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主婦 石塚シズカ 「証言 特高警察」新日本新書
私はなにもしていません。本当に何もしとらん。
なのに特高は私に「非国民」「国賊」「治安維持法違反」「アカ」「うじ虫」
・・・と数えきれないほどのレッテルをはった。
当時13歳だった私に、いったい何をやれるというのか。
私はものを考える能力もなく、腹を減らして、腹いっぱい食べた夢を
見るだけの女の子だった。
「詩の一行の赤線が・・・」
昭和18年、製紙工場で働いていた私はたまたま数冊の本を買った。
その中に与謝野晶子の「みだれ髪」(歌集)があった。
これを寄宿舎の私物検査で特高に知られるところとなった。
私はその本の中にあった晶子の詩「君死にたまふことなかれ」
の一節に赤線を引いていた。
「君死にたまふことなかれ
すめらみことは、戦いに
おほみづからはい出ませぬ
かたみに人の血を流し
獣の道に死ねよとは
死ぬるを人のほまれとは
大みこころの深ければ
もとよりいかで思されん」
これが彼らの目には許されないものであったろう。
しかし私は、それが「ホッキン(発禁)」の本だとは知らなかったのである。
捕まったときは「ホッキン」とはどんな字を書くのか、それさえも何も知らなかった。
つまり、なあにも知らない女の子の見本だった。
「オイ ネエチャン。この本は誰にたのまれたのか。
相手の名前をいえばすぐに帰してやる」と特高はいった。
「まだ生きているの声」
「自分のお金で買いました。誰にもたのまれません」と答えた瞬間、
私の体は何メートルも先に吹っ飛んでいた。それから先はなぐるのけるのといったもんじゃない。
生と死のギリギリいっぱいまでやられた。
遠くのほうで「死んじゃおらんぞ。まだ生きとる。いまのうちに寄宿舎に引き取らせろ」という声が聞こえた。
1か月後、身体が動けるようになったら今度は憲兵隊へ呼ばれた。同じような責めを受けた。
私の体は古ぞうきんのようになった。四つんばいの状態で帰された。
わずかの楽しみで読んだ本が反戦詩だったというだけで特高は私を引きすえて、
半殺しにして、おまけに母も見張った。
何がなんだかわからんうちに、私は「チアンイジホウ」とかいうものにやられ、
母は「コクゾク」を生んだ「ゲトウ」だといわれてどうしようにもなかった。
2年前に死んだ私の母は「お前のおかげでひでえめにあった」と最後にいって死んだ。
(山田善次郎著 「日本現代史のなかの救援活動」学習の友社より引用)
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