鹿取って言われるほど酷使か。
当時でいえば石本や中山とかリリーフで規定投球回投げる奴も珍しくなかったし。
中山は事件直前に復活したけど石本は完全に破壊されたからな・・・
あの年齢で・・・
あれで20勝してたらまた違ったんだろうが19勝ってことで後年殆ど顧みられてないのもかわいそう。
このあたりから中n日という概念が生まれてきて星野や古葉がそこで批判されてきたような
かなり昔なら監督より潰れる選手が悪い(バカボン理論w)と言われていたが
石本もその一人だが19勝した投手は翌年低迷するのが法則だったな
村田 19勝(81)→4勝(82【肘痛】)
今井 19勝(81)→6勝(82)
江川 19勝(82)→16勝(82)
山沖 19勝(87)→7勝(88)
阿波野 19勝(89)→10勝(90)
なかなか面白いな。
が、石本自体は19勝7Sから8勝32Sと抑え本来の活躍して、低迷したのは翌々年じゃない?
山本浩二が1987年も現役だったらどの程度の成績を残しただろうか
>>9
12年の田中とホールトンは十二分に活躍したと思う
前年並みって言うなら72年の足立まで遡りそう
失速の例なら他にも野口、山本昌、堀内、佐伯、清 >>10
本気で西武から指名打者兼清原教育係としてオファーあったらしいからね。
(自分のコラムで書いてた) 石本って近鉄いてまえ軍団が認知されてきた時代には
もはや破壊された後だったから知名度的にも不運すぎる。
いつだったか、登板したら土砂降りになって出場扱いされたけど1球も投げずに終わった、
って記事で名前が出たがほんとそれくらいしか無かった。
ファミスタ世代なら知られてると思うがな、レイルウェイズの抑えだし
石本は前年夏の西武戦で救援に失敗して1イニング6ホーマーの記録作られた時に
翌年のクラッシュの兆候が現れていた
石本って、近鉄の抑えで、後に星野中日がトレードで獲得した投手のこと?
中日時代にファームのブルペンで見たけど、ボロボロで悲惨だった。
石本といい佐野といい、どうも近鉄から中日の移籍にはいいイメージが無い。
小池はあまり記憶に無いな。
社会人で故障してしまったのに、プロでタイトルホルダーになったんだから
実力はあったんだな。
あの小早川が94打点を上げて勝利打点王
ポスト浩二になりつつあったんだよなぁ…
落合がHR28しか打てずに、やっぱりセリーグはレベルが高いぜ!
と、ガキのころ思った
ボブ・ホーナーに尽きるだろ。
あいつがすべて話題を持って行った。
8/9の近藤のプロ初登板ノーノー
もうこれは生きている間には無いと思っている
近藤のノーノーの最終バッター篠塚
日本シリーズの最終バッター 篠塚
10.8 巨人マジック1で後楽園でヤクルト戦も終盤逆転負けで胴上げならず。
翌日移動日に広島破れてドッチラケ優勝。
ナンバービデオの87年日本シリーズ名勝負を見たけど、巨人の自滅って感じ。調子の悪いピッチャーなら打てるけど、工藤とかには手も足も出ず。第1戦以外は完全に集中力が途切れてた。クロウの緩慢なプレーも必然の結果、何処か宙に浮いたまま試合をしてた感じがした。
2試合目の工藤の2安打完封はやばかったよな
普段の大小2種類のカーブに加えて、サイドスロー気味の投げ方から
スライダーに近いカーブという新球まで披露して巨人打線を翻弄した
高めのストレートの球威もすごかったね工藤
まったく打てる気がせんかった
この年のオールスターのVTRってあんまり無いよね。原とKK対決しか見れなかった。
>>27
篠塚は83年のシリーズでも最終打者
あと93年に伊藤智仁が三振奪取記録した試合でもそう シリーズは工藤の独壇場だったね
シリーズ前からも巨人打線を馬鹿にしまくり
だったのを覚えてる
横から出てきて一発ビシッと
誰だこの足は?
星野だぁ
>>35
確か5試合終わった時点で、「阪急より弱い」的な発言があったね。 「阪急から守備と足を省いたようなチーム」とか言われたんだっけか
工藤は翌年から不調に陥るだけに調子のりすぎたかもしれんなw
オフも相当はめ外しただろうし
この年の巨人と98年の横浜ってなんか中日以外は
皆自滅して勝ったというイメージがあるな…
阪神 主力打者をトレードで獲得するも失敗(田尾、大豊)
広島 主力選手が劣化で引退(衣笠、大野)
ヤク なぜか優勝チームの犬になる
87横浜=98巨人 外人選手がやらかして戦線離脱(レスカーノ、ガルベス)
西武はこの年から石毛をショートからサードにコンバートして
サードの秋山をセンターに、空いたショートに田辺徳雄を抜擢したんだけど
田辺が好守ともにまだ見浮くだったんで、いつの間にか堅実な守備の
清家がショートに定着してた。
笘篠は辻がオープン戦で死球を食らって指骨折の重傷を負って復帰までの
暫定レギュラーじゃないの?
もし江川卓を説得して抑えにしてたら、プロ野球の歴史は変わってたのか、、
変わらんわ
あんな素晴らしい投手にそれはもったいなよ
O氏「江川が抑え?無いわ、そんな事したら「ピッチャー鹿取」と
言えなくなるだろうが」
桑田19歳 15勝
工藤24歳 15勝
阿波野23歳 15勝
西崎23歳 15勝
星野22歳 11勝
槙原24歳 10勝
藤本修二 23歳 15勝
新人類
阪神の暗黒時代が幕を開ける。
こんなこと、シーズン開幕の時点で誰が想像できよう…。
中日は落合。ヤクルトはホーナー。
去年より打線が強力になった時点で最下位はみえてた
当時小学生だったけど、日本シリーズは絶対巨人が勝つと思ってた。もしこの時藤田監督だったら間違いなく勝ってた。
>>55
実は「西武コンプレックス」を一番感じていたのが藤田監督その人だったので、
仮に巨人が藤田監督だったとしても、西武には惨敗だったと思う。 黄金期の優勝したライオンズで、この年が一番弱かったと思う。優勝中の最弱。
そのかわり、森の「三本柱システム」が一番機能したのもこの年だな。
中4日の先発ローテで、絶対の信頼を置ける工藤・郭・東尾で2勝1敗の勝ち越しを狙う。
次の1試合は谷間の先発をあてがい(兄やんや小野)、「勝てばもうけもの、捨てゲーム」とする。
これによって、悪い目が出ても5割をキープできる。
今の野球ではこのシステムは無理だろうね。
いや、もう中4日じゃなくて5日か6日が定着してたよ西武は。
この年の中日数を列挙するとこんな感じ
東尾
5-6-6-5-9-5-6-6-5-7-5-5-6(球宴)
6-6-6-6-5-6-6-6-6-5
工藤
5-7-6-6-6-5-6-6-6-5-5-6-6-5-8(球宴)
6-5-5-6-5-6-6-7-8-4
郭
5-9-5-5-9-6-6(抹消)8-7-5(球宴)
6-6-5-6-5-5-11-5
屋根付き球場がなくて130試合を10月半ばまでもたもたやってたから、
6試合きっちりあった週の方が珍しいんじゃないかな。
東尾・工藤・郭・小野・松沼兄に加え、不調の渡辺久の代役で横田を抜擢し、6人ローテを
維持したのがシーズン終盤に効いた格好でしたな。
一方、上田阪急はアニマルの不調で佐藤義をリリーフに回すも、長らくチームを先発として
支えた山田久・今井の衰えも相まって、終盤は山沖・星野頼りの先発の駒不足が露呈した格好
となって首位陥落し優勝を逃したと。
ショートが凄い穴だったね
清家、笘篠、田辺 どれもいまひとつふたつ
秋山サード→センター
石毛ショート→サード
田辺 空いたショート
で改革元年だった
第6戦巨人先発水野って聞いてはぁ?!って思った。第5戦落とした時点でもうジエンドだった。
水野はこの年自己ベストともいえる成績あげてるし、
第1戦のリリーフが圧巻だった。
第6戦の先発任せたまではよろしかったかと。
クロマティが打点ゼロってのがな…
打つだけの打線だからね
繋がりのない。
王監督の理想の豪快野球
打つだけの打線だからね
繋がりのない。
王監督の理想の豪快野球
勝てるメンバーなのに勝てない
勝てないメンバーなのに勝てる
これだから野球は面白かった
最近は金銭が物をいってしまって
そういえばシリーズで、今年オリックスにドラフトで入った山崎福也のお父さん、巨人のスタメンで出てなかったっけ??
>>69
確か西武のホームゲームで9番指名打者で出ていた。 >>70
ありがとう!ググッたら第2戦で出てた。
正直この選手は全く覚えてない。
工藤対策だったのかな。 この年に2chがあったら、阪神のスレは凄い事になっていただろうな。
>>66
「繋がり」
単に打てるバッター並べれば生じるものだよ >>72
あそこまで弱くなってしまうなんてねえ…。 この年のクロマティ暴行事件って全国中継してたっけ?
98のガルベス事件は中継してたらしいけど…
されてない試合ってあったのか?よほどの消化試合以外で。
87年日本シリーズだけど
1戦江川・2戦槙原・3戦桑田・4戦西本が良いなと当時思ってたけどな。
>>69>>70>>71
山崎だけど大洋の遠藤がアキレスけんやった試合で殊勲打打ったような気がする
確か土曜日の試合 >>79
リアルタイムで観たわ
>>80
デーゲームをゴールデンタイムで録画中継してた時代だったからね この年の西武の投手陣ってどんなローテーションだった?
東尾、工藤、郭、松沼兄と4人だけ?
渡辺は後半はずっとリリーフだったし。
開幕 東尾郭工藤渡辺久松沼博
4月下旬 松沼博抹消、小野ローテ入り
5月末 渡辺久抹消
6月上旬 松沼博復帰
6月中旬 郭登録抹消、一回飛ばして戻る
6月下旬 横田先発抜擢
7月下旬 松沼博再抹消
8月末 横田抹消
9月上旬 松沼博再復帰
出入りを略図化するとこんな感じ
東○○○○○○○○
郭○○○●○○○○
工○○○○○○○○
渡○○●●●●●●
松○●●○○●●○
小●○○○○○○○
横●●●●○○○●
基本は工藤東尾郭の最強三本柱固定で、谷間に兄やん横田小野あたりが入れ替わりたちかわり
>>82
確かにそのローテいいね。江川初戦だったら負けてたって、森も著書で書いてた。 藤田も初戦江川推してたな
シーズンとシリーズは違うって
何といっても、西武打線を2安打完封した槙原の出番がなんであんな遅かったんだということ
槙原の調子がピークにあったのを見抜けなかったのかな
西本2戦目ってのが失敗だったよな・・・ここで江川か
槙原だったら日本一になれたかは別として7戦までは
行ったはずなのに
西本の2戦目起用は4年前の活躍があったからじゃないかな
どちらにせよ巨人が日本一になってたら、王さんももっと巨人にいられただろうし、
ソフバンなんかに行く事も無かったと思う。それでも西武は黄金時代を続けてたとは思うけど。
>>91
西武の89と95の優勝阻止したのは牛と檻だろ?
仮に87年に王巨人が日本一になったとしても西武黄金期の寿命は
大差無いと思う…
ただ鷹は未だに暗黒になってるか消滅してる可能性もあるが… >>92
プラス王監督のままなら、斎藤雅樹のブレイクも三本柱も生まれなかったね。
90年ももし藤田巨人が西武に勝ってたら、ミスター再登板も無かったかもしれん。
と言うと松井の巨人入団も無かったかも...。 開幕7戦を終えて
巨人、広島5勝2敗
阪神4勝3敗
85、86年に続いてこの三つ巴になる…はずだったが
>>82
西本の先発はない、水野でいい。
>>87
森はそういう話ばかり。みんな後付。
いずれにせよ初戦江川がいいとは思うけど。
19歳の桑田の敵地での第1戦はない。 >>90
どうせ工藤は打てないから捨て駒かと思った。 いや、工藤攻略は巨人にとってこのシリーズの焦点だったから相当対策を練っていた。
工藤の全投球が収録された2本のビデオを徹底的に観て、研究してきたそうだ。
まるで効果はあがらなかったが…
あのシリーズの工藤は絶好調だったし巨人打線が調子よくても難しかったよ いい投手が調子いい時はあんなもんだろ
4勝3敗でも、内容が明らかに厳しかったからな。
致命的だったのは、落合加入の中日にうち負けたのと、ホーナー旋風
あれで強力打線イメージが完全になくなり、ただ弱い投手陣イメージしかなくなった。
たった二年でこの有り様。厳しい世界なんだなと感じた。
>>103
>>96についてかと。
ホーナーデビュー3連戦でのホーナー大爆発で阪神は撃沈したとの評もあったな。 まず仲田から挨拶代わりの一発→翌日池田から三連発か。
あれは本当に驚愕だったな
そりゃチーム防御率4.51(セリーグ最下位)じゃね
ロッテが粉々になった年
バレンタイン監督がやってくるまでは…
ロッテはリーグ最強クラスの打線が1年で解体されたね
落合放出だけでなく、まさかリーがあそこまでだめになるとはね
しまいには古川とか4番にする始末
リーはもう歳というのもあるだろうけど。
有藤監督の構想がいかに駄目だったかという事。
この年の巨人は層が異常に薄くてDHだとこの年で首の松本や控え捕手の有田山崎がスタメンの始末 シリーズでもシーズン無安打福王がたしか代打で出るほど
で有名なファミスタ87で当時のファンですら知らないかつらが代打枠に入る事件が起きる
松本って開幕直後は好調だったんだよな
やくみつるがオープン戦での不振を引き合いに出してネタにしたぐらい
掛布の劣化は見え見えだった。が、掛布は人気選手。簡単に変えるのは難しかった。
そこの見えない闇が、ある意味阪神の最大の癌。
でも当時は外国人は投手1人野手1人の時代。キーオを取ったために、外国人は不可能に陥った。
考えてみたら、掛布以降のサードって、瞬間的な今岡以外いない。
>>110
野村追放した後の南海といいバース解雇した後の阪神といい
チームが下り坂なのに主力選手が放出して長期暗黒に陥る確立が高すぎる…
最近でも大野引退後の広島やイチロー渡米後のオリックスも… ところがこの87年は主力を出血サービスで放出した中日が頑張った
86
1平野2鈴木康3谷沢4ゲーリー5大島6宇野7上川8大石
87
1彦野2仁村3ゲーリー4落合5宇野6大島7川又8中村
血の入れ替えに成功した形になったな
さらにこの後中尾放出、孝政引退と続くんだよな
平野、大島、中尾
ただ星野のトレードって、他球団行ってもほとんど成功してるところ
この後も大豊と矢野
平野は黄金時代の西武の2番
大島は日ハム監督
中尾は藤田巨人日本一と斎藤覚醒
18勝して優勝に貢献した小野や20勝した西本とれたし万々歳だろう
「酷使の恩返し」
シーズン初セーブはチーム11試合目、この時は先発・加藤初を継いだ六回からのロング救援だった。鹿取義隆は入団以来ずっと、どんな
場面でも起用法でも投げ続けてきていた。王巨人は87年も前年同様ルイス・サンチェを基本抑えに、角三男、そして鹿取とのトリオで逃げ切る
パターンで臨んでいた。初セーブの頃も立場的には今でいう「セットアッパー」といったところ。しかしサンチェに失敗が目立ち、角も左打者用の
ワンポイント役がメインになると、次第に鹿取で試合を締める事が多くなってきた。
鹿取はチーム50試合目で6セーブ目、55試合目には7セーブ目を挙げてサンチェの6セーブを上回ると、前年との立場が逆転。最終的に
サンチェの倍の18セーブ、最後まで投げ切る交代完了の全登板数に対する割合もサンチェの58.9%を上回る63.4%と9年目にして
クローザーの座に就いた。さらに63登板は12球団の投手で最多だった。MVPこそ山倉和博だったが、1位票では山倉より6票多かった僅か
3点差の次点でセ・リーグ特別表彰も受けた。リリーフの価値を高めたこの年だけでなく、それまで8年間でのあらゆる起用に対応し続けた
褒美のような一年だった。
二年連続で100イニング前後を投げて「酷使」など王采配についての批判もあったが、当の鹿取は「毎回このゲームで壊れてもいいという
気持ちで投げていた」と寧ろ使ってくれた王に尽くしたいという恩返しの想いでいた。鹿取は翌88年も45試合に投げ、王政権の5年間で計
275試合に登板。鹿取自身が「野球をしている実感を得られた」と振り返る5年間だったが、「使ってもらえない時が一番悔しい」と言う鹿取で
なくても選手にとっては“使ってくれる監督が良い監督”という気持ちはどうしても起こる。鹿取の場合は肩や肘が痛む時でも、その思いは
変わらなかった。06年に王がWBCの投手コーチを要請した際も即答で快諾、全ては87年の活躍が本人にとって酷使という意識が無く、
起用への恩返しという思いがあったからこそだった。 (了)
王と日本シリーズで散々苦しめられた工藤が、今じゃ会長と監督って
不思議な縁だな。
王ダイエー日本一の原動力の一人でもあるし。
この年のMVP選考はセパ共に難しかったな
いやパは工藤しかありえないので簡単だったはずなのに東尾
セは決め手のない好成績選手がわんさかいた で、1982年中尾のごとく山倉に
3割打者5人、あれだけキラ星のごとくスターがズラリと並んだ巨人で
MVPは山倉か鹿取かなどという事態に陥らせた王の暗黒オーラ
原 .307 34本 95打点
吉村 .322 30本 86打点
クロウ.300 28本 92打点
篠塚 .333 7本 49打点 首位打者
桑田 15勝6敗 防2.17 澤村賞 防御率1位
桑田は後半勝てなかったからか
ついでに鹿取 7勝4敗18S 防1.90
こちらは郭の方が数字がよかったことが原因か
数字を見ると原が選ばれてもおかしくない。
原的には個人成績、チーム成績を総合すると、ベストシーズンの83年に
次ぐ年ではなかったか?
「ピッチャー鹿取」と言う名言生んだのに・・・
河合じゅんじ、はた山ハッチ、いしいひさいちと
漫画家にとって良いネタだったな
前年の骨折で自ら「あの瞬間、原辰徳は終わった」と述懐しているが
この年と翌年に3割30本を達成(2年連続3割は初)
そういえば桑田、前半戦終わった時点で12勝1敗だったんだよな
高卒2年目の新人でこれ、しかもどっかで雨で2試合連続流れたときに
2試合連続でスライド任されてたよな
ベテランでもスライドは難しいのに…
原が衰えだしたのは、長嶋就任の93年あたり。
そこから、一茂代打とか二軍落ち。
モチベーションが急激に落ちたのは否めない。
ただその頃の苦労が、今の長年続く監督業に生かされてはいる。原って案外、主力より控えを重視するタイプだし。
藤田2期あたりで既に打率低下、30本超えも厳しくなって昔日の威光は薄れていた
原の二軍落ちは確か怪我のせい
復帰戦藪からいきなり本塁打打ったし
ショックだったのは
前の打席にタイムリー打ってるのに
満塁で代打吉村を送られた事かな
吉村は併殺打で試合終了
長嶋はアホとしか言いようがなかった
そしてあの究極の必殺技「原の代打に一茂」
結果→併殺打w(しかも全国中継)
そんな無能監督長嶋を褒めまくるマスゴミ、王さん藤田さんだったら
ちょっとの采配ミスでもボロクソに叩くくせに
>>140
第一期時代の猛烈な長嶋バッシングを知らんのか >>129
実は鹿取は前年と成績あまり変わらなかった。 >>141
野球見始めたの83年からだから知らない、80年に切られた時新聞不買運動が
起きたそうだが選手としては解るが監督として何故そんなに神格化するのか
理解できず気持ち悪かった・・・ >>137
あーこういうの思い出すだけで腹立ってくるなw 試合後、吉村は「僕は、ジャイアンツのためにあれだけ頑張ってきた人の代打には立てません」と監督に直訴
代打一茂の時「守備固めを考えた交代(キリッ!」って茂雄のコメントが翌日の報知に載ってた
もし巨人阪急のシリーズになってたら
さすがに巨人が勝っていただろう
HR0の首位打者(正田)と打率最下位のHR王(ランス)
獲得するならどっち?
この年のとある関西チーム「大量補強したから優勝や!弱いなんてありえへん!」→絶望的最下位
なんかこれをなぞるチームが出てきた予感
最下位ではなかったけど1995年のダイエーもそんな感じだったな
それでもこの年の小久保みたいに急成長する若手でもいればまだ救いはあるんだろうが・・・
今年の阪神見てると、この年を思いだしてしまう…
オールスターまでに20勝できますように
39歳の門田が2000本安打に到達し、自身6年振りの3割、3年振りの30本塁打。最後の輝きと思ったが、まさか翌年あそこまで打つとは‥
工藤公康 1987年 登板27 完投23 15勝4敗 防2.41
>>156
これでどうしてMVPとれないんだ?
東尾は投票する記者まで恫喝してたのか?
そしてこの冬に遂に成敗されるという ちなみに東尾 登板28 完投17 15勝9敗 防2.59
81年の西本沢村賞に匹敵する謎選考ですな
この年の山倉と82年の中尾については
捕手の影響力をやたら高く評価する日本人の習性がよく表れてたな
2003年も最終的に選ばれたのは井川だったが1位票は矢野の方が多かった
ベストナインの投票は、山沖の票の中に誤字があったため、工藤が1票差で受賞。それを考えると、ベストナインに工藤か山沖に投票しながら、MVPの1位に東尾と書いた記者が沢山いたということになる。なんか矛盾してますよね?
山倉はわかるよ。22本塁打の8番だぜ。
敬遠ばっかりで笑った。
>>162
1994年 MVPは桑田で、ベストナインは山本昌 >>164
66打点も立派だし、成績はほんと素晴らしいんだけど、他にもっとMVPにふさわしい選手いるでしょう。
中尾の時は消去法的な選出だが、この年の巨人は有力選手一杯いる しかしそれは鹿取ではないw あの年のパに関しては江夏より2位の柏原の方が驚きだわ
成績だけ見ればどう考えても江夏とソレイタの一騎打ちのはずなのに
記者連中どんだけ外人に冷たいんかと
巨人は山倉 桑田 鹿取 原とかで票われてたのかな 桑田があと2つぐらい勝ち星増やしとけば捕れただろうな
年間通して貢献したのは山倉と篠塚だけだったっけ?
桑田はオールスター以降失速、原は開幕出遅れ、鹿取はサンチェに代わってクローザー、だったよね
てかこのメンツの名前書いてて改めて思う。この頃の巨人&プロ野球が一番好きだな
>>155
シーズン開始直後は同じ2000安打目前で左打者の加藤英とDHが併用される方針だったので
奮起してレフトの守備に就かなければレギュラーの座も危なかった。結果最高出塁率のタイトルを獲得するとは >>169
原スレにあったMVP得票点数のコピペ
87年 セリーグMVP得票数
565 山倉
562 鹿取
476 桑田
334 原
21 中畑
19 クロマティ てか桑田だよね。普通にみれば。序盤から連戦連勝で突っ走ってたからな。
レスカーノ(大洋)の失態と高橋智(阪急)の衝撃デビューは記憶してる。打者転向して
ウエスタンで20本塁打。でいきなり工藤(西武)からバックスクリーンに叩き込んだ。
西武の強さを一番感じたのはこの年。「どうやったって出遅れたって西武が優勝するだろう」と思ってた。
う〜ん、公平期すならやっぱ山倉なのかな
とにかく練習、試合出ずっぱりで気の毒だとクロウ本にも書かれる有り様
>>174
元阪神のGじゃないけど
レスカーノって速球が怖いと言って
勝手に引退したんだよね? 秋山93高沢63新井22島田22簑田21佐々木20‥ 新井、島田が同数票受賞、次点簑田が1票差、さらに佐々木が2票差。あわや6人受賞の珍事だった(パ・リーグのゴールデングラブ賞)
スレチだが何で外野ってベストナインやGG賞で「外野」で一括選考するの?
内野みたいに「レフト、センター、ライト」で選ばないの?
>>179
その方式だと90年代後半だと金本がGG受賞して緒方、前田がGG落選するぞ。 工藤15勝4敗23完投 15勝4敗が全て完投で、その他4引き分け完投が
あったらしい。斎藤雅樹より凄いわw
山倉は敬遠多かったのかな。
この年の巨人投手陣はとてもよく打っていた印象。
桑田水野江川西本と打撃が良い投手が多かった。
この年の巨人が3割打者5人、山倉確変駒田もブレイクしかけたのは
打撃コーチに就任したかっぱえびせんこと山内一弘の指導のおかげでは
ないかと。
山内って中日クビになった翌年から巨人の打撃コーチだったのかい
マジで知らなかった
このシーズンの山沖(阪急)は、ある意味で狂い咲きでは?
>>173
いや、鹿取でしょ
王監督の「ピッチャー鹿取」がネタにされてたぐらいだから 桑田は15勝したが、後半失速している。記者投票の傾向として、後半失速型は票が伸びない。逆に、91年の郭(西武)のように、8〜9月に勝ち星を稼いだ(後半追い上げ型)パターンは、票を伸ばす。
巨人は前半で決めちゃったシーズン。
20貯金作ってその内11が桑田(12勝1敗)、8が江川(9勝1敗)だった。
後半競ったわけでもないし、失速ってどうでもいい気がする。
序盤は松本の復活。原の爆発
中盤以降は、駒田や山倉の覚醒
選手層だけなら前年の方が厚かった
だが、レギュラー全員3割を越えた
>>187
山倉もどちらかといえば後半に失速したが。
2割9分台だった打率が最後の方で2割7分台に落ちた。 山倉8月下旬ぐらいまで.300弱だったよね。最後2分下げた。
シリーズ不調だったのは桑田だけな気が
江川はそんなに悪くなかった
単純に打線の調子が最悪だった
>>195
不調なのは桑田だけだっただろ。
江川、槙原は良いピッチングした。 工藤に手も足も出なかったな
当時の巨人打線は左投手に弱くて、シーズン中も大野、川口、近藤真一らに手こずっていた
「巨人打線は3割打者が5人いるものの、川口や大野、遠藤、小松に苦戦していたから
ウチの東尾、工藤、郭で十分押さえられると思った」
今でこそ、西武の森監督がそう言って定説ぽくなっているが、
第1戦で東尾が巨人打線に滅多打ち食らって負けて2戦目の朝、顔なじみの記者見つけて、その記者に
「打線のレベルが違う。4つ(4連敗)で終わるよ。」 そう真顔で漏らしていたらしいなw その記者が本に書いていた。
勝った後、嘘ついてこういう厭味ったらしいこと言うから森って嫌われたんだろうな
>>200
森の言うことは、ほとんど後付けの結果論ばかり >>200
「4つで終わるよ」と真顔で言ってのけるあたりが森タヌキの真骨頂 開門時点では雨が上がっていた8月の後楽園のヤクルト戦を
「ご覧の様な天候状態の為、本日の試合…」と強行中止し、
そして予備日として組込まれた10月のM1で迎えた後楽園、
広沢の勝ち越し2点タイムリーの前に撃沈したアホ読売w
(新聞では5万人の中500人程のヤクルト応援席と書いてあったが、
現地の感覚では200人居たかどうか)
マジック対象の広島が浜スタで勝った為に優勝決まらず、
そして読売が移動日の時を見計らったかの様に、
きっちり負けて読売の優勝を決定させる広島w
果たして王監督悲願の初優勝・初胴上げは、ホテルの大広間で決定・開催という、
何とも間の抜けたモノにw
これも雨も降ってもいないのに、球場で開門を待っていたファンを無視した暴挙への強烈な天罰でしたとさ
>>200
東尾より後に出てくるリリーフがことごとく打たれたのがショッキング
毎回被安打(そこそこ珍しいシリーズ記録)
桑田崩れた後に好投した加藤初と対照的 敗因は中継ぎの差と言われた >>203
その前の日の試合は1回裏にいきなり巨人が8点取るとかのふざけた試合だったような
その日もカープが勝ったから優勝は決まらなかったんだよな >>180
翌年の阪神戦で5安打10奪三振完封150キロ87年は150はなかった。
>>185
最後の中3日で完投した投手。
>>197
マッキーは3安打11K完封。メイクミラクルシリーズでも完封。
90年は怪我だから仕方ない自分の中では3本柱中最高の投手。
>>199
工藤は仕方ない。86年の広島でさえだめだったのだから。
杉本木田仲田あたりは打っていたよう気がする。 近藤4戦目のリリーフ登板が摩訶不思議友人もなんで?と理解不能。
案の定不調になった巨人完封で持ち直してヤクルト戦で好投も4回降板。
それから星野が嫌いになった
セパ両リーグともに、MVPが僅差。パ・リーグのベストナイン投手部門で、山沖が誤字により1票差落選。パ・リーグのゴールデングラブ賞で、新井と島田が同数票受賞。セ・リーグのゴールデングラブ賞で、高木豊が記者批判。記者投票が話題になったシーズン。
山沖の誤字投票ってときどき話題になるんだけど、
具体的にはどんな感じだったの?山中と書いてあったとか?
選挙なら判別できる程度の誤字とかは、
有効投票になると思うんだけど
そんなレベルじゃなかったんだろうか
>>207
中3日の連続完投勝利は翌88年の工藤(西)もやってるし
中2日の連続完投勝利じゃないかな?
最後かどうかは自信ないから断言できないが 山沖の票の中に誤字があったために、無効となったが詳細は不明。想像だが、伊東勤を伊藤勤とか、秋山幸二を秋山浩二とか、石嶺和彦を石峰和彦とか‥ 10人の選手名の中に、一文字でも誤字があれば無効票になる。
10月3日の試合中にアキレス腱断裂の怪我を負った遠藤一彦投手、
5月下旬から1ヶ月半ほど登録抹消されていたんですね。
この時の登録抹消の原因がアキレス腱だとしたら、
アキレス腱断裂はもはや時間の問題だったのでしょうね。
山沖之彦 を 山沖義之 と書いてんじゃなかったっけ
門田の2000本安打達成が39歳6ヶ月。当時の感覚として、40歳を過ぎてから2000本安打達成なんて、まずあり得ないと思ったが、いまや普通になったね。
一方でこの頃に全盛期を迎えていた選手は大半が2000本に届かずに辞めてしまった
そして達成したのが比較的年上の落合と新井というのがなんとも皮肉というか・・・
中日の宇野、近鉄の新井が意外なことに球宴初出場だった。
86年
1平野2鈴木康3谷沢4ゲーリー5大島6宇野7中尾8上川
87年
1彦野2仁村3ゲーリー4落合5宇野6大島7川又8中村
大島と宇野だけ
見事な入れ替わり
さすが星野仙一
またひどい牽強付会が来たな
ゲーリーの見落としがまずあって、
川又は86年も規定打席に達してるレギュラーだろ。
87年の中尾と中村も、中尾の方が出場試合数も打席数も倍以上。
>>198
その上、守備でもやらかしているからなw クロマティ、袋叩きにあっていいパフォーマンスだったのに、
あんま戦犯扱いされなかったな。最終戦の守備が巨人全体の問題として叩かれたぐらい。ガイジンだから?
クロマティは打ってなんぼ
守備はたまにファインプレーやると、
興行的にウケが良いってくらいで、
最初からアテにはしてなかっただろうからなぁ
このあたりから本当に使える助っ人になって来たイメージがある
やっぱり巨人の害人→守備でも安打製造機→使える助っ人→4割とか神キター→もうダメだわこいつ
な感じ
巨人中畑が前半戦絶好調で山倉とかも恐怖の8番だったな。
それでも西武には勝てる気がしなかったけど。
シリーズ戦前は意外と勝てるんじゃねぇか?とか
思ってたんだけど、終わってみたら2勝4敗という結果以上に、
西武は強かった。
上手く言えんのだけど、個々の選手は低く見積もっても西武と同等、
個人的には巨人の方が一回り上回っていると思っていたが、
チーム全体の野球の質みたいので、数段上回った野球をされた印象。
3年後には個々の選手も西武が上回ってしまったため、
正にチーム全体共々コテンパンでございました(´・ω・`)
オールスター第1戦で、小松を出さなきゃセ・リーグ勝って、原がMVPで盛り上がったんだけどなw
>>233
この年の西武打線は、ずっと低調だった。しかし、ここ一番の勝負強さがあった。確かに打力は巨人が上だったが、走塁や守備力は西武が数段上。 西武打線貧弱とか言われてたけど、
日シリ始まったら清原秋山ブコ石毛とか、
普通に怖いやんとか思った
>>235その試合見に行った。
清原に勝ち越しタイムリー打たれて、高沢に本塁打
打たれたんだよな。
翌日小松が「高沢に打たれたのは・・」ってあったけど
高沢の方が1つ年上なのになんだこいつって思った。 巨人は連打は出たが、勝負強さは薄かった
西武は連打はなかった
が、勝負所でホームランがよく出た
西武って、走塁とか緻密とかいうが
長打力もレベルは高い
森の中では90年よりも87年の方が会心のシリーズらしい
90年は勝てると最初から思っていたが、
87年は自分の打線が下回っているが、
勝負所の打線の働きや、守備走塁で
快勝したことが会心ってことかな。
力でねじ伏せたのが90年。采配で勝ったのが87年って感じなんだろうな。
90年は選手で勝った印象だし。
87年は、クロマティの怠慢走塁がよく取り上げられるが。シーズンホームラン0だった清家のホームランも貴重だったと思う。
ある意味、ここが西武の強さ。戦力層の厚さだと思う。
何かの本で読んだけど、
第1戦東尾が巨人打線に捕まったけど、
東尾が色々試して巨人打線の弱点を見つけ出して、
後、参考になったって森監督も認めてたらしい。
>>247
ああいうのは後付けで都合よく言ってるだけだろ。
東尾は「日本シリーズみたいな大事な試合で相手のデータをとるとか
そんな余裕があるわけないだろ」と別のところで言ってるし。 >>240
強烈に羨ましいわ。あの熱気のある時代のオールスター見に行きたかった....。 オールスターに華があったな。
3戦目に甲子園でKK対決とか、
西崎阿波野は出てたんだっけかな。
第3戦落合バース原のクリーンナップ実現には興奮した 何故か原がショート守ってた
ダブル三冠王の次に原か
まぁベストシーズンではあったな。
前半戦で21本3割2分近くあった様な
>>250
阿波野は甲子園で先発。西崎は選ばれていない。球宴明けから、勝ち星を伸ばして15に乗せた。 この年から野球を見始める(小3) 巨人の後楽園の放送ばかりですげえ勝ってる試合ばかりだったから
日本シリーズの惨敗が驚きだった。バースを見て阪神ファンになったが、投打ともひどすぎて2年前に日本一
にとアナウンサーが連呼していたのが信じられなかったわ しかし後楽園の雰囲気は今のドームよりはるかによかった
しかし田尾トレードだけで、あれだけ負け続けるのもある意味奇跡的だったわね。
打線もひどいが先発がキーオ以外7時の中継時ほとんど消えていた、軟投方なのに
ノーコンてスピードガンも130km前半だし、負けてても1点差だったら今日はよくやったと思うぐらいだった。
ピッチャーは球威ないノーコン
キャッチャーは弱肩
打線はロートル
見事に弱い理由が確かに揃ってた
前年に、渡真利や中野を積極的に使ってたら、また違ってた気はする。
顔も知らんような若造だすな!○○出さんかい!やろ。
掛布の衰えが、見事にチームとリンクしてた。山本浩二は引退した年でさえ27本もホームラン打ったのに。
まだ狭い球場の時代とは言うものの、阪神の外野陣はオッサンだらけ。レフト柏原、佐野、長崎、センター田尾、弘田、北村、ライト真弓。北村は守備範囲が広かったが、真弓は並。残りはロートル。
140投げる投手もほとんどおらず伊藤あたりが剛腕扱いされてたよな
山本浩二の最終年は身体がボロボロで
文字通り名前で打席に立ってる状態だったから
現役続行しても本人もチームもファンも不幸になったと思われる
・掛布から八木への世代交代を早くやるべきだった。
・キーオよりも、ホーナー取るべきだった。あるいは落合。
落合も取れたらなあ 田尾なんかいらんかった。
1中 真弓
2遊 和田
3右 バース
4一 落合
5二 岡田
6三 八木
7左 渡真利
8補 木戸
代打 柏原 佐野 永尾
長崎
>>268
出たぁ!!!
オーダーいじり大好き
妄想捏造オジサン
ホーナーホーナーホーナーホーナーホーナー
このオジサンはおそらく死ぬまでホーナー欲しがるんだろう
ホーナー来日の経緯を他スレで何度も説明されても理解しないオジサン
前年故障の掛布をいきなり87開幕前から引退勧告しろとか言い出すオジサン
このオジサンは今で言うなら鳥谷が故障したら翌年には引退勧告するんだろうか
実在している選手でオーダー組んだだけマシか 吉田監督が著書でこの時1976年に監督率いたときは掛布は練習の虫でメジャーもいけるんじゃないかと思うぐらいの若虎
だったらしいが85年のキャンプですっかりお山の大将で、ぬるま湯になって守備を含めて衰えつつあるのに危機感がないこと
を残念がっていたわ バースがよく試合後、監督に掛布のリーダーシップが足りないと訴えていたらしいが(85年時から)なお
当時も12球団1番緩いキャンプで有名
>>270
キャンプは先進的だったんだな
80年代のプロ野球キャンプなんて、非科学的な練習の宝庫。
そもそも量が多すぎる日本の野球環境にあって、量と成果はむしろ負の相関がある。
ロッテが12球団一の練習量と言われてた でも掛布は、あの手首の骨折がなかったら。かなり長くやれた気もするが。
>>268
86年オフの時点で、掛布は故障が無ければ、まだ3割30本は打てると思われていた。阪神が落合を必要とはして無かった。ただ、田尾は獲る必要は無かったのは、当たっている。 北村や吉竹を、吉田監督は伸び悩みと判断。大野を育成する間、得点力増強のための田尾獲得と思えば納得できた。
柏原獲得もそう。
ただ、柏原はともかく、田尾は打てなさすぎた。
吉田監督はメジャー流の、バントをやらないイケイケ打線を夢としてた。だから柏原や長崎や田尾みたいな名前あるロートルを立て続けに獲得した。
バース日記で2軍の育成が絶望的とか書かれてたけど、翌年 和田大野中野あたりは
いきなりレギュラーとして十分合格点なんだけどね。2015の阪神からすればよく育ったと思うくらい
ただ八木以外、中軸を打てるやつがいなかったのか育てれなかったのか
渡真利、横谷、宮内、山口
候補は沢山いた
が全滅した
それは阪神だから候補扱いされたのか、本当に候補だったが阪神だからダメになったのか
横谷や山口は、掛布の後釜と期待された。ただ、とにかく練習嫌いで評価は低く、切られた。
だからこそ八木をドラフトで獲得するしかなくなった。
渡真利は87年後半にブレイクしかかった。が怪我して終わった。
この年の阪神と、2002年の横浜はかなり似てない?
オールスター明けの阪神戦で江川がプロ初の押し出しを記録
オールスター明け初戦は、何故か江川が打たれ、85年をフラッシュバックできたな
>>276
柏原は、ハム時代の84、85年から衰えていた。86年は、まさに最期の一花だった。 掛布の骨折は、ある意味では柏原の存在価値を再認識出来たとも言える
サード、ファースト、レフト
たらい回しだったが。衰えかけた柏原に、最後の一花は咲かせられた。
で新庄の師匠に。
>>254
多分おれと同い年。日本シリーズは一気に後楽園で決める! とか意気込んでたのに...。
254氏が後楽園に行かれたのは本当に羨ましい。
自分は長嶋政権になってから、遅いドームデビューでした。 それにしても80年代の選手の応援歌のカッコ良さ...。今の応援歌はおおげさだし、タオル振り回すのは...。時代の流れですかね。今聞いても涙が出そうになりますw 江川引退発表が今頃だったかなぁ
衝撃的だったが、桑田の台頭を見届け、
充分にエース級の成績だったにもかかわらず、
小早川のアレで悟って涙の引退とか格好良すぎだったな。
鍼の話しは作り話だったらしいがw
たけしがオールナイトニッポンで江川引退について
しんみりと長い時間話していた記憶がある
>>289
松本のイントロ&応援歌と岡崎の応援歌が好き過ぎて、一回裏から既にハイになってた小学生当時の俺(新監督とは同級生です…) 引退するかしないか、連日大騒ぎだったね。
会見は大絶賛だった。32歳のスポーツ選手であんな立派な話ができる人は他にいないだろうって。
>>292
俺は中畑と駒田の応援歌がとにかく好きで、
たまにようつべで聞いてます。笑
阿部慎之助と同学年です。笑 阪神ファンだけどあの時のジャイアンツの応援歌は1番から9番までいまでも覚えてるくらいよかったよ
中国針の件は今の時代だったら、また違った理由になったんだろうな。いろんな意味で
寛容な時代だったし
山倉の応援歌が球場で唄ったものとカセットテープでは違うんだよな
球場だと
「意外な所でイッパツ流し打ち あーっと! 驚くライトへホームラン」
公式だと
「焼け付くベースに命賭ける男よ やまくら! とどめだソレ蜂の一刺し」
だった記憶が
>>296
年によっても歌詞って変わったりするし、
有名な私設応援団が配る歌詞カードも、
カセットとは違ったりで、何だかよく分からんかった 中畑
球場 おーまえが男なら〜(中略)ライトスタンドへ
公認 燃えろ〜清男なら〜(中略)レフトスタンドへ
バース
一般的には バースかっ飛ばせバース
何故か俺は そーれかっ飛ばせバース
>>283
直前まで妄想オジさんが相当荒らしてるもんね
そりゃ過疎るわ。保守有難う >>298
中畑の応援歌って元々巨人全体の応援歌だったのか?
この前つべで見た時よく知らん選手の応援にあの曲使われてたけど
あと西武時代の清原の応援歌も清原入団前の西武の選手に
使われてて凄く意外だった 中畑の応援歌って、清よ燃えろ〜ここで一発キヨシ!
かっ飛ばせよかっ飛ばせよーレフトスタンドへ〜
じゃなかったっけ??
>>300
清原の応援歌は岡村(秋山の前の正中堅手)の応援歌だったよね
んで清原の応援歌、
初めは
「光かがやく大空高く 燃える男だチャンスに強いぞキヨハラ」
その後
「光かがやく日はまた昇る 燃える男だチャンスに強いぞキヨハラ」
だと覚えてる 当時の応援歌はパクリかプロの作曲
当然ネタ切れ前だからどの応援歌も印象深いよな
あと今みたいにチャンステーマとかないから固有の応援歌がずっと流れるから
なお印象深い
後半の歌詞も微妙に変更されて
前期 燃える男のチャンスに強い清原
後期 燃える男だチャンスに強いぞ清原
だったような
秋山もなんか歌詞変えてたよね
伊東勤の初期テーマって高校野球でもよく使われてたけど元曲あったっけ?
8月19日、後楽園でクロマティが津田から逆転サヨナラ2ラン!打った瞬間に分かるホームランだった。
後楽園で初めて巨人の勝利を見たのが8月19日だったが、後楽園最後の8月19日を飾ってくれた。
>>65
本人は8本ヒット打ったのになんでこんなに叩かれるんだ、と著書に書いてたな >>110
しまいに、じゃなくて規定路線だったの>古川四番
前年ルーキーで16発打った古川の成長を見込んだのも落合放出の一因だから
古川は87年序盤は期待に応えていたが、デッドボールによる長期離脱で以後ガタガタに >>257
仲田遠山は球威あったぞ あの当時は
ただし制球と駆け引きが「お察し下さい」レベル
前年(前前年?)から球威がまるで落ちたのは池田と中田だったな >>261
吉竹だしたのは失敗だったな
吉竹は金森とのレギュラー争いに勝ったけど、間もなく故障 >>306
テレビの生中継を見ていたが、あの試合か!
たしか1-0からランナー一人出て、
クロウ原吉村を迎えたとか、そんな感じだったよね。
俺は原ファンだったから、原のサヨナラHRを期待したんだが、
先に打たれたw もっとも原じゃ打てんかった様な気もするけどね。
実況でも打った瞬間に「これはHRになりそうだ!」って言ってたよ。
クロウは初のサヨナラHRだったかな、意外っちゃ意外。
あの試合を見たとは羨ましい。
>>308
古川は期待したんだけど、結局、それ以上は伸びなかったね。 古川は何故かファミスタで唯一の奇数本塁打数(17本)
だったなw
横田もデビューから2年連続3割は長嶋以来の快挙だったんだが
この年は不調で、それでも2割8分打ったのは流石と思ったが
その後は怪我したりでパっとしなくなっちゃったな
この年の巨人打線は他球団からすれば脅威だったな。
3割打者が5人いて山倉は一発があるし松本も春先は首位打者だったし。
そんなチームでも西武の前だと歯が立たないけど。
前年中日監督を途中休養になった山内コーチが復帰したのが大きかった。
シュート打ちの山内、の異名の名コーチの指導でみんなインコース打ちが上手くなったが、反面自打球直撃が増えて
中畑は3回くらいリタイアしていた。
開幕戦、初陣の星野監督は小松をちらつかせてサウスポー杉本を開幕投手に持って来たが、原を肉離れで欠いてた
のに左の吉村・駒田に一発を浴びる始末。
古葉は杉本について10勝したとしても10敗する
投手と言ってた
星野一年目の開幕3連戦の先発投手(杉本、鈴木孝政
、小松)は指導者としては無能だった
>>316
成績だけなら、西武には勝ってはいた
実際初戦は大勝したし
ただ、もつれた試合になると勝てなかった
あと、長打力は西武が上 >>312
津田があっさり打たれたのが印象的だった
あとこの年の印象的な場面は
春先の原の代打満塁ホームラン
序盤に衣笠の満塁ホームランでリードされたが
コツコツと単打でつなぎ、代打原の逆転?満塁ホームラン
実際あれはラジオで聴いてた
妄想親父でした >>322
なにか野球マンガのような感じだったな
前任シンパが強くてついてこないチームをいろいろ経て成長させた
そこまでは良かったが伸び悩んだあげくまた前任が帰ってきていらんかったんやとまた溝ができたのがマンガとの違いか
他球団ならじょいなすやデーブみたいな噛ませをしたんだろうが、巨人だしなあ >>320初戦は球種が多くて制球のいい東尾を使って、わざと打たせてG打線の特徴を把握したんだよ。
ニ戦以降はその分析をもとに配球をガラッと変えたらあの通り、と 94年の日本シリーズでも桑田がわざと打たせて
西武打線の特徴をしっかりつかんだとかあったが
その手の話は後付けとしか思えん
2戦目の工藤と槙原がよくて完封しただけの話だしなw 調子悪ければ配球かえても打たれるよ
南海が強かった最後のシーズン。
最終的には4位だったが、9月初めの時点では首位まで3.5差につけてた。
森・西武って第二戦重要主義の割に第二戦の勝率は悪いよな
>>320
そして守備力だったら、天と地ほどの差があるw >>326
わざと打たせた はウソw 勿論抑えるつもりだった >>332
内野はあまり変わんないと思う。
外野がまるで違う。要のセンターが秋山vsクロマティってw 後楽園の開幕戦で大きい地震が起きたの覚えている
危うくパニックになりそうな大きい揺れで場内アナウンスで耐震は問題無いから平静でいるよう
呼びかけていた。
その巨人の守備力でさえ、セ・リーグレベルだとトップクラスだった。
ってやるとまた妄想オヤジになるのかな?実際広島ぐらいだろ。あの当時の西武と守備力で対抗できたの
阪神なんて下手したら
レフト 佐野 センター 長崎 ライト 田尾
だからな(笑)
クロマティの守備でも安打製造機ぶりがもったいない
しかし巨人ってそういう選手大好きだよな、張本とかラミレスとか
金本にはさすがにてだししなかったようだが
掛布や岡田がそう少しマシな成績だったらバースの3冠王も可能性もあったかもね
あんだけ絶望的な戦い方だとやる気も失せるけど オールスターで19勝52敗かなんかで
勝率261でバカにされてたなあ
87年のセンターは平野・長嶋・屋鋪・北村。
ただヤクルトはひどい。
ホーナーが衝撃デビューした時のクリーンナップが
3三 ホーナー
4中 杉浦
5一 レオン
だったと思う
ヤクルトはこの頃は、広沢は外野手だったはず。ホーナー、レオンなんてただ打撃のみだし。
中日も平野以外は大島や川又やゲーリー
だから、巨人でさえ守備力は上位に入る
阪神は、最初のころは貯金もあった。
確か中日戦の最初で、小松完封の次の試合で打ち負けた試合があった。このあたりから、今年の阪神打線は弱いというスコアラー報告が一気に広まり、阪神はガタガタに崩れた。
あの当時はどこも箱庭ばかりだったから外野守備軽視だった。
次の年に東京ドームができてから、巨人や日本ハムは俊足・強肩の外野手を集めだした。
でも89年の巨人の外野陣なんて、原・クロウ・井上(緒方)の布陣で
当時では出色のチーム防御率2.56だからやっぱり外野守備なんて
たいして影響ないんだよ。
阪神も何故か、守備力を重視しだして5年後にラッキーゾーンを撤廃した。
やっぱりこの年で、攻撃力野球の限界を感じたんだとは思う。だから次期監督の村山から、守備力を重視した野球に少しずつ切り替えては行った。
この年の中盤
レフト 佐野 センター 田尾 ライト 真弓
5年後
レフト 八木 センター 新庄 ライト 亀山
この5年間のドラフト戦略が見事にハマった
>>342
89〜91のタイガースなんて貧打もいいとこだろに むしろ貧打に苦しんでたから相手も同じぐらい打てなくなるようにと
ラッキーゾーン撤去したんだろうにな
もっともそれで成果が上がったのはたった1年限りだったが
>>344
1989年はフィルダーいたからそこそこ
ちょっと光明が見えたシーズンだったな 3年ぶりに最下位じゃなかったし(5位)w
>>337
キャッチングはこの年ぐらいまではうまくなかった? ラッキーゾーン撤廃後の暗黒阪神は、球場の広さもあってか
チーム防御率が最下位になったことは一度もない。
投手陣は毎年ソコソコの防御率だった。
もっとも自軍はそれ以上に打てなくなったが。
和田はラッキーゾーン撤廃に伴って「しばらくウチからは
ホームラン王はでることはないだろうな」と発言してたが
「しばらく」どころかずっと出ていない。
最後の最後までHRタイトル争いできたのも03年のアリアスくらいか
惜しい選手すらほとんどいないからな
まあ根本的に打者不利
パワーヒッターが特別調子よくてそれでライバルが数字を落としてるという条件でしかタイトル取れないんよな
そしてそんな年はそうそう巡ってこないと
阪神最後の本塁打王のバースがこの年成績を落としてランスにタイトルを
奪われたのは、やっぱり掛布の怪我から来た衰えが原因?
岡田は結局85年は確変だったし真弓も似たような成績、柏原は86年だけだった。
まぁ間接的には影響もあったかも知れんけど、
バースだってそのくらいの成績の年はあるんちゃう?
HRの本数はともかくだけど、37本の割には打点が少なかったわね
むしろその辺が影響あったのではないかという気がする
桑田って投げるときブツブツ言ってて投げるときあげた足が少し止まってたよね
ビジターでは青いグラブ使ってコーディネイトしてたな桑田
バース選手、
前半は首位打者争いには参加しなかったものの
打率は3割3分台を維持していた記憶があります。
しかしオールスターの少し前あたりから打率を落とし始め
オールスター時は.315、オールスター明けも不振が続き、
8月にたしか打率.292まで落ちたはずです。
ヤクルトのレオン選手も同じ時期に怪我もあってか不振に陥り
オールスター前に.322あった打率が.288くらいまで落ちたと記憶しています。
この年、広島の山崎隆造選手も首位打者争いから打率が急降下していったような。
8月下旬だったか、中日のゲーリー選手が打率.3358で首位打者になったことも。
でも脇腹痛で離脱してしまったという。
バースというより、チーム全体がバラバラだったのと
バースの日記
「ヨシダは日本一以降独裁者になった。あれだけ、人の意見聞いた人が途端に意見を聞かなくなった」
バース自体の成績は三冠王を考えたら落ちたけど
そんなに極端に悪くはない
落合がセに来て三冠王2人でいくつタイトル獲り合うか、とか言ってて2人とも無冠だったな(笑)
正田がホームラン0、つまりリーグ最小ホームランで首位打者、ランスが打率最低でホームラン王のコントラストは最高だった。
正田とランスがフュージョンして…
小早川ってとこかな…
バースとか落合になるのかと思ったら、
平均しちゃってるじゃねぇかw
当時どっかのスポーツニュースで毎日のように今日のバース落合のコーナーがあったけど
結局無冠だったなあ 落合はセリーグの投手は初対戦が多かったし、バースは前後の掛布岡田が不調すぎて打点は稼げんし
モチベーションを保つのが大変でしょ
翌年のシーズン前に発売された週刊ベースボールでの落合選手と大田卓司氏との対談でしたが、
落合選手がセ・リーグ1年目で感じたことは
セ・リーグは試合を諦めるのが早い。
パ・リーグでは9回の最後の攻撃で3点のビハインドでも全く諦めない。
試合に負けたらお客さんが球場に来てくれないから。
という趣旨の発言をしておりました。
シーズン中にも大田氏に対して「俺、野球やってないもん」とこぼしていたそうです。
シーズン最終戦5打数1安打に終わり、1安打差で首位打者を逃したわけですが、
悔しさはどれくらいあったのでしょうね。
球場が大して変わらない川崎とナゴヤで、ホームランが前年より半分ぐらい落ちた落合。
飛ばないボールだったのか?
でも6月に甲子園で3連発した落合は
さすが落合だとは思った
>>353
田尾の獲得は、吉田監督が目指したメジャー流のバントしない野球の完成系だった。が、その田尾の不振で目算が狂った。打線の全体的不振の中で孤軍奮闘した気はするが。バースは。
ランスは三振してもいいからの方針だから本塁打王になれた。バースは適材適所の打撃を求められたから。 巨人の外野手守備が酷いとよく言われるが当時ならプロでも普通レベルだろ
たしかに外野守備ってのは軽視されてたね。
シリーズで西武の秋山やらを中心とした堅い守りと、
巨人のクロマティを中心としたw緩い守りの差が浮き彫りに
なった様な印象。
外野守備なんて
金本の晩年はバッテリーの配球まで変わるわ、鳥谷がショフトと呼ばれるわ
あんなものがいたらどうしようもないよ
星野の監督1年目開幕投手はあの杉本
西本に抑えられて負け
巨人のシリーズの敗因は打線が糞だった事の方が大きい
初戦以外は勝負所で全然打てなかった
2戦、6戦と工藤に手も足も出ず、3戦はゲッツーばっか、まともに
打線機能したの1戦だけだったな
>>366
87年はわからないがレフト原センタークロマティライト吉村は当時でも日本12位の守備だと思う この年は前半戦の阪神が酷かった事が一番印象深い
19勝54敗だったかな
87年原はまだサード。レフトは松本が衰えて駒田。
原のレフトコンバートは89年藤田監督が復帰の時。
原クロマティ吉村の外野陣で後楽園東京ドームならごまかしがきくと
思うが、ナゴドやテラスなしのヤフオク!ドームならヤバイことになりそう。
あの当時はどこも外野守備はグダグダだった気がする 余計に秋山のすごさが目立ってたが
そのごにイチロー 新庄 飯田とかすごいのが出てきた
外野守備の大切さを浮き彫りにしたという意味じゃ、
この年のシリーズは革命的だったのかも知れんね
吉田監督って、現役時代は牛若丸いわれた守備で魅せる人だった。が監督になると攻撃型野球に変わった。元々メジャーに精通し、バントをしない打線を理想としてた吉田監督。だからこそ田尾を獲得したこの年は完成形
のはずだった
長崎、柏原、田尾
意図的に獲得したのも理想から起きたこと
中日の開幕カードの先発投手
杉本、孝政、小松
3人とも無能の代名詞に
>>386
85年のチームも強くはないだろ
もしも秋山と郭の怪我がなければ日本シリーズで負けていたと思う 阪神って巨人と同じくらい歴史があるのに日本一の回数は楽天と同じだから強かったことなんかない
>>389
オマケに田淵も清原もいない端境期だったしな。 太陽拳を決めながら奮闘していたスティーブさんの悪口は止めるんだ
まあこの年は南海のプチ復活だわ。野村追放後はずっと最下位かブービーだったのが
9月の初旬まで西武や阪急に喰らいついて善戦してた。
新井を出してなかったらどうだったろうか(リアルタイム見てない脳の発想)
藤原満みたいにコーチ就任と引き換えに86年をもって現役引退
こんなところだろう
想像以上に南海の補弱っぷりはすごかったんよ
パ・リーグはオールスターあたりまでは
新井選手は打率3割3分台でブーマー選手、石嶺選手と首位打者争いをしていた記憶があります。
後半戦で抜け出して、たしか9月に打率3割7分8厘まで上げたんですよね。
石嶺選手は前年同様に後半息切れしてしまいました。
87年は開幕前に患った肝炎の影響もあったかもしれませんが。
門田選手もシーズン後半まで3割3分台を打っていた記憶がありますが、ちょっと自信がありません。
年齢的にももう浮上はないと思っていただけに、この年の3割30本は嬉しかったですね。
山沖投手の20勝を見たかった。
あと阿波野投手、あとアウト1つ取ればシーズン250イニング到達者になっていたんですよね。
細身の体でよくあれだけ投げられたなあ、と思います。
シーズン最終登板は新人王を争う西崎投手より防御率で上に立たせるための救援登板だったと記憶していますが、
もし西崎投手の防御率が2.88だったら、と思うとちょっと惜しかったです。
西崎と阿波野みたいな本当の意味でのライバルエース対決を久しく見ていない
今思えば贅沢な奇跡だったんだなあ
>>384
新庄はポカも多かった
シーズン6失策を記録した翌年、タイガースは対策として本西をトレードで獲得 この年のパ・リーグはどこもエース級がしっかりしてた印象。
ロッテ以外は15勝以上&200回以上の投手が1人いた(西武は2人)。
西崎と阿波野の初対決はその2年後、彼らが3年目の最終戦でやっとこさ実現
>>402
そんな彼らの全盛期は、開幕戦での「近鉄vs日本ハム」が無かったからな。
93年にあったけど、その頃の近鉄のエースは野茂だったし。 西崎阿波野がエースだった頃「ナンバー」で江夏が
「君たちの直接対決がないんて信じられないよ」
って西崎に言ってた。
山田も
「東尾、村田、鈴木らエースと投げ合って勝ち進むチームが優勝する」
と。
相手がエースなら試合を捨てる、って発想はアマチュアだと思うなあ。
ファンはエース対決を見たい訳だし。
ただCSみたいのが出来ると、戦略としてそういう発想はますます進む
だろうね。
相手エースが投げる試合は棄てて、確実に勝てそうな試合に全力で
勝ちに行く。それで勝率5割前後を狙ってCS出場までこぎつける…
仰木はとにかくいいピッチャーを西武にぶつけるという方針だった。
野茂、いいときの阿波野、西武に相性のいい山崎はローテずらしてでも
なるべく西武に当てるようにしてた。
この年の日本シリーズ
清原は日本一を目前にして、泣いた。
そして今年、清原逮捕の一報を知り、ファンは泣いた…。
後楽園最後の試合
確かツースリーがツーフォーで
本来フォアボールのはずなのに
何故か素通りして
ホームラン打った選手いた
その時のキャッチャーが達川
あの人
こういう手合いに何でも絡んでくるね
面白いいうか
達川って人は
こういう面白い事件に
本当によく絡んでくるね
球審が自信なくて達川に聞いたら
2―1じゃろとボケる
そのうち2―4になりホームラン
達川独特の、最後の後楽園の演出だったのかもな
あたりもしないデッドボールで痛いそぶりして西本を激怒させたり
走ってきた淡口に蹴りをかまして乱闘もどきになり
淡口を退場させたり
本当に面白い人
珍プレー好プレーでコンタクト無くしたのが面白かった
この年ではなかったかも知れんが
ランスは見事なまでに一発屋だった
しかし低い打率にクレームがつき、翌年確実性を増す形に変えようとしたら
持ち味の長打力までなくなり
翌年解雇
清原の無冠ぶりがまたクローズアップされてるがランスとかパリッシュとかホージーですら取れたのにと思えばなあ
正直ランスもバークレオも大差ないと思うが、与えたイメージの違いは大きいな
>>413
いや本塁打率は1988年も高い。打率が1割台に ランスはえらく桑田に強かったな。
清原との共通点。
阪神は85年とメンバーがほとんど変わらないのに
なんであんなに弱かったのか
城を建てるのは苦労するけど。壊すのはあっという間という感じだった87年の阪神。
元々吉田監督の理想は、采配なしのバントをせず打ちのめす野球。
だからこそ田尾や柏原を獲得し、吉田監督理想の攻めダルマ野球が完成したかに見えた。
が、見事に計算は狂った。
秋山がセンターになったのはこの年からと思っていたが
サードで起用されていた85年、86年も終盤の守備固めやスタメンでセンターだった試合もあったのを
最近知った
センターのほうが守備負担ははるかに大きかったな
サードのままだったらもう少し通算成績を伸ばしてたかもわからん
秋山は守備範囲は広いけどグラブさばきに難があったから
外野転向はむしろ守備の負担を減らしたと思うんだが
後の福留だってショートやサードではボロボロだったけど
外野に転向してからはゴールデングラブの常連になったわけだし
西武の秋山がこの年まで3年連続で40本塁打だっけ(違ったらゴメン)
次の88年から本塁打が減った代わりに打率が上がり数字上はバランスが良い打者に変貌した
なにかきっかけでもあったのかな?
前半戦の桑田が素晴らし過ぎた
キレキレの球投げ捲ってたな
この年引退の江川があまりに劣化して悲惨だった
球速は135km前後だったが9月に3試合連続完投とかおおよそ引退する成績ではないな
この年江川が神宮でヤクルトのホーナーと初対決したのを今でも覚えているよ
江川がかなり燃えていたらしく、確かホーナーを4タコの3三振に封じた(そのうちの1つは3球三振)
のを見たときは自分も「江川すげぇ」とビックリした
ただこの試合、江川は途中降板して結局勝ち負けなしに終わったが
巨人がM1の試合に後楽園で負けちゃったんだが、先発江川でリードして、角に変えたら逆転されたんだよな
江川が一旦マウンドにあがってから交代という不思議光景
>>425
5番バッターにバークレオとかデストラーデが入ったから、
繋ぎのバッティングをするようになったのかな。 ホーナー旋風とKK対決、落合とバースの三冠対決、西崎&阿波野のルーキートレンディ(死語)エースの活躍‥
と今考えると、すごい話題満載の年だったな。
29年も経つんだな‥
秋山のセンターコンバートは秋山の負担を減らす意味もあったが
膝が悪い石毛をサードにして負担を減らす意味があった
ただ石毛が抜けたショートが89年に田辺が定着するまでは固定できなかった
87〜88年も打撃を評価されていた田辺を中心に回ってはいたが、負傷がちで離脱することが多く
清家などを起用して難をしのいでいた
>>433
石毛が遊撃手を続けられたとしても、秋山は外野手に転向したと思う。そうすれば、今話題のK原が三塁に回ったか、田辺が三塁に行ったかもしれない。 >>427
8月のタイガース戦では9回でも150出してた
完封&最後の打者三振にこだわってストレート勝負続けたがファウルで粘られたあとスタンドインで完封が不意
当日解説だった堀内と川藤が大笑いしてたな >>434
87年のショートは田辺と清家の併用だったね 笘篠はセカンドだよ
辻がオープン戦で死球を喰らって前半絶望の重傷を負ってその穴を埋めた
田辺と清家に代打を出してショートを使いつくすと行沢をサードにいれて、
石毛をショートにする苦肉のパターン。
打撃面を評価されてのショート田辺だったが怪我が多くて計算しにくかった
替わりの清家は守備は田辺以上だったが非力過ぎて打撃はまるで計算できなかった
清家はこの年の日シリ第6戦(クロマティ緩慢送球)で
プロ初ホームランを打ったのも巨人ファンにとってはショックだった。(確か水野から)
非力な打者というデータがあっただけに
現役時代打った本塁打は日本シリーズのそれと翌年の1本だけだったしな、清家
翌年も田辺→清家だったが
日本シリーズは中日を力で叩き潰すつもりだったのか
全試合でサード清原、ショート石毛の森には珍しい攻撃的布陣を引いた
第4戦では本来サードやショートの広橋を左の山本昌対策で
ファーストでスタメンで置いて
布陣を崩さなかった徹底振り
この年西武がいきなり投高打低になったのが不思議だ
チーム防御率が2点台になったのに対してチーム打率が2割5分に僅かに届かず
(本塁打は多かったが)
86年や88年はチーム防御率がそれぞれ3.69、3.61だったからね
阪神の山本和が5月の後楽園巨人戦で4者連続ホームランをあびる 山倉松本篠塚クロマティだったかな
全部ぎりぎりで翌年なら全部外野フライ
連続本塁打のプロ野球記録は1971/5/3のロッテvs東映戦での東映の5連続本塁打。
一方3連発になるとバックスクリーン3連発やら、同じく槙原がナゴヤ球場で喰らうなど
日常茶飯事。
4連発は1950年大洋、76年阪神、83年西武、86年ヤクルトの4回らしいです。
86年ヤクルトに4連発打たれた木田は、3年後広島に初回から3連発打たれた
野球に興味を持った頃には既に木田は大洋で常に打たれまくっているヘタレ投手の姿しか無かったから
日ハムでルーキーで20勝した投手と知った時はうそだろ??って思った
背番号10でエース級っぽくない感じだったし、
ヘロヘロ球しか投げてなかったしなぁ
中日の高校生ルーキー近藤真一に初登板ノーヒットノーランを食らった巨人との2度目の対戦、9月1日後楽園。
この日も前の試合からのノーヒットが8番まで続いたが、何と初安打は3回桑田のホームラン!
4回裏吉村タイムリーと山倉3ランで近藤をKOし5−0と序盤でリードするも、5回表に中日が猛反撃。中尾の痛烈な
ピッチャー返しがワンバウンドで桑田の股間を直撃し降板、なおも2番手広田でも抑えられず、5−3まで追い上げラ
ンナー2人一発逆転の場面で3番手水野が4番落合を空振り三振に斬って取り、7−3で天王山初戦を物にした巨人
はVへ前進した。けっこうシビレた試合だった。2日前に発熱してこの日は解熱剤飲んで立ち見してたが、熱も吹っ飛
んだほど。
>>449
大洋と言えば有働も10番だったなそういや
駒田が来て譲ったけど >>453
開幕して底抜けたんじゃなく頭からもうダメだな感じか この年から90年くらいまではめちゃくちゃ面白かったな、NPBは。
ちょうど時代はバブル真っ只中か。
開幕投手を杉本を起用した中日新監督の星野
しかも打ち込まれ負け投手
近藤貞雄は小松を開幕投手に起用するべきと主張
その小松は3戦目で勝ち投手、同年最多勝
南海ファンだった俺は唯一楽しかったシーズンだった。
ダイエーになってもしばらくは応援してたがそのうちどうでもよくなってきた。
そして皮肉なことにどうでもよくなってから優勝を何度もした
どうでもいいが子供のころ
後楽園球場と大阪球場はそっくりなのに
なんでお客さんの数が全然ちがうだろう?
訳わからん疑問を持ってた
>>448
相撲観だしたころ、十両で低迷する大錦について新入幕で三賞独占ウソだろ?
、というのに通じるな この年の門田は3割1分7厘でキャリアハイ。3年振りに30本台(31本塁打)。ただ、9月は打率は3割3〜4分台だったが、本塁打がピタリと止まり、10月になると本塁打は出るが、打率は急降下。翌年は、精々2割8分、25本塁打くらいと思っていたが‥‥
>>465
解雇されたデビッド(.251 17本)が68打点 OPSが0.3違うのに NPO誇大広告ハローワーク指導員じゃちょうバイトレベル
ハドソン川汚染水道水
NOPハローワーク爆買い指導員(40代千本ノックの刑)
練馬区公私混同騒動
NOPハローワーク爆買い指導員(冷暖房完備低所得者レビューアマゾンカスタマーさんコメント問題)
警察無視騒音問題(クラブビジネス使用クラス記者)
日本シリーズ第3戦、ゲスト解説は衣笠と梨田で3回終わって0−0。
3回裏終了後、CMに入るはずが、手違いでまだ中継中。
そこで、CMに入ったと思った衣笠と梨田がオフレコのつもりで話し始める。
梨田「(巨人打線は)それにしても、打てませんね。」
衣笠「んー。勝手に力んじゃってんだよね。昨日(本当は一昨日)の工藤だって、あれくらいの調子だったら
打てるはずなんだよね。何やってんだかね。」
まあ、解説で見ている側は好き勝手に言えるけど。
3戦ということは郭だよな
工藤は打てる気がせんかった(´・ω・`)
まぁ、よく研究されてたんだと思う。
5位といっても勝率が4割ちょいで、
古葉大洋の崩壊があってこその最下位脱出
この年の巨人は、日本シリーズでは野球の質の違いを見せつけられたようだったが
86、88年に優勝してシリーズで西武と対戦してたら勝てたかな?
>>472
86年は原が手首の有鈎骨骨折で離脱してからスパートをかけれたから、
もしシリーズに出れたらもしかしてはあったかも
88年はどう考えても無理。クロウ・吉村離脱、呂も終盤には研究されて打てなくなりだしてたし。 86年は
1戦江川 2戦槙原 たてれば勝てたかもしれんな 特に槙原は西武が苦手なタイプだったし この年にスライダー覚えて開眼したし
この年も第2戦西本で「それはないだろう」と思った。
折角、第1戦勝ったのをフイにしてしまった。
多分、83年の好投(それでも6,7戦はやられたけど)を買ったのかも知れない。
それでも、江川を出すべきだった。
西本は後楽園初戦の3戦だった。
まあ、江川の引退を王が既に知っていて、「もう無理はさせられない」と3戦にしたのかも知れないけど。
86年 1西本、2江川、3加藤初、4槇原
88年 1桑田、2ガリクソン、3槇原、4水野
王だったら多分こうなる
どっちにしろ槇原は宝の持ち腐れ
87年は初戦(土曜日)が雨天中止。桑田、西本はスライドだったんだろうか?
>>477
少なくとも桑田はスライドじゃないかな。
王は1戦にエースを投入するのが好きっぽい。
そうすると86年は江川じゃないかなぁという気もするが。 いずれにせよ、あの時代の西武に勝てる気が全くしない。
86年西武が巨人に勝っていたら、清原(番長ではなくキヨマー)の涙を1年早く見られたんだな。
逆に87年はどういう反応だったんだろうか?
86年もし出れたら・・・原不在(手首の骨折で)でも三塁中畑、一塁駒田で何とかなってた可能性も
88年もし出れたら・・・クロウ・吉村不在で外野は左から呂・簑田・駒田、捕手も山倉の不振で有田か
早い段階で詰みの恐れ大
1986,1987と巨人が連続日本一になれた。
1986は6月末に首位に立ったときに、そのまま広島を突き放さないといけない。
史実で5.5差になった8月末には10ゲーム以上は付けられる戦力だった。
あと西武に対して意識過剰になり過ぎだ。
清原なんて「高卒1年目、2年目の割には大したもん」レベルなのだから、必要以上に恐れる必要などなかった。
1986、1987と巨人が連続日本一になって清原に「甘くはないぞ」と言うものを見せていれば、
清原ももっと自分を磨いて、3冠王を何度も取れる真の大打者になれた。
そうすれば、日本プロ野球はもっと発展出来た。
森や野村などの「こすからい野球」が目立つようじゃ駄目なんだ。
3年くらい前に清原自身が「今の野球はサラリーマン野球。小粒で全く駄目。」とかいう趣旨のコメントをしていたけど、
清原自身がその原因を作ったんじゃないのかと思ってしまう。
巨人はV9以降はだいたい他球団に頭押さえられっ放しで、球界はおろかリーグでも最強球団だった時期は殆どない
V9以降でも一番リーグ優勝してんだから
リーグで最強球団だった時期が殆どないってのはないだろw
>>479
このあたりの時期に讀賣の選手が持っていた「西武コンプレックス」は、
我々が思う以上に大きいんだろうな。 ファンとしては恐ろしくトラウマだね(´・ω・`)
02年にやっと払拭できたけど。
08年は接戦だったので、そんなに気にしてない
V9巨人に負けまくってた他球団ファンも
トラウマとかあったのかね
>>488
恐らくライオンズ・バファロース以外はあっただろうな。 >>492
しなかった。てか、84年にロッテの村田兆治が肘を手術するまでは
投手が肩や肘にメスを入れるのはタブーとされてた。 中日近藤の息子が同じ8月の巨人戦で一軍デビューか。
しかもいきなり猛打賞。
巨人のドラフトで今でも解せないのが、
最終的にPL野村を指名しなかったこと。
直前まで慶応志村とか言っていたし、
左腕不足はこの年以前から何年にも渡って
言われ続けていたのだから、橋本より野村だろうと。
普通に1位で消えるかと思ったら、まさかの3巡まで残って
結果的に大洋に3位でさらわれるという(´・ω・`)
後の野村の活躍を見るにつけ、
せめて2位で指名しておけばと思ったモンだわ
腰痛持ちで東洋大への進学が決まっていた野村は
何位に残ろうが巨人は指名しなかった
古葉監督のコネのあった大洋が強行指名に成功しただけの話
それと志村がドラフトの対象になるのは88年
あぁ志村88年でしたか すみません。
そんな逸話があったんですね、詳しくありがとうございます。
大洋打線
1高木2高橋3屋舗4ポンセ5片平6アドゥチ7田代8若菜
田代が昔なら結構破壊力あるいい打線
田代の衰えが急すぎた
巨人は内野の唯一の穴がショートだったし立浪ほしかったな 一茂指名するかと思ったがw
ちょうどこの時期貯金24 中日広島に7ゲーム差くらいだったが前年のトラウマで
また2位になるんじゃないかと心配してたなあ 戦力的には優勢なんだけど
負け数が3つくらいしか離れてなかったからね
田代は前年の手首骨折がなければなあ
あれで和製大砲田代は事実上終わった
>>414
メジャーで250本も本塁打を打ったパリッシュをですら扱いですか >>500
上位があまりに非力だよ。出塁率も高くない。 >>503
田代以降、ずっと大砲出なかったね。和製の30本打者出るのに20年以上かかった? でもそういうチームは外人が当たるからな。
ヤクルト然り、日ハム然り・・・あれ阪神・・・
てかヤクルトは日本人もそれなりに大砲もいたか
日本ハムも和製大砲は色々いた
阪神はラッキーゾーン撤去後なら桧山、新庄、今岡、金本くらい
巨人のエースは十五勝の桑田でなく十三勝の江川だった
江川と言えば快速球だけどコンビネーションで勝負した晩年も安定感があった
あと三年は二桁勝利高勝率を保てたはず
>>513
江川の引退興行が新設東京ドームで掛布相手のピッチングだったね。
本塁打激減したドームで投げ続ければ可能だったろうね<三年は二桁勝利高勝率 ヤクルト
1栗山2水谷3杉浦4ホーナー5レオン6広沢7八重樫8池山
打線だけならセ・リーグNo1だろうな
投手陣はボロボロだったが(笑)
江川は東京ドームこけら落としの時は、もう100キロ並みしか投げられなかったらしい
だから結論はどうであれ、引退は仕方なかったとは思う
気だるく投げるから脱力投球かと思いきや、あれは全体力を使う投げ方だからすぐ体力を消耗すると江川本人が言ってた。でもスタイルは変える気はなかったらしい。
日本シリーズは第三戦がポイントだった
江川対郭の新旧アジア速球王の対決
江川は石毛ブコビッチのソロアーチ以外はほとんどランナーを出さず内容は完璧特に清原秋山にはバットにかすりもさせず格の違いを見せつけた
巨人打線はノーアウト一塁を初回から五回まで作るも拙攻の連続で後楽園で一対二の屈辱敗戦
江川が現役のままなら斎藤が埋もれてたかトレードの可能性もありそうだな
>>515
新人王で3割打者の荒井を抜かしてなに自分の妄想打線組んでんだ
その荒井が入ったとしてもセリーグ一の打線はやっぱり3割打者5人を擁する巨人じゃないの >>516
5イニング連続で無死一二塁だったの!?
この年の江川、初対決のホーナーを
3連続三振に切って取ったのは格好良かったな。
前年にバースに真っ向勝負挑んで、
7試合連続弾喰らったけど、それも含めて江川らしい。 この年の日本シリーズが第七戦までもつれ込んだ場合、先発は江川で確定していたらしい
本人も最後の登板になると気合いが入っていたらしいし他の投手陣も江川を勝ち投手にするんだと団結していたらしい
第七戦見たかった
>>520
今年の黒田みたいだな。
どちらも実現しなかったけど…。 >>520
野手陣は知らなかったのかな? 第6戦のクロマティの守備を見たら、そんな一体感のような部分が見受けられない。 >>516
ブロビッチのHR、うちとってるんだよね。
退役間近の狭い狭い後楽園の最前列ギリギリに落ちた。
巧い外野手ならジャンプして取れてた感。 小早川に打たれた日と、
日シリ3戦は共に負けたけど、
この年では屈指のベストピッチだったらしいね。
あとは9回2死から非力な北村にHR打たれた完封逃した試合かな。最後はバースを三振。
北村は非力言うより不器用
パワーは真弓に引けは取らなかった
あと練習があまり好きでなかった
だから村山実に嫌われ出された
西本が会見見て初めて知ったらしいのに投手陣が江川の引退知ってるわけない
江川卓自身、プロ入りの時点で肩はかなり限界だったらしく、それでも強靭なスタミナとセンスでカバーしてきたが、限界は早かったらしい。東京ドームこけら落としの時の掛布との投球が、本気でなかったとはいえ100前後しか行かなかったのを思えば
江川卓が江川卓で無くなるのも、ある意味見てはいられない気もする
引退前が13勝5敗。ただ全力出してこれなら、翌年もし引退してなかったら、万が一逆となるとやっぱり江川卓では無くなるからな
引退は仕方ない気はする
>>524
「ブロビッチ」じゃなくて「ブコビッチ」だな。 肩痛で引退する投手が9月に3試合連続完投は今じゃ考えにくいわな
86年からストラクイクゾーンが下がったことも延命の要因かな
>>516
無死一塁は4回、6回、7回。
巨人はこの日、併殺が4度と多かった。
特に、ライナーで走者が飛び出して戻れず、
が二度あり、駒田がヘルメットを叩きつけ、
吉村がバットを叩きつけ、、
巨人の精神状態がなんかおかしかった。 >>518
それ以前に、この年の水谷は一軍出場がない。
全く出てない奴を入れたらあかんやろ。 >>527
北村は練習中にコーチに「脇をしめて打て」と言われたらホントに一切脇を開かず打ち始めたってくらい融通が利かなかったらしい。
そのくせ中日にいた時広島の遠征先のホテルで「ママさんですか?」ってどこぞのスナックに電話してた。 北村は結婚してたにもかかわらず浮気してたんだな
そういや、少年隊っていわれた中野や大野も、そういう手合いの話が多かったために出されたみたいだ
中野は怪我だったんで出されなかったが
北村や吉竹は、才能がすごいと見込まれたからこそ入団してすぐに一軍に上がった
しかし融通性がなかったことが、この人も融通性のない村山実と衝突して放出の憂き目にあったんだろう
>>533
工藤にコテンパンにやられるわ、
いい当たりが全部正面に行く不運で、
第1戦の圧勝ムードが吹き飛んだよね。
なんか何やっても浮足立ってた。 江川はセンスの塊だったな
遅いストレートでも勝負できた
ただ本人は交わした投球は自分じゃないと引退の理由の1つ
>>539
その一方、第6戦7回表に原のホームランが出て
吉村四球、打席にはシリーズ一番当たってた
篠塚、という追上げムードの場面で、篠塚に
あっさりバントさせやがった。
その次の打者は打てる気配全くない有田。
併殺を恐れたのだろうけど、篠塚よりも有田の
方が打つ可能性高いとでも思ったのだろうか。 日シリの最終戦が2時間強であっさり終わっ
ちゃって、西武選手の場内一周が終わっても
テレビ放送の尺が余ったから、その年流行った
スプリットフィンガー特集(多分雨傘番組)
みたいのを放送してた。
併殺打怖がるときって、大概得点力は落ちる
しかしよく覚えてんなあ
すげーや
オレはホーナー3連発をニッポン放送で聴いたが
江川がホーナーから3連続三振奪ったのは格好良かったな
ホーナーが空振りで腰やっちまった時の投手って誰だっけ、
巨人の投手だったような記憶
MBSってTBS系列なのに、何故かフジサンケイグループのニッポン放送の野球中継ってのが多かった
今こそ東京の試合はMBS関係で中継するが
当時はニッポン放送そのままも多かった
山田透だったはず
今でもあの興奮は思い出せる
いい興奮ではなかったが
何投げても打たれる印象だった
>>543
リアルタイムで録画して見て、ナンバービデオ
でも何度も見たからなw
第6戦のクロマティの守備がやたら批判され
てるが、先制点の二塁から清原ホームインは
クロマティを責めるのは酷だ。むしろよく捕った。
責められるべきは篠塚と原の守備。
辻一塁からホームインは、完全にクロマティが悪いけどね。川相も大概だが。。 >>541
あーなんか思い出して来たw
あまりにもシリーズ打てないせいか、
王監督の采配もなんかチグハグしてたな
篠塚がヒット打ってたらシリーズ自体全く違う
結末だったかもね 監督の王がこの年でチーム内で一番勝ち星が多かった桑田をこのシリーズで重用していた印象が強い
まだ大舞台での経験の浅い桑田には荷が重かったのではないか?案の定、桑田はシリーズでは全く西武に通用しなかった
槇原をもうちょっとつかえなかったものか
重用してたよね
槙原は後半戦良かったし、
経験値のある江川軸でも良かった様な
@槙原A江川B桑田 くらいが良かった様な気がする
>>550
第2戦西本先発も謎。
日シリでの強さに賭けたんだろうが、江川や
槙原を差し置いてまで投げさせる力がこの時
あったかというと。。
もしくは、工藤が打てそうにないから、
はなから捨て試合のつもりだったのか。 槙原は意外性あるから、こういう短期決戦ではヒーローになりやすいを体現したのが
長嶋茂雄初の日本一になった94年
桑田や斎藤と違ってやんちゃだったらしく、その手が好きな長嶋茂雄は重用したが
まだホークス時代みたいな柔軟性のない王時代だったからこそ桑田に任せたんだろうが
桑田は、日本シリーズの印象は案外薄い
桑田・江川・槙原・西本・桑田・江川・槙原。これがベストな並びだと思うが‥
中4日が無理な江川を考えると、こうなるんだが、工藤とぶつけるのは、勿体無い気もする。
「江川、桑田、槇原」の順ならウチは負けていた。
とは森監督の談
分岐点は第3戦で江川が好投してるのに、
ランナーを出しては併殺地獄で、
勝てる試合をわざわざ落とした事が大きいよね。
その後の試合も二点差付けられたら、
ギブアップになっちゃった。
桑田ってリリーフ専門ではダメだったけど、
ここぞって場面でリリーフすると凄かったね。
でもこの年の時点では、ましてやブレイクした年だし先発にするわなぁ。
よく走塁の事を言われるが
あの試合の決定的瞬間は清家のホームラン
シーズン中でほとんどホームラン打たなかった打者が打ったのが実は決定打だった
第2戦が重要とかいうくせに、結構負けてるしな。
日本一になった年は3勝3敗。
日本一を逃した年は0勝2敗。
そもそも第2戦必勝理論ってどうなんだろう?
俺は、初戦に勝つことがまず大事だと思うけど。
初戦に勝てば、2戦を終えてうまくいけば連勝、悪くてもタイ。
逆に負けると、悪くすると連敗の危険性があり、プレッシャー。
初戦をモノにすれば、次は気楽に行けるしな。
もちろん、結果的に1勝1敗なら、2戦目を勝ったほうが良いけど、
それは後付けだね。
そりゃ、まず第1戦勝つ方が、ことを有利に
進められるね。
ちなみに、森は、第2戦には工藤と郭しか
先発させてない(ともに4回先発)。
かといって、この二人に絶対的な信頼寄せて
いたかというと、けしてそうじゃないからな。
やっぱり後付けだよ。
相手を惑わすためにそう言ってたんじゃない
かと思ってる。
>>564
郭の場合、中4日が難しいから、第2戦に投げて、中5日で第6戦に行くための起用のはず。ただ、好投したのは92年だけ(打球を指に当て、第6戦は登板回避) 87 桑田より江川を第一戦に持ってこられる方が嫌だった。
88 小野より小松を第一戦に持ってこられる方が嫌だった。
90 一番マークしていた投手が桑田。
91 佐々岡・川口を短い間隔で使ってくれて助かった。
>>565
あー、なるほど。
にしても、郭は好投したイメージがいまいち
薄い。 87、91は逆転が有り得たかも知れんが88はひっくり返りようがないな
郭はシリーズの頃はバテてるのか
査定に含まれないから真面目にやってないのか
シーズン中のような投球はほぼなかった
郭泰源って素質の割にここ1番弱いのかな?? 五輪のときも
日本に負けたし。
『プロ野球ニュース』で、1989年のV逸を
石毛が振返るコーナーがあったんだけど、
相当、郭に怒りが収まらなかっんだろう、
「戦ってない奴がいた」
「一点取られた時点で俺は泰源に『馬鹿野郎』
と怒鳴った」
等々、郭の批判ばかりしてた。
台湾人ってWBCとか見てても韓国人に比べてここというとこで弱い気がする。
大豊も10・8で打てなかったし巨人の4番落合に比べたら成績は
天と地の差なのに。
ヤクルトの野村監督は郭はすごい投手でどうのとか言ってたが巨人は工藤
の苦手意識があるんだよね
巨人だけじゃなくセ・リーグは工藤に苦手意識持ってたと思うよ
ヤクルトだけは当時は主力に右多かったから工藤が苦手っていう
言葉は出てこなかったような気がする。
90年は工藤がシーズンから不調だったから巨人が楽勝とか
言われてた
この年は南海の健闘もよかったな
9月に入って貯金があったのは晩年の南海にしては異例のケースだよ
森の著書でも郭は痛くて投げれないとばかり言ってきて叱ったことがあると載っていた
仮病を疑ってる感じ
>>536
浮いた話の無かった和田氏は引退後に盛大にやらかすのであった…w >>555
これが予想だったよね。
第2戦の西本は意外だった。結果的にそこそこ好投はしたんだけど。
工藤どうせ打てないから捨て石かなと思った。
数年前のシリーズでの好投を理由にした起用は1990年の槙原でも失敗している。 江川の最後の2年間
・86年 26試合16勝6敗
・87年 26試合13勝5敗
この2年間で連続二桁勝利は巨人では江川だけ
また年間130試合当時は中5日でローテーションを守り通すと27試合登板となり(シーズン前にエース級投手が27試合登板を目標にあげるほど)2年連続26試合も素晴らしい
しかも高勝率
まぎれもなく江川がエースの二年間であった
江川と桑田の新旧エースが共演した唯一の年か
西本も江川引退してモチベーション落ちたし影響力すごかったね
>>576
郭が入団した頃に「彼にはチームに奉仕する気があるかどうか?これから見もの」って
どこぞのムック本で山口高志あたりが言ってた。
「いい投手と勝てる投手は違う」って。 >>578
1990年の第1戦こそ桑田にすべきだったと
思うけどね。
この年は、出場停止明けに、何事もなかった
かのように完封勝ちしたり、神経の図太さは
1987年とは雲泥の差だった。
一方で槙原は異常にガチガチになってたそう
だから。
あと、些細なことだが、桑田を本拠地で投げ
させれば、打撃にも期待出来る。
槙原よりは打つだろう。 あ、西武球場の試合は指名打者があるから、
て意味ね。
>>582
90年打線の中では、強打者の部類だったな 桑田w
87年との違いはやはり場慣れが大きかったんじゃないかな。 完封したとはいえ、この年の槙原は第1戦に登板させる投手では無かった。もし第1戦に行って、負けていら、90年以上に奇策と言われていたはず。
>>581
山口自身、あまり勝てる投手ではなかったがな。 >>582
これは思うな。斎藤雅樹はシーズン最後の2試合めちゃくちゃだった。
槇原は病み上がり、かつ、シーズン最後の試合で負けてる。
桑田が最も頼りになった。
まあこの年は先発のコマ大杉て、迷うわ
他に香田も木田も宮本もいるw 仮に桑田初戦だったとしても、
終わってみりゃ5戦か6戦で西武が勝ってた気がする
どうやっても勝てる気なんかしなかったな あの頃(´・ω・`)
1990は先発の順番を変えたところで西武が勝っただろう完全に巨人は飲まれていたよ
ただ1987は巨人が勝つ展開も充分にありえた
初戦桑田第二戦江川なら桑田が現実通り中4日で第五戦、江川が中5日で第六戦で確実に若手ホープとエースが二度先発できる
あと江川なら第二戦第六戦が苦手工藤相手でも名前負けするどころか逆に若造扱いできる
さらに西武球場なら後楽園より一発病のある江川にとってリスクが小さい
>>590
王の眉間に物凄く深いシワが刻まれてたね。 読売新聞スポーツ欄の巨人が負けた試合の記事での口を尖らせた王監督の似顔絵が忘れられない
反対に勝った試合の似顔絵がどんなだったか印象がない
この年に限れば西武には木田が一番通用したんじゃないか
ボール速い、フォークあるって西武がシリーズやられる典型だった
まあ短期決戦では三振取れる本格派のが活躍するのはセオリーだけど
高卒1年目で1軍初登板すら果たせてない投手に通用もへったくれもないと思うんだけどな
>>596
木田はこの年ルーキーで一軍未登板だぞ
1990年と勘違いしてないか? スレの最近の流れが若干90年ネタになってるからなw
>>599
それでも>>596が1987年の事を書いたなら間抜けだし
1990年の事を書いたならスレ違い且つ主語が抜けてるからやはり間抜け 前年優勝逃したのが王という感じだなw 前年のほうが江川 槇原好調で西武に勝てたかもしれん
オールスターゲーム第3戦で原辰徳 落合博満 バースのクリーンナップが実現した時は震えた
この年のオールスターゲーム
誰かようつべにうpしてー
松本匡史、中畑が首位打者独走してたのに最後、正田だっけ
一塁側のセーフティバントってなんかエクスタシーだよな
篠塚と正田が同率首位のまま残り試合欠場
落合が追うが僅かに届かず
オールスター時点で21本のHRを打ってた落合もシーズンじゃ28本
どういうこっちゃ?
それぐらいの失速なんて別によくあることだと思うけど
まぁ、前年50本で打率は後半戦も維持してたからまさかとは思うわな
その分、2塁打が増えて前年の長打数ときっかり同じというのも面白いが
ロッテ時代の猛威からすれば中日時代の成績はややがっかり感が漂う
>>609
ナゴヤも狭いとは言われていたが、
輪を掛けて川崎が狭かったということか・・・ 川崎はからくりドームと同じで両翼の膨らみがほとんどないからな
それにナゴヤは昭和の頃は特別狭い球場ではなかったよ
川崎球場のライト側はレフト側より短距離というイビツ構造
落合は測ったかのような右打ちギリギリホームランが少なくなかった
セ・リーグ年度別合計本塁打数
〜1970年代〜 〜1980年代〜 〜1990年代〜 〜2000年代〜 〜2010年代〜
1970年130試合 642本 1980年130試合 849本 1990年130試合 784本 2000年135試合 818本 2010年144試合 863本
1971年130試合 616本 1981年130試合 806本 1991年130試合 711本 2001年140試合 781本 2011年144試合 485本
1972年130試合 773本 1982年130試合 753本 1992年130試合 725本 2002年140試合 826本 2012年144試合 454本
1973年130試合 679本 1983年130試合 935本 1993年130試合 731本 2003年140試合 987本 2013年144試合 714本
1974年130試合 826本 1984年130試合 910本 1994年130試合 685本 2004年138試合.1074本 2014年144試合 738本
1975年130試合 747本 1985年130試合 947本 1995年130試合 790本 2005年146試合 920本 2015年143試合 571本
1976年130試合 967本 1986年130試合 810本 1996年130試合 765本 2006年146試合 821本 2016年143試合 713本
1977年130試合.1050本 1987年130試合 882本 1997年135試合 775本 2007年144試合 818本
1978年130試合 910本 1988年130試合 684本 1998年135試合 662本 2008年144試合 728本
1979年130試合 945本 1989年130試合 707本 1999年135試合 832本 2009年144試合 769本
パ・リーグ年度別合計本塁打数
〜1970年代〜 〜1980年代〜 〜1990年代〜 〜2000年代〜 〜2010年代〜
1970年130試合 821本 1980年130試合.1196本 1990年130試合 905本 2000年135試合 753本 2010年144試合 742本
1971年130試合 911本 1981年130試合 812本 1991年130試合 792本 2001年140試合.1021本 2011年144試合 454本
1972年130試合 830本 1982年130試合 772本 1992年130試合 729本 2002年140試合 869本 2012年144試合 427本
1973年130試合 765本 1983年130試合 882本 1993年130試合 660本 2003年140試合.1000本 2013年144試合 597本
1974年130試合 680本 1984年130試合 945本 1994年130試合 720本 2004年133試合 920本 2014年144試合 623本
1975年130試合 703本 1985年130試合.1050本 1995年130試合 624本 2005年136試合 827本 2015年143試合 647本
1976年130試合 659本 1986年130試合.1006本 1996年130試合 723本 2006年136試合 632本 2016年143試合 628本
1977年130試合 699本 1987年130試合 804本 1997年135試合 668本 2007年144試合 642本
1978年130試合 724本 1988年130試合 810本 1998年135試合 733本 2008年144試合 752本
1979年130試合 934本 1989年130試合 893本 1999年135試合 737本 2009年144試合 765本
でも当時から選手からは狭いって言われてたからねえ。
落合もナゴヤなら・・・って言われてたけど、
セの投手・捕手の攻め方にやられたな。
開幕戦で落合にシュート攻めの西本
翌年の落合は二ヶ月3番だった
落合ってシュートが苦手なの?
盛田を唯一苦手にしてたけど
シュートが得意な打者ってほとんどおらんのじゃないか
芯食ってもファールだし
盛田は速くて抜けてくる感じだから恐怖心があったんじゃないかね
普通のシュート(2シーム)ってのは落ちながら曲がるんだが、
盛田のシュートはほとんど落ちないで滑るように曲がる上に
お世辞にもコントロールがいいとはいえないから恐怖感を与える存在だったのよね。
あの開きながら打つ落合が怖がるんだから、相当なものだったんだろう。
元々ぶつけられるのが嫌だから体開いて打つフォームにしてるし落合
>>618
新人の落合を見て「これじゃ内角が打てん」と酷評した山内監督に「これまで内角の球を完璧に打ち返した打者がいますか?」と張本が反論したって読んだ。
>>619
西本のシュートは落ちると言うね。盛田はストレートよりシュートの方が速かったと自分で言ってる。 江川が落合のスイング軌道じゃ西本のシュートは絶対にホームランを打てないから
開幕戦は西本で勝負するべきだと進言したらしいね
西本も盛田も普通にフォーシーム投げてもナチュラルシュートする球だった。
ただ盛田の方がサイドに近いスリークォーターだったから余計に横滑りした。
確か翌年、ドームになって落合が西本からシュートをHRしたと思う。
その年の西本は全般的に終わってて放出されてしまったが、その後はご存知の通り。
川崎憲次郎もシュートのほうがストレートより速かった
松本豊が生涯唯一の規定投球回数まであと1アウトだったのに、
この年の最終登板であと1人アウトに取れば到達の場面で降ろされた
古葉監督は松本に恨みでもあったのか
>>628
まだこの頃って衣笠の連続試合続いてるのか
3打席目で代打送られてるけど >>630
衣笠最後の公式戦。本塁打を放ち、規定打席をクリアして交代。 大洋の試合
解説江夏「なんか守備がしっくりしてませんね。ぎこちない」
監督は自分を追い出した古葉ってのもあるんだろうな
ざまあみろみたいな
アナ「広い球場になりますからね」
今思うと笑える
>>630
8月下旬あたりからこういう起用方が確立されて
やくみつるが自宅でビールを飲んでくつろぎながらテレビで広島戦を観戦する衣笠
というネタにしてた
リアルで佐藤義則はKOされた後、そのまま上がって中継を見ながらヤケ酒を飲んでたら
ブーマーが同点満塁弾を打ってくれて負けが帳消し、その瞬間から愉快な酒にと書いてた 2打数2安打で2打点あげてるのに2打席打ったら交替って…
しかも中盤まで2-2のタイスコアだし
日本シリーズはまさに江川の総決算って感じだったな
「一発病」「真昼病」「外人病」「勝負弱い」
彼のエッセンスの全てが詰め込まれた投球だった
ほんとそれ。コントロールといい配球といい抜群で、
104球中、失投はブコビッチと石毛のたったの2球。でも…
もしも7戦までもつれ込んでいたら巨人の先発は誰だったのかな
順当に江川か、好投した槇原か、夢よもう一度の西本か
槙原は完封から中3日になるから、7戦目で先発するにはスタミナ面で不安が残ってしまっていた
だから当時めちゃくちゃみんな不思議がっていた
何でこんな投手が4番手だったんだって
シーズンの成績では4番手っちゃ4番手なんだよね。
(@桑田15勝A江川13勝B水野10勝C槙原10勝で、
防御率でみると水野の方が良かったんだが、イニングは槙原の方が投げている)
それなら江川は2戦じゃないのかって、言われちゃうんだけど。
経験のある江川を軸に、隠し球として槙原を使うローテが良かった気がする。
槙原、シーズン後半に調子良かったからな。
西武は東尾工藤が共に、シーズン後半に調子が良かったのが、
勝因の一つではあると思う。
逆に後半戦で不調だった選手はシリーズでもイマイチなことが多いな
投手でいえば96年のガルベスや2003年の伊良部とか
桑田がさっぱりだったなあ
後半戦勝ち星少なかったもんな
>>636-638
ブコビッチのHRは狭い後楽園の最前列 うちってるんだよね
扇風機ブコビッチを先発起用した森の眼力さすが ヤフージャパンブログ社員ダイエットニュース マイナス金利狙い通り「仏」ローーン
ダウンロード&関連動画>>
京都京野菜ぼったくり取引価格
ダイエットニュース (アリババダイエット40代偽装結婚プロ級世代(ヤフージャパンタイ資金洗浄)
違法改造大好き在日中国人報道中国車リコール発言反日飛行機会社
ヤフーネットダイエットコーヒーニュースタウンワークサービス不足50代マイカー窃盗犯
安売ドラマ魔界村ビールぼったくり販売員適正価格
40代適当ビジネスニュース報道プロ級世代新社屋TRUMPTOWER左遷「仏」40代監視カメラ使用コンプライアンス速報駐車場 (入社拒否
トランプジョーカー切り(放送大学消防庁コストカットアイドルマスターテレビ内編集者映像差し替え印象操作(40〜50)
NHK教育トランプ大統領ニュース(ヤフージャパン上院社員特別生活費支給旅行沖縄汚染水スキンケアテレビ東京槍杉ギャンブル依存症顧問職員)
ヤフージャポンマイノリティ社員「日本とロンドンは仲良くさせてはいけないーhondasouichirouー」
中国違法建築歌富裕層息子カジノ通い連日連夜オールTRUMPパーティー(反日飛行機雲農薬散布マスク女問題)駅内マスクオンNACNN向け原文ママニュースマスコミ「クチキキ」総資産7億5千万 この足はだれのだ〜
星野だ〜
あの頃のフジテレビは、本当にナレーションや編集が巧すぎたのになあ
字面だけでも思い出してくる
みのもんたもこの頃は本当に良かった
郭泰源はいつもどこが痛いここが痛いって言ってるってデニーがばらしてたなw
本当に痛かったんだろうし酷使で潰されてたまるかっていう気持ちも強かったんだろうが、チームの士気は下げるよなあ
森監督といえば9月の勝負どころの阪急南海6連戦で突然ブコビッチを四番にした采配が印象深い
あれはなんだったんだろうな
泰源はノムさんの下でプレーしなかった伊藤智仁って感じ。
工藤と東尾となべQがいたから酷使されずに済んだな
1人エースなら大変だ
>>548
昨日の中日―広島戦の決勝点(2ラン犠飛)
の堂上のヘボ守備を見て、87日シリ第6戦の
先制点の場面、篠塚のヘボ守備を思い出した。
走者がホームに向かって走ってるのに、何故か
三塁に送球。先の塁に進ませないのが鉄則
なのに、野球の基本も知らないんだろうか。 あわや近藤以来の快挙になるところだったね
高卒ルーキー初登板ノーノー巨人相手に13奪三振
プロ野球観戦歴の中でも最大級の衝撃ニュースだったわ(´・ω・`)
打者で例えるなら、デビュー4打席連続HRくらいに等しい
近藤は通算12勝
メジャーでやった人なんて通算2勝
掛布さえ大丈夫なら優勝狙えるのになあ・・・
田尾も入ってくるし〜
とかワクワクして開幕を迎えたら・・・
戦力の格好だけなら85年以上だったはず
でも、開幕戦のヤクルトの大敗で何かが違うに変わった
>>658の言う7試合目から7連敗した後、
ようやく連敗ストップしてこれから巻き返し、という時に
ホーナーにやられてズルズルいったんだよなあ。 ホーナーごとき、当時こそ驚異だったが、藤川や呉昇桓にかかれば鼻糞扱い出来たし
赤星が打席に立つたびガクブルだったろうな
一応7試合目までは貯金1だったけど
ホームランも少なかったし
明らかに85年と比べたら迫力不足は否めなかった
でも、あんなに負けが込むとは思わなかった
城を作るのは時間がかかるが
壊すのはあっという間という感じだった
>>663
85年に土台作りと、吉田監督は頻繁に口にしていた。しかし、実際は目先の勝利に走った(無理もないが)
87年は、ベテランの衰え、投手陣の崩壊、ゴタゴタが重なり、一気に崩れた。勢いだけで優勝した反動だったね。 86年からファンになった自分は掛布が40本も打ってたとは信じられなかったわ 87年から
暗黒やったけど、87年が1番絶望やったね。打てない守れない走れない 投手は130km台
でノーコン ベテランばっかでね。
この年 4月末で バース1本 掛布1本 岡田0本 真弓1本wwwww
この年に2chが存在してたら
阪神関連のスレは荒れまくって面白かっただろうな
吉田監督解任を要求するスレ
竹ノ内コーチはなぜ、吉田監督を殺さなかったのか?
遠山、桑田なぜ差がついたか?慢心、環境の違い
和田、大野、八木、若手の成長をマターリ見守るスレ
キーオ最高や!ゲイルなんかいらんかったんや!
あかん、いくらでも思いつくわw
85年の6月ぐらいに、
「阪神は10月18日に2位広島に5.5ゲーム差をつけて優勝するが
来年は3位で再来年に優勝する」という変な夢を見て、
優勝日は2日違いのニアピン、翌年の3位も当たり、
87年は予知夢通り優勝すると思ったら…
吉田監督としたら、第1期目に攻撃オンリーでダメだったから
本当に守りを重視した土台作りをするつもりではいた
だから就任後のキャンプは、戦力把握するために、この球団にしては珍しい全員参加だった
で、打撃はほとんどせずに、ノックを主体とした守備練習に時間を割いた
しかし不思議なことに、その守備練習による猛特訓が足腰を鍛え、打撃に奉功するとは夢にも思わなかった。で打線が爆発し日本一に。
でも吉田監督は、日本一の理由は守備の鍛錬だと言い続けてはいる。
実際、岡田をレギュラー固定し、木戸と平田を抜擢し鉄壁のセンターラインと内野陣形が完成した
ただ、計算違いだったのは、それこそ誰もが言うとおり、土台作りいわれた年に日本一になったことで目標を見失ったこと
あと、これもいわれるとおり、まさか掛布が、あんなに簡単に劣化するとは夢にも思わなかったこと
これがこの年の悪夢を産んだ
守り重視の割には吉竹を出して田尾を取ったりしてたのは謎だな。
佐野 田尾 長崎
な外野守備になった時はあるのかな
>>670
また見てきたようにウソをつく。
岡田とか平田が、それまで控えだったとでも
いうのか。 >>670
この頃の掛布は既に3割がやっとの並の打者だったじゃないか。最低でも3割2分は打たないと。 >>671
守りが良いと言えば聞こえはいいが
実際のところは中途半端な吉竹と伸び悩んだ半端な若手で田尾だし
あれ自体は悪くないトレードよ 84年、37本で本塁打王を宇野と分けてるが、ムック本のインタビューによると山本浩二に
「タイトルを簡単に獲らせてはいけない」と忠告されて一発狙いに行った挙句、打率は.269に落ちてしまったと。
もっとも掛布は酒は飲みすぎるわ選手の決起集会にも姿を見せないわで、チームの柱とは程遠い存在だったらしいけど。
つうか阪神は85年に突発的に優勝したのが
非常にショーとしては面白かったわけだが
はっきり言って、当時だって弱いわけでもないが強いわけでもない
中途半端なチームだったぞ。
85年だけがすごかったわけで、86年以降の低迷もそんなに不思議ではない。
とはいえ、あそこまで弱くなるとはまあ、ほとんどの人は思わなかったろうが
掛布がいなくてもバースと岡田と真弓がいて
さらにその脇を固める打者も田尾、柏原と揃って
平田と木戸のセンターラインは健在と思ってたんだ…うん
ロッテは落合が抜けた打線は悲惨な方だった。
4番が高沢だったもんな。
リーは衰えてきてたし、古川は怪我で期待外れ。
高沢は翌年の首位打者獲得につながったかも。
その前の85,86年は平凡な成績だったし。
田尾は2番も打ったことあったし
機動力野球なんて北村や吉竹いてもやんなかった訳だから
決して悪い打順でもなかった気はする
実際、阪神時代
全く活躍しなかった訳でもないし
ただ柏原、長崎、弘田の衰えは急だった
岡田は85年が異常すぎた
よく「85年の岡田を確変とか言う人いるけど、元々主軸で安定した成績を毎年残してる!」って人いるけど、
その安定した成績というのも2割8分・20〜25本だったわけだし
でもその後の阪神の右打者を基準に考えると2割8分・20〜25本って十分贅沢な成績だよな。
バース退団 掛布引退寸前で岡田1人に負担が来た感じ
若手も小粒ばかりだし
>>682
これに匹敵する右打ちは岡田の後だと八木くらいか… >>542
あったあった
あとポップコーンの二人が200キロに挑戦してなかったっけ? >>680
真弓、佐野、田尾、柏原、長崎、北村とベテラン揃い。おまけに、この年は戦力にならなかった弘田。これだけ老けた外野陣も珍しい。 >>686
確かに、名前だけ見ると凄い面々なんだけどね…。 開幕戦のヤクルト大敗で何かが違うって感じだった
ある意味、日本一以降の補強を考えたら、吉田義男としたら理想の布陣のはず
86 柏原
87 田尾
1真弓2田尾3バース4掛布5岡田6柏原7平田8木戸
代打 長崎 佐野 弘田 山川
控え 大野 和田 北村 嶋田宗
バランス的にもベテラン偏重ってほどでもないし
35以上は、弘田と柏原と長崎のみ
この年の阪神の前半終了時点での戦績が19勝54敗 30年も前なのに今でもはっきりと覚えている
それくらい衝撃的な弱さだったってことか
当時の新聞の「どうした阪神 前半で20勝届かず」の見出しも印象的だった
後半少し盛り返した(といっても負け越した)けど
8月に神宮へ対阪神戦見に行ったらホーナーもバースも欠場でレオンしか助っ人がいなかったのが悲しかった
今年のサンフレ広島が当時の阪神と重なりそう
どちらも前々年は優勝してたし監督も替わってないのに……
この年のシーズン、西武はリーグ優勝を決めた後の消化試合で投手を打席に立たせていた
日本シリーズ対策のためだろうけど、当時はそれが普通だったのか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%87%E5%90%8D%E6%89%93%E8%80%85
ここの「試合でDHを使用せずに打席に立った投手」項目参照
森と東尾しか採用していないシリーズ調整
87年のこのケースが初めてだったみたいだね
DH導入(75)から82年までは二期制のためそういう調整状況がない
83,84 独走優勝も広岡上田両監督はそういう調整を採用せず
漫画『あぶさん』では独走の西武が最下位南海を相手に松沼博をそのまま
打席に立たせ、南海ベンチ激怒というシナリオがあったが、現実では実現せず
85 全試合DH制
86 全試合DH無しだが129試合目
87- パ本拠DH セ本拠DH無しの現在のスタイルが確立
・優勝が比較的早く決まり投手が打撃練習を本格的に始める
・セ本拠での先発予定投手の登板試合で採用
ここらへんまで状況が整わないとあまりやる意味ないから、
やっぱり普通じゃないんじゃないの
広岡上田の両監督は7試合全部DHなしなのに1試合程度調整をしても
あまり意味がないと思っていたのではないか 101 神様仏様名無し様 sage 2017/06/17(土) 02:46:58.21 ID:IfVU9psd
1987になる可能性は似てきている
・前年は広島巨人の争い、自民勝ちの参院選
・二所一門のガチンコ横綱(大乃国、稀勢の里)
・若手に取り替えて上がってきた星野中日→金本阪神
・今の中日は暗黒一服な大洋
・強烈に弱くなり出したチームの存在
・株価20000円越えも、リクルート疑獄→加計、森友
・元号の終わり1年前
・翌年は韓国で五輪
・テレ朝謎の改編
・石原祐次郎死ぬ→石原慎太郎政治的に死ぬ
・カウチポテトの時代→スナック菓子品薄
・花金ブーム→プレミアムフライデー
・AKB落ち目→おにゃんこ落ち目
・ドラマのTBS復活
・東芝の悪夢 ココム→原発
・北海道鉄道で廃止路線
・QRで吉田輝美ラジオ終わる
日本シリーズで巨人が後楽園で胴上げ決めるって風潮は何だったの? 第3戦辺りで仮に巨人が勝ってたら、
逆転日本一はあった??
巨人の戦力はかなり強かったとは思うけど、
思い返せば、やはり西武の野球は大人だった。
風潮ってのは、後楽園最終年だったからだろうね。
加えてリーグ優勝のときは後楽園はおろか、
相手球場でもなく、つまり移動日優勝だったというw
移動日優勝は白けたな。 正直第1戦の打線爆発で少し巨人は調子に乗った感じがする。
んで工藤にやられてもう立て直しできなくなった。
少し天狗になっていたところで工藤が
その鼻を見事にへし折ったんだよな。
江川もいいピッチングしたんだけどな
この年の東尾工藤郭から3つ勝つなんて至難の業
打線を比較すると、巨人の方が完全に上。この年の西武は、秋山が本塁打王だったが、石毛の2割6分9厘がチーム最高。ただ、1点を獲る巧さ、やらしさは西武が格段に上だった。
初戦に打線爆発したあとの西武の選手や監督がかっこよかったな
東尾「生きたデータを集められた」
森「うちは第2主義や」
自信あったんだろうなと
実際試合巧者だけなら、90年よりこの年の方が隙はなかった
強いイメージだけなら90年だろうが
なんかで見たけど第1戦の滅多打ちで、森は4連敗を覚悟したとか巨人とはレベルが違うとか焦ったって話を聞いた事があるんだけど、もはや本人に聞かないと分からないな。
確か94年の日本シリーズで巨人も
桑田が第1戦わざと打たせたとか言ってたが
後付けで何とでも言えるよね
>>708
-42を下回りそうな勢いだな
どちらも前々年の覇者なのに いつ辞めんだよ!
我慢できないんだよ!
辞めろよ吉田!
>>701
八月の後楽園のヤクルト戦を開門時には雨が上がっていたのにも係わらず、強引に中止にした天罰だろ
その中止にしたヤクルト戦がマジック1 で廻って来た、広沢の決勝タイムリーで敗れた後楽園の試合だからな
まあ八月時には雨も降ってないのに中止にして、
選手を休ませて他チームの動向を高みの見物しましょなんて余裕をブッこいてた訳で。
自分で自分のクビを絞めた、いわゆる自業自得だろ >>380
その外野で連続20勝斎藤雅樹は偉大だ。 そもそも第2戦必勝主義が疑問
初戦に勝ったほうが2戦目楽に臨めるから、大きいと思うけど
仮に王巨人が前年から2連覇orこの年に日本一だったら89年以降も
王政権は存続できたのだろうか…
バースと違ってバレンティンは優勝した年は貢献しなかったがなw
>>718
岡田は優勝した年の狂い咲きだけで、それ以降は2割7分、20本、70打点レベル。確かに、今年の山田は酷いが、その評価は? >>713
西本聖「俺なんか川又・大豊・彦野の外野陣で20勝した事があるぞ。」 >>498
この翌年、谷繁も取るわけだが、もし、古葉が大洋の監督じゃなかったら中国・山陰方面にコネが効かず、98年の優勝もなかっただろうなあ。 80年代後半の森西武は結構苦しい戦いを強いられていた
この87年も最終的に阪急に9ゲーム差をつけたが、優勝を決めるまでは楽じゃない戦いぶりだった
優勝を決めてから一気にゲーム差が広がった
森西武が盤石になったのは90年からかな
弱点だったリリーフに鹿取 潮崎が入り解消された
星野中日初期は、どこも球場狭かったからな
外野の守備なんて大したことなくても攻撃力で勝てた
85年の阪神なんて、佐野、弘田、真弓だからね
決して守備力が高いわけではない
高そうにみえた広島でさえ
ランス、長嶋、山崎
守備力より攻撃力重視だったのは事実
タツノリよりも鹿取さんが(MVPに)ふさわしかったよね
あんなにスター選手がいたのに
MVP争いが山倉鹿取とかになってるのが王巨人らしいオチ
鹿取は当時の漫画家の食い扶持にもなってたから受賞
すべきだったな、山倉はそこまでのキャラじゃなかったし
巨人は投打とも生え抜き選手で構成されたチームとしては最高の年じゃないか?
あの戦力で西武に勝てなかったんだから西武ってどんだけ?って当時思ったわ
個々の集合体という意味での総合的な戦力としては
この年の西武より上だったとは思うね。
違ったのは監督の差と、チームとしての総合力
ほんま機動力と外野の守備以外は文句のつけようのないシーズンだったな
スター選手が投打にこれでもかと揃っていたし
>>733
江川西本のピークがこの年だったら確実に巨人が勝ってたな 江川や松本がこの年限りで、他の伊藤キャンプ組やベテランが翌年以降次々に失速
88〜89年にかけて世代交代が進んで90年に新生巨人完成
という意味では87年は節目の年だな
>>738
こじつけはげしい
文章自体、節目になってないじゃんw 88年限り 西本
89年限り 角、中畑、鹿取
90年限り 苦労
94年限り 駒田
94年限り 篠塚
95年限り 原
いつだって言えるよね
斎藤雅樹ってこの2年前に12勝してホープだと騒がれていたのにこの年は1軍でなんと0勝だった
当時は今より情報源が少なかったが、故障だったという話は聞かなかったな たんなる不振?
>>745
先発は江川 西本 桑田 槙原 水野がいて干されてたらしい
王との相性最悪だし
斎藤はトレード直訴しようと思ったらし >>744
数年前の星野楽天も似たような感じしたんだけど… >>747
井口ほどじゃないだろう
田淵、関川、種田、仁村薫
全員優勝の年いなかったが
上田ハム以来じゃないこんな固めるのは 自分の近い連中をコーチで大量に起用する失敗する
古葉大洋、野村阪神、伊原オリックス
上田ハムは優勝寸前まで行ったが
>>746
干されていたんでなく、実際、このメンバーでは投手の目利きがない藤田以外なら
必然的に斉藤雅は中継ぎ起用でしょ。
当時は今みたいに中6日とかじゃなく中4,5日が主流だから
江川、西本、桑田、槇原、水野と5人いれば十分。
さすがにベテランの江川、西本を中継ぎ起用は考えにくいし
そもそもこの5人は華もあり実績もあったから、地味でサイドスローという
利便性と馬力から考えて斉藤雅が中継ぎに適任。 88年は中継ぎで割と投げてたけど、
87年は投げていた記憶すらない
当時の中継ぎは敗戦処理みたいなもの
斎藤クラスが中継ぎとは、干してると表現しても言い過ぎではない
斎藤は86年の5月以降、王監督時代先発なし
斎藤雅、前後の年もそこそこの成績残してるんだけどな。むろん無双時代には
劣るにしても。
なんでこの年だけ極端に干されたのかな?
ヤンヤンヤングマン それ行けヤングマン
王「なんじゃこりゃあ」
>>752
>当時の中継ぎは敗戦処理みたいなもの
そんななか、鹿取は中継ぎとしてチームのなかでかなりの位置にいたが。
とても貴方が言う単なる敗戦処理ではなかった。
王は斉藤に先発より中継ぎとして鹿取の代役に期待したんだろ。
わざわざ干すほど監督としての王に余裕はない。
大成した後だから干して見えるだけ
ただ単に王が斉藤雅の先発としての能力を過小評価しただけ 鹿取って現役年数の長さもさることながら、活躍期間の長さがとんでもないな
誰でも覚醒までに時間かかったり、晩年はしりすぼんで出場機会が減ったりするのに
来日2年目のサンチェがナメて、ブクブクに太ってしまった。でクローザーがいなくなって鹿取が中継ぎから回った。
左打者の多かった広島にはハラハラもんだったが。
干してたにせよ適正評価ができなかったにせよ
王の無能振りを象徴する選手には違いない>斎藤
当時、よくナゴヤ球場に見に行ってたけど、
1番印象的だったのはロッテで三冠王獲ってトレードで移籍してきた落合の打球が
ナゴヤ球場のフェンス手前で打球がお辞儀して、二塁打になる場面が多くて、
隣に座ってたおっさんが「この選手は本当にホームラン50本も打ったんか?」って
言ってたのが印象的だった。
実際に落合よりも宇野の方がパワーあったから、当時中日ファンはちょっと拍子抜けしたよ。
>>743
時系列順に書いてるの観て分かる通りタイポ >>745
斎藤雅樹ワーストシーズンだな。
86年も88年もリリーフ中心で出番は少ないながら内容は悪くなかった。
>>746
野手転向の噂もあった。たまに登板してもだるそうだった、この1年だけ体調悪かったんじゃないかな。桑田の92-93年みたいな。 >>756
しかも大学時代に、今なら訴訟起こされるレベルのキチガイじみた投げ込みさせられてたんだろ?
頑丈すぎるわ。黒田佐々岡タイプ。 この年の斎藤雅は二軍で13試合75回2/3を投げて5勝3敗防御率2.62
投球回はチームで加茂川、本原に次いで3番目に多い
「干されてた」というのが適切だと思う
鹿取はむしろ王時代の方が活躍したのでは?
だからトレード候補になったんだし。
山倉がMVPとった時のコメントも
「鹿取さんかと思ってた」だった。
そうだな
むしろ鹿取は藤田と相性悪い
先発完投主義だし
第一期監督時代は角を抑えで使ってたが、鹿取の登板数は長島監督時代から減ってる。先発完投主義とかじゃなくて単に鹿取が嫌いだったんだろうね
>>765
育成成功例が、ってことでは?
斎藤は失敗例
せっかく育てたのに放出したのは勿体ない気がする ここで最近よく見かける、
嫌ってたとかw干したwとかw
どうしてこんなシロウト丸出しの発言するバカいるだろ?
実力ある選手干したり嫌ったりして成績が下がれば自分が叩かれるから単純に
普通に考えれば判ると思うんだけど
鹿取を出したときは、「これは活躍するんじゃないですか?今年肩使っていない
わけだし、最高じゃないですか?」と堀内が言ってた、実際その通りに
>>769
王が斎藤の実力を見抜けなくて干し、勝てなかったのは事実 >>769
実力ある選手とやらの見極めが出来なかったって叩かれてるんだろw
バカ以前に文盲かよ
日本語ダイジョウブデスカ? 4月「おいおい、えらくスタートダッシュにつまずいたなw」
5月「少子悪いなあ、いつになったら元の阪神に戻るんや・・・」
6月「う〜〜ん、これはまずい。でもそのうち・・・」
とかいってるうちにシーズンが終了してしまったたった2年前には日本一になった
最下位チームがいたらしい
そのチームより弱いのが今年出てしまった
しかも西暦5の優勝から2年後という同じさよ
>>757
暗黒ど真ん中の阪神にさえ打たれていたサンチェ
明らかに球威はなかった 今なら意識低い選手って言われそうだな。
サンチェは。
大リーグでもそうだし野球以外でもそうなんだけど
中南米出身者って慢心した時の転落ぶりが極端すぎるんだよな
日本人は逆にまじめすぎるとあっちの人間は思ってるよ
7月21、23日のクソ暑い真夏の昼間に巨人−中日戦が県営富山と新潟鳥屋野で何とデーゲーム!
富山ではクーラーの使い過ぎだかで東京側か富山側か忘れたが電源が落ちて、TBSラジオはしばらくの間電話で実況していた。
今では富山も新潟もナイター設備付きのいい球場が出来たが。
この時代の巨人戦って昼間の地方デーゲームをゴールデンタイムにダイジェスト録画放送とかしてたな
>>782
7時だか7時半だかからやるんだが、しかしいきなり
中継録画開始のオープニングで「本日のハイライト」みたいな感じで
大活躍した選手をしょっぱなのオープニングの音楽に合わせて映像流すんだよなあ〜
あれ、観てる方は、あえて最初は観ないようにして。そして
試合はダイジェストだから、一回は立ち上がりで無失点でも流すがその後の展開は
当然点が入った場面からだから、応援してない球団の回が映し出されると「あ〜この回に点取られるんだな」って判るんだよなw それテレビか!
ラジオ日本が夜に録音放送してるのはラテ欄で見た記憶があるけど、テレビで!?
ラジオですらそんなことやる意味があるのか?って思ってたが。
日本シリーズで巨人は、全く指名打者を活かせ無かったんだな。第2戦は、単に左の工藤だから、右の山崎を入れたとしか思えない。
>>785
クロマティをDHにして、うまい外野手を・・・いなかったかw クロマティって何気にあのフライを背走キャッチしたのは凄かった。
その後があまりに有名過ぎてアレだな。
主力メンバーはわりと固定されていたし
クロウや吉村に慣れないDHやらせてリズムがおかしくなるのも怖い
あの中だったら鴻野をDHにして岡崎か川相に守らせるのが最善かも。
>>786
最後の第6戦はDH有田だったけど、相手が全盛期の工藤ではねえ。翌年カムバック賞だったが。
山崎はオリックスの山崎福也の父。 クロマティがハマスタで片手を上げてレフトを制し、ウイニングボールをキャッチするのがすごく心強かった。
工藤は翌年開幕滅茶苦茶で二軍落ちするんだよな。
このシリーズを頂点にしばらく低迷する。
清原に負けないぐらい夜遊びと暴飲暴食がひどかったらしいからなあ
今の嫁と出会わなかったら確実に太輔みたいになってたろ
1988〜9年頃、ニッポン放送の朝のラジオ番組に無線マニアからの投書があって
自動車電話の電波を捉えたら、ある野球選手が別れ話を切り出している最中だったという
名前は出なかったが状況証拠から工藤だと分かった
酒の飲みすぎでこのままだとやばいと医者に言われたらしいな
そこから立ち直ってここまできたんだから、凄いですよ。
唯一の野武士ユニでの星野監督だったキャンプの映像が流れてるな
>>765
山倉と鹿取では山倉の方が年上だ。
「鹿取さん」とは言わないだろう。 後楽園球場最後の試合 1987年日本シリーズ第5戦 巨人−西武 フルバージョン
ダウンロード&関連動画>>
&t=6s なかなかレアやな 4月10日金曜日、後楽園最後の開幕戦は午前中は雨だったが午後になってピタリと上がった。それでもモヤが立ち籠っていたが。
初陣の星野中日は開幕投手小松の予想の裏をかいて左腕杉本を先発。巨人は原がオープン戦で肉離れをやらかして開幕アウト。ところが杉本は左の駒田と吉村に一発を喫し、頼みの落合も西本のインコース攻めに封じられて0−6の完封負け。
7,0,1,4、1,1
1試合平均2.5点
戦犯は打点ゼロのクロマティ
この年の巨人の貧打はヤバかったな。いい当たりも全部野手の正面で、ゲッツーとか疫病神に取り憑かれた様だった。
桑田もフルボッコで、チームが心ここにあらずみたいな感じだった。
郭(セリーグでいう小松)と工藤(同近藤)は打てなさそうと思ったら本当うてなかった
>>807
肝心要の場面で全く打てなかったし、ひどい
守備を再三再四見せていたが、やたら態度は
でかかったな 日本シリーズは岡崎駒田はよく打っていた
原はひどい 篠塚は日本シリーズ最終打者のシーンばかり
岡崎は90の糞シリーズでも結構打ってた覚えが
原は打てないだけじゃなくなんでもないレフトフライを落球とかしてたな
クロマティの緩慢送球はネタになって後世まで語り継がれるのに
あの落球が語り継がれないのは謎だな
あんな酷いプレイ見たことねえんだけど
>>815
原のエラーが負けに直結したわけじゃないからなあ。
あの年は、一死二三塁でピッチャーアップアップ、0-3からのど真ん中を、平然と見逃しやがったのが、ひでえと思った。四番の仕事完全放棄。
クロマティのは、日シリそのものの敗戦を決定付ける要因だった。 原はそういうの多いよな
83年の日本シリーズでも東尾の投球術にビビりまくってなんでもないストレートを
見逃して三振して戦犯になってるし
原はシリーズではそこそこのHR打ってるけど、
やはり評価は高くないわな。
近鉄戦の満塁弾だけが独り歩きしている感じはする。
>>802
巨人の初回がひどすぎるね
味方の拙守に桑田自身の牽制悪送球でリズムが完全に乱れて、この3点で勝負あり
といった感じだった
これでセリーグの覇者だからな 笑止千万だわw
この年なら絶対カープの方が西武といい勝負をすると思う
東尾の大ファールもここで見れて嬉しい >>819
この試合でも、9回裏無視一塁の場面で、
ど真ん中の失投を平然と見逃してるな。
東尾に笑われ、解説の衣笠にダメ出しされてる。 >>818
原は81、83、87、89シリーズ本塁打王だよ シリーズでダメなのはむしろ清原
1986年、87年は14試合で2本
日本シリーズダメそうにみえて意外に有効打を打ってるのが原。
日本シリーズの数字はいいけど、意外に重要な場面で打ってないのが清原。
原がまったくダメだったのは4連敗した1990年だけ。
しかしあのシリーズは巨人全体にダメだからことさらに原が叩かれる必要もなかった。
>>824
清原のシリーズは数字もたいしたことはないけどね。桑田からの3本とかでかさ上げあるのに。
清原の数字が立派なのはオールスター。 清原は日本シリーズで桑田をかなり打ち込んでるイメージがある 実際の詳しい数字はわからないけど
ちなみに敗退した94年の日本シリーズでも大量リードされた試合の終盤に桑田から意地の本塁打を放っていた 俺はそれを見てさらにその印象が強まった
>>828
桑田が直球で遊んだ1994年シリーズ以外はさほど打ってないんだな。
1987年オールスターも予告直球を狙われた。 >>830
満塁HRだけ。
どんだけチャンス潰したんだ。
岡崎と駒田が居たから勝てた&近鉄の自滅。 89年って1,2塁なのにわざわざクロマティ敬遠して 満塁にして原勝負とかあったな
132 名前:神様仏様名無し様[sage] 投稿日:2015/03/24(火) 03:00:13.60 ID:YqrH/ukD
原の日本シリーズ通算OPS
36試合 打率.232、本塁打9、打点24 出塁率.293、長打率.457、OPS.750
>>836
日本シリーズに出てくるチームっていいピッチャーが多いからな。
その中でシリーズ本塁打王4度と多くの勲章打を打ってるのが原。 原って黄金時代の西武の投手と1番対戦したのかな
83年 87年 90年 94年全部出てるのって原と篠塚ぐらいだよね
原 シーズンは情けないがシリーズはさすが4番
クロウ シーズンは4割近くうつがシリーズは邪魔害人
こんなイメージ
クロマティはシリーズダメだったね。特にこの年。打点ゼロ。
清原もたいして仕事してないけど。消化イニングで1本打っただけ。
巨人はリーグ制覇で燃え尽きてるからな。シリーズなんて消化試合。
一方パリーグの連中は一世一代の全国放送でアピールしようと必死。
このモチベーションの違いだな。
>>350
10年ブラゼルもお忘れなく。しかも甲子園では不利の左バッター。 セリーグで巨人以上に日本一にこだわってるチームなんてないような・・・
阪神と中日なんて何度シリーズで負ければ気が済むんだって感じだし
>>647
ただし、珍プレー好プレーも審判への抗議シーンの編集がエスカレートしてた。みのもんたのナレーションも調子に乗りすぎてたのも事実。審判団のフジテレビへの抗議は井野が部長になってからだが、元プロ野球審判員の田中も著者で珍プレー好プレーには批判的な事を書いてた。 審判どもも、そんなくだらない抗議に時間を割くぐらいなら、テメエの技術向上に励めってのw
>>842
リーグ制覇で燃え尽きるようなら出てくんな。
プロ失格だそんなんは。 巨人のV10を阻止した中日はマジでリーグ制覇で燃え尽きてただろうな
星野が言ってたじゃない。
「巨人を倒したからそれでいい。
シリーズは邪魔。」
勝ってから言ったのならわかるけどさ楽天までぜんぜん勝てなかったじゃない
日シリで勝てないからほざいた苦しい言い訳にしかきこえないよ
日シリでも巨人相手の時だけは勝ったから逆に説得力あるぞ
V10止めた時は誇張じゃなくガチで精魂尽き果ててただろうし、
中日の時は黄金期西武が強すぎた。
そう考えると楽天は最後のチャンスだったがモノにできてよかったな。
結果的に本当に最後になったし。
楽天で日本一になれたのはリーグで巨人に勝たなかったからだと思ってる
>>851
アンタが星野さんを嫌っているということだけは分かったw なんかスレチになってるけど、史上最強の呼び声も高い03年ホークス相手に7戦まで持ち込んだのが何気に凄いと思う
03ホークスが史上最強www
飛ぶボールとオリックス投手陣相手に数字を嵩上げしただけじゃん
出来レの2003年に20勝やっただけの井川が好投手ねえ
2003ダイエーが2017ソフトバンクと戦ったらどうなるか
>>857
負けた試合は大敗で、勝った試合は甲子園で接戦ばかりというと、
勝敗差以上に実力差があった様にも思う。
その実力差を踏まえた上で、7戦まで持ち込んだことが凄いというのなら、
まぁ分からんでもないけれど。 メジャーだと1960年のヤンキース対パイレーツが似たような図式だったな
もっともこちらは弱者だったはずのパイレーツの方が勝っちゃったけど
有名なマゼロスキーのあれですわね
この年のヤンキース打線の得点凄ぇなw
>>861
井川のピークは2002年
桑田の沢村賞が1987年だけになるとはな 桑田のキャリアハイは後年訪れるけど、それを上回る成績を残した選手に
持って行かれているからね
因縁の2人
桑田清原が日本シリーズの初戦で当たるんだから漫画の世界だ
1987年西武ライオンズ公式戦野球中継の視聴率(関東地区)
https://www.videor.co.jp/digestplus/tv/2017/04/2107.html
4/12 西武vs日本ハム 9.6%
4/19 西武vs近鉄 9.3%
5/2 西武vs阪急 4.2%
5/9 近鉄vs西武 4.4%
5/31 西武vsロッテ 6.1%
6/6 日本ハムvs西武 5.6%
6/7 日本ハムvs西武 8.3%
6/26 西武vs日本ハム 7.2%
7/13 日本ハムvs西武 6.0%
7/17 西武vs南海 5.2%
7/21 西武vs近鉄 8.2%
7/22 西武vs近鉄 6.3%
8/28 西武vsロッテ 5.7%
8/31 西武vs阪急 10.7%
9/19 ロッテvs西武 4.0%
9/20 ロッテvs西武 8.1%
10/3 西武vs阪急 6.3%
10/4 西武vs阪急 6.1%
10/10 近鉄vs西武 6.9%
どの試合がナイター中継なのかわからんが
1987年の西武戦の視聴率はこんな感じ ちなみに1987年の巨人戦の平均視聴率は25.3%
この頃って関東では西武の人気もかなり高かった記憶があるが
一部のマニア人気だけだったのかな
現在はプロ野球自体がマニアのもの、サブカルチャーになりつつある
この年のMVPは原にしてほしかった。
西武は巨人おっかけて全国区なんて言わず、地元埼玉に根をおろした球団目指せば人気球団になれたかもね。
屋根かけるなんてバカな発想も起きなかったろう。
埼玉といっても傍流の県西じゃどうにもならん
その後の土屋時代で東西格差が一気に拡大しちゃったし
広岡が「全国区」なんて言ったのが間違いだな。所沢にもっと密着してれば浦和レッズ並とは言わないがそこそこに人気出たかも。
そもそも所沢と県中心部の浦和大宮地区って交流あるの?
所沢は浦和よりも池袋方面へのベクトルが強いと思うんだが
西武線で池袋 西武新宿線で新宿のほうが近いからむしろ そっち側のイメージ 住んでると
>>868
甲子園の因縁といえば水野ー清原の対決もあってほんと熱い時代だったな あの頃、日本シリーズの前売りで西武新宿駅北側のガード下で徹夜してた
この頃の埼玉の子供だと
現打撃コーチの赤ゴジラ嶋とか出生街道ばく進中の広池なんかは
西武ファンで子供の会に入っていたとか
すごくおもしろい嘘みたいに金の生る木を作れる方法
関心がある人だけ見てください。
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
T5OZO
>>880
その後、縁あって西武に入団
何という巡り合わせなんだろうね 中嶋F1フル参戦
F1日本GP開催
F1全戦中継開始
ル・マン中継開始
広島と優勝争いして2位になったチームは
翌年bクラスに転落するジンクスがあるが
この年の巨人は例外
横浜スタジアムの最終戦で本塁打を打っていたな
最後の解説も横浜スタジアムだった
衣笠氏は連続試合出場の記録更新の後のモチベーションは500本塁打だったのかな?
2打席立って5回のイニングが終わって試合成立したら守備固めのジョンソンと交代というシーンが
多かったような
それもあってか、規定打席(当時は403打席)ちょうどで現役ラストイヤーを終えることに
広島の川口、西山、中日の中尾、落合、ヤクルトの広沢、大洋の堀場、屋鋪、西武の西岡、
白幡、岡田、大久保、清原、工藤、日ハムの津末、河野、阪急の簑田、藤田、熊野、近鉄の阿波野
ほかに誰かいる?
>>896
その面々は全員、後に讀賣に移籍することになる 衣笠の引退とともにベルトレスのユニフォームも消滅した
(広島の1988年型ユニフォームはデザインは前年までと同じだがカバー付きベルトタイプ)
10月18日日曜日、快晴の後楽園で公式戦最終戦デーゲーム
西本が先発して引退カウントダウン中の衣笠に一発!
例のデッドボール以降インコースを攻められなくてことごとく打たれていた。
試合後、広島遠征中の試合のない日に決まって持ち越しだった王監督の胴上げ。
4年越しの悲願のリーグVだが、消化試合とはいえ負け試合での胴上げ
このあとの日本シリーズ惨敗と合わせ、巨人時代の王はつくづく冴えていないね。
いい選手そろってたんだけどね
牧野みたいな優秀な参謀がいればな
当時は短期決戦なんて事故みたいなもんで、
運一つ次第で結果なんか変わるんだろうとか思ってたけど、
長らく経ってから思い返してみると、勝敗差以上に実力差があったのかもね。
それが顕在化したのが3年後の(ry
>>903
この試合って、吉村がカウント「2−4」からホームラン打った試合だったはず 「新人王レース」
パ・リーグのエース投手の系譜は稲尾和久、杉浦忠らといったチーム成績に直結する「連投を厭わない大黒柱の時代」に始まり、次に鈴木啓示、
山田久志、村田兆治、東尾修による「団塊世代の四天王」が続いてきた。時代と共に変わってきたと感じたのは、84年に入団して新人から活躍した
渡辺久信、津野浩、加藤伸一による「19歳トリオ」の出現からだろうか。彼らは先人たちに比べ実績では劣ったが、甘いマスクで爽やかに相手打者を
抑えてきた。19歳トリオに遅れること3年、大学卒でプロの世界に飛び込んできたのが近鉄・阿波野秀幸と日本ハム・西崎幸広だった。この二人に
星野伸之と前述の渡辺を合わせた4人は「トレンディー・エース」と呼ばれ、昭和四天王とは違った輝きを放っていた。
大学時代から全日本選抜の仲間だった阿波野と西崎が入団した87年の新人王レースは、見応えのあるレベルの高い争いだった。先に勝ったのは
阿波野で、開幕2戦目のロッテ戦での抜擢に1失点完投で応える初星だった。一方西崎はその前日、西武戦での中継ぎでデビューしたが、ロング
救援の5イニング目に打たれて初黒星を喫していた。阿波野は2度目の登板となる西武戦でもプロ初完封の快投を演じるなど3連勝のスタートで、
前半戦は南海・藤本修二の10勝に次ぐ2位タイの9勝(7敗)の成績を挙げた。
西崎は阿波野初勝利の10日後に完投で初勝利を挙げたが、前半は4勝(6敗)止まりだった。しかし、球宴後からの西崎の逆襲で新人王レースは
分からないものとなった。8月2日から10月8日まで10連勝、中でも8月には太平洋・古賀正明以来11年ぶりの新人による連続完封を挙げて、津野ら
からエースの座を勝ち取った。阿波野は後半戦では一進一退で6勝5敗、トータル15勝12敗として勝利数では西崎と同数だった。
後半の勢いに加え黒星で5つ少ない西崎と、完投数とイニングで上回りリーグ最多奪三振の阿波野のデッドヒートだったが、意外にも141対51の90
票差で阿波野の圧勝という結果に終わった。優しそうで真面目な印象の阿波野に対し、美形ながらどこか気障な雰囲気の西崎という両者のイメージが
投票に左右したと騒ぎにもなった。江川卓と西本聖のMVP投票の時代から、87年の新人王レース、そして2017年の現代でも濱口遥大と大山悠輔
に対する新人王投票といい、記者投票から技術以外の“私情”が捨てられる時代はいつやって来るのだろうか。 (了)
この時代はまだリリーフ投手が2,3イニング投げていたので、クローザーが規定投球回数とかも珍しくなかった。
>>909
それから5年後の92年は、普段はリリーフを務めている盛田(大洋)と赤堀(近鉄)の両投手が
揃って最優秀防御率のタイトル獲得だったからね >>908
いつも、どうも。あなたのレスを読んでると当時の記憶が昨日の事のように甦ってくる。 藤田、王じゃあ10回くらい戦わないと日本シリーズで西武に勝てなさそう。
一方、長嶋は西武コンプレックスとか関係なさそう。
偶然にも西武黄金時代は長嶋氏の浪人時代とほぼ被る。
原も2008は負けたけど、2002で4タテ喰らわしてるから西武コンプは無さそう。
>>914
現役時代はあったみたいだけどね。
もっとも94年は勝っているけれど。 交流でソフバンにすこぶる成績が悪いのは秋山や工藤にまだ恐怖があったのでは?と思った
伊原は巨人に甘いがあちらはマジで来るからな
鬼のように強かったのは
秋山清原デストラーデ
ナベナベ工藤郭泰源
の時だけ。
89年まではリリーフエースいなかったからね
鹿取潮崎杉山とって隙がなくなった
>>913
長嶋の時は1期目のライオンズは暗黒
2期目は数年に1回は優勝できる戦力
だったが中々日シリに勝てず…
逆に阪急(オリ)が強かった
時代だったために上田仰木に
日シリで割を食ってしまった… 確か藤田2期はOP戦、日本シリーズ通じて西武に全敗だった記憶が。
ドーム設立記念Tの決勝で勝利(王時代)を最後に、勝てなくなった。
交流戦があったら、藤田の評価は微妙だったかも
>>920
オープン戦の勝利に価値を見い出すのは、若手と水島新司くらいのもんだが そういう余裕しゃくしゃくで最後西武に勝って日本一になるんだったら良い
でもまあ、この頃の巨人には西武に勝てる要素など
微塵も見当たらなかったからねw
まあ、あの外野守備だけでも差は歴然だったろ。
西武→秋山、平野で右中間を抜くことはほぼ不可能
巨人→原、苦労、吉村の草野球レベル
>>916
衰えてから一緒にプレーのイメージしかない高橋は比較的工藤鷹に強かった >>924
その頃はまだ、原は内野手だった
(外野へコンバートされるのは89年) 西武のクリーンナップの低打率、巨人の3割バッター5人で勝てると思ってた。
低打率は(思い返せば)確かに話題になっていたけど、
秋山、清原、ブコビッチ、石毛とつながる打線を見て、
普通に強打線やんって思った(´・ω・`)
あの日、西武球場で俺達巨人ファンを奈落の底に叩き落した辻さんがあんなに泣いちゃうとはねえ。
現地で見てたもん。あと1人で何で辻と清原が守備位置の打ち合わせしてるのか、と思ったが。
今年、工藤監督の胴上げの時、マツダの広島ファンも拍手していたが、この時はペナント持って
場内一周していた西武ナインがレフトスタンドの前に来たらやたらめったら物が飛んで来た。
ミカンとか。
おどけた様にグラウンド側に逃げて行く西武の選手が面白くは見えたが、あれはちょっとねえ。
衣笠の規定打席に拘って
高打率ジョンソンの稼働率がイマイチだったのがカープV逸の原因
衣笠ジョンソンの起用なんて些末な話だろ
エース北別府の不振が何よりの敗因
86年の18勝4敗から10勝14敗でそのままチームの勝敗数に反映されている
コウジの引退効いてるだろ
代わりがタンスニゴンだから
☆★☆【神よこの者たちはもはや人間ではない悪魔であるこのような悪魔どもを一匹残らず殺してくださいお願いします】★☆★
《超悪質!盗聴盗撮・つきまとい嫌がらせ犯罪首謀者の実名と住所/死ねっ!! 悪魔井口・千明っ!!》
【要注意!! 盗聴盗撮・つきまとい嫌がらせ犯罪工作員】
◎井口・千明(東京都葛飾区青戸6−23−16)
※盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者のリーダー的存在/犯罪組織の一員で様々な犯罪行為に手を染めている
低学歴で醜いほどの学歴コンプレックスの塊/超変態で食糞愛好家である/醜悪で不気味な顔つきが特徴的である
【超悪質!盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者の実名と住所/井口・千明の子分たち】
@宇野壽倫(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202)
※宇野壽倫は過去に生活保護を不正に受給していた犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください
A色川高志(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103)
※色川高志は現在まさに、生活保護を不正に受給している犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111
B清水(東京都葛飾区青戸6−23−19)
※低学歴脱糞老女:清水婆婆 ☆☆低学歴脱糞老女・清水婆婆は高学歴家系を一方的に憎悪している☆☆
清水婆婆はコンプレックスの塊でとにかく底意地が悪い/醜悪な形相で嫌がらせを楽しんでいるまさに悪魔のような老婆である
C高添・沼田(東京都葛飾区青戸6−26−6)
※犯罪首謀者井口・千明の子分/いつも逆らえずに言いなりになっている金魚のフン/親子孫一族そろって低能
D高橋(東京都葛飾区青戸6−23−23)
E長木義明(東京都葛飾区青戸6−23−20)
F若林豆腐店店主(東京都葛飾区青戸2−9−14)
G肉の津南青戸店店主(東京都葛飾区青戸6−35ー2
西武のバッターがみんな低打率だったので巨人が勝つと思ったが投手陣が凄まじかった。
工藤、東尾、郭、渡辺だから勝てないな!
西武は打率は低かったけど、
秋山清原石毛ブコビッチとか、
普通に長打力のある強打線やんって思った
単年だけの数字を見たら、石毛の三塁手コンバートは失敗だった。ただ、松永や古屋もパッとせずに、ベストナインとゴールデングラブ賞を手にしている。
>>939
記者投票だから優勝すると印象良いんだよ。
伊東と田村、辻と白井一なんか、実力以上に投票数に開きがあった。
翌年だが新人王の時、長嶋一茂に5票入れたり、ろくに見ていない。
阪神の選手が1票だけとかもたまにある。 >>938
何故か四番に入った第1戦の4三振を見て、ブコビッチなんて穴やん、と思ったがな… ブコビッチなんて江川から打ったソロホームランだけじゃない?
>>934
ランスはホームランこそ打ちまくったがいかんせん
三振と守備のミスの多さが…(´・ω・`) >>942
第6戦のクロマティ怠慢返球第一幕のセンター後方のフライと
第5戦の初回桑田から一気に3点取った時の3点目タイムリー >>944
あのフライはクロマティを責めるな。
素早く返球した方だし、何よりよく捕った。
あれはむしろ篠塚と原のミス 巨人の優勝が決まった次の日の朝日新聞(朝刊)スポーツ欄
のコラムが、王監督を労う内容だったのが印象的だった
アンチ巨人の朝日にしては珍しい
>>904
87年の王巨人は、優勝決定の日は試合がなかったんじゃ?
その日はマジックナンバー対象の広島が中日に完封負けして
巨人の優勝が決まったと記憶してる たしか優勝が決まって数日後の後楽園の試合で胴上げしたんじゃなかったっけ
優勝決定当日が移動日で試合が無かったのは確かに合ってる。
その日はその日で宿舎で観戦して胴上げビールかけやったんちゃうかな。
クロマティがカタカナで「ヤッター」と書いた鉢巻を頭にまいてはしゃいでたのは覚えてる
川藤が解説デビューしたのがこの年。
契約は読売テレビとだったが、キー局の日テレが売り出そうと、
シーズン中は後楽園の巨神戦3連戦に1試合ペースでマイクに向かわせたほか、
2時間ドラマのチョイ役や「それは秘密です」に出演させたりもした。
しかし局側の意向とは裏腹で、新聞やテレビ情報誌の読者投稿欄には、
「解説になっていない」「未だに阪神の選手気取り」など川藤の解説を批判する声が多数。
これを受けてか、翌年からは出番も激減し、読売テレビ制作の神巨戦での出番がない日も生じた。
わしは阪神戦以外の解説ができないみたいなことを言って干されたらしい。
そんでもって、クビを恐れパリーグの解説もやらせてほしいと泣きついたって話よw
そもそも解説デビューが藤井寺の近鉄戦だったから。
カズ山本の“金網突き破り”幻のホームラン
は、この年の5月の出来事。
これ、すぐに忘れ去られた珍プレーだった
5月に新潟で行われた南海−ロッテの試合観戦を楽しみにしていたものの
試合の数日前に交通事故で亡くなった少年がいた、
という事を知らされた香川伸行選手が少年宅を弔問し、仏前に彼が使用するバットを手向けた、
というニュースを見た記憶があります。
オチがセ・リーグへ。バースとの対決が煽られた。
開幕当初ホームランを量産したのはランス。絶賛されるもすぐにメッキが…
ホーナーへの狂騒は、まさに“狂”。
で、レスカーノとかいう“大物”の中途参加にこれまた騒いだが、すぐに消えるw
>>955
打率最下位で本塁打王
これも珍しいよね この年か前年から、6時台に野球中継をするようになった。
そこまで人気あったのかねえ・・
ホーナーへの狂乱にしても、冷めた目で見ていた。
当時すでに子供たちの人気はサッカーだった。
>>955
テレ東のスポーツニュースで
「今日の落合・バース」なんてやってたな。
>>957
当時高2だったが、休み時間のスポーツの話題はほぼプロ野球一色だった。
もっともサッカーは体育で実際にプレーできるから、
そちらも好きなやつはけっこういたが。
もっと下の世代はわからんけどね。 >>957は静岡県清水市とかそういうピンポイントなキワモノ地域の人間だろうなw >>957
まだサッカーなんて市民権得てないよ
>>955
このあたりのセの打撃レースはまさにセカンドリーグに相応しいgdgdぶり
清原はこの時代にセにいたらタイトルとれただろうに だけど落合、バースが共倒れして無冠とは予想できなかった
>>955
この年のオールスター、落合と牛島の対決があって面白かったわ 1987年度の小2〜小6がサッカー黄金世代だぜ。
子供たちはすでに「野球よりサッカー!」だった。
オールスター戦のセリーグ応援席は阪神応援団が仕切ってたらしいが
巨人の選手には全員アウトコールしたり 、大音響で六甲おろしを演奏したりと嫌がらせ。
しかしこの年は巨人選手に加え、宇野と小早川もこの餌食に。
宇野は過去のホームラン王争いによる敬遠合戦の因縁。
小早川はドラフト時における阪神拒否発言が原因だろうが、
よほどムカついたのか、甲子園での第3戦では二人とも凡退後、
ライトスタンド方面を睨み付けるようにしながら
ダグアウトに引き上げてたな。
>>967
お祭りのときくらい、和やかに楽しくやろうって気は無いんか
大阪の人間って、そういう所は理解あると思っていたが
意外と陰湿なんだなぁ 滑ってると気付かずに面白い関西のジョークをやってるという気分なんだろうな
滑ってるけど
>>968
そういうお祭り騒ぎを「陰湿」と感じる人間の方が陰湿だわ この年の一回目の『必殺仕事人V・旋風編』のサブタイトルは「主水バースになる」
藤田まことが髭モジャになっただけw
当時の阪神応援団って相手側が凡退する度に変なテーマソングを演奏していたねw
前述のオールスターで覚えてたのは宇野の打席はしばらく無音で、凡退と同時にあの変な曲を演奏。
小早川の打席の時はずっと六甲颪を歌い続け、最後は宇野と同じパターンだった記憶が。
門田選手が通算2000本安打を記録した際に
観客席に張られた横断幕が
「偉大なり、闘将門田 祝2000本安打」
でしたか。
この年もプロ野球は大盛り上がり。
サッカー日本リーグで読売クラブ(86-87)、ヤマハ発(後の磐田)(87-88)が優勝したこと知ってる日本人が何人いた?
武田が新人王&得点王&MVP取ったの誰が知ってた?
ブラジル人総監督に「ライバルは誰か?」と聞かれ、武田は「清原です」と答えた。
「KIYOHARA?WHO?」と。
それが今やこうなるとは。
この年からか?相手打者を2ストライクに追い込んだらG党が唸り出す、という奇習をやってたのは。
(85年にはやってない。86年には既にあった現象か)
20過ぎまでの、大学生とおぼしき野郎どもが中心に吼えてた。
バブルのアホ世代どもだ。
この年からか?相手打者を2ストライクに追い込んだらG党が唸り出す、という奇習をやってたのは。
(85年にはやってない。86年には既にあった現象か)
20過ぎまでの、大学生とおぼしき野郎どもが中心に吼えてた。
バブルのアホ世代どもだ。
この年からか?相手打者を2ストライクに追い込んだらG党が唸り出す、という奇習をやってたのは。
(85年にはやってない。86年には既にあった現象か)
20過ぎまでの、大学生とおぼしき野郎どもが中心に吼えてた。
バブルのアホ世代どもだ。
仮に、巨人が86・88年の日本シリーズを西武と戦ったら勝てたよね?
86年は原が手首の有鈎骨骨折で離脱
88年はクロマティ・吉村が怪我で不在
チャンスあるなら86年なら何とか
86年
初戦江川ー東尾
2戦槙原ー工藤
3戦加藤初ー郭
4戦西本ー松沼兄
88年
初戦槙原ー渡辺久
2戦ガリクソンー郭
3戦桑田ー工藤
4戦香田ー森山
>>982
今になっていくらそんなことを言っても
虚しさしかないw >>985はただの馬鹿だな。俺が言いたいのはそれだけだ。それからもう俺にレスはするなよ。 >>982=>>986とか、プロ野球板に居座るゲスドメとか…
もしかしたら讀賣のヲタなんて、妄想癖の激しいクズばっかりなのかもねw lud20200626064503ca
このスレへの固定リンク: http://5chb.net/r/meikyu/1405265462/ヒント:5chスレのurlに
http://xxxx.5ch
b.net/xxxx のように
bを入れるだけでここでスレ保存、閲覧できます。
TOPへ TOPへ
全掲示板一覧 この掲示板へ 人気スレ |
>50
>100
>200
>300
>500
>1000枚
新着画像
↓「1987年のプロ野球を語ろう Part.2YouTube動画>8本 ->画像>2枚 」を見た人も見ています:
・1987年のプロ野球を語ろう Part.3
・2年のプロ野球を語ろう
・1990年のプロ野球を語ろう Part.2
・1990年のプロ野球を語ろうpart.3
・【球界再編】2004年のプロ野球を語ろう【平成版PO開始】
・2001年のプロ野球を語ろう
・1990年のプロ野球を語ろう
・2015年のプロ野球を語ろう
・2008年のプロ野球を語ろう!
・★☆★2003年のプロ野球を語ろう★☆★
・【10.8】1994年のプロ野球を語ろう【イチロー】
・1997年のプロ野球 Part.2
・プロ野球で星座と血液型を語ろう
・プロ野球の放映権について語ろう 122
・チビだったプロ野球選手を語ろう
・プロ野球の放映権について語ろう 157
・プロ野球の放映権について語ろう 123
・プロ野球の放映権について語ろう 131
・プロ野球の放映権について語ろう 119
・プロ野球の放映権について語ろう 164
・プロ野球の放映権について語ろう 124
・プロ野球の放映権について語ろう 160
・プロ野球の放映権について語ろう 134
・プロ野球の放映権について語ろう 162
・プロ野球の放映権について語ろう 163
・プロ野球の放映権について語ろう 165
・プロ野球の放映権について語ろう 159
・プロ野球の放映権について語ろう 161
・プロ野球の放映権について語ろう 132
・プロ野球の放映権について語ろう 156
・プロ野球の放映権について語ろう 157
・プロ野球の放映権について語ろう 158
・プロ野球の放映権について語ろう 133
・プロ野球の放映権について語ろう 138
・プロ野球の放映権について語ろう 141
・プロ野球の放映権について語ろう 0141
・プロ野球の放映権について語ろう 139
・プロ野球の放映権について語ろう 147
・プロ野球の放映権について語ろう 152
・プロ野球の放映権について語ろう 144
・プロ野球の放映権について語ろう 142
・プロ野球の放映権について語ろう 153
・プロ野球の放映権について語ろう 137
・プロ野球の放映権について語ろう 145
・プロ野球の放映権について語ろう 150
・プロ野球の放映権について語ろう 135
・プロ野球の放映権について語ろう 149
・プロ野球の放映権について語ろう 134
・プロ野球の放映権について語ろう 147
・プロ野球の放映権について語ろう 151
・プロ野球の放映権について語ろう 146
・プロ野球の放映権について語ろう 155
・プロ野球の放映権について語ろう 139
・プロ野球の放映権について語ろう 126 [無断転載禁止]
・プロ野球の放映権について語ろう 123 [無断転載禁止]
・タカラ プロ野球カードゲームについて語ろう 【令和 Part1】
・【野球】西武榎田 11勝目に笑顔「去年の今頃は来年プロ野球選手でいられるかと…」
・【野球】元阪神 西武・榎田、移籍1年目で11勝「去年の今頃は来年プロ野球選手でいられるのかと…」 23試合 11勝4敗 3.32
01:55:25 up 6 days, 11:03, 3 users, load average: 9.55, 9.27, 8.82
in 0.029453992843628 sec
@0.029453992843628@0b7 on 112615
|