
「最底辺の家庭」で育った40歳の配達員は絶望を考えることもやめた
桂さんは小学校、中学校時代にいじめに遭い、不登校になった。いや、原因はいじめだけではない。父親が病気で働けず家計は火の車、にも関わらず、
毎日酒を飲んで母親を殴るような家庭で育ったことも影響している。劣悪な家庭環境に耐えられなくなった母親は、小さかった桂さんを置いて一人、家を出ていった。
今も母の行方は分からない。残された働けない父と子供だけの暮らしは生活保護頼み、自分の家は「最底辺だ」と、小学校の低学年頃には意識していたという。
「給食が一番のご馳走で、給食が楽しみで学校に行っていました。でも、学年が上がるにつれて、僕は普通の人と同じように暮らしてはいけない、
勉強する資格もないと思うようになりました。もらっていた生活保護は税金だと知り、申し訳ないと思ったからです」
元々、勉強もスポーツもできないわけではなかった。運動会では学年対抗のリレーにも選出されたし、算数は今でも大好きだ。
友達も少なくなかったが、急に引っ込み思案になった桂さんは、それまで仲良くしていたクラスのボス格の標的にされた。
「でも、いじめられるだけで済んだのは幸いでした。着ている服もよく見るとボロボロでしたし、みんないじめられているほうに気をとられて気づかず、
最後まで貧乏は隠し通せたからです。高学年になる頃、クラスの女子から『なんか臭い』と言われて、もう隠せないと思い学校に行くのをやめました。
生活保護者が多く暮らす九州のある市営住宅に暮らしており、家には風呂がなかったためでしょう。当時はどの家庭にもあった固定電話すら、わが家にはありませんでした」
人生で初めて他者から評価された
学校から足が遠のいたまま放置され、中学校には一度も通うことなく卒業した。卒業後は父親の知人のツテをたどり、近くの食肉加工工場で仕事を始める。
時給は当時の最低賃金をも下回っていた可能性がある600円。それでも、自分で金を稼げる、という事実が嬉しく、朝5時から夕方3時まで働き、志願して残業も毎日やった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/51a8b45d01cade096a24196ee2e4df371edb114f?page=2