兵隊のほとんどはモンゴル人じゃなくて
朝鮮人か中国人やで
地の利を生かした防衛戦だからだろ
ナポレオンやナチスドイツに勝てたロシア・ソ連と同じ
元南宗兵からすりゃ長距離航海のうえに守備固めた敵陣上陸とかいう罰ゲーム
そういや東洋にまで攻め込んだのにそれより近場にあるインドに攻めなかったのは何故なの
船で来た高麗人相手に日本側はひたすら火攻めしたからな
火付け戦略は最強だな
>>1
これ見ると台湾や海南島、フィリピンにも侵攻してないんだな
とするとやはり海を越えるのはきついんだろう 元は支配された地域から徴兵された兵士が主力なので士気低すぎてすぐ逃げた
腐ったクソを投げつけて戦意喪失させたって婆ちゃんから聞いた
何で日本人は戦勝をぼかすんだろ
これも日露戦争も普通に勝ってるだろ
米の国だから単位面積あたりのカロリー量が高くて武士なんていう余剰人員を抱えておけた
馬を持ってこれなかったからな
モンゴル帝国の強さの秘密は馬の機動力による奇襲
これが全て
>>36
これ
だからジャングルのあるグエンにも勝てない 大陸のモンゴルを全滅させたならともかく
労力に対して見合わないから止めただけだぞ
>>1
船使う戦争ってすげえめんどくせえんだ
当たり前だが全部船に積んで運ばないといけないから
逆に守備側はその船を大量に上陸させなければだいたい勝てる
ちなみに近代になって空が使えるようになってアメリカは勝つことができた あの時代に海路で外国から侵略するってこと自体無理があったのでは
>>15
何度も攻めたけどうまく行かなかったり、モンゴル側にやる気がなかった
だけど300年ぐらい後にモンゴル系の部将が中央アジアから攻めて成立した
「ムガル帝国(モンゴル帝国)」がインドを支配することになったよ 元寇は、高麗が提言し、いやいや実行させられた
対馬・隠岐で戦利品を得たので、九州はやったふりですぐ帰った
モンゴルの三軍が船でやってきただけだろ
一軍はジャップまでは来なかった
西太后の清国も圧倒的な戦力差がありながら日本に敗北してるんだよな
この時に捕まえた人らから航海技術を獲得して倭寇がはじまったらしい
倒してない定期
モンゴル帝国は別に地球征服した訳でもなく常に大きくなったり小さくなったりする支配領域を持っていた訳で
その境目にある無数の地域の一つに日本も数えられるというだけの話
地続きでありながら元を撃退したベトナムの陳興道の方が凄いと思う
黒船辺りの幕末でも勝てたと思うよ
兵站続かないから
第一次辺りからは海をまたいだ兵站続きそうで怪しいけど
世界最大の騎馬軍本体を船で運べりゃアメリカ大陸だって取れる
1回目はマジで現地武士が頑張ったんだんだっけ
2回目は幕府のやる気なさから運だとか
やる気のない宋かどっかの兵隊使ったからじゃなかったっけ?
野球のチームにサッカーで勝ったようなもんだからそこまで誇ることではないと思う
そもそもバイバルスは陸の上でモンゴル倒してるからそこまで無敵って訳でもないでしょ
>>73
モンゴルはそもそも海超えた戦だと勝ててない
ベトナムもモンゴル軍撃退してるし >>60
整備費が庭づくりに強奪されたので主砲ぶっぱなした途端に艦橋が崩壊して
司令官が気絶したとか 海に逃げたと思ったら小舟で海上夜襲してくる基地外コワイ
ワールシュタットの戦いと似たようなもんじゃないの?
元寇当時は南宋とガチってたからな
その片手間でしかない
日本を攻めている余裕がなくなったとか聞いたけどどんな話だったか忘れた
てか、馬乗って戦うのが強くて領土ひろげたんだし
船とか専門外
海岸線突破出来ずに何週間も沖に留まってればそりゃ台風喰らうわ
超大国アメリカもベトナムにボロ負けしただろ
日本はアメリカに焼け野原にされたが
モンゴリアンってエジプトまでいったとかスゲーな
ピラミッド征服したのか
博多は大昔に作った土盛りのラインまでレイプされ尽くしたぞ
海が荒れ過ぎて狭い島なんて取るメリットが無いだけ
欧州人「野戦避けて城壁に篭ったら楽勝w」
グエン「密林湿地帯でゲリラ戦したら楽勝w」
日本人「上陸させずに戦ったら楽勝w」
世界最大版図を誇った大帝国、馬に乗れないと雑魚すぎる
元=モンゴル帝国って誤解いつまで続けるんだろうなこの国の人間は
陸軍が強いからといって海軍や海で隔たれた場所での戦いが強いとは限らない
倒してない
対馬を無茶苦茶に蹂躪されたあげく逃げられた
戦闘民族九州人だからな。
関東に上陸されてたら征服されてて
>>107
中国人「野戦避けて城壁に篭ったら滅亡したんだが」 上陸出来そうなとこが少なかったからとか?🤔
対馬あたり拠点にして上陸ポイント日本海側から太平洋側までぐるぐる探してけばモンゴル勝てたんでないの?
元寇については九州の人は謝罪と賠償とかネチネチ言わんのか
世界でこの2カ国だけが小さな馬を使った
この戦闘スタイルだったのよ。
だからモンゴル側がこの強さをよく理解してるから撤退した。
モンゴル軍も十分基地外だったんだが、鎌倉武士はそれ以上の基地外だったからなあ
話半分かもしれないが、モンゴル軍が人質戦法を使ったら、人質ごと死ねをやり
逆に人質戦法を使って反撃したというし
陸続きでないからWW2だって最後まで粘ったの航空戦くらいでしか攻めれなかったから
そういえばシベリアというかロシアも征服できてないな
このあたりも後世の戦争と同様で興味深い
>>83
台風はあったけどそれは一要素
元軍苦戦で海上で数ヶ月足止め→台風襲来→鎌倉武士追撃フルボッコ
という流れ
神風のおかげとなったのは恩賞を渋った鎌倉幕府が神風のおかげで勝った(から恩賞はなしね)
というジャップ仕草 一回目の後にちゃんと対策したのは良かったよね
自民党が指揮してたら国を乗っ取られてた
神風で勝ったとか言われてるけど陸で散々ボコられた挙げ句の台風だからな
>>123
ふむ?🤔やっぱ水と食料は大切だよね
遠くの島に戦争させに行って食料とか水送らない軍隊なんて負けるに決まっとるし😌 台風が来て鷹島に一時避難したところを
鎌倉武士団が上陸
みな○〇し
>>133
伝染病の一つも防げなかった愚かな島国が有るらしい 奥州合戦から100年で鎌倉武士もなまってそうだけどな
海遠征が馴れてなかったやら主力がそもそもモンゴル人じゃないやら
>>146
鎌倉時代は内部抗争の歴史
ずっと内紛して族滅族滅 そもそもモンゴルの植民地の士気の低い人々が多かったし
船に手抜き工事されてた説もある
元寇つっても実際派兵されたのはヤル気0
の朝鮮人だったから
二度目なら台風なくても補給滞ってジリ貧になって負けてそうだよね
>>15
北方の騎馬民族だから熱帯気候はきついんじゃないの 女のレベルが低すぎて征服しても割に合わないと思われた
1回目はマジで神風のおかげ、2回目は神風と防塁を利用して、風で糞尿爆弾を投げて悪臭と弓矢を敵に当たりやすくして敵が混乱してる隙に乗船→攻撃して退散させた
>>124
いや全然違うし
大体13世紀なんて欧州からアジアまで馬体小さいモンゴル馬みたいな馬が中心だからな
この馬自体原産が中央アジア、とりわけアム川からイリまでの広大なステップであるとされているし
そもそも遊牧民の馬である以上は商品でもあった
朝貢で中国に献じられたり、ペチェネグやクマンを通じて東欧引いては中欧へと広まった経緯もある
現近代的な大型馬はレバントと西欧の馬産の賜物だが
世界的には主流ではないし >>44
ガチのアメリカ人も慈悲かけずに白人共皆殺しにしときゃなあ、 >>146
ミニマムな境界争いはずっとあったからな
門注所に駆け込むよりぶっ殺した方がお手軽確実だし クビライが死んでよかったね
彼は第三次も企画してた
これが失敗してもその次、そのまた次がただろうね
そもそも日本人が馬鹿にする朝鮮でさえ、完全に屈服するまで42年、第6次に渡る侵攻をうけようやく制圧されたくらいだ
日本こそたった2回の元寇で、鎌倉幕府が崩壊するするきっかけになるほど資金面で消耗した
その後同じ規模の侵攻が繰り返されたら、果たして同じように撃退できたか怪しくなってくる
日本が無事ですんだのは、これはもう国運があったからとしか言えない
>>30
博多湾でウンコ爆弾投げて撃退したらしいねw >>152
今のパキスタンの領域には攻め込んでるぞ >>1-3
>>1000
コロナマップ(世界の感染者数をまとめたマップ)
https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/coronavirus-world-map/
世界の現状について
日本含む世界中で新型コロナウィルスに感染する人が増えています。主な原因は乾燥です。(3〜5月はまだ乾燥傾向にありますのでご注意ください)
今後ワクチンを摂取するまでおさまることはありません。
外出の際は防塵マスクが必要です。大袈裟のように感じますが、コロナに感染すれば健康を失います。周囲の空気に流されず、コロナ対策をしましょう
自分のために、家族のために、日本のために
世界のコロナ状況 3月時点
世界全体 感染者1億2200万人 死者270万人
第一波押さえ込み後、第二波発生
インド(感染者1200万人、死者16万人)
第二波押さえ込み中
米国(感染者3000万人 死者55万人)
ロシア(感染者440万人、死者10万人)
イギリス(感染者430万人 死者13万人)
台湾(感染者0.1万人 死者10人)
第二波押さえ込み後、第三波発生
フランス(感染者430万人 死者10万人)
イタリア(感染者340万人 死者11万人)
ドイツ(感染者270万人 死者8万人)
第三波押さえ込み中
イスラエル(感染者83万人 死者0.6万人)
日本(感染者46万人 死者0.8万人)
ベトナム(感染者0.26万人 死者35人)
第二波押さえ込み成功
オーストラリア(感染者3万人、死者900人)
第一波押さえ込み成功、収束。
中国(感染者9万人 死者0.5万人)
以上、主要国の現状です。
マスメディアはアジアで日本だけコロナ感染者が多いと報道していますが、嘘です。
また途上国の場合、データ上感染者がいない国でも、日本の空港でコロナ陽性と発覚するケースがあります。これは途上国の検査の精度が悪いorデータを捏造していることが原因です。
hj 陸続きなのにモンゴル帝国軍に勝ったグエンさんのほうが凄い
>>131
+海賊多すぎて補給線が作れなかったのもある
年間50~100単位で海賊に襲われてまともに補給線作れてない+仲間割れと船酔いしすぎて船が沈没したり
現に元の船が150船ほど残骸になって日本側に流れ着いてる
上陸前からやらかしてる感じ 正直、太平洋で植民地治安維持軍を倒して世界最強をきどってたあれに近いよね
武家政権と言えば格好いいけど武とは暴力、家とは団体
今風に言えば暴力団が国を支配してたようなもの
そら頭おかしいですよ
軍が強いだけで国が強かった訳じゃない
だからすぐに滅亡した
鎌倉時代殺伐としすぎて武士もムキムキやったか...
日本は程度の差こそあれ魚や貝などの海産物からタンパク質を得てきた民族で、内陸は険しい山
平原で暮らす元民族とは全く食生活が違い、牧畜のための平原もない、当時は農耕にも適してるとも言えなかった
苦労して九州に橋頭保作ってまで日本を征服しても得られる利益が全く無い
戦いではケチョンケチョンに制圧されたがたまたま台風のラッキーに恵まれて
ホームベースが船の遠征側のアウェイにとっては圧倒的に不利になって
壊滅的に自滅して逃げ帰った
これを神風とか言って調子に乗っていたら800年後にインパール作戦で
遠征側アウェイに回って逆の地獄を体験する
>>149
九州沿岸に元寇に加わってない元の船の残骸が大量に流れ着いてるからな 調べると神風に守られたというよりも九州の武士団だけでヒャッハーして撃退した印象
日本の鎌倉〜戦国時代はリアル北斗の拳の国
元の騎馬はせいぜい500騎(しかも船降りるまでにメッチャ時間かかる)のに対して
日本側は2000騎で待ち構えてたから普通にやって負けようがない戦いだった
まぁ九州だから防衛できただけで
東日本に来られたらやられてたかもな
流鏑馬見てるとこれが数百人も集まって弓撃ってるだけで世界取れるのもわかるわ
北条時宗が優秀すぎた。
相手が鬼畜戦闘始めたから、こちらもなんでもありになったら強かった。
元寇の戦場だった場所はちょうど山からの風を受けやすくて風が海に吹き抜ける流れをしていたので、自然の力は偉大だなって思った
攻められると追い出しても、
金がなくなり、政権転覆の原因になるな
鎌倉とか、明とか
鷹島の戦いとかやべえよな
モンゴル兵がゆいいつ涙流して謝ったのが鎌倉武士
>>185
九州人の闘争本能には勝てないわ
道仁会って・・・ >>127
シベリアは牧草地ないから興味なしなんじゃないかな
ロシアはトラウマ級にえげつないことされたで
タタールのくびきや モンゴルはペスト感染遺体投げ入れ攻撃とかしてたんだっけ?
当時東アジアでも同様の感染症が流行してたのならやばかったかもな
>>1
死ねバカ
実質的に高麗と南宋の軍だろ。
彼らを弱体化するための罰みたいな
軍事作戦だわな 小茂田とか豆酸とか本当にあるんだ
>>170
平家ならともかく
源氏はオラオラしてるからなー 海超えはやべーぞ
鑑真なんか日本に来るまでに5回失敗して12年もかかってるからな
犬追物って的はヒトだからなー
恩賞に釣られた欲まみれの職業軍人は強いわ
倒してないよ。追い返しただけ。
それも朝鮮のサボタージュやベトナムの抵抗に助けられたおかげ。
>>201
ということにしてお給料をちょろまかそうとしたという話さ
そして神風信仰自体が大日本帝国にも都合が良かったので再利用された 陸続きだったらなすすべなくジャップも征服されてたろうにな
>>1
朝のテレ東の韓ドラ見てた俺の叔母さんの一言
「そんなに強くて文化があったら日本や中国にやられてないわよねえ」 反乱起こす可能性のある、
高麗や南宋の兵隊を減らしたかったんだろ。
万一ジャップが占領できれば、
彼らにジャップを統治させて、
大陸から隔離も出来る
モンゴルは損をしないシステム
ジャップは増長すんなマヌケ
>>202
モンゴルがどう考えても圧倒的にヤバい国だったから、中東地域に攻め入った時にはその土地の文化遺産を徹底的に破壊していたし、西欧にも足を伸ばそうとしたんだぜ? >>202
そら軍事システムの差やろな
しかも宋は軍事軽視だったし 2度も台風の季節にやってくるとかww
頭が足りなかったw
朝鮮軍の8割は死んだらしいからな
神風とかウソだぞ
フビライ自体も他のモンゴル軍と連携取れてないしな
あちこち仲悪く好き勝手やってるから世界最大のモンゴル帝国がーな感じじゃない
1000年の推定GDP
インド 64000
中国 39000
イタリア 25900
フランス 19200
スペイン 7900
スイス 7000
トルコ 5900
日本 5500
インドネシア 5200
ドイツ 4800
ギリシャ 3900
メキシコ 3700
ベトナム 3600
サウジアラビア 3600
ロシア 3400
イラク 2800
ポーランド 2400
ベルギー 2300
イギリス 2200
南アフリカ 1900
韓国 1400
>>224
西洋が優位になったのも
モンゴル来なかったからってのが大きい
東の騎士団がボッコボコにされてるから
怖かったんだろな (´・ω・`)鎧で武装した首狩り族(練度高)が軍事独裁する島に船で乗り込めば何とかなると思った元の方が無謀だと思うが
やっぱ海渡るのは攻め込める人数も限られるし補給もきついんじゃないか
>>229
モンゴル軍の強みは戦略機動と兵站と攻城戦と心理戦
どれも海を渡ると実行できない >>232
1度目が本当に台風のせいだったら2度目は考慮しただろう
つまり台風のせいじゃなかったってこと
話はドラマチックに盛られてる後付け演出 >>208
侵略した土地の奴らを次の侵略に使うのは元の常套手段だし
それを撃退できた理由とするのは微妙だろ
遊牧民の弓騎兵だけであんなクソデカ帝国作ったわけじゃない マジレスすると対して重要でもないから属国に適当に圧かけて派兵させてただけで本気じゃなかったから
それでも死ぬほどヤバかった
10万以上の軍勢が2回も台風で壊滅とか
本当ならただの馬鹿じゃん…
ベトナムとの戦いで水軍が壊滅したから第3次遠征はなくなったんだよなあ
文益の役 弘安の役
文禄の役 慶長の役
まっぎらっわしっ
>>138
見てみたい
一方的に喧嘩ふっかけてきた敵を片っ端から撫で斬りにする爽快な場面だろうな
フル武装した武士団が船で島に近づいてくる時のモンゴル人の青ざめた顔が思い浮かぶ モンゴル帝国ほど東西で偏見にさらされてる帝国もない
モンゴルは13世紀にアジア全域に及ぶ大商業圏を作り上げたにも関わらずヨーロッパの歴史家は大航海時代から世界のグローバル化が始まったことにしたいし
中国の正史も所詮中華文明を理解しないアホの蛮族がやって来たくらいの書き方してるし
日本の歴史家もモンゴル人第一主義とかウソを教科書に載せ続けてたし
今はもう削除されてるらしいけど
日本人が普通に強かったから
日本人戦闘民族すぎるwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
日本も撃退しただけで賠償金とかもらえないから
鎌倉幕府は御家人に払う恩賞ないからかわりに徳政令で御家人の借金チャラにした結果経済が恐慌状態になって
鎌倉幕府滅亡につながった
戦国時代に来て上陸成功してたら織田・武田・上杉連合によってあっと言う間に皆殺しだっただろうな
>>236
なんでインドそんなに高いの?
あとイタリアも >>76
とっくに鎌倉武士に大敗して死にかけのモンゴル軍に台風が駄目押ししただけだぞ 元寇に始まり、日本って国は歴史上過去にこういう「やばかったけどなんとかなっちゃった」って言うのが多すぎて
今みたいな国民性になったとしか思えない
今なら少子高齢化だろうが経済の停滞だろうがコロナだろうがオリンピックだろうが、「まあなんとかなるでしょ」という他力本願で全員動いてる
騎馬民族が船で攻めてきても果たして強いのかという疑問
>>208
何度も何度もしつこく出兵計画出してるからガチで日本支配したかったんじゃないの >>256
一度負けて何の対策もせずに戦争するバカが世界のどこにいる? 実は斬った殺したの史実を裏付ける文献って無いよのね
上陸はしたんだろうけど食料貰ってすぐ帰った説が最有力
>>264
インドはイスラムの交易拠点になってた
イタリアはもともと先進国だし地中海貿易の要 >>270
なんであんなムキになってたんだろな
海超えで当時の技術じゃ難易度跳ね上がるのに得られるのは島国とかコスパ悪いだろ >>263
戦国オールスターズも明には攻め込むことすら出来なかったぞ >>211
鑑真の失敗は密航だったから
元寇の失敗はノウハウの無い海超えだったから >>254
当時のモンゴル武将が書き残した文とか見ると阿鼻叫喚だったみたいだもんな 神風とか言ってるけど、実は朝鮮がやる気なくて手抜き造船したって説が今は主流なんだってな
>>274
使者ブッ殺したからじゃない
当時の感覚とかしらんけど
現代ならアメリカ大使斬首にしたら戦争起きそう >>84
まぁマムルークが戦った相手も三軍連中だけどな。
フレグ率いる本隊はクリルタイで引き返した。 戦争って勝っても戦死者や軍事費や破損した物に見合う以上の
土地や金品奪うか差し出させるところまで行かないと得る物無いよな
朝鮮からすると脅されて出征してボコられるって堪らんな
元寇本気で調べて驚いたこと
福岡から鎌倉までの各山に狼煙をあげるとこがあって元軍の船が見えたら20分で鎌倉に伝えれるようになってた。
元軍に工作員を紛れ込ませていつ頃攻めてくるか探らせていた。
防塁は長崎から山口まであった。
2度の元寇のあとも作り続け現場は家族単位で割り当てられメンテナンスをさせられていた。
箱崎宮の人たちが白装束でお化けのふりをして元軍をびびらせている。
神風が吹いたと一番吹聴してたのは武士
実は台風が来るまで2ヶ月近く昼夜を問わず襲い続けた。
福岡以外にも上陸した元軍は虐殺された。
最初から死ぬことが決まってる捨て駒だから撃退したというかなるべくして自爆したようなもんだぞ
それに九州北部は奪われ殺されとめちゃくちゃ荒らされたから守れてもいない
上陸する場所なんていくらでもあるのに、
なぜか武士団が待ち構えてる九州北部に上陸するという
>>283
2枚目は報奨貰うために書き加えた説があったよな そりゃ馬で戦うのが得意なのに船使わなきゃいけないからな
>>285
20分なわけ無いだろ、なんだよそれ狼煙の速度はせいぜい150km/h 主力は全然来てないし
昔の全日で言うところの悪役商会を送り込んだようなもの
地形効果だろ
陸上部隊を海上で食い止めることによってマイナス50%くらいのデバフ与えることに成功したわけだ
>>285
向こうでスパイ捕まるくらいには熱心に情報収集してたな 西ヨーロッパと日本はモンゴルが攻めにくい位置にあった事がその後の文化的発展に大きく影響したんじゃなかったか
>>291
実際に日本に行かされたのは主に朝鮮あたりの兵士だったはず
だから騎馬民族が渡海したわけではない >>263
北元とでも戦うのか?
そもそも周辺国を突破して日本に来れないし
諸大名はわざわざ大連合組んで撃退せずに
自勢力のために利用しようとすんじゃね? >>127
シベリアなんて無人不毛の地占拠しても中世において何の得もないやろ
つーかロシアは征服してるぞ あと小学校でも割と詳しい学のある先生なら教えて貰ったかもしれんけど、あの有名な元寇の絵って時代に合ってないというか不思議な絵だっていうね
おそらくは金や地位を売り込むとか商売のために書いた、または領主が誇張するためにファンタジー作画描かせたって説が有力
だったけど、あの団体がこじつけ捻じ曲げて日本すごいの教科書にしてしまったのが今の地点
最近はやらなくなったけどテレビでもやってたね
>>294
つっても用意した遠征軍の数は大きい
現地に行かされてるやつらは士気落ちてもしゃーないけどモンゴルや朝鮮の上はやる気満々だった
でも日本以外も撃退されてんだよな(ベトナムに派遣した軍もかなりの数) 単に追い返しただけじゃん台風にも助けられてたし
本当にモンゴル軍を叩き潰したのはインド(デリースルタン王朝)だけだよ
通勤路に
元寇防塁という
遺跡があるんだけど
単なる空き地にしか見えない
>>15
チンギスの息子チャガタイが攻めた
当初はパシュトゥーンからパンジャブの北縁まで支配したが
ホラズムの征服が一段落したあとにタリム盆地から天山山脈北方の地域、要は旧西夏領のウイグルの地に封じられたことで引き上げた
その後この地域はモンゴルの手から離れたが、残ったモンゴル系の遊牧民が跋扈し荒廃した
彼らはモンゴル崩壊後にチャガタイウルスに合流しチャガタイ人としてモグールスタンを形成しインド諸勢力と争った
このモグールスタンのチャガタイ人から後にティムールが現れ
彼は西方征服の資金代わりにインド北部を徹底的に略奪した
この時残されたティムールの武将サイイドが現地のアミールとなってデリースルタン朝を継承したが
ティムールの死後、後ろ盾を失い急速に弱体化した
ティムールの孫であり後継者のシャールフに従うことでなんとか勢力を維持したが
シャールフが没しティムール朝が崩壊するとサイイド朝は臣下のローディー朝に滅ぼされた
そして半世紀ほど後には旧ティムール朝の地方政権である、サマルカンドの王子バーブルがローディー朝を下しインドにムガル帝国を樹立するが
バーブルの死後すぐにベンガル人のシャースールによってムガル帝国は滅亡
息子フマーユーンはイランへ亡命することになる
結局イランのサファヴィー朝に兵を借りたフマーユーンがインドを奪還し次代のアウラングゼーブでムガル帝国は漸く安定するが
ただそのころにはもうチャガタイ的、つまりモンゴル的な習俗はほぼ一掃されて
文化的にはインドに、宗教的にはイスラームに染まり切っていたので
そういう意味ではモンゴル人は終ぞインドを攻略することが無かったとも言える >>298
将校クラスまで降将だらけなら、そりゃ士気低いわな
三十年以上抵抗し続けて疲れ果てた韓国の将兵
そもそも海超えで十万単位の兵を送るって時点で
マトモに渡海作戦を練られる将がいたかどうかすら怪しいが モンゴル軍的には日本は2番目くらいには力入れてたとは思う。
東路軍4万+江南軍10万(+蒙古軍40万)
まぁ流石に南宋攻略に比べたら動員数は少ないけど。
百済がアイツらクソ雑魚だからチョロいぜって嘘情報流したんで戦力計算間違えたんだろ 知らんけど
中国と朝鮮の水軍連合軍だっけ
あまり士気高くなさそうだな
日本の人口は中国、インドに続いて三番目だった時期もあるし
>>300
それを言い出せば
元のはるか以前に日本は大陸の国の属国になってるわな >>306
対馬占領した時点でもっとじっくり攻める作戦を練るべきだったな
野戦が優秀な将軍にありがちなミスで難攻不落の城攻めや
難地形の攻めを根性論で強引にやって大敗する 遊牧民って普段の生活から戦闘訓練してるんだからガチでやったら農耕民族が勝てるわけない
こいつらフィリピンやマレーシアも攻めて撃退されててワロタ
モンゴル人どこで湧くな
むしろ陸側が負ける要素あんのかよ
向こうは航海でクソ疲労してる兵士なのに
もう誰かレスしてるかもしれんけど征服した国の男達を元に反乱させないように効率よく減らそうとしたのが元寇
日本に勝とうが負けようがどっちでもいいって考えだから士気も夥しく低かった
で、台風
駆り出された奴らはたまったもんじゃないよ
来たのはモンゴルにボコボコにされて奴隷にされたクソ雑魚中国軍と朝鮮軍な
最強のモンゴル部隊は督戦隊として少数が来てただけ
順番が良かっただけ
×白村江
〇元寇
×朝鮮出兵
〇日清日ロ戦争
×太平洋戦争
>>320
渡海作戦を諦めないところがすごいな
まあ、占領地の人と金だから失っても惜しくないだけか 陸の国と海の国があって(ランドパワーとシーパワー)、陸の国なのに海の国に攻めてきたから
>>179
そもそも元の外交使節が朝鮮人だったという理由だけで斬り殺したのが原因だからな
中国からしたら春秋戦国時代でもありえない蛮行 >>303
ロシア皇帝もモンゴル貴族の位を貰ってた家から出たっけ? 盗難アジア遠征も失敗してるしこの頃はもう失速してた
そして神風
日本が武人階級をもってて
しかも勇猛果敢で組織化もされてたという優位は絶対にあることはある
武装に関しても、優秀で、重装弓騎兵も素早い重装歩兵も素晴らしかった
だけどやっぱり天候は2回ともあるよ
相手が大勢を建て直したり
軍を合流するのにそれで失敗してるからね
それが無ければ負けた可能性ある
これは2回とも
>>333
負けた可能性あるといっても
じゃあ、日本全土が占領されたか?っていうと無理な気がするけどね 清朝のモンゴル人政策
清朝がモンゴル人を骨抜きにした方法
(1)もと支配層に対して
彼らに王公の位を与え、贅沢な生活をおくらせる。
嫁として美人をあてがう。
モンゴル人たちを指導して反乱とかを起こそうとしないかぎり、
代々この金と美女に恵まれた生活を保証してやる。
当然、モンゴル人たちは腑抜けになる。
(2)一般民衆に対して
ラマ教を奨励。
大金を注入して豪華な寺院を建設し、モンゴル人を魅了。
またラマ僧を最も上の階級とした。
ラマ僧の仕事はお経を読むことくらい。
生活費は、平民から吸い上げられる。
労働なしで豪華で名誉ある暮らしが出来る。
モンゴル人の憧れの職業になる。
さらに、各家庭は、一人の息子を除き、
他の息子を全員ラマ僧にしなければいけない、
という不文律を作る。
さらに、ラマ僧は結婚してはいけない、
という不文律も追加。
結果として、とんでもない女余りになる。
ラマ僧になっていない男子が、
複数の女性の相手をすることになる。
もちろんこの男達の健康は損なわれる。
しかしラマ僧も性欲があるから、
結局、余った女性達と肉体関係を持ってしまう。
モンゴル人の性のモラルが低下、性病が大流行。
この一連の政策の結果、
・モンゴル人の人口が減少
・健康も悪化
・経済力も低下(坊主まみれ)
・優秀な人物も減少
かってユーラシアを席巻したモンゴル人も
みごと無害な腑抜けにされてしまいましたとさ。
清朝も恐ろしいな
・突貫で作ったジャンク船のため船旅で
モンゴル軍の体力気力思いっきり減
・モンゴル側は偵察不足から土地勘が全くないのと馬の不足から
お得意の機動攻撃も誘い出して
重騎馬で殲滅する戦法もできなかった
・初手は未見の武器にボコられたものの
日本は戦い慣れしててすぐに逆襲してきた
・中盤からはむしろ土地を利用した日本側が誘い出し
戦でモンゴルをボコり戦意喪失させて
撤退させる
・2度目の弘安の役では日本に防備を固められ
上陸できず攻めあぐねてる間に海戦夜戦ゲリラ戦を仕掛けられ大被害を受け撤退
>>279
単に工作が不得意なんやろ
訪日(訪中もか)する連中が水車便利やん!と思っても
いつまでも本国にないとかだったんだろ?
江戸時代でも?