私は皇室につらなる家に生まれました。神話や日本史などについて書き、講演や活動もしてきたので、生粋の保守派です。
それに、筋金入りの反原発論者でもあります。いまこそ日本から原発を徐々になくしていくべきだと主張しています。
「えっ?」と驚かれる人もいるでしょう。世間では「反原発=革新」「原発推進=保守」という図式で見られますから。
でも、私は反原発と保守は矛盾しないと考えます。それどころか、保守であればこそ、反原発でないとおかしい。
皇室をいただき、次の千年も輝き続ける日本に原発はふさわしくないものだからです。
「左翼にだまされるな」と忠告してくれる人もいます。
でも、私が「原発反対」を言い出したのは、高校時代の英語のディベート大会がきっかけで、あらゆる原子力の本を読破してからです。
また、大学時代に原発労働者の被爆の実態を知ったことが大きかった。
私は毎年冬になると、野宿者を支援する活動に参加していました。
横浜駅周辺などに行き、原発で働かないよう呼びかけるパンフレットや毛布を配りながら、原発で作業経験のある人たちに話を聞くのです。
日雇い労働者たちは、原発の定期検査が年に1度行われるとき、手配師にかき集められていました。
技術者が原子炉圧力容器に近づく前に、放射性物質をふきとる除染作業に投入され、線量計が警告音を発するまで作業をする。
1日に数分から30分ほどの作業で約3万円。1週間ほどで体調不良を訴えてやめる人も多いと聞きました。
原子力安全・保安院の資料によると、被爆する労働者は年に述べ6万〜8万人。
主な研究機関が示した「被爆のリスク評価」などから控えめに推計しても、これまでに160〜320人の労働者が慢性放射線障害によるがんで亡くなったことになる。
原発は、一定の犠牲の上に成り立ってきたわけです。
革新派が唱える「反原発」は「反核」「平和」が根本にあります。
でも、保守派がいう「原発推進」には、明確な理由がそんなに思い当たらない。
一つは日本の将来の核武装のために必要だ、という論。
でも、米国も中国もかつて原発がないのに核兵器を開発したように、原発と核兵器は無関係です。
もう一つは、共産党や社民党の主張にくみしたくないという感情論。そうであれば、考え直す必要があります。
原発の賛否とイデオロギーは本来、直接関係がない。
エネルギー政策は最も重要な国策ですから、保守も革新も先入観を排し、真の国益を考えた議論をすべきなのです。
私自身は、日本は脱原発を実現させ、クリーンエネルギーの先駆者として世界をリードすべきだと考えます。
https://blogs.yahoo.co.jp/satomikimuraoffice/26559560.html