
オレのファンは知っているだろうがオレはとにかく曲がっていることが嫌いだ。曲がっていると言っても道徳的に悪いことが嫌いだとかいうわけではない。
発言の矛盾やねじれが嫌いなのであって一貫した悪に関してオレは文句は言わない。言わば物事をきっちりさせたいのだ。
今回腹たってんのは「クレーマー」とかいう連中のことだ。
テレビでもラジオでも昔からクレーマーを批判してきたから意外だと思われるかもしれないが、オレはクレームというのが悪いと思っているわけではない。
中途半端なクレーム、もしくは矛盾したクレームというものが嫌いなのだ。
オレが見る限り、日本人というのはクレーマー嫌いの割合が多いと思う。実は、テレビ局へのクレームというものも実はアメリカやヨーロッパと比べて少ないのだ。
クレーマー叩きを昔からしてきたオレが言うのもなんだが、クレーマーに対するクレームというのは日本人のお家芸とも言えるほどだと言える。
だが、そんな連中にも関わらず、一部の話題に関すると途端にヒステリックなクレーマーと化す。
例えば電車のマナーについて日本人はおそろしくクレーマー体質だ。電車内での化粧や食事を見るや否や眉間にシワを寄せて、あとで呑み屋での愚痴の種にする。
オレはそういうことが許せない。クレーマーを批判するなら自分もマナーに小うるさいクレーマーになってはいけないのだ。自由を認めた寛大な人間にならなくてはいけない。
それなのに世の中には店員へのクレームは袋叩きにする癖に電車内でのマナーには昼ドラの姑のようにガミガミ煩い老害のようになってしまう人がいる。
もちろんクレーマー嫌いの人と電車内でのマナーにクレームをつけてる人が完全に一致しているとは言わないが、一致している部分があるのは否めないだろう。
少なくともオレに影響されてクレーマー嫌いになった人はオレと同じように一貫した「クレーマー嫌い」に徹して欲しいものだ。
『哲学』島田紳助、松本人志共著より
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