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https://digital.asahi.com/sp/articles/ASN7H3FSSN71UZVL001.html
カミュが言いたかったこと 闘うための武器は「誠実さ」
70年前に発売されたフランスの小説「ペスト」が世界的なベストセラーになっている。アルジェリアの港町を舞台にした疫病との闘いが、新型コロナウイルス感染拡大に揺れる今を想起させるとして、手に取る人が増えているのだ。この目に見えない脅威といかに向き合って生きればいいのか。手がかりは、登場する医師やその友人たちの言動にあった。
「人生は自分でコントロールできないことばかり。だから苦しい」「人は内面にも葛藤や矛盾といった不条理を抱えている」「救いは、小説の登場人物たちの闘う姿」
6月中旬、パソコンなどの画面越しに、男女9人が小説『ペスト』について語り合っていた。「町田の小さな場所MUCHA(むちゃ)」が開いた読書会。主催者の兵藤周平さん(33)は「コロナ時代に求められている一冊」と言う。
著者のアルベール・カミュ(1913〜60)は『異邦人』でも知られるフランスの作家で、思想家サルトルとともに不条理の文学を打ち立てた。57年にノーベル文学賞を受賞。思想の背景には父親の戦死や貧乏、結核の発症といった体験があるとされる。『ペスト』を47年に発表。ペストに見舞われた町の人々の奮闘と連帯を描いた。
この70年も前の本がコロナ禍の今と重なると反響を呼び、世界的なベストセラーに。日本では2月以降、36万4千部が増刷された。
ペストはあらゆる不条理の象徴
舞台はフランス領アルジェリアのオラン。経済が重視され「金持ちになるため」に人々は働いている。だが、ペストの感染拡大で町は閉鎖され「同じ袋の鼠(ねずみ)」となり、「自宅への流刑」に遭う。商業は「死」に、観光旅行は「破滅」する。欧米のロックダウンや日本の緊急事態宣言下で起きたことを連想させる。
パンデミック小説とも読めるが、国際カミュ学会副会長の三野博司さん(70)は「時代を超え読み継がれているのは、ペストをあらゆる不条理の象徴としてカミュが意図的に描いたから」と指摘する。
第2次世界大戦の生々しい記憶が残っていた出版時、フランスではペストをナチス・ドイツと重ね、占領への抵抗の物語として読まれた。日本での出版は50年で「当時の日本人も戦争体験を投影して読んだのではないか」と三野さん。大江健三郎は著書『ヒロシマ・ノート』の中で、原爆について「炸裂(さくれつ)した瞬間、人間の悪の意志の象徴となった」とし、「現代の最悪のペスト」と記した
ペストが示すのは、戦争や疫病、飢餓、災害、専制政治、内面に巣くう悪など、人類から自由や命を奪う不条理のすべてで、繰り返されるものだ。戦後日本でも、高度経済成長に伴う公害、北朝鮮による拉致、バブル崩壊、過労死など様々な理不尽な出来事に見舞われてきた。だから、「時代ごとにふさわしい読み方ができる」と三野さん。東日本大震災の際には、三野さんは災害や放射能の脅威をペストに重ね合わせた。
自分で考え行動する
コロナ時代を生きる上で学べることは、何か。
「凡庸ながらも役に立とうとする主要人物たちの言動にヒントがある」。そう指摘するのは成城大文芸学部教授の有田英也さん(62)だ。
登場人物の医師リウーはペストと闘うための方法は「誠実さ」と言い、職務の治療に専念する。理性を信じるタルーは「(誰もが)ペストをもっている」として、他人に感染させないのは「気をゆるめない人間」だと言う。こうした姿勢から導き出せるのは、「新型コロナを自分の問題として引き受け、他人に判断を委ねず、自分で考え行動することです」と有田さん。
それは手を洗う、マスクをする、人混みを避けるといった当たり前の行動も含む。「自分のできることを丁寧にする。それによってヒーローになれるわけではないが、コロナ時代に求められる行動規範だ」という。福岡市では感染者が足を運んだキャバクラ店名を明かさずに問題となったが、「感染したら、会った人を包み隠さず報告するのも誠実さの実践です」。
小説ではペストは終息し、町は犠牲者の存在を忘れたかのように歓喜に沸く。一方、カミュは「ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもない」と記す。新型コロナ感染の第2波が懸念される中、一人一人の誠実さが問われている。
無関心を装い、放置しないで
《精神科医、「不条理を生きるチカラ」共著者 香山リカさん(60)》