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事件発生後、1ヶ月で捜査は暗礁に乗り上げ、犯行当日以降に地元を去った人間を調査したところ、東京都板橋区に勤務していた斎藤 幸
夫(さいとう ゆきお、当時24歳)が浮上。12月2日、警察は斎藤の身柄を拘束するため、示談成立している喧嘩を傷害事件として別
件容疑に、東京に勤務している事実を家出と偽り逮捕状を請求して逮捕した。
1984年(昭和59年)7月11日、無罪判決。28年7ヶ月にも及ぶ獄中生活に終止符が打たれて無罪となった斎藤は
7516万8000円の刑事補償金を受け取るも、裁判費用の借金返済に消えた(再審請求以降の裁判費用は借金ができず、支援団体のカ
ンパでまかなっていた)。故郷に戻り、仙台市の弁護士事務所で一時期、働くなどした。その後、鹿島台町の自宅に戻り、母と暮らしなが
ら清掃員などとして働いた。アムネスティ日本支部などの団体で講演活動をしていたが、長期間死刑囚として過ごした間の年金は支給され
ず、晩年は生活保護を受給していた。精神的苦痛を理由に1億4300万円の国賠訴訟を起こしているが、訴訟内容は裁判費用の請求でな
く精神的苦痛による損害賠償であるため、2001年(平成13年)に棄却されている(一方、足利事件と布川事件の冤罪被害者は刑事補
償金以外にも裁判費用を受け取っている。)。斎藤は2006年(平成18年)7月5日に多臓器不全のため75歳で死去。母も
2008年(平成20年)12月24日、101歳で入所先の施設で亡くなった。
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