水俣病をめぐっては、いまもチッソや国を相手取った裁判が続いている。症状がありながら患者と認められない人たちも多く、被害の全容は明らかになっていない。
海に垂れ流された水銀や汚染された魚はそのまま湾内に埋め立てられ、「エコパーク水俣」という名前の埋め立て地になった。護岸の耐用年数や、災害時の液状化などをめぐる課題もたびたび指摘されている。
何より、いまだに症状に苦しんでいる患者や家族もいる。2歳で発症し、公式確認のきっかけとなった田中実子さん(68)は、1956年からいままで、言葉も、自由も失ったままだ。
そうした状況にもかかわらず、安倍晋三首相(当時)は2013年、「水銀による被害とその克服を経た我々」と発言し大きな反発を集めた。坂本さんはいまでも、怒りを隠さない。
「頭にきた。はやく(水俣病を)終わらせたいなと思っているから出た言葉だと感じました。あれはおかしいと思う。本当に、本当に……」
「国や県は、ずっと逃げよう逃げようとしている。やっぱり、認めたくないの。自分たちがしたことを」
https://news.yahoo.co.jp/articles/b8c9056a97de379c16acfc0c2745a7fdba4f16d2