【NHK総合】 1月8日(水) 22:00~22:45 (放送時間 45分)
歴史探偵 戦国ご当地大名シリーズ 立花宗茂
戦国ご当地大名シリーズ第5弾、九州の立花宗茂が登場!生涯無敗、戦国最強といわれる強さの秘密を探るため、福岡を徹底取材。居城・立花城や立花家に伝わる黄金のかぶとから見えてきたのは宗茂の底知れぬ知略。そして、敵を圧倒したという独自の鉄砲術を再現実験!カギとなるアイテム「早合」とは?さらに、後半生でろう人から大名へ奇跡の復活劇を果たした秘密も解き明かす。戦国から江戸の世を生き抜いた宗茂の真の強さに迫る。
【司会】佐藤二朗,片山千恵子,【出演】多摩大学客員教授…河合敦,【リポーター】加藤向陽
※前スレ
歴史探偵 戦国ご当地大名シリーズ 立花宗茂
http://2chb.net/r/livenhk/1736319736/ >>974 島津は上方にいた分家義弘家が勝手にやったことって建前で通したからな
立花宗茂「生涯無敗」←戦で負けてるのに数えてないだけ
本多忠勝「生涯傷一つ無し」←いつも戦場の後ろで見てただけだから傷付かなくて当たり前
関ヶ原の配置図を見ても家康のすぐ前にいて先頭に参加してない
関ヶ原後は敵が攻めてこない千葉の南部を任されて安全な場所で悠々自適
嘘つきばっかだな
立花宗茂が棚倉でいたのは赤館というところで棚倉城ではない
そんなことより今年の大河がもうすでにやばいんだが...
◆大河ドラマの初回視聴率ワースト5◆
25年 べらぼう 12・6%
24年 光る君へ 12・7%
23年 どうする家康 15・4%
18年 西郷どん 15・4%
19年 いだてん~東京オリムピック噺~ 15・5%
秀忠は戦下手で昏君のように言われるけど、幕府の基礎を作った立派な将軍
ちなみに大阪攻めでは大名ではなく秀忠の旗本として参戦してる
子孫が誰も名前ついでくれなかった秀忠(´・ω・`)
立花宗茂と共に西軍武将でありながら徳川大名として復帰した、影の薄い丹羽長重(丹羽長秀の長男)
関ヶ原合戦後の慶長8年(1603年)に常陸国古渡1万石を与えられて大名に復帰する。
これは稀なことであり、父長秀以来織田信長家系との血縁関係が在り、徳川秀忠や前田利長とは縁者関係に当ることや、特異な戦支度や父長秀譲りの築城技術を高く評価されたことに所以する。
のちに立花宗茂の所領・陸奥棚倉城を引き継ぎ、最終的に陸奥白河10万700石の大名となった。
{::::::::}三三三ミミミ`、、
>ー-"'" ⌒,,ィシヽミミiミミ、
/ 三彡彡彡ィ`、ミミミ`、
/ シ彡彡彡彡ノ'ヽミミミ`、
,' ,三彡彡彡彡彡ソ,ー--'
l _ _ """'彡彡彡彡彡ノi
{;、 ';;;='''"""` 彡彡彡 - 、ノノi
kr) .ィェー 彡彡' r、ヽ}彡i と、思う吉宗であった
レ' .. シ彡' )ァ' /彡'
{_,,,、 ;、 シ彡ニンミミ{
l '''"::. 彡ミi
! ̄"` ...:::::::: ノ""{
>>23 真田の研究者は信繁はもう2、3年後の生まれじゃないかって言ってるな
二朗、おみゃー、日本史は詳しい筈だがや (´・ω・`)
>>21 クッソつまらんかった光る君へすら完走したうちの嫁が途中で反吐が出るって言って
見るのやめたぐらいだからな...
男の子好きの徳川家光
家光のおじさんの織田信長
若い男の子が好き、おしゃべりが好き、女物が好き、派手好き、カン高い声でしゃべる、気に入ったやつにあだ名をつけて呼ぶ
織田信長って絶対おねぇだよな・・・・家光もこの血ひいちゃったよな
三英傑とそれに頻繁に絡む武将だと
戦国大名選手権の全国大会の規模で描けるけど
立花宗茂だとほぼ地方大会規模であまりスケール感が
>>55 その四天王の息子たちも全員この戦いでボコられてるしな
三大実在したマンガのような主人公の歴史上の人物
・立花宗茂
・オグリキャップ
・
関ヶ原で遅れたから夏の陣で早く行きすぎてまた怒られた秀忠
>>68 未成年のかわいい男の子の金玉ペロペロしてたのかな、うらやま
>>21 1話面白かったけどな
まぁ世間的に人気の時代というわけじゃないし、蔦屋は知らん人多いだろうしで仕方ない
>>75 秀吉の評価高くて秀忠家光にも影響が強いなら十分では
>>88 こんな逸話が、あと50個ぐらいあるんだよな、宗茂くん
棚倉城 白河城 二本松城
築城名人だけある城の数々
、 ヽ
|ヽ ト、 ト、 ト、 、.`、
/|l. l. | |l l | | l |l.| |l. l
/' j/ ノ|ル'/レ〃j/l |
-‐7" ヾー---┐|_.j
 ̄ ./゙ニ,ニF、'' l _ヽ
:: ,.,. |ヽ 」9L.` K }.|
l' """ l ) /
h、,.ヘ. レ'/
レ′
r.二二.) / ・ ・ ・
≡≡ ,イ
ここまで見ると確かに言われるように大河でも充分イケそうな人だな
特に今の時代だし嫁が猛将で活躍してたってのもハマりそうだし
>>39 アホが暴走して真田親子の策にハマって負けたのに戦下手判定されるのも可哀想
それも含めて指揮能力と言えばそうだけど
必死君が大嘘書いてたから間違って覚えないようにウィキぺからコピペしとくよw
7月13日以降、3万以上の大軍で岩屋城を攻めた島津軍だったが、高橋紹運の強い抵抗に
よって攻めあぐねた。立花宗茂は立花山城への合流を勧めたが、父紹運はわずか700名の兵に
よって島津勢をひきつけ、 これを持ちこたえて秀吉の援軍を待つべしと主張した。島津軍は、
7月27日にようやく岩屋城を陥落させたものの、上井覚兼は負傷、死者数千名の大損害を出すという大誤算であった。大友方は、紹運が自刃、千余名にふえた城兵はすべて討死という壮絶な戦いであった[3]。
島津勢は8月6日には宝満山城も陥落させたものの、立花山城については立花宗茂の守りが堅固でなかなか攻め落とせなかった。攻め手の将である島津忠長と伊集院忠棟は宗茂を寝返らせるよう降伏勧告をおこなったが、
宗茂がこれを断り調略が奏功しないなか、毛利軍が長門国赤間関(山口県下関市)まで進軍したとの報に接した[3]。
そこで8月24日、島津勢は、立花城攻めをあきらめて包囲を解き、立花城近くの高鳥居城(福岡県糟屋郡須恵町上須恵)に星野鎮胤・星野鎮元はじめ押さえの兵を割いて撤退を開始した。こののち、宗茂は翌8月25日に高鳥居城を奪取、8月末までには毛利先遣軍とも連携して島津軍を追い、岩屋城、宝満山城を奪還した[2]。
宗茂政宗幸村が同い年でこの辺が最後の戦国武将って感じだけどこいつらより10以上年下で関ヶ原が初陣の秀忠に戦傷があるってどれだけブイブイいわせてたんだよ
>>70 来年、豊臣兄弟だっけ
秀永にスポット当ててくれるのはまじで嬉しいし楽しみだよね
>>94 ドラマとしての出来は光るより上だが
直虎と同じく「学校図書館に置いてあった児童文学風味」が出てて
そこが苦手
豊臣秀頼 196cmの大男
天草四郎 195cmの大男
豊臣秀頼=天草四郎
マメな
天下御免好きだったからそれで見ている 天下堂々はちょっと・・・
火の鳥やりだしたから小田氏治やってくれよ(´・ω・`)
>>120 大坂の陣の時ですら秀忠は秀吉の猶子であることから豊臣を守ることを家康に要求してたっていうしね
天草四郎といえば、まぼろし探偵、キャプテンウルトラ、エイトマン
戦国無双ではスタッフがすごい誾千代推しで宗茂が出てきたのは3作目になってからだった
道雪は未だ参戦なし(雷切は誾千代が持ってる)
>>129 秀長が主役級の扱いは嬉しいけど、それだけにめちゃ泣いてしまいそう…(´・ω・`)
立花家はそもそも裏切り者だからなw
宗茂は吉弘の人間だ莫迦www
新納慎也って世にも奇妙な物語で古畑任三郎バリの怪演した人か
>>192偶然昨晩魔界転生見ちゃってもう怖くてトイレ行けない
>>211 吉弘家の二男緒の紹運が高橋家を継いだのは大友宗麟の意向だが
>>222 本願寺面白そうだけど、本願寺のストーリー大河にすんのは無理だろうな…(´・ω・`)
>>141 豊臣秀頼=天草四郎
明智光秀=天海
源義経=チンギスハーン
昔は顔写真が無いから別人になりきることが簡単にできたわな
>>221 血の気の多い戦姫キャラが後年アニメ、ゲームのキャラとしてウケたが..
>>235 赤神諒の小説読むとロクでもない目に遭う家だな、って思う
藤堂家と立花家は江戸藩邸が隣同士で仲が良く
宗茂のとこに相談に来た大名とかに
高虎とも相談してみるように勧めてた
>>247 しかしながら三大引きこもりで取り上げる方がテレビ的というか現実的なのも実際
>>254 畠山義就は昔この番組かヒストリアでやったの見たことがある
NHK大河ドラマは、南北朝時代を描くべきなんだよ!
足利尊氏ー直義兄弟や後醍醐帝、高師直兄弟などを
>>261 むしろ自分の経験上から家臣に優しかったんじゃないか
>>264 関東か東北か九州に限定して南北朝から応仁の乱までの150年をやってほしい
>>185 残念ながら秀忠は秀頼を許すつもりはなかったよ
むしろ家康の方がまだ助けようとして感じだね
大坂夏の陣直後の毛利秀元の書状には「大野治長から秀頼様・淀殿の助命嘆願がありましたが、家康様は秀忠の考え次第だと仰りました。
秀忠様のお考えは我らに背くこと一度ならず、早々に腹を切らせろとのご命令で、8日の昼過ぎに切腹されました」とある
>>271 大友宗麟が大坂城に秀吉に会い行った時に筑前領である立花山城と岩屋と宝満城を
家臣ごと豊臣家に譲渡してるんよ
だから厳密には岩屋城の戦いの時は紹運と宗茂は豊臣家臣だったりする
吉弘家は大友一族である田原家の分家だったのくらいは知ってる?
>>281 >大友宗麟が大坂城に秀吉に会い行った時に筑前領である立花山城と岩屋と宝満城を
家臣ごと豊臣家に譲渡してるんよ
一次史料で三城を秀吉に譲渡したこと確認できる?
大友家文書とかにそんな記述あったかな
>>285 紹運宛の秀吉朱印状?見たことないけど日付わかる?豊臣秀吉文書集にも収録されてないよ
あと宗茂宛の秀吉朱印状って天正15年6月25日付の知行宛行?
もしそうなら三城を譲渡した証明にはならんと思うけど
吉弘鑑理ー鎮種ー統虎
揺るがない事実に難癖付けるなよw
>>286 紹運宛のは消失してると思うがあったのは岩屋城戦前後の史料から確認できる
あと立花城戦関連の感状が秀吉から出てて、大友家からは出てないから
証明的に主君の移行が起こってたのは確実といえるんじゃないかな
まあ、専門家じゃないから詳しくはわからんけど
>>285 すまん紹運宛の書状は一通あるね
朱印状じゃなくて(天正14年)8月3日付の秀吉判物
だけど三城の譲渡とは全く関係ない内容だな
要約すると島津攻めするから油断するなよって内容
>>288 難癖はつけんが吉弘家が治めてた国東半島の六郷満山の文化とかは結構面白いから調べてね
>>289 感状が秀吉から出てるのはその通り
しかしそれだけじゃ三城を譲渡した証明にはならんと思うよ、城のみならず家臣までつけてとなると余計にね
紹運・宗茂宛の秀吉判物はこれね
(天正14年)8月3日付立花宗茂・高橋紹運宛豊臣秀吉判物
對黒田勘解由・宮木入道、七月九日書状到来候、抑九州事、帯条目豊藝薩江加下知候之處、義統・輝元令承伏、以和合之儀馳走尤神妙候、然而嶋津事、至于筑紫領内相動、于今在陣之由無是非候、此間㝡前義統註進候条、則毛利・小早川・吉川等、越関戸義統令相談、急度可及行由申含、黒田勘解由・宮木差下シ、定而不可有由断候、
此上敵不迯散者、輝元註進次㐧追々差遣人数、其上秀長・秀次を始可相動候之条、彼凶徒等可加伐罸候、然者両人事、依忠節望等之儀可申付候、味方中申談、聊無越度様調儀専一候、宗滴・義統へも具被仰下候間、可得其意候也、