過去スレ
【馬場】昭和の全日本プロレス【鶴田】
【ブッチャー】昭和の全日本プロレスPart2【ファンクス】
【カマタ】昭和の全日本プロレスPart3【ロビンソン】
【外人天国】昭和の全日本プロレス4 【土曜夕方】
【コックス】昭和の全日本プロレス5【Jオーツ】
【蔵前国技館】昭和の全日本プロレス6【日大講堂】
【黄桜酒造】昭和の全日本プロレス7【井関農機】
【山田竹内】昭和の全日本プロレス8【田鶴浜】
【史上最強】昭和の全日本プロレス9【超獣コンビ】
【ボルコフ】昭和の全日本プロレス 10【ロン・バス】
【横浜ゴム】昭和の全日本プロレス【大塚製薬】(実質11)
【アベンジャー】昭和の全日本プロレス11【バラクーダ】
【ジョーの】昭和の全日本プロレス13【失神芸】
【NWA認可】昭和の全日本プロレス14【PWF認定】
【AWA】昭和の全日本プロレス15【鶴田戴冠】
【ミラノ】昭和の全日本プロレス16【死んじゃった】
【パンクロチオン】昭和の全日本プロレス17【スターウォーズ】
【アゴの先端に】昭和の全日本プロレス18【ヒィッツ!】
【両者反則】昭和の全日本プロレス19【無効試合】
【倉持流血】昭和の全日本プロレス20【ディンク吐血】
【阿修羅原】昭和の全日本プロレス21【永遠なれ】
【ボクにも】昭和の全日本プロレス22【弾けた】
【喧嘩番長】昭和の全日本プロレス23【南海の黒豹】
【ボクにも】昭和の全日本プロレス22【被らせて】 (実質24スレ)
【暴走戦士】昭和の全日本プロレス25【人間魚雷】
【世界王座】昭和の全日本プロレス26【争覇戦】
【メフィスト】昭和の全日本プロレス27【マーシャルボーグ】
【桜田】昭和の全日本プロレス28【轡田】
【駿府会館】昭和の全日本プロレス30【九電体育館】(実質29スレ)
【三沢タイガー】昭和の全日本プロレス31【川田大笑い】
【PWF杯争奪】昭和の全日本プロレス32【タッグトーナメント】
【テリーが行った】昭和の全日本プロレス33【左のパンチ】
【インター】昭和の全日本プロレス34【PWF UN】
【あ!スタンハンセンだ!】昭和の全日本プロレス35【ハンセンですよ】
【夏の主役】昭和の全日本プロレス36【ミルマスカラス】
【国際血盟軍】昭和の全日本プロレス37【C・ハリケーンズ】
【B・テラー】昭和の全日本プロレス38【M・アサシン】
【M・ルーイン】昭和の全日本プロレス39【K・イヤウケア】
【百田義浩】昭和の全日本プロレス40【原軍治仲田龍】
【プロレス観戦の記念に】昭和の全日本プロレス41【ご家庭へのお土産に】
【ジム・デュラン】昭和の全日本プロレス42【バック・ロブレイ】
【アラビアの怪人】昭和の全日本プロレス43【インドの狂える猛虎】
【リングの中ジャイアント馬場です】昭和の全日本プロレス44【控え室ジャイアント馬場です】
【豪華な花束】昭和の全日本プロレス45【興奮のるつぼ】
【凱旋帰国】昭和の全日本プロレス46【善戦マン】
【チャンピオン】昭和の全日本プロレス47【カーニバル】
【マシンガン】昭和の全日本プロレス48【チャイニーズカンフー】
【バーンガニア】昭和の全日本プロレス49【ハーリーレイス】
【新春】昭和の全日本プロレス50【バトルロイヤル】
【ボブ・ガイゲル】昭和の全日本プロレス51【ジム・バーネット】
【ジ・アステロイド】昭和の全日本プロレス52【ジ・アベンジャー】
【ウルトラセブン】昭和の全日本プロレス53【マジックドラゴン】
【ナショナル レスリングアライアンス】昭和の全日本プロレス54【パシフィック レスリングフェデレーション】
【スーパースター】昭和の全日本プロレス55【カリフォルニアハッスル】
【ローリング・ドリーマー】昭和の全日本プロレス56【J】
【オリンピア】昭和の全日本プロレス57【カクトウギのテーマ】
【福ノ島】昭和の全日本プロレス58【琴天山】
【キャピトル東急】昭和の全日本プロレス59【オリガミ】
【六本木インターナショナルビル】昭和の全日本プロレス60【世田谷砧道場】
【馬場元子】昭和の全日本プロレス61【ジャイアント・サービス】
【オープン選手権】昭和の全日本プロレス62【世界オープンタッグ選手権】
【輪島大士】昭和の全日本プロレス63【ディックスレーター】
【松根社長】昭和の全日本プロレス64【佐藤昭雄】
【デビッドフォンエリック】昭和の全日本プロレス65【ジェイヤングブラッド】
【サンライズ】昭和の全日本プロレス66【移民の歌】
【昨日付で解雇しました】昭和の全日本プロレス67【いい選手ではあったけども】
【ロッキー羽田】昭和の全日本プロレス68【ミスター林】
【ザ・デストロイヤー】昭和の全日本プロレス69【覆面10番勝負】
【大熊元司】昭和の全日本プロレス70【グレート小鹿】
http://2chb.net/r/wres/1556508432/
※前スレ
【PWF会長ロードブレアース】昭和の全日本プロレス71【ドウモアリガトウゴザイマシタ】 【おまえのせいで負けたではないか?】
ではなかったんだな。
「田鶴浜さん!どうですか今の攻撃は!」
「あ〜、こりゃいかん」
ウェスタンラリアット、ウェスタンラリアット、ウェスタンラリアットッ〜!
ハゲたオッサンをアイドルというには無理があるけどベビーフェイスで人気者という意味ではそんなにまちがっちゃいない
アイドルよりは世界的スターのが良いが、ドリーが世界的スターかというとそれも違う気がするw
前スレURL貼られて無くてワロロ-ン
【PWF会長ロードブレアース】昭和の全日本プロレス71【ドウモアリガトウゴザイマシタ】
http://2chb.net/r/wres/1558890411/
アイドルつながりで、新日のタイガー&藤波タッグがトップロープを文字通り
「ヒョイヒョイ シュバッ」って跳び越えてタッチ交代してるのに対して
全日の鶴田&テリーorスティムボードの「アイドルタッグby倉持()」は
タッチ交代毎に鶴田「はーよっくらしょ」とばかりにもっさりロープ跳び越えてて
中学生僕「そんなに新日Jrに寛容張り合わなくても…」
て醒めた目線で視てた覚えがあったなあ 「こりゃ映画のねぇ、すたぁ〜うぉ〜ずの世界ですよ」
「まさにすたぁ〜うぉ〜ずですなぁ」
「私に言わせればねぇ、これはまさしくすたぁ〜うぉ〜ずですよ」
倉持隆夫 1941年1月2日(78歳)
A・T・ブッチャー1941年1月11日(78歳)
D・F・ジュニア 1941年2月3日(78歳)
徳光和夫 1941年3月3日(78歳)
>>18
ブッチャーの実年齢はこんなに若かったのか…
新日に行った時、公称では40才半ばを過ぎてたはずだよね?
「今さら全盛を過ぎたブッチャー取ってどうするの?」と思ってたが
まだ40歳だったんだね、全然バリバリだったんじゃん。 IDカードを見せて1941年生まれを証明したらしいからこっちが正解だろうな
マスカラスは1939年7月1日生の80歳だったのか。
1942年7月15日生だと思ってた。
年齢といえばジプシージョーは上記の並み居る大物レスラーよりも全然年上だったんだよね…ニックが1つ下かな…
>>26
シークとデストロイヤ―ぐらいしかいないな >>24
鶴田と田コロで年間ベストバウト取った試合
この時は映像やファイトは若々しいけど、既に38歳かよ…これも驚くな
まあ、このスレの定番ネタのスヌーカがテリーより年上だったという驚きよりは少ないが。 >>29
昭和末期あたりの坊主頭、というか角刈りみたいになってからは
貫禄がついて井上よりもちゃんと年上っぽく見えてなかったか? 原は国際の若手イメージだから>>29は今知った。言われて見ればそうだわ 一時期とはいえエースになった井上、その頃25歳くらいだな。小林もそうだよね。
馬場にしても猪木にしても20代(それも前半)でエースになっている。
まがりなりにもスポーツとしてまっとうな若い者が主力でがんばる姿がそこまではあったのに、
鶴田の足踏み期間が長すぎたのか、馬場猪木がねばりすぎたのか。
マイティあの時25歳だったのかwでも幼さもあったな
子供からいきなりオッサンになった感じか、髪型もあるけど
マイティ井上
1949年生まれ:70歳
1967年:18歳…デビュー
1974年:25歳…IWA王座奪取
1981年:32歳…国際崩壊、全日入り
1984年:35歳…世界ジュニア王座奪取
1998年:49歳…引退
ハンセンと同い年なんだな。
猪木は年上のストロング小林と話す時、マスコミのいないところでは
「小林さん」
とさん付けで呼んでいたそうだね
>>38
金が絡んでない時の猪木は実は腰の低い良識人
意外なほどに頑固なとこや変にプライド高いとこも無ければ
過去に確執あった人に対してもおおらかに接する
そういうのが節操がないともいわれるけど
猪木があの調子で明るく笑えば直に接した人が魅了されるのも納得する マイティの試合好きだったし学校でもサマーソルトの真似とか流行ってたけどトップに立てなかったのは顔や体系かね
阿修羅は全日本でも凄いプッシュされ続けた印象
サンセットフリップでプールに飛び込んだら体育教師にぶん殴られたよ
アアッーと奇声発し腕ワチャワチャッ振りながら浮かび上がる丸いマイティに心を鷲掴みにされたね
他のレスラーのサマーソルトドロップはキレイ過ぎて引っ掛からなかった
井上はジュニアらしからぬ体型がね…
腹が出てるわけではないが、上半身とウエストが同じような幅でドラム缶みたい
ウェストが締まってないから見栄え的に損をする
他に例えれば、天龍・ウイリアムス・小林邦・小橋なんかがそうかな
実際は下半身の負荷を軽減できて腰が悪いのもある程度はカバーできる
投げたり持ち上げたりするレスラーには実用的なんだろうけどね。
そういえば、国際の頃は腹が出たアンコ体型だったけど
全日の頃は腹は少し引っ込んで締まったな。あくまで本人比だけど。
練習の賜物な気はしないが、ちょっとはやってたんだ。
>>43
マイティをずっと見てないからいつどれくらいのスピードで小さくなったのかわからん
理由もダイエットか病気かステ抜きか。。多分ジュニア用のダイエットとは思うが痩せて余計にオッサン臭くなった マイティは全日に来てから糖尿病になって治療始めたらJr.に抜擢されたと言っていた
原がラグビーから転身した時すでに30歳という年齢に関しては、
当時のファンやマスコミらは、逸材ではあるが遅すぎではと言う声も多かったな。
やはりじっくり育て上げるという形じゃなく、デビュー後、短期間で海外遠征や王座戴冠という
急ごしらえな育成に原自身も苦労はあったと思うが、プロレスのセンスは悪くなかったのは救いだと思う。
>>45
最近話題のレスラーの糖尿か、石川は糖尿で相撲からレスラーになったがマイティみたいにジュニアに転向も糖尿治療に良いかも 天龍あたりは糖尿病の気配はないのかな?
毎日ドンチャン騒ぎだったと思うんだけど。
井上のオースィスープレックスには驚いたな
投げないのにプリッジするんだって
タイガーの真似すら全日は出来ないのかと
でもあるが正式だったんだな
マイティ正直すまなかった
>>48
体質もあるからね。
どんな暴飲暴食してもならないやつはならない。 マスカラスのオフィシャルサイトがシルバーキング死去から更新がない。
マスカラスは元気にしてるのだろうか。
マイティは全日来てから3年後に思い出したかのようにプッシュされ始めたね…
それまではブロディに1分半くらいで秒殺されたりアジアタッグの常連の1人みたいな感じだったけど…
松方弘樹
「たいていの力士に飲み比べで勝ちましたが、天龍源一郎さんだけは別。あの人は化け物です」
鶴見のアフロは童顔で優しい性格だからヒールになるためにわざとやったと聞いたがマイティも昔幼い顔立ちだったからパンチにしたのかね、だとしたら逆効果だと思うw
小学生の時分はマイティの良さが正直わからなかったし全日の中堅勢に埋もれてしまってた…新日だったらどんな扱いだったんだろう…国際軍団かな
マイティ井上がトラック野郎に警官役で出演したときは物凄くゴツくて大きかった。
やはり一般人と並ぶとプロレスラーは違う。
話をぶったぎって悪いが
創立時にヒロマツダやマティ鈴木、全日本に協力的だったが
突然、試合にでなくなったの?
馬場死去のコメントみたことあるけど関係は悪くなかったみたいだし。
マツダはあの馬場ちゃんがねぇ、と語っていたし。
>>59
ビー・バップ・ハイスクールに教師役で出てた木村健吾も
生徒役の連中とは体の厚みがまるで違ってた
とんねるずの石橋ですら輪島、天龍と会った時に「デカい」と
思ったと言ってたな 井上のインタージュニア戴冠はプッシュというより繋ぎじゃね?
大仁田の復帰が遅れるなかでいつまでもチャボに預けとくわけにはいかないという状況で
順当に考えれば同じ三羽烏の淵にお鉢を回しそうなもんだが格の問題がネックになったと
馬場的にはいくら軽視するジュニアのそれも繋ぎ役とはいえ二番手の淵の起用は問題外で
短期間ながら団体エースを務めたこともあるベテラン井上なら格の面で釣り合いが取れる
そういう算段だったんだろ
とここでふと思ったのは大仁田が順調に回復してた場合の三沢タイガーの扱いだな
王座には絡まない特別枠もしくは最初からヘビー扱いというところか
ところで全日でアイドルといえばテリー・・・じゃなくてオースチン
忘れた頃に再来日を果たして全日におけるハンセンの三代目正パートナーに就任したかと思ったらすぐに負傷して中途欠場
>>61
マツダはロビンソンが初参加した76年の
サマーアクションシリーズが最後の参加と思う。思いだしたらフリーで参加してた感じ。
鈴木もアメリカ在住なんだけど、75年のチャン
カーが最後と思う。鈴木は所属選手に近い感じで大半のシリーズに参加していた。
どちらも揉めて来なくなった訳ではなく、
キッチリ契約通り試合をこなした感じ。
鈴木のインタビューを以前見たけど
全日にはよくしてもらった的な事を
語っていた筈だよ。 >>64
マイティのストマックブロックで肋骨を折ったんだっけ >>66
試合後怒り狂ったハンセンに椅子をぶん投げられてたな… 寺西にアイドルが負けたのか。
全日本時代の寺西に負けはかなりの格落ちだなぁ
>>63
>大仁田が順調に回復してた場合の三沢タイガーの扱い
三沢タイガーの扱い、というより大仁田の扱いの方が難しいような…
立場的には佐山タイガーと藤波の関係に似てる
三沢タイガーがジュニアで頂点を取った後、ヘビー級転向までは規定路線としても
一度ジュニアで三沢タイガーの後塵を拝した大仁田が、
タイガー不在になったから、じゃあそのポジションに収まるというのも埋め合わせ感が強い
むしろFMWで見せたような、感情を全面に押し出すようなヒールに転向でもして
井上と渕と外人の正当ジュニア、それに対するみたいな感じでやる方が面白そう…まあ無理かなw >>63
マイティが繋ぎ?誰への?
そのあと渕にでも渡したか?
訳のわからんこと言わないでほしい。
馬場がマイティの実力を買って、
活躍の場を与えたということのどこに疑問があるのか。 渕は大仁田と同期で、チャボからJr王座を奪う役どころを争っていた筈なのに
大仁田負傷による王座争いに加われなかったって事は、馬場がアカンと判断したんだろうな
三羽烏最後の一人マジックドラゴンもダメとなれば、スピーディーな動きに定評のある
マイテイ井上にご登場願うしかなかったと(セブンは問題外)
>>71
その時点なら、越中か三沢が成長するまでの繋ぎなら「あり」ですよ。
史実は三沢がタイガー化、越中が離脱したけれども
そうでなければ一年後くらいにマイティ(あるいはチャボ)に
越中と三沢が連続挑戦なんてことになってたんじゃないか? 全日のマイティは新日の藤原みたいな感じで
アングルのネタに行き詰まると引っ張り出されるイメージ。
だから前座の真ん中でやってる時も大抵チームリーダー担当であまり負け役に回らず商品価値を保たせておいてた。
天龍と抗争始めたり、マレンコから急に王座
奪取したり、超世代軍の壁になったり十分
その期待に応えたと思うよ。
アジアタッグでフットルースとやったのは良い試合だった
>>72
チャボへの挑戦は渕より井上が先
ドラゴンはチャボには挑戦さえしてない 三羽烏の序列は
大仁田〈〈〈〈〈 渕〈 薗田
って感じだがそんなに大仁田が抜きん出てたのかね
やっぱりプロレスラーは強さが大事だと思う
セブンよりチャボのほうが明らかに強かった
鶴田=AWA
天龍=UN
井上=インターJr.
1984年の前半は新時代が来た!って感じがしたよね
年齢的には30代半ばでそんなフレッシュでもないんだけど
まあ、馬場以外の全日選手が揃って世界標準になった感じで。
まさか半年後に日本人・軍団抗争に突入するとは…
以前にも書いたかもしれないけど
1984年は前半の世界路線と、後半からの日本人抗争開始であまりにもカラーが変わりすぎ。
85年前後の全日は空前の顔ぶれが揃ったように見えて
夢の対決で大々的に興行が打てていた
という訳でもなくゴチャゴチャした中で
時間だけ無為に過ぎていった印象
長州自身はレスラーとしての格は上がったかもしれないけど終始お客さんであって
持て余していたかな。
長州以外でもそうだよ
ハンセンは全日のリングで
フレアーやウォリアーズとは全く絡まなかった
>>85
ハンセンとウォリアーズの接触は生はおろか、全日中継でも無し
「世界のプロレス」で放送してた ハンセン・レイスvsウォリアーズ
オレの映像での記憶ではこの試合のみ >>81
でもその時代、地方興行がイマイチだったんじゃない?だからジャパンはありがたかったと >>87
いや、84年は全日の歴史の中でも調査隊軍ブームの次に客が入っている時代だと思うよ。
特に下期のシリーズは地方でも満員マークが連発していて、苦手の府立も毎シリーズのようにやっている。
観客動員は皮肉にもゴールデン復帰と入れ替わりに悪くなった印象だな。 >>85
ハンセンは日本でフレアーのタイトルに挑戦しなかったことについて
「日本でのNWAタイトル戦は馬場、鶴田、日本人選手のものだから」と後に語っていたな。
テリーやスティムボートはフレアーのタイトルに日本で挑戦していたけど、
ハンセンと全日本での立ち位置が全く違うからね。
ところで、ブロディとフレアーは『'83グランドCカーニバルU』でシングル対戦(ノンタイトル)していたんだな。
ウォリアーズが全日で対戦した外国人レスラーってファンクスだけだよね。この組み合わせ結構好きだった。 >>89
ハンセンがジョージアでフレアーに挑戦したグラビアが載っていたな。
新日本でバックランドに挑戦したことがあったから、全日本でフレアーに挑戦させてもよかったのにね。 >>48
>>49
元々お酒ダメだったんだよな天龍は
付き人だった冬木もダメで
はじめの頃は二人でメシ食いに行ってもビンビール1本が精一杯だったという 本番アメリカでも見られないカードを見られるのが全日本マットの特長であり売りだったのに、レスラーの格とかメンツを理由に実現できなかったのは甚だ残念。
>>89
>ウォリアーズが全日で対戦した外国人レスラーってファンクスだけだよね
それは知らなかった
でもほとんど反撃させてもらえなかったね、ファンクス
いつもテリーがリフトされて場外に投げられて、そのまま乱闘になって両リンのイメージ
実際の試合展開は違うかもしれないけど、何かそんな記憶
個人的にはウォリアーズのベストマッチは名古屋のvs長州谷津
やはりカーンをリフトした衝撃と、サソリを腕立て屈伸したシーンがインパクト強い
次点は長州が離脱した直後の武道館、vs鶴田天龍
ダブルインパクトみたいなラリアットで、天龍が場外憤死の試合 >>88
でも84年7月の最後の蔵前はあまり入ってなかったような?
イス席等はほぼ埋まってたんだけど、マス席などの高い席、各マスが2〜3人しか入ってなくて…
場内の雰囲気はタイガーのお披露目や、馬場がハンセンからPWF奪還で凄く盛り上ったんだけどね
でも同じ1984年の2月と3月の蔵前の方が入ってるように見えた
ニアミスで新日の猪木vs長州、あと3週間後に田コロ大会が控えてたから分散したのかな? >>94
>サソリを腕立て
はちとやり過ぎだよな。
あれをたまたまTVで観た島田紳助が、「そら日本、アメリカに戦争負けるで〜」って言ってたわ >>95
マッチメイクが今ひとつだったからね。
あの時には鶴田がAWA王座を奪還する
という雰囲気は薄くなってたから。
大塚氏が全日の興行を手がけるようになって
地方の入りが良くなってきたと思う。 >>96
ウォリアーズのペースに合わせて序盤に出した結果だからそれでOK 今日の日テレの音楽番組の出演者に天龍源一郎ってあったが歌うんだろうか
ギター弾けてソロコンサートもやったジャンボが出られなかった音楽番組に不器用な天龍が出るというのが興味深い
結果的に各団体を渡り歩き、エースを務め、
TVでも重宝している天龍源一郎は不器用と言えるのだろうか?
>>100
>結果的に各団体を渡り歩き、エースを務め
今の現役なら誰にあたるかね?
鈴木みのるが想起されるんだが、新日→全日→新日→ノア→新日
主要外敵で飽きられた頃→他の団体に移行→賞味期限を延ばす・またはリセットする→その繰り返し
それで何だかんだで15年以上は生きてる、同団体キープの永田中西天山よりポジションは上だった気がするんだが… >>99
早死にしてなかったらジャンボも出られたかもしれん >>94
ステップオーバー前の腕立てってそんなに
凄いか? この愛知大会、倉持アナが9200人の動員って言ってる
過去の全日の名古屋大会より発表数は多めだと思うけど
新日ではIWGPなどでは15000人とか発表してたよね?
同じ会場どうしなら、全日と新日では蔵前でも後楽園でも全日の方がやや多く発表する印象がある
それでも6000人ぐらいの開きがあるという事は、新日に比べて満員にはほど遠かったんだろうか?
個人的には「世界のプロレス」でしか見れなかったウォリアーズが
新日系の長州カーンと日本で対決するというだけで、半年以上前までは夢だったんだから
それでも埋まらなかったとしたら、全日の名古屋はどこまで弱いのよ?って感じ
まあ前年暮れの最強タッグはもう少し入ったみたいだけど、新日みたいに立錐の余地もないというのは無かったよね?
>>107
全日の愛知県体で結構入ったのって
83、84の最強タッグとこのウォリアーズ
登場の時くらいかな?
超世代軍全盛の時もイマイチ埋まってないし、
なぜか最初の頃の最強タッグではあまり
使用していない。 >>88
年間動員だとジャパンと提携してた頃が一番多いんじゃないの?
なんせこの頃は年間200興行以上あったし。
超世代軍の頃は1興行あたりの客数は増えてるだろうけど、
年間150前後だったし、新日のように大箱でやってたわけじゃないしな。 愛知県体育館や大阪府立体育会館の場合、セットバックの組み方で座席数はかなり差がある。
新日本はどちらもプロモーターが強いから座席数を多く設定し、全日本は最初から控え目な座席数しか設定しなかったのだと思う。
>>108
馬場2度目のNWA世界奪取のレイス戦も愛知県体育館だったけど良い入りではなかったね。
1982年4月の馬場・鶴田vsハンセン・ブロディのインタータッグ戦のときは珍しく入りが良かった気がする。 日プロのインター戦は愛知県体育館超満員だったから名古屋の人間は馬場嫌いではなかった
やっぱりプロモーターの手腕の差なんだな
馬場というより
全日を日プロと同等には評価されなかったということだろう
同じ馬場でも全日時代と日プロ時代では全然違うし
新日のプロモーターの共同企画は日プロの名古屋のプロモーターの
地盤を引き継いでできたからな。
>>108
そうだね。
でも、アリーナの雛壇は新日ほど後ろまで組んでいなかった。 あ、雛壇は組んでなくて椅子を並べてあっただけかも?
記憶が曖昧です。
ハンセンがバスとのコンビにあまり思い入れが無さそうだったのは残念
インタータッグを取らせたのは全日の方針でハンセンの意向まるで無かったんだな 馬場が全日本プロレス立ち上げ時に「日本プロレスから来て欲しくない選手が来てしまい、馬場は
非常に悩んだ」って聞いたけど、この来てほしくない選手って誰?
上田じゃないよね?
>>106
ありゃステップオーバーしてたか、スマソ。
腰下ろせる気ならおろせるんだろな、これ。 ハンセンはデビアスと優勝した時の笑顔がすごくよかった
その日は高熱だったはずなのに
設定を忘れてしまったかのようだった
>>118
日本プロレスの残党全員が来てほしくなかったが
特に来て欲しくなかったのは上田と松岡
小鹿は馬場から「上田と松岡は連れて来るな」と言われたと回想している
結局はその2人を干して自ら出ていくように仕向けた >>121
門茂男の本に、沖レフェリーの引退興行・ファンクスvs馬場鶴田のインタータッグ戦
その当日の蔵前の通路内で、上田と松岡が馬場に対して鶴田の王者誕生に異を唱えて詰問したとか…
まるで目撃したような書きっぷりだったが、あの日を境に上田と松岡は全日参戦からフェードアウト
まあ、主観が多い門氏だから本当かどうかはわからんが。 >>122
「八百長病の重病患者、馬場」とかすごい書きっぷりだったな。 蝶野が意外にいい人→実は遅刻魔
みたいに上田はプライベートが静かだからいい人と思われがちだがクズ話多いよね。集客力あるのにこれだけ団体に居着かないのも人間性でしょ
今も昔も人が良いのは潰されてしまうだろう。プロレスラーに人格を求めてはいけない。それでも最近は昔より多少はマトモなのかもしれないけれど。
>>122
確か2人で馬場を国技館の物陰に呼び出して殴った、みたいな事書いてたけど、中学の卒業式じゃあるまいし、社長の馬場が部下に呼ばれてのこのこ因縁話に付き合うとも思えないけどな。 門の話は「おめーその場にいたんかい?」ってのが多すぎるので
その点は信用できんよ
「猪木VSアリの結果は事前に引き分けと決まっていた
アリに票を入れた遠藤は裏事情を知らなかった新日のレスラー達に袋叩きにされた」とかもそう
確実なのは上田と松岡は馬場に嫌われて干されて
全日は試合に出ないとギャラは出ない方式だから兵糧責めになり
上田と松岡は馬場の計算通りに出て行ってくれたって事だけ
>>124
蝶野はBSで父親に
人は信用するな
と教わったと言ってたな。 >>127-128
まあ、100歩譲って本当にそういう詰問シーンがあったとしても
上田松岡がどれほどものか知らないが、若い頃の大熊や小鹿やクツワダがいて
そんな事があったらタダでは帰れんだろうし、全日レスラーが何人もいるんだから
別の意味での兵糧責めにあって、武勇伝どころじゃないだろう。
あと、ゴッチ・ミラーのロジャース殴打事件みたいに、新日が上田を使うときにそのネタを利用しない訳がない。 上田が馬場憎しならシンや鶴見と組んで復帰するかね?全日本とは関わらない、のが普通と思うが。
上田の裏話あんまり出ないね俺もあんまり聞かないけど。
猪木のクーデターを馬場にチクった話と国際を離れる時に揉めたくらいか、新日本あんま見ないんで登場の頃とか知らんし
>>122
>その当日の蔵前の通路内で、上田と松岡が馬場に対して鶴田の王者誕生に異を唱えて詰問したとか…
平社員が社長にそんなことできるのか? 前スレでもちょっと話題に登ってた、Gスピリッツに掲載されてたマスラカスのワーストマッチ。
昭和58年の鶴田戦。あれは俺も断然支持率したい。
確かにクリーン対決のイメージが強い鶴田vsマスラカス戦で何故あの様な展開
(鶴田が不自然にエキサイトして、マスラカスのマスクを破く)にしたのか・・・
ゴングだかプロボクの読者投稿欄でも非難の投稿が殺到してたなぁ。(特に鶴田に非難の声が殺到してたなぁ)
ハンセンが参加し、ハンセンブロディ組が実現したから(マスラカスは)用済みになったと馬場が判断したのか・・・?
>>132
上田が亡くなった後に出版された聞き書きの自伝だと、日プロのクーデターに関しては
「日プロの幹部に呼び出されてクーデターのことを問い詰められて詳細を喋ってしまった。
クーデターの内容については当時馬場の側近だったある人物経由で知ったとその幹部から聞かされた」
と、真の裏切り者は馬場だったことを匂わせる記述があるな
新日に参戦した時猪木にその時のことを謝ろうとしたけど最後までできなかったとも
まあどこまで本当かはわからんのだけど 上田が自分で自分を欺いてるんでしょ
馬場と猪木の話は一致してるんだから
>>134
鶴田は次のジャイアントシリーズでもブロディ対スヌーカ戦でも顰蹙乱入してボロクソに叩かれ、
その次の最強タッグ開幕戦でも馬場と上田が場外乱闘して格下相手に両リンに成りかけてるのに救出に行かず、呑気にスーパーDにコブラツイストかけてオー!とか言ってまた叩かれてたな。 >>135
その本の帯に「寛ちゃん、真の裏切り者は俺じゃない。馬場だ!」みたいなことが書いてあって、くだらない本だなと思ったわ。 上田は最初の自叙伝「男は馬之助」で奥さんをペンサコーラに呼び寄せるほどの大恋愛をして一緒になったのに、いつの間にか別の女性と内縁関係になっていたことに軽いショックを覚えた。
>>138
馬場が亡くなってから言い出したことだしね
猪木を裏切ったことがずっと重荷になってたのは気の毒だと思うけど だいぶ前の馬場の著書に
「おい上田、本当のことを言えよ」と言ってクーデターを聞き出した。って
馬場は書いてるからね。
まあ上田の裏切りがこれだけ有名になっちゃったから心を閉ざして性格悪くなった可能性もある
「死人に口なし」になってからグダグダ言い出す奴は信用できんよ
サンマルチノが「私に対する批判なら反論して自分を守れるから良いが
反論する術がない故人を悪く言うべきではない」と言っていたが
流石はプロレス界屈指の良識人
渕は岩釣とスパーで押し気味に引き分けたと
生前から言ってたから本当のことだと思う
岩釣のほうはそのこと聞かれてはぐらかした感じだった
>>144
正論だと思うけどサンマルチノぐらい金と権力持っているからこその正論だと思う
海外で通用しなくてプロレスしか出来ない上田は
新日と全日をウロウロするしかなかった サンマルチノは死んでも俺のヅラのことには触れるなよという牽制だろ。
晩年はもう脱いじゃったけど
馬場はレスラーとしては
日プロのクーデター〜分裂騒動で救われて延命したな
もし平穏無事に日プロが続いてたら
テーマなきインター王者路線を続けてファンから飽き尽くされるか
会社に日本人対決路線に舵を切られて猪木や坂口に道を譲らされてただろう
上田はキャラ的にも団体所属って訳にいかなかったのかもな、にしても団体変わりすぎ
>>131
上田は新日本では賞味期限切れだし、国際は潰れたので選択肢はなかった。シンのバーター扱いだとしても全日本しかない。 >>148
それって馬場の願いどおり、いや人生設計どおりだったんじゃないの?
38歳で引退してハワイで楽隠居の予定だったんでしょ?
実は救われたんじゃなくて、引退できずに狂わされた気もするが…
馬場の性格上、道を譲る相手ができたら願ったり叶ったりじゃん
全日設立後に後継に譲らなかったのは、ちょっと事情が違うし。 >>151
因縁の蔵前メインに立てたりインタータッグを再戴冠できたりそれなりの成果もあったただろうし 上田は全日ではそれなりに好待遇だったと思うよ。新日の最後の方ではシリーズ中普通にピンフォール負けしてたけど、全日で完敗した事って後楽園での馬場戦以外ない。
ずっと格をキープ出来ていた。
>>154
82年〜84年の新春ジャイアントシリーズでは外国人枠のエース格扱いだったしね〜
前半戦だけだけど… >>154
あの馬場戦って、元子に嫌われた上田に馬場がガチを仕掛けたって説があるけど、真相はどうなんだろう? 馬之助の話、何回繰り返しているんだよ。
もう飽きたわ!
>>148
日プロの最盛期は猪木がWリーグで優勝したS44年で、それ以降は観客動員も落ちてたと言う。
そりゃ、S40年代初頭から代わり映えのない馬場vsデストロイヤーやvsエリックで客が入るはずがない。
多分、クーデター騒動がなければ猪木にエースを譲らされてて、その過程でエース交代の儀式として
負けブックを飲まされたはず。
プロレスにおけるエースの条件は、客が呼べることで、日プロ末期の馬場にはその力が無くなっていた。
クーデター騒動とその後の日プロ分裂により、馬場は間違いなく延命したはずだよ。 猪木と戦って負けなんて馬場がのむわけないじゃん。そうなったら夢だった引退してハワイで暮らすでしょ
>>159
その場合は馬場の隠居は
本人の思惑よりもかなり前になっただろう
昭和46年の時点のインター防衛戦の相手を見てると
すでに行き詰ってる
この年の馬場の名勝負なんて
馬場ファンでもなかなか思い浮かばないだろうw >>159
あれは完全引退じゃなく、たまにゲスト的
に大物扱いで試合する構想だったみたいよ。
実はヒロマツダ的な生き方をしたかったのかも。先輩ばかりの会社の経営なんてやりたくないだろうし。 >>158
馬場が客呼べないのなら日テレが新団体設立の画策をするわけないだろw >>160
丸10年後、ハンセンとの試合で年間最高試合を獲るんだから歴史は面白い
まあ、日プロの馬場とハンセンとやったj頃の馬場は趣が違うが。 クーデターの時点では
馬場はそれほどには目立って衰えてないし
まだまだブランド力も残ってたが
新鮮味のある相手が手の届く範囲内では
もう残ってないんだよな
シークくらいか?
それこそ猪木戦をやるくらいしか
面白そうなカードがない
>>164
>それほどには目立って衰えてないし
>まだまだブランド力も残ってたが
>新鮮味のある相手が手の届く範囲内ではもう残ってないんだよな
これ、NOAH設立時の三沢とまんま同じだよね
年齢も馬場の時と同じ位だし、日テレが既存の団体(日プロ・全日プロ)の放送を切ったのも同じ。 >>158
猪木信者の妄想。
少なくとも日本プロレス時代に、
猪木が馬場よりも客を呼べたとは思えん。
それにそう簡単にエース交代なんてやるわけないだろ。 馬場には日本テレビのバックアップがあったが
新日にはなかなかTV局がつかなかったのが当時の客観的評価でしょ
当時の記事ではTV局の人が「猪木じゃ魅力が無い」とコメントしている
あのまま日プロにいたらのタラレバだからね、団体の政治力とかもあるし猪木の行動も制限されるしわからんよ
稼げるレスラー・馬場を日テレが支援して放送させていただいていたのじゃなく、
あくまで「日テレのプロレス中継」が先にあって、後は
「そこで誰を主役として映すかは日テレが決める」
「日テレに逆らうものは社長だろうと団体だろうと容赦なく切る、日テレに
逆らって団体運営が出来るというならやってみろ」
だからね
後にナベツネが
「会社で言えば野球は社長がオーナー、専務が球団社長、選手なんて平社員」
「身の程をわきまえんといかんよ、たかが選手が」
と言ったものだけど、当時のプロレスに対する読売グループの見方もそれと
まったく同じだったんだろうな
そういう点ではテレビの力で草津を一夜にしてスターに出来ると豪語していた
TBSと大した違いはなかったわけで、プロレスラーの人気なんてテレビ局が
いくらでも操作できるという考えでポッと出の鶴田を既存のレスラーを干してまで押していったのもその発想から
だから元子が日テレの意向に従わなくなったらあっさり全日本を切り捨て、
忠実な犬になる三沢をつまみ上げて気軽に新団体を作る
馬場も読売の忠実な犬として育てられた「スター」だったから飼い主から離れて
自立するなんて思いもよらなかったし、それは自分たちプロレスラーだけで
やって行けると勘違いしていた日プロのアホ幹部より賢明だったわけだけど
まあ現場はそう簡単に行かないから、全日の旗揚げは国際プロレスの協力を
仰がなきゃ格好がつかなかったし、入場の時に馬場が草津から
「お先にどうぞ」
と言われて怒り心頭になりながら入場のトリを草津に譲る屈辱に耐えないと
いけなかったんだけど
(いろいろ勘違いが重なってるのは端から見ると笑えるけど)
>>160
馬場&全日本ファンの自分だが正直言って馬場の一枚看板時代は68年末のキニスキーからの反則勝利が頂点にして最後だろう
それ以後は都内ではインターだけでなくアジアタッグも絡めての二本立てになったりする
そして実質的にはむしろ猪木とのBI砲でのインタータッグ戦こそが日プロの最大看板になっていく
特に国際との興行合戦でのマスカラス&アリオン戦などはその典型 日プロ全盛はいつかという問いには、誰もが猪木がワールドリーグを制した
1969年だ、と答えると言われたものね
この後は5年後の猪木vs小林戦が起死回生になるまで、プロレス人気は間違いなく
落ちていったと言われているわけで、世間的には全日・新日旗揚げも、同じ頃の
キックボクシングの分裂騒ぎと同類と見られていたのは無理ないことだと思う
やっぱりどうしてもテレビ主導のエンタテインメントであるプロレスは、
人気が盛り上がればテレビ局が群がってこれでもかこれでもかと中継を乱発し、
見ている方もさすがに食傷して人気も落ちる、の波が出来ちゃうんだろうな
人気のピークと言われた1969年には火曜日以外は毎日プロレス中継があったと
いうんだから、そりゃいくらバラエティ豊かなレスラーがいたって飽きられる
すると数字が落ちて番組が打ち切られたり悪い時間帯に移される、世間では
「ああ、人気が落ちてるんだな」と見るから同じ試合もうらぶれて見える、ますます人気が落ちる、の悪循環
プロレスファンは80年代以降の新日・全日黄金時代を知ってるから、それぞれの
旗揚げも華やかな歴史として認識しちゃうけど、キックボクシングの分裂が
「ちょっとした利権を巡っての醜い争い」としか思われないように、当時の
プロレスも「人気が落ちてアタフタしてる」と見られていたんだろうなあ
それから50年、日本のプロレスはよく持ってると思えるよ、本当に
日本プロレスから全日本プロレスに変わって経営は良くなったのかね
日プロ上層部の無駄遣いはなくなったけどそれ以上に外人レスラー達に大盤振る舞いした印象
>>175
日テレの目論見がハズレてまさかの低迷
土曜8時にも関わらず視聴率も上がらず
興行も思うように集客できなかった
当時よく使っていた日大講堂も閑散としていた
それでも豪華外国人レスラーを呼んでたわけだから赤字経営だった 中学1年の1学期の高田知彦の筋肉♪♪♪♪
中学2年の3学期の佐川清和の筋肉♪♪♪
>>176
外人レスラー以外の支出は減ってるでしょ、でも馬場はタニマチとの付き合いを嫌ったらしいし色々と厳しかっただろうね NTVにしてみたら、馬場という株をかなりの高値掴みしてしまった。
>>158>>174
それ、当時のプロレス雑誌の読者投稿欄でも指摘されてたね。
>>1969年以降日プロの観客動員数が落ちて来た。
ただこれって、日本テレビとテレビ朝日の2局放映になって、ほぼ全ての試合
(もしかしたら若手の試合も?)がテレビ放映される事になって、会場に行く必要が
無くなったのも原因の1つだって言われてたけど。 日テレはスポーツ中継では長年にわたり美味しい思いをしてきた、ただしその反動で苦汁もなめてるな
日プロ→全日の他にもプロ野球の巨人戦なんかもそうだな
シーズン中は主催試合の全てをデーゲーム以外、全試合ゴールデンで中継で高視聴率
スポンサーへのCM料金もトップクラスで日テレの屋台骨を支えた
それが今や地上波で年間で何試合を放映してるの?ってとこまでいった。
別にプロ野球の人気が落ちたわけではなく、パリーグの人気繁栄により動員は過去最高を更新
これも全日(巨人)設立時にプロレスが不人気なわけでなく、パ・リーグ(新日)の人気はどんどん急上昇していったわけで…
>>178
西武黄金時代を作った根本もこう言っているし
あまり良い事ではないんだろう>タニマチ
http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=093-20160425-01
僕は、ルーキーのときに当時西武の球団編成・管理部長だった根本陸夫さんから言われた言葉が今でも忘れられません。
それは「タニマチは作るな!」です。
ファンの方などと仲良くなるのは構わないのですが、ご飯を食べに行くときは
「絶対に自分で支払いをしろ」と言われていました。
理由は一度おごってもらうと「大久保さん」から「君」に変わる。
3度目くらいから「君」から「デーブ」に変わる。
そしていつしか「オイ!」と呼ばれ始め、さまざまな頼みごとをされるようになり、なかなか断れなくなる、ということ。
その言葉を守り、当時、ご飯を食べに行くのも先輩たちだけでしたね。今でもその言葉を守っていますよ(笑) >日テレの目論見がハズレてまさかの低迷
> 土曜8時にも関わらず視聴率も上がらず
土曜8時にプロレス流して視聴率取れるわけないだろ
ただでさえ、裏に全員集合という裏番組が控えていた上に
プロ野球シーズンの半分は巨人戦中継で深夜送りにされる時間帯なんだから。
日テレの誤算は、力道山以来定着していて、プロ野球に邪魔されること
のなかった金曜8時の放送枠を失ったことと、一連のごたごたで
メインスポンサーの三菱電機に見限られたことだろ。
この2つをキープできてたら、全日の船出はかなり違ってたはず。
外国人のギャラは設立時の取り決めで日テレ持ちだったってGスポに掲載されてた
>>186
太陽にほえろは得したな
金曜日の7時か9時という選択肢はなかったのかね >>188
既にNETが8時からやってたのにあるわけねーだろ。 >>171
プロレスファンは別にしても
世間一般から見れば2メートルの巨人の馬場のキャラクターより
オーソドックスなタイプの猪木はどうしても地味に映るだろう
その差を埋めるのに有名女優との交際、婚約、豪華挙式はインパクトが大きかったと思う
その効果がどれほどだったかはすぐにクーデター騒動が起きたのでわからないが >>181
1969年以前にも
都内の大会場で1万人はいらない大会はチラホラとある
ブルーザーとの東京体育館のインター戦は7千人程度だったが
その数日前の府立のインタータッグは会場に人が這いきれないほどの超満員だったとか
よくわからん現象が起きてる
どちらにしても当時はテレビ視聴率が重視だったから
それほど気にしてはいなかったんだろうね >>190
猪木はコテコテのマッチョタイプじゃないブルースリーみたいなスマート体形だったから人気出たと思うよ
馬場は身長高いけどガリガリでアバラ骨浮いてるしどうなんだろ
馬場みたいな巨人キャラの代わりにアンドレやホーガンらのガイジンレスラーがいたわけだし
小が大を制すのも日本人の感覚にはウケてたはず 「日テレのプロレス中継とその番組におけるエースは力道山の正統後継者の馬場
だから日テレは馬場がいる限り馬場とそのマットを中継し続ける」
日テレとTBSやNETとの最大の違いはここ
TBSやNETは東京放送や日本教育テレビというあくまで企業として
ビジネスで国際やワープロ中継をやっていた
日テレは正力松太郎というカリスマTOPによる
戦後日本における讀賣グループの成長、民間TV放送の普及、
そしてGHQ主導による大衆娯楽提供としてのプロ野球とプロレスの振興という
ビジネスというよりは一種の任務・使命として巨人と力道山を支援した
そしてその正力の遺志を継ぐ形での小林與三次の前述の方針が
馬場逝去までの日テレの社是のひとつみたいなものだった
だからこそ馬場独立以降の思うほど視聴の上がらない
有力スポンサーも徐々に離れていった全日中継が
不相応に莫大な放映権料(外国人選手のギャラ含め)と
何度かの移動はあっても放送枠を維持されたという事情がある
偉大なカリスマ創業者や中興の祖を戴くような企業には
純粋なビジネスとしての損得を多少逸脱してでも
こういう影響力が後々まで残るなんてのは往々にしてありがちなこと
読賣/日テレにとっても正力からその大番頭であった務台・小林の時代を経て
ナベツネが支配する時代になり
さらにその後当の「力道山の正統後継者」馬場が亡くなるに及んで
ようやく「プロレス中継」がその他の番組と同じ存在になったといえる
その日テレの変化が具体的に現れたのが全日打ち切り、さらにノアの地上波撤退
>>191
当時はテレビ視聴率重視?
適当なこと言うな。
視聴率視聴率とうるさくなったのは、
80年代に入ってからだぞ。 なんだか
「自分がこう信じ込んでるから世間も同じはず」
と思い込みたがっている、みたいな気持ち悪いヤカラがスレに張り付いてるなあ
テレビが創業の頃からわずかな視聴率の増減がすべて、の世界だったなんて事は
当時を語った記録や証言を見れば子供でも分かる現実だ
ちょうど今書店に並んでる「東京12チャンネル時代の国際プロレス」を眺めるだけで
1960年代のテレビ番組やプロレスに関わる現実が嫌というほど見て取れるぞ
「ウチ(12チャンネル)は最初のうちはスポンサーなどない堅い科学関係の
番組ばかりで視聴率を気にする必要もなし。しかし開局2年後にはいよいよ
経営が傾いてリストラを余儀なくされ、182人の解雇者を出したこともある。
このままだと放送ライセンスを停止されるという危機的状態に行き詰まって、
他の民放と同様、商業ベースに乗った番組作りをする必要が出てきた。そこで
社内方針が刷新され、スポーツ番組制作に着手することになった」
「雑誌で見ていたアメリカのプロレス業界の華やかさは誇張だらけの表面的な
もので、すでに70年代から急激な衰退機に突入しており、マーケットも縮小する
一方だった。当時マスコミは『馬場は知名度と信用があるのでアメリカから
いくらでも一流選手を呼べる』と書いていたが、『一流であってもアメリカで
食えなくなってきたので、馬場に頭を下げて年に何度も呼んでもらう、結果的に
馬場は何人ものレスラーを経費の無駄を覚悟で呼ばざるを得ない』というのが
実態だった。
その結果、外人に支払うギャラ総額に発生する年度末の巨額税金が負担になり、
馬場は全日本プロレスの社長の座を日本テレビからの出向役員に禅譲。
アメリカマット界衰退のツケを結果的に馬場が払わされた形となった」
>>186
日プロ時代の金曜8時って、巨人戦無かったの?
太陽にほえろが巨人戦で放送されなかった記憶は無いけど。 >>186
日プロ時代の金曜8時って、巨人戦無かったの?
太陽にほえろが巨人戦で放送されなかった記憶は無いけど。 >>186
日プロ時代の金曜8時って、巨人戦無かったの?
太陽にほえろが巨人戦で放送されなかった記憶は無いけど。 >>186
日プロ時代の金曜8時って、巨人戦無かったの?
太陽にほえろが巨人戦で放送されなかった記憶は無いけど。 太陽にほえろの番組本には野球で潰されないのは裕次郎の力っぽく書いてあったが日本プロレス時代からの延長なんだね
当時プロ野球は月曜と金曜が移動日で、この二曜日は試合が無かった。金曜夜八時というのは正に超ゴールデンタイムだった。
>>196
娯楽の少ない昔は確かにプロレスにわんさか詰めかけ
たのはアメリカも同じってことか。 >>204
月曜と金曜は深夜送りてを11PMでイレブンナイターとして放送していた >>196
お前の引用した文章を見て、
どこをどう見たら、かわずかな視聴率の増減がすべて、の世界だった
なんてことがわかるんだよ。アホか。
そりゃ多少の参考にはしたろうが、
視聴率の増減に躍起になったのは、80年代に入ってからだ。
むしろ今の方が視聴率を少しでもあげようと、醜い策が様々練られているだろうが。 妄想発狂wwwwww
> そりゃ多少の参考にはしたろうが、
> 視聴率の増減に躍起になったのは、80年代に入ってからだ。
> むしろ今の方が視聴率を少しでもあげようと、醜い策が様々練られているだろうが。
>>204
んなこたーない。昔から金土日にプロ野球の3連戦が行われてたでしょ。
>>200
このスレで何度も出てるが王選手の756号がかかった試合だけは
太陽にほえろが巨人戦で放送されなかった(結局756号は翌日出た) >>208
アメリカも全盛期の1950年代前半は毎日プロレス中継があるっていう状態で
しかも全米中継だったから、プロレスの「世界王者」はアメリカの隅々まで
スターとして認知されていて、西海岸もド田舎もそのTVスターである王者が
おらが町にやって来てくれるのを待ちわびていた
60年代に入って全米のプロレス人気が落ち、TV中継もローカルエリア単位になり、
活字メディアも全米レベルのプロレスの動向なんか扱わなくなったから、ファンの
知ってる「プロレス」は地元のエリア、おらが町のローカルプロレスだけになった
メディアの発達した東海岸の大都市圏を根城にしたWWWFはサンマルチノを
どの地区でも人気者として巡業させられる「絶対王者」にしていられたけど、
ローカルエリアの寄り集まり所帯、いわば「商店街」であるNWAはそれぞれの
地元に常駐している「おらが町のヒーロー」を興行の中心に据えるしかない
だからNWAシングル王者は地元のファンからすれば「たまにフラッとやって来て
オレが王者だと威張ってるけど、俺たちのヒーロー○○○にボコボコにやられて
みっともなく逃げ帰る情けない悪党」になるしかない
全日本女子プロレスに外人が「世界王者」の肩書を見せびらかしてたまに
来日しても、興行の中心はビューティーペアでありクラッシュであったのと同じ構造
(ただしそれじゃ「NWA」という互助会の意味がないから、NWAエリアには
全ての地区に「NWA世界タッグ王者」が一組づつ存在していた。当時はわざわざ
他地区にプロレスを見に行くヒマ人はいなかったから、「あれ?何でこっちにも
タッグ王者がいるの?」なんてことはバレなかった。そりゃあ後で新日が加盟を
申請しても「い、一地区に一団体だけ!」と言うはずだわw)
地上波TV全盛の時代に全米のヒーローだった王者が、TVでの人気の凋落と共に
地元のローカルヒーローのやられ役になり、80年代のケーブルTV普及と共に
WWF全米制覇の切り札としてのオールアメリカン王者を呼ぶことになるのも
やっぱりプロレスがメディアと共に息づく生き物だということなんだな アメリカで全くプロレスに興味がない人でも、ブルーノ・サンマルチノとハルク・ホーガンだけは知ってるらしい
今ならここにザ・ロック(ドウェイン・ジョンソン)が含まれるのかな?
ちなみに歌手でブルーノ・マーズっているけど、あのブルーノって芸名でブルーノ・サンマルチノから取ったので有名
>>204
>>206
成る程、よくわかった。世代的に日プロ中継は全く記憶に無いので。
イレブンナイターは記憶にあるな。 >>204
昔は月金は移動日
月曜は雨天等の代替開催とシーズン終盤の日程消化以外はほぼ無し
金曜はたまに日程入っていることもあったが移動日のことの方が多かった
これはプロ野球が春の札幌円山や九州シリーズ遠征などを例外に
まだ移動が鉄道メインだった時代からの慣習
火水木で3連戦、土日いずれかにWヘッダー開催が基本
>>203
上に書いたように金曜がプロ野球お休みがって事情もあったが
映画の衰退により大物映画スター達の身辺が慌ただしくなったのに対して
(勝プロや三船プロの破綻等)、
いち早く映画からTVへと軸足移す決断をした
“戦後最大の青春スター”石原裕次郎に対しては
力道山〜馬場や長嶋茂雄同様、戦後社会の大物達から
様々な形での「支援や配慮」が表に裏に働いていたのは事実 ありゃ、番号の表記がズレちゃってるんだな
> アメリカも全盛期の1950年代前半は毎日プロレス中継があるっていう状態で
> しかも全米中継だったから、プロレスの「世界王者」はアメリカの隅々まで
> スターとして認知されていて、
という書き込みは、
> 娯楽の少ない昔は確かにプロレスにわんさか詰めかけ
> たのはアメリカも同じってことか。
に対するレスです
そうか、金曜休んだら三連戦でけへんがな思ったけど、昔はダブルヘッダーが当たり前やったか
>>86
ハンセンとウォリアーズは、83〜84年にジョージアで何回かやってるし、ゴングのグラビアにも載っている。 >>196
1982年10月の蔵前決戦を前にした月刊プロレス9月号が
この全日の税金のことを巻頭で書いてるね
この時、国際は倒産が決まっていて、全日は外人ギャラの
税金問題で馬場が社長を降ろされ日テレの松根が実権を握り、
一見好調に見える新日もアントンハイセルに巨額の資金が
投じられて利益が消えていて問題だらけ、と歯に衣着せぬ
とんでもない内容の巻頭特集になってる
当時の月プロの鈴木庄一体制ってすごかったんだなあ
これに比べると一見業界の裏を書き立てているようで、実は
自分たちが取り組みや勝ち負けを決めた試合を絶賛したりと
ファンをペテンにかけていたと言ってもいいターザン体制は
東スポ並みのファンタジーを信じ込ませていた媒体だったな なんかすれ違いのプロ野球中継の話で盛り上がっているから
何かと思ったら金曜8時枠の話だったか。
確かにあの枠は、あの時代のプロレス中継には最適だったのは間違いない。
日テレも馬場を焚きつけて日プロからの独立煽るんだったら、
同時に金曜8時枠を維持することも考えるべきだったのに
何も考えずに唐突に日プロ中継打ち切ったから
速攻NETにあの枠を押さえられてしまった
日プロを打ち切ったあとも
しばらくはプロレスの再放送を同じ枠でやってなかったっけ?
5月19日から7月14日まで日プロ時代の馬場を中心に
過去の試合を再放送していた
エリックとの試合は再放送なのに22%取って、他局の
リアルタイム中継より数字がよかったとか
全日本のスタートをスムーズに出来ていたら、金曜8時を
さらわれることもなかったんだろうけど
>>221
全日本プロレス中継を打ち切ったあとに半年間くらいコロッセオを放送してた感じ? 再放送だから違うでしょ。太陽にほえろのドラマ制作中だったんじゃない?
太陽にほえろを土八に放送して金八のワープロの裏に当てようって気は無かったのかね?
>>225
馬場→日プロとのこれ以上の喧嘩は望まない
太陽→全員集合の裏+プロ野球で中止多数の土8は勘弁
三菱→せっかく裕次郎主演ドラマ押さえたんだから是非放送したい
もうトラブルばかりのプロレスは懲り懲り
どう考えても無理でしょ >>225
>>226
上にもちょっと書いたが
あの当時「映画スター」である石原裕次郎が
メインキャストで毎週連続のTVドラマに軸足を移すってのは
芸能・メディア業界では“大事件”だったんだよ
しかもGSの大スターショーケンが本格的に役者としての新境地を開くという
言ってみれば裕次郎とショーケンという新旧二大青春スター夢の共演
それが映画でなくTV、それも毎週連続の1時間ドラマで実現するという当時としては夢の企画
それに力道山の正統後継者である馬場の独立を全面バックアップするのと同じくらい
“戦後最大の青春スター”裕次郎を(日活に代わり)東宝と組んでバックアップするのも
大正力の意を継ぐ日テレ的には大命題だったからね
それにこの当時は日テレは芸能界の巨大勢力渡辺プロダクションと冷戦中
GSのもう一方のスタージュリーがナベプロの看板である以上
日テレはメンツもあってショーケンを意地でも看板にしたいって事情もあった
だから『太陽〜』以降も『傷だらけの天使』『前略、おふくろ様』『祭りばやしが聞こえる』と
ショーケン主演の日テレドラマ枠が78年まで続いた 太陽にほえろにソンタクしたんじゃなくてNETが金曜8時に来ちゃったから他の曜日を模索したんでしょ。
新日本に比べ全日本は準備万端の旗揚げと言われてるが土曜8時しか枠がなかったのは急に決まってバタバタしたからかも
>>228
NHK-BSであった太陽にほえろ!制作秘話で、当初ジュリーをマカロニ役に起用する案もあったらしい。
実現しなかったものの、ジュリーはゲスト出演してショーケンと競演した。
ナベプロと冷戦というがセミレギュラーにハナ肇が出演しているな。 馬場は全日旗揚げしたあとも
日プロに役員としての籍は残してたらしいね
>>228 >>229
日テレとナベプロは紅白歌のベストテンの裏に見ごろ食べごろ笑いごろだったかな
ナベプロ製作の番組が始まったことが原因だったと記憶しているけど。日テレvs
NET(テレ朝)だからプロレスと一緒か。 >>228
その夢の企画の衝撃や悲願度は、当時は生まれてないからわからないけど
それぐらいの大きな事が日プロ中継を打ち切って、たった半年でよく実現できたもんだね
ドラマは収録も考えると、本放送の少なくとも1ヶ月前にはクランクインしなきゃいけないわけで
馬場が朝日系に登場→日テレ激怒→打ち切り
この過程があればこそ、スター達に交渉できたんだろうし、ずいぶんとスピード交渉だったという事? >>229
>新日本に比べ全日本は準備万端の旗揚げと言われてるが土曜8時しか枠がなかったのは急に決まってバタバタしたからかも
それ以外ありえないでしょ。
再放送でさえ22%取ってた優良コンテンツが、たった数か月後に豪華メンバー揃えた旗揚げ戦で一桁連発なんて
どう考えても金8→土8の枠移動の弊害でしかない
日テレが度重なる日テレの不義理に打ち切り決断したのはわからんでもないけど、せめて三菱への根回しだけは
済ませておくべきだったな。
八百長、流血、暴力団などマイナスイメージが強いプロレスは、視聴率稼げても有料スポンサーがつきにくいコンテンツ
だったなかで、三菱は力道山のときから一貫して支援してくれてたんだし
まあ金8を失ったのは馬場の決断が遅かったのも一因だが、逆に言えば馬場に日プロ対談決意させるには
日テレ打ち切り位の劇薬が必要だったのかもね 優良コンテンツだからわざとドリフの裏にぶつけた可能性もあるかも。リアルタイムで見てない世代なんでわからんけど土曜日なら19時からか21時からのどちらかが良かったように見える
(特に21時〜)
>>235
ゴールデンの放送予定の番組が
23:45〜プロレス
と番組欄の最下段で1行だけ…落差がありすぎ
それに子供は起きてられない、大人でも終了が1時じゃキツイな
今と違ってたぶん当時はスポーツは土日は昼間、平日はゴールデンて感じだったんだろうし
見逃しが増えるとストーリー性が遮断されるし、難しいね。
子供の頃に新日が土曜の夕方で、一月の半分がゴルフ中継に潰されてたの思い出した。 プロ野球を放送の場合でしょ?
野球が中止になれば通常通り20時から
>>236
当時小学生だったが、23時からのゴルフの途中で寝落ちしてたわw >>235
7時台は子供向け、9時台はドラマが主体か
いずれも全員集合が裏に控えている8時台よりは数字取れそうだけど、
プロレスは社会的なイメージが悪いから、視聴率が取れるとしても
この時間帯では名乗り上げるスポンサーがなかったんだろうな
>>235
雨天中止なんてたまにしかないでしょ
なったとしても裏には全員集合というモンスターが控えている
それ以前に、コロコロ放送時間が代わる番組なんて
視聴者なかなか定着しないよ
つくづく金8=三菱を失ったダメージはデカかった 連投ゴメン
よく見たら、6時台に日テレで、、7時台に12チャンでキックボクシングやってる
これキックの分裂騒動の時期なんだな
沢村忠がいたころはすごい人気だったけど、引退してからはあっという間だったな
K-1もそうだったが、目先の放映権料につられてテレビ局2又かけた
コンテンツは確実に分裂、衰退する
日プロもNETの参入認めた時点で崩壊する運命だったんだろう
>>236
深夜ならまだいいよ、地方だと放送自体が中止になる、当時は会場行かせる
ためにワザと放送減らしてるんかと思ってたくらい 「たられば」になるけど、ドリフの裏番組で奇跡的に視聴率戦争を乗り越えて
80年代に入っても土曜20時を死守できたとしても、お笑いの多様化と漫才ブームがやってきたんでしょ?
「ひょうきん族」が土曜20時に参入して、余計に苦しくなっただろうね
ドリフは前半に視聴率が良い番組、ひょうきん族はたけちゃんマン登場の後半が良い番組
ドリフの前半に見た後、プロレスのセミファイナル〜メインエベントにチャンネル移行組があったとして、それもフジにもっていかれそう…
少なくとも当時のガキンチョのオレはそうだった、またそうしないと友達との話題についていけなかった。
ひょうきん族の前にもフジは欽ちゃんの番組が人気あったから難しかったよ、ただスポーツ好きが見るには野球かプロレスしかなかった
我が家は8人家族でテレビ1台だったから基本NHKの7時のニュースの後は野球、野球がない日は祖母の希望で時代劇とプロレスは優先的に見てたからドリフはあんまり見てない
うちは親父が刑事コロンボ見てた(毎週ではないけど)
>>242
あー、欽ちゃんか…全盛期は記憶に薄いけど、たけしと人気が二分してて
K-1ならぬ、好視聴率番組をTBS・フジ・テレ朝と股にかけてた頃があったよね?
なんかお笑いはプロレスの天敵というイメージが強い
個人的な感覚に過ぎないが、非日常感があってストレス解消という共通項どうしというのかな…
まあ欽ちゃんの全盛期、といったが自分はファミリー受けの頃しか知らないけど
坂上さんと組んでた過激な欽ちゃんを知らないので、人によっては実はその頃が全盛かもしれないけど。 ドリフ大爆笑では志村と仲本がプロレス技をやってたがプロレスの裏時代の全員集合ではやってたんだろうか
>>245
視聴率100パーセント時代はジャパンが来たくらい。人によってピークは違うかな >>246
「視聴率100パーセント時代」って何の事か?だったけど
3番組の合計視聴率の事か、凄いね平均で30パー超えって事だもんね、そりゃ脅威だわ。
全員集合は70年代とかは知らないけど、やってる芸がプロレスと重なるような感じはする
あの体を張ったギャグ、毎週生放送で30分近くやるのは理屈抜きに凄いなと…
初期のジャンボマックス?なども規格外なプロレス的な興奮に近いし
作り物とはいえ、G馬場やアンドレよりはるかにデカいんだから…
ちょっとこじつけだけど、前半30分の等身大ギャグのドリフは新日的で、ジャンボマックス的な演出は外人戦略の全日的な感じ
要はドリフはプロレス的なカタルシスを味わえる番組だったと思う、プラスして可愛いアイドルも出るんだから太刀打ちできないw 志村と仲本工事のプロレスは猪木が入ってたね、アンダバカヤロウ
>>245
欽ちゃんが、たけしと人気を二分した時代なんかねーよ。知らないなら書かなければいいのに。 >>248
この前再放送やってた大爆笑'80で、仲本がブッチャー役、加藤が猪木役で驚いた。
1年後のブッチャー引き抜きを予言してた様な設定。ドリフがやっぱりガチだな。 >>249
萩本さんとたけしはほぼ入れ替わりだったよね。
萩本さんのライバルはむしろドリフ。 全員集合で、ごくたまーにオープニングコントで女子プロレスやってたな。
いかりやレフェリーで、残りのメンバー対女子プロレスラーの4対4。
>>250
全日本と新日本に偏らないように配慮したのかも >>252
レフェリーで楽して、ギャラの6割を取るんだから、志村の「いかりや給料上げろ」はガチの叫びだね。
そういう体質は全日と似てるかも。 >>254
大量脱退の際仲良しがいなくて1人残された
が逆に才能を開花させてブレイクした
川田とカトちゃんも似ているのでは? >>251
欽ちゃんが絶対王者(視聴率100%男)の頃はたけしは大熊がレギュラーだったテレビで見たい奴
みんな来いが打ち切りされたりでテレビで成功する方向性を模索していた時期だね。でも実は
欽ちゃん、タモリ、たけしの比較した記事が明星か平凡で見たからマスコミの認識だと最初のビック
スリーはこの三人だったのだろう。 我が家は土曜8時はプロレス好きな兄貴を除けば多数決でドリフを観ていたので、自分も内心全日も観たいと後ろ髪を引かれつつ、結局はドリフを観れば満足していた。
なので、全日が5時30分に移動したのは大歓迎だったな。親がプロレスを野蛮だとか毛嫌いしていた家庭だったことも大きい。
テレビが複数台あるなんて考えられない時代だったもんな
80年代も後半になると小遣い銭で買える時代になったけど
教育上良くないとドリフ見るの禁止だけどプロレスがオーケーの家庭って多かったのかな
我が家がそうだった、チャンネル権が父親の次がばあちゃんだったから
>>259
キカイダーが終わって、全員集合も観る気しなくて
どうしようかと思っていた時期に全日を知ってハマった
おふくろが太陽にほえろのチャンネル権がっちり握ってたから
数年後、家に2台目のテレビが入るまで新日はほとんど見られなかった。
俺がずっと馬場派、全日派なのは当時の体験のためなのだろう >>234
日プロとしてあるいは三菱電機がスポンサーから下りてもまた日テレが別のスポンサーを見つけてくれるとかたかをくくってたのかな
あの時点では単独スポンサーではなくなってたようだし
とにかく両局中継から一年足らずで一気にノーテレビ
当時の幹部としてはNETでなく日テレを選ぶべきだったと後悔していたか >>262
>当時の幹部としてはNETでなく日テレを選ぶべきだったと後悔していたか
急に割り込んできたNETより力道山以来世話になってる日テレの方が大事なのは当たり前の話なのに
日テレが中継辞めるなんてありえないとたかをくくっていたのか、
NETの放映権料が高額だったのか
何にせよ、馬場と猪木に食わせてもらってただけで、自分じゃ客も呼べない日プロの幹部や
レスラーの怠慢ぶりは目に余るわ >>263
「馬場は日本テレビ占有」を破ってNETに出して日本テレビを激怒させて打ち切り
その後は坂口が新日との合併を纏めよとしたのに潰す
(新日にはTVがついていないと言う負い目があったのでこの方が対等合併に近い形になったはず)
その後に全日に吸収された時すら
「対等合併だ」「日本テレビに頼まれて来てやった」「芳の里に「馬場を助けてやってくれ」と頼まれた」
日本プロレスの残党のバカさ加減には呆れかえる 猪木追放→やったNO.2が消えた、これで俺の番手が上がるぜ
NET「馬場を出せ」→どうせ日テレが打ち切るわけない。出せ出せ
坂口「新日と合併するぞ」→俺の出番がなくなるからダメだ
NET「おたくは打ち切って次回から新日を放送します」→新日とうちとかわるがわる放送してくれる
馬場「あんな奴ら欲しくないけど、契約だからひきうけるしかないか」→日テレに頼まれて来てやった
しかし末期日プロの連中って、周りがまったくみえてないっていうか、目先のことしか考えてないよな
馬場と猪木に食わせてもらってたのを自分の実力と勘違いしていたとしか思えない
>>265
銀行の合併とかでもよく聞く話、潰れないし解雇されないから醜い足の引っ張り合いがなくならない >>265
しかもまだ健在な人でもその感覚は変わっていないというのがすごい。
「あの時は俺たちにも悪い点があった」
という趣旨の話をしているのを聞いた事がない。 SWSが無くなった時の状況にも何か似たようなものを感じる
>>268
上田カブキはずっとそんな調子だけどサクラダやカーンの自伝では末期の混乱ぶりに振り回される若手の苦悩や
対等合併なんて寝言という本音が書いてあると感じる。
立場の違いはあるにせよ小鹿上田カブキ等の自己正当化反省の無さはあきれるばかりだ。 まあ上田の場合もう死んじゃってるから反省のしようがないんだけどね
拾ってもらった日プロ勢で一番長く
全日で持ったのはカブキという事か。
17年くらいいたのか。
確かに当初から合流組の中で言えば
扱いは良かった。
本人はかなり外様扱いだったと何度も言っているけど。
>.274
全日入団から退団までの時期でいえばそうだが、
カブキは海外が長かったから、
全日でファイトしていた期間は小鹿が一番長いんじゃない?
その小鹿は、著書で「馬場さんにはがっかりした。猪木さんとこに行けばよかった」とか書いてたが、
日プロ時代、猪木追放の急先鋒だったことを都合よく忘れているのが何とも。
>本人はかなり外様扱いだったと何度も言っているけど。
どう扱えば本人は満足したんだろうね。
日プロ末期みたくUNのベルト巻かさればよかったのか
>>275
> どう扱えば本人は満足したんだろうね。
> 日プロ末期みたくUNのベルト巻かさればよかったのか
若い鶴田はまだプロレスが良くわかっていないから
当分は自分がNO,2
UN復活なら当然前王者として自分が戴冠
暫くして鶴田が育ってきたら
入れ替わりに年齢の衰えてきた馬場は一歩退いて
エース鶴田を盛り立てる実力者でプロレス巧者のポジションとして
鶴田のパートナー&そのままNO,2で我慢してやってもいいよ、俺は
まあ実際に試合作ってるのは俺なんだけどね
くらいのかんじじゃない?
あくまでカブキ本人的にはだけどw >>275
小鹿に関して、自分はGスピのインタビューぐらいしか知らなくて、著書は未読な上で。
「終わり良ければ全て良し」の真逆というか、昭和末期に全日から契約解除された点が多分に大きいんでは?
あんがい、四天王ブームの1番美味しいときにまで悪役商会の一員として所属してればどうだったの?って感じ。
猪木や新日にケンカ売られたときにも、馬場の側近としてかなり動き、最前線にも立ってたみたいだし、もちろんジャパン参戦中にも。
ちなみにその時のインタビューでは、多分70年代後半の事を言ってるんだろうけど
「猪木さんに勝てるかはわからないけど、少なくとも馬場さんが負ける事はないと思った」とか言ってた内容の時。
天龍も「小鹿さんが切られたのは驚いた」って後年にまで言ってるよね、つまりガチガチの馬場派にはなっていたわけだよね? >>89
1987年鶴田とタッグ組んだテンタとは対戦してるね。 >>276
鶴田と組んで世界タッグ獲得した途端SWSへ移籍したくせにね。 小鹿は切られるほど素行が悪かったってことだろ、三沢を鍋で殴ったり
高千穂はシングルのベルトを巻かせるかどうかは別として
元UN王者設定を生かせなかったものかね?
あとはカブキ時代に全日陣営ではなく
鶴見や外人と組ませて対立させたほうがよかった
怪奇派がベビーやってもつまらんからねえw
>>279
あの離脱の仕方は「UNタイトルを取り上げられた復讐だった」と言ってたな
人材不足でタイトルがまわってきただけなのに何を勘違いしているのか 欽ちゃんとたけし被ってたころあったよ。
欽ちゃんは民放各局に冠番組持ってたし
たけしは同時期に冠番組はまだなかったけど
レギュラーたくさん抱えてた。視聴率争いは
してなかったけど。俺と萩本さんの笑いは違う
とかよく言ってた。たけしはドリフ、欽ちゃんに
敬意を示してた。スレ違いすまん。
>>276
>当分は自分がNO,2
坂口離脱で自分がNO.2に繰り上がった日プロはすぐ崩壊したのに
全日で同じ役目が務まると思っていたならおめでたいね
>>277
小鹿が上田や松岡みたいにすぐに切られず全日に長くいられたのは
馬場にうまく取り入ったことに加え、子飼いの大熊とウマがあったからだろうな
プラス、タニマチ嫌いの馬場の代わりを務めたりもしてたんだろうけど、
それに関してはもっとやり手の永源が来たことで用済みになってしまった。
だとすると、「猪木さんに勝てるかはわからないけど、少なくとも馬場さんが負ける事はないと思った」
って言ってるのは信憑性高いね。なんせ馬場と完全に袂を分かってからの発言だし >>282
ようやくこれから厚遇が期待できる局面だったのにな
SWSではもっとトラブルに巻き込まれる事になるわけだが
小鹿については「猪木さんが坂口でなく自分に話を直接持ってくればむしろまとめ役をやった」とも言ってたな
政治家もそうだがそういう面子的な部分も強かったんだろうが 小鹿では選手が仮に纏まっても
テレビ局は動かんだろw
>>283
80年代前半だな。
欽ドン、欽どこ、欽曜日
刑事ヨロシク、テレビに出たいやつ、スーパージョッキー >>283
たけしは萩本さんには敬意を持ってたね。ANNで「俺萩本さん好きなんだ「」。TVでは「あの人の毒舌は俺より凄いから」。当時ファミリー向けの笑いに徹していた萩本さんの本質は「毒」であると。
2人の人気が被ってたのは3〜4年だね,わらべのもしも明日がのメガヒットがS59始めだから。
更なるスレ違いすまん、、 全日本退団の会見で「そこ(全日本)に天龍がいなかったから」と天龍ファンが泣いて喜ぶセリフを吐いたカブキだったが、SWSで袂を分かったときは所詮カネで集まった奴らと思ったわ。
カブキになって受けてた頃に
誰へでも良いけどUNに挑戦すればよかったかもしれない。
できれば王者にさせる、と。
天龍じゃないから「このベルトは青春の思い出」みたいなことは言えないだろうけど
ある意味マニアにはわかる、な感じでよかったと思う。
なのにフレアーNWAとかに行くんだから。
カブキとフレアーの試合はひどかったな
あの2人の試合でブリッジの攻防とか誰が見たかったんだろう?
しかもフレアーが懸命に協力してるのに
下からブリッジで持ち上げられないカブキw
あれがカブキの限界だったと思う
ザ・グレートカブキというギミックがなけりゃ、塩だからなあ。
高千穂としては、将来のあるジャンボ鶴田と同等に扱うなんてとてもとても
本人そのへんがわかってないのかね?
カブキは天龍同盟の時にいち早く賛同して熱い試合をして中堅や若手の活性化に役立ったところは認める。若手と戦っても攻めがキツいと文句言ったことがなく自ら進んでキツい戦いを望んでる感じだったし
でも同じ中堅なら石川のが好きだったw
レスラーの気位の高さってのはファンの想像を絶するところがあるよな
それこそ自分のプロレスを理解できない方が悪いってくらいに
まあそのくらいでなければやっていけないという面もあるだろうが
カブキは
本当にアメリカで何年もスケジュールが埋まってるほどの大人気だったのかな?
その割には日本に頻繁に来日してて気がついたら居着いてたがw
>>281
一応、復活UN王座争奪戦の日本代表決定戦の名目で鶴田☓高千穂はやっているよね。
どんな試合内容だったか記事や情報は見た事無いけど。 >>283
人気を二分してたってのは無いだろと言っている。 たけしは軍団は軍団としていつまでも手元に置く(置いた)
欽ちゃんはイモ欽、わらべ、小西など、瞬間的には自分より注目されるスターを多々生み出すが、
そいつらはみな長続きしない
>>295
カブキが人気だったのはエリックの所だけだろ >>299
見栄晴と絶縁していたり、結構見切る人だよね。プロレスで言えば長州的?
全日は間違い無くドリフ的だけど。 >>297
ブリスコ×鶴田のUN決定戦のあったサマーアクションシリーズのたしか開幕戦で
回転エビだかのクイックで鶴田が勝っている、30分1本。
でも「日本代表決定戦ではない」ただの試合とアナウンスされていた。
高千穂の気持ちを納得させるための試合だった、とかの山田さんの解説が入ったように思う。 >>302
見栄晴はファミリー全員に不義理してたんだろ?真屋順子のほうに嫌われてたんじゃなかったっけ。
爆笑問題の番組で生前の真屋順子に会わせるみたいな企画があったけど、普通あの手の番組では許すもんだけど、
見栄晴は許してもらえなかったな。 >>303
鶴田がチャンカー意外で日本人との同門対決をしたのはこれくらいだね。
天龍革命以降を除けば。
この試合は高千穂の方から通常の試合と
発表してくれ、と希望したはずだったと思う。 >>286
と、いうか仮にあの時点で小鹿にまず話持ってってまとめ役を頼むってのは
イコール合併後の新・日プロでは社長兼エース猪木に次ぐ
(リング上は坂口に譲ったとしても)社内での序列実質No,2は俺ねってことだからね
小鉄が坂口加入後に自身は平取だったことに大いに不満持って
坂口と対立してたのと同じようなもので
元々猪木シンパだった小鉄でさえそれなのに
小鹿なんて身内に招き入れたくないだろ、猪木もw 鶴田は若手時代に同世代の日本人との試合が全くなく下積み経験が乏しいのが
その後に素質や期待ほどには伸びなかった原因になってるかもな
先輩大物外人に引っ張ってもらってるうちはそこそこに格好が付いてたが
自分が引っ張る側になったら凡庸な試合しかできなかった
>>310
その頃に関しては
天龍も三沢も気を遣ってたと思うよ >>285
猪木はTVと坂口が欲しかったから坂口を窓口としたわけで。
間違っても日プロ残党が欲しかった訳じゃないだろ。 >>311
後輩が気を遣えば凡庸な試合じゃなくなるのか?w 馬場がカブキのギャラを雀の涙ほどしか上げなかったのは
ペイントとギミックが飽きられたら中堅クラスのレスラーでしかないって見抜いていたんだと思う
(実際に飽きられたらそうなった)
レスラーのギャラって上げたら下げられないって暗黙のルールがあるからね
カブキも高千穂でもいいプロレスラーなんだけどMo.2はもちろん3番手でも荷が重い感じだからな。
エース馬場、テクニックスピードガッツの猪木、柔道日本一坂口ときて吉村なら落ち着くのと似た感じ。
全日立ち上げメンバーに入っていたら、全日合流時当初の予定通り高千穂と若手三人だったら、対等合併なんて馬鹿な事言い出さなかったらなんだよな。
馬場は高千穂を高くは評価しているしリング上の扱いはそんなに酷かった事も無いと思うが、まあ運命なんだよ。
小鹿も大熊に散々全日立ち上げ時に一緒に行こうと誘われたのに断っているしな。>最終的にはイビリ癖嫌われて首切られると思うけど。
>>313
外人と比べて
鶴田のことは普段から知ってるだろうし
会社や興行のことも頭に入れて試合をしてるだろうから
当然そうだろう >>317
> 鶴田のことは普段から知ってるだろうし
> 会社や興行のことも頭に入れて試合をしてるだろうから
これだけで試合が凡庸じゃなくなるなら
下積みなんかいらないじゃんw >>306
十番勝負でラッシャー木村とやったけどあれは同門じゃないか >>309
どの辺までを「若手時代」というかによるけど、国際との交流戦やってた頃は井上と戦ってるけどね。 鶴田は
天龍革命から超世代あたりの日本人との体位線は評価されるようになった頃から
外人との試合は前より更に悪くなっていった
最近のハンセンインタビューで鶴田との試合が凡戦ではと言われて否定しなかった
ベイダーとの最強タッグ決勝で負け役を押し付けられた時と同じくらいショックだった
>>309
カブキ「鶴田は未来のエースだが将来のことを考えれば2,3年は下でやった方がよかった。
色々と失敗して覚えていくものだが、いきなり上でやると失敗できないから
1試合で何回もジャンピングニーをやるとか同じ試合になってしまう。
全日本の事情があったんだが、逆にかわいそうな部分もあった」
>>314
アメリカでの東洋の神秘カブキはウガンダの巨人キマラ、ロシア人イワンコロフみたいなもの。 >>303
最初は日本代表決定戦とされていたのを高千穂が辞退したという形だったか >>304
見栄晴はかなえを狙ってたんだよな
己を知れとw >>321
といっても鶴田との試合が結局はベストバウトになってる感じのレスラーは結構多いからな
その意味からすればむしろ鶴田が連中を上手く引き立てたともいえる 鶴田を叩いてるのって昔からあちこちのスレを荒らしてる人でしょ?会話すると荒れるから無視した方が
色んな会話もできる普通の人ならいいけど
鶴田はちょっといいのが入るとマジ切れしちゃうくらい
ソフトヒットなレスラーだったからな
天龍超世代はそんな鶴田にお構いなくやって
名勝負にするのをパターンにしてた
いかに鶴田を怒らせるのがテーマというのもあったな
最初にそのパターンで名を挙げたのは仲野だったか
鶴田本人っていうより
馬場が考えてやるべき問題の方が多いけどね
鶴田が天龍にちょっと猛攻すると、
倉持が「馬場さん!この鶴田の気迫!凄いですね!」
すると馬場は「いや天龍に対してだけなんですよ、だから余計天龍が怒るんですよね」
これお前が何とかすべき問題だろ、何天龍に丸投げしてんだよ、と思った
仲野信市が前歯を失ったのは例の鶴田戦らしいけど、川田が歯を失ったのも鶴田戦?
高野俊二
ジャーマンかけた時に背中に歯が刺さったと自伝にあった
>>333
新日若手時代からないよ。
前田のニールクキックだと思う。 川田はキッドのツームストン・オン・ザ・テイボーじゃなかったか?
鶴田は不透明決着の際の締めの動きが
下手すぎる。
絶対的に優勢だったのに、あまりに唐突に
ラフに走ったり椅子を持ち出したり、
モロ辻褄合わせという感じだった。
>>337
残り10秒でコブラツイストとか、絶対フィニッシュするつもりない感が丸見えw >>323
スケールが全然違うけど泉田もある意味そうだったかも。
デビュー戦がいきなり馬場組んでのテレビマッチという優遇ぶり。
そしてそのまま前座でなく第4試合あたりを中心になって
殆ど若手をぶつかることなくそのままいってしまったから。
ひょっとしたら泉田も第一試合からデビューさせて
前座で細々とやらせた方が大きくなれたのかも。 泉田は同期の秋山がドンドン格が上がってメインで試合してる事に焦って
鶴田に相談したらしいけど、己を顧みない事と、相談する相手が間違って事も含めて
いろいろとズレているなぁと思った
ちょっと前にデビアスが話題になってたけど、本田多聞はデビアスデビューだったからなあ
しかも後楽園などの会場ではなく、(たしか)ノーテレビの大分大会だった
鶴田についてはいろいろあるがそういう特異な扱いをされたからこそああいう独特な位置とキャラクターになったような気もする
普通にやったら逆に埋没していたかもしれないし
その辺りは馳とかも通じるところがあるが
>>343
全日のエースになったし育成に成功しているんだよね>鶴田
原辰徳が「No.1レスラーは鶴田さん」と言っている位だし
デビュー戦で潰すような試合をさせて海外遠征で
下積みもさせたはずの谷津の方が一番良い時でも
三番手位の微妙なレスラーで終わったし結果論だな 当時の全日本の手薄な陣容などの事情もあったろうが鶴田は十分期待に応えたという感じだよな
とにかく鶴田の生涯ベストバウトはやはり凱旋帰国のインタータッグ戦だろうな
お膳立てといってもそれに応えるにはやはり相応の技量は必要なわけだし
十番勝負は進むにつれてどんどん期待が薄れて、つまらなくなっていった。
ガニア戦が始まるまであたりがも魅力的だったかな。
>>347
○番勝負なんかは長くとも1年ぐらいでトントントンと終わらせないと間延びするよな 82年からの天龍にも十番勝負の企画が持ち上がったそうだが実現しなかった。
もし実現ていたらどんな面子になっていただろう。
>>345
ドロップキックの打点位置の高さが凄いよな
大きいファンクスの頭の上を飛び越えそうな高さ
あとフロントスープレックス、勢いで流れるんじゃなくて、一度高い位置で制止してからズドン!て感じ >>348
第九戦から最終戦まで一年以上も間が開いたんだよな
その辺りの事情も気になる >>349
天龍はSWSで五番勝負やってたね。
ハク、谷津、ジョージ、ケリー、阿修羅という面子で全勝だった。他ではドラゴンゲートでマグナムと十番勝負もやってた。 十番勝負の最中にUNチャンピオンになっちゃった。あれで試練の意味がかなり弱まってしまったと思う。終わってから、或いは最終戦でチャンピオンになったら凄く盛り上がったんじゃないかな?
逆に、若手が買ってきた吉牛を初めて口にして
あまりの旨さに驚くとかかな
フィレオフィッシュのときみたいにね
90年の新春ジャイアントシリーズで天龍源一郎あすなろ七番勝負として仲野、俊二、田上、高木、小橋、冬木、川田でやったらどうだったかな。
>>352
表向きは、人選で難航したということになってるね。実際はエリックになったけど、サンマルチノも候補だったとか。
ファンもマスメディアも馬場が最終戦の相手と予想していたようだが、最終戦なら鶴田が勝って有終の美を飾ることにしないといけないから、
馬場はまずないし、スケジュールの空いたエリックに負けを飲んでもらったのかもね。 新日で前田十番勝負やったら面白かったかも。
長州、戸口、R木村、キラーカーン、谷津、
アンドレ、ホーガン、マードック、スタッド、ブッチャー、
戸口とスタッドにしか勝てないか?
鶴田がもう肝炎で一線から外れた時期のJICCのムックで、鶴田ファンですら
鶴田を褒めようがなくてモヤモヤ、「結局天龍らライバルに対する理不尽な
呪詛になってしまう」と書かれていたものだけど、鶴田って長州の離脱と
天龍の離脱がなかったら、本当にただの「元祖・天下盗りそこなった男」
(あ、草津がいるから二代目か)になるところだったんだよなあ
鶴田の「お仕着せられスター」ぶりは80年代はレスラーのダメな見本として
語られていたレベルだったからね
UNを獲った時もをチャンカを制した時も、そしてインターを獲った時も遂には
AWAを獲った時も、まるでビデオのリプレイみたいに同じように肩車される
シーンを繰り返しては数か月後「善戦マン」「ストレス生産装置」に逆戻り
特に日本初のAWA王者!NWA王者との史上初の統一戦実現か!と言われた
直後の、AWA陥落→数日後にNWA挑戦失敗→AWA再挑戦も失敗、という流れは
まあ見ている方にもショッキングなレベルだった
佐藤昭夫も「いくら鶴田がエースとおだてられて何かを言ったところで、
記者に囲まれてる後ろで馬場さんが葉巻を吹かして睨みを効かせてたら、
誰も鶴田の言うことなんか真に受けませんよ」と言ってたものだけど、
やっぱりレスラーは一度は勘違いして先輩を蹴倒して、お山の大将に
ならないといけない種類の職業なんだろうなあ
>>364
全部ブック通り動いただけで鶴田の責任は薄い。 馬場は70年代後半から80年代初頭はむしろエースとしての役割をさぼりがちで全日の低迷
の一番の戦犯は言い過ぎかもしれんけど罪は重いと感じる。
クツワダ事件の後遺症もあって日本人レスラーが信用できなくなっていた面もあったろうな
かといって自分がエースを張るには体調的にももはや力が無い
だからビジネスライクな外人レスラーたちを実質的なエースにして凌いでいた印象
馬場が完全にメインを退いたのはハンセンのバックドロップで負けた時でしょ。長州が来たとき。それまでの鶴田にトップ並みの期待をさせるのは酷だよ、プロレスの仕組み的に
馬場から見ればクツワダに裏切られたということなのかもしれないけどクツワダにせよ
鶴田にしてもそういう行動をさせる何かがあったのだろう。旗揚げ5年ぐらいでは普通
ありえない事件だな。
マシオ駒と大熊が「馬場さんは嘘つきだ」と愚痴をこぼしていたのもその時期だと
佐藤昭雄が言っていたような…
>>370
日プロ残党が合流者してくる前だからもっと前だよ。 >>368
というかハンセン引き抜きで久しぶりにエースに返り咲いたという印象
長州軍団以降はスタイル的にも自分自身で戦う事が出来ないのでようやく鶴龍に譲ったという印象 >>370
その時期だと駒は死んでるし佐藤はアメリカ >>364
アホか。何が天下を取り損なった男だ。
鶴田はそりゃあ革命とかなんとか派手なことはやらなかったが、それはすでにトップだったからやないか。
世界タイトルを取れなくて確かにモヤモヤさせられたが、鶴田は別格と、多くのファンは思ってたはず。
新日目線で的はずれなこと言うならもう来んなよ。 >>345
何が「やはり」だ。
もっと他にも名勝負がたくさんあるやろが。 鶴田のキャリアのピークはやはりAWA王者時代ということになるのかな
墓碑にもその時の写真が使われてるし
>>375
たとえいろいろあるにしても一番重要な試合は間違いなくあのインタータッグ戦
もしあそこで失敗していれば後の印象は全く違っていたはず
それこそ後の谷津みたいに >>377
生涯ベストバウトは言い過ぎという話だろ。
論点ずれてるよ。 流智美が思う鶴藤長天のそれぞれのベストバウトは、
長州=いつかの藤波戦
藤波=(ルーテーズによる卍レフェリーストップの)猪木戦
天龍=大阪三冠のブロディ戦
鶴田=ムース・モロウスキー戦
だそうだ
>>380
長州は蔵前で藤波を破って初戴冠の試合
鶴田はなんだったか思い出せない シングルでの鶴田の頂点試合は個人的には三沢を破った武道館での三冠戦
ファンからの大歓呼でオーを決めまくったあの試合はまさにようやく本当のエースに行き着いた瞬間だった
>>381
長州はそれか。
鶴田は上記の通りだよ。 >>385
嫌味としか思えないね。
一瞬戸惑わせるような上から目線
の謎かけだ。
どうせならハンセン戦とか、シン戦
とかの方がストレート。 モロウスキー戦って確か後楽園での日本デビュー戦の時か
>>389
「いつかの長州戦」は、俺の記憶がいい加減なんだ、スマソw 個人的な好みでは
鶴田の試合ではラッシャー木村戦が一番好きだな
鶴田らしくなく熱い試合をやってる
整理しますと、
流智美認定・鶴藤長天生涯ベストバウト(シングルマッチ限定)
長州力
1983年4月3日 蔵前国技館 VS藤波
藤波辰爾
1985年9月19日 東京都体育館 VS猪木
天龍源一郎
1988年4月15日 大阪府立体育会館 VSブロディ
ジャンボ鶴田
1973年10月6日 後楽園ホール VSムース・モロウスキー
鶴田 対 藤波 実現場合、多分内容的、凡戦予想也。
話題性満載、内容凡戦。
>>380
ムースモロウスキー戦てデビュー戦だろ?
デビューがピークだったという皮肉。
流はウソつきで、偏屈で、こんな奴に原稿依頼すんなよ。 >>379
一連の天龍戦とか、ブロディ戦とかニック戦とかなんでもあるやろ。
友美時代のインタータッグがベストバウトやなんて、鶴田をバカにしすぎ。流と同類。
重要な試合であることは認めるがね。 流本人のベストバウトなんだから別にいいじゃん。
お。流がそういうんならおれもモロウスキー戦にして通ぶろう、なんて人は
もうどこにもいないんだし。
おれ本人は日大講堂のブリスコNWA挑戦試合だな。
インタタッグも候補だ。なんにせよ、黒シューズ時代だわ。
赤や青にしてから、がむしゃらさが消えてよろしくない。
鶴田場合、武呂出 相性良。
鶴田 反戦、相性悪、否噛合。
天龍場合、反戦 相性良。
>>309
日本人は叩き上げが好きだからな
でも百田に負けてもどうかと思うけどな
馬場と組んだ時は八割動く役やったり苦労はあったと思うけどね >>397
ブロディなら84年9月の大阪でのインター戦かな 鶴田の若手時代の同世代ライバル対決と言えばドクなんだろうけど
2歳上で日韓対決の図式だから同世代ライバル対決には見られなかったのか
ドクは鶴田のUN挑戦が決まっていたのに初来日のブロディに完敗のフォール負けブックはどうなんだろう。
その後もブロディには完敗するし金の他にこういう扱いも全日離れる遠因になっているのかも。
移籍した新日でもハンセンに一切セルしてもらえず5分ぐらいでフォール負けするけど。
ブロディは馬場にもタッグでフォール勝ちしてそのシリーズで馬場にフォール負けは返さなかったし
馬場はポストブッチャーにブロディでも考えていたのだろうか。
その割には次の来日は1年後だしポストブッチャーになったのはもっと後だが。
79〜80の間だったら全日に再来日の前に猪木に卍でギブ負けする可能性だってあったと思うが。
昔のファンが選ぶ。。の番組だと天龍戦が2位でAWA世界戦とマスカラス戦が入ってたね
鶴田のベストバウト候補といえば
衝撃の本格デビューインタータッグ戦、馬場との初師弟対決。ラッシャーとのシングル対決、ビデオに残ってるラッシャーのベストバウト候補かも。
ドリー、ブリスコ、ロビンソン、レイス達とのシングル。レイスとのUN攻防戦はフィニッシュが二戦とも秀逸。
日韓師弟コンビコンビ対決、キム・ドクとのUN戦、天龍との初シングル。
ブロディへのインター挑戦、取れなくてイライラしたのも今や全てが懐かしい。
AWA奪取、ブリッジの効いたバックドロップは大型の鶴田が使うと見栄えが最高。防衛戦のニックのアグレッシブな攻めも素晴らしい。
ニックを見直したファンも多いんじゃないかな。レスラー間でのニックの評価が高いのも納得。
ジャパン勢とのタッグ戦、長州斎藤組、長州谷津組との対決は4人共素晴らしい。
天龍革命後天龍とのシングル連戦、龍原砲とのタッグもなかなか。一番大きいのに一番速く高い。
ブロディ復帰インター攻防戦、誰とも合わない合わせないブロディと何故か合うのが普段塩の鶴田。
天龍離脱後三沢達超世代軍との一連の試合。鶴田が客に媚びたとも言えるがファンがずっと見たかったのは鶴田強ェーだったのかと不思議な気分。
あまり話題にならないけどデビアスとの試合なんかは外れは無かった。
流は鶴田に悪意ありすぎで過去を歪めて伝えようとしている卑劣かつ卑怯者。
鶴田、天龍対エリック兄弟の試合でドロップキック一発でフォール取ってたのは凄かったな…
俺は怪物時代の鶴田だな
長州が自分が全日参戦してた頃あの攻めやられたらきつかったと言ってた
プロレスラーは怪物のイメージ外そうとした鶴田こそが怪物だったという
鶴田対エリックも良かった
ケビンかケリーか忘れたがそのレスラーの日本ベストバウトだと思う
鶴田 対 長州、普通試合。
天龍戦、以後、三沢等、鶴田 怪物状態也。
超世代軍 鶴田相手、子供状態。
鶴田 反戦 語出 宇井利亜蒸、大型相手、三沢 川田、大変。
>>401
俺もそう思う。最後はいつもの全日の光景だったけど、あまり間合いを置く事なくガンガン
技を出し合ってお互いキッチリ技を受ける
迫力のあるいい試合だった。
ブロディはともかく、日本人ヘビー級
レスラーで攻守共にあれだけハイレベルな
動きが出来るレスラーはちょっといない。 >>404
デビアスについては83年3月の市原でのUN戦を馬場が絶賛してたな >>398
流が本当にモロウスキー戦が一番良かったと思って選んだんなら構わんよ。
皮肉の意味合いが込められてる公算が高いから、意地がわるいと言ってるんだよ。
通うぶって俺も???
何言ってるかさっぱりわからん。
そんなもんどうでもええわ。
他人の書き込みの意味がわからないなら、
首を突っ込むな。 >>326
天龍、三沢、木村、ドク辺りはそう思う。 モロウスキーはともかく、天龍のベストバウトは流に同意
僅差で次点はサベージ戦
>>404
鶴田vsデビアスは毎回ハイレベルな攻防で好勝負だったが、フィニッシュは決まってデビアスが足四の字に行こうとして
首固めかスクールボーイ(市原での一戦)で丸め込まれるお約束のパターンだったな。
デビアスは鶴田戦に限らず、日本でのピン負けはこのパターンばっかりだけど。 >>396
「デビュー戦以外、鶴田の試合をまともに見てません」て自白でもあるね。
流が「解説?」つけたロビンソンvsラッシャー戦、後講釈が凄まじいw
あんな感じでジャンボの試合を語られたくないからよかったと思う。 しかも、鶴藤長天なのに鶴田を最後にしてるな
オチのつもりでもあるのだろう
>>402
馬場はブロディを初来日の後、すぐに呼びたかったと思うよ。ただ本人の薬抜き?の激やせ問題やスケジュール調整で、すぐには呼べなかった。 >>414
デビアスこそが善戦マンなんだよね。
天龍とのUN初防衛戦以外大物相手の
金星が思いつかない。
チャンカーには1年おきに参加してたから
比較的外人との戦いも多いんだけど
タッグでさえも金星がない。
後、85年ブロディ離脱直後にハンセンと
試験的にタッグを組み始めた際、
いきなり馬場鶴田組にピンフォール負け
してるのが全く意味不明。
これから売り出す時期なのに。 国際のエース外人だったストンパーとスミルノフにさえピン勝ち出来ず反則絡み
ロビンソンにも負けを拒否されて不戦勝という嫌な勝たされかた…
それでいて馬場とブロディには完全負けさせられて
モロウスキー戦の評価が高いことがそんなにおかしいかな?
新しいスターが誕生したという意味での評価じゃないのかね?
馬場の凱旋帰国のコワルスキー戦や
猪木の東プロ旗揚げでのバレンタイン戦や
タイガーマスクのデビュー戦での
インパクトを高く評価してる人が居るのと同じ感覚だと思う
モロウスキーって、ジアベンジャーだったっけ?それとも別の人?
>>421
ジアベンジャーは馬場にリングアウト勝ちしてたね… 鶴田のデビュー戦の評価はさておいて
全日と新日の後継者作り?という点ではずっと馬場がリードしてた?
全日は早くから鶴田をメインに(これは賛否もあるが)使って、二枚看板
片や新日は猪木・坂口・小林の三枚の大駒が初期を支え
昭和50年代の半ばに藤波が出てきた、ただしジュニアなんで猪木の後継者としては?
結局は57年の長州、58年の前田、このあたりでやっと猪木の後継者の台頭が目立ってきたという感じ?
まあ、全日がリードという言い方はおかしいけど、新日は何だかんだでずっと猪木の1枚看板だよね?
>>423
馬場と猪木のリング上のエースとしての衰えの時期が相当違うし
鶴田の場合、むしろ近い将来のエース・後継者になることは
最初から既定路線・大前提でむしろだからこそ入団したともいえるわけで
そこは育成云々の比較評価っていうにはちょっと無理があるかと 馬場には正室の長男がいて顔と性質以外はとても見所があった。
猪木には側室の子ばっかりいた……ってところじゃないかな。
>>420
お前の言ってる一連の試合に相当するのが、
鶴田の場合はインタータッグ戦だ。
モロウスキー戦はデビュー戦と言っても、
今では話題にすらのぼらない。
あえてその地味なデビュー戦を挙げるところに、
鶴田を貶める意図を感じると言っている。
やたら流の肩を持つのは勝手だが。
もう少しマシなこと言え。 >>427
業界でのステイタスは高い=一般社会では低いw
まずは地方公務員法違反から議論を。 >>412
あと重要なのが浜口
浜口のレスラーとしての一番の充実期が新日本時代なのは間違いないが結局はその後の鶴田戦がベストバウトとなってるのが興味深い 個人的にはプロレス記者は菊池門馬竹内以外はリスペクト出来ないかな(新日本ファンだと櫻井さん?)
試合を見ずに妄想だけで記事を書くターザン宍倉ファイト編集長なんか論外
ながれはリスペクト出来ない中では比較的上レベル、だから興味なしw
>>427
お前本人だろ?
披露宴のテーブルがステイタスって。
もう少し他に自慢できることはないんかい。 長州の日本デビュー戦はスタン・スタージャックだっけ
あの試合は酷くて、また海外遠征に出されたんだっけ
せっかくオリンピックアマレス代表という肩書でスカウトしたのに
しょっぱ過ぎて使い物にならなかったとか
天龍の国内デビューも大事を取って馬場とのタッグマッチだったけど
見よう見まねのローリングクレイドルしか印象にない
>>433
しょっぱい試合でデビューして、そこから這い上がったレスラーと、
目を見張る凄いデビュー戦をやったが、生涯そこから上がれなかったレスラー
と流が言っている 新日創成期は若手のカール・ゴッチ杯があったが、
なぜ全日はドリー・ファンク・ジュニア杯とかやらなかったのか?
全日はルー・テーズ杯があったけど、新人でも若手でもない
百田兄弟を出した意図がいまだに判らない
全日はとにかく若い目を潰したがる
百田兄の試合が見たいんだよ
ジョー樋口とミスター林の現役レスラー時代も
>>436
創生期にやるならドリー・ファンク・シニア杯だろうな。
馬場は全日本旗揚げにシニアに世話になっているから。
でも若手のための大会でシニア杯はなんかヘンw 長州はデビュー戦サソリで勝ってるんだよね。
オリジナルホールドでデビュー戦勝利したレスラーは当時珍しかったろうな。
>>440
>でも若手のための大会でシニア杯はなんかヘン
土曜日に放送してた「フレッシュファイト」で
大熊や小鹿や羽田の試合を放送してたのに比べれば全然問題ないと思うw >>438
星の調整に決まってるだろ。
国際から移ってきたアポロは
越中に勝ち、三沢と引き分けの扱いだったが、
百田兄弟に負けて、決勝に行けず。 >>440
アマリロ杯争奪
優勝者にはアマリロ行き片道チケット
アマリロの広大なファンクス牧場での牛の餌やり、
糞始末などの野良仕事で強靭な体力と精神力を養い
技を受けた時にピクピクする技術を得て帰国。
凱旋帰国第1戦で百田の腰砕けバックドロップでフォール負け。 ルーテーズは鶴田にバックドロップを伝授したから神格化されてるが、それ以外は最強タッグのレフェリー時にTシャツを脱ぐのに時間がかかってた記憶しかない
>>443
試合後の乱闘とかでハンセンやシンに蹴散らされるセコンドが
越中や三沢や後藤ではなく大熊や小鹿や羽田でも
倉持さんは「若手がやられました」だからなw >>446
猪木とNWF戦をやった時、「テーズは少しも老いぼれていなかったのに
ビックリした」と興奮の体で絶賛していた田津浜さんが、この頃前座で
越中らとエキシビションを見せていたテーズをコラムで「老醜をさらして
昔日の面影なし」と罵倒していたからな >>447
その試合後のハンセンのラリアット。
越中も三沢も菅原も後藤も川田も
食らったシーンを覚えているけど
冬木だけは覚えがないんだよなあ。
本人も言ってたけど、要領良く上手い
ポジションにいたんだろうな。
セブンでさえ食らったのに。 渕はテーズを絶賛してたね。客に見せられるグラウンドテクニックを一杯もってるって
82年最強タッグ最終戦では、メインレフェリーの樋口が失神してサブレフェリーのテーズがハンセン組の反則負けを宣告したんだよね。
解説の山田は「テーズの判定なら仕方ないですね」とか不満げだったけど。なら初めからテーズをメインにしとけばいいのに、と当時は思ったけど。
>>450
お前が覚えてないだけだろ。
勝手に話を進めないように。
思い込みが激しいって言われないか? 有名な人がレフェリーをやるとその人が必ず試合に絡んでくる、ってあるあるだよな
ハンセンが試合後にレフリーを努めていたミスター林めがけ八つ当たりラリアット!
頭からリング下に落っこちた林は間違いなく即死したと思ったが意外と回復が早かった
テリーがレフェリーのAWA戦いも喜んでいいのか微妙だったわ
若手がノロノロとロープに振られて走るのが微妙だった。
あれあれ〜感というか。
>>452
シャツが破られて、胸毛が見えてたっけ?当時はインチキ臭いとも思わず、ハンセンもブロディも酷いなと思った。 普段の樋口のレフェリングよりも反則というかルールに厳格なんだよな。
ベテランで小さな違反なら見逃す樋口、テーズは新入りの警官みたいな。
そういうのが特別レフェリーの役目なんだと思ってた。
鶴田VSレイスでテーズがレフェリーの試合が
荒れて両者反則になった。
試合後のレイス「あの親父は頑固だからしゃーねーな」
>>461
冬木ハンセンのラリアット受けを転んで逃げた後さっと起きて
引き上げるハンセンの帯同役してるじゃんwww
てことは転んで逃げたのもブックだったのかwww 新日でシン上田がタッグ王者になって、負傷したストロング小林に
代わって猪木坂口の黄金タッグが復活して蔵前のメインで挑戦したが
「今になって猪木がタッグ王者に返り咲くのも無理があるなあ」と思わせる
タイミングの試合で、やっぱりテーズがレフェリーを務めて反則裁定で
王座移動なく、シン上田の防衛になってしまった
テーズがNWFに挑戦した時も、試合後フォールされたテーズが
「肩が上がってた!」と猛抗議したが、この時も特別レフェリーの
アントニオ・ロッカがつっぱねた
大物レフェリーは不透明決着の下ごしらえと思わないと
そもそも元レスラーが安易にタイトルマッチのレフェリーをやるのがどうなのかと
他の協議ではちょっとないのでは
>>467
他の競技はプロレスじゃないからだろ?
他の競技にブックがあったりするのか? >>445
技を受けたときに体をピクピクさせるのはテリー・ファンクが
「体をピクピクさせればダメージが早く回復するからやってみろ」と半分冗談で指導したのがきっかけ。
教わった鶴田も半信半疑だったが「テリーさんが言うならそうなんだろうなあ」ということで
テリーも今更あれは冗談だったとは言えなくなって体をピクピクさせているうちに癖が身についてしまった。 >>464
東京体育館でのUN戦か
実は東京体育館での唯一のUN戦
そういえば問題のレフェリーストップの猪木vs藤波も東京体育館だったな 東体での猪木藤波何日か前のタッグマッチでもテーズはレフリーやってるね
>>471
ドームの猪木坂口vs橋本蝶野の3カウントが超高速だった 所属レフリー以外で
馬場と猪木の試合を両方裁いたのはテーズと服部だけ?
猪木藤波戦では猪木が卍固めで終わらせようとしているのに
いつまで経ってもテーズが止めてくれないので
「いい加減にストップしろ!」
と英語で怒鳴っていたというね(ビデオで確認とかしてないけど)
この試合も「藤波はギブアップしていないけれどレフェリーの
テーズが一方的にストップした」という役どころだった
とはいえあの試合の猪木は三度続けて卍をかけ、一回目は
投げで返され、二回目はロープに逃げられ、三度目に時間を
かけてレフェリーが止めるという、綺麗な流れになっていた
テーズもクラシカルな試合に大満足してインタビューで掲載
ページ数まで確認して絶賛していたな
>>475
そりゃ、レッドシューズドゥーガンもだろう。 >>466
>大物レフェリーは不透明決着の下ごしらえと思わないと
シンと上田のシングルの時のレフェリー猪木なんてのはケツが見えたもんね。
もしハンセン×ブロディが実現していて樋口以外の特別レフェリーが裁くとしたら誰かな。 >>478
天龍がレフェリーやって2人にぶっ飛ばされてコンビ復活がいいのでは ? >>464
両者反則じゃなく両者レフェリーストップだね。鶴田の流血は凄かったけど、レイスはそれほどじゃなかったんだよな。 >>450
>セブンでさえ食らったのに。
試合ならともかく、ヒーローが試合後の雑魚キャラに成り下がるのはどうなんだ…?
あと、セコンド時のマスクの適当な被り方…ヒモを結んでなくて無防備というか何というか…
あれじゃお客さんをかき分けるセコンド役の入場時に手を出されたらスポッ!とマスク獲られちゃうぞ
ヒーロー役、というかマスクマンとしての危機意識が薄かったんでないかい? ドリーなんかレフェリーにピッタリだけど試合結果に関係するような役割を担うとすればもっさりして良くないんだろうな
そんな遠巻きに眺めていてレフェリーが務まるのかと疑問を呈してみたり >>482
全然無かったと思う。
府立での馬場対上田戦の時は上田の入場時、
寄り添ってファンの妨害を受けないよう帯同してたからね。
竹山アナからは「上田、セブンを引き連れて入場です。」とはっきり言われてた。 >>482
あんなんだったら高杉に戻ってセコンドやってたほうがナンボかいいよな
「セブン?知りませんねえ・・・」って顔してさ
>>484
昭和全日のレフェリー(特にジョー樋口)ってめちゃくちゃカラフルだったよな
赤青黒水色緑オレンジえんじ色などなど・・・
胸元のNWAマークもいつごろなくなったんだろうな
三冠統一したぐらいのころはもう全日のロゴマークだったかな >>486
>「セブン?知りませんねえ・・・」って顔してさ
うろ覚えだが、セブン誕生時に高杉以外の者にマスク被せて
セブン→高杉× という演出をやったんだっけ?
そこまで綿密?な仕掛けでデビューさせたんだから、もっと色んな意味でセブンのキャラを大事にしてほしかった
円谷プロとウルトラマンに夢を見た世代に失礼すぎる。
特にウルトラセブンは自分の世代じゃなく、生まれてもいないけど
再放送で何度も放送されてるから、幼少時のヒーローという点では変わらない。 大仁田と一緒に映ってたやつかな?
しばらく前に貼ってくれた人がいたな
ここのスレかどうかは忘れたけど
>>488
ウルトラセブンはテーマ曲無かったよな?
その時点で全日がどういう扱い考えていたのか分かるw
ちなみに新日に来たウルトラマンは「ウルトラマンの歌」が掛かった >>483
ドリーはIGFでレフェリーやって、笛吹いて失笑されてなかったか? 三沢タイガーがセブンみたくセコンドで誘導したことある?
ドラゴン対小林の試合で観たことあるくらいかな?
去年もこのスレでその話あったけど>>450はセブンじゃなくてマジックドラゴンだろう >>490
そうだっけ?
そういえばセブンのテーマって思い出せないな
なんか中途半端だな、売り出すつもりなら曲の版権許可も得て徹底的にやればいいのに
まあ、渕もトップガンが有名だがチャンプになってもテーマなかったし、そういう時代かもだが >>488
>その時点で全日がどういう扱い考えていたのか分かるw
そりゃ中の人は高杉だからな
さえない中堅がマスク被るだけで格が上がるんじゃ
後に続くレスラーが続出して統率が取れなくなる >>496
ユセフ・トルコ「佐山、オマエはタイガーマスクを被るからメインに出れるのであって、
マスクを被らなければ15分1本勝負の男だからな」 ウルトラセブンのベストバウトはチャボ・ゲレロ戦だったと言われている
ちなみにワーストバウトは大仁田戦、つまりはそう言う事だ
全日本に売り出す気があれば、エレキングとかキングジョーとか登場させたのだろうか
ウルトラセブンを渕がやってたら大仁田と好勝負したのかな…
>>499
ないでしょ
松根社長から「セブンはもう古いよ、キン肉マンをやりなさい」と言われて企画書も渡されていたぐらいだし アポロ菅原は一応マッチョ系統だったんだがな、実際にはそんなマッチョじゃなかった
>>503
新日は平田をキン肉マンにしようとしてたんだっけ?
まあ3枚目キャラだしね。
全日で一番キン肉マン向きだったのって
ちょっと後だけどトム・マギーあたりかな? 弛んだスグルなら泉田が、ボケ顔からして似合いそうやな
WAR以降に冬木が筋肉バスターをやってたが若手時代に抜擢したらやってたかも
川田のムーンサルトアタックは危険度が高い割には目立たなくて勿体なかったわ、キン肉マンとしてムーンサルトプレスに切り替えたらブレイクしたかも
キン肉マンはプオタにしかウケないだろ
と思ってたが大人気になったから以外だった。
一般人でテリーマンがテリーファンクという実在プロレスラーとか
バッファローマンがブロディだとか知らないで流行ってたんだろな。
>>510
>キン肉マンはプオタにしかウケないだろ
でも逆の例もあるんじゃない?キン肉マン→プロレスファンになるパターン
自分もガキの頃に「ネプチューンマンは実在のモデルいる」と友達から教えられて
ホーガンを知ったり、コミックスの初期も読んで、どんどんプロレスに興味をもった
リアルタイムではないけど、スカイマン→マスカラス ロビンマスク→ロビンソン?とかね。
、 テリーマンはキャラ的にテリーじゃなくてドリーだったよな。
話がコアになって悪いけど
ロビンマスクの「タワーブリッジ」ってアルゼンチンバックブリーカーだと思うけど
ネーミングセンスがいいよね、アルゼンチンよりカッコいい
あとブロッケンJRの地獄突き?の連発みたいなやつ
「ベルリンの赤い雨」だったかな?
ゆでたまごはセンスいいわ、売れたのもわかる
タワー・ブリッジ、ベルリンの赤い雨、テキサス・
コンドルキック、パロ・スペシャル(ツンドラの
墓石)、永久凍土落とし、九龍城落地など、
正義超人の得意技は、その出身国と関連づけられ
ているネーミングのものが印象的だな
宮迫博之の件なんですが…宮迫博之は昨日付けで吉本興業を解雇しました。
まぁ生活態度というのがねぇ、やっぱり。
そういうことが会社なりまた今後、非常に多くの人たちに迷惑がかかるようなことをやりかねない。
いい芸人ではあったけれども…
>>512
でも初期の超人オリンピック、ロビン戦でみせたヒールっぷりはテリーそのものだと思う
>>515
ああなるほど、たしかにそうだね
あと、テリーマン使用のカーフ・ブランディング、実在の形はブルドッキング・ヘッドロックなんだけど
そのネーミングだと、実形はマードックの子牛の焼印圧しになるから紛らわしかったね
ファンクスの人気爆発のきっかけは、間違いなくオープンタッグなんだけど
人気持続に貢献したのはテリーマンの存在も多少はあったかもしれないね
あの当時の子供にとってのプロレスの情報量はテレビと月1の雑誌と、週刊漫画ぐらいしかなかったし、東スポは子供では見なかったし。
その中で週刊ジャンプのウエートはかなり大きい、ただ「リングにかけろ」では自分はボクシングファンにはならなかったけど。 >>517
月2じゃないの?
月刊プロレスとデラプロ
ゴングと別冊ゴング 俺もテリーマンからテリーファンクを知った口だわ。そんなにファンじゃなかったけど全日本一筋だった理由の何パーセントかにはなってるかも
>>517
リングにかけろで
ボクシングの「モスキート級」階級を知った。 >>518
ああそうか、たしかに。
値段高いから立ち読みオンリーな上に、全部が揃ってる本屋ではなかったんで…。
>>519-520
あとは毎週のように楽しみだったのは「リッキー台風」かな。
全日のリッキーが同時期だったし、モチーフだと思うんだけど…
その中で「聖マッスル」?なるスーパーマン的な最強レスラーのモデルはあったんだろうか?
「リンかけ」は現実感が薄くてちょっと感情移入しにくかった、ボクシングなら「がんばれ元気」の方が読み込んでた。 三沢タイガー、川田キン肉マンコンビで売り出していたら面白かったかもな。
タイガー2号じゃ面白くない
いとしのボッチャーからファンになった人はいなさそうだ
>>524
こんなのあったんだ。
80年2月だから倒産1年半前の国際プロレスと変わらなかったのか? >>524
カマタは馬場からピン取ってたんだな
しかし3本目の馬場のデッドリードライブからピンはいただけないなw
カマタを起こして十六文で決めるべきだろw リッキー台風のリッキー大和は全日留学生
キザなライバルのナルシス・シュトラウス(ゴッチの弟子)は
新日留学生で最終的にはリッキーに負ける
進んでいくうちにリッキーとテリー・ブロンコの2人主人公みたいになって行く
なぜかジャンプのプロレス漫画は全日寄りだった
オレの記憶が正しければだけど
沖縄はテリー引退試合の直前くらいにテレビマッチやってたよね?
あれもかなりガラガラだったと思ったが…
倉持さんが「いつも熱狂的なテリーコールに包まれますが、今日だけは一休みですねえ」
そんなような表現の実況をするぐらいシーンとしてガラガラだったはず。
>>524
カマタが額をセルフカットしてるのが丸わかりで当時の雑誌投稿欄に
「流血を演出している」と書かれてたな。 沖縄って日本テレビの系列ないから全日本プロレス中継は放送されてないんじゃない?
キン肉マンはギャグ漫画でありながら、初期の頃はけっこう残酷な描写があったよね。
ビューティー・ローデスは特に悲惨だった。試合で顔面の皮をはがされたり、ガソリンかけられて火をつけられる場面とか。
後者は、先日の京アニ事件を考えるとただ事じゃないな。
キン肉マンの新日系レスラー下げは露骨だったけど
(ハルク・ドーガンなんてあんな扱いしてよくまあ後に…)
リッキー台風の全日テイストも香ばしかったなあ
ゴッチの弟子が使うスープレックスがファンクス式の
投げ方だったり、見せ技を乱舞させたりもさることながら
レフェリーのカウントがもろにジョー樋口で、同じ時期の
12の三四郎が3カウントを描くのに
1コマ目 レスラーがフォールに入りレフェリーが1カウント
2コマ目 2、3カウントを入れ試合終了
だったのに対し、リッキーのカウントは
1コマ目 レスラーがフォールに入り「フォール!」と叫ぶ
2コマ目 レフェリー、ハッと気づく表情
3コマ目 レフェリー、タタタと駆け寄る
4コマ目 レフェリー、肩が付いているのを視認
5コマ目 「ワン!」レフェリーが1カウント
6コマ目 抑えられているレスラーの表情
7コマ目 「ツー!」レフェリーが2カウント
8コマ目 「スリ…」レフェリーが腕を上げる
9コマ目 抑え込まれていたレスラーが返す
という感じだったからなあ(うろ覚え)
>>534
でもまぁ流石に100人はいるんじゃないの?
二階にもいくらか人いるし。
原失踪の原因となった長崎大会も
こんな感じだったね。 >>537
長崎大会の方は場内が真っ暗だったから、そんなに目立たなかったような?
TV中継にしてはやたら暗い気もしたけど、観客ほぼ不在だったのは雑誌で事情を知るまでは気が付かなかった
でも蔵前や両国のようなスリ鉢の会場や
愛知県体育館や日本武道館、小さめだと後楽園ホールの北側みたいなセットバックを作る会場などは
いっぱい入ると見てるだけで熱気を感じるけど、不入りだとやたら空席が目に付くデメリットもあるよね。 川田が超世代を抜けるときに言った「お客さんが50人とかの時代に戻りたくない」はこの時代か
>>539
80年2月は川田はまだ入団してないだろ >>539
川田は1982年の入団、世間的にはプロレスブームの真っ盛り
全日もハンセンが来た年でもあるし、上げ潮ムード
それでも50人とかの興行とかあったんだな、やはり地方かな? >>524
ドスカラスのリングインの仕方がいつもと違うな
普段は背を向けてロープを逆回転して着地するのに >>541
82年のカーニバル、地方大会は客入り悪い。
ハンセン不在でブロディ、ロビンソンでは客集まらない。 >>544
岩手の千厩町体育館の観衆1000人って実数100人くらいだったのかな… >>541
88、89年は東京は盛り上がってたけど
地方は厳しかったんじゃないかなぁ。
マッチメイクも行き詰まって、外人は
新鮮なのが来なくなるし。
俺が見に行った88年の最強タッグは最前列と2列目が埋まっていなかった。
客が座っているのが8列目くらいまでだった。 88年の最強タッグ、「最終戦の武道館が良く入った」って度々このスレで回想されてたけど
そこまでのポジティブ要素がある大会だったかな?
開幕いきなりで原は解雇され、天龍・川田組という地方大会のカード編成みたいなタッグ
ブロディショックの余韻がまだまだ冷めない時期
ブッチャー・シン組も今さら感
タイガー・スヌーカ組は新鮮味はあるが、どう見ても持続性は無いし
ハンセン・ゴディも結成1年経過で、まあ安定感はある
それでも前年の最強タッグのインパクトに比べて疲弊感メンバーなのは否めない
そんな感じでノレない気分の思い出しかない、そこまで何が魅力を感じる大会だったんだろう?
天龍革命や四天王の頃は地方が散々だったからな。
特に四天王末期の90年代終盤は全日にテレビがついてから
最低の客入りなんじゃないか?
逆に東京は全日史上最高だったけど。
>>548
確かに参加メンバーに無理矢理感があったが、
武道館のメインが名勝負になったからな。
天龍の負けっぷりの良さで。 88年春にテレビが土曜19時から日曜22時半に代わった影響と思ってる。首都圏では後に電波少年をやる時間帯になったことで逆に若者の視聴が増える現象が起きたが、
地方は不定期放送だったり毎週放送しても一週遅れで火曜深夜2時とかメチャクチャだった。
>>538
伝説の長崎大会はテレビ局や体育館サイドの協力を得てなんとかテレビ収録のカタチにしたそうだけど、この沖縄大会の不入りの原因は何だったんだろうか?
テレビ中継されてない土地でテレビ収録することは考え難いし、自主興行なら招待券ばらまいてでも見栄えよくするだろうし。
売り興行で何かトラブルがあったか、ただ人気が無かっただけなのか。 >>553
>>554の熱戦譜を見れば分かるけど沖縄で4連戦もやれば客は分散してこうなるのも
仕方ないんじゃないの?
528のテリーさよならシリーズの沖縄も確か2連戦だったはず 四天王時代も日テレは視聴率取りたいから他団体交流や一本花道の導入を提案したけど
馬場はテレビ局からの経営介入と聞き入れず、日テレ主導のノア旗揚げに繋がっていく
>>554
沖縄の試合はプロモーターへの売り興行だったのでは?
少なくても手打ち興行とは考えられない。
沖縄テレビの依頼だったかもね。
また、飛行機で沖縄に行き1試合なんて
経費の合わない事はしないだろ。 長崎大会、天龍とヘイズのタイトル戦だったと思うけどテレビで見た覚えがないんだよなぁ。珍しく見逃した時だったのか
>>548
鶴田と谷津にも触れてあげてw
あの武道館最後のラリアットはラリアットベスト10に入れてもいい決まり具合だった >>558
沖縄
那覇
名護
伊江村
名瀬
九州
という行程 みちのくプロレスみたいだな、岩手県だけで何カ所も移動
マードックとカマタがエースだから集客が酷かったんじゃなくて
他方から客が遠征できそうにない沖縄で四連戦もやったからだったのか
昔はドスカラスまで貶しの対象になったなぁ、やはり弟は兄に敵わないとか
馬場と並んで大きいホモ・サピエンスがどれだけいるんだ
>>558
健吾のデビュー戦は喜界島の中学校庭だが、喜界島第一中、第二中と行程組んだのか? 土曜7時台に放送してた頃で唯一ゴールデンでやってなかった県は沖縄か?
80〜81年ごろ沖縄の他にも悲惨な客入りのテレビ中継があったと記憶してるんだけど、当時子供ながらに悲しくなって試合がまったく入ってこなかった。
前2〜3列くらいしか客がいなくて会場は真っ暗にしていたけど場外乱闘の際に客の少なさに驚いた。覚えている人いますか?
カマタがエアデッドリードライヴで負けたPWF戦のあった大会かなw
1981年チャンピオンカーニバル広島大会のガラガラの入りも印象的やな
そろそろ不入りに慣れ始めていた馬場も
ブッチャー対ブロディというシリーズの目玉カードであの入りはショックだったとか
一方、馬場対ブリスコ、鶴田対ブロディを組んだるシリーズ後半の秋田は
前々年のカーニバルで決勝戦や前年のレイス対戸口のNWA戦で広い県立体育館を使って
いまひとつの集客
特に後者がガラガラだったので警戒して狭い市立体育館を使ったら超満員の大盛況
逆なら儲かったのにw
まあいくらNWA戦でも戸口じゃな
>>548
スパイビー、エース組が次代のエース外人としてクローズアップされたな
まあ見事にこけたがw
エースは中堅扱いを我慢して全日に居続けた結果三冠戦までこぎつけたが
一方やはり次代のエース候補だったスレーターと元NWA王者リッチの無得点は悲惨
さすがに負けは全部リッチでスレーターは無傷ではあったけど 地方に客が入らない理由を小鹿が「東京でばかりタイトルマッチやるからだ」と言ってて、馬場はその進言通り地方で夢の対決を乱発してたがそれが失敗の理由だと思うわ
>>569
少しでも盛り上げようと場外乱闘したんだろうけど、テレビ中継があるので世間にガラガラがバレて逆効果というw 後楽園でタイトルマッチをやっても客が入らない81年頃は本当にやばかったのだろうな。
>>538
改めて意識して見たら、場外乱闘追うときでも埋まってないエリアは映らないようにしてたね。絶妙なカメラスイッチングだと思った。 馬場、鶴田対ロビンソン、天龍の後楽園もガラガラっぽかったね…発表1500人だったし
やはりブロディ絡みの試合はガラガラの
会場がすぐ浮かんでくる。
81年広島のブッチャー戦
81年愛知の馬場戦
82年大阪の鶴田戦
88年大阪の天龍戦
88年川崎の天龍原戦。
>>557
カマタのセルフカットもあんな丸見えだとなんだか興ざめだな。
ずらり並んだ空席のパイプ椅子がまた寒々と言うか。。
このシリーズのカマタのPWF挑戦は元王者ってだけの忖度?的なカードで
翌年の81年エキサイトも馬場シンパのコックスが今更ながらのPWF王座に挑んでたな。。 >>582
カマタはまだ当時は単独エースとしての商品価値はあったと思うけどな。ブッチャー以外の大物ヒールと言えばシークだけど、そうそう呼べなかった状況だし。ニューウェーブとしてのブロディはまだ地方での知名度はないし。
それから、コックスは当時、久しぶりの来日でm、「今更」どころか、オールドファンには狂喜だったんじゃないかな。実際のタイトルマッチも51歳という年齢の割に好試合だったし。
>>572
同じ年にシンVSハンセンで愛知県体育館が超満員になったのと対照的だな。
新日の名古屋はカードの魅力で入るというわけじゃないけど。 >>576
3000試合突破記念
馬場vsガニアのWタイトルマッチはさすがに超満員だったんでしょ?
これだけ冠がついて、後楽園すら埋まらなきゃ話にならんか… 70年代後半から80年代前半の全日の客入りは今のインディ並みだった。
国際から全日に移籍したジプシー・ジョー「うん、客が入ってる」
新日から全日に移籍したチャボ・ゲレロ「何だこの客入りは!?」
全日は豪華外人のギャラを日テレが出していたから潰れなかった。
新日エースは猪木で全日エースは外人のテリーだったのも問題だった。
テリーは全シリーズ出場できないので、鶴田を完全エースにするべきだったが、
まだトップにいた馬場が、それを許さず、結局、馬場は鶴田に1度も取らせなかった。
>>583
あれはコックスサヨナラシリーズとでも
言うべき引退への花道だね。
全日本に尽くしてくれたお礼。
コックスってシリーズ毎に覆面被ってみたり、
その都度違うバージョンの凶器攻撃や
反則攻撃に固執したりで、細かいテーマを
持ち込むのが得意だった。
馬場はそういう発想があまり浮かばないから
コックスを重宝した。
マードックは組まれた試合をひたすらやるだけだからね。ここらへんプロ意識の差。 >>586
そのジョーとチャボのエピソードはよく聞くけど、どこが出元? >>585-586
コックスがその最後の来日から帰国する際、空港で偶然あったテリーが
「日本は猪木のところが凄い人気で馬場のところはもう駄目だ」と聞かされて
「そうはいくかい。俺が全日本を盛り上げてやる」と発奮し、実際そうなった
外人もやっぱりプロ意識のある選手の方がファンに支持されるね コックスは日プロ時代から使い勝手のいい優良外人だよ
ひとシリーズ丸ごと長期で来てくれて
そのうえ最後にエースを引き立ててきっちり負けてくれる
馬場、猪木相手に実にいい仕事をしてる
今考えるとコックスを鶴田のライバルにしても
違う面を引き出せて面白かったかもしれない
>>589
ブッカーであるファンクスが全日の動員の実情をコックスから聞かされて、というのがどういう事なの?
テリーならとっくに新日との差なんて知ってるのがデフォだと思うんだけど…
それとも存知であるが、改めてそれを強調されて余計に発奮したという意味ならわかるんだけど。
あと、単純にファンクスは動員力があるから自分の参加してないシリーズの惨状を目の当たりにしてない、とかあるのかね? >>590
>ひとシリーズ丸ごと長期で来てくれて最後にエースを引き立ててきっちり負けてくれる
上記の評は自分的には新日時代のマードックがそんな印象を持っていた
年齢的にコックスの頃はあまり知らないけど、マードックは猪木と何度もやって結末はいつも見えてるんだけど
毎回面白く見れたし、格もそんなに低くならず常にエース外人の次のサブポジションぐらいな印象 日プロの頃とか全日でも初期の頃は
沖縄にいくと奥武山体育館でニ連戦が組まれていた。
実数やキャパはしらないが両日とも6500人とかの発表されていたよ。
はぁ沖縄は米基地があるしアメリカ人がプロレスが観るんだろう、なんて解釈していた。
ブロディは、あの怪奇ギミックが日本に合わなかった気がする。
ブッチャーも怪奇なんだけど、体型がマッチしてたし。
鉄人キャラとかなんとかならんかったのか。
ブロディは試合が単調だからその意味では合ったスタイルだけどな。。
初来日からしばらくは本番リーグと関わりのない通常シリーズでの参戦、また王座戦も
争奪に絡むまでは踏み込めなかった。まあとにかく次期エース候補ではあったが、正直ただただ
暴れてるだけの印象が強かったな。81年秋以降でスヌーカ、さらにハンセンと言う相棒が出来て
ようやく本調子になった。タイミング的にはブッチャーと入れ替わりなんだろうかね。
>>591
団体発表の観客動員見ても、このエキサイト
シリーズは1000人台を連発。
東北、北海道の郡部中心で入りの悪いシリーズだった。
コックスはゴールデン放送時のそこそこ
地方でも入っていたシリーズを知っている
から、それと比較して「どうも全日はヤバ
そうだぞ!」と思ったんじゃない?
俺が上に書いたけど、コックスはどう見ても
このシリーズが最期の来日だからあまり
馬場に気を使う必要がなかったかも。
むしろこれから直接的な付き合いがあるかも
知れないテリーには実際に感じた事を打ち明けたのでは? >>596
このシリーズの開幕戦見にいった…
レイスが参戦して豪華だったけど5戦程で帰国したため中盤から通好みの渋いメンバーだったね…後半戦特別参加も来ず… >>597
レイスを除いて、
マードック、コックス、ボブブラウン、ドスカラス、ツインデビルズ、マリオミラノだったな。
前半5戦はレイスの姿を前に出した街宣ポスター、それ以降はそのレイスの部分がマードックになってたはず。
別ゴン81年4月号だったかな?で、このシリーズの北海道巡業を特集してた。 >>596
なるほど、納得しました
ハンセン引き抜きの先導役が日テレ・馬場・ファンクスのどれなのか詳しく知らないけど
もしテリーが首謀者ならば、その心に火をつけたコックスは間接的にハンセン獲得の功労者って事になるね 俺は81年のエキサイトシリーズとスーパーアイドルシリーズが大好き!
世界のアイドルがやられますってとき
リング上で蹂躙されてるのはテリーか?
と目を凝らした覚えがある。
>>590
>今考えるとコックスを鶴田のライバルにしても
>違う面を引き出せて面白かったかもしれない
マスク被ってスピリットになった時点でデストの覆面十番勝負要員になっちゃったからな
鶴田との本格的な絡みは年齢差から言って厳しかったかも
>>596
589だが、適切な要約ありがとう。
コックスは馬場シンパの大物の一角だったけど、その馬場が猪木に押されているのに
大して力になれなかった自分が歯がゆくて、今後も全日に上がるテリーに率直な気持ちを伝えたのかもね 最近、たちのわるい猪木信者も来てるけど
70年代猪木スレはなくなったのかね?
あと坂口スレとか
今、レトロスレで機能してるのて
昭和全日スレとブロディスレくらい?
>>602
スレで話題になってるから1980年頃の中継を見てるけど初期のブロディは色々違うね。
緊張しながら必死で頑張ってる感じが出てる 猪木信者と言われるが、馬場信者と言われないのはなんでだろう。
一神教と多神教とかの違いだろうかね。
逆にファン側から猪木は社長とはあまり呼ばれないが、馬場は社長と敬称されるけどなw
猪木はもうヒエラルキーの頂点として自負してるだろうし、そういうのが宗教(それも新興)につながるのは否めない。
あとゴッチ「イズム」とかさ。馬場はまた違って力道山継承、NWA主流と言った伝統、権威主義で自分はその中の
一員に過ぎないというスタンスか。。
馬場は外人レスラー陣とのバランスがとれてたから
ファンクス絶頂期とか。
猪木一強に酔いしれる戦略との違いなのかな。
>>602
アーニーラッドと組んでインタータッグに挑戦したときも、ブロディのニードロップ→ラッドのボディプレスの連続技がフィニッシュだったからな。 >>594
あれだけプロレスファンに支持されたのに、
日本に合ってないとかアホやろ。
なんで定期的に不当にブロディを貶めようとするやつが出てくるんだろう。 馬場の経営は、アメリカの豪華外人をいっぱい呼べば客が入る
それだけだったからな
>>595
ただただ暴れてるだけの印象?
わけのわからんこと言うな。
それのなにがいかんのだ?
そんなこと言ったら、新日時代のハンセンの方がよっぽど暴れてるだけだったろ。 >>607
逆にレスラー側からすると猪木は社長(会長)と呼ばれてたが、馬場は社長と呼ばれることはあまりなかったイメージ。 全日系レトロスレの寿命、住人数はけっこー安定しているのに
新日系レトロスレは短命、乱立なのはなぜなんや??
>>606
馬場のファンは概ね4通り
@日プロ時代の馬場ファン→馬場の衰えに伴い概ね絶滅
A昭和全日の馬場ファン→クラスの中で一人いるかいないかぐらい少数派
B平成前後からの馬場さんファン
→ターザンと週プロに影響されまくった連中、全盛期なんて知らずに
「馬場さんのベストバウトはハンセン戦!」と言い張る傾向が強い
C単なる猪木嫌いであてつけで馬場を応援してる連中 >>610
608だが俺はブロディ支持者だよファンでもある。
だがあのヒール顔のポージングがブッチャー、ハンセン人気まで達するにはどうにも
違和感があるのだよ。
キンコングニーがイマイチ一般人にわかりにくい技のせいかもしれんが。 馬場のフリークス性に惹かれる
プロレスラーは怪物であるべき
>>618
ずっとBI砲の頃が馬場の全盛期だと思っていたが、全然違っていたな。
モノクロ時代の豊登、吉村と組んだ6人タッグは衝撃的な映像だった。
あんな試合をリアルタイムで見たら、客は熱狂するし猪木が絶望したのもわかる。 >>614
新日は、現在進行形で語られてるけど、
全日系は、過去しか語る事がないから。 >>613
大仁田ごチャボに勝った時、
「社長〜!」って叫んでたじゃん。
後、3000試合連続出場突破のインタビュー
の時は鶴田も小鹿も社長呼びだった。 >>619
あんな脚速いレスラー見たことないよ
キリンみたい というか、ここの人って現在進行形でプロレス見てるの?
俺は全く見てない
超世代とかnwoの辺りで止まってる
今のプロレスはたまに見る程度だが
いつ見ても一緒だな
2,3年前の映像見ても今との違いがよくわからん
>>616
BCは新日からの転向組がほとんどだから
結構被ってるだろ。 >>617
お前が苦手なだけだろ。
日本に合わなかったと決めつけんなよって言うてんねん。
ブロディのコピーがいっぱい出てきたことをどう考えとんねん。 >>621
あの段階ではすでに馬場は社長の座から降ろされて
実験の無い会長扱いだったんだっけ >>629
3000試合の時はまだ社長。
大仁田ジュニア奪取の時は会長に
棚上げされてた。 馬場、レイス、戸口らの試合をビデオに撮って、早送りで見ると新日のテンポだった。
>>611
アメリカの一流外人をいっぱい呼んで良い試合をすれば客も入るし視聴率も高い
これが公理に近いくらいの法則だな。
ただ全日期は馬場自身が良い試合が出来なくなっていた状態なのが……。 かといって鶴田を持ち上げれば自分の立場がなくなる恐れがあった
馬場がようやく安心して若手と共存できるようになったのはやはり平成以降か
楽しい昔話より欠点や新日本と比べた話の方がスレが伸びる矛盾。伸びるけど楽しくない
>>627
日本に合わなかったってのは訂正するよ。
超一流だが爆発的人気は出なかった。にしとく。 昭和期の全日本はまさに新日本との大激戦のイメージだからな
どちらかといえば全日本は応戦の側だったからどうしてもそんな感じになるか
1980年のガラガラの話題は微笑ましくて好きだけど
あの年の顔触れはなかなかにフレッシュで好きなんだがな
10月の横浜文体なんかは記録的な大入りだったみたいだし
アメプロは見るわ
正統派アメプロ→WWE
ジャパニーズスタイル→AEW
NWAスタイル直系→TNA
アイアムノアオタ→ROH
と選択肢もふえたね
>>638
横浜文体って満員のイメージ少ないけど駅からも中華街からも近いのね、 途中で送信しちゃった
全日本はこの会場好きだけどカードの割に客入らないし天龍同盟時代は生卵やトイレットペーパー投げたり客層も悪くて他に会場ないのか?と不思議に思ってた
日本人選手こんなに抱えて、一流外人こんなに呼んだら採算なんて合う訳ない >>643
ゴディとロビンソンの扱いひどすぎ
剛竜馬は休みか >>643
第5試合は日本人と外国人のバランスが悪い… >>644
ロビンソンはもう半リタイヤしてたような時だろ
89年にレイスが希望して全日前座で試合してたようなもん >>643
ロビンソンvs保永
ファンクスvs寺西
鶴田vsチャボ
タッグだからそれほど絡んでないだろうけど
渋い顔合わせだな >>644
その程度の扱いのゴディと鶴田で、数ヶ月前にあの広い大阪城のメインだったんだからな
セミでウォリアーズが組まれてたとはいえ
以前のスレで当時の週刊ファイトで
「メイン前に三割ぐらいの客が帰った」とレポートされた、いわくつきのメインエベント
事実かどうかは知らんが、鶴田もゴディもなめられたもんだ
同じ大阪で府立の鶴田vsリッチよりはるかにマシなカードだと思うが… >>649
結末が100%見えるけどね。
そういや、新日の話で申し訳ないが、
若手時代の高田が、ある会場に来ていた小学生が当日の
カードの勝敗予想をして全試合的中させたのを見て
「俺何やってるんだろう」と落ち込んだとか その高田は「泣き虫」で、
「ヒクソン戦。新日本の練習生時代に道場破りの相手をした。
高田は、今からやる試合の結果を知らずにリングに上がったのはその時以来、人生で2回目だった」
と書かれていたけど
>>652
人生初は何だったのか記述あるの?
読んだ事ないけど、バービック戦かな? ロビンソンにしろゴディにしろどんなに前座に追いやられたって
別にギャラの金額が下がる訳じゃなくメイン当時のまんまのゼニ貰えるわけだから
ビジネスライクに割り切る事が出来ただろうな
小鹿「それでいて俺をクビにしやがって馬場の野郎〜!」
ごめん、人生初は道場破りって書いてあるか…
何かでバービック戦はガチだったとか書いてあった気がしたけど?
ちなみにそのバービック戦の時期、全日の最終戦の前売りの売りきれまでの早さが記録らしいね。
多分、1991最強タッグ武道館だと思うけど
>>652
651だが、651と652は別に矛盾しないんじゃない?
プロレスが嫌になってガチに転向したなら話は違うけど、
高田は結局その後も引退するまでプロレス続けたんだし >>654
あの当時でも
ロビンソンやゴディが新日に行かれても困るが
小鹿が新日に行っても馬場は困らなかったんだろう
いくらなんでも猪木対小鹿じゃ盛り上がらんだろうし 馬場が「K-1は見ないけど、ヒクソンは強い。
これから芸能人を目指すやつに勝てるわけがない」
と語っていたとか
当時の熱戦譜を見るとフレアー、マーテル、ロード・ウォリアーズが特別参加していた数日以外はほぼメインかセミだね>ゴディ
一方のロビンソンは開幕から数戦はゴディやクルーズとのコンビでメイン起用されていたが状態が悪かったのかやがて格下げ
ひどい時は第3試合、20分1一本勝負なんてのも
あのゴールデン昇格時期はお祭り感というか、呼べるメンツを片っ端から集めたんじゃね?
カードは二の次で、とりあえずメンバーだけは豪華という。
10周年興行や力道山13回忌興行と同じパターンで。
でも呼べばいいってもんではないよね、顔ぶれ豪華の6人タッグより、シングルや4人タッグの対決を見たい
実際は言うほど豪華でもないんだよな
ロピンソンだけじゃなくて、
ファンクス、マスカラス、チャボあたりの実情は
もう昔ほどの人気もなくて、ロートルに片足突っ込んでたからな
馬場は言い方が悪いけどスター外人の見切り方が下手なのかもしれない。キニスキーとブラジル
を見ると。
そこら辺は難しいよ
冷酷に切ってしまうとアメリカのプロレス界に悪い噂が広まってしまう
スティーブ・ウィリアムスは
「デストロイヤーにあんな盛大な引退式をしてくれるプロモーターは
世界中で馬場だけだ」と言って心酔していたわけでね
>>661
いやあ、全日の15年を彩ったスターが総出場だったから、古くからのファンは興奮したろう。
ロートルだなんだと言ってる奴は、その時点でにわかの奴だろう。 ファンクス対ウォリアーズ、鶴田対フレアー、長州対マーテルを後楽園で見れたのも凄かったね…生中継一発目で15分1本勝負だったけど…
>>659
あの時のロビンソンはブクブクに太ってたし、
態度はふてくされているし、
動きも悪いしで前座行きもしょうがなかった。
新日なら途中帰国させられているだろう。 八十五年当時、不安久酢 増烏、四十前半年齢。
他、芯 令須、同様。
否老、現役真直中年齢。
>>667
まだ生きてるのか、このスレの総意じゃ、死ね、シネ、しね!!! >>661
マスカラスはこのシリーズはもうかつてのようなスーパーアイドルという位置ではなかったから、いっそ冒険的なカード組んだら、また新たな魅力が出たかも。
例えば、ウォリアーズとの絡みなんか日本でしか見れないだろうし。 >>653
人生初が道場破りの相手
2回目がヒクソン戦
そう読み取りましたけど >>666
ロビンソンはコンディションが限界でそのシリーズを最後に引退 >>672
アート・クルーズっていいジョバーだったなあ
輪島相手にもいい負けっぷりで見事な引き立て役演じてたし
プロレスってああいう役回りも必要だから奥が深い >>675
輪島相手の負けっぷりだとア・シークが記憶に残ってる
そんなに体が大きくないし、アームボンバーの受けっぷりが豪快
前年くらいにヒロや小林邦と世界ジュニアで挑戦?か抗争してたような覚えがある >>672
天龍が腰が悪くて返せないのに、フォールし続けるマスカラス。
困るジョー樋口w アートクルーズは陽気なアメリカ人って感じで好きだった。試合は地味だったがギミックがハマれば使えそうだったけど
>>617
悪役レスラーって一般人が
(もちろんリング外で)コミュニケーション可能っぽい「狂暴な人間」と
そもそもいかにもコミュニケーション取れ無さそうな「怪物・怪人」とがあるでしょ
前者はブルクラやエリック、
CC優勝後の人気者になって怖いけど人間味や愛嬌も感じられるブッチャー
ハンセンや昔のデストロイヤーとかもこの系統
で、後者が昔のブッチャーやシン、シークだったり
日本限定でのアンドレだったり
ブロディの良くも悪くもハンセンやブッチャーほど
一般ファンに突き抜けなかった部分ってのは
後に古館が言った「インテリジェント・モンスター」って形容がピッタリの
元新聞記者とかあのいかにも繊気質っぽい目つきや佇まいなんかと
人外っぽいパワーファイトやパフォーマンスのアンバランスが
「悪くて強い人間」なのか「悪い怪物」なのかわかりにくかったところじゃないかな
逆に当時のブロディ支持派にはそこが斬新で
底が知れない感あって良かったってのもあるけど >>643
まあセミのウォリアーズは秒殺としても
前座からタッグマッチ満載で
しかも百田渕とか羽田小鹿高杉菅原とか笹崎とか新倉とかが
次々と登場してくる興行で全11試合
しかもメインはウリの“豪華外国人”とはいえ
フレアー・マーテルという決して会場が熱狂するタイプとも言えないカード
選手が多過ぎとはいえさすがにこれ最初から最後までとなるとちょっときつそう
本来は出場選手やカードももう少し考えたうえで全8〜9試合くらいにして
「しじみのエキスをじっくりコトコトに詰めてギュッと凝縮しました」風にして欲しいとこだねえ フレアーとマーテルは当時のNWAとAWAの王者かいな、豪華やね。
新弟子物語を書いた人が当時練習生としてまだ居たと思うんだけど、怪我が無くて無事にデビュー出来たとしてもこれだけ選手が多いと中々試合組まれなかったかもね
先にデビューした小川良もあまり試合組まれてなかったかな?
>>678
初来日の時は、良いレスラーと思ったが、
2回目は金髪にして、ショーマン臭さが漂いすぎるダメレスラーになってて残念。
その陽気なアメリカンなスタイルは全然ダメだった。 >>679
だから、ブロディに集客力がなかったのは、
全盛期にゴールデンに出てなかったからだって。 >>677 天龍、完全にピンフォール取られてるな。 >>684
初来日の時は見た目もファイトスタイルもクロファットぽかったが、
再来日時はローデスになっていた。 輪島のぶちかましを食らった
アート・クルーズのやられっぷりは見事だった
あの受け身のうまさは師匠のレイス譲りか
アメリカで人気のあったロックンロールエクスプレスも日本じゃダメだったしリング上で魅せるワザがないと難しいんだろう
二人はいまだ現役か… >>602
アウッ!アウッ!
の前はこうだったよな
しかしつまんねー試合してんな
これじゃ集客には繋がんないよ 話が変わってしまうが、羽田は、シークと両者リングアウトの引き分けがあった。ゴングかプロレス誌か忘れたが、場外凶器攻撃で羽田が、流血している写真は今でも覚えている。
羽田唯一の大物と引き分けかな。
ロックンロールEXPみたいなアメリカで受けたが日本では受けなかったレスラーの話の時に
ロディ・パイパーの名前出すやつが結構いるが
確実に実際に見てない知ったかニワカだな
新日ではマスクドカナディアンとして藤波とスピーディーな展開の好勝負
全日参戦時はスレーターとの喧嘩コンビでフィニッシュのバックドロップホールドや抱えたまま
歩くパイルドライバーなど日本マット向けの大技多目のファイトで受けていた
そもそもパイパーは西海岸では空中戦、南部では泥臭い喧嘩ファイトとどの地区に行っても
その地区に合わせたファイトでトップを取れる稀有の天才レスラーで、喋りはそのマルチ才能
のひとつでしかない(結果的にはそれが最大の成功をもたらしたというだけで)
同じようにマイクアピールでトップヒールに上り詰めたズビスコは地味なファイトしか
できなかったから日本では中堅扱いだった
>>695
でも日本でトップを取れなかったのは確かやん。
まあ、ニューヨークで人気が出すぎて、来日できなかったってこともあるだろうけど。 >>696
そういうやつは大抵「マイクアピールしか能がないから日本で受けなかった」と
見てないのがバレバレなこと言うんだよw
好評だった割には最後の来日からNYのトップになるまで二年くらい来日しなかった
理由は当時なぞだったけど後に判明
帰国前に酔って暴れすぎて入国禁止処分になったからと
WWEのHOF表彰式でフレアーが暴露していたw 比較対象のズビスコも決して塩じゃないどころかむしろうまいレスラーなんだけど
派手な大技がない、スピードがないという当時の日本マットでは致命的な欠陥があった
その結果、シェアスタジアムてメインつとめた翌年に全日で中堅相手に勝ったり負けたり
ジョージアに転戦してリッチと抗争して三ヶ月連続オムニを満員にした直後に全日に来て
中堅相手に(ry
彼に比べたら本国より扱いは悪くてもタイトルに挑戦できただけワフーやブラックウェルは
まだましだった
比較対象のズビスコも決して塩じゃないどころかむしろうまいレスラーなんだけど
派手な大技がない、スピードがないという当時の日本マットでは致命的な欠陥があった
その結果、シェアスタジアムてメインつとめた翌年に全日で中堅相手に勝ったり負けたり
ジョージアに転戦してリッチと抗争して三ヶ月連続オムニを満員にした直後に全日に来て
中堅相手に(ry
彼に比べたら本国より扱いは悪くてもタイトルに挑戦できただけワフーやブラックウェルは
まだましだった
でもそれって羽田がシークの暴走誘って上手く引き分けに持ち込んだんじゃなくて
シークがいつものシークの仕事をきっちりしてただけなんで・・・
>>694
羽田のベストバウトはこれかな?天龍・羽田vsロビンソン・Bアーウィン
天龍とのツープラトンアトミックドロップの後アーウィンをフォールした
天龍・羽田組で極道コンビのアジアタッグに挑戦するような事言ってるが、結局立ち消えになったのかw
ダウンロード&関連動画>>
@YouTube
日本でイマイチ外人は世界タイトル王者で来日したらってのが多いかな、逆にマーテルやリッチは飛び技が多くて軽く見えた
>>693
ブロディ好きだが
子供からお年寄りまでってヒールでなかったよね。
ヒゲモジャって日本に合わないと思うのだが。
ハンセンはラリアットという超必殺技があったから超一級人気だったが。 あと、キングコングニーって
一般人にはすごくわかりずらいと思う。
>>705
わかりずらいじゃなくて、わかりづらいだろ。 >>703
リッチは流血戦で金髪を血に染めての反撃ってムーヴが本領だったから
初来日の時は最終戦でカブキではなくシンと当てればよかったのにね
カブキがアメリカとまったく同じファイトするなら直輸入としてそれなりに面白かった
かもしれないけど
初凱旋の頃のカブキは毒霧とカロテッドクラッチ(オリエンタルクロー)以外はヒール
ムーヴを封印して中途半端だった >>707
ちょっと話が横にそれるが
金髪と流血の組み合わせって凄く合うよね
「グロくはなく、それでも凄惨さが伝わる」というのかな…
個人的にはフレアーやローデスの流血がいい
ローデスなんてあんなにデブなのに、大流血した時の反撃姿は不思議とめちゃカッコ良くみえる。 あぁ金髪と流血、そうだな。
モノクロ画面だけど流血クラッシャーのマイクをガブリなんてのはすばらしかった。
デビアスがもっと早く染めてたらNWAチャンピオンの目があったんじゃないかね。
どうだろうな
デビアスは自分を高く評価したサム・マソニックやジム・バーネットより
親父の友人だったビルワット=NWAひかめいのの王座決定に影響力のないプロモーター
と懇意だったのがNWA王者になれなかった原因だとフレアーも言ってるしね
ワットもデビアスを可愛がってMSWAでも後身のUWFでもトップとして扱ってたけど
79年にWWFにサーキットに行く際は北米ヘビーのベルトという小道具まで持たせてくれた
(タイトルそのものはさすかに落としていったけど)
流血映えを考えて髪を金髪に染めるという話はときどき聞くね。
>>704
子供からお年寄りまでのヒールってなんじゃ?
ヒゲモジャが日本に合わないって根拠は?
意味わからんこと言うなアホ。 >>707
基本的に小柄で金髪甘いマスクのイマドキの坊ちゃんが
悪いやつに散々やられて流血、
金髪を真っ赤に染めて会場中女性の悲鳴の中
最期の力を振り絞って逆転勝ち!っていう
典型的なウェルメイドのキャンディーヒーローだからね
ヒール役はもちろん日本側エース達に対して
正統派の強豪ライバルとして同格に近い存在として扱うのに無理があった >>702
挑戦したぞ。
羽田自身が引退の時にベストバウトに挙げたのが
その天龍と組んでアジアタッグに挑戦した試合。 >>717
これ印税の配分はどうなんだろうな、いちおう仲良く半分の同額かね? ブロディは一般大衆受けするわかりやすさに欠けるところがあるからなあ
マニアにはそこが魅力になるんだが
トータルで評価すればその点が格落ちしてしまうね
晩年ブッチャーと抗争してたとは知らなかった キングコングニーって、ブロディのあの巨体が
膝を鋭角に曲げて降ってくるだけでド迫力とも言えるし、
逆にテレビでも会場でも膝が相手のどこにあたってるのかよく見えないし、
落差だけなら普通のトップロープからのニー以下とも言える
トップロープからのニーにフィニッシュ技としての説得力のあるレスラーなんて
限られているから、それ以下の落差のキングコングニーを
フィニッシュとして定着させたブロディはやはり一流なのでは、と思うが
>>718
こういう本は二人が書いた訳じゃないから印税契約ではないよ
売れようが売れまいが最初に決まった金額を契約する >>717
戸口とカブキなんて嘘臭い馬場の悪口しか言わなさそうだ、と思ったが全9話中、2話と5話だけっぽいな。
でも買わない >>721
そうそう、当たってるかどうかハッキリしないんだよな、
キングコングニーは。
ハンセンのラリアットは一目瞭然で
ブッチャーのエルボードロップは肘が当たってるかよくわからんが
巨体で圧殺されるという分かり易さがあった。 >>721
倉持も古舘も
ブロディがニードロップやってるのに
見てる位置の角度のせいか
ボディプレスと言い間違えてることがある 何に書いてたのか忘れたけど、ブロディのキングコングニーはあの斜めの角度で自分の膝をマットをぶつけることで、相手へ右膝が直撃するのを和らげてる。だから自分の膝が当たる左膝にサポーターを巻いてるってのを読んだ覚えがある
80年新春ジャイアントのTVマッチでなんか日プロ古参リングアナ?の爺さんがなんかでゲストで呼ばれてた記憶がある。。
段どり(コール)間違えてやり直しとかしてたような。。w
急に思い出したが、私が中学生の時に観戦した後楽園ホール大会。毎シリーズ日本に常駐していた、
デストロイヤーさようならシリーズの最終戦。セミはデストロイヤーが馬場にフォール勝ち。
メインは鶴田&羽田&石川vsロビンソン&ケビン&デビッドの6人タッグ。羽田とケビンが1本ずつ取り合い、
3本目はロビンソンが石川をフォール。当時の羽田は、石川より格上の扱いだったんだよね。
エリック兄弟がアジアタッグに初挑戦したシリーズだったか
>>730
そうでした。防衛期限切れになった極道が、キウイズとの決定戦で王者返り咲き。
初防衛戦でエリック兄弟の挑戦を受けて勝ちました。翌年は負けて王座陥落でしたが。 実は全日本での復活後における外人組として初の再挑戦
>>732
なるほど、そうかも。それまでのアジアタッグは浜口&鶴見組相手には防衛して、
井上&浜口組には負けて王座陥落。みたいな日本人相手のイメージが強かったですね。 昭和全日のアジアタッグって
興行の盛り上げや集客に貢献したことがあったんだろうか?
日プロ時代だとインタータッグの格下の時代でも
大阪府立や愛知県体育館のメインとかがあったらしいが
天龍&高千穂組が後楽園で挑戦した時は盛り上がったな。メインはレイスvsブッチャーだったか?
>>734
テレビマッチで放送時間の冒頭が多かったイメージ
いちおうタイトルマッチだし、視聴者のつかみには丁度良い
タイトル戦はいちおう勝敗に興味を持たせられるから、視聴率の底上げになる
視聴率上がれば動員も伸びるから、間接的に集客に貢献してるんじゃない?無理やりに擁護すれば…
まあ全日で興行の看板になったのは自分は記憶にないねえ…
平成の四天王時代だと、若手のバチバチ感が期待できるしそれなりに看板になったんじゃないかな。
自分の体感的には、フットルースと仲野高野の争いぐらいから面白くなった感じ。 >>711
それ言ったら、ブッチャー、カマタ、スミルノフ、ベーカーなどの往年の仕事を全否定することになるぞ。 >>736
フットルースとマイティ&石川からだろが。
あの三連戦はいまだに見返すわ。 >>719
ブロディがわかりやすさに欠ける?
何を言っているのか。
ヒゲに長髪、毛皮で一目でヒールとわかるし、
ウォッウォッという咆哮にチェーンを振り回す野獣キャラ
わかりやすさの塊だと思うが。
なんのことを言ってるのか説明してほしい。 >>725
ニードロップをボディプレスと間違えられたことはないだろ。逆ならあるが。あと、倉持さんは一回くらいあるかも知れんw。
手を上げて助走しなかった時はボディプレスで合ってるよ。 古舘は間違えた事ある気がする。ボディプレスというか「体を浴びせた!」みたいな感じで。
誰かのマイクアピールで「おまえの金髪に赤い血はよくにあーう!」ってのがツボったことを思い出した
誰だっけかなぁ
>>727
小松敏夫という力道山時代のリングアナ。
当日のプロモーターで、ゲストというよりお客へのサービスでやったようだ。 >>738
フットルースと石川井上の試合は素晴らしかったけどそれまでの石川井上組の地味なイメージで試合前からワクワクすることはなかったね
積み重ねで良くなった感じ、第二戦?の不透明決着も、マイナスかな >>745
それはフットルースの初防衛戦だろ。
頭数には入れてない。 >>743
中途半端な記憶で語るなよって言うてんねん。 1 87年10月 石川 トップロープからのイス攻撃
2 88年1月 井上 回転十字固め
3 88年3月 川田 回転エビ 王座移動
4 88年4月 フットルース 反則勝ち 初防衛戦
(アウアウカー Sa91-p+DR)的には1〜3が三連戦という解釈かな
けど1は見返せるか?ノーTVだし後年のCS等でも放送は無いと思ったが
>>749
第二戦目も試合の権利がない川田がフォール負けはおかしいと試合後に抗議してたよね
4人ども試合巧者だしきっちり決着ついて握手してたら印象も違ってたと思うわ >>744
ああ、そうだったか。。情報ありがとうございました。
あのシリーズはブロディとアンジェロモスカのキングコングコンビでインタータッグ挑戦。
ブロディはまだまだ外人エースとしては手探り状態だった。。 >>751
モスカは今見返すとキングコングというより
オランウータンみたいな冴えないおっサン
で動きも鈍くてとてもインタータッグ
挑戦の資格があるように見えないな。
逆にダッチ・マンテルはキビキビ動いて
日本マット向きなんだけど、その後は
Uしか来日のチャンスがなかったね。 >>733
昭和六十年代は完全に日本人オンリー
平成突入後の初防衛戦でようやく外人も解禁に
>>736
まあ最初は中堅の名誉職みたいな物だったがフットルースから若手の登竜門に
その途中での越中・三沢の元国際コンビへの挑戦試合がノーテレビだったのが残念 >>751
あの時点でもうロビンソンとブロディの格付けは後者が上になっていたのかな。
ゴング誌の同シリーズの採点では、ブロディ→ロビンソンの順番だったけど、テレビ放送されたバトルの出場選手クレジット
では、ロビンソンが1番目なんだよね。 レイスは生で見たことがなかった。
あんなにタフなレスラーも死ぬんだ……。
全日系外人はほとんど見ているのに、惜しいことした。
ジョージア時代のハンセンはテキサスから来た力持ちのいなかっぺキャラ
基本いいやつでエースのリッチやミスターレスリングUのよき友人
たまに悪人(オレイ・アンダーソンとかグレート・マレンコとか)にそそのかされて
敵に回るがやがて和解、というパターンを長いスパンで繰り返してた
ヒールに回るとトップヒールになるがベビーとしてはエースになれなかった
ベビーサイドの時はエースのよき味方どまりだが敵に回ると最強の敵になるというの
はちょっと前のWWEでのビッグショーやケインみたいなもんだ
誤爆すまん
まあ昭和のハンセンの話だからスレ違いじゃないということでw
>>758
ロビンソンはUN戦、PWF戦での負けっぷりの悪い王座陥落から
人気落ちた感じ
アクシデント負けの強調で格は落ちなかったが人気は落ちた >>759
>>760
レイスは引退後長年のハードな受身の代償で腰骨が曲がって
長時間のフライトに耐えられないことからゲストとしても来日できなくなったのが残念だった
合掌 >>764
何度もノアに来て、新日でのNWA戦で立会人として来てるけど。 レイスが世界王者じゃなくなってから全日本も変化した感じ、フレアーも似たタイプだったけど
>>765
その後の話だよ
ピタッとこなくなったろ
その後、ガラドラと森嶋に付き添ってWWEの会場に出向いたことがあったけど
それ以降はアメリカ国内ですら遠出できなくなった レイスとフレアーは似てると言われるけど
フレアーはレイスよりむしろレイ・スティーブンスの受けととワフー・マクダニエルの
攻めのフォロワーだと思う
この二人とタッグ組んだり対戦したりして吸収した
ムーヴも微妙に違ってて似てるのは額へのニーくらいじゃね
一方フレアーの後継者と言われてるHHHはレイスの影響強い
ジャンプしないカウンターの二−パットとか、スリーパーやコブラかけられた時の
涎たらしそうな苦悶の仕方とかそっくり
一方でタオル片手に入場する姿はニックにも似てるけど
>>768
トップロープに上がってデッドリードライブで投げられるのは同じw >>763
ロビンソンはあと体型がねえ・・・
太ってアマレスタイツに変えたりも言われるが
そもそも国際時代から全日初期までは
甘いマスクのいかにもベビーってかんじだったのが
ある時期から顎もほっぺも単に太ったというより
すっかり弛んで垂れ下がってて
髪型と併せて近所の煩いオバチャンみたいな風貌になってたから 馬場がフレアーのことを「フレアーは受け身の天才のレイスほどじゃないがうまい」と言ってたから似たタイプと印象付いたところはあるかも
>>769
デッドリードライヴ受けはフレアーも上手いけどレイスは特別
普通に投げられるより滞空時間が長く見える
いや、もちろん実際にビデオチャプターで比較してみると滞空時間は同じで単なる錯覚なんだが
その錯覚を起こさせるのがすごい
先日ヤクルトのOB大会に来日したガイエルは彼が打席に立つとボールが不自然な軌道を取る
ように見えるという事で「魔将」と呼ばれたりしたが
レイスも重力操ってんじゃねえかというくらいだ
そういや馬場のチョップを受けた時の倒れそうで倒れないおきあがりこぼしかやじろべえみたい
な受けも重力系だ
>>770
ゴディは若い頃からおばちゃんみたいだったなw
あと髪があった頃のバンディも
パーマバンディは高木ブーの雷様にも似てたがw >レイスとフレアー
形は少し違うけど
ブレーンバスターで静止時間が長いのも共通してる
レイスもフレアーも相手の技を大きく見せるのに長けていたな
>>775
あとテンタがそういう点では良かったな
ゴムマリみたいに「ズデーン!」って弾むように倒れるのも迫力があった
テンタは攻撃もスープレックスなど綺麗だったし、馬場が期待したのもわかる気がする フレアー本人が言ってたけど、一つ一つの技を色んな選手からインスパイアした
元の選手よりも動きを大きくオーバーにしてオリジナルにした
令須 布令亜組、否実現、日本輪具。
後、馬場令須組、否実現也。
馬場 令須組 対 反戦 武呂出組 希望当時。
後、馬場 令須組 対 佛茶 芯組等。
団体超越試合。
馬場 令須組 対 猪木 砲丸組。
馬場 令須組、魅力有。
フレアーは血栓取れたんかな、元気になったみたいだな。
>>778
確かに見たかったカードばかりだな(´・ω・`) キチガイにレスするな
_, ,_ パーン
( ‘д‘)
⊂彡☆))Д´) >>781 レイスのボスキャラ感は凄かったな…カッコよかった…
>>783
シンやブロディに相対したときの貫禄は凄かったよな。 レイスの日本国内でのベストパートナー、実はスヌーカだったように思います。
あんなに短い期間しかタッグが実現しなかったのは、本当に残念な感じがします。
>>785
レイス、ニックも良かったね…品の塊のような二人だった… レイス、スヌーカ組は最強タッグ直前に馬場、鶴田組から鮮やかなピンフォール勝ち
あのまま最強タッグに出場していたら、レイス、スレーター組同様、最終戦で馬場、鶴田組に負けるブックだったのか?
レイス、ニック組の入場で
互いに敬意を表わして、ロープの間を同時INは良かったね
多分予定通りにスヌーカが来てたとしても、同じ星取りだっただろうね。ハンセン組に反則負け、ファンクスと時間切れ…がどうだかわからんけど。スヌーカに45分フルタイムのイメージがない
でも最終戦の馬場、鶴田に負けるのは前哨戦との行って来いで決まってただろう
パートナーがスレーターの時と同じ星取りでも、全然意味が違うような期待感。
スヌーカがブロディ相手に反則勝ちじゃなく反則負け。その大暴走をサポート
したのが喧嘩っ早いイメージのレイス。って感じのブックだったんじゃないかな?
ブッチャーとの抗争とか、ファンクスよりもレイスの方が先だったんだよな。
>>789
最終戦は馬場が集中攻撃されるという
ちょっと珍しい展開だったね。 >>786
それぞれに新鋭と組んだ翌年の大会も良かった >>785
その意見は気をてらいすぎ。
たった一試合でわかるわけないし、
チームとしてのバランスも悪い。 >>796
馬鹿野郎、御前 書込禁止、糞垂。
令須 酢糠組、魅力満載。
八十二年世界最強二人組決定総当戦、不参加 残念無念也。
酢糠 武呂出 仲間割後、抗争期待。
併、酢糠 米国輪具選択。反戦 武呂出組 対 令須 酢糠組、注目試合。 >>786
レイス&ニックって、テレビで観ている限りでは、いつもニックが先にコールされていた記憶があるけど、
逆の時もあったんだっけ?まあ、大人のニックはコールの順番でへそ曲げたりはしないだろうけど。 漢字キチガイの荒らし書き込みにレスするバカがまだいたんだ…
というかよくあんなの読む気になるなぁ
初心者さんなのかな?そう思いたいわ
>>799
御前 糞馬鹿野郎、早急死去 熱中症及末期癌、心底希望。 スローガンの目的は
働かされ謀略だって
みんなほんとはわかってんでしょ。
>>767
経営下降のノアにビジネスクラス航空券代70万と宿泊費+ギャラは払えない。
新日でのNWA戦で毎回呼ぶ必要もない。
レイスの年齢的にほぼ反対の時差がある長時間の移動が無理 王座陥落した後のレイスって集客力あったのかな、ジャパンがいた時代に前座で登場した時にヘッドバッドやブレンバスターで大歓声は起こってたけどギャラ高そうだし
>>758
80年ごろのロビンソンってもう、すっかり全日常連で神通力と言うか豊富な外人メンツでは抜きんでた魅力も失ってたな。
国際時代や猪木との「世紀のワンナイトマッチ」を繰り広げた同一人物には見えないねw
そーいや、レイスとロビンソンは接点は無かったっけか。。 >>805
そのへんは興味あるね、昭和全日の経営逼迫の一因が外国人レスラーのギャラだというし
特に興味あるのが全盛時のギャラと晩年とでは変動があったのか、ないのかとか
例えば初期全日のデストロイヤーのギャラなど、年1で来日していた晩年と違うのか?とかね。
案外馬場の事だからギャラを落とさずに、来日回数を減らすことで調整してたような気がする >>807
全日外人のギャラは日テレが払っていたから全日の経営は逼迫しない。
ドリーにはNWA王者時のギャラを晩年まで払っていてテリー、マスカラス、レイスらも同様。 >>809
そうなんだ、サンクス
じゃあ1980年前後の「全日の経営が倒産寸前」というのは現実ではなく比喩なの?
普通に考えて人件費の大半であろう外人のギャラを親会社が持ってくれるなら、倒産なんてありえないと思うが…
いや、全日どころか国際プロレスだって何とかなるんじゃ?と思ってしまう。
まあ、親会社から見れば収支的に見返りが少ない金食い虫の子会社があれば出向もするだろうけど… あと、NWA王者時代のテーズや、それに次ぐ長さのドリー
普通に考えてこれだけトップにいたという事は動員力に長けて、収入面でも相当だったのかな?
そりゃペイパービュー全盛の時代のWWFとはケタが違うかもしれないけど
それでも俳優でいえば、何年も主役を張り続けたようなもんで、その数年だけで生涯年収を稼いでもおかしくなさそう
特にドリーなんてブッカーとして、レスラーとして晩年まで高額ギャラを受け取ってたなら、かなり悠々自適なんだろうか?
>>810
馬場が「うちにしろ新日本にしろTV局がバックアップしている団体を潰すのは不可能だ」と言ったが
それが真実だよ
新日にしてもアントン・ハイセルの負債が30憶を超えたらしいがそれでも持ちこたえたからね NWA王者になればお金は入るけど長期遠征続きで
自分の家族とはたまにしか会えなくなって
離婚で財産をがっぽり取られるからなあ
フレアーなんて4回も離婚してるし。
>>814
それでもやはり美味しいよね
そういえば馬場関連の本で書名は忘れちゃったけど
ブリスコが日本で一時的にNWA王座を落とすのに、キャッシュで7千万ぐらいをたった一週間で手にする話があった
確か本部にも無理やり承諾させて、みたいなセミドキュメンタリータッチで生々しい記述だった…
まあ、独断でそんな事をする者をチャンプにするには危なすぎるし、長い目でみればブリスコも得をしたかわからんけどね
サーキットの実績で本部の信頼を得られれば、もっと長期で稼げたかもしれないから
でも当時の7千万というのが今に換算すると幾らか知らんけど、一生を引き換えても十分に影響を与える額ではあるのも事実なんだよなあ… >>810
倒産寸前まで極端な状態ではなかったと
思うけど招聘した外人の源泉徴収滞納
に対応しきれず、何らか大ナタをふるう事
が必要になった。
結局内部ではどうする事も出来ず日テレに役員を送り込んでもらい金を融通してもらう事で切り抜けた。日テレの対応次第では倒産もあったかもしれんけど、まだまだ知名度はあった全日を見捨てるとも思えないんだな、当時は。 >>814
夢が叶うとそうなるってのは何なんだろうね。 >>817
うーん、存続が親会社やスポンサーの意思しだいというのは本当にギリギリだよねえ…
2005年の新日のユークス
2005年の武藤全日のサンリオ
これで存続できた状況と似てるのかな 馬場に関しては世田谷かどこか土地を持って
いて売れば数億円は下らない物件
だったらしい。
親しい記者には「いよいよとなったらアレを売ればいいんだ」と言ってて、竹内さんや
菊池さんは全日がピンチになるたび
その土地はまだ手元にあるのか確認してたらしいw
結局馬場の遺産は9億くらいと
発表されたけど、
その大半はその土地では無いのかな?
結局売らなかったらしいし。
馬場の遺産額については
あんなに毎日カネを使っててまだそんなにあったのか? というのと
え、たったそんだけしかないの? という感想があるね。
結局、私有財産は手付かずで全日経営してたんだから
呑気なもんだよな。
馬場のNWA初奪取は鹿児島県立体育館だし、
とられたのは愛知県の豊橋市体育館だ!
三度目の奪取なんざ佐賀スポーツセンターだし
とられたのは滋賀県大津市皇子が丘公園体育館だ!
そんなのまだましな方でノーテレビNWA世界戦となると、
鹿屋市体育館とかスゲー所で馬場は平気でやったからな
ちなみに1983年のグランドチャンピオン・カーニバルでのNWA世界戦三連発なんざ
田コロ〜横須賀市総合体育館〜船橋市体育館、
フレアーvsレイスなんざ船橋で3本勝負でノーテレビだった!
馬場はベルトの価値を自ら下げていたな。
まあ田舎者のオレには嬉しいスーパーカードだったが。
実際には、ローカルな会場でタイトルマッチをするってのは本来的にはNWA的なんだよね。
アメリカでの映像だとものすごく小さい会場でやっていることも多いし。
>>824
当時は地方でノーテレビのタイトルマッチなんて普通にあったし、頻繁に蔵前とか大阪府立とか使えるわけでもないし、地方のファンにもNWA世界戦を見せてあげたい、という思いもあったんでしょ。 >>824
この3大会に比べて終盤の大阪は鶴田対ロビンソン、馬場、天龍対シン、上田…
札幌も馬場対シンとカブキ対上田… >>825
本場アメリカのプロレス事情なんて日本のファンの殆どは妄想、幻想で成り立ってたかもね。
世界戦なんかはいつもキールやマイアミ、アトランタあたりの大会場。威厳、格式に満ちた雰囲気で取り行われる構図。
TV選手権やブラスナックル戦みたいなローカルな試合も認識はあっただろうけどそこまで興味が無いという話。。w >>825
その日の興行の何割とか契約なかったっけ?NWA戦 >>824
84年ね
テレビどころか観客もいないところでフレアーに「俺にも挑戦させろ」と詰め寄るタイガージェットシンw これも良く出る話だが馬場の三度目のNWA王座は
予定には無くてレイスが馬場への友情からアクシデントで失神したフリをして
馬場にNWAタイトルを渡したって話
だからブリスコの時と違ってタダだったって事になる
>>811
フレアーは王者になって一年で収入20万ドル 飛行機代はもらえるけど宿泊費・食事代は自腹 >>824
当時のNWA王者はシリーズフル参戦するスケジュールはなかなか取れないから
ほぼ1〜2週間の特別参加になる
そしてその日本遠征可能なスケジュールは米側の王者のスケジュールの合間で
NWA本部のバーネットの指定した時期になる
全日が豪華外国人を日テレの高額ギャラで大勢呼びながら
地方の小会場でのNWA世界戦が多かったのは
ブッカーのファンクスがそのあたりの調整に全く無頓着で
全日側の巡業スケジュールを全く考慮せずにNWA本部側からの
王者の日本遠征スケジュールをそのまま嵌め込むだけで
馬場もそれに唯々諾々と従うだけだったから >>833
>馬場もそれに唯々諾々と従うだけだったから
それってどうなんだろ?
高額の提携料を払ってるわけだし、ある程度は「大会場が〇月の△日にあるから」って伝えたら何とかならんもん?
会場を押さえるのだって蔵前クラスなら半年は前に決まってるんじゃないのかな?
実際にウォリアーズなんかは2日だけの来日、とかやってたじゃん
全部が全部とも日本に合わせろというのは無理にしろ、NWAやAWAに面従腹背ほど立場が弱いわけでもなかろうに…
事実NWA副会長になるほどなんだから、馬場のNWAの招聘は実績力として認められたからじゃないの?
馬場が弱腰、というかファンクスに気を使いすぎな気がするけど… >>833
会場の観客動員はどうでもよく視聴率と団体のハクがつくからかな。 >>834
佐藤の話だと馬場がNWAのシステムを理解していなかっただけで
本当はスケジュールを指定できるそうだ 日プロ時代は大きな会場で
NWA王者を呼べてるのに
全日時代でそれができないという道理はないわなw
全日でも初期はそれなりに大きな会場を使ってる
>>831
となると事前に本部の了承を得ていた奪取は二度目のみになるって事か
最初の時はマソニックの管理が厳格だったのでまさに強引な手段で相当な事後の埋め合わせもしたらしいが
しかしある意味でNWAという組織に最初の蟻の一穴を開けたのは馬場でもあったんだよな >>834
>>834
本来なら交渉はもちろんできるわけ
ようするにセントルイスやアトランタ以外の遠方テリにも
王者が遠征するのと基本同じだから
タイミングと期間を調整すれば可能
ただ馬場がブッカーのファンクスにそれを要請しなかったのと
ファンクスもそこまでやらなかった
(単に本当に無頓着だったのかそれとも馬場がそこまで言わないのを幸いに
自分達の側から手間をかける気なかったのか真意はわからんが)
まあファンクスの立場でいえば大都市のビッグマッチに
NWA王者を呼んで馬場や鶴田が世界王座に挑戦するってことは
イコール自分達以外がビッグマッチのメインを務めるってことでもあるわけでね
それはブッチャーやハンセンブロディシンがヒールとして
馬場鶴田の相手としてメイン取るのとはファンクス的にはいささか意味合いが違ってくる
“元NWA世界王者の兄弟”からすればいくらビジネス的には年間契約結んでるとしても
もしかしたら心中穏やかじゃなかったかもしれない 昭和49年暮れ
ブリスコのNWA王座馬場へのレンタルに際し、
通常のギャラ12000ドル/一週間 X 二週間 =24000ドル(当時として超破格)。
レンタル料 25000ドル = ブリスコのNWAへの預入の担保補償金と同額。
計49000ドル(1ドル300円で換算=¥1470)。
日本のプロ野球選手の年俸が1000万で一流とされた時代にブリスコは二週間でそれを手にした。
昭和50年暮れ
言うまでもないあの空前絶後のメンバーを集めたオープン選手権。
ほんと日本のテレビ局ってどんなけ金持ってんだっていうことだわな。
なっなんてムチャをしくさるっ 今、銃乱射事件のあった
テキサス州エルパソって
昔、全日絡みで何かあったようなきがする地名だな
エル・パソってなんかあったような気がするね。
たしかそれ以外でも『荒野の少年イサム』に出てきたと思うんだが、違うかな。
NWA戦の地方小会場は
佐藤が言うスケジュールが云々は言い訳だろ。それも理由のひとつではあろうが。
要はレイスとのNWA戦を大会場でやって客を入れる自信が失せていたんだよ
テリーと鶴田の蔵前がすかすかで恥ずかしかったんだろう。
それ以来、フレッシュでもない、動員に魅力があるわけでもないレイスが来たところでね……。
>>845
エルパソアメリカとメキシコ国境の町でチャボ・ゲレロの出身地。
60,70年代はアマリロ、ダラス、ヒューストン、サンアントニオの大都市以外のテリトリーの1つだった。 >>840
>“元NWA世界王者の兄弟”からすればいくらビジネス的には年間契約結んでるとしても
>もしかしたら心中穏やかじゃなかったかもしれない
うーん、なるほどこういう見方は推測だとしても新鮮だ
後にハンセンが語った「どうしてファンクスを鶴田らより上位ポジションに置くのか?が疑問だった」
という内容にも微妙にリンクするし
でもドリーはともかく、テリーは引退まで1年半の限定だし
「師匠弟子の因縁の下克上」というテーマを利用しないのは勿体無いし、そこを売りにしたのも個人的には悪くないとは思う
ただ、ハンセンが「テリー復帰も事前に知っていた」なら言葉の含みもちょっと違ってくるけどね。 >>848
ハンセン「新日のエースは猪木だが、全日のエースは外人のテリーだったのは問題だった。
テリーがいないシリーズ=エース不在」 エルパソと聞いてなぜかホセ・ロザリオが頭に浮かんだ。
>>845
新日だがワープロ83新春黄金シリーズ予告のブラックジャック・マリガンが「エルパソの爆風」だった テリーとレイスで世界戦をやってたら盛り上がったかも
>>849
うーん、同じ外人であるハンセンの言葉というのが重みがあるな
冗談抜きで、この頃のハンセンが社長をやった方が良かったんじゃないか?
まあ、引退後だからこそ出てくる言葉なんだろうけどね
ジャパン軍が来たときも馬場の言葉を信じて、グッと耐えてたのも
「本体である全日が隆盛だからこそ、外人レスラーとして呼んでもらえる」という観点なんだろうし
耐え切れずに新日に行ったブロディと対照的ではあるね
ブロディが新日参戦時のフレーズが「インテリジェント・モンスター」だったけど
この称号はむしろハンセンの方が相応しいとも思える
まあ、レスラーは個人事業主だし「稼げるうちに、高く買ってくれるとこに行く」というブロディの考えも間違ってはいないと思うけど。 >>853
ちょうどジャパンが来た1985年は、ハンセンも悩んだ年だったよね。
この時期に、ニューヨークのビンスからホーガンの抗争相手として誘いがあったし、
空港で偶然出くわした、かつてのジョージアでライバルでWWFで大成功を収めていた
ポール・オーンドーフから「スタン、君もNYに来たらどうだ。稼げるぞ。」と言われ
かなり悩んでいた。
結局、この年全日本に留まったハンセンが、馬場からPWFヘビー級奪取、新設PWF世界タッグ初代王者、
世界最強タッグ優勝、AWA世界ヘビー奪取と、タイトル獲得面ではキャリア最高の年だったのは馬場からの
感謝だったのかもね。 >>854
ハンセンの日本で人気は凄かったし。
アメリカではワントップクラス人気ではなかった。
WWFビンスに行くのもリスキーだったかもね。 日本でもアメリカでもトップ取った選手ってホーガンだけかな。
>>859
NWA,AWA,WWWF,WWAタイトル獲得者で日本で防衛だと
テーズ、キニスキー、プラジル、ドリー、テリー、レイス、フレアー、スティンボート、ガニア、ブルーノ、グラハム、ニック、ハンセン・・・
プラス日本のタイトルも獲得しているだと
ドリー、グラハム、ブラジル、ハンセン、ホーガン、ベイダー、 >>854
プロモーター馬場を信頼していた事
奥さん(日本人)と交際していた事
この2つが残留を決めた理由だったようだ 1985年はハンセンの去就が気になって、小学生のくせに駅売りの東スポを毎日買ってたよ
特に春から夏にかけては毎日のように買ってた
つーか、その頃の東スポ記事の内容はハンセン移籍濃厚みたいな書き方
「新日で超獣組の実現か!」とかだったからドキドキしてたよw
ようやく安心したのは馬場からPWFを取り、デビアスと組んだ頃かな
俺も小学5年から東スポ買うようになったが半分は中のエロ記事が目当てだったな、
同級生がまだウンコー!とかカンチョー!とか言ってた頃に
玉門という単語を知っていた小学5年生、か・・・
>>860
他にブリスコとバックランド。それからブラジルは日本では防衛戦はやってない。 >>864
家族の目があるだろ。結構一面の見出しもやばかったぞ。 大スポ初めて買ったのは、長州がNWA挑戦した翌日だったなぁ
あの頃はちゃんと翌日の鶴田戦もだが、1面にしてくれてたのにな
性格に難がある近所の子の親が東スポ買ってた
その子と遊ぶの嫌だったけど東スポ読む目的で遊んでた想い出
自宅にある読売新聞がコボちゃんとテレビ欄しか読めなかったから東スポを熟読出来る自分が最初は嬉しかったな。野球とかもゴシップっぽい書き方だから興味なくとも読めたし
あと専門誌より全日本の割合が多かった気が
俺も中学時代東スポ買ってたな。夕刊だから学校終わるとちょうど店頭に並ぶ頃。
生中継が途中で終わると結果を知るのは翌日の東スポ。スレチになるけど、新日本の蔵前とか府立なんかは木曜日だったから、金曜8時の放送時には結果を知ることができるんだけど、極力見出しを見ずに買って、放送見終わるまで我慢するのがなかなかの試練だった。
>>849
石原プロ製作のドラマなのに主演が渡や舘や神田ではなく三浦友和だったみたいなものか。 東スポのMVPと年間最高試合って納得出来ないことが結構ある。特にベストバウト、レイスとガニアの試合ってあまり語り継がれてないような
年度 MVP 年間最高試合賞
1974 A・猪木 A猪木vsS・小林
1975 G・馬場 A猪木vsB・ロビンソン
1976 A・猪木 J鶴田vsR・木村
1977 A・猪木 J鶴田vsM・マスカラス
1978 A・猪木 J鶴田vsH・レイス
1979 G・馬場 猪木&馬場vsシン&ブッチャー
1980 A・猪木 馬場&鶴田vsファンクス
1981 A・猪木 G・馬場vsバーン・ガニア
1982 タイガーマスク G・馬場vsS・ハンセン
>>878
74年と79年を除いて、MVPとベストバウトを分け合う形になってて、審査員の忖度見え見えなのが興ざめ >>878
レイス対鶴田は、生中継で三本目が知り切れトンボじゃなかったかな?
印象的だったのは、鶴田からギブアップを奪ったレイスの >>881
レイスのインディアンデスロック
鶴田が仰向けでのやつ
前方式、初めてみた >>878
この統計の表だけ見ると
鶴田って1970年代半ばの時点で既に日本人NO.3だったんだと再認識するな
でもAWAを獲ったのが1984年、遅すぎるよな…
やはりテリーの存在、ハンセン移籍による馬場の最浮上が大きいな 馬場も渕選手がやる、グーじゃなくてパーだアピールをゴリラ・モンスーン戦でやってたんですね
>>881
テリーからNWAを奪取した技だってのは知ってたけど、
実際に見たのはあの時が初めてだったな。
インディアンデスロックでギブなんてしょっぱいとか思ってたけど、
実際見たら迫力あったし、
プロレスごっこで試してみても、猪木のよくやるうつ伏せ式より
ずっと痛かったから驚いた
総意やずっと後になって、鶴田も天龍からこの技でギブ奪ってたな 地味だけど監獄固めと同じ威力だと思う、当時プロレスごっこしてた印象では
レイスのインディアンデスロックは猪木が使っていたことあると思うよ。
「ごっこ」でも、かけ方がすごく強引にやらないとできないんだよね。
これかけられるんなら相手はすでに脚力がほぼなくなっている状態。
確かに猪木もやってたわメジャーな技だね、新日あんまり見てなかったから
フロントのインディアンデスロックは、アニマル浜口がレッグブリーカーからクルクルッと回って決めるのが鮮やかだった。
SWS移籍直前の天龍がよく鶴田やウィリアムスのフロントインディアンデスロックでギブしてた
>>890
猪木はうつぶせのリバース式だけだね
あれは横に倒れるし足がすっぽ抜けやすいから
まずフィニッシュにはならない
それに対して、レイスのフロント式は真後ろに倒れるから
まず足が抜けないし、効き具合も全然違う
でもその後、レイスはあの技を継続して使った気配がないんだよね
ダイビングヘッド、バーティカルスープレックスと並ぶ三大必殺技
としてアピールできたと思うんだが >>892
本当に痛いわりに、地味な技だから、
プロレス技としては適してない。
トライアングルスコーピオンみたいなもん。 猪木リバースだけだっけ?監獄固めみたいな体制で寝てる相手にパンチを打ってた記憶があるが
>>891
あの頃は監獄固めに昇格してフィニッシュ技になってたような >>893
フロント式は掛けられた方は軒並み絶叫してた。
対するリバースはそんなに痛くないが、鎌固めに移行するとかなり苦しい。 >>894
リバースの方が印象あるなぁ
手を叩いて観客煽ってから倒れるやつ >>897
連続して倒れまくればいいのになかなか倒れないで、しまいには相手のタッグパートナーにカットされるのが腑に落ちなかった少年時代。笑 猪木&坂口vs藤波&木村で、リバースの体勢に入った瞬間、カットを防ごうと両手を相手コーナーに向けたシーンはしびれた(伝わらないかなー)
太鼓判クラスの自信はないけど猪木はフロントやってたよ。
ジョントロスが相手あたりの頃にだから印象が薄いのかもね。
リバースはスムーズに入れるけどフロントはそううまくいかないし相手も痛いからやめたんだろ。
>>896
鎌固めは猪木がドームの馳戦のやつが印象深いなあ
オレンジ武藤も上手かったけど、猪木の方が年齢考えるとね…価値が高い
魔性スリーパー時代の猪木って晩年型レスラーのお手本みたいな戦い方をしてたよな
技の引き出しが少なくなったけど、その残り少ない技を昇華させてった
延髄と卍とスリーパーとナックルだけだもんな、それでも達人然とした雰囲気が漂っていた。
キン肉マンに例えるとカメハメのようだった… 4の字やスピニング、フロントインディアンみたいに両者が相向き合ってる状態だと
寝てるほう(受け側)が技に入る瞬間とかで首固めで決めてしまうムーブが割と印象強い。
鶴田や猪木、藤波みたいなタイプ。
>>898
あれはあれで静止する事によってギュッとタメが効き、倒れたときに威力倍増するんだと脳内補正してたよ
実際にデスロックってプロレスごっこでも、足が太いやつは倒れなくてもあの体勢になるだけで悶絶してたし
他に完成未満で体勢に入っただけで、人によってはギブする頻度が高かったのはトライアングル・スコーピオン
あれはひっくり返さないでも十分痛いw >>903
トライアングルスコーピオンは痛い。俺もプロレスごっこで脚たたまれて相手の股間に押し込まれた時点でギブアップしてた。そんな痛い技があるのにパッとしない木村健吾に疑問を感じていた少年時代でもあるww >>904
あとギブさせる技ではないが、天龍がパワーボムを決めた後の
ピンフォール取る時の押さえ込みって凄くキツいらしいね、これは越中や長州、あと橋本や蝶野や馳も言ってた。
手四つで固められて、上から体重かけられて押し付けられるように息がつまるらしい、ある意味ではWARスペシャルの亜流版になるね。 >>895
試合結果でもインディアンデスロックかデスロックになってるし
監獄固めとインディアンデスロックは全然違う技だよ
監獄固めはフロントの足4の字固めって感じで、インディアンデスロックは足首を極める技
>>906
いや、まぁ、いいんだよ、いいんだけど言わせて
だれ?
もっと他の写真
あったやろww >>907
足首の極まり方がよくわかる画像だったからだよ
後ろからの前方インディアンデスロックの画像ってなかなか無いからな >>908
で、だれ?なかなか渋い技使うんだね。レフェリーも気になるぞ。 >>909
インディアンデスロックで検索して出てきた画像だからよくわからんけど、
沖縄のグルクンマスクっていうレスラーみたいだ >>912
インディアン(アメリカ先住民)が拷問をするとき、クロスした脚に棒を差し込んだのが由来と云われる。 >>905
叩きつけより、押さえ込み重視って天龍も言ってるね。 >>892
81年末にレイスがフレアーに挑戦した試合では使っていたね。82年のコング本誌3月号のグラビアに写真がある。 >>897
まあ猪木のリバース式は相手も猪木も技的には休憩タイムであり
尚且つあの時期の猪木の試合中盤での最高に絵になるアピールタイムだったと思う
鎌固めを地獄固めとして卍に次ぐ新アントニオスペシャルとして
一時期フィニッシュに使ってたり弓矢固めを同じく一時はフィニッシュに多用してたのが
ある時期から殆ど使わなくなったのって
自分の表情が見えないため客に伝わり辛いからってことらしい
実に猪木らしいセンス >>904
トライアングルスコーピオンについては、健吾も「長州のサソリなんかよりずっと効くぞ」と自慢していたらしい
ゴングか週プロか忘れたが、「稲妻ラリアート、パイルドライバーと並ぶ3大必殺技の完成だ」とか書いていたなw
痛いわりに見栄えが悪いというのはプロレス技としてダメなのがわかってないのが何とも
>>920
見映えがよくて、実は大して痛くない。プロレス技として最高だな
猪木がトップを張れたのはこの辺りのセンスもあってのことか >>806
何しろ付いたあだ名が英国紳士ならぬ
「へーこく(屁こく)紳士」だもんな苦笑 時代が違うからロビンソンって自分勝手な試合をするオッサンていいイメージしかない
そもそもロビンソンて初来日の頃からワガママ全開で
タッグマッチの時、パートナーが気に入らないからって
そのパートナー殴り飛ばしてなかったか?
後ワールドシリーズでピーター・メイビアと一触即発状態だったとか。
>>921
>ゴングか週プロか忘れたが、「稲妻ラリアート、パイルドライバーと並ぶ3大必殺技の完成だ」とか書いていたなw
子供の頃でうろ覚えだけど、それは週プロだと思うんだけど
維新軍がごっそり離脱した後、年明けの正月後楽園でマシン軍が増殖し、
そのかませ犬に木村健があっさり生贄になったもんだから
上記の「三大兵器を」身につけた木村を売り出すべき、維新軍がいなくてスター不足の新日は何をやってんのか?」
そんな感じで疑問を投げかけてた、まあガキの読解力だから合ってるか自信ないけど。 度々出る話だが
80年前後のロビンソンが衰えた時期にプロレスアルバムとかでロビンソンの
衰えと、それに反比例するようなビッグマウスを揶揄してたのが流
なのに90年代にはなぜかロビンソンのスポークスマンに
「猪木新聞」の記者だったくせに馬場と癒着したター山なみw
猪木のリバースインディアンデスロックは撮影タイムみたいなもんでしょ。
今で言うインスタ映えみたいな。
これから倒れますよとカメラマンに合図してくれるからな猪木w
全日本目線だと褒め言葉だね、新日本嫌いだったが猪木は素直に上手いと思う。試合の八割が受けとか普通にあるし
>>920
猪木がストロング小林とやった時のフィニッシュが原爆固めなんだけど
あれって決まった時に「小林の顔だけが見えている」わけで、要は
「小林を主役として引き立たせる」ための終わらせ方だったんだな
猪木は木村と蔵前で対戦した後も、「国際が潰れたから、観客は
判官びいきでラッシャーを応援するものと思っていたので、実際の
慣習が木村なんかやっちまえ!と殺気立っているのに戸惑った」
ということを言っていて、やっぱり色々考えているんだなと思わされた >>931
最初の木村戦は明らかに
木村の攻撃にあまり付き合わない、
最後もロープブレイクしない猪木が
所謂「キラー猪木」「キレた」というよりは
表情なんかも単なる「弱い者いじめをする悪いいじめっ子」に成りきってるんだよなw
馬場が例の木村戦で
「俺の勝ちってレフェリーがやって“完全決着”しただろ」とばかりに
猛抗議する吉原さんと国際勢を尻目にちょっと離れたところから
泰然自若としているポーズとってたのも
全日ファンには余裕・貫禄、
一方で国際ファンには汚い手を使ったくせにすっとぼけやがって!と
今後に向けたヒートを効果的に煽るポーズをとってたのと同様
さすが二人とも自分がヒール役に回った時の
もっとも憎ったらしく見えるたち振舞いもちゃんとわかってるというねw >>901
浴びせ蹴りやダブルアーム、最終兵器の腕固めもあったじゃないか >>930
たぶん馬場が理想としたエースは「反乱起こさない猪木」だろうしなw
>>935
猪木のダブルアームとドロップキックが下手なのは常識だろ
ダブルアームに関しては鶴田も9割方下手だったが
ゆっくり投げるファンクス式をファンクスと違い放り投げもしないことでさらに
マイルドにしちゃったからな
そしてたまにハイスピードの低い軌道のダブルアームを出したけど
なぜかこっちがフィニッシュにならない不思議 ロビンソンの全盛期は国際、新日は一試合しかしなかったし
全日に移籍してきたころはすでに腰に爆弾抱えていて腰砕けダブルアームしか出来なかった
どこが人間風車≠竄ヒんという感想しかなかった
鈴木秀樹のWアームをロビンソン直伝とか言うのやめてほしい
>>939
実際に直伝じゃん
鈴木の試合は対戦相手の力量晒されて面白いわ >>936
鶴田の4種類のスープレックスって、
ジャーマン、サイド、フロントの3種類は腰のため効かせた
2段モーション式だったのに、なぜかダブルアームだけ
アメリカンスタイルだったな。
あれと足抱え式バックドロップはやはりファンクスから習ったのか? >>944
この時代はテーズ式のバックドロップの方が少数派だから >>944
アマレスのムーブではWアームスープレックスっていう「投げ技」は厳密にいうと無いしね
アマレスでのスープレックスは相手を後頭部や背中から落としてダメージを与える技ではなく
相手をグラウンド状態に裏返してそこから上に乗って抑え込むための技術ってのは
この手のスレではもはやよく語られた話だけど
ジャーマン、サイド、フロントの3種が反り投げや俵返し、吊り落とす技術で
曲がりなりにも「投げ」であるのに対して
(だからアマレスの癖の抜けない初期の鶴田はいったん腰だめの二段式になる)
アマレスでのWアームってのはリバースネルソンに捕えて自由を奪った相手を
柔道でいう巴投げに近い要領で自ら後方に倒れ込みながら
頭を支点にして相手を引き込んで頭越しにゴロンと裏返す技術だから
プロレス的に言うところの相手の身体を空中に浮かせるような「投げ」じゃないんだよ
もちろんアマレスでもR・ボックのWアームのように
強引に怪力でスタンド状態から投げることも理屈では可能なんだけど、
実際にはウェイト制で同体格同士がガチでやってるアマレスで
あくまで裏返すことを目的とするなら現実的には前述のようなムーブになる
つまりWアームに関してはアマレスでの技術・経験が活きるのは
せいぜいリバースネルソンに極めるところまで
そこから先の投げる動作に関しては客席から見やすいようにゆっくり大きく投げること含め
アマリロでファンクスに習ったほぼ純粋にプロレス式の技術と言っていいと思う >>946
何を長々とわけわからんこと言ってるんだよ。
ダブルアームがアマレスの技にないだけで、
アマレスの技術があれば
十分応用できるだろ。 >>944
タリー・ブランチャードがその頃、テーズ式のバックドロップの使い手ということで、来日して鶴田とのバックドロップ対決が待たれていたが、
結局、呼ばれなかったな。まあ、ああいう中型の万能タイプのヒールってのは、日本だとメインイベンターとしては使いづらいのかもな。 タリー・ブランチャードといえば、藤波の無我旗揚げ戦の相手
>>947
アマレスだと相手のバックを取っただけでポイントが入るからな
ダブルアームの態勢なんてよほどの実力差がないと入れないから
それを想定した技なんかないのも当然か
そういや相撲では、ダブルアームの態勢を五輪砕きとか言って
あの態勢になった時点で勝負が決するんだっけ? >>941
投げ方がロビンソンとは全く異なるのでそう呼びたくないだけ >>951
確かに別物。決まった瞬間だけ見ると、強めのアームホイップみたいだし。 >>937
ロビンソンの新日本第1戦の相手はストロングさんでテレビで見たな。 >>954
ストロングさん国際の後期はロビンソンと互角設定だったけど、
このときはもうかませ犬になってたな 国際に疎いおれは
小林、草津、木村、マイティと
時系列が全然わからない。
>>946
> 柔道でいう巴投げに近い要領で自ら後方に倒れ込みながら
> 頭を支点にして相手を引き込んで頭越しにゴロンと裏返す
偶然だろうが、猪木のダブルアームってそんな感じだったな。 >>956
草津➡小林➡草津➡木村➡井上➡木村
って感じかな?草津は知名度はあるが人気実力人望がないから一瞬しかトップにならない >>958
サンクス
そうか。国際って絶対エースがいない団体だったのか。 小林→井上→木村だろう。
国際のエースの象徴、IWA王座の変遷は
小林(王座返上)→ロビンソン(王座決定戦で木村に勝つ)→ビリー・グラハム
→井上→マッドドック・バション→木村で草津は王座に就いてない。
>>963
オレが疎いだけ。スマソ。
国際崩壊は馬場、猪木のようなカリスマ定着スターがいなかった
からだと今さら実感。TBS、テレ東ない地方だったもんで。 >>951
ロビンソンだって色んな投げ方してたじゃん
できるのがスゴイけど 昭和全日本は
馬場➡ファンクス➡マスカラス➡馬場➡鶴田➡天龍
かな
>>966
マスカラスがトップの時代なんか無いだろ。
トップのシリーズはあったが。
馬場→ファンクス→馬場→鶴田→長州→天龍→三沢 だな。 >>948
ブランチャードと鶴田では、日本での格が違うからな。同格でバックドロップ合戦なんて盛り上がらん。 >>968
テーズとブランチャードが並んだ写真見たが、テーズより小さかった。
鶴田とは体格差もありすぎてバックドロップ合戦をするには説得力に欠けただろうね。 藤波が無我第一回の興行でやっと念願の初来日が成ったんだっけ
全盛期の面影はなくすっかり禿げ上がっていたとか
馬場は兼ねてから「猪木は俺をライバル視してるけど、俺は猪木をライバルと思った事は無い」と言ってるけど
ならば何故猪木より短いタイムで大木を倒した事や、猪木が2フォール奪えなかったロビンソンから2フォール
奪った事を自慢?してたのか。しかも2試合共試合内容は誉められる物でも無かったのに。
もしかして馬場はツンデレ?
馬場とロビンソンの初対決(76.7.24 蔵前)を見てた時の感想。
ロビンソンが馬場の巨体を持て余して本来のスタイルの試合がやり辛そうな感じだった事。
たぶん猪木も馬場と試合したらそういった感じに陥るだろなと思ったわ。
>>971
馬場は猪木より5歳上だからな
馬場に限らず、世の中の大半の連中は5歳も下のやつをライバルとは思えんだろ
猪木も「日プロ時代、ある時期まで馬場さんのライバルはマンモス鈴木だった」とか言っていたし
馬場と猪木のライバル関係は、個人VS個人というより会社VS会社という面が大きいのでは 長嶋と王も5歳差なんだよね。こんな例えがあって、なるほどと思ったことがある。
ONは天才型が先輩で、秀才型が後輩だったから人間関係が上手くいった。
BIは秀才型が先輩で、天才型が後輩だったから人間関係が上手くいかなかった。
>>975
別にONが上手くいってたかどうかわからんぞ。 >>976
それは確かにそうだな。でも王さんは「俺の方が上だ」的なアピールはしなさそう。 >>975
王は実績で上回ってからも常に長嶋をたててただろ
猪木は人気・実力ともに馬場の後塵を押してた時期からたてついてたから
うまくいくわけないw >>978
後塵を押してたじゃなくて、後塵を拝してただろ。 >>969
ブランチャードは当時のプロフィールだと188pになってたけど、映像でみたら180pそこそこだね。
まあ馬場vsブラッシーみたいに、小回りの利く悪党がデカい鶴田をどこまで翻弄するか、という観点でみれば面白いかも。 鶴田はバリー・ウィンダムも軽くジョブにしたためブランチャードもジョブ1発で終わりだと思う。
ブランチャードはフォーホースメンでアーン・アンダーソンと組んで
ルーガー、スティング、ウォリアーズ、ニキタらデカイ木偶の坊相手に名勝負をやってたから
木偶の坊鶴田をノースカロライナで修行させてプロレスを覚えさせれば
鶴田は緩急が付けられて上手くなったかもしれない。
馬場と猪木は
長島と王というより
プロストとセナの関係に近い
馬場が高倉健で猪木は菅原文太
昭和50年代、健さんwの演技なんて時代遅れのコントだし、なにより大根w
シリアス(ヤクザ・警察もの)もコメディ(トラック野郎など)もオールマイティの文太こそ最強の映画スター、
って感じだったのに、いつのまにか文太はしょぼくれ、健さんは絶対不可侵の神に逆転していた
このしょぼくれた状況から(政治活動や文化活動で)もう一花咲かせたのが猪木
広島カープで「サヨナラ男」として一世を風靡した背番号0の長島は登録名も「長島」だったよね?
あっと倉持アナウンサーの額が割れた!倉持アナウンサーの額が割れました
超満員の大観衆の興奮、なお覚めやらぬここ、後楽園ホールから、
実況・ワタクシ、倉持隆夫、解説は東京スポーツの山田隆サンでお送りして参りました。
それでは全国のプロレスファンの皆さん、さようなら!
全国1000万人のプロレスファンの皆様,こんばんは
mmp
lud20220918100813ca
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