適当なスレがなかったので立てました。
最近、読書離れが指摘されていますが、きちんとした情報を得ようと思ったら、
やはり読書でしょう。読書によってどれだけ有意義な情報や楽しみが得られるか、
読書好きの人なら自明のことです。
でも、人により好き嫌いがあるので、批判する時は十分配慮してください。
(マンガは除外します)
では、どうぞ。
最近、読んで面白かったのは、北杜夫の「マンボウ恐妻記」(新潮文庫)です。
マンボウさんには若い頃からお世話になっていますが、これは彼が70代前半に
書いたものです。
北杜夫のユーモア全開です。
昨年のベストセラーは佐藤愛子さんの「90歳、何がめでたい」だったそうです。
私も読みましたが、内容もそれほどではなく、あまり面白くもなったです。
たぶん、手頃の値段だったので売れたのでしょう。
山頭火にはまったことがあります。
「山頭火句集」(ちくま文庫)を何回も読みました。
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差別の問題、戦争、沖縄、考えさせられました。
けなげなふうちゃんが可愛い。
後にNHKでドラマになって放映されました。ビデオにとっています。
読書をたしなむリア充とただのリア充なら読書をたしなむほうが生活は豊かだと思う。
読書をたしなむリア貧とただのリア充ならただのリア充のほうが生活は豊かだと思う。
自分は今リア充に強く憧れてるので、読書への興味も薄れてる。
所詮バーチャルじゃないかと思ってしまう。
バーチャルに逃げても人生薄いままだぞと。
ここに読書をたしなまないリア貧が誕生した。
結局テレビやネットに逃げる。
しかしそんなクズは自分だけじゃないはず。メディアは綺麗なもの豊かなもの、憧れさせるものばかりを映し
人に嫉妬心を植え付ける。
しかし、当然世の中そんな綺麗なもの豊かな人ばかりじゃない。
今という時を諦めず後悔ばかりせず
目の前の出来ることから、始めようと思い今日もクズなのであった。
2年ほど前に芥川賞をとった村田沙耶香さんの「コンビニ人間」読みました。
ちょっと考えさせられました。
主人公は土に触ったことないんじゃないか?と。
私の場合、子供の頃は春は川で釣り、夏は魚獲り、秋〜冬は山で遊びました。
都会生まれで都会育ちの人たちは、思考形態も違うかもしれないな、と思いました。
梅棹忠夫の「知的生産の技術」(岩波新書)をお薦めします。
学生の頃はあまり関心がなかったけど、彼の業績を知るにつれ、興味が湧いて
読んでみました。
今はパソコンの時代ですが、パソコンには出来ない方法が書かれています。
私は京大式カードを使って、小説を書き、自費出版しました。
梅棹忠夫、忘れてはならない巨人です。
「夫婦で30年間 地球冒険13周半の旅」 中川隆著(講談社)
これは10年ほど前に発売された本で、著者は順風満帆な建設重機事業を捨て、
夢だった世界旅行に妻と旅立った。32歳だった。
北はノルウェーの最北端、南はチリのフェゴ島・南アフリカの最南端まで、主に徒歩と
車で自作のアクセサリーを売りながら、探険した(彼らにとっては)記録だ。
交通事故に遭ったり、病気になったり、強盗に出会ったりしながら、自力で30年間も
旅をした。読んでいて驚かされることが多かった。
旅を終えたのは60代前半で、とりあえず、信州に丸太小屋を作っているとのこと。
彼らは、「ああ、面白かった」と言って亡くなるだろうと思った。
昔の本ですが高野悦子の「二十歳の原点」(新潮文庫)はいかがでしょう?
薄覚えですが、大学の近くの本屋できれいな表紙の本があって、幻想的な詩が
書かれていました。買うかどうか迷ったのですが、思い切って買いました。
安保反対の学生運動に積極的に参加し、挫折したのですが、その時の高野さんの
日記を本にしたものです。
細かい内容は忘れてしまったのですが、なぜ自殺したのか、わかりませんでした。
でも、そんな熱い時代があったんだなと思いました。
推理小説で最も面白かった本の一つは、アガサ=クリスティの「アクロイド殺人
事件」です。
まさか、○○○が犯人だったとは全く気づきませんでした。
最後の所を繰り返し読みました。
当時は推理小説にはまっていました。
あることがきっかけで仏教に興味を持ちました。
「ブッダの真理の言葉・感興の言葉」(岩波文庫)はブッダの死後、弟子たちが
ブッダの言っていたことをまとめたものです。
ここに本当の仏教の教えが書かれています。現在のお寺の坊さんなんて葬式屋
に過ぎません。あえて言えば、詐欺師です。
私はこの本の影響を受け、座禅を始めて2年が過ぎました。
今でも、毎日、この本を少しずつ読んでます。仏教を知りたくば、まずこの本です。
川喜田二郎の「チームワーク」(光文社カッパブックス)も面白かったです。
前述の梅棹忠夫と三高の同級生で、梅棹とともに山岳部に入り、京大の今西錦司
に弟子入りすることを決めていました。
彼は今西の元で数多くの登山や調査で得た、チームワークの原理を書いている。
かれはこう書いている。「山で道に迷った場合、誰にも根拠がなく、どうしていいか
わからない時でも、リーダーに判断を任せる」と。
もう、絶版になってるかもしれません。
コンビニ人間w
やっぱ女の書いた本はダメだわ
5chのコンビニ板の書き込みの方が100倍面白いし為になる
かなり昔の本ですが、西堀栄三郎の「南極越冬記」(岩波新書)読まれましたか?
第一次南極越冬隊の記録です。隊長は西堀栄三郎、日本で最初のことですから
何が起こるかわかりません。
彼の日記を元に梅棹忠夫が編集したものです。
読む価値が十分にあります。
ここまで書いてきて、彼らの偉大さに比べ、自分の卑小さが感じられ全く嫌な気分になります。
大森昌也さんの「六人の子供と山村に生きる」(麦秋社)も印象に残っています。
20年前に発売された本ですし、著者の大森さんも3年ほど前に亡くなりました。
兵庫県北部の超過疎の山中で、自給自足の生活をしている記録です。
収入は天然酵母パン・木炭・鶏卵などで年収180万。
それで、大森さんと子供6人が暮らしています。
私も自給自足的な生活をしたいと思っていたので読みました。
奥さんはそんな生活に耐えられずに別れました。
見学に行ったことがありますが、平地が少なく、あまり良い場所ではありません
でした。でも、家族7人が力を合わせて自立した生活をしているのに感心させられ
ました。
「洞窟オジさん」加村一馬著(小学館)を紹介します。
著者は群馬県の田舎生まれ。親の暴力に耐えられず、13歳の時家出をし、以来
43年間、洞窟や山中・川岸で生活をした記録です。
見つかったのは、川べりに小屋を建て、小魚を釣って暮らしていたのですが、小魚も
釣れなくなり、腹が減って自動販売機をいじっていた時に、警官に職務質問されたか
らです。
よくも、43年間も野外で暮らせたものだと感心させられました。面白かったです。
後に、NHKドラマになり、福祉施設に入ることになったようです。
その人、激レアさん〜って番組に出てたけど、
たしか40ぐらいまで女性経験がなく
それで行ったストリップ劇場で思わずステージの女の子を触ってしまって、
外に引っ張り出されて従業員にボコられた→そのストリップ劇場で働くことになった
とかいう嘘みたいな話してた。
>>20
その通り。読みたくなって再び読み直したけど、やっぱり面白かった。
でも、彼の人生は決して不幸ではないと思う。社畜の方が不幸。 僕の知り合いの知り合いができたPCさえあれば幸せ小金持ちになれるノウハウ
少しでも多くの方の役に立ちたいです
グーグルで検索するといいかも『ネットで稼ぐ方法 モニアレフヌノ』
OWII3
野田知佑の「日本の川を旅する」(新潮文庫)を紹介します。
この本が出たのは、今から36年前で、その頃の川は今よりずっときれいでした。
彼のやり方は、ツーリングカヌーです。川の上流までファルトボート(折り畳みの
カヌー)を持って行き、旅をしながら川を下るのです。
当時、彼ほど日本の川を知っている人はいなかったでしょう。
その紀行をまとめたものです。
それ以来、カヌーが流行し、カヌーブームが起こりました。
本多勝一にはたくさんの著書があります。彼の本は殆んど読んでいますが、
代表作を挙げるとすれば、やはり、「戦場の村」(朝日文庫)かなと思います。
ベトナム戦争当時、米軍発表の簡単な情報しかありませんでした。米軍の
占領地までは記者も行けましたが、戦闘地域まで命を懸けて行くジャーナリスト
は殆んどいませんでした。石川文洋(報道カメラマン)などごく僅かな人だけ
でした。
彼は戦闘地域の最前線まで米軍に同行し、米軍のやっている残虐な行為を
容赦なくルポとして、朝日新聞に発表しました。
また、解放戦線側に侵入し(あるツテを辿って)、解放戦線がどのように戦って
いるか、解放戦線側の生活の様子などもルポしました。
この取材によって彼の考え方がかなり変化しました。あんな残酷な戦争をしてる
アメリカという国はどんな国なのか?じゃあ、日本はどうなのか?彼の取材対象は
どんどん変わっていきました。
この本は彼にとって記念すべきものとなったと思います。
新田次郎の「孤高の人」(新潮文庫)はいかがでしょうか?
兵庫県北部の田舎出身の加藤文太郎をモデルとして書かれたものです。
単独行の加藤といわれ、冬山でも一人で登りました。職業は神戸のエンジニア
で、冬山の雪洞の中でエンジンの構造について新発見をします。
ある時、後輩と二人で冬山に登って遭難します。
植村直己も同じ地域で生まれ育ち、彼の影響を受けました。
「あきらめたから、生きられた」(武智三繁著・小学館)
もう20年近く前に出た本ですが、文庫本になっているかもしれません。
新聞を見ていたら、小さい記事が目に入りました。「太平洋を37日間も漂流して
いた船が見つかり、乗っていた人も元気だ」という簡単な内容でした。
そのことを覚えていて、本屋で見つけた時は迷わず購入しました。
著者は漂流した当時50才、母親が交通事故で亡くなったので、故郷の長崎近辺
の港町に帰り、中古の船を買って、漁をしたりアルバイトをして生活をしていま
した。
いつもと同じように漁に出かけたけど、エンジンの調子が悪く、何回もエンジンを
いじってみたのだけど、それでも動かない。そんなことを繰り返しているうちに、
ケータイもつながらない場所に来ていました。
漁船には数日分の食糧と水を積んでいるそうです。だから、SOSを出すのが遅れ
たのでしょう。
7月下旬の暑い時期です。助かったのは奇跡といってもいいでしょう。
「山の随筆」(今西錦司・川出書房新社)
いよいよ私が若い頃から憧れていた人物の本を紹介します。
今西錦司は1902年生まれで、京大時代に西堀栄三郎や桑原武夫などと山岳部
に入り、登山に明け暮れます。
この本は、旺文社文庫から出版されました。私はそれを読みました。
「今西錦司全集 全12巻」から随筆を選び出し、編集したものです。
今西錦司は「すみわけ理論」で有名ですが、彼は40歳まで農学部の無休講師
でした。彼の家は西陣の織元で、借家を建てて、その収入で生活していたのです。
彼はいろんな面で先駆者(パイオニア)でした。
登山でもそうですし、後の生態学、学術探険、霊長類研究でも常にパイオニアで
した。
彼を慕って、多くの学生が集まりました。梅棹忠夫・川喜田二郎・本多勝一・
伊谷純一郎・河合雅夫等々です。彼は生まれ持ってのリーダーで多くの後輩を
育てました。
戦後になっても講師でしたが、戦後からは有給になりました。彼はそれまでの
学問に当てはまらない分野(生態学・霊長類)の研究者でしたから、それに見合う
ポストが無かったのです。
彼の研究に光が当たったのは、ニホンザルの生態に関するものです。それから
ゴリラやチンパンジーの研究に移っていきました。
彼の研究が認められ、京大に霊長類研究所ができ、それでやっと教授になりました。
愛知県犬山の日本モンキーセンターも彼が名鉄の協力を得て作ったものです。
彼は自分でも、時々、無性に随筆が書きたくなると言っていたそうです。本書に
納められた随筆は、文章も良く、内容もあり、深みもあり、とても優れています。
「岳物語」(椎名誠・集英社文庫)
岳と言うのは椎名誠の長男の名前です。
長男が子供の頃はプロレスばっかししていたそうです。
夢中になり過ぎて、出血することも何回もあったようです。
長男は野田知佑と釧路川でツーリングカヌーもしました。
長男が子供の頃のことを、家族を交えて私小説にしたものです。
初めて読んだ時は面白かったのですが、再度読んでみると、あまり面白く
ありませんでした。
この本は若い人向け(50才まで)だと思います。
長女の葉(よう)ちゃんについては一言も触れていません。
女の子なので用心したのでしょう。
数年後、続編が同じ出版社から出ています。
「食べること、やめました」(森美智代・マキノ出版)
著者は21歳の時、「脊髄小脳変性症」という病気になります。これは難病で
医者から、「進行を食い止める治療法はない」と言われます。いろいろ調べて
みると、余命は5〜10年ぐらいらしいのです。
そこで、以前から知っていた医師の甲田光雄さんに診てもらうと、「大丈夫、
断食すれば治るよ」と言われ、断食療法を始めます。断食をすると、だんだん
症状も良くなってきました。
そのうち、それでも食べる量が多いと感じ、食べる量を甲田医師と相談しながら
減らしていきました。そして、青汁1杯になったのです。
青汁1杯の生活が13年になった時に、この本を書いています。出版から10年
経っていますから、もう23年になります。
ユーチューブで見ると、かなり太っています。著者は現在、大阪で鍼灸院を開いて
います。普通の鍼灸師ではなく、「気」で病気を治すのだそうです。
私も影響されて、甲田光雄さんの「奇跡が起きる半日断食」という本を読み、
朝食抜きの半日断食を始めて1年半が過ぎました。
「サラダ記念日」(俵万智・河出文庫)
この本が出た時(30年ほど前)は、ベストセラーになり、話題にもなりました。
私は当時、あまり興味はなく、本多勝一の本を熱心に読んでいました。
40歳になって初めて読んで、感動しました。
言葉の選び方、繊細な感覚、一つ一つの歌に物語があり、短歌ってこんなに
面白いのか!と思いました。数回、読み直したと思います。
その10年ほど後に読み直した時は、それほど感動しませんでした。恋の歌が
多いので、もうその歳ではなくなっていたのでしょう。
この本は40歳までの人にお勧めです。
彼女は妻子ある人と恋をして、男児を授かり、今は宮崎県の方に住んでいる
ようです。短歌を創ったり、選者として活躍しているそうです。
「宇宙からの帰還」(立花隆・中公文庫)
この本は私が30歳の時に出版されたものです。その10年後に文庫本で読み
ました。かなり前に読んだので内容は薄覚えですが、感動し考えさせられた
ことを覚えています。
確か、月に行ったアポロ11号と12号の宇宙飛行士6人にインタビューしたもの
だったと思います。彼らは無事に地球に帰還し、それぞれの道を歩みます。
彼らに共通しているのは、今までの生活と違って、画家になったり、環境問題に
取り組んだり、宗教家になったりしていることです。
他の天体から地球を見たことが、彼らにとって大きな神秘的体験だったようです。
今はもう廃版になっているかもしれません。
「奇跡のリンゴ」(石川拓治・幻冬舎)
青森県岩手山のふもとのリンゴ農家、木村秋則さんをインタビューして書いた本
です。
木村さんは自然農法で有名な福岡正信さんの本を偶然読んで、リンゴも無農薬
で育てることができるのではないかと考え、試行錯誤しながら無農薬リンゴを実ら
せた人です。
現在のリンゴは農薬散布を前提に品種改良したものです。それに、妻が農薬に
弱く、薬がかかると湿疹が出来て、なかなか治らない体質でした。
農薬は普通、十数回散布するのだそうです。病気や害虫対策です。
木村さんは無農薬を始めてから、10年余りリンゴの収穫ゼロという散々な結果を
経験します。収入なしです。それで、農閑期にはアルバイトをしたりしました。
それでも、家計は行き詰まり、自殺しようと岩木山にロープをもって出かけます。
ちょうどいい加減な木があったので、ロープを投げたところ、その木の立派さに
気づきます。
自然の木は何の世話をしなくても立派に育つ、リンゴはどうして育たないのか、
木村さんは夢中になってその木の根元の土を掘って調べ始めました。
原因は土なのではないか?土を工夫すればいいのではないか、と考えました。
そして、また土の改良に試行錯誤します。
そして、十数年して初めてリンゴが数個実ったのです。さらに土の改良を進めて、
やっとどの木にもリンゴが普通に実ったのです。
木村さんの育てたリンゴは注文が殺到し、やっと苦労が報われたのです。
今では、木村さんは自然農法の有名人として、全国からの相談や講演会の
要請があり、以前にも増して忙しい日々を過ごしています。
失礼しました。
× 自然農法の有名人として
○ 無農薬栽培の有名人として
「アイヌの碑」(萱野茂・朝日文庫)
著者はアイヌ人の最も多く住んでいる沙流川流域の二風谷に生まれ、アイヌ語を
聞いて育った。アイヌ語を自由にしゃべれる最後の人だった。
この本には彼の半生が書かれている。
彼の両親もアイヌ人として差別され、父親は沙流川に登ってくるサケを獲ったから
という理由で逮捕された。それまで、アイヌ人にとっては、サケは冬の大切な保存食
だったのに。
彼はアイヌ人の民具が無くなることを危惧し、民具の収集を始め、仲間と共に「アイヌ
文化資料館」を造った。また、明治に作られた「アイヌ土人法」を改めるため、参議院
議員になり、アイヌ新法を作った。
私は彼が参議院議員を辞めてから、二風谷に行って、サインをしてもらった。「あなた
の人生が幸せなものになるように!」とアイヌ語(片仮名)で書いてくれた。
彼はその時、すでにパーキンソン病にかかっていて、少し歩きにくそうだった。
「高崎山のサル」(伊谷純一郎・講談社文庫)
著者は今西錦司を尊敬し、今西の研究を手伝うようになった。この本は著者が
大学院の時に書いたものです。大学生時代から今西と行動を伴にし、九州の
都井岬の半野生馬の生態を観察していた時に、ニホンザルの群れに出会い、
次の研究は「これだ!」と全員が思ったそうだ。
そして、著者は高崎山のニホンザルを任され、以来、4年間に渡って観察・研究
をした。最初はサルに出会うのも大変で、群の頭数もなかなかわからない。
それでも、山をかけめぐり、サルの行動範囲や食べ物や鳴き声の意味を解明して
いった、
最終的には餌付けをすることにより、サル社会の構造にまで切り込んでいった。
その時、1頭1頭に名前を付けることで、サル社会の構造がよくわかる事に気づ
いた。
この手法(個体識別)は日本独特のもので、外国の生態研究にも取り入れられる
ようになった。当時、宮崎の幸島でも同様の生態研究が行われ、イモ洗い行動が
文化として受け継がれることも発見された。
この本は1951〜1954年の研究をフィールドノートからまとめたもので、霊長類
研究の古典となっている。今は講談社学術文庫におさめられているはずである。
「へたも絵のうち」(熊谷守一・平凡社ライブラリー)
1880〜 1977年(97歳没)
職業ー画家
91歳の時、日本経済新聞に「私の履歴書」として29回に渡って掲載されたもの。
この人は修行していたら悟ったかもしれないと思った。
解説不要。とにかく面白い。こんな人が居たんだと嬉しく思った。
ー最後の締めくくりー
「ただ何回もふれましたが、私はほんとうに不心得ものです。気に入らぬことが
いっぱいあっても、それにさからったり戦ったりはせずに、退き退きして生きてきた
のです。ほんとうに消極的で、亡国民だと思ってもらえればまず間違いありません」
「林住期」(五木寛之・幻冬舎文庫)
私は五木寛之の小説以外の本をよく読みます。彼の文章は丁寧で読みやすい
のです。読んでいて心地いいのです。
特に革新的なことが書かれているわけでもありません。
この本に関しては、ちょっとだけ革新的です。50歳になったら、今までと違った
生き方をしよう、と言うのです。
私もそう思っていましたから、共感しました。
扉にこう書かれています。
古代インドでは
人生を4つの時期に分けて考えたという。
「学生期」、「家住期」、そして、「林住期」と「遊行期」。
「林住期」とは、社会人としての務めを終えたあと、
すべての人が迎える、もっとも輝かしい
「第3の人生」のことである。
「101歳の少年」(三浦敬三・実業之日本社)
著者はプロスキーヤーの三浦雄一郎のお父さんです。
彼は20歳の時、スキーに出会って101歳まで80年以上スキーをしています。
彼は北大でスキーを始め、実家のある青森県の営林署に努めます。
青森県と言えば八甲田山です。主に八甲田山で仕事をし、そのために冬場は
スキーをはいて山中の調査をします。だから、仕事=スキーとなる訳です。
とても羨ましい環境です。
その当時はスキーが日本に入って来た頃なので、彼は日本のスキーヤーの
元祖の一人です。当時は55歳が定年でしたから、また、青森のスキー協会との
いざこざから東京に転居します。
息子の雄一郎はスキーの腕は確かでしたが、オリンピックには出られませんで
した。そういった経緯もあってプロスキーヤーになったのです。
彼は東京に移り住んだことにより、北海道と立山で1年の半分をスキーに費やして
いました。彼の趣味はスキーとカメラでした。研究熱心なので両方ともかなりの腕前
でした。
子どもたちが巣立った後は、奥さんと二人で暮らしていましたが、奥さんに先立たれ
北海道の雄一郎の家にやっかいになることになりましたが、雄一郎の奥さんが何でも
やってくれるので、これでは呆けてしまうと、また、東京での一人暮らしに戻ります。
ここが彼の偉いところだと思います。
101歳になってもスキーをしていましたが、転倒して首を打ち、入院しますが帰らぬ
人となります。しかし、101歳までスキーをするなんて何という幸せ者なんでしょうか。