます。動画があったらぜひ見たいもの。
30年以上前に板谷駅スノーシェッドを通過し38‰に挑むDC急行おがを見た
が、DCといえども萌えた。あまりの坂の険しさに急行といえども時速
20km/hしか出せない。何せ、碓氷峠の66.7‰を登る特急の半分程度しかスピ
ードが出ないもんだから。
181『つばさ』が実際にオーヒートして止まった事もある程だから相当なスロー運転だったんだろう。
EF71+キハ181系つばさの走行音を是非とも聴いてみたいな。
>>198
牽引定数オーバーして(機関士達は知らなかったらしい)
機関士は、1・2ノッチ引いてもEF71が動き出さず3ノッチでようやく動き出すのでいつもと違い重いと思ったら庭坂の勾配から空転が多発。
30・40分の延滞というときもあり、機関区の休憩室であけぼのを運転した機関士仲間でおかしいという話になり、みんなで助役に直談判して調べてもらったそうです。
助役は定数内と一点張りだったが、本社で調べたら定数オバーが発覚し重連になったそうです。
知らなかったのでなく、最初に異変に気が付いたのがあけぼのの機関士というのが真実の話。
そこまでは本などに出てこない話です。
>>221
スゴイ情報通だなアンタ!もしかして現場の人?
上の方であんま良い事書かれてなかったけど現場でのEF71、ED78の評判ってどうだったんだろ?
流石にEF16よりかはマシだと思うが… >>219
47年当時(協調運転なし)
米沢 福島
12:18 2D 13:03
17:18 4D 18:04
15:39 402D 16:40
50年当時(協調運転中)
12:18 2D 13:05
17:18 4D 18:05
15:59 402D 17:02
485系やまばと・455系ざおうで40分、客レが50分ほどの所要時間です。
今気付いたけど、DC時代のつばさって列車番号がエースナンバーだったんだ。
上野発最重要列車が1Mだったから出来た芸当ですね。 >>224
キハ181の特性上速度を上げないと余計に登れなくなるとはいえ
単独時代のこの運転は相当無謀ではあるな
その上で>>217に出た東北本線での全力疾走、さらに雄勝越えもあるからきついな >>225 今思うと無謀な冒険だなあ。JR北の283系や261系なら恐らく
余裕しゃくしゃくだろうが、大出力空冷エンジンのキハ181系ではなあ・・。 >>226-227
181系は自然風冷式ラジェータであってエンジンそのものは空冷じゃないからな
「つばさ」の場合オーバーヒートは勿論「しなの」や「やくも」以上の
過負荷全力運転の多さによる駆動系の故障も頻発したそうだが >>228 確かにその通りだ。失礼した。ラジエターが空冷というだけでエンジン
は水冷エンジンだったな。 >>228
スレチだけどなんでキハ181系は自然冷却にしたんだろう?
機器搭載のスペースの関係かな? >>230
強制冷却によるパワーロスを避けるため。
これがオーバーヒートの原因となったため後年床下に補助冷却器を取り付けた。
自然風冷式ラジエータは自動車ではレーシングカー以外まず使われない。 >>231
そうなんだ。ありがとう。
急勾配対応の強力車だからてっきり強制通風だと思っていたので意外。 >>232
>>231の理由もあるが開発時間短縮と軽量化のために自然冷却を採用した面もある
(元々大馬力形は勾配より高速運転重視の設計なので自然冷却で済むと考えられてた)
ただキハ91の頃から少なからず問題起こしてたし放熱器の設計変えてたキハ181も
(補助冷却器自体は低速運転時の関係で当初から小型のものを付けてる)
「しなの」投入直後から山間部で散々冷却不良招いて「つばさ」用の2次車では
補助冷却器を大型化したけど今度は勾配区間+東北本線内での高速運転による
過負荷全力運転が常態化、エンジン本体や駆動系の故障は勿論排気系の異常過熱が続出した
(遅延回復時に故障車を引き摺っての全力疾走、臨時での夜行運転までやれば当然だが) 車でもS1300(本田宗一郎が最後まで空冷にこだわった車)なんてのもありますし
DML31自体が定格より組み上げたらオーバーパワー=発熱増大だったようですからね。
DCおがについては70年代後期から80年代初頭のジャーナルで特集していた記憶があります。
機関車が不足していたのと今更急行早くしてもしょうがなかんべということだったようです。
まぁキロ28以外クーラー積んでいなかったのもあるようですが。
何だか泣けてきた。 (´;ω;`) キハ181タソ カワイソス
あんまし細かいことは分からんけど、
強制冷却によって(結果的に)オーバーヒートってのも、何だか面白ぇなw
>>234 DC急行ざおうに乗ったが、スピードメーターは20km/hちょっと。
惰性運転一切無しの全速力だったなw山田線あたりの急行の半分くらいしか速度
が出てなかったのが泣けるというか笑えるというか・・・。 キハ58は板谷峠でよくオーバーヒートを起こさないな
やはり5ノッチ5分の制約があるから?
もしも5ノッチ5分の制約がなければ30キロ程度で登れただろう。
JR化後のエンジン換装車だったら250馬力でキハ185系とほぼ互角なのでもっと速くなってたかと。
>>238 キハ110だと花輪線の33‰は時速50km/h以上らしいから、キハ58も
エンジン換装すれば全然速度上がるだろ。 >>238
DMH17系の制約だよね。
でも、平坦線でもフルノッチ5分の制約がある時点で33.3‰にはねえ。
逆によく走らせたとも。
ディーゼルエンジン開発は経験則、運用は保守能力が大切と聞いたけど、もっとも。
キハ110は新世代だからなあ。 もしもキハ66・67で板谷峠を登らせたら全開のまま楽勝で登れるかと
DML30のデチューン仕様で尚且つ強制冷却だが。
あれからちょっと気になってあさってみました
件のジャーナルは1978年10月号 タイトルは電化とディーゼル列車。
西九州の架線下DC(平戸など)とおが1号の乗車ルポ
キロ28以外はすべて58で組成された11両編成だったとか。
キハ66,67はどうでしょうね。440PSまで落としても
結構暴れ馬のエンジンだった上に4VK載せてAU75付けてかなり重いですからね
(だから軸重の問題で筑豊線にしか入れなかった)何となくまた過熱やらかしそうな悪寒
同じ33‰でも板谷峠の場合相当な曲線抵抗があったそうだけど他線区とどの程度違うのかな?
>>244
国鉄末期の線路縦断面図持ってるけどR300や400が多いからな
特に赤岩〜環金トンネルの辺りや峠〜大沢〜関根はR400未満のSカーブが連続してる 381系の交直流バージョンがあったら板谷峠を高速で駆け抜ける事が出来たのに
>>247
キハ187なら山形新幹線を超える。振り子だし >>248 確かに。ほぼ同一な出力ならば、車体傾斜より振り子の方が急カーブに
強いな。車体傾斜だけでは急カーブに不十分だし。900PSクラスの気動車が板谷
峠に挑む姿を見たかったな。E3より速く走れると思うと萌える。 >>249
> 車体傾斜より振り子の方が急カーブに強いな。
そんなことはないと思う。
曲線制限が車種毎に決められた均衡カントに対する許容不足カントで、
機関車50mm、普通車60mm、特急車70mm、振り子110mmと規定され
これは転覆限界じゃなく、乗り心地限界から定められたものだから、車体傾斜方式は振り子車扱い。
従って振り子車と同じだよ。
車体傾斜方式が振り子式に劣るってのは、振り子車期待のヲタの伝説じゃないの?
新幹線N700だって車体傾斜式。 >>250 要は若干原理は違うが、車体傾斜も振り子のようなもんだってことかな? >>248-249
標準軌のE3が、いくら振り子だからって狭軌の気動車に負けないだろ
>>251
違うけど、最終的に曲線の通過速度は傾斜角度に依存するから。
ペンドリーノみたいなのと違って261は空気バネの安い傾斜装置だから振り子にかなわん。 も少し簡単に説明頂けると…
Wikiとか調べてないので、あまり大きな事を言えないんだけど…
>>251
車体傾斜も昔なら「強制振子」に分類された方式だけどな >>251
振り子は車体が外に振り出されるから重心は外に移動し、転覆限界は下がる。(重心を下げてるから低速車よりは高いが)。
車体傾斜方式はカーブの内側に傾けるのだから重心は内側に移動し転覆限界速度は上がる。
どちらも車体を傾けることで横Gを打ち消して乗り心地限界による曲線速度制限を上げるもの。
極論すれば、車体傾斜で乗り心地限界速度を上げるための方式で、振り子式と、枕バネ制御式とがあるって言った方が真実。
もう構造の複雑な振り子式は作られないかも知れない。 現在のE-3系『つばさ』も狭軌時代の485系『つばさ』も見た目では同じ位のスピードなんだけど…
板谷で初めて400系『つばさ』を見た時は余りの遅さに徐行してるのかと思ったよ。
狭軌時代は最速36分で新幹線になってからは最速は30分といくらかだが速くはなってるよ。数年前に郡山からつばさに乗った時に福島駅から峠駅通過まで18分だった記憶が。登りでも80キロ毎時は出てたような感じだが。
山形新幹線の次期新型車両は車体傾斜式にしても良いかと。
東北新幹線内だけでなく板谷峠でも作動させればかなりのスピードアップが期待できる。
>>259
置き換えたばかりじゃそれが出てくるのに約15年かかるがな
てか不思議とIDにE3が入った奴が多いw
誰かEF71やら400とか出してくれば面白いけど 山形新幹線内のE3って、最高速度130キロ毎時なのに評定速度はJR北の特急(スーパーが頭につくやつ)に全然敵わない。
ジークライトって山形交通の高畠線の終点に工場があったような?
>>261
そりゃあ、向こうだって130出すし、停車駅の数もあるし・・・ DC急行おがは、9両編成中、1エンジンのキハ58が6両、1エンジンの
キハ28&キロ28が3両であった。1両あたりの平均出力は300ps。
よく補機無しでオーバーヒートもせずに板谷峠を行き来してたな。キハ187
やキハ261なら1両あたり900psだから、エンジン出力でなく曲線半径
で速度制限を受けるなあ。きっと。
>>264
キハ58系は低速に強いDMH17と標準型変速機の相性もあってノロノロ運転だと登れた
これが高速域の性能重視したDML30+DW4のキハ181系だとフルノッチのまま
40〜50km/h前後の速度出した状態で延々走るから不利になったけど キハ181もフルノッチ制限されていたはず。
当初は無かったがオーバーヒート多発で設けられた。
>>266
そりゃまぁガバナー開きすぎで 過回転で580PSくらい出ていたエンジンも
有ったらしい(550PSはゴロゴロ)ですから で,放熱マージンは不足気味ですから。 >>264
> 1エンジンのキハ58が6両、1エンジンのキハ28&キロ28が3両であった。
?
「2エンジン」のキハ58、「1エンジン」のキハ28&キロ28
じゃないの〜?2エンジンキハ58の1エンジンバージョンがキハ28だと思ってたが。 >>268 スマソ。キハ58は2エンジンです。カキコボタンを押すときにチェックしないとねw 急行型DCはまだ軽いからオーバーヒートをしなかったのか。
庭坂〜ピークまで変速全開で何分くらいかけてたの?
さぞかしノロかったんだろうなあ。
>>270 40分程かけてゆっくり登ってたと思われます。 軽いからもあるけど、主な原因は遅いからでしょ。福米1時間くらいかけてなかった?401Dとか。
各駅停車と変わらなかった覚えがある。キハ181もそのくらいならオーバーヒートしなかったでしょ。
自宅が米沢で、女房の実家が福島だったから、盆休みには子供を連れてキハの急行によく乗ったな。
という人もいるかもだけど、DMH17系での単独登坂はちょっと無謀に思える。
勾配用の2台エンジンと言うより、急行型では速度確保の為の2台エンジンだったでねかな?
急勾配線区は無煙化後も機関車(EL・DL)での客室牽引列車が多かった気がするけど。
>>272
つキハ181のラジエーターは自然通風式 速度でないと冷えません。 >>271-272
ありがとです。
全開フルノッチじゃなくて、マージン残した走りだったぽいね。
十年チョイ前の真夏に花輪線乗ったけど、換装車はもう余裕♪の33‰でした。
板谷の苦闘はまるで想像できなかったなぁ。 >>272
そう。このスレでキハ181系が自然通風式と知ってびっくりしたが、原因はそれだけでは無いような気も。エンジンと変速機のミスマッチとかどうなんかね?(書いている方がいるね)
あとDML30ってガバナの方式はどうだったんだろう。
基本的には全速ガバナの方が、坂のはじまりで出力が補正(機構的に)されるから運転感覚だけでなく登坂には多少は強いかもね。 キハ183N・NN系だったらオーバーヒートは無かったかと。
キハ181系とは異なり全開走行でも連続定格の範囲内に収まっていた(キハ181系は590PS/2000rpmで連続定格500PS/1600rpmを超過していた)が。
>>276
>>265書いたものだけどDMH17+標準型変速機の場合20〜30km/h前後で踏ん張れるので
所要時間さえ無視すればキハ58系より重いキハ80系でも数字上は登れる
(当然実運用じゃ話にならないから補機連結したワケだけど)
で、DML30+DW4系列のキハ181だと元々70km〜80km/h前後まで引っ張るのを前提の機関構成で
33‰上では変速段のまま約20分程度5ないし6ノッチを投入、それでも50km/h内外の運転と化した挙句
機械式ガバナの調整やガスケット吹き抜けの問題から額面以上の550〜600PS前後と化した機関が出す
排気の温度がおかしなことになったために冷却が追いつかず排気管まで放熱器共々危険な状態で走ってた
(そして中間車の屋上放熱器は散々言われたように役に立たず、補助だったはずの床下放熱器がフル稼働) >>278
いろいろ情報ありがとう。
揚げ足を取るつもりは全くないんだけどディーゼルエンジンのガバナは、出力特性の指定とともに、過回転を防止するための基本的な機構でもあるのに…
あまりに重箱の隅をつついても仕方ないので、すんまそん。
ちょっと、181系ってどんなガバナ載せてたのかな?と。
ガバナ特性はディーゼル自動車でも運転すれば顕著に分かる位出力特性が変わるからなあ。 季節外れですまんが。
学生を終えた早春、最後の上りあけぼのに乗車。
赤岩辺りの下り坂と思うが、右カーブを行く前方が見えた。
外はちらちらと小雪が舞っている。
サボが点々と灯る編成先頭に、頼もしい重連機関車の黒い空間。
そのハイビームに照らされた前方の雪景色は、二十年超えた今も忘れられない。
二度と見られない風景なんですよね…。
冬景色、ええのう。
スレチだけど私も冬の北陸線で、能登に乗車した時の光景が忘れられません。
実家は米沢、母は福島の旅館の娘だったと父から聞いた。
私は、高校を卒業し、東京の大学への進学を決めた。
父母ともにとても喜んでくれた。
東京での四畳半のアパート住まいにも慣れ、自己の進むべき道を見定めた。
学生を終えた早春、最後の上りあけぼのに乗車。
赤岩辺りの下り坂と思うが、右カーブを行く前方が見えた。
外はちらちらと小雪が舞っている。
サボが点々と灯る編成先頭に、頼もしい重連機関車の黒い空間。
そのハイビームに照らされた前方の雪景色は、二十年超えた今も忘れられない。
早晩に米沢に着くと、年老いた父母と、婚約者が寒いホームで待っていてくれた。
私は山形で希望の進路に就職し、今は女房と一男一女の4人暮らしだ。
米沢の父母も健在だ。山形の私の家で一緒に住もうと私も女房も言ったが、
父母は米沢から離れたくない様だ。
あの時の峠の登りの光景は、私にとって二度と見られない風景でもある。
実家は米沢、母は福島の旅館の娘だったと父から聞いた。
私は、高校を卒業し、山形の大学への進学を決めた。
父母ともにとても喜んでくれた。
山形でのアパート住まいにも慣れ、自己の進むべき道を見定めた。
同じ大学の東京出身の女性とも懇意になり、就職を機に結婚しようと2人で決めた。
学生を終えた早春、最後の上りあけぼのに乗車。
母から頂いた塩むすびがとても温かかった。
赤岩辺りの下り坂と思うが、右カーブを行く前方が見えた。
外はちらちらと小雪が舞っている。
サボが点々と灯る編成先頭に、頼もしい重連機関車の黒い空間。
そのハイビームに照らされた前方の雪景色は、二十年超えた今も忘れられない。
早朝に上野駅に着くと、婚約者が一人、寒いホームで待っていてくれた。
私は東京で希望の進路に就職し、今は女房と一男一女の4人暮らしだ。
米沢の父母も健在だ。東京の私の家で一緒に住もうと私も女房も言ったが、
父母は米沢から離れたくない様だ。
あの時の峠を下る光景は、私にとって二度と見られない風景でもある。
>>285
文学的創作にお役にたてたのかもしれないが、自分が乗ってたのは青森発です。
米沢はもちろん山形も運転停車だったと思いますヨ。
付け加えるとその列車には、弘前から高校を出たばかりらしい男女が実際に何人も乗りました。
就職先の指定列車だったのかもしれない。
若くして故郷を離れた、彼・彼女等ももう40になるでしょう。
板谷とスレチになっちゃいますね、スマソ。 >>286
88年〜90年の上野〜青森間2往復だった時代も
あけぼの2号・3号は山形停車だったはず(上下とも夜中だけど) >>286さん
揶揄するつもりはなかったのですが、結果として揶揄してしまい、
申し訳ありません。
追伸を頂き、高校を卒業して遠くへ就職して行く方々、青森から
夜行で就職先に行かれた方、本当に皆さんにとって忘れられない
光景だったと、拝察致します。
「板谷峠の想い出」は悲喜こもごもだったのだと、反省致します。
286さん、弘前から就職先に向かわれた皆様の、いつか峠の良き
思い出として残りますよう、お祈り申し上げます。
大変失礼致しました。 >>287
宮崎アニメの『おもひでぽろぽろ』でも主人公があけぼので深夜の山形駅に降りてたね。
因みに上野発の下り『あけぼの』でした。 >>289
あの入線シーン、ちゃんとEF71+ED78のシルエットが描かれてるんだよな
映画といえばフランキー堺の「喜劇逆転旅行」も舞台が東北・奥羽線だったから
冒頭で早朝の米沢駅を発車するEF71とタイトルバックのED71を見て懐かしくなった >>289
何故かHMの付いていないED75の走行シーン
てっきり「津軽」かと思った 東北寝台は合理化でHMついてなかった時期あったからな。
>>292
その辺考えると中々リアルな設定で描かれたアニメだったな。
上野駅に推進で入ってくるシーンもあったしジブリ関係者に鉄ヲタいるんだろなと当日思ったものだった(笑) >>293
上野地平ホームの場面でも背景の書き込みは勿論奥に583系が写ってるし
最後の方に出た455系や気動車もきっちり国鉄色だったからね 高畑勲監督作品だし、当然そう(極力忠実に)描くはず。
最新刊のJ-trainにEF71牽引キハ181系〈つばさ〉の写真が一枚だけど大きくカラーで出てた、やっぱカッコイィわ(笑)
生で見て見たかった。。。
>>294
あの交直流電車の色合いは見事だったね〜
後に駅舎が建て替えられた後、舞台となった集落に、別の用事のついでに寄って見たんだが、
訪問する人も多いのか、紅花畑の入り口に鎖が張られていて、
「ここから先は畑地なので進入禁止」と数カ所に立て札があったよ。
入っちゃう人も多いんかね?
誤って入る所には見えんかったけど。 板谷峠を下る列車は抵抗器からの発熱が半端じゃないことになってたはず。
特に夏季はEF63みたいに抵抗器から陽炎が出ていたのでは?
>>300
ここの電機はだいたい回生ブレーキだよ。
EF64だけは抵抗だが、碓氷ほど低速じゃないから目視できないだろう。 >>300
一番凄まじい陽炎出してたのが例のキハ181… いやいや4110やE10の方が…
見たことないけど
>>298
これだけは見ておきたいと思って無理して出かけたなあ
何の情報もなかったので地図で良さそうに思えた赤岩と板谷に行った気がする >>305
思ったより速かった気がしますね
峠のSLのような這うようなスピードではなく
普通に走って来る感じ
30〜40キロは出ていたのではないでしょうか 戻し3〜4ノッチだよね。
わかりにくい例えをすると、場内警戒で入って出発注意でダラダラ加速する回送電車の音…かな。
改軌されたが、現役の奥羽本線板谷峠
羨ましいぜ・・・・>碓氷峠
>>306
ありがとう。想像してたより早かったみたいですね。
>>308
トンネル内のケーブルとかかなり盗まれて無残な状態のようです。 ここの住人は421レを知ってると思う。
年末の頃、この421レに乗って山形に帰省していた。
ちょうど赤岩あたりで朝日が昇ってくる。綺麗な朝日だった。
毎年それを楽しみに帰省していた。だが、夜行ドン行の廃止に伴い帰省は出羽を使うようになった。
出羽は早朝に板谷峠を通過してしまうため、峠の朝日を拝むことは出来なくなった。
それから何年経ったのだろうか・・・
今は「新幹線」で越える板谷峠、周りの風景はさほど昔と変わっていないが赤岩駅の朝日だけは見ることが叶わなくなってしまった。
>>299
写真撮ろうとしてヘタに入るとトゲでえらい目に合う。
>>295
綿密にロケハンしてました。
今じゃ高瀬地区も広い道路が通って、仙山線のガードも無くなり
「いきなり山あいの集落に来た」って雰囲気が無くなっちゃった。 山形の帰りに昨日板谷峠4駅フルコンプしてきた
旧駅はもう森に返りつつあって月日感じた
>>313
スイッチバックの折り返し千線とかいつの間にか線路撤去されちゃったね。 ところで改軌工事が始まる、すなわち狭軌最後の運転日を見届けた方はいる?
>315
狭軌最後の運転日って、455系が福島−関根を往復していただけ。
719が試験運転していたが、工事前日に米沢疎開!
深夜は庭坂駅に工事関係者が多数、最終列車通過後に切替工事とお決まりの流れで。
深夜に霧発生で視界不良、ガスやサンダーの火花が幻想的でした。
面白かったのは、赤岩駅スイッチバック切替で手信号になりスイッチバック4駅で夜行列車が停車。
赤岩駅では38パミールの勾配で牽き出ししていったよ。
次の日に板谷に行くと38パミールの勾配には空転の跡が4ヶ所クッキリあったね。
切替には色々面白いことが有ったね。
以上
>>316
そうでしたか、ありがとう。
路線自体の廃止と違うから、セレモニーとかは無かったようですね。
それでも福島機関区最後の仕事だし、空転との闘いを乗り切った安堵感はひとしおだったろうなぁ。 >>319
福島機関区自体は黒磯〜小牛田のあけぼの撤退と
ED77が全滅するまでは残ったけどな ED78も暫くは【福】の区名札入れてた。
何時から仙になったんだろ…
たしかに萌えるな。
紅葉に染まった峠も良し、
白銀の世界を行く姿もまた絵になる。
最後の日より、最後の冬が受験で潰れて結局写真撮ってなかったのが一生の悔やみ。
赤湯駅を出て宮内街道が立体交差の工事をしていて、
あの区域に入りにくかったのも大きな災い。
>>326
赤湯の地元学生さん(当時)ですか?
話変わりますが赤湯ラーメン龍上海は赤湯本店と山形駅前店では何故味が違い過ぎるのでしょうか?
後者はとても不味かったです・・・本店は激ウマでしたが。 >>327
ぶっちゃけ、赤湯の人であそこ行く人はあまり聞かない。
一度営業停止食らったんだが、それ知ってたのもあるけど、
他にもっと美味いものがあるから。 赤湯で他に美味い物って何?
まさか葡萄ってオチじゃないよね?(笑)
新龍の味噌ラーメン&餃子、いもせ食堂、来々軒とここらだな。
優先順位付かないけど、腹減ったらこのどれかに足が向かい、
普通に入るのがこれらの店。
それでも無性に食いたくなるのは、今泉のかめやw
>>331
サンクスです。山形新幹線撮影の折りにでも寄ってみます。 おーい。高畠衆いねが?
長谷川工場ってねぐなったな?
EF71とED78って電動送風機の音は半端なく煩かった?
あんまし記憶ないど電動送風機がうるさいのは抵抗制御の直流機だろ?
話が変わるけど、縁あって某区間でED75に添乗させていただいた事があるが、電車では経験できない立派なつり架け音だったなー。
そういう経験ができる人は非常に希なのだから、
テッパク保存車両辺りで録音でも良いから再現できる様にすれば良いのにね。
管内が騒音だらけになって、しょうがないかw
管内じゃなくて館内ね。
管内じゃ、いくら何でも広すぎますわなw
失礼。
>>334
駅発車時や回生ブレーキ作動中は結構送風機が回ってた
「ウォーン」と唸り声のような音を出してた碓氷のEF62・63とは異なる
「フィーン」といった感じの高音だけど >>335
>>338
サイリスタ制御だから、抵抗制御の発電ブレーキ搭載の直流勾配機関車と違って煩くないのか >>335 >>339
交流電機であっても主電動機や制御機器を冷却する必要があるから
(特にEF71・ED78は機器室にサイリスタ素子が並んでるわけだし)
負荷が大きいときや回生ブレーキを使用するとそれなりに煩くなる
もっともEF7114・15やED7812・13辺りは送風機を低騒音化してたと思うが 年越し運転会でEF71重連のあけぼのを走らせてきた
回生ブレーキが入るときの音は独特、引っ込み線から本線に出たポイントのあたりで回生のノッチ入れた。
スノーセット付近で撮影していると、カチィと音がしてからウイーンと唸り声をあげて下っていったね。
431レの場合、板谷で31Mの追い越しがあるので停車時間はブロアーを切っていた。
接近警報が鳴るとブロアーを入れたが、パチンと言うかドーンと音がしたらブロアーが動き出す音が板谷の渓谷に響いていたのを思い出す。
走り出すときに、カリカリとギアの噛み合う音が聞こえた。上りも下りも撮影して絵になる機関車だった。
音はビデオで確認したが文字にすると表現が難しい。
もしも直流時代に板谷峠に115系が投入されていたら
>>344
いや、日航123便の御巣鷹の尾根への突撃音だろ? >>345
土曜日の昼に号砲を打ち上げ、半ドンといってた名残かもしれない 板谷峠は50系で通り過ぎた覚えがほとんどないw
ED78+EF71+50系は3年間で一度もトラブルに遭わなかったが、
なんだかんだで気動車でのトラブルは遭遇したな。
>>348
急行ざおうや80年代後半の臨時快速なんかでは455・457が走ってたが >>350
福島⇔庭坂の区間運転以外普通列車は一貫して客車列車だったな
旧型客車の時代はよく鋼体化のオハ61・オハフ61が編成に混じってた その頃は東北本線も客車だったしな。その頃の東北の交流区間で電車は仙台口の417系くらいだろ。
50系の頃になると本線系は715系とか455系とかになったけど、板谷は短編成の1ユニットだと故障時に
対応できないから客車のままって聞いたことがある。
新幹線工事で関根−米沢間がバス代行輸送していた時に、福島−関根に455系が入った。
福島運転所企画の団体列車、「スイッチバック・YOU、ユー、ユー」で福島-山形-仙台-福島を一周した思い出がある。
今の時期、熊臨を撮りに赤岩や板谷に鉄が。
"シュプール・レインボー"や583の"シュプール・蔵王"も走っていた
それにしてもこうした改軌による在来線の運用影響は計り知れないな。
三線にしないのも表向きはトラブル予防とされてたが、最初からポイントヒーターはあったし。
書き込みが少ないね。
401レの話を少し。
板谷好きなら、急行「津軽」をすぐ思い出すとでしょう。
ED78+14系が有名だけれど、昔は4110が牽引していた事を知っている人は少ないよね。
庭坂から福島に行き津軽を連結、福島−庭坂間はノンストップ。
庭坂駅で給水停車、前後に補機を連結してから板谷越えに挑んだそうです。
福島−庭坂では全開走行、機関士席から煙突を見ると火柱が空を焦がしているようだったと。
石炭庫だけでは足りないので出区する時にキャブの床にも石炭を積み、時には助士席が隠れる位まで積んだので揺れる機関車で焚くのも一苦労。
運転席に1トン位積んだが庭坂に戻る頃には半分位使用、米沢までは3トン〜4トン焚いたそうです。
それを、まだ17歳の機関士と16歳の機関助士が本務で板谷越え。
信じない人もいると思いますが、乗務していた方の話です。
4110の時代は名無しの急行401・402レか405・406レじゃないかと(ry
>357 その通り、名前はなかったようです。
その方も、「急行401」といっていました。
石炭には松香油(松から取った油)をかけていたが、煙突から燃えた油分が体について取れなかったとも話していました。
>>356
その運転士というと昭和2〜5年生まれの人?
もしかすると最近死んだ親戚の爺さんが機関助士してたかも。
北赤湯信号所で止めるのにどこから減速するかとかなんか聞いたな。
>>356に便乗して俺も聞いた話。
赤湯駅が今のあの場所に建てられるのではなく、予定としては二色根の山あたりであった。
しかし、その先の鳥上坂を走破するに加速する距離が足りず断念し今の場所へと。 千住大橋だろ
地元北千住だが、さすがに古すぎて知らないよ
>>362
このスレの住人は殆ど知らないと思われ。 福島ー米沢間が震災で不通になってるけど、どの程度の被害なのでしょうか?
>>364
本日より運転再開したそうだ
そういえば400系もいなくなって早1年か…
(今年はEF71が消えて20年でもある) もう20年経ちましたか…
400系のお別れ運転もついこないだのような気がします…
>>369
EF71は最初から最後まで福島機関区(福島運転所)所属 78が山形電車区所属だったよね
奥羽本線標準軌化前までは福島運転所でおk?
>>371
ED78は93年まで福島運転所所属
93年以降廃車までは仙台運転所所属
ヨンサントオ以降90年代までED77・ED78・EF71は全車が福島所属だった
(ED77は全車会津若松に、ED78の一部は山形に常駐とされてたが) 山形じゃなかったのね
アリがd
>>一部は山形に常駐
落ち葉掃き機関車の12・13号機かな?
>>373
常駐といっても仙山線運用に入る分を山形に置くという形だったから
山形に待機してる78は定期的に入れ替わってた
(福島―山形はあけぼのの補機運用その他で回送) 1980年製最終ロットの12・13号機は短い一生だったな。
ED75 700番台はなおも残ってるのに。
三軌条化で在来線ネットワークが維持されていれば、また違った人生だったろう。
詮無い話だが。
>>375
今回の大災害でヒシヒシと感じさせられたよ>>在来線ネットワーク
迂回せずにショートカットできるし 旅客輸送「だけ」しかできないなんて、鉄道のメリットを切ったわけだもんな。
表に出てこないだけで、じくじたる思いの鉄道マンは大勢いるはず。
>>378
旅客の方も対東京以外考えてないような輸送形態だしな ED78の2号機なんだけど、末期の頃台車と台車の間にある箱(交流フィルタ箱?)が撤去されて
下回りがスカスカだったんだけど、どうしてだったんだろ?
もしかして箱だけ撤去して内部は残ってたかも・・・
S48設計変更が行われ、ED782は高周波フィルターの撤去試験に使用されそのままになってしまった。
通信誘導障害防止用高周波フィルターの撤去、主フューズの撤去など
試験の結果、変電所のフィルターで対応で対応できるため、機関車側のフィルター撤去する事になった。
でも、ED78とEF71の高周波フィルターは撤去されず、回路を切断して死荷重としてている。
なので、ED78とEF71のフィルター箱は付いていても本来の使用をしていなかったのです。
ED78の2号機だけか異色な形になったが、撮影に行くと遠くからでも一発で判明出来ました。
>>381氏
詳細有難うございます、不思議でしょうがなかった謎が解けました!
急行おがはキハ82時代の特急つばさみたく板谷峠でEF71に牽引してもらった方が良かったのでは?
こうした方が速度向上になる。
福島駅をでて東北本線と別れて左に折れるが
その線路づたいの小道のアパートに友達が住んでいた。
奥羽本線をまたぐ警報機すらない踏み切りがあって
そこが食糧調達のときのメインルートだったが
この踏み切りはよく事故がおきた。
>>383
機関車の台数が足りなかったから。
1978年10月号のRJ誌に種村氏のルポがあるが、あけぼのの運用すらギリギリだとか。 >>385
つばさの補機運用が原因で貨物列車が計画運休したこともあるからな
(EF7114・15はその分の補充、ED7812・13はあけぼのを重連化した関係で追加) つばさのEL付きはまったくの牽引?
小型密着自連だし、乗車数によって少しはエンジンを吹かしてたのかな?
>>387
キハ80系もキハ181系も協調運転(キハ181系時代の写真だと盛大に排気上げてる)
JR化後も西に残ってた元尾久所属のキハ181にはマスコンに「協調」標示があったとか >>388
なるほど、ありがとうございます。
過熱しないよう上限を下げて回していたわけだ。
するとここでも運転者間は、汽笛か無線でオン・オフを指示してたんだろうね。
下りならば庭坂先から、
機「ナナイチ機関士です。キハ運転士さん、協調ノッチ願います」
気「ナナイチ機関士さん協調ノッチ了解……協調入りました」
機「ナナイチ機関士了解しました」
無線ならこんなやりとりかな?
横軽よりも距離もポイントもあるから、また別の難しさがあったろうなあ。 つばさに71が補機として付いていた時は無線はありませんでした。
71の機関士は連結や発車の合図に汽笛を使用していましたよ。
つばさの運転士は機関区でも特急組に選ばれている運転技術に優れた人達、新人機関士が下手な運転をすると機関区に帰ってから怒られたそうです。
褒められることは滅多にないが、山線で褒められることは一人前と認められた事になるので嬉しかったという話を聞かせてもらいました。
特急だから機関士も年季が入った人じゃないの?
短距離でもったいないからランダム?
>391
つばさの運転手は山形〜の運転だったと教えて頂きました。
EF71の機関士は米沢〜補機に付いたが、山線の機関士は本線の乗務成績の良い人が山線希望して乗務出来たそうです。
つばさの運転士は山線乗務経験者の中でも腕の良い人たちが特急組に回されていたので、尺取り虫のような運転などしたら大変。
「なんで、あんな所でエアーの込め直しするんだ」とか言われたんでしょうね。
機関区でお小言かな
今朝の朝刊に酒田の高校生乗せたワゴン車が米沢の林道から転落したとあったが板谷の林道かな?
スキー場の下見した帰りって書いてあった。
>>394
天元台スキー場の管理林道だから違うと思う 定員オーバーのうえ無断通行らしいもんねえ。
鳥鉄の自己中さに通じるものがあるな。
なに言ってんだ。おまえのその短絡脳の方が通じるものがあるだろ
こじつけ発想しただけで崖から落ちたり、列車を止めたりせんわ。
撮り鉄はギリギリ一線を越えないから列車は止めない(最近は一部のアホーが止めるが・・・)
列車を止めるのは復活蒸気に狂喜した爺とかだよ。
線路に寝転んで撮影してSL止めたとか何年か前にあった。
“山行が”に旧線レポがあったけど、2代目線は電化してもしばらく使ったんだよな。
EF15・16や80系DCが駆けていたのが信じがたい崖が写ってて驚いた。
山が険しすぎて現役時代の記録は無さそうだな。
ここの区間も東北中央自動車道(笑)とやらが計画されてるんだね
福島ー仙台間はそんなに混まないから山形自動車道経由で延長すれば十分だろ。
今回みたいな震災が起きた時は迂回路として重宝するかも・・・?
貨物こそデュアルゲージトレインが有用だと思うけどねえ。
>>409
それがベストだったよな。
せめて緊急時の為にDD18は残しておくべきだったかと思う。 ウィキだと除雪機は「運用を外れた」としか無いけど、もう破壊されたってこと?
いくら夜中に列車が無いとはいえ、工事とかはどうしてるんだろう。
最近の冬はやけにウヤが多いきがするが、装備が貧弱化したせいか。
工事も除雪も全部モーターカーで済ましてるんだろうね。
機関士がいらんでお手軽に除雪が出来るから、って話を読んだ。
ドカ雪運休頻発は、それも影響してるんじゃなかろうかな。
前にも書いたが08年春にDD18・19を廃車にしたら
同年末に雪害、さらにそれと長野新幹線が原因のシステム障害起こして
東の新幹線は帰省ラッシュの最中に全区間運転不能になった…
峠区間が不通なら仙台なり古川に出ろってやつか。
ありゃ、これは現在進行形の愚痴になってしまうなw
しЯ束は利用者を足の生えた貨物くらいに思ってるからなw
だから平気で歩かせるし打ち切るし。
ところでこの区間の記録って旅客列車ばかりだね。
貨物列車の写真を見た記憶が無いんだけど皆さんはどう?
>しЯ束
これ、面白いとでも思ってるの?
バカにしか見えないよ?
>>420
貨物はEF71の末期まであったけど本数少なかったからな 本数多かったら三線軌道にするよ。
碓氷峠だって1000d貨物は無理で結局国鉄末期に廃止されたし。
>>423
IDにアプト式
貨物は改軌時点で仙山線・北上線に迂回する程度にはあったが結局全部消えたからね… 結局、記録らしい記録はメディアには出てなさそうなのね。
ということはかなり以前から山形内陸の物流は、東北線側からの道路依存大ってことか。
災害時有事には結局鉄道が頼りになることが今回の震災で痛いほど実感。
どうでもいい
>>422 >>424
1990.3の改正で改軌工事始まるからって旅客より早く仙山経由になったんだよな。
で、山形からは71重連で米沢まできてた。
新幹線ができてからは蔵王まで三線にしてまで残ってたけど、結局セメントなくなってなくなった。
というか仙山からも貨物なくなっちゃったもんな。峠どうこう以前の問題 なんなんだ、その「貨物が無いから貨物列車も無くなった」みたいな結びは。
山形県は無人の荒野じゃねえっての。
需要はあったが山形道の開通やらで、鉄道のアドバンテージが失われたってことなんだろう。
とはいえ先般の災害で、鉄路消失は物流の弱点だと改めて露呈した、と。
文脈から仙山線の貨物列車のこと言ってるってわかって貰えなかったのか、それともわざと
歪曲して解釈して絡んできてるのか…どっちにしろどうしようもないね
>>429
「改軌工事が始まるから仙山線へ移行した」
ここはごもっともで当然の措置です。異論はありません。
その後の仙山線貨物については新庄延伸工事が始まるから、奥羽の残りと併せてやめたと承知している。
だけどこれらが廃止されたことを、「峠以前の問題」と括ってるじゃないの。
話の経過に対し結論が唐突すぎて歪曲も何もできませんよ。
こちらの人格批判をするなら、貴兄なりの「峠以前の問題」を出していただきたいのですが。 まあ奥羽・仙山線に限らず2000年前後までに消えた地方幹線の貨物は多いからな
山形経由の代替経路だったとはいえ北上線の貨物が2010年春までよく残ってたと思う
宮脇さんがかつてあちこちの峠区間で
「昔は三重蓮でやっとこ越えられたところもいまじゃ電車でスイスイと」
と嘆かれておられたがなんか気持ちわかるおれも年とったな。
DC急行おがは乗ってみたかったな。
やっとこさ感を味わった方いますか?
>>443 DC急行ざおうならある。時速20`ちょいでローギアで回転高めをキープしたまま喘ぐように走ってましたよ。碓井峠を登る電車の半分位のスピードですかね。 初めて乗ったのは、もう国鉄消滅後の昭和63年11月だったけど、
その時の福島発山形行きの各停は、EF71牽引の50系PC2両…。
かすり傷負った位で救急車呼んだようなもの、何たる出力過剰ぶり、と回想してる。
>>445
もしかして、その程度の牽引なら
ED75辺りでも可能だったりするんだろうか。 >>446
もちろん充分可能だろうが、ED75には回生制動が付いていない。
坂を下りることも考えよう。 上の方にあったけど、普通電車としては切り替え時の臨時運用しかなかったのね。
導入するのに猛烈な抵抗があったのだろうか。
>>444
非常にリアルな文なんで見過ごしそうになったが
ローギアって変じゃね? >>448
仙台所の電車もそう余裕があるわけじゃなかったし板谷峠に入れると運用が限定されるからな
本数面からも無理して置き換えるより電機使うほうが妥当じゃないか 机上の計算に過ぎないとしても、板谷峠がED75で十分な輸送量に低下したとは、
ED78・EF71の開発者にとっては「そりゃねーだろ」ってとこだったかも知れない…。
>>452
夜行と貨物(と臨時)があった以上ED78・EF71が必要だったから 前にも書いたと思うけれど、今から約22年前の平成2年(1990)の冬に
主に福島〜米沢の普通列車(電車)に「冬将軍」なるヘッドマークを付けて
運転したものがあったが、ネットで検索してもほとんど画像も出てこない。
「板谷峠 冬将軍」でひとりの方のブログが出てくる程度。
私はこれに乗車したのだけれど、時刻表に載っていたような記憶もあるので
イベントや臨時列車ではなく定期列車に「冬の旅情」を味わってもらおうと
粋なマークを掲載して運転されたのだと思う。マークのデザインは円形で
上に「冬将軍」の文字、メインは米沢の郷土玩具「お鷹ぽっぽ」だった。
運転期間はヘッドマークにも入っていたが「2/3〜25」だったらしい。
冬将軍というとNHKのあのイラストばかり連想してしまうが冬の豪雪地帯を走る
奥羽本線と米沢の上杉氏を考えて命名したのでしょうか。
どなたか乗車の記憶のあるかたおられますか?
在来線から「つばさ」が消えて20年とは早いものですな
東北新幹線が開業しても、上野発着のつばさやあいづが残っていた。
乗り換えなしって結構需要あったのね。
>>458
新幹線上野開業後〜JR化の時期に廃止論があったが
その当時は福島・郡山以南でも結構客が乗ってたので引っ込められたとか >>456
「455系 冬将軍」
でググれば出てくるけど… あっ、ひとりの方のブログってこれか
はやとちり失礼orz
普通列車は機関車の回送のためだけに客車2両なのにED78重連とか無駄な事してたような
キハ52にするとパワーが足りず客車より遅くなるので導入できなかったとか?
当たり前だ
こんなクソ暑い冬があってたまるかwww
つばさの車内販売の成績がいいのは、適度な場所に板谷峠があって旅心をそそられるのも一因としてあるみたいですね。
>>467
そのネタを知っているとは、なかなかの通ですなw 餓鬼鉄 カンフー ビビビ
みんないいオッサンになっただろうなw
今でもそれら旧スイッチバック駅の便所はボトーソ便所かな?
現在でも719系5000番台が急勾配での雪や落ち葉による空転に悩まされるよな
対策として秋から冬にかけては閑散時間帯でも4両編成で運転しているとか
客車時代はEF71が力づくで登っていたが
EF71とED78ってどちらが人気あったのだろう。
俺もEF71と思うが、仙台地区ではED78が人気あり
>>486
仙山線のほうが馴染み深いし後まで残ったから無理もないか
まあ重連だとどっちも格好いいと思うけど 長さがほぼ同じなので見た目はあまり変わりなしだね
音はEF71が迫力あり、モーター6個付いているので当たり前か
ED78は中間台車なのでポイントを渡るとき軽い音だったな〜
あるよ。フィルタ多いでしょ。おかげで71の方が精悍
俺はED78の方が好きだったな。中間台車で軸重を変えられるのもカッコイイ
俺は交流機最強との触れ込みがあった
EF71が好きだった
設計通りの粘着係数が・・・とか話題になったEF71。
雪の峠越えはEF71の方が信頼性があったって話。
空転させないように運転すれば心強い相棒よ
機関士の腕次第で20系13両でも何とか牽いちゃいますって。
回路設計をマイナスしても、F機で自重がED78とは違うからねー
>>491
交流機最強はEF70だ@北陸人
ED76-500だろ!@北海道人 >>482
確かに、普通の車の自家用車だっていろいろありますからね〜
EF71を運転できる機関士さん方はそりゃ憧れますよね(もっ俺ホントに)。
動力の規模が違うし、スケールも違う・・
現場の方々がそう仰る言葉の重みを感じますね。
だから、(私が訪問した当時は)福米はEF71ばっかだったのかも知れない。
EF71に峠の押し屋は必要無しって事ですね。
最近、余暇にDCの181系の動力系冷却系(所謂アコモ以外)の情報も勉強して
みました。これは話甲斐がありそうな、
何方か乗ってくれる方がいればですが・・そんな感じです。
これからもよろしくお願いいたします。
久方ぶりに自宅米沢にて、峠の押し屋、拝。 板谷峠経由の583系は迂回や>>497みたいな代走除くと
臨時のあけぼの、つばさとシュプールくらいかな 先日、数年ぶりに乗ってみたけど峠の力餅は2人で売ってるんだな。
あと駅名標が赤岩、板谷だけ国鉄様式でそれ以外はJRの新様式に変わってるんだな。
なぜだろう?あと泉田−及位間も国鉄様式だった。
>>501
新庄以北の狭軌区間は放置された感がすごいからね 峠の押し屋様、DCの181系の動力系冷却系の情報オモシロそうですね
福島駅を発車していく時の汽笛とエンジン音が忘れられません
深夜の板谷峠を何本もの夜行列車が行き来していたなんて今から思うと夢のようだな。
若い頃出張で急行津軽でよく通ったな。
深夜だったからデッキのドアを開けて凝視していた。峠、赤岩は駅名標のあかりだけが
遠くに見えたっけ。
そんな縁で今の家内と知り合った。
福島の旅館の娘だったよ。
奥羽本線経由の夜行列車は
あけぼの
津軽
おが
まだあったっけ
板谷経由の優等列車ならそうなるのかな。
あとは一昼夜かけて走った421・422レとか。
http://w01.tp1.jp/~a073009361/JIKOKU/oldlocal/ouu_local70.htm
あけぼのが設定される前で、津軽があった時代かな?
あとは板谷経由でなければ、日本海きたぐになんかも。 陸羽西線時代の急行出羽
ざおう
臨時やまばと
もありましたよね
臨時やまばとの夜行なんてあったのか
( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー
>>508
421・422レはあけぼの定期化の45・10で秋田打ち切りになった
その後福島以南も廃止されて国鉄末期を迎える >>442
今の板谷峠を越える電車も峠越えの時は結構厳しそうに走ってるけどね。
モーター音が高くなってる割りにはスピードもあまり出てないし。
つばさの方は乗ったこと無いからわからんが。 碓氷峠は風化しつつあるが板谷峠は現役。
消えつつあるのはスイッチバックのスノーシェードの遺構くらい。
現在リチャード・コシミズ氏をはじめ多くの人が、不正選挙の裁判をおこしていますが、
これが不正選挙を行なった人々を怯えさせ悩ましているようです。
不正選挙はなかった事にされるというのが、これまでの彼らのやり方のようです。
ところが今回の不正選挙の裁判はリチャード・コシミズ氏が相手なので、
どうもこれまでのようにはうまく行かないようです。氏は大変頭の良い人なので、
裁判長であった斉藤隆氏に女装癖があり、その筋では"ビクトリア"あるいは"ヴィッキー"と
呼ばれていることをつきとめ、ブログ上で暴露してしまいました。
くわしくはリチャード・コシミズ氏のブログでご覧下さい。大変盛り上がっています。
あけぼの(の成れの果て)廃止か…
板谷を去り交流機が牽くこともなくなってからの時間は長かったな。
そろそろ「冬将軍」がくるな
板谷峠に臨時列車「冬将軍」が走ったのもずいぶん前になるな。
臨時と言えば
14系座席車のつばさとか
485系のあけぼのとか(583系もあった)
>>523
今気づいて出したらあけぼの終わっていたorz いままさに冬将軍が来ているのだが、板谷峠に走った「冬将軍」は
すっかり過去のものになったなあ。
>>527
オリエントサルーンの75と一緒の福島か >>530
20系→24系化した時期のあけぼのは運用上ED78重連となってたが
実際はED78+EF71、あるいはEF71+EF71に変更されることもあった
85年のHM取付後はEF71+ED78が基本で時折EF71かED78同士になってたかな… >>531
71同士は迫力があるな
これで50系2両とかは・・・ 山形受け持ち1001、10047→ED78+EF71
福島受け持ち1002、10037→EF71+EF71
と、教えてもらった
間違った
*修正
山形受け持ち1001、1004→ED78+EF71
福島受け持ち1002、1003→EF71+EF71
と、教えてもらった
おもひでポロポロの主人公が乗った列車はどっちだろ?
>>535
アニメ本編で描かれてるのはED78+EF71+オハネフ24のシルエットだった
因みに入線〜停車シーンは実際に早朝の山形駅で録音してる(90年の経路変更直前) アニメの設定は7月と思えるが、田植えのシーンもあるので5月かな?
7月10日の日の出時刻は4:33分、5月10日でも4:40
1003 山形着 3:55だと、あのシルエットは厳しいかも?
福島付近なら庭坂の大カーブで水鏡のシルエットになります
ちなみに、ED78は2号機ではありませんね
昔だったら、この位の雪でも遅れながら走っていたね
始発列車が除雪をかねて板谷越え
DD15のラッセルが日中も出動して除雪していました。
雪で数時間〜半日遅れの上りあけぼのや津軽が走っていくなんて光景もあったな…
Jトレイン誌のあけぼの特集に福島区OBの座談会があった
板谷峠の雪は勿論朝露や落ち葉も中々厄介な相手だったようで…
山線の機関士は指導から空転防止の運転技法を叩き込まれました。
止まらない程度に短弁を微妙にかけて峠を登り、下りは滑空しないようにブレーキ操作
上るより下るほうが難しい、乗客の安全を守りながら定時運行するには現場でなければ判らない苦労が沢山あったようです
短弁→単弁でした。
山線は誰でも乗務したわけでなく、本線での乗務成績と自己申告で山線に乗務できたようです
研修で入っても、指導機関士より「山線の機関士やらないか」と言われて機関士になった方もいます。
3人抜擢され、助役より山線だけでなく「本線も乗務してくれ」と黒磯-仙台も乗務するようになり、山線の機関士は本線も乗務するようになったそうです
逆はなかったようですが、ECの場合はたまに山線に乗務する方もいたようです。
空転したらブレーキ掛けながらノッチ入れて引出。
交流機関車だから出来る技とか書いてあったね。
やはりEF71は楽だったとか。
EF71やED78の鎧戸は平坦用機関車と同じく小さいのは、
発電ブレーキやめて回生ブレーキ採用したから?
>>546
それもあるが場所柄耐寒設備強化の関係もある 1990.3の改正で仙山に経路変更
JR前になくなったのは碓氷の方だな
>>552
へぇ、JR直後も暫く残っていたんだ。
現役の旧客のEF71もED78も見たことないのに、
ある駅へEF71とED78を旧客に乗って撮影しに旅している夢を見た。
おまけにトップナンバーが現役。 福米間 関根だけ降りてない
冬、藤田あたりで撮るつもりが福島で雪まみれの機関車を見て板谷に変更
腰までのラッセルで大汗かいて一枚も撮らず帰ってきた(汗が冷えたらやばそうだったので)
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485系が現役だった頃は1ユニットカットすると自力登坂出来ずEF71が救援したってマジ?
MT比1:1では33パーミル自力登坂が不可能
>>560
昔の鉄道ファンや最近でもネコの国鉄時代に485系にEF71やED78を連結した写真の記事があった あけぼのや津軽やおがに乗っていて眠りに就いていて、
板谷峠に差し掛かると大半の乗客は目が覚めたんだろうか?
一往復乗ったことあるけど、真夜中で全然気付かんかった
俺は下りあけぼの黒磯まで頑張って起きてたっけ。
10歳で人生初ブルトレ、大興奮だったけど10歳児には23時が限界だった思ひ出
33‰
400系つばさの車内でもハッキリと感じたなぁ
その区間は車販ワゴンも据えつけている
あたいも、30年以上前津軽に乗ったけど、
福島で起きられなかったし、福米でも安眠だったわ
71・78予約した 旧客はそれなりに揃えてるんで板谷が再現できる!
50系はいらね
木の座席のオハフ61とすぼまってるデッキで低い窓のオハフ33は覚えてるな
利府で朽ちかけてたED781が製造元の日立で保存だそうだ
EF71が客車2両を牽引するとか非常に非効率な運用してたんだな
キハ52にすると上り勾配で30キロ程度しか出ず却って遅くなるため客車のままにしてたみたいである
>>575
あれを見ると過疎地の分校で
先生1人に児童2人の学級に見える。 ウテシは腕だ!
71の癖は知り尽くしている
RJ誌リバイバルより
福島駅目線で考えると
実は奥羽本線のほうが東北本線より先に電化された。
劇中のあけぼの3号、←ED78+EF71だったな。
奥羽の頃、最後尾がカニだからみえないだけだろ。おまえが無知なだけ
普通列車はED78重連が50系2両とか極めて非効率なのあったがキハ52に置き換えると33‰均衡25km/hだったかとんでもなく遅くなるので踏み切れなかったんだな
ED78重連はない。ED78、仙山や蔵王の貨物で忙しかったから福米運用少ないんだよな
で、あけぼのは1号で山形いって4号で福島に帰ってこれたんだけど、2号と3号は間が開くから、そっちをEF71の重連にして
普通列車で送り込みと返しの調整するんだけど、普通が少ないから重連になっちゃったりしたんだな
50系をED78の重連が牽く運用はなかったってこと。ED78重連、一時期のあけぼのくらいしかないんじゃね
碓氷峠ほど役割分担が明快では無いからね
セノハチより厳しく、ヨコカルより緩い。そんな感じ。
>>595
ED78単機だと板谷で300t牽けるんだけど、板谷の定数は650tでED78重連だと足りないから、6軸機のEF71を作って定数一杯牽けるようにした。
だから元々貨物以外は曖昧だったけど、貨物が減った上に新幹線やるからって板谷は貨物なくして仙山通すようにしてからは軸重変えられるED78は
仙山に回って、板谷はEF71の運用が増えた。50系はこの頃だからEF71が牽いてること多かったんだな >>595
昭和50年代になると福島〜米沢・山形間は実質EF71主体でED78が一部列車の補機に付いたり単機で軽い列車を引くような運用形態だった
(55・10では全列車ED78重連が所定になったはずのあけぼの運用も78の仙山線運用や臨時列車の都合71入れてたりして57・11改正はそれを追認した格好) なるほど
ED78*3とはせずに程々のEF71を造ったわけね
EF71に客車2,3両なんていう入門セットみたいな理由もわかった
需要減の上にED78転出とか・・・なるほどなるほど
EF64時代の定数が単機380tで当時の急行と貨物は大半の列車で重連を要したのに対して
EF71になって単機430tになったから旅客は夜行以外一応は重連不要になったというのもその辺は影響してる
実際は臨時つばさや末期の普通列車みたく昼行旅客でも回送等で重連になる運用多かったが…
今月中旬に山形新幹線板谷峠エリアで雪レの試運転あり
長いお勤めご苦労様でした。DD17どころかDD19もとっくにありませんw
ENR-1000とかいうわけわからんのが除雪してる
直交切替え時の数日間、キハ81の前位にEF64が着いたんだよ。
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一流企業 昔、板谷駅(まだ50系客レが健在で秋田〜上野〜秋田の特急つばさが1往復のみ
まだ健在の頃)板谷駅の待合室に駅ノートを設置して、ノートを吊るす紐がないので
峠の力餅を包んであった紐を再利用したのは私です。
新幹線が走るようになって数年は板谷峠を車で訪ねた事があるけど15年以上行ってないよ。
>>610
ハイハイ、お爺ちゃん、
病室に帰りましょうねw 板谷峠なんて新幹線が走るようになって1回も行ってないけど昔の雰囲気はないんだろうな
車両や駅が変わったのはしょうがない。スイッチバック3駅がシェッドの中に
あったりするのが致命的だけど、庭坂のカーブや峠越え自体は昔と変わらない
からやっぱり面白い。矢立みたいに付け替えてないし、碓氷みたいになく
なってもないから、そんなに悲観するようなもんじゃないと思うけど
毎年5月中旬以降になると庭坂大カーブへ早朝の「あけぼの」を撮影しに行ったなー
S52.8.5
401Dおが1号秋田行き
キハ58 532
キハ28 154
キハ58 88
キハ58 75冷房車
キロ28 501冷房車
キハ58 709
キハ58 1514
キハ58 1515
キハ58 1512
黒磯〜新庄間乗車、とにかく暑かった思い出、福島まで立客あり、板谷峠の登りの遅さに驚いた。山形で空席多数。
これらの車両達で海外で生き残りはあるのだろうか
それ以後、急行ざおう、新幹線で福島方向にしか通ってない。各停で米沢方向に乗ってみたい
「冷房付きなのに何でつけないんだ」と文句言う人やっぱ居たかね
さほど詳しくなくとも冷房付きと分かることだし
板谷はないけど、花輪線の33.3‰の52+58も遅かったな
直結段保持できずに何回も変速段に入れ直してた
あれを板谷や矢岳で長編成でやってたんだよな。矢岳はスイッチバック付
そりゃ変速機や逆転機やられますわw
キハ58の1500代、盛岡で最後まで非冷房で残ってたのが52とミャンマーいったね
その中だと1514かな。ググるとでてくる
キロ28、張り上げの大型窓で好きだったな
急行おがもEF71を補機にしたら速かったのに
キハ65が無かったので冷房化出来なかった上に20キロ程度しか出なかったとか異様に遅すぎた
表定速度だと20キロを割ってた?
おがが455系で代走したこと無かったのかな
1回ぐらいあっても良かったのにな
>>623
そもそも455が羽前千歳以北を走った例ってあるのだろうか? >>624
90〜92年に山形新幹線工事の都合快速仙山が新庄延長になったことがあった >>622 35年前に乗ったが、時速20キロ位だったな。 >>622 35年前に乗ったが、上り坂では時速20キロ位だったな。自転車レースより遅い。 客レに50系が充てられだしたのって何年くらいから?85年くらい?
末期は機関車重連で2両だけ、みたいな寂しい編成もあったみたいだけど、当初は長くて何両くらい牽いてたのかな
>>628
確か59・2〜60・3改正までは1往復のみ50系であとは旧客の普通列車だった
その頃の編成は50系、旧客とも5両前後だったはず DMH17系エンジンでよくエンジンオーバーヒート起こさなかったな
5ノッチ5分の制約があって4ノッチに下げると20キロしか出ないとか
DML30だとオーバーヒート多発でEF71の御世話になった
昭和58年4月入学の元福島大学の学生ですよ。
よく、午後に授業がないと、福島発13時すぎの列車で
赤岩、板谷、峠、大沢まで用もないのに往復しました。
この列車は3年のころは50系だったような気がします。
この頃東北本線も含めて激動の時代でしたな。
なんせ入学時は旧客だらけの中に50系やら
キハ58やら417系電車やらいて、
卒業時には東北本線はすべて電車でしたからね。
もちろん途中はグリーン開放にもありつけました。
クハ481の1508が上野つばさで板谷峠通っていたんだよな
さらに北斗星も板谷峠経由で運行経験あり
そういえばブルトレ少年だった俺も上野でつばさ撮った
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明けましておめでとうございます
昨年末、ギリギリ峠の力餅を食べることができました。
もう少し普通列車の本数を増やしてくれれば良いのに…
ミニ新幹線でJRとして残っていることだけマシ
フル規格化されたら路線バス化だよ
485つばさの補機としてEF71が付いた時って、連結器はどうしてたんだろ?
EF71に双頭式連結器なんて装備されてなかったし。
>>644
以前にネコの「国鉄時代」でやまばと救援にきたED78の写真あったが中間連結器噛ましてた やまばと、仙台の485だから。秋田の1000番台になったのは末期かな
あのころの特急、自連だったり密連だったりしたよな。583は自連だったし481-200も自連があった
ボンネットは自連のイメージあるが
他はカバーで印象ないのか
自分も先頭車自連はボンネットのみで、貫通型以降は全て密連だと思ってたから、583系にも自連の頃があったのは
知らなかった。新製当初からクハネは全車密連だとばかり思ってた。
所属区で違うかな。青森秋田は自連で仙台は密連。だから583やクハ481の200番台にも
自連がいたんだね
末期になるとボンネットにも密連いたよな。勝田の併結編成とか向日町の和倉併結用とか
見てみたいよね、札幌時代のクハの1500番台とボンネット以外の先頭自連。ネットで探してみたけど見つからなくて。
クハ481-1500番台は本州に流れて青森運転所、秋田運転所
、上沼垂運転区へ転属して特急つばさにも充当されていた
>>647
通称蒲鉾カバーか。
あれは密着カバーだぜ。いなほもあのカバー付けていた。
一時期、東北の485系すべてあの連結器カバーだった記憶。
その後、東も西も四角錐台のFRPまたはソフトカバーに変更。 隣線だが米沢から夏に58で小国まで載った。
分水嶺と思われるトンネルで窓開け放して超涼しかった。
新幹線大宮発+凶器つばさ
山形新幹線開通後も上野〜仙山線経由〜秋田
が1往復残っていたっけ?
在来特急のつばさは開業前日の92年6月30日で廃止
>>661
「津軽」か「臨時あけほの」と勘違いした? あけ「ほ」の、じゃない、あけ「ぼ」のだった。
>>657
715系は、福島〜庭坂の区間運転には入ったことあるけど、峠区間には入ってないよ。 715系じゃ峠登られないのか
それとも50系使い潰すつもりだったのか
715の種車である583も板谷峠は通ったことないはずだし、
前者では?
583は9連の頃走ってるでしょ。455も急行の頃は走ってたけど、3連になったら入らなくなったし
1ユニットで入れたくなかったんじゃないかな。機関車余ってたのが最大の理由だろうけど
JR化直前〜90年頃の短期間だったとはいえシュプールとあけぼの81・82号他で走ってるしな583
あけぼの81・82号に至っては12両化した(それくらいにはあけぼのが混んでいた)こともあったし
50系で夜の峠駅停車中に窓開ければ、
夏場は虫の声しか聞こえ無さそうだな。
EF71かED78のブロワー音でそうでもないか。
直流機と違って抵抗ないからブロアーはそれほどうるさくないけど、その代わり変圧器だか整流器の音がするな
そういえばサイリスタ制御の回生ブレーキだった
碓氷峠やロクヨンとシステムが違った
碓氷峠は回生失効を恐れて
敢えて熱にして捨ててるんだよな
まずEF62・63・64開発当時だと新型直流電機の重連・三重連の直流回生に対応する機器や変電所(こっちがより大変)自体無理があったからな
交流電機だと構造上発電ブレーキより回生ブレーキのほうが単純になる上にサイリスタ開発もあってEF71・ED78は回生採用
それでもED78ベースのF形で全並列制御やると必要になるサイリスタがD形の倍以上になるんでEF71は2個直列3並列回路になったが…
50系って車軸発電だから停車中は無音だよな
音はせいぜいブレーキのドレイン排出くらいか?
本日の板谷峠
半年ぶりの来訪
日差しが強くて車内は暑い位でした
駅は涼しくて快適、シェルターは無いほうが景色は良いのだけれど贅沢な願いかな
年末のおばちゃんは居らず、おじさんが売り子をしていました。
天気も良く、トレッキングの乗客が多かったです。
普通列車はキハ52単行でも十分だっただろうがこれをするとエンジン2基搭載とはいえ33パーミルで25キロ程度しか出ずED78牽引の客車列車より速度が落ちちゃうんだな
急行おがは殆どオールキハ58に近い編成でも5ノッチ5分に阻まれ20キロしか出なかった
このスレでキハ52の文字列検索したら案の定だった。
>>677
改軌直前〜現在なら単行でも充分だろうけど、80年代前半
までは7〜8両編成の雑客が鈴なりの乗車率だったぞ。 >>655
「白鳥」の先頭車に付いてた写真見て
一度は間近で見たいと思ってたな..クハの1500台を。
あの屋根上2橙シールドビームを。
北海道用って聞いてたけれど、耐寒性能不足で781系電車が登場すると本州に戻ってきたんだね。 >>637
福島の地元民だけど。
小2の夏休みに赤岩へ普通列車で行ったとき
下の摺上川でおふくろと妹と3人で川遊びした1日の思い出..
子供心にあの日は至福の時間だったな..
スイッチバックは初めて経験したし
あの駅長さんやさしい人だった..
もう45、6年も前のこと
あの駅長さんまだ元気なんだろうか? >>681
あ、思い出した。
「はつかり」に1500番台連結されてたの見たことあった! >>680
「北海道用」と言っても、781系開発が遅れたために北海道向けに仕様変更されて暫定投入されただけ。
勿論「耐寒性能不足」はあったろうがそれが主因で戻る事になったわけではなく、当初計画通りの本州配転になったはず。
いずれにせよ板谷峠の「つばさ」は、キハ82、81、181系とEF16、64、71との組合せ、12、14系、各485系とバラエティ豊かで模型向き。 >>680
プラレールのキハ181系なんか発売された頃には
もうすでに「しなの」も「つばさ」も電車化された後だった..
ていうか、81、82系もプラレールで出なかったけど。 >>685
スマソ、684殿へのレスの間違いだった。 最新刊の電気機関車EXの第1特集がED78、EF71なんだが、内容はちょっとあっさりめ。
ネタ的にはここのスレにある事が殆ど。
ただ、DD14とコンビを組んだ特雪の写真は自分は初見だったので買ってよかった
>>687
板谷峠の除雪機ならDD15やDE15でもやってたけど
写真含めて見たことないなあ..何で? 標準軌になった今でも秋から冬にかけて空転に悩まされ719系5000番台は閑散期でも4両運転を強いられてるよな
後ろ2両は締め切り扱いである
落ち葉掃き専用車両もあったが廃車された
スイッチバック健在の時は、峠駅の今は線路はがされている側線に
50系が行ったり来たりしていたの?
構内踏切鳴って
本日行ってきた
山形から福島に通して乗ったけど
福島→峠→福島
折返しが一番アクセスしやすいのが難点
峠の力餅
消費税の関係か
1000円で8個になってた。
10個包装と同じ蓋印刷
仕方がないよね
お釣りの渡す時間と小銭は無理だもんなぁ
直流時代、重連の画像ってあまり見ないけどなんでだろう?
>>697
書き込み押しましたスミマセン
登りより下りのブレーキ多用が問題、
登りのトルクはEF16である程度賄えた模様
>>697
ないね。でも電化してEF15にして600tって記録はあるから、当時の写真がないだけじゃないかな
15と16で昭和24年から16年間。64はその後3年で交流電化。複線化はその後だから
配置両数も少ないし、貨物列車自体が少ないとか夜間で写真が残ってないのかも >>700
EF16は
直流電化は貨物に限らず旅客も運用していた模様
重連すると下りが尚更厳しくなるからやらないだろうね スイッチバックの有効長とかも影響あったのかな?
昼間は本数があるから、あの4駅で遅延のケースを含めて交換の可能性があるから単機で済む定数、夜間は本数少なくて交換無しでスルー出来るダイヤにして重連も有りだけど夜だから写真が無いとか?
12両しかない状況で、全列車対応するには単機しかないかもね
>>702
電化と同時期くらいにスイッチバック4駅の有効長も伸ばしてそれから600t牽引を始めた
らしいよ。確かに長かったし、昔の空撮画像見たら300m以上ありそう >>697他
レイル83年春号(あるいは加筆版の福島米沢間概史)のグラフとかRF1966年5月号にはEF16重連貨物の写真載ってる
あとエリエイ本だと昭和26年12月にEF16の回生ブレーキ第一次試験、27年3月から訓練運転と重連を伴う第二次試運転実施、300t列車は同年5月から全面回生ブレーキ運転、
600t列車に対しては同年10月より回生・空気併用運転、翌昭和28年2月に空気ブレーキ不使用で試運転を実施、3月から600tも全面回生となり回生ブレーキ完成とある
ついでに36・10改正時の福島区乙組(EF16)運用表に拠れば旅客で401レ、402レ、403レ、404レ、411レ、412レ、
貨物は54レ、55レ、462レ、464レ、466レ、467レ、481レ、482レ、483レ、484レ、1461レ、1481レが重連運用 >>705
成程、EF16時代はそれなりに重連はあったのか。
短期間だったEF64の時も同じくらいあったのかな?
出力が上がってるから多少は減ったとか? >>706
直流時代末期だった42・10改正時の福島区乙組運用表(EF64)での重連運用は
旅客で402レ、403レ、404レ、1405レ、貨物が462レ、466レ、475レ、477レ、482レ、2098レに縮小してる
恐らくはEF64化で旅客列車を中心に400t以内の列車は単機にできたということだろうけど 64、400tだったのか。牽引性能だけなら交流D型機は直流F型機に匹敵するっていうけど
長い勾配だと熱性能でモーター多い方が有利になるんだろうな
>>708
64時代の定数はものによっては380tと記してたりする
(380t単機だと怪しくなる401レとか冬期は当然として他も臨時補機で対処したかもしれないけど)
気になって交流化後の補機運用(運用表上で△付いてたり補客、補貨と書いてる運用)も少し調べたらこんな感じに
43・10改正時(両形式とも福米間の重連運用、一部除いてED78+EF71重連)
ED78補機 499レ、460レ、497レ、402レ、463レ
EF71補機 405レ、3180レ、6461レ、464レ(これのみEF71重連)、2096レ
47・3改正時
ED78補機(福島―米沢間の重連、403レのみED78重連で他はEF71との重連) 402レ、403レ、422レ、8460レ、8461レ、460レ、3483レ
EF71補機 1494レ、424レ、3481レ、2463レ、447レ、426レ、2460レ、461レ
(EF71の補機運用は概ね福島―山形間通し運用、ただし2460レと461レは福米間、447レは米沢―山形間の重連、2460レ、461レ、2463レはEF71重連) キハ181系つばさと14系のつばさ51号、EF71の画像しか見た事ないけど、ED78の代走ってあった?
>>710
運用に余裕あるのがEF71のほうだったし(それでもつばさ補機の都合で一時は貨物計画運休出してる)
つばさ51号は10両編成365tか370tでED78単機だと定数超過なんでEF71牽引 晩年の50系二両とか小指一本で引っ張るようなもんだったんだろな
>>712
それを牽いてたのがED78+EF71重連なんてこともあったしなぁ… 児童数名に先生2人の離島か山の中の小学校みたいだな
直流電化時代の直通列車は中川支所で黒磯方式使って機関車交換してたみたいだけど、電車を直通させた事ってあったのかな?
交流化されるまで米沢ー山形間が非電化で、米沢行きで直通電車走らせても需要が無かったのはわかってるけど…
>>718
定期列車としてはないだろう。
あるとすればヨンサントオのダイヤ改正前に485系と455系の試運転
だけど、やったとしても交流に転換した後に試運転かな? >>719
エリエイ本の記述に拠れば43・10前のEL・EC試運転、訓練運転は43年9月初に置賜―蔵王で始まった後
9月8日の仙山線全線交流化後に置賜―山形、22日の板谷峠交流化で福島―山形での運転となったそうだ
(山形側での試運転や訓練運転は電機がED78 9、電車は483系10連で始まったとのこと)