あの頃はまだ日本も隆々としていたし何より自分にも未来があった
代ゼミも校舎が今と違って全国のあちこちにあった
代ゼミの今はもう無いき校舎に通ってました
サテラインで物理の為近和彦先生と英語の西きょうじ先生が好きでした
当時は富田一彦先生の良さがわかりませんでしたが、今となってはとてもいい先生だと思います
俺の通っていた代ゼミの校舎は今では某大学の校舎になっている
だから周囲の度肝を抜く文章を、ほぼ即興のカタチで書けないとダメなのよ。
代ゼミで英語の青木先生、潮田先生 古文の椿本先生、永橋先生にお世話になりました。
懐かしいですね。あの頃は受験勉強にはまっていました。代々木校に通っていました。
Z会もしていました。第一志望の大学に合格できましたが、あの頃の自分に言いたい。
文系に行くなと。
伊藤和夫先生の英文解釈教室は買ったけれどやりませんでした。
長文読解教室はやった記憶があります。
青春出版社の『試験に出る英単語』(出る単)時代の浪人生でした。その後は
旺文社のターゲット?に移っていったのかな?
駿台文庫の英頻なんかもやりました。その後、桐原書店の英頻になって今は
next stageでしょうか。
単語帳、熟語帳の類ですね。
重 h・kを批判したり評価しないことは差別でありヘンケんというのなラ
自分の住む国jという国で、多くの障碍者が殺される事件があったとき、その事件を起こした殺人犯と同じように「障碍者は皆殺しにするべきだ」という人達を、jの政府が攻撃したとき、jの多くの人達は攻撃した。
同時に「一部の障碍者を皆殺しにするべきだ」という人達も、jの政府は攻撃し、jの多くの人達は攻撃した。
自分は軽度の障碍者であり、障碍者だから過去に差別を受けて、差別を受けるのが怖く、また、そういう人達に報復をしようと思い攻撃した。
その直後、jの政府が、h・kという、幼い時に視覚と聴覚を失い、声を発することができない、重度の障碍者になったにも関わらず、ものすごく頭のいい人達が通う大学に合格して卒業し、世界各地を歴訪し、戦争や死刑制度に反対して、障害者の教育や福祉の発展に尽くした、重度の障碍者の偉人を、批判したり評価しない人達を、障碍者以外は攻撃した時、jの少数の人達は疑問を抱いたが、多くの人達は攻撃した。
自分は軽度の障碍者であり、h・kを尊敬していたから攻撃した。
そして時は流れ、jの政府が、重度の障碍者を皆殺しにした、uという国から来た難民は、保護したが、その国の移民を、障碍者以外は攻撃した時、少なくない人達が、疑問に思ったし、jの政府を批判する人達もいたが、半数以上の人達は攻撃した。
もちろん、自分は軽度の障碍者だったので、何か変だとは思ったが、uが怖いので攻撃した。
長い年月が経ち、jの政府が、精神病院を廃止した、iという国の移民や「精神病院を廃止しろ」という人達を、障碍者以外攻撃したとき、半数以上の人達が、疑問に思ったし、jの政府を批判する人達も少なくなかったが、半数近くの人達は攻撃した。
自分は、軽度の障碍者であって、何か不安に思ったが、精神病患者ではなく、iは好きではなかったので攻撃した。
そして、自分の晩年、jの政府が重度の障碍者以外の障碍者や、精神病患者及びバカな人達などを攻撃したとき、半数の人達が攻撃され、後悔したが遅すぎた。
自分は精神病患者ではないが、軽度の障碍者でバカなので攻撃された。
その時、自分にできることは何もなかった。
代ゼミ全国総合模試が年6回あった
会場も予備校の校舎に限らないで大学の校舎とか専門学校の校舎(東京電子専門学校)で受けたことがある
代ゼミの代々木校の階段の下に焼きソバ屋のスタンドがあってホットドックとか
買って立ち食いで食べていた。地下に学生食堂があった。