東武野田線の秘話たっぷり 「鉄道待ち望んだ人のこと知って」 千葉・野田市郷土博物館で企画展
http://www.sankei.com/life/news/171205/lif1712050020-s1.html 開通から一世紀あまり、千葉・野田市民の生活を支える東武野田線(東武アーバンパークライン)の歴史を探る企画展「鉄道と野田」展が、野田市郷土博物館(同市野田)で開かれている。
明治末期に開業して以来、同線の駅を中心に開発は進められ、野田町(当時)に住む人の暮らしを様変わりさせた歴史の一端を映し出す。
野田線は明治44年、野田町−柏間の県営軽便鉄道として開通した。
野田線が東武鉄道の一部になったのは戦時下の昭和19年のこと。
沿線の発展に大きく寄与してきた東武野田線だが、「それ以前」について、知る人が少なくなっていた。
このため、企画展では開通前史や戦前の車窓風景の解説に力を入れた。
右から書かれた「野田町駅」の駅名額と、その額が掛かる懐かしい駅舎を再現した巨大パネルが入場者を迎える。
鉄道実現に活躍した千葉県知事、有吉忠一と県営軽便鉄道のかかわりや、観光キノコ狩りもあった沿線風景を紹介。
有吉がヨーロッパでみた農産物輸送鉄道をヒントにしたことなどが分かる。
開通式が開催された明治44年5月9日の野田町の華やぎが写真から伝わる。
大正12年には施設が払い下げられて「北総鉄道」になり、船橋−柏間が開通した。昭和5年、野田町−大宮間が開通して現在の野田線となる。
下総北部から武蔵地区に路線が延びたことで「北総はそぐわない」の声が上がり「総武鉄道」に名前が変わった。
今春、浅草から野田線への直通運行が始まったが実は昭和初期にも「東京直結」が計画されていたことも紹介されている。
昭和5年、東武鉄道・総武鉄道にまたがる浅草直通構想があった。
企画展では、こうした知られざる「野田線秘話」や、電化に戸惑う昭和4年の鉄道マンの姿、現在のJR線や野田線を使った昭和6年のミステリー列車運行の様子などをたっぷり紹介している。
特産のしょうゆを満載した貨車の写真が珍しい。
学芸員の寺内健太郎さん(31)は「敷設を求め醸造家や、野田市駅から埼玉方面への延伸を働きかけた市内川間地区の住民がどう動いたかについてもスポットを当てた。鉄道を待ち望んだ野田の人たちのことを知ってほしい」と話している。
17日まで。
火曜休館。
入場無料。
野田市郷土博物館は東武野田線野田市駅徒歩8分。
【問】(電)04・7124・6851。