病院に行くときも同じである。私は3ヶ所ほどの病院へ、ときどき検診に出かけるが、そういうときも病院の中までついてきて、
じっと監視している。
そのほか買い物に出かけると百貨店の中までついてくるし、食事中も店の外でじっと待っている。念の入ったことに近所に散歩
に出ても、必ず尾行するのである。
私が電車で移動するときは、かれらも同じ車両に乗り込み、私が下車すると、かれらも下車して足早に改札に先回りする。そし
て私の姿を確認すると、携帯電話で連絡してあらたに仲間を配置させ、ふたたび監視に当たらせる。これが毎日毎晩、雨の日も風
の日も続くのだ。
しかも尾行されるのは私だけではない。妻や同居する長男夫婦、その娘たち、さらに私の女性秘書まで対象にされた。なにしろ
妻が買い物に行くときも、後をつけてくるのである。おまけに私の来客についても身元を確認するためか、その方の自宅や会社ま
で尾行しているのだ。言語道断であり、許しがたい卑劣な犯罪行為というほかない。
そんな尾行される日々が続くうち、私は身の危険すら覚えるようになった。地下鉄のホームや、交差点で信号待ちしていると、
尾行者が私の背後にぴったり寄り添い、後ろから突き飛ばされそうな気配を感じるのだ。これは背筋がゾッとするほどの恐怖を覚え
る。尾行されるようになってから、そうした身の危険を強く覚えるようになった私は、外出時、駅のホームでは壁に背を寄せて立
つようにし、交差点でも道路からなるべく離れて立つようになった。
たまりかねた私は、専門の調査機関に依頼し、尾行者たちの動きを逆に追尾してもらい、確かな証拠を押さえてもらうことにし
た。その追尾中、写真撮影されていることに気づいた尾行者たちが大勢で「フィルムをよこせ」と調査員に迫り、数人でとり囲ん
で威嚇したことがあった。調査員が110番通報しようとすると、かれらは蜘蛛の子を散らすように逃げていったという。
私をさんざん尾行し、監視カメラを向けて精神的に追い込んでおきながら、自分が撮影されているとわかると威嚇するなど、手
前勝手もはなはだしい。かれらは私が在宅中も終日、監視カメラを向けており、コンビニ弁当などで腹を満たしていた。かれらの
仕業かどうかは不明だが、わが家の敷地内に何者かが侵入した形跡があったり、郵便物があらためられていたこともある。
また、2005年6月以降、自宅の電話を使っていると、ときどき通話中に不自然な音がまじるようになった。盗聴されていた可能
性は捨てきれない。
■ 牛込警察署への被害届
尾行されるようになってから1年半ほど経った2006年12月、私は最寄の牛込警察署に、調査機関による証拠のビデオフィルム
と写真、状況を説明した調査報告書などを添えて、被害届および保護願を提出した。(中略)
警察への被害届提出後、少しの間は私たちへの監視や尾行はおさまったようだが、それも束の間、再び不審車両が近所に現れる
ようになった。そして以前と同様に、監視と尾行が再開された。そのため2007年7月、ふたたび牛込警察署へ被害届を出した。
(中略)
牛込警察署は不審車両の持ち主を調べたが、ほとんど新車同然だったにもかかわらず、すでに廃車になっている車両があったという。
2度目の被害届の後、わが家の門の脇に警邏ボックスが設置されるようになると、尾行はややおさまったかに思えた。だが調査
機関の協力を得て、私の外出時、その後をひそかに追尾して様子をさぐってもらったところ、遠巻きに尾行は継続していたことが
わかった。
そのとき私はあるJR駅前のよく行く書店に立ち寄り、しばらく時間稼ぎをしたが、書店の前で以前から自宅周辺でよく見かけ
た男性尾行者が私を監視していたのだ。それ以外にもこの日、不審な車両、人物が私の近辺をウロついていたことが確認できた。
また、別の日、自宅近くのバス停に乗ったところ、馴染みのあるナンバーの乗用車がバスの後を追っていることがわかった。こ
のクルマは以前にも何度か私の乗るバスを追ってきたことがある。その日は私が下車するバス停まで来ると同乗者を降ろして、ど
こかへ消えた。そしてその日も、私が入ろうとした店の入り口には、明らかに尾行者の姿があった。
このころから尾行がより巧妙になったと思われる。というのは、徒歩による尾行者は必ずしも尾行車両の同乗者ではなくなって
きたからである。おそらく私を追う尾行車両から連絡をうけた別のクルマが尾行者を乗せて先回りし、私の到着を待って、素知ら
ぬ様子でかなり離れた場所から私を監視、尾行しているようだった。
さらに、わが家への監視が路上のクルマからかけでなく、近所のマンションの一室などからも行われていたことがわかってきた。
おそらく、そこで24時間私たちを監視しているのであろう。
というのも、私たちが自宅を出て徒歩3分のバス停に到着すると、すぐにバス停の後方50メートルほどのところにクルマが姿
を現して、追尾の態勢でスタンバイしているからである。これは、どこかで常時私たちを監視していないとできない。さらに、自
宅近くの交差点をどちらの方向で歩きだしても、ただちにクルマないしは尾行者が姿を現す。つまり、かれらはわが家の玄関と交
差点の両方を俯瞰できるところから監視を続けていることになる。だとすると、疑わしいマンションがあるが、実際、これまでに
尾行を視認できた複数の人物がこのマンションに出入りしているのを目撃している。
ただし、尾行者が待機しているのは、このマンションではない。ここではもっぱらわが家を監視し、私たちが玄関を出るのを確
認すると、ただちに別の場所に待機しているメンバーに指令を飛ばし、そこから尾行者が出動するのである。その待機場所もだい
たい見当はついている。
(中略)
このように監視役とクルマの運転手、尾行者らを合わせると、おそらく常時10人前後でひとつのグループが編成されていると思
われるが、その顔ぶれは前述のように日によって違っている。したがって、わが家の監視・尾行にかかわるメンバーの延べ人数は
相当数にのぼると見なければならない。
(後略)
下記より転載
◆「反矢野」キャンペーンの非道 〜妻や家族にまで及ぶ尾行
外部リンク:blog.goo.ne.jp
出典: 黒い手帖 矢野絢也(著)
矢野絢也――元公明党委員長。創価学会とトラブルになって以降、創価学会から俗にいう集団ストーカー行為を受けるようになる。
被害の詳細は『黒い手帖』に記されており、元警察官僚の衆院議員・亀井静香氏が、矢野氏に対して行われた集団ストーカー行為
に関して、国会の場で取り上げて、追及した事さえある。
U野さん親子が受けた被害のまとめ】
CはU野さん親子らの団地5階より通路を挟んだ向かい側の団地5階に居住
・外出する際には必ずと言って良いほど伴走でもするかのように後を尾行
・その車の前後に生ゴミ、鳩の死骸、新聞紙(聖教新聞)を丸めた物が散乱
・定番のゴミ散乱
・日増しに酷くなっていった郵便ポストへの置き石
・U野さん宅の棟の階段踊り場には、Cが徘徊の際に飲んでいたビールの空き缶が散乱
・毎朝・毎夕、白昼の時間帯にテープレコーダー機器を使って野生動物の声を流しながら、長時間、オーバーに十手の様な物で
バンバン、バンバンと力強く、座布団や布団をひっきりなしに狂ったように叩いて音を立てる(U野さん談を参考)
警察が渋々ながら現場検証した事も
・U野さんの母親が左耳の聴力に支障を来たすレベルで、十手でマンションの手すりや金属部分を叩いて敷地内に響き渡る激しい音を立てる
・5階からわざと階下に落下させた布団を取りに階段を降り、戻って来る際に片手に持った十手を振り上げながら威嚇
・子ども(Cの長男やその友人と思しき団地付近の子)まで嗾け、中学生らに団地敷地内で発泡スチロールを粉々に壊してゴミを散乱させ
周辺を徘徊してはU野さん宅を威嚇するように「ぶっ殺すぞ!」等の奇声を集団で発する等の執拗な攻撃を仕掛ける
・U野さんらが見やると、CはU野さんらに対して拳を振りかざしたり突きつけるような仕草で威圧
・U野さんらに向かって棒や布団叩きで「見ろ!」と言わんばかりに「死亡」と書かれた紙を示し掲げる場所を変えて長時間に渡って指し示す嫌がらせ
・U野さん本人が所有する車の周りを複数の人間が中を覗きこむ様に見ている写真(複合住宅の上からその駐車場が見え、写真でしっかりと捉えてあった)
・複数の人間が昼間からその駐車場に屯し、何らかの機械の部品を広げて騒いでいる写真(単に騒いでいるのでなくU野さんを威嚇)
・別の号棟の住人であるCが、わざわざU野さんらの自転車が置かれた別号棟の自転車置き場を度々徘徊
・U野さんの母親の自転車のタイヤがナイフで切られたり、チューブが全て剥ぎ取られる被害(その回数、5〜6回ではない)
創価学会に対する被害者側からの反転攻勢が本格的に始まったな
こうなるとあとは崩れるの早いぞ